美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~ 作:月城 友麻
「でも、勝たない限り未来はないのよ?」
リリカがリーシェの顔を覗き込んだ。緋色の瞳が、逃げ場のない現実を映している。
ふぅ……。
リーシェは深いため息をついて、うなだれた。
勝たなければ、自分たちは殺されるだろう。あるいは殺されないまでも、捕らえられ、二度とレテに帰れなくなる。そしてシアンの気まぐれ次第で、この星もレテも平気で消し飛ばされる。月を落とすような存在だ。何千億の命を奪うことに、一瞬の躊躇いもない。
とんでもない存在と戦っている。
そして勝ち目は、全く見えない。
リーシェは膝を抱え、薄暗い収納空間の虚空を見つめた。何も映らない、何もない空間。自分たちの呼吸の音だけが、かすかに反響している。
――と。
その時、かすかに甘い香りが鼻をくすぐった。
「……え?」
リーシェは首をかしげた。この収納空間に、匂いなどあるはずがない。
だが確かに、甘い。
柔らかくて、どこか懐かしい、あの香り。
意識の奥に、一つの映像が浮かんだ。小さなガラス瓶が転がっている。コルクの蓋が少しだけ緩んで、中身の香りがわずかに漏れ出している。
収納品のほとんどはシアンの攻撃で吹っ飛ばされていた。魔王城を強制排出された時に大半が散らばり、残っていたものも月の収納の衝撃で潰れたり壊れたりしていた。
だが、まだ残っているものがあった。
トトがくれたカモミール。
公爵家の応接室で緊張をほぐすために少し使ったが、まだ半分以上残っていた。あの日、トトが照れくさそうに差し出してくれた小瓶。「姐さん、これ。いい匂いするんすよ」と、はにかみながら。
リーシェはカモミールの瓶を引き寄せた。
手のひらに載る、小さなガラス瓶。コルクの蓋を抜くと、甘くふくよかな香りが一気に広がった。
「トト……」
リーシェはきゅっとその瓶を胸に抱きしめた。
多くの人を巻き込んでしまった。
トトもその一人だった。純朴な青年。自分についてきたばかりに拷問され、魔族に攫われ、今もまだ危険の中にいる。申し訳ないことをした。でもこの小瓶は、あの青年の温かさそのものだった。
不思議なものだ。宇宙を越えて戦い、月を収納し、
リーシェは大きく息をつくと、リリカを見た。
「お茶に……しましょ?」
リリカは一瞬きょとんとした。
この極限状態で、お茶――。
だが、リリカはすぐに柔らかく微笑んだ。
「……そうね」
リーシェは権能を使い、空中に水の玉を浮かべた。ゆらゆらと揺れる透明な球体を、ゆっくりと温めていく。水が温まり、細かな泡が立ち始め、やがて湯気が立ちのぼった。
そこにカモミールを加える。
乾燥した花びらが湯に触れた瞬間、柔らかに膨らみ始めた。閉じていた花弁がゆっくりと開き、淡い黄色がお湯の中に広がっていく。まるで小さな花が、もう一度だけ咲くかのように。
甘くふくよかな香りが、薄暗い収納空間を満たしていった。
無機質で、冷たくて、何もなかった空間に、カモミールの香りだけが温かく漂っている。
リーシェは権能でカップを二つ形作り、琥珀色のカモミールティーを注いだ。
リリカにひとつ手渡す。
二人は何も言わずに、カップを両手で包み込んだ。手のひらに伝わる温もり。立ちのぼる湯気。カモミールの甘い香り。
一口、含んだ。
温かさが喉を下り、胸を通り、お腹の奥まで広がっていく。身体の強張りがほんの少しだけほどけ、呼吸が深くなる。
何も言わなかった。
言葉はいらなかった。
二人はただ黙って、カモミールティーの温もりと香りに身を委ねた。この極限状態の中で、たった一杯のお茶が、折れかけた心をそっと繋ぎ留めている。
トトの優しさが、極限状態の戦場まで、届いていた。
◇
「さて、作戦を考えましょ?」
カップを置いたリリカが、まっすぐにリーシェを見た。さっきまで疲弊しきっていた緋色の瞳に、力が戻っている。カモミールの温もりが、身体だけでなく心の芯まで解してくれたのだろう。
いつまでもここに隠れていたって、解決はしないのだ。
「そうね……。まず……今、奴はどこにいるのかしら――」
リーシェは意識を外に向けかけた。収納空間の外を探知し、シアンの位置を把握しようとして。
「待って!」
リリカがリーシェの腕を掴んだ。強い力で。カップに残ったカモミールティーが揺れて、一滴だけ指にこぼれた。
「探知を逆に追ってる可能性があるわ」
言われて、はっとした。
シアンの戦い方を思い返す。ステルスで気配を消したのに見つかった。跳躍先を完璧に読まれた。あの精度は、単なる勘や経験では説明がつかない。
「そうか……。奴は、探知した場所を逆探知するスキルを持ってるのかもしれないわね」