美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~   作:月城 友麻

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9. にぎやかな笑顔

 ただ静かに暮らしたかっただけなのに。

 

 誰にも迷惑をかけず、誰にも関わらず、トトの料理を食べて、カモミールを飲んで、それだけでよかったのに。

 

「最低だわ……みんなに迷惑かけて……どうしたらいいの……」

 

 珍しく、リーシェの声に感情が滲んだ。いつもの気怠さの奥から滲み出た、隠しきれない困惑と罪悪感。そして――自分自身への怒り。

 

 他人に無関心だと思っていた。何も感じないと思っていた。けれど『自分のせいで誰かが困っている』という事実は、リーシェの心を確かに揺らしていた。

 

 トトはそんな彼女の横顔をじっと見つめていた。いつもは何を考えているかわからない、能面のような美貌。その仮面に、初めてひびが入ったのを見た気がした。

 

 トトは真剣な顔になってリーシェに向き合う。

 

「姐さん、一緒にダンジョン行きましょう」

 

「……は?」

 

「実力を示して、ギルドの不当な圧力をぶっ潰すんすよ! あんな噂は嘘だ、この宿の冒険者は真っ当で強いんだって証明するんす。姐さんの収納魔法があれば、絶対いけます!」

 

 トトの目が燃えていた。拳を握り、身を乗り出し、まるで自分自身の夢を語るかのような熱量で。

 

 リーシェは即座に首を振った。

 

「嫌よ。めんどくさい」

 

 ワイングラスをぐいっと傾ける。

 

「姐さぁぁん!」

 

「目立ったってろくなことないわ。私は静かに暮らせればそれでいいの」

 

「でも、このままじゃ宿も潰れちゃうかもしれないんすよ? 姐さんが好きなこの食堂も、俺の厨房も、全部なくなるかもしれない。それに……」

 

 トトはふと言葉を切り、少し言いづらそうに頬を掻いた。

 

「姐さん、こう言うとあれなんすけど……ツケ、結構溜まってますよね?」

 

「……ツケ?」

 

「大将がそろそろ払ってもらわなきゃって。ワイン代だけでも結構な額で……」

 

「……ワイン。はぁぁぁ……」

 

 リーシェは長いため息をついた。

 

 ツケ。そういえば、最近ずっと払っていなかった。ここでの暮らしも一年を超え、何かと物入りだったのだ。それなのに給料ももらえずにクビになった。それでも毎晩のようにワインを飲んで、トトの料理を食べて――受け取るばかりで、何も返せていない。

 

 この事実にはちくりと胸が痛んだ。

 

「一緒に稼いで、返済しましょう? それに……」

 

 トトは少し照れたように、けれど真っ直ぐな目で言った。

 

「俺も、このままコックで終わるのは嫌なんす。もう一度、冒険者として夢を追いかけたい。姐さんと一緒なら、きっとやれる」

 

 夢。

 

 リーシェには、縁遠い言葉だった。自分にはそんなものがない。夢どころか、明日の予定さえ曖昧だ。それなのにこの男は、目を輝かせて夢を語る。一度は折れたはずの翼で、もう一度空を目指そうとしている。

 

 その眩しさが、少し羨ましかった。

 

「……静かに暮らしたいだけなのに……。ふぅ……」

 

 リーシェはため息をついた。けれど、その吐息の端に滲んでいたのは、諦めだけではなかった。

 

 このまま宿に迷惑をかけ続けるわけにはいかない。ツケも払わなければならない。それに――トトの料理がなければ、自分はこの世界で生きていけないかもしれない。この『味』を失ったら、自分は本当にただの抜け殻になってしまう。色も音も味も感情もない、空っぽの器。トトが見知らぬ誰かとどこかへ行ってしまうような未来だけは、避けなければならなかった。

 

「……タルいわ」

 

「やった! 行くってことでいいんすね!?」

 

「……一回だけよ」

 

「ありがとうございます姐さん! 愛してます!」

 

「やめて……キモい」

 

 リーシェは素っ気なく返したが、その口元はかすかに弧を描いていた。トトはそれを見逃さず、にかっと笑う。

 

「今日から俺は姐さんの相棒っす! トト、二十二歳! 特技は料理と根性! よろしくお願いします!」

 

「……あっそう」

 

 興味なさげに返す。けれど、嫌ではなかった。

 

 こうして、世界最凶でありながら最もやる気のない少女と、夢を諦めきれない料理人の青年による、奇妙なパーティが結成された。

 

 窓の外では、作り物めいた月が昇っていた。蒼白い光が食堂の床に長い影を落としている。リーシェはその月をちらりと見上げ、すぐに視線を落とした。

 

 ――この世界の月は、やっぱりどこか嘘っぽい。

 

 けれど今夜は、その嘘っぽい月明かりの中に、ほんのわずかな温もりを感じた気がした。スープの余韻だろうか。ワインの酔いだろうか。それとも。

 

 リーシェは残りのワインを飲み干し、空になったグラスをカウンターに置いた。からん、と乾いた音が響く。

 

 明日から、また面倒なことが始まってしまう。

 

 でも隣には、このにぎやかな笑顔がいる。

 

 それだけで。

 

 ほんの少しだけ――この世界が、悪くないと思えた。

 

 

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