「……主任。ヤコブレフ主任、起きてください」
夜勤の泥のような眠りを引き裂く、無慈悲な声が響く。
視界をこじ開けると、そこには古代の魔導機文明が生んだ遺物――人造人間(ルーンフォーク)のアリスが立っていた。見た目は可憐な少女そのものだが、首筋に刻まれた精密な金属パーツが、彼女が「造られた存在」であることを静かに主張している。
俺は重い瞼の隙間から、デスクに置かれた懐中時計を睨みつけた。
「……当直交代まであと二時間ある。昼担当への引き継ぎ十分前になったら起こせ。客からのクレームなら『三時間後に担当が死ぬ気で伺う』と伝えておけ」
顔にブランケットを被り直そうとしたが、その前に俺の手首がミシリと嫌な音を立てた。アリスの細い指が、万力のような力で俺を固定している。
「痛い痛い痛い! 骨が! 技師の命である利き腕が粉砕される!」
「仕事をしていない者に、守るべき腕などないかと。残念ながら、二度寝の猶予はありません。博覧会パビリオンの警備から緊急連絡です。魔導機の展示品に異常反応を検知。即時確認を求めています」
魔導機博覧会。
マギテック協会が主催する、古代の英知を現代に誇示するための国家イベントだ。聞こえはいいが、中身は「何に使うか、いつ暴発するか分からん骨董品」の掃き溜めでもある。だからこそ、俺たち技師が二十四時間体制で、いつ火を噴くか分からないガラクタの見張り番をさせられているわけだ。
「……おい、腕が鬱血して変色してるぞ。上司に訊かれたらどう説明するんだ」
「『そういう特殊な趣味です』と答えれば、論理的な整合性は保たれます」
「俺の社会的死を前提にロジックを組むな」
悪態をつきながら、俺は当直棟の前に停めた魔動バイクのエンジンを叩き起こした。サイドカーにアリスが乗り込んだのを確認し、スロットルを回す。深夜の会場を抜ける風は、少しだけ眠気を飛ばしてくれた。
「主任、先ほどから資料を確認しているのですが……このチラシは何ですか? 『南国の珍獣展』?」
「ああ、それか。このクソみたいな当直が終わったら行こうと思ってな。南方島国のパビリオンだ。大した魔導機はないが、代わりにこの辺じゃ見られない山猫や虎がいるらしい」
「主任が動物好きとは。意外すぎて言葉もありません」
「人間の勝手で動かされる機械と違って、野生動物は誰にも依存しない。その気高さが、今の俺には眩しいんだよ」
「端的に言えば、現実逃避ですね」
「否定はせん。……あーあ。こんな仕事辞めて、南国で一生動物の写真でも撮って暮らせたら最高なんだがな」
《その願い、たしかに聞き取った。汝の成したいことを成すが良い》
脳を直接かき混ぜられるような、異質な音が響いた。
人の声でも、機械の合成音声でもない。だが、意味だけが鮮明に脳裏へこびりつく。
「アリス、今何か言ったか?」
「社畜の末期症状で野生に還りたがっている主任を、憐れんでいただけです。口には出していませんので、ご安心を」
「そうか。そのまま一生黙っててくれ」
ただの空耳か、あるいは疲労による幻聴か。
自分を納得させているうちに、問題のパビリオンへ到着した。警備の兵士にIDを見せ、重厚な扉を潜る。
「主任、これを」
アリスが差し出してきたのは、鉄と木で組み上げられた無骨な筒――魔導銃(トラドール)だった。
「物騒なもんを持ち出すな。俺は技師だぞ」
「安物ですが、魔除けのようなものです。展示品の暴走で魔神が召喚された事例もありますから。用心に越したことはありません」
「魔神が出てきたら、これ一丁でどうにかなるかよ。一応撃てるが、期待はするな」
俺は溜息混じりに銃を受け取り、背負い袋へ固定した。
照明の消えた館内は、深海のように暗い。兵士が差し出そうとしたランタンを断り、俺は自前のジェネレータースフィアを軽く叩く。青白い淡い光が、闇を一定間隔で切り裂いた。
◆
展示室の中央、そこに「ソレ」はいた。
赤と青の、スライムのような粘液状の物質が絡み合い、歪な人型を形作っている。
発掘当初は「混沌の神との交信機」だの「古代の芸術品」だの諸説あったが、結局正体は不明のまま。今ではその薄気味悪いビジュアルが逆に受け、博覧会のマスコットとして「ファラファラ君」などと間抜けな名で呼ばれている。
「……たしか、ミ○クミ○ク君だったか」
「ファラファラ君です、主任。公共の場での言い間違いは、協会の品位を貶めます」
アリスの冷徹な指摘を無視し、俺は像に近づいた。
本来、動くはずのない無機物の塊が、暗闇の中で脈動するように光っている。スフィアの明かりを消すと、その発光パターンはより鮮明になった。まるで、誰かに必死に語りかけているような、規則的なリズム。
「これ……何かに反応しているのか?」
「どういうことです?」
「分からん。だが、まるで誰かと『通信』しているみたいだ。不気味すぎる。明日一番で研究所に放り込むぞ」
毒づきながら、状況を確認するために像の表面に手を触れた。
その瞬間、目も口もないはずの「ファラファラ君」が、歪に笑ったような気がした。
《汝の欲望を叶えてやろう》
「――っ!?」
視界が、爆ぜた。
像を抱えたまま、足元の床が消失したかのような強烈な落下感。
「主任!? 主任、しっかりしてください!」
遠ざかるアリスの叫び。それを最後に、俺の意識は無限の闇へと飲み込まれていった。