美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~ 作:月城 友麻
『じゃあ、うちの別荘においでよ』
沈黙を破ったのは、リリカの声だった。眠っていたはずなのに、いつの間にか起きている。その声は、いつものおちゃらけた調子ではなく、どこか優しかった。
「え?」
『うちは腐っても公爵家だからね。あちこち無駄に不動産持ってんのよ。キャハッ!』
「それは……助かるわ」
『いいってことよ。リカルド商会の上、四階ね』
「えっ? あそこなの? 一等地じゃない……」
リカルド商会と言えば、王都の目抜き通りに面した一等商業地だ。その上階に、アステリア公爵家の別荘がある。
『まぁ、使い道が決まらないまま浮いてんのよ。しばらくそこにいるといいわ。広いし、静かだし、大きなキッチンもあるから料理人くんも腕を振るえるんじゃない?』
「……ありがとう」
リーシェは小さく呟いた。いつもの気怠さではなく感謝の念が込められている。
リーシェはトトに別荘の話を伝えた。トトの目に明るさがもどる。大きなキッチンがあると聞いた瞬間に。料理人はどんな状況でも厨房の話になると瞳が輝くのだ。
「公爵家の別荘なんて夢みたいっす!」
「リリカには感謝だわ……。トトは荷物をまとめるの大変でしょ? 私はすぐに終わるから先に行ってるわ」
「はいっす。じゃ、後で向かいます!」
トトは小走りで駆けていった。
◇
二階の自室に戻ったリーシェ。
小さな部屋だった。ベッドと机と椅子。窓辺にはカモミールの乾燥花が入った瓶。トトが置いてくれたもの。
リーシェは瓶を手に取り、蓋を開けた。甘い香りが、微かに鼻腔をくすぐる。薄い。もうほとんど香りが飛んでしまっている。それでも、この瓶にはとても助けられた。
瓶を優しく収納空間にしまう。
荷物は少なかった。
替えの服がすこし。洗面用具などの日用品。それくらいだ。記憶喪失で目覚めた時、何も持っていなかった。一年経っても、持ち物はほとんど増えていない。
一年。
その多くをこの狭い部屋で暮らしてきた。
安物のベッドで眠り、窓から作り物みたいな月を眺め、何もわからないまま。自分が何者かもわからないまま。ただ、静かに生きていた。
だが、トトに出会って少しずつ生活に色が加わってくる。
リーシェは部屋を見回した。
壁のシミ。床板の軋み。窓の
でも。
ここの食堂で初めてトトのシチューを食べた夜のことは、覚えている。視界が白く弾けて、懐かしい温もりが胸に広がった、あの瞬間。その晩、温かい気持ちを抱えてここの壁のシミを眺めていたのは、なぜか忘れられない。
トトが「部屋でも香りがあった方がいいっすよ」と言って、窓辺に瓶を置いてくれた夜のことも。
ここで、この世界に来て初めて、「味方」と呼べる人間ができた。
それがギリギリのところで、この作り物のような世界にリーシェをつなぎとめている。
リーシェは机と椅子を元の位置に戻し、ベッドのシーツを整えた。箒を借りてきて、床を掃き。窓を開けて空気を入れ替え、
最後に、部屋を出ていくとき、ふと振り返った。
何もない部屋。最初と同じ、何もない部屋。
リーシェは部屋に向かって一礼した。
深く。静かに。誰に見せるためでもない、ただ自分のための礼。
リーシェは扉を閉め、階段を降りる。
一階のカウンターで、ゲオルグが手を止めてこちらを見ていた。何か言いかけて、やめた顔。リーシェは軽く頭を下げ、ゲオルグは無言で頷いた。
月桂樹亭の扉が、背中で閉まった。
夕日が石畳に影を落としている。
リーシェは振り返り、看板を見上げた。月桂樹の葉を模した、色褪せた木の看板。
ぺこりと頭を下げる。
「……お世話になりました」
小さな声が、風に吸い込まれて消えた。
リーシェは前を向き、歩き出す。
新しい居場所へ。ようやくたどり着いた静かな暮らしを感じるために。
夕方の風が、リーシェの黒髪を優しく揺らしていた。
◇
リカルド商会の四階。
アステリア公爵家の別荘は、リーシェの想像を遥かに超えていた。
重厚な樫の扉を開けた先に広がっていたのは、天井の高い広々とした空間だった。磨き上げられた寄木張りの床。窓辺に垂れる深紅のカーテン。壁には油彩の風景画が掛けられ、暖炉の上には銀の燭台が並んでいる。応接間にはふかふかのソファが、硝子のテーブルを囲むように配置され、奥にはダイニングとキッチン、さらにその先にベッドルームが三室。
公爵家の別荘というだけあって、調度品の一つ一つが目を疑うほど豪奢だった。暖炉の