美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~ 作:月城 友麻
「出ろ」
封魔枷が青白く光り、魔力を押し返す。水の中でも、変わらない。
「出ろ」
また光る。また弾かれる。
「出ろ」「出ろ」「出ろ」「出ろ」
リーシェの袖が濡れていく。冷たい水が肘まで沁み込み、封魔枷の木目に少しずつ、少しずつ水が染み込んでいく。
「何をしているんですか?」
男は小娘の無駄なあがきを嗤った。
「水に漬けたって変わりませんよ。さぁ行きましょう?」
男がリーシェに手を伸ばしかけた。
その瞬間だった。
封魔枷の光が、ほんの一瞬だけ――チラチラッと瞬いた。
水が木材の奥まで染み込み、魔法文字の導線が乱れた。ほんの一瞬。針の穴ほどの隙間。
リーシェは、その一瞬を逃さなかった。
「出ろ!」
「ワォ!」
虚空から赤い髪が弾けた。
リリカが杖を手にして現れる。着地と同時に目を輝かせ、赤い髪を振り乱し、全身の魔力を杖に叩き込んだ。
「な、なんだ!? お前は主席賢者!? ど、どうして……?」
男の目が見開かれる。
リーシェは素早く水から両手を引き上げ、リリカの前に突き出した。濡れた手枷が青白く明滅している。
「任せた!」
「何をする! 止めろ!」
中年男がリリカにつかみかかろうとした瞬間だった。
「ほいきた!」
リリカは満面の笑みで杖を振り下ろした。
緋色の魔石が白熱し、杖の先端から凝縮された魔力の一撃が放たれる。
封魔枷に、直撃。
パァン! と小気味良い音が響き、黒い枷が粉々に砕け散った――。
「あぁぁぁぁぁ!!」
中年男はその想定外の事態に狼狽した。
破片が夕日の中に舞い上がり、刻まれていた魔法文字が最後の光を放って消滅する。
断ち切られていた魔力の流れがリーシェの中に一気に戻ってきた。
「ふわぁ……」
収納空間との繋がりが蘇る。【ナイナイ】の感覚が、指先に帰ってくる。
世界が鮮明に感じられる。
まるで水の底から水面に顔を出したかのように、全てがクリアに見える自分が自分に戻った感覚。
「マ、マズい……マズい」
中年男は焦り、後ずさりする。世界最凶の魔法使いが復活してしまったのだ。記録映像の悪夢が脳裏をかすめ、思わず身構える。
ところが――。
リーシェはそんな中年男など一顧だにせず、右手を魔王城に向けた。
「え? 何すんの?」
リリカがきょとんとした。
てっきり中年男を脅迫でもして情報を聞き出したりするのかと思ったが、どうやら何かを消そうとしているらしい。しかし、一体何を?
リーシェは漆黒の城を、真っ直ぐに見据えた。人類に対して牙を剥き、トトを取り込む悪の権化を尖塔の先から石壁の根元まで――巨大な城塞の全容を、黒い瞳に映し込んだ。
「ナイナイ」
声は小さかった。
けれどその一言が放った力は、今までのどの【ナイナイ】よりも――とんでもなく桁違いに、大きかった。
絶対静寂が、辺り一帯を覆いつくす。
音が消えた。風の音が。魔物たちの声が。大地そのものの震えすらも。
次の瞬間――。
魔王城が、消えた。
黒い石壁が。尖塔が。城門が。中庭が。回廊が。応接室が。地下牢が。厨房が。兵舎が。その最上階、五百年の歴史が刻まれた玉座の間が――消えた。
あの壮大な城塞の全てが一瞬で跡形もなく。
夕日に照らされた地平線には、ぽっかりと空いた空白だけが残された。城があった場所が、広大な更地になっている。基礎の石すら残っていない。ただ平らな地面の上に、夕陽が赤い光を落としているだけ。
見晴らしが、よくなった。
嘘のように、よくなった。城の向こうに隠れていた山並みが見え、遠くの森が夕陽に染まっているのが見える。空が広い。あまりにも広い。
「あっ! あぁぁぁぁぁ!!」
絶叫する中年男。
敬愛する魔王も、偉大なる魔王軍も全て消えてしまったのだ。
そのあまりに唐突な終焉に、男はへなへなと崩れ落ち動けなくなる。
「は……?」
リリカは、声を失った。
口を半開きにしたまま、見晴らしがよくなってしまった景色を呆然と見つめている。
リーシェはさすがにキャパオーバーで苦しそうに胸を押さえながらも、茫然自失とする中年男に右手を向けた。
それに気づき、慌てる男だったが――。
「ちょ、ちょっと待――」
「ナイナイ」
男はわたわたと無様な姿を残し、スゥッと消えていった。
「ま、まさか……城ごと……。そんなことって……。ああっ! 大丈夫!?」
リリカがリーシェの方を見ると、リーシェの様子がおかしい。
ガクガクと膝が、震えていた。
慌ててリリカがリーシェの身体を支える。
「た、大変だ……しっかり!」
リーシェはぎゅっと目をつぶり、うなだれ、両手で頭を抱えた。身体が小刻みに震えている。収納空間の蓋が、今までにない力で押し上げられている。城一つ分の「重さ」。建物だけではない。城の中にいた全ての存在――トトも、魔王も、兵士も、使用人も――全てが一度に収納された。