忘却と不忘のアンサンブル   作:川葉

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あらすじの見返しと章を追加したりしてみました。
追加する際にアンチ・ヘイトを付けるか悩みましたが、付けました。


第四話:私の知らない姉

 

 月ノ森女子学園の正門前。放課後の喧騒が、重厚な鉄扉の向こう側から波のように押し寄せてくる。

 私は校門から少し離れた街路樹の影に立ち、どれだけ待っても現れるはずのない人を、夕暮れに染まる制服の群れの中に「豊川祥子」の残影を探していた。

 

「……どうして」

 

 口の中で、苦い問いが溢れた。

 もしも、あの時に私がもっと強く「私も一緒に」と言えていたら。あるいは、彼女たちの輪にもっと確かな「個」として加わっていられたなら。違う運命を辿っていたのだろうか。

 

「誰か待っているの?」

 

 不意にかけられた絹のように滑らかな声に、私は弾かれたように顔を上げた。

 そこに立っていたのは、柔らかい栗色の髪を揺らした生徒だった。月ノ森の制服を端正に着こなし、その瞳には、校外から来た「部外者」に対する控えめな好奇心と親切心が宿っている。

 

「あ……いえ、大丈夫です。若葉さんを……友達を待っているだけなので」

 

 咄嗟についた嘘に、少女は少しだけ目を見開いた後、どこか影のある微笑を浮かべた。

 

「睦ちゃん、今日は学校を休んでて……。何か、急ぎの用だったかしら?」

 

「お休み……そう、なんですか……」

 

「あなたは睦ちゃんのお友達?」

 

「そうです」

 

「そうなんだね。あ、自己紹介が遅れたね。私は睦ちゃんと同じクラスの、長崎そよ」

 

 そよは、丁寧な仕草で会釈をした。その立ち振る舞いには、どこか祥子と通じるような、徹底された「優等生」の香りがした。

 

「名前を聞いてもいいかな?」

 

「……ハル、です。豊川ハル」

 

 その名字を口にした瞬間、そよの表情が微かに、けれど明確に凍りついた。

 彼女の瞳の奥で、激しい困惑と、抑えきれない焦燥が火花を散らす。

 

「豊川……。もしかして祥ちゃんの、妹さん……?」

 

 そよの唇から漏れたのは、祈りのような、あるいは呪詛のような切実な響き。彼女の温度は一瞬で変質した。それは、行方不明の主を待つ従者が、その面影を持つ者に縋り付くような狂気にも似た光。

 

「祥ちゃんは……今、どこにいるの? 連絡は取れているの? 」

 

 そよは詰め寄るように一歩踏み出した。端正な顔立ちは焦燥に歪み、その必死さに私は息を呑む。祥子を失ったのは私だけではなかったのだ。彼女たちの世界もまた、祥子という絶対的な中心を失って崩壊してしまったのだと肌で感じた。

 

 私が顔を伏せ、震える指で胸元のネックレスを握りしめると、そよの視線がその銀の輝きに釘付けになった。

 

「それ、祥ちゃんがいつも身に着けていた……」

 

 そよの手が、無意識に私の胸元へと伸び掛けるが、はっとしたように手を引っ込め、首を横に振った。

 

「ごめんなさい、取り乱してしまって……。あの、もしよかったら少しお茶でもどうかな? 祥ちゃんのこと……話せる範囲でいいから、聞かせてほしいの」

 

 祥子の行方を知りたいという切実な瞳は、鏡に映った私自身のとあまりに酷似している気がした。

 

 

 そよの後を付いて行くと、辿り着いたのは『LIVE HOUSE RiNG』という看板が掲げられた建物だった。

 

「ここは……?」

 

「RiNG。私たちが……初めてライブをした場所よ」

 

 そよは寂しげに目を細めた。その言葉の端々には、失われた眩い季節への未練が滲んでいた。

 

 カフェエリアへ足を踏み入れると、放課後の学生たちが数人、楽器ケースを傍らに置いて談笑していた。私は慣れない空間に身を縮めながら、カウンターへと向かう。

 

「いらっしゃいませ。ご注文……っ」

 

 レジに立つ店員と目が合った瞬間、心臓が跳ねた。鋭い眼光を湛えた少女──クラスメイトの椎名立希だった。

 

「……椎名、さん?」

 

「……豊川、ハル」

 

 学校ではいつも周囲と距離を置き、どこか苛立ったような空気を纏っている彼女。私は名前と顔を知っている程度で、言葉を交わしたことさえ数えるほどしかない。

 

「あんたがなんで、そよと一緒に……」

 

 立希は不審げに私とそよを交互に見た。

 

「立ち話もなんだし、注文いいかな。私はいつもので。ハルちゃんは何がいい?」

 

「え……あ、じゃあ、アイスティーで……」

 

 立希の威圧感に気圧され、消え入りそうな声で答える。彼女は忌々しげにレジを叩くと、舌打ち交じりに背を向けた。その背中からは言葉にならない苛立ちが放たれていた。

 

 席に着くと、そよは『ハル』という人間を見ているようで、その奥にある祥子の影を必死に探っているように見えた。

 

「あの、どうしてそよさんは、私のことを知っていたのですか?」

 

 彼女は温かなカップを両手で包み、遠い記憶をなぞるように視線を落とした。

 

「直接会ったことはなかったけれど、祥ちゃんから聞いていたわ。まだCRYCHICが始まる前、彼女がメンバーを探していた頃にね」

 

「そうなんですね……そんな前から」

 

「祥ちゃん、あなたのことを本当に大切そうに話していたのよ。『自慢の妹なんです』って。バイオリンの才能があって、誰よりも心が綺麗だって……。でも、同時にすごく心配もしていたわ。少しずつ体調は良くなっているけれど、まだ身体が弱いから、絶対に負担はかけられないって」

 

「姉様が……そんなことを……」

 

 そよは穏やかに笑うが、その言葉を聴いているうちに、私の頬は火照り、首筋まで熱くなっていくのを感じた。

 

「私はただ、姉様の後ろをついて歩くことしかできなかったから」

 

 思考を断ち切るような鋭い衝撃音。目の前のテーブルに、ガチャン! と音を立ててグラスが置かれた。

 

「あんた、祥子の妹でしょ。……なんで黙ってたの」

 

 吐き捨てるような言葉。立希はそよさんの隣に乱暴に腰を下ろすと、私を射抜くような視線を外さなかった。

 

「……黙っていたわけではないです。ただ、言う機会がなかっただけ」

 

 私はグラスに結露した滴を見つめ、声を絞り出した。

 

「祥子が急にいなくなって、連絡もつかなくなって……。残された私たちがどんな思いで待っていたのか、あんたなら少しは分かってんじゃないの? 家族なんだろ」

 

「立希ちゃん、そんな言い方……」

 

 そよが宥めるように手を添えるが、立希はそれを振り払うように身を乗り出した。

 

「家族だからこそ、何も知らないのです」

 

 私は顔を上げ、立希の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。視界が滲みそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪える。

 

「姉様は、私に何も言わずに消えた。あの日、あの雨の夜から……。私だって、聞きたいことは山ほどある。どうして、あんなに大切にしていた『CRYCHIC』を壊したのか。どうして、私にさえ何も言わずに置いて行ったのか!」

 

 一気に捲し立てると、肺の奥が焼けるように熱くなった。

 立希は毒気を抜かれたように一瞬だけ目を見開いたが、すぐに苦々しげに視線を逸らした。

 

「……あいつ、あんたのことだけは特別だって顔してたのに。結局、全部放り出したってわけか」

 

「でも、きっと祥ちゃんも悪気があった訳じゃないし……」

 

「じゃあ何? 練習は来ないし、連絡だって返さない、燈の事も傷つけて勝手にバンド抜けた。それでもあいつは何も悪くないって?」

 

「そうですよね。結果だけを見れば、姉様がしたことは無責任で、身勝手なことかもしれない」

 

 私は自分の膝の上で、指が白くなるほど拳を握りしめた。

 

「あのね、ハルちゃん。私はまたバンドをやりたいと思っているの。CRYCHICの残したものを、もう一度輝かせたくて……」

 

 そよの声は、微かに震えていた。

 

「CRYCHICの残したもの……」

 

「祥ちゃんが戻ってくる場所を作っておきたいの。燈ちゃん、立希ちゃん、睦ちゃんと私。そこに、ハルちゃんも加わってほしいの。祥ちゃんの妹であるあなたがいてくれれば、きっと……祥ちゃんは戻ってきてくれるはず。あの頃のように、みんなで……」

 

 あまりにも身勝手で、突拍子もない誘い。そよの瞳の奥で揺れているのは、私の「音」への期待ではない。私という存在を「依り代」にして、失われた祥子を呼び戻そうとする、悲しい計算。

 

「そよ。まだ諦めていなかったの?」

 

「うん……」

 

 重苦しい沈黙が降りた。そよの瞳は、まるで蜘蛛の糸のように細く、けれど強固な執着で私を絡め取ろうとしている。

 

「……すみません、お断りします」

 

「どうして? あなたのような才能があれば……」

 

「そうじゃないです、そよさん。今の私の音は、あなたが期待するような力なんて持っていません」

 

 私は俯き、テーブルの上のコップをじっと見つめた。

 

「私は……姉様が愛した『CRYCHIC』を尊重しています。だからこそ、私のような中身のない音で無理やり繋ぎ合わせるような真似は、姉様への冒涜に思えるんです」

 

「冒涜だなんて、そんな……私はただ、祥ちゃんが帰ってこられるように……」

 

「そよ。CRYCHICは終わったんだよ」

 

 立希の冷徹な言葉を、そよは否定しなかった。ただ、その表情から光が消え、深い影を帯びた。

 

「ごめんなさい。もう疲れたので、今日は帰ります」

 

 私は二人に向かって「ごめんなさい」ともう一度小さく呟き、胸元のネックレスを握りしめながら、逃げるように席を立った。視界が白く霞み、出口の重い扉へと足を進める。

 

「あ……」

 

 思考が追いつかないまま外へ飛び出そうとした瞬間、入り口から入ってきた人影と肩が激しくぶつかった。熱を持った身体がバランスを崩し、視界がぐにゃりと歪む。コンクリートの床が迫る恐怖に目を閉じた。

 

「おっと。……危ないですよ」

 

 衝撃の代わりに、手首を強固で安定した力で掴み上げられた。

 

「大丈夫ですか。……豊川さん」

 

 聞き覚えのある、低く落ち着いた声。ゆっくりと目を開けると、そこには感情の起伏を感じさせない、深い夜の海のような瞳があった。

 

「……八幡、さん?」

 

 同じクラスの八幡海鈴だった。いつも誰とも群れず、授業が終われば風のようにいなくなる彼女とは、ほとんど話したことがない。

 

「ありがとう」

 

「礼には及びませんよ」

 

「海鈴……」

 

 海鈴は私と立希を交互に見比べると、ふっと視線を落とした。

 

「……なるほど、そういうことですか。痴話喧嘩ですか。店内でやるのは、あまり感心しませんね」

 

「はぁ!? 何言って……!」

 

 立希の怒鳴り声が店内に響く。私はそれどころではなく、ただ消え入りたい一心だった

 

 

「……違います。ただ話をしていただけです」

 

 私はそれだけを言い残すと、海鈴の横をすり抜けるようにして外へ飛び出した。

 

 外に出ると、空はいつの間にか分厚い雲に覆われていた。湿った風が火照った頰を叩く。逃げるように歩調を速め、歩道橋に差し掛かったその時、ポツリと冷たいものが鼻先に落ちた。

 

 瞬く間に雨脚は強まり、アスファルトから埃っぽい匂いがあがる。あの日と同じ、逃れられない雨。

 

「……また、雨」

 

 傘を持っていないことに気づき、歩道橋を降りた先にあるマンションのエントランスへ駆け込んだ。激しい雨音に周囲が塗りつぶされていく。

 

「あの……」

 

 不意に背後から掠れた声がした。心臓が跳ね、ゆっくりと振り返る。

 

 そこには鞄を胸に抱え、迷子のような、それでいて何かを必死に繋ぎ止めようとしているような、脆く危うい瞳をした少女が立っていた。

 

「ハル……ちゃん?」

 

「燈ちゃん……」

 

 高松燈。祥子のいた場所の中心人物。

 雨のカーテンに遮られた静寂の中で、彼女はただ私の顔をじっと見つめていた。

 

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