美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~   作:月城 友麻

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39. 封じられたナイナイ

 目が、焼ける。

 

 マズい――。

 

 目を開けられない。涙と煙で何も見えない。【ナイナイ】は万能ではないのだ。見えない敵は、消せない。

 

 最強の収納魔法が、ただの煙に封じられている。

 

 こんな――こんな単純な手段で。

 

 咳が止まらない。身体が震える。意識が白く霞んでいく。干し草の匂いすら煙にかき消され、世界がただ灰色の苦痛だけで塗り潰されていく。

 

 ――どうする?

 

 思考が散る。散った破片を拾おうとするたびに、咳がそれを叩き落とす。頭の奥で、収納空間の蓋がぎしりと軋む音が聞こえた気がした。中に閉じ込めた魔物たちの気配が、ざわりと蠢く。トトの気配も、その奥で微かに震えている。

 

 まずい。このままでは、持たない。

 

 逃げなければ。でも、どうやって? 何も見えない。方角すらわからない。煙の中で手を伸ばしても、掴めるのは灰色の空気だけだ。

 

 煙の中でうずくまりながら、リーシェの意識が薄く、遠くなっていく。

 

 ――逃げなきゃ。

 

 そう思った。けれどその願いより先に、もっと根源的な衝動がリーシェの心を支配した。

 

 もっと奥から湧き上がる言葉にすらならない、魂の叫び。

 

 ――静寂が、欲しい。

 

 この痛みも。煙も。追手の気配も。全部、全部消して。何もない場所に行きたい。静かで、誰もいなくて、何の音もしない空間に――。

 

「……ナイナイ」

 

 その声は、ほとんど吐息だった。

 

 唇が微かに動いただけ。意識すら朦朧としたまま、本能だけが紡いだ四文字。

 

 対象は――自分自身。

 

 瞬間、リーシェの身体がすぅっと()けた。

 

 輪郭が淡く光を帯びながら消えていく。指先から腕へ、腕から胸へ、存在そのものが空気に溶けるように消えていく。

 

 最後に残ったのは、線香花火が散らすようなキラキラと輝く光の微粒子だった。それすらも虚空に呑まれ――消えていく。

 

 屋根裏には、白い煙だけが残された。

 

 誰もいない空間を、煙がゆるゆると漂っている。さっきまでそこにいた少女の温もりすら、もう感じ取れない。

 

 

         ◇

 

 

 数秒後。

 

 小屋の壁が蹴破られた。

 

「女を探せぇ!」「急げ!」

 

 剣を構え、黒装束の男たちが突入してくる。口元を布で覆い、ゴーグルの奥の目が鋭く光っている。梯子(はしご)を駆け上がり、屋根裏を制圧する。訓練された動き。無駄のない連携。国家の刃として研ぎ澄まされた、影鎗騎士団の精鋭たち。

 

 だが――。

 

「いない!」

 

「消えた! どこだ!」

 

 煙の中を、男たちが捜索する。干し草を蹴散らし、麻袋を引き裂き、床板を踏み鳴らす。壁の裏、天井の隙間、床下の暗がり。あらゆる場所を確認し同じ結論に至る。

 

「窓から出たか?」

 

「馬鹿を言え。監視役からは何の連絡もない。窓から出た形跡はないぞ」

 

 慌てて発信刻印(はっしんこくいん)の水晶盤をチェックした狩人が、顔色を変えた。盤面に浮かんでいたはずの淡い光点が消えている。先ほどまで確かに灯っていた、獲物の位置を示す光が。

 

「刻印の信号が――途絶えた」

 

「何?」

 

「さっきまで反応があったのに、突然消えた。受信範囲内にいないのか……いや、そんなはずは」

 

 リーダー格の男が煙の中で歯噛みした。

 

「畜生……! 空っぽだ。いったいどこへ消えた……くぅぅぅ……」

 

 拳が壁を打った。乾いた音が屋根裏に響く。

 

 

         ◇

 

 

 その頃。

 

 リーシェは、不思議な場所にいた。

 

 暗い。だが、完全な闇ではない。遠くに、ぼんやりとした光が見える。まるで深い湖の底に沈んで水面を見上げているような、くぐもった明るさ。

 

 身体の感覚が希薄だった。

 

 重さがない。痛みもない。あの煙の苦しさも、目の灼ける激痛も、全てが遠い場所に追いやられている。まるで幽体離脱(ゆうたいりだつ)したかのように、自分という存在が宙に漂っていた。

 

 ――ここは。

 

 この空間の質感を、リーシェは知っていた。いつも【ナイナイ】で物を収納する時に、一瞬だけ垣間見える"向こう側"。暗くて、静かで、時間の流れない場所。

 

 自分が、収納空間の中にいる。

 

 自分自身を、収納したのだ。

 

「……こんなこともできるのね」

 

 収納空間の中で、リーシェは呟いた。声は震えなかった。驚くべきことのはずだ。自分自身を異次元空間に格納するなど、あらゆる魔法の常識を超えている。

 

 しかしリーシェの心は、異常なほど静かだった。

 

 もとよりこの世界は、リーシェにとって不可解なことだらけだった。月は作り物みたいだし、食べ物は砂の味しかしないし、記憶はないし、レベルアップしたら光背が輝くし――今さら一つ二つ、不思議が増えたところで、大した違いはない。

 

 それに――ここは、心地よかった。

 

 音がない。光がない。重力がない。誰の視線もない。追手の気配もない。ただ静謐だけがどこまでも広がる、完璧な虚無。

 

 リーシェが本能の奥底で求め続けていたもの。静寂。

 

 このまま、ここにいたい。そんな甘い誘惑が、冷たい水のように心を浸していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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