恋愛ゲームの世界を願ったらなぜかヒロインになった俺は、攻略を回避するのに忙しい 作:うちっち
「こんにちは! お隣、いいですかぁ?」
考え込んでいた俺は、不意にかけられたその声で意識を戻す。少し鼻にかかった甘い声。
俺が振り向くと、すぐそこに、手、足、体の全てがほっそりした、華奢な女の子が立っていた。その子はハンカチを敷いた後、ちょこんとベンチに腰掛ける。その単純な動作すら優美で、どこか可憐さを感じさせた。ただなぜか、はぁはぁと肩で息をしてる気がする。
「ふふふ、あんまりかわいらしいから、つい声かけちゃいましたぁ」
……来た。ヒロインのラスト一人である柚乃ちゃん、向こうから来た。……けどさ、なんでそんな疲れてるの? この子は貝森ちゃんと同じく手芸部なんだけど、手芸部って俺が知らないだけで、朝練で校庭十周とか毎日やってたりするのかな?
だが、ちょうどいいかもしれない。というのも、この子って、ヒロインで一番賢いんだよ*1。試しにちょっと相談してみる? ほら、あくまで一般的な話としてね?
俺は隣に座る柚乃ちゃんの方へ向き直り、さっそくアドバイスを求めてみることとした。
「これはたとえばの話なんだけど」
「えぇ、なんでしょう?」
「他の世界から来た人間があなたの体に入ったとしてね?」
「…………へっ? は、はぁ……?」
「あなたってどこに行くと思う?」
「ち、ちょっとわたしには……わからないですねぇ……考えたこともなかったもので……」
「そうだよねえ……」
俺たちは2人で並び、揃って空を見上げた。うむ、とりあえず。わからない、ということが分かった。それだけだ。何も解決していない。
隣の柚乃ちゃんもそれは同じらしく、チラチラとこちらを横目で伺ってきているのが見える。やがて、柚乃ちゃんは少しひきつったような笑顔を俺に向けた。
「と、ともかく、お菓子でもいかがですかぁ?」
「あ、うん。ありがとう」
俺は柚乃ちゃんが差し出した、可愛くラッピングされた袋からクッキーを摘み、口に運ぶ。……お、うまい。口当たりはサクサクと軽く、バターの濃厚な風味が口の中に広がる。
「ふふ。喜んでもらえていただいたようで、何よりです」
「でもいけない。知らない人からお菓子を貰ったら駄目、って貝森ちゃんに怒られちゃう」
いや俺は知ってるけど。でもなんか、このまま喋ってるとうっかり名前を呼んじゃいそうで怖いから。出来れば早めに自己紹介していただきたい。
すると柚乃ちゃんは口に手を当て、控えめにくすっと微笑んだ。しかし俺は、そのこめかみが一瞬ぴくりとひくついたのを見逃さなかった。
……いや、貝森ちゃんの名前出しただけでこれってどうなってるの……。柚乃ちゃんと貝森ちゃんって同じクラスだったはずだけど、貝森ちゃんが当てられた時とか毎回ピキッと来てるんかな? それってもう、心の病だろ……。
「倉見柚乃と申します。ふふ、これで知らない人ではなくなりましたねぇ」
「うーん……そっかぁ。じゃあいいのかな? 私、夜桜汐音です」
「『センパイ』って呼んでも構いませんかぁ?」
ほーらさっそく始まったぞ。柚乃ちゃんの狩りが。ただ残念ながら俺のことを「センパイ」と呼んでいいのは、貝森ちゃんルートの貝森ちゃんだけだから。でも柚乃ちゃん提案する相手間違えてない? それ貝森ちゃんルートの主人公にやるやつでしょ?
「構いませんよね?」
「いや、夜桜先輩でお願い!」
「…………どうしてですかぁ?」
それはね柚乃ちゃん。君の動機が不純だからだよ。俺もセンパイ呼びされることはやぶさかではないのだが、邪念を持って呼ばれるのはあまり嬉しくはないのだ。
「柚乃ちゃんには、あ、ごめんね、名前呼びでいい? 柚乃ちゃんにはね、こう呼んでほしいなって。他に誰も私のことをこう呼んだりはしないから。ね、ほら、特別だよ?」
「…………わかりましたぁ」
ニコニコ笑いながら柚乃ちゃんは頷いた。絶対内心「けっ」って思ってる。だって貝森ちゃんより先に呼び方独占したいだけだもんこの子。柚乃ちゃんがこんなになってしまったのは新入生当時のある出来事が原因なのだが……。
けど、柚乃ちゃんの習性を利用したら文化祭デートは簡単だな。「貝森ちゃんって崇高くんと文化祭周るのすごく楽しみにしてるみたいだよ」と言えばいい。
……ただなぁ。文化祭デートって別にゴールじゃないんだよな。流石に柚乃ちゃんでも「貝森ちゃんが崇高と結婚考えるらしいよ」でゴールインする程軽くはないだろう。
ていうかしまった。今せっかくのチャンスなのに崇高がいない。今から送る俺のテレパシーがお前に届かないか? 仮にも俺を愛してるなら届くよな? 今すぐ来てくれ!
俺が思念を向けるべく2階の俺のクラスの方を見上げた時だった。タッタッタッ、と軽い足音が近寄ってくるのが耳に入る。
……おお! まさか届いたか! さすが主人公!
「あ、やっぱりここにいた。……汐音先輩これ……げっ……」
テレパシーを受信したわけではないだろうけど、タイミングよくこちらに駆け寄ってきたのは、崇高ではなく貝森ちゃんだった。
……最後のうめき声って俺に対するものじゃないよね? 駆け寄ってきてそれってあんまりだもんな。信じてるぞ?
そしてベンチの前まで来た貝森ちゃんは何も言わず、柚乃ちゃんと俺を、まるで恋人と浮気相手を咎めるような目でじーっと見つめた。……え、俺も?
一方、柚乃ちゃんも貝森ちゃんを見つめて微笑む。
二人を眺めていると、俺はそのバックにハブとマングースのシルエットがゴゴゴ、と浮かび上がるのが見える気がした。
……崇高、なぜお前はここにいないんだ。お陰で俺がレフェリーみたいになっちゃってるじゃん。「ファイ!」って言ったら始まっちゃうぞこれ。
「あら亜佑美ちゃん。どうしたの? 朝からそんな顔しちゃって」
「……なんで柚乃がここにいるの?」
あ、言ってないのに始まっちゃうんだ。二人ともやる気満々だね。崇高ー、崇高ー、早めに来ないとヤバい。お前の嫁候補が今日一人減っちゃうかもしれない。頼む可能な限り急いでくれ。
「いちゃいけない?あ、この人ね、たまたま会って仲良くなったんだよ。夜桜先輩」
「知ってるよ。知ってるでしょ」
「そうだったんだ。偶然だね」
「偶然って……! ……あれ……それ……?」
貝森ちゃんの視線が、俺の手のクッキーに注がれる。そしてなぜかぎりぎりと思いっきり歯ぎしりした。
……離れてても聞こえる歯ぎしりってヤバくない? 貝森ちゃんには己の歯にもっと優しさを持ってもらいたい。知ってる? 人間の永久歯って抜けたら生え変わらないのよ?
片や柚乃ちゃんは勝ち誇るような表情で、クッキーの袋をアピールするみたいに掲げた。こちらはこちらでいまいち行動の意味は分からない。
「このクッキー、夜桜先輩がおいしいって言ってくれたの。もう他に何もいらないって」
「……ふーん……」
そんなの信じないで貝森ちゃん。それ言いそうなの、どっちかというと高宮城先輩だから。俺そんなこと言わないでしょ。もう少しさ、貝森ちゃんの中のか弱くて常識的な汐音先輩をさ、思い出してみよう?
「あら、何か駄目だったぁ?」
「別に、駄目ってわけじゃ」
「じゃあそろそろ行こうかな、亜佑美ちゃんが怖い顔してるし。あ、夜桜先輩、そのクッキーは差し上げますねぇ。また、困りごとがあったら相談してください」
そう言って柚乃ちゃんはベンチから立ち上がった。……困り事があったら相談に乗ってくれるんだって。今、君に困ってるって言ったらアドバイスくれるのかな。
柚乃ちゃんが悠々と去って行ったあと、貝森ちゃんは何やら硬い表情で俯き、手に持っていた紙をくしゃりと握りしめた。そしてそのまま自分もどこかに行こうとする。
……いやいやちょっと待って。こんなよくわからん状態で俺を1人にしないで。
俺は自分の隣をバンバンと思いっきり叩いた、はずだったが。予想に反し、ぺちぺちと軽い音だけがする。そしてそれなのに結構手が痛い。
「貝森ちゃん、とにかく座りなよ。私に用があったんでしょ?」
「……ないですって」
「座ってくれないと私はずっと立たないよ。この一週間、授業にあんまり出てないから、このままだと私、来年貝森ちゃんと同学年になっちゃうなぁ」
「なんですかその脅し文句」
しぶしぶ、といった感じで、それでも貝森ちゃんは俺の隣に腰を下ろしてくれた。そして何やら手に持っていたくしゃくしゃの紙を隠そうとする。
……いやそんなことされたら気になっちゃうじゃないか。なんだろう……?
ま、まさか。崇高と貝森ちゃんの婚姻届とか……?
「それ見せてー。ほら見せろー」
「……もうこんなのいらないでしょ」
「いるよ。それは私にとってね、とっても価値のあるものです」
「……あーそうですよね。汐音先輩はわかってますよね。……わかりましたよ。はい」
そっぽを向いて紙片を渡してくれる貝森ちゃん。どうしたの一体。……さてはお前柚乃とグルになってるだろ、みたいな? それ誤解だよ貝森ちゃん。あれ、でも、ちょっと小さい……? 婚姻届って線は薄いかもしれない。じゃあ何だろう。
ワクワクしながらメモを開く俺。するとそこには、なになに……「バターはよく混ぜ、卵もしっかりとほぐします。次に……」……なんぞこれ?
それと何やら可愛い絵と具材の数々。これひょっとして、レシピ? クッキーの? あ、今日俺と一緒に作るやつじゃないか。
俺はちょっぴりテンションが上がり、ベンチに座ったままで足をぶらぶらさせてしまう。
しかし、いつもならそれを注意してくるはずの貝森ちゃんは、なぜか何も言わなかった。
「レシピありがとう。ふふ、今日クッキー作り、楽しみだねぇ」
「……もう食べたんでしょ? 今日はいいんじゃないですか。おいしかったみたいですし」
「えー、貝森ちゃんのクッキー楽しみにしてきたんだから。作ろうよー」
「……」
しかし貝森ちゃんの返事はなかった。明らかに、いまいち乗り気でないことが伝わってくる。昨日はあんなに普通だったのに。……ヘイ、なにゆえ今日の彼女はこんなに後ろ向きなんだい? 一日でこんなにクッキー嫌いになることある? ほら、もっと笑って。君の笑顔は素敵だよ。
……あ、でもひょっとして……柚乃ちゃんに味負けるかもしれない、ってこと? それは気になるかもしれんね。でもこういうのって大事なのは味だけじゃない。
「貝森ちゃんの、クッキーが、食べたいんだよ」
「……」
「貝森ちゃんがクッキーを作ってくれるって言うまで、私はベンチから立ちません」
「ベンチを脅迫道具に何度も使わないでください」
「いやでも食べたいし。……ほらー、機嫌直してよー」
「……あたし別に、機嫌悪いわけ、じゃ……?」
貝森ちゃんはそこで顔を上げ、なんだか不思議そうな顔になった。そしてまじまじと俺の方を見て首を傾げる。
……あ。今日やっとちゃんと目が合った気がする。
「あたし、そんなに機嫌悪そうですか?」
「うん。お弁当食べられた時の崇高くんと張るくらい」
「それはいくら何でも言い過ぎでは」
「わはは、ばれたか」
「この……っ! ……あ、すみません」
……やっぱ昨日の崇高ばりに怒ってない? 気のせい? しかし貝森ちゃんは座ったままで目を閉じ、胸に手を当ててふー、と何度か深呼吸した。
そして目を開けた後には、もういつもの表情に戻った、気がした。そんな彼女は、俺の手の中のクッキーを悲し気にちらりと見る。
「で、柚乃のクッキー美味しかったですか?」
「そここだわるね貝森ちゃん」
「……美味しかったんですね……」
「確かに美味しかったよ。このクッキーは正直言って、かなりハイレベルだった」
そんな寂しそうにクッキー見んどいて貝森ちゃん。貝森ちゃんが曇ってると俺も悲しい。
「てことで、今日はこれを越えることを目標にしよ。ま、二人で作れば何とかなるでしょ」
それを聞いて動きを止めた貝森ちゃんは、一瞬だけ下を向いた後に顔を上げ、今後こそ嬉しそうに、笑った。
そして少し経って、貝森ちゃんは遠くを見ながら何やら考え込み、独り言のように呟く。
「でもなんで柚乃は今日、クッキーなんて作ってこれたんだろう……」
「作り方知ってるからじゃない?」
「そーゆーことじゃありません」
「クッキーの話をなんで知ってたかってことなら。中庭があの子のテリトリーだからだよ」
「……どういうことですか?」
たぶん昨日の昼休み、中庭の秘密基地に柚乃ちゃんがいたんじゃない? なんか嫌なことでもあって。まあ、秘密基地の存在だけ伏せてうまいこと伝えよう。
「中庭でした話は柚乃ちゃんの耳に入る可能性が高いの。あの子はこっそり聞けるからね」
「……あいつ盗聴器でも仕掛けてるんですか!?」
いやもうちょい原始的な仕組み。しかしあいつて。盗聴器て。ほんと仲悪いな君たち。