美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~ 作:月城 友麻
「ね、お願い! 信号弾を取り消して! 話し合えばきっと――」
「もう呼んじゃったもーん」
少女はどこ吹く風で首を振った。ぷいっと顔を背け、口笛でも吹きそうな顔で。
「そ、そこを何とか……」
リリカの声が掠れていた。首席賢者としての知性が、この状況の絶望の深さを正確に計算してしまっている。
「知ーらないっ。シアン様の怒りに触れた文明は一つの例外もなく滅んだがな。我が世界を滅茶苦茶にしたバチじゃ。ぬはは」
「ぬはは、じゃないわよ!」
リリカが少女の胸ぐらを掴んだ。叫んだ。その声は悲鳴に近かった。緋色の瞳が涙で滲んでいる。
怖いのだ。あの記述が事実なら、この世界の全ての人間が、全ての命が、堕ちてくる太陽の炎で灰にされる。このままでは、神話時代と同じ焼け野原にされてしまう。
それだけは。それだけは、何としても避けなければならなかった。
「仕方ない。収納して解体だわ」
リーシェが少女に右手を向けた。声は平坦だった。
国王に魔王にドラゴンでお腹いっぱいだというのに、さらに
もうこれ以上状況を悪化させるわけにはいかない。この少女を格納してここから逃げれば――。
その時だった。
世界が、振動し始めた。
足元から。大地から。空気から。光から。全てが。
地震ではない。
もっと根源的な振動だった。世界を構成する要素そのものが共鳴するように震えている。空気の粒子が。光の波長が。時間の流れそのものが。万物が一つの周波数に引き寄せられ、同調し、震えている。
リーシェの中の収納空間までもが揺さぶられ、蓋がガタガタと鳴った。
「……な、に……?」
リーシェは見上げた。
空に、曲線が引かれていた。
数キロメートルはあろうかという巨大な円弧が、夕暮れの空にゆっくりと描かれていく。目には見えない巨人の指が、空というキャンバスに一本の弧を引いているかのように。弧は上空で折り返し、今度は逆方向に膨らみながら戻ってきて、描き始めの点に合流した。
閉じた曲線が、形を成す。
巨大な、巨大な瞼。
空そのものに刻まれた、途方もない大きさの瞼。雲を押しのけ、夕焼けの空を分断するようにしてそこに在る。
それが――開いた。
ゴゴゴゴゴ、と。
腹の底を震わせる振動と共に、瞼がゆっくりと持ち上がっていく。空間が裂けた。次元の壁が紙のように引き裂かれ、その裂け目から碧い光が噴き出した。滝のように。奔流のように。世界を浸すように。
瞳が現れた。
碧い瞳。
空の半分を覆うほどの巨大な碧い瞳が、裂けた空間の向こうからこちらを覗き込んでいた。
虹彩が万華鏡のように回転している。碧の中に緑が混じり、緑の中に金が散り、金の中に藍が滲んでいる。瞳孔の奥には星々の輝きが見えた。銀河が渦を巻き、星雲が流れていくのが見えた。それは目であり、同時に宇宙だった。この世界を創った存在に連なる者の知覚器官。全てを見通し、全てを裁く、絶対の瞳。
その瞳が、こちらを見ている。
リーシェを。
「見ぃつけた……」
どこからともなく声が、響いた。
若い女の声。どこか楽しげで、どこか残酷な、甘い声。迷子を見つけた保護者のような響き。だがその保護者は、気まぐれに世界を焼く者だった。
「きゃははは!」
笑い声が世界を震わせた。空が割れ、大地がうねり、遠くの山並みが霞むほどの神聖力が放射された。笑い声一つで世界が軋んでいる。存在の規模が根本的に違うのだ。人間とか魔族とか魔王とか、そういう尺度の外にある存在。あのドラゴンですら、この前ではただの一匹の爬虫類に過ぎない。
直後。
碧い閃光が、世界を埋め尽くした。
視界が真っ白になり音が消えた。上も下もわからなくなった。リーシェは本能的にトトを庇おうと手を伸ばしたが、身体が動かない。リリカが何か叫んでいるが、声が聞こえない。世界そのものが一瞬だけ停止したかのような――。
刹那――リーシェの中で、何かが弾けた。
収納空間が、外側から破裂させられたのだ。
蓋が吹き飛んだ。リーシェの意志とは無関係に、力ずくで封をこじ開けられた。今まで【ナイナイ】で収納してきた全てのものが、奔流のように溢れ出していく。
魔族の使者が。魔王城の警備兵たちが。
そして――魔王城そのものが。
漆黒の巨城が虚空から吐き出され、元あった場所に向かって吹き飛んだ。横倒しのまま地面に激突し、崩れながら跳ねた。バウンドした城の質量が大地を叩き、黒い石壁が砕け、尖塔が折れ、城門が弾け飛ぶ。瓦礫が四方八方に散らばり――。
刹那。
全てが停止した。
飛び散る瓦礫が空中で凍りついた。砕けた石壁の破片が、宙に浮いたまま動かない。吹き上がった砂塵すら、一粒一粒がその場に固定されている。崩壊の一瞬を完璧に切り取った、壮絶な静止画。
時間が、止まったのだ。
リーシェたちだけが、その静止した世界の中で動くことができた。