写真撮影は、自由で不自由だ。
必ず何かしらのテーマや御題目に縛られる代わりに、それに沿ってさえいればどんな物を、どんな角度で、どんな距離からでも撮ることが許される。
最早無限と言っても過言ではないほどの組み合わせの中から、最もテーマに合致する一枚を選び出す──砂漠で一粒の砂を探し出すような行為。
どれだけやっても会心の一枚に巡り会える可能性はゼロに近く、一度拘りだしたら果てはない。
だからこそ楽しくもあるのだが。
求められるものは、四つ。
撮影対象や画角などを決めるセンス。
最高の瞬間が来るまで耐え忍ぶ根気。
最高の瞬間を手繰り寄せる運。
そしてそれら全てが整った上で、コンマ一秒未満な時すらある好機を逃さない極限の集中力。
上記の内、センスと根気は続けていれば誰だって身に付けられるだろう。
誰もが持っている能力を鍛えるだけで、これと言って特別な適性は求められない。
しかし、運と集中力はそうもいかない。
どれだけ待っても、狙った通りの状況が訪れるかは自分の手で左右出来ない要素だ。
それを掴み取れるかどうかも、不確定要素が強い──努力を重ねればある程度可能性を高めることは出来るが、最終的には「その瞬間」に居合わせられるかが問われるだろう。
──それらを、考慮した上で
今、俺は選択を迫られていた。
よりにもよって最初がCRYCHICという最上級で、その後は意図してバンドや楽器から遠ざかるようにしていたので、あまり詳しい事情は分からない。
精々何も知らない素人に毛が生えた程度で、熱心なファンが聞けば鼻で笑うような知識しか持ち合わせていない。
でも、そんな俺でもAve Mujicaが並外れた実力を持つことくらいは分かる。
何せ、
「……」
ムジカの練習を特等席で聞くという、ファンが聞けば憎悪に近い嫉妬を向けてくるであろう状況。
しかし、歓喜の声を上げる余裕はない。
ビリビリと鼓膜を刺激する演奏の威力は気圧されてしまいそうなほど厚く、三角さんの歌声は普段の穏やかさが嘘のように苛烈で力強い。
そう、全員多忙であるが故に集まる頻度が少なく、かつ取れる時間も短いムジカの練習は代わりに凄まじい密度をしていた。
ミスをしないのは最早当たり前。
既に完成形にあるものをよりブラッシュアップする、修行と呼ぶ方が正しい猛烈な研鑽。
それをライブ本番同様何曲もぶっ続けでやるものだから、あまりのストイックさに圧倒されてしまうのも仕方無いだろう。
その上で、迫られている。
──撮るべきか、撮らないべきか
テーマは「日常のAve Mujica」。
今回のピンナップはコラージュの形式を取るため、単に集合写真を一枚撮るのではなく数日かけて沢山撮って欲しい。
恐らく、ブランクと怪我があるこちらの事情を豊川さんが慮ってくれたオーダーなのだろうが──一発勝負でないのが仇となった。
ムジカの日常というテーマには沿っている。
しかし、今回のピンナップで求められているのは──すごく悪意の籠った言い方をするなら「仲良しアピール」なのだ。
雑誌の読者に伝えようとしているのは、今のムジカがビジネスライクな関係ではなく、もっと強固な概念で繋がっているということ。
それを単に友情とか絆とかで片付けてしまうのは、些か陳腐に思える。
そういう視点に於いて、バンドが練習をしている写真というのは「冷めた関係でも出来ること」として映るだろう。
題目に合致しているがインパクトに欠け、他のチャンスを待つことも出来る──そう言った難しさが、カメラを構えることを躊躇わせていた。
加えて、誰を撮るかという問題もある。
誰か一人を撮ってもいいし、複数人を収めてもいいし、何なら全員だって構わない──選択肢の多さが俺を惑わせていた。
全員を撮るなら誰かの魅力が損なわれるようなアングルは避けたいし、一人に着目するなら誰を選べば良いのか分からない。
かと言って悩んでいたら演奏は終わってしまう。
どうする。
撮るべきか、否か。
撮るべきだとして、誰を─────
「……!」
聞こえた。
いや、ずっと聞こえていた。
掻き鳴らされるギターの音色が。
──若葉
金糸雀色の瞳も、薄く上気した横顔も、仏頂面が基本な八幡以上に色の薄い無表情のまま。
でも、不思議と分かる。
今、アイツの演奏は俺に向けられている。
ギターを聞かせようとしているのは架空の観客やムジカではなく、俺だ。
自然に両手がカメラを構えていた。
俺に向けてパフォーマンスをしているから何になるというのか。
それのどこがピンナップに合致するのか。
自分でも問えば問うほど首を傾げてしまう、理屈の伴わない挙動。
だが──非理性に支えられた直感は、思考より先に最高の瞬間が訪れたことを察知していた。
ファインダーを覗き、画角を調整。
ミラーレスのカメラは写し出される画に僅かなラグがあるが、その分手ブレを抑えてくれたりホワイトバランスの補正をしてくれたりと様々な機能に長ける。
本職のプロであれば一眼レフを選ぶのだろうが、撮ったものがどう写っているかすぐ知りたくなる俺のような人間にはデジタル制御の方が合っていた。
狙うは、横顔。
リズムに合わせて僅かに跳ねる身体のリズムを捉え。
ボタンを、ぐっと押し込んで────
「────ゆき」
まさに姿がデジタル画像として焼き付けられるその瞬間──何の前触れもなくこちらを向いた若葉が、ふっと顔を綻ばせた。
「最後の一枚?」
「うん?そよりんなら知ってるかなーって」
全員揃って練習を終えた後、帰り際の長崎そよを捕まえた千早愛音は単刀直入に質問を投げかけた。
燈は最後の一枚を探すのに熱心だが、それは過去の出来事に触れることに他ならない。
加えて喋るのがあまり得意でない燈からしたら、立希に訊ねるだけでも相当疲れるだろう。
そんな彼女を慮った愛音は「こういう時は人海戦術!」とそよへの質問を請け負うことにしたのだ。
それに、だ。
「それ、聞かれたくないって分かってて言ってる?」
「うん、だから私が聞くんじゃん。ともりんやリッキーが相手だと、そよりんも都合の悪い部分は伏せちゃうでしょ?」
元CRYCHICのメンバーで一番バンドへの思い入れが深いそよにとって、燈や立希から昔のことについて質問されるのは古傷を抉られるのに等しい。
そしてそれ以上に二人を想うからこそ、もし傷付きかねない答えがあるとするならそよは触れるのを避けるだろう。
無関係だからこそ、口が軽くなることもある。
そう言った心情を理解しているからこそ、愛音はそよへのアタックを試みていた。
「はぁ……」
全く以て、図星だった。
どうも長崎そよという人間は、愛音と関わっていると自分を誤魔化すことが出来なくなる。
心の中で宙ぶらりんになっている黒い部分や人恋しさ、鬱屈した感情は彼女によってたちまち暴かれ、何だか良い感じに着地させられてしまうのだ。
そういう部分に絆されたからこそ、今こうしてMyGO!!!!!をやっている訳だが──それはそれとして、面白くないものは面白くない。
憎まれ口の一つも叩きたくなる。
だが、そうも言ってはいられない。
「いいよ、話してあげる」
「やった!」
「でも、燈ちゃんにはまだ教えないで」
「え、なんで?」
「知ったら、きっと燈ちゃんもあの子も傷付くから」
燈が自ら探し出したということは、そう遠くない内に答えに行き着くだろう。
その時に起きる出来事を考えると、早い内に対策を練るなり連絡を通しておく必要がある。
そよだって、決して大切な友人が傷付くところを見たい訳ではないのだ。
その為には──愛音には、一晩で良いから黙っていてもらわなければならない。
「……分かった。ともりんに教えるのは明日にする」
事の深刻さを理解した愛音も、不承不承ながらそよが提示する条件を受け入れた。
そうしてRiNGを出た二人は、程近いカフェに腰を落ち着けて──注文が来るよりも早く、本題に入る。
「それで、誰が持ってるの?やっぱり雪くん?」
誰が、最後の一枚を持っているのか。
それが肝心だ。
御嶽雪が持っているなら、やはりもう燈と一度腹を割って話し合うべきだ。
お互いに複雑な感情を抱える者同士、この際洗いざらい吐き出してしまう方が楽だろう──兎に角持ち前のコミュニケーション能力で相手にぶつかっていく愛音は、そう考える。
しかし、そよは首を横に振った。
「雪くんは持ってないよ」
「そうなんだ。じゃあ、誰が持ってるの?」
「……」
「そよりん?」
それを見付けたのは偶然だった。
丁寧に吊り下げられた私服たちの奥に不自然なスペースをそよは見付けたのだ。
まるで他者から──ともすれば、自分自身からすら隠すように衣服のカーテンで遮られたそこに置かれていたものを、偶然にも発見してしまった。
「────睦ちゃん」
そう。
伏せられた写真立ての中に、あったのは。
「睦ちゃんが、最後の一枚を持ってる」
何時までも色褪せることのない。
幸福の一瞬を閉じ込めた、
先にも述べた通り、ムジカのメンバーは多忙だ。
全員他の仕事なり、その人しかやれない特技──衣装作りや演劇の脚本を一手に引き受ける豊川さんみたいな、があるせいで兎にも角にも忙しい。
何十ものバンドにサポートで入るのを止めた八幡でさえ、今は俺の面倒を見てくれているのだからとても暇とは言い難い。
しかし──「全員揃って」という条件を除けば、団欒をする時間くらいは捻出出来る。
「……うまっ」
「お口に合うようでしたら、嬉しいですわ」
「許されるなら毎日だって飲みたいね」
ムジカの練習が終わった後、若葉邸のリビングで啜る紅茶は何とも言い難い温かみがあった。
いや、俺は写真を撮っただけで何もしていない上、豊川さんに紅茶を淹れてもらうなんていう意味不明過ぎるムーブをかましてしまっているのだが。
労う側が労われるなんて、我ながら馬鹿げている。
それにしても、美味い。
まさに絶品──紅茶一杯取っても俺には一生縁のない気品が滲み出ている。
豊川さんは良いところの出だから、それに相応しい所作が徹底されているのだろう。
それとも、八幡のように作る料理のように男が持ち得ない繊細さや拘りの表れだとでも言うのか。
俺にはこの高みへ辿り着くことは出来ないのか。
などと意味のない敗北感に浸っていると、豊川さんが溜め息を吐く。
「あなたは本当に相変わらずですわね」
「何が?」
「言葉が軽い、と言っているのです。誰彼構わずそのようなことを言っていると、その内信用を失くしますわよ。ね、海鈴?」
「え、何で八幡が?」
「そうですね。豊川さんの言う通りです」
「お前も何なんだよ……」
何故か同調してうんうんと頷く八幡に、今度はこちらが溜め息を吐く。
確かに「毎日豊川さんの淹れた紅茶を飲みたい」と聞くとプロポーズか何かに聞こえるかもしれないが、それが有り得ないことくらい豊川さんが一番分かってるだろうに。
いや、分かってて茶化しているのか。
そりゃあ、豊川さんは好きだ。
隠すことは何もない。
CRYCHICの時から、俺は彼女が持つ人としての強靭さと優しさ、時々見せる愛嬌に惹かれていたし、好きにならない方がどうかしていると思う。
でもそれは所謂likeの「好き」であって、loveの「好き」ではなくて──豊川さんとは、こうしてたまに会ったらお互い軽口を叩くくらいの距離感が心地好く思える。
大体、豊川さんには三角さんがいるだろう。
Sumimiの仕事で一足先に帰ってしまったが、彼女の豊川さんに対する想いは並みのものではない。
八幡や若葉が分かっているかは不明だが、見る人が見れば一発で分かる程度に重い。
いや、重すぎる。
豊川さんのためなら何だってする、の「何だって」があそこまで冗談に聞こえない人は他に見たことがない。
多分マジで全てを豊川さんに捧げていると思う。
それを豊川さんも受け入れているということは、まあ、そういうことなんだろう。
仮に俺が豊川さんと交際したいと考えていたとて、割って入る余地はあるまい。
「で、ユキコ的にどうだった?」
「にゃむち先輩、ユキコ呼びそろそろ止めてもらえません?」
「そっちが先輩外してくれたら考えてあげる」
祐天寺若麦──にゃむち先輩と一瞬睨み合い、そしてどうせ今日も平行線だろうと察して肩の力を抜く。
解散騒動の前は本当に何の接点も無かったが、ここ最近はずっとこうだ。
互いの渾名で下らない言い争いを続けている。
それが出来る程度に打ち解けた、ということなのだろうがやはり先輩呼びは外せない。
で、それはそれとして。
「音の良し悪しは正直分かんないんでアレなんですけど」
「うん、全然いーよ」
「先輩ちょっと動き固くなかった?」
「あー、確かに」
「何かあったんですか?」
「ライブとか取材なら兎も角、練習でこんな近くから男の子に見られるってあんまりなかったから、ちょっと緊張してたかも」
それは少し意外な話だ。
先輩と言えば、他人から見られることを常に意識していると思っていた。
動画投稿者としての性なのか、ムジカや演技としてのプロ意識なのか、「にゃむち」のキャラクターを保つためなら如何なる努力も惜しまない。
猫を被るのとはまた違う、骨の髄に染み込むまで演技を徹底させる──そういう人なのだと。
それが俺一人の視線程度で緊張するなんて、珍しいこともあるものだ。
そんな目線を向けると、何故か怯んだ先輩は露骨に話題を変え始めた。
「それにしてもさぁ、ムーコから撮り始めるって意外じゃない?私は撮るならウミコからだと思ってたんだけどなあ」
「うっ……」
「何か理由とかあんの?」
「そうですよ。何故私じゃないんですか」
今度はこちらが怯む番だった。
深い理由なんて、正直自分でも分かっていない。
何故俺に向けてギターを唸らせる若葉を見て「最高の瞬間」が来たのかなんて、答えようもない。
しかし、「直感です」なんて曖昧な答えで先輩が納得する筈もない。
こういう問題はとことん突き詰め、原因や理由を解明する──祐天寺若麦はそういう人間だ。
それに、八幡も何故か乗っかってきているし。
大体何をさせても優秀なのに、何故こういう時に気を回すのだけはとてつもなく下手なのだろう。
「──若葉は、写真とか苦手でしょう」
故に、自然と開いた口は誤魔化しを試みていた。
「演奏で集中してる時なら気付かないかもしれないし、いつ撮られるかずっと気を張ってるのも辛いだろうから」
「……ふぅん」
が、効果はあまり芳しくない。
面白くなさそうな先輩の表情を見れば分かる通り、俺のその場しのぎで半端な嘘はほぼノータイムで見破られている。
八幡も、恐らくは。
例の無表情からは何も読み取れないが、ほんの少し眉を潜めて腕を組む姿からは「疑っています」という雰囲気がこれでもかと感じられた。
───いや
本当は、答えを知っている。
答えを濁すのには、別の理由がある。
「豊川さんは?」
「カップ洗いに行ってるよ」
「……なら、いいか」
若葉は早々に自分の部屋に引っ込んだ。
これを一番聞かせたくない豊川さんも、今はこの場にいない。
この二人だから話せることと言うのも、あるのだろう。
「何て言うか────」
そう、それは。
一度くらい、あって欲しいと願ったこと。
同時に、あって欲しくないと願ったこと。
「ギターが、唄ってる」
「それは、まさか」
あれを弾いたのは、今の若葉ではない。
「睦が、唄ってる」
死んだ筈のアイツが、「睦」が。
指を操っていたように、俺には思えた。
──どうして?
自室の扉に背中を預けた若葉ムツミは、両手を見詰めながら呟いた。
今のムツミに、過去存在した「睦」「モーティス」との連続性は無い。
彼女たちは死を迎え、若葉睦という全体に還元された。
ムツミとは無数の人格を統括する代表のようなもので、かつて生きた二人とは似て非なる存在だ。
故に、二人の記憶を客観視することが出来る。
そしてムツミにとって御嶽雪とは、あまり「関わりの無い知り合い」を超えるものではない。
かつての睦やモーティスも同様である。
CRYCHICの熱心なファンをやっていた頃の彼は特に燈やそよと仲が良かったし、解散後は尚更関わりが薄い──モーティスにしても恐らくムジカとそよの次に会話した間柄だろうが、ぎこちないものがあった。
何故そうなったのか、ムツミは知らない。
モーティスの記憶には、何もなかった。
ぎこちないなりに善意を持って接している彼の姿と、そんな彼に「何だかなあ」と呆れつつ楽しんでいる彼女が映るのみ。
だとするなら、答えは睦の記憶にあるのだろう。
しかし、肝心なところが見えない。
答えが隠されているだろう、CRYCHIC解散直後だけ靄がかかったようになっている。
──見せたくない?
何故。
考えても分からない。
ムツミは睦とモーティスの経験を引き継いでいるが、自分自身の経験は欠けている。
生まれたての子供のような彼女にとって、細かい機微を察するには人生がまだ足りていない。
だが、自分の身体が自分の思うようにならないという異常事態は早急に解決しなければならなかった。
何より、だ。
「────」
視線を、上げる。
──いる
ムツミの目の前に、二人の少女が立っている。──
祥子と話している彼を見かけた時から姿を現した彼女たちは、何をするでもなく人形のような無表情でムツミを見下ろしていて──練習の途中で、いきなりムツミと
その時から、ムツミはおかしくなった。
自分のものではない情動が体の内に宿り、口が勝手に彼の名前を呼んでいた。
──怖い
ムツミの視界に映る二人はただの幻覚だ。
死んだ者がそこに存在する筈がない。
なのに、確かに「いる」。
ムツミの内でムツミの知らない何かが蠢々している。
「誰か、助けて」
ムツミは、自分が恐ろしい。
もし蠢くものが溢れたら。
或いは、羽化してしまったら。
若葉睦がどうなるのか、分からない。
「誰か────祥、ゆき」
だと言うのに、ああ。
こんな時にも、
◯御嶽雪
基本的に自己評価が滅茶苦茶低い。
けど海鈴の信用する自分の評価が低いとかあってはならないとも思っている。
中学時代の祥子とはかなり気軽に絡める仲だった。
◯祐天寺若麦
地の文が「若麦」と「にゃむ」を行ったり来たりする。
生半可な嘘は通用しない。
◯「睦」/「モーティス」
ムツミが見た幻覚か、死してなお蠢く妄念か。
ムツミがCRYCHIC解散直後の記憶を覗けないのは何故か。
全ての鍵を握っているのは、かつて若葉睦だった二人の少女。