「九回……鈍ったな」
相当練習したから前は十回越えは固かった。
ピピピピッと水面を跳ねた石ころが沈んだ辺りを見やって呟けば、八幡が面白く無さげに鼻を鳴らす。
「……私は六回でした」
相変わらず全くの無表情だが、悔しそうなのは言葉を聞けばすぐに分かった。
まるで何にも動じないと言いたげな鉄面皮でも、内心では結構負けず嫌いな部分がある。
意識して抑え込んでいるだけで、実際は俺が思う以上に感情豊かなのだろう。
告白以来彼女は感情表現を比較的ストレートにするようになったので、尚更分かりやすい。
「初心者でそれなら上等だな。今まで興味無かっただろ?」
「ええ、まあ。何の目的でこんな事をするのか、分からなかったの、で────ッ!」
確かに、今時河原で石投げなんてアニメや漫画でも滅多に見ないように思える。
まあマトモに石を拾える川原がそもそも少ないこのご時世、態々放課後に川まで行こうなんてヤツは相当な希少種だ。
況してや合理の化身みたいな八幡からすれば、時間を無為に費やしているようにしか見えないだろう。
でも──八幡はその綺麗に整えられた指先が土で汚れるのも厭わず足下から石を拾い上げると、アンダースローで水面に放った。
「七回」
「ふむ、また伸びましたね」
「俺よりハマってるじゃん」
「思ったより楽しいんです。こうして石を選んで、フォームを整えて、石が何回跳ねたか一喜一憂するの、がッ!」
「それには大いに同意するけど」
たかが水切りと侮るなかれ。
軽い気持ちで始めるとその奥深さに驚かされる。
投げる石の選定、フォームのブレ、水面の状態。
それらが複雑に作用して決定される石の跳躍。
結果はほんの数秒の内に、明確に表れる。
成功は連続で水面に広がる小波、失敗は数回もしない内に沈む石と言う形でこれ以上ないくらいハッキリと示されるのだ。
上手く行くかは完全に自分次第で、その上トライアンドエラーが容易だからとことんまで拘れる。
取り敢えず川原に石が転がってたら投げたくなる大概の男子のみならず、八幡みたいな突き詰めるタイプの人間がハマる余地は大いにあった。
「八幡」
「何ですか」
しかし、だ。
「何で急にこんな事したんだ?」
「こんな事とは?」
「俺が中学の頃よく遊んでた場所に行きたいとかって……忙しいんじゃないのか?」
「忙しくはありますが……ハッキリしませんね。何が言いたいんですか?」
解散から劇的な復活を遂げ、再びスターへの道を駆け登り始めたAve Mujicaのベースである八幡の放課後は、値千金の価値を持つ。
テレビに出演する度、ギターの練習をする度──いや、最早何か喋るだけで回り回って何百万何千万の金が動くのだ。
今や八幡の一分一秒は、その使い方次第でガールズバンドに沸くこの時代に極めて強い影響を及ぼすようになっていた。
つまり、有意義でなければならない。
勿論、八幡とて人──休息やプライベートな時間がなければ生きていくことは出来ない筈だ。
非生産的な行動は、きっと人間が生きていく上で必要不可欠なものなのだ。
だが、それらも含めて無為に過ごしてはならないことくらい八幡は理解している筈。
寧ろ最大限の効率を追究するのが八幡海鈴という人間の生き方だったと俺は思う。
それなのに、どうも最近は様子がおかしい。
「つまり、こうやって俺と石を投げるのは本当にお前にとって有意義な時間の使い方なのか?ってことなんだけど」
「はい」
「……」
コイツ、本当に。
あまりの即答振りに思わず閉口してしまう。
そればかりか、八幡はバカを見るような目でこちらを見てくる始末──これでは、こちらが本当にバカみたいではないか。
「私を血も涙もない冷血だと思っていませんか」
「……いや、そうは思ってないけど」
「言いたいことがあるならハッキリ言って下さい」
「持ってる心が常人のそれじゃないとは思ってる」
主にストイックさとか。
自分を律すると口で言うのは簡単だけれど、いざ実行するとなると並大抵のことではない筈だ。
ただでさえ誘惑はそこら中に転がっているのに、ベースの練習にしろ食事制限にしろ頂点に立ち続けるのであれば求められる水準は尋常ならざる領域へ突入しているだろう。
そこに俺の面倒を見るという制約まで自分に課しているのに、八幡のパフォーマンスはこれっぽっちも落ちていない。
目標を達するのに必要な努力を算出し、淡々とそれをこなしてゆく様はいっそ機械的ですらある。
逸ることも怠けることもしない八幡を「努力家」で留めておくのは、かなり正しくないように思えた──と言うことを伝えてみれば、バカを見るような目は益々深まった。
「目標を定めて、実行する。それだけですよ」
「それが出来るヤツが中々いないって話」
「はあ、そうですか」
「その気になれば大体何でも出来るだろ、お前」
そう言うと、八幡は少し俯いた。
投げ損なった石も跳ねることなく、ポチャンと音を立てて沈む。
「私にだって、出来ないことはあります」
「……悪い」
「高く評価されるのは素直に嬉しいですが」
どうも、こう。
事故の後から八幡の地雷を踏んだり、妙な空気になってしまったりと言ったことが増えたように思える。
多分それは俺と八幡の距離が近付いたからだ。
相手の懐に深入りしないからこそ好き勝手言えていたものが、近くで聞いたり見たりするせいで引っかかるようになってしまったのだろう。
遠くからでは見ない振りが出来ていた瑕疵を今は直視するしかない──一度そこにあると認識してしまった以上、もう逃げも隠れも出来やしない。
──難儀なものだ
更に八幡の地雷は普通の人のそれからズレている。
信用されたい、と言う目標は分かる。
その一方で自分の弱みを見せるのを極端に嫌い、完全無欠の超人かのように振る舞い──やっぱりそれでは寂しくなるのか、突然内心を曝け出したりするのだ。
まあ、振る舞うと言っても八幡は才能と努力の両方に裏打ちされたまさに超人ではあるのだが。
何にせよ、独立した存在であろうとする生き方と、誰かと繋がりたい内心の葛藤が距離感を誤らせてしまっているのは事実だった。
「……私は」
それに、だ。
「私は、高松さんになりたいのかもしれません」
八幡が思い描く理想の自分はあまりにも遠い。
「無理があるだろ、それは」
「そうかもしれません。でも……」
誰も燈にはなれないのだ、きっと。
アイツの生き様と今の状況は燈が「高松燈」だから成し遂げられたことで、仮に他の誰かが同じ人生を辿ったとしても決して同じような現在を迎えることは不可能だろう。
そう断言出来るほどに燈の性格と感性は独特で、模倣する余地がないように思える。
およそ疑ったり責めたりすることを知らない善性の持ち主である一方、時折見せる強固な意思は他者の制止を振り切るほど。
内向的で他者と上手く繋がれない、ダンゴムシのような自分自身に悩みながらも、いざとなると予想もつかない行動力の高さを見せ付ける。
内に通った芯の強さで言えばきっとこの世界の誰にも勝る──それが高松燈と言う人間なのだ。
「こうやって高松さんと雪さんの思い出の場所を訪れ、行動をなぞれば、何か分かるのではないか……或いは、私で上書きできるかも、と」
「……どうだった?」
訊ねれば、八幡はやるせなそうに首を横に振った。
いくら現代の超人たる八幡でも、どうやら燈の模倣は無理があるらしい。
「あなたから高松さんを引き剥がすのは難しいようです」
「まあ、うん。だろうな」
善性の塊みたいな行動を真似するならまだしも、あの唯一無二な人格は真似したって似せることも出来やしない。
燈と過ごす日々も当然唯一無二のものだったから、同じ場所を訪れたからと言って印象を上書き出来る訳がない。
そもそも思い出をどうこうする、と言う考え方自体が間違っているようにも、俺には思えるが。
「無駄なことに付き合わせてしまいましたね」
実際、無謀な挑戦と言えるだろう。
八幡ほど賢いヤツなら、実行する前から失敗すると気付いていた筈だ。
今から何かしたとて八幡が過去に負ったと言う心の傷が消えないように、一度刻まれたものはどんなに工夫を凝らしても決して塗り潰せないのだ。
ただ────
「燈はな、石投げたことないんだよ」
このバカ。
俺は、何を言ってる。
八幡がほんの少し悲しそうな表情をしてたからって、何を言い出しているんだ。
「アイツが好きなのは集めることだから」
「……?」
また燈の真似をしようとしているのか、俺は。
人を励ますのは燈みたいな言葉に強い意味を込められるヤツか、そよみたいな人に寄り添えるヤツがやることだ。
俺みたいな軽薄な人間が無責任な言葉を送ったって、悪い結果を招くだけだと分かってる筈だ。
分かっている、のに。
「同じ場所にいてもやってることは別々って言うか……まあ、それはそれで楽しかったんだけど」
「……何が言いたいんです?」
急に鈍感になりやがって。
思わず内心で毒づいてしまう。
ムジカの連中は、揃いも揃って才能の塊な癖に何故か言葉を読み取る能力だけ欠落しきっている。
例外はにゃむち先輩くらい。
特に八幡なんて、ビジネスライクな関係で留めるなら誰より得意なのに少し踏み込んだらこれだ。
深みに嵌まらないための察知能力をもうちょっと駆使して、人がこっ恥ずかしいことを言う前に気付いてくれれば良いものを。
だが、踏み込んだのは俺だ。
懲りずに人を励まそうとしているのは俺なのだ。
「まあ、つまり」
もう退けない。
他ならぬ自分自身が喋り始めてしまった以上、今更引っ込みはつけられなかった。
そうしてあまりの恥ずかしさに頬が赤くなるのを感じながら──俺は極力八幡の方を見ないようにして言い放つ。
「誰かと石投げるのはお前が初めてってこと」
隣で息を呑む気配があった。
何を感じているかは分からないが、そっちを見る勇気はなかった。
恥ずかしくてもう顔から火が出そうなのだ。
堪らずその場にしゃがみこんで、新しい石を探すしか逃げ道はない。
「……そう、ですか。なるほど」
でも、隣の気配が変わるのはすぐに分かった。
「何が『なるほど』なんだよ」
「照れてるんですか?」
「うるさい」
「照れてるんですね?」
クソ、これだから。
ちょっと好意を示すだけで今のコイツはこうだ。
仮面みたいな仏頂面をほんの少し、それでも明らかにニマニマさせているのが気配で感じられる。
ムジカ解散前の機械みたいな印象から大分人間味が出てきたが、誰がこうなれと言ったのか。
信用中毒な上に真顔で妙な行動を繰り返す珍生物に進化するとは、誰も想像しなかっただろう。
しかも俺はその珍生物に何やら青臭いことを宣ってしまったのだ。
「六回。動揺が出てますね」
「こ、この野郎……!」
案の定動揺した状態で放った石は大して跳ねずに水中へ沈んで行くし、八幡は小さく笑っている。
ああもう、本当に何なんだ。
事故で目は潰れるし、MyGOのアー写撮影に協力させられるし、そよに泣き付く羽目になるし。
元々不器用な方だが、八幡と絡むようになってから物事が完璧に行った試しがない。
何もかも滅茶苦茶だ。
──でも
「七回。やっぱり動揺してるじゃないですか」
「あーもう黙れ黙れ。クソ、雰囲気に流されて妙なこと言うんじゃなかった」
「そうですか?私は雪さんからの信用を感じられて嬉しかったです」
「……お前なぁ……」
ただ鬱屈としているだけだった俺を、文字通りの意味で滅茶苦茶にしてくれたから。
隣で、滅茶苦茶にし続けてくれたから。
──だから、俺は
酷く浮かれている、と言う自覚があった。
全て後追いだと思っていた。
だって、雪が燈と過ごした時間は自分のそれとは比べ物にならないくらいに長くて濃密だ。
聞けば幼稚園からの付き合いで、小学校の頃はもう何をするにもずっと一緒で──それは中学に入ってからも変わらず、ほぼ毎日互いの家を行き来していたと言う。
機微に疎い海鈴でも、それだけべったりしている様を聞かされれば雪が燈を好きなことくらいすぐに分かった。
最初から分が悪い戦いだった。
幾ら海鈴がティモリスとして手段を選ばなかったとしても、ほぼ同棲と言う既成事実を作ったとしても、雪の心から燈を追い出すことは出来ない。
思い出の積み重ねでも勿論燈の方が上。
勝ち目などとても無いように思える。
それでも、海鈴は戦いを挑んだ。
分が悪いとしても、勝ち目が見えなくても、どうしても御嶽雪を逃したくない。
文字通り全存在を懸け、命で以て八幡海鈴を肯定してくれた彼が頭に焼き付いて仕方がない。
そんな、とても自分の中から湧き上がったとは信じられないドス黒くプリミティブな衝動にティモリスとして身を委ねたのだ。
全く、「らしくない」にも程がある。
それでも八幡海鈴は尋常なる勝負で高松燈に勝ち、彼を手に入れなければならなかった。
ムジカ解散騒動の際モーティスにエアギターを仕込んだような、謂わば小狡い手法なら幾つか思い浮かぶ。
しかしそれは無意味だ。
海鈴は雪の自由意思が好きなのだ。
だから一切歪曲していない、純粋な彼の意思で自分を選ばせなければ、例え彼を手に入れたとて何の意味もない。
八幡海鈴と御嶽雪の間にある後ろめたい繋がりは、あの事故だけで充分過ぎる。
無論、勝ち目などない。
海鈴自身、全く見出だせていなかった。
だが──敢えて選んだ「らしくなさ」が、海鈴の予想から外れた形で結実していた。
「美味そうに食べるなあ……」
「それはまあ、美味しいですから」
「いや相当顔緩んでるぞ。鏡見てこい」
「ふむ、あまり自覚はありませんがそう見えますか」
卵がふんだんに使われた、とろけるような味わいの濃厚カルボナーラ──自己管理を徹底するようになってからは久しく食べていなかったが、美味いものはいつ食べてもやはり美味かった。
普段は健康食品で済ませているものの、八幡海鈴と言う人間が母親の作る炒飯が好物な子供舌であることには依然として変わりない。
「にしても珍しいな、八幡が糖質とかヤバそうなもの頼むなんて」
「ええ、まあ。どうせ『らしくない』ことをするのなら、とことんやろうと思いまして」
「チートデイってヤツか」
「それは計画性を持ってやることです。今の私にそんなものはありません」
「いや何でそんな自信満々なんだお前……」
体型管理を乱すカロリーの背徳感が、ジンジャーエールの炭酸が、更にその美味しさを加速させる。
止めようとしても全くフォークが止まらない。
平たく言ってしまえば、海鈴は久々のファミレスに大満足していた。
「それ、貰いますね」
「あ、おい!俺のドリア……」
何より、この時間が楽しい。
これほど楽しい時間が他にあっただろうか。
少し思案したものの、すぐにベース以外ではこれが初めてだと海鈴は結論付ける。
実際、これまでの海鈴はベースを弾くために生まれ、ベースを弾くために生きてきた。
もしベースの神様がいるのなら、それに愛されたと断言出来るだけの才能と情熱があったのだ。
その過剰な情熱が己を傷付けても、体型管理のために大好きな料理を絶つことになったとしても、ベーシストとして大成するためなら進み続けられた。
それで良いと思っていた。
しかし、こうも変わるものか。
立希と言う理解者がいて、Ave Mujicaと言う信頼できる居場所があって、雪と言う拠り所がある。
それら全てが、ベース一色だった海鈴の人生を一気に華やがせてゆく。
重ねる経験が表現に深みを持たせ、海鈴の才能を更なる高みへと押し上げる。
二度と深入りするまいと決意していた筈の人間関係が、今や心地好くすら思えた。
かつての失敗は、心の傷は──こうして「信用」に昇華されるためにあったのだと。
「雪さん」
「何?」
「今、楽しいですか?」
「え?ああ、八幡とファミレスなんて初めてだし。まあドリア返してくれたらもっと嬉しいんだけど」
そして、勝機が見える。
彼が言うように、自分が燈になるのはほぼ不可能だろう。
仮に完璧な模倣が出来たとして、彼と燈が積み重ねてきた時間そのものを掠め取ることは出来やしない。
海鈴がどれだけ頑張っても過去は変えられない。
だが、現在は違う。
数時間前、雪は「誰かと石を投げるのはお前が初めて」と言った。
それはある種の励ましとか気遣いとか、そういった類いのものなのだろう。
しかし初めてであるのは事実。
燈がしなかったことをしている。
何をしても後追いだと自認していた海鈴が、自分の行動に明確な強みを見出だした瞬間だった。
燈が積み重ねてきた過去で働きかけるのに対して、海鈴は現在と未来の体験で勝負を挑むのだ。
「ドリアは返せませんが……ほら」
「いや、ほらって」
「私のカルボナーラを分けてあげますよ」
例えばそう、今のように。
雪とこのファミレスを訪れたことはあっても、料理の交換はしたことがあるまい。
燈の善性に疑う余地はないものの、このような場面ではどちらからと言えば気を遣わせるタイプであることを海鈴は鋭く見抜いていた。
その代わりかなり行儀が悪いが、まあそこは仕方ないでしょうと海鈴は自分を丸め込む。
規範を厳守する一方、必要ならさっぱり割り切れるのが海鈴の美徳であり欠点でもあった。
──あと三日、ですか
今日が火曜日で、MyGOのアー写撮影は土日のどちらか。
そこで燈は告白をするだろう。
日曜日であって欲しいが、最悪を常に想定する海鈴は自分に残された猶予が平日だけだと仮定する。
ならば残りの三日間、全てを懸けて彼に証明する。
自分を選べば、どれだけ有意義な未来が訪れるか。
最も深い信用の形が、二人にどれだけの相乗効果をもたらすのか。
──負けませんよ、絶対に
依然として勝ち目は薄い。
たった三日間で燈が重ねた時間に太刀打ちするのは殆ど不可能だろう。
だが、「殆ど」は「完全に」ではないのだ。
だったら、どれだけ細い糸であっても手繰り寄せてみせる──フォークで絡めたカルボナーラを彼の口に押し込みながら、海鈴はそう決意した。
◯御嶽雪
お前そう言う所だぞ(n回目)
◯八幡海鈴
この海鈴はティモリスとうーちゃんを併せ持つ。
ムジカ本編でやってたことを見る限り目的のためなら手段は選ばないタイプ。
水切りにハマるタイプかと言えばハマる方だと思う。