石鹸なんてなくたっていい 作:曇らせ好きなヤンデレの妹に愛され(ry
明けて翌日。今日から本格的な学園生活が幕を開ける。
優秀な教師陣の下で行われる、魔法理論と実技の授業。ランニングを中心とした体力錬成。
課外活動も推奨されていて、魔法の絡むもの・絡まないもの問わず、クラスや学年を越えた普段と異なる人との交流の機会となっている。
ささやかな自由の中で、目いっぱい青春を謳歌する。実にいいことだ。
俺は……そういうのは、別にいいかな。
昨日は結局行き損なった大図書館、その蔵書数は3年どころか一生をかけても読み切れる量じゃない。
あれやこれやと好き勝手に魔法書をひっくり返す日々こそ、俺がこの学院に求めたもののひとつ。
当分は本の虫になってみたいと思う。
そんなことを思いながら、1年F組と掲げられた教室のドアを開ける。
中に入った瞬間、教室にいた23人の視線が一斉に突き刺さる。
活発そうな、明るいブラウンの髪の女子生徒が、俺にぶつかりそうな勢いで飛び込んできてまくしたてる。
「男の子だ!ねねっ、名前は!?君の名前を教えて!!」
「シュウだ、3年間、よろしく頼――」
深く考えることなく気さくに応じたが、それがいけなかった。
クラスメイトが一斉に色めき立ち、何人かは席を立ってまで俺の周りに群がってくる。
彼女たちの目には、一様に興味と興奮が浮かんでいた。
「シュウ君、1年F組のシュウ!!じゃあ、あなたで間違いないんだね!?」
「新入生代表だったライムさんをあっさり負かして!」
「誰にも見えない早業で降参させて!!」
「ライムさんに何でも言うこと聞かせる権利を手にして!!」
「口には出来ないあんなことやこんなことを……!!」
「待て待て待て!!最後のは純度100%のデマだぞ!?」
俺は慌てて叫んで、流水のように流れ続ける言葉を遮る。
女子たちが見事な連携で口にしていたのは、昨日の顛末……なのだが。どうも誇張されているような気がしてならない。
挙句の果てにはとんでもない尾ひれまでついて勝手に独り歩きしてやがる。
「俺がライムと決闘したのは事実だ。事実だが……一体どこの誰からそんな話を聞いたんだ?」
「え?寮ではめちゃめちゃ話題になってたよね?」
「そうそう、この人からっていうより、その話題で持ちきりになってて」
「ライムさんに真相を聞くべく突撃した人もいたらしいけど、彼女、『事実ですわ』の一言だけで部屋に戻っちゃったって」
「実際、降参したのは観戦者が何人も見てたそうだし」
「まぁ、負けたのは事実だ、ってだけで、シュウくんがライムさんに無理矢理言うこと聞かせて~みたいなのは、どっかで話が大きくなっただけだと思ってたけどね」
「マジかよ……」
男子寮の方ではちっとも話題にならなかったから、心のどこかに油断があった。
あの決闘を見ていた生徒は、全員女子だ。男子がたまたま誰も知らなかったから、話題にもならなかっただけだと理解する。
昨晩の女子寮で一体どんな会話が飛び交っていたのか、想像するのも恐ろしい。
おそらくライムの方にも相当な野次馬が押しかけていたことだろう。あるいは、今この瞬間も。
どうか上手くさばいておいてくれよ、と心の中で頭を抱える。
「で、どうなのどうなの?」
「どうって、質問の意図が汲めないが」
この嵐をなんとかやり過ごそうと、曖昧に首をかしげる。
瞬間、隙を見つけたとばかりに一斉に飛びついてくるクラスメイトたち。
「どうやってライムさんに勝ったの!?あの子、すっごい強いんだよ!?」
「席次最下位だったのに、学年主席に勝っちゃったんでしょ!?どんな気分!?」
「剣使ってたって聞いたけど、もしかして魔法じゃないの!?」
「何でも命令権でライムさんに何お願いするの!?もしかして、ホントに……!?」
「一斉に叫ばれても聞き取れないって!!あと命令権ってほど大層なもんじゃねぇよ!?落ち着け!?」
聞き取れてるじゃねぇか、というツッコミが輪の外から飛んできたが、黙殺した。
動物園のパンダのごとく、取り囲まれてキャーキャー騒がれる状況が落ち着かない。
おしゃべり好きな女子たちの前で1を語れば、反応は10にも100にもなって返ってきて、とてもじゃないが俺の手に負えるものではなかった。
「だからあれは手品みたいなもので、2度目はないってライムも言っててだな」
「でも勝ちは勝ちだよ~!私だったら、100回やったって勝てる気しないもん~!」
「そうそう、あの『焔弾の射手』に勝ったんでしょ?もっと胸張りなよ!」
「いよっ!秩序の叛逆者~!!」
「妙なあだ名は勘弁してくれ……!頼むからさぁ……!!」
ダメだ。口先で勝てる気が全くしねぇ。
誰か助けてくれ。俺は思わず天を仰ぐ。
「もう、その辺にしておきなって!シュウくん、困ってるでしょ」
「あ、ごめんごめん!じゃ、後でまた話聞かせてね!」
「学食奢りでどう?学院の食堂、実は腕のいいシェフが入ってて絶品だって姉さんが、」
「抜け駆けは良くないよ!私だって気になるんだから!!」
「ならみんなで出し合ってたくさんお話を――」
「こーらっ!勝手に話を進めないの!シュウくんが完全に置き去りになってる!」
「あっはは……ごめんねトーコ、ごめんねシュウ君」
「あぁ、いや別に、うん、俺は気にしてないから大丈夫だ……」
トーコ、と呼ばれた少女が手を振ると、俺の周りを囲んでいた女子たちが蜘蛛の子を散らすように解散して、それぞれの輪に戻っていく。
どっと疲れが押し寄せた。まだ朝だぞ、何も始まってすらいないんだぞ……。
黒板に張り出された座席表を確認すると、俺の席は教室の一番左、窓と隣り合う列の最後方。
特等席だな、とつぶやきながら、自席にどかっと腰を下ろす。
勢いでこぼれ落ちたため息に反応したのか、横の席の少女が苦笑いで話しかけてきた。
「入学早々災難だったね、シュウくん。お疲れ様、と言わせてもらうよ」
「あぁ、ありがとう……えぇと、さっき皆を止めてくれた」
「うん、私がトーコだよ。よろしくね、シュウくん」
「こちらこそよろしく、トーコ。リーダーシップのあるクラスメイトがいて、頼もしいな」
「もう、そんな柄じゃないってば~」
栗色の瞳を楽しげに揺らしながら、隣席の少女、トーコが笑う。
ゆるくウェーブした、瞳と同じ栗色のロングヘアに、落ち着いた佇まい。一見すると良家のお嬢様然としているのに、浮かぶ表情は活発そうな印象を与え、しかもくるくると変わる。
なんとなくリスっぽいな……と思ってしまったのは、目の前の本人には内緒だ。
「あんまりしつこかったら、シュウくんもはっきり言っていいんだからね?そりゃあ、私だって気にならないって言ったら嘘になるけどさ、シュウくんが身動きとれないほど質問攻めにするのは、なんか違うじゃん?」
「気遣ってくれてありがとう、トーコ。まぁ、自己紹介がてらいくらか相手すれば、後は時間が解決してくれる……はずだ」
「シュウくん、自分でも薄々分かってるでしょ、無理だって」
「せめて夢を見せてくれ、希望的観測を壊さないでくれ」
「現実を見よう、シュウくん。君は今、間違いなく時の人なんだからさ」
慰めたいのか悩ませたいのか分からなくなるような言葉で締めくくって、トーコは席を立つ。
他のクラスメイトの席に赴いて、積極的にコミュニケーションを取るトーコの姿勢には感服せざるを得ない。
前世から変わらず、口はそれほど達者でない自覚があるだけに、コミュ強タイプは自然と尊敬してしまう。
5分前行動の、さらに5分前……なんて意識して、余裕を持って教室入りしていたから、始業時間までまだわずかに時間がある。
本でも読むか、とカバンを漁ろうとしたところで、前の席に座っていた奴がくるりと反転してこっちを向いてきた。
「朝から黄昏てないで、頑張ってくれよ。俺たち男子の希望になってくれ、シュウ」
「……ええと、君は」
「ヒースだ、1年間よろしくな」
「あぁ、よろしくヒース」
話しかけてきたのは、数少ない男のクラスメイトだった。
黒髪を短く刈り込んだ、ラガーマンのようながっしりした体躯の男、ヒース。
差し出された手を取って握手を交わせば、ヒースはニヤリと深い笑みを刻んだ。
この1年F組は、39人中5人が男子生徒。残りは全部女子だ。
1年時のクラス分けは、入試の成績順に機械的に割り振っている、と聞いている。全体として女子より魔法力に劣る男子が、6クラスに分けたうちの一番最下層であるF組に少し多いのは不思議なことでも何でもない。
数の少ない男子同士で積極的に仲良くするのも、当然のこと。
「で、希望とは一体……?」
「おいおい、とぼけんなよシュウ。入試成績で決まる席次最下位のお前が、主席のライムを倒したんだぜ?さっき聞いて俺はもうたまげたよ。でたらめにもほどがあるってな」
「実際でたらめみたいなものさ。もう一度戦ったら、勝てるかどうか」
「分かってねぇなぁシュウ。『焔弾の射手』に、たった1回でも勝つ。それがどれだけ難しいことか!俺には無理だぜ、絶対」
「…………」
「それにさ、お前さぁ」
野太い声でまくし立てていたヒースが、突然身を乗り出して来て俺に顔を寄せる。
彼の目には驚きと、そして興奮が渦巻いていた。
「勝てるかどうか、って言ったよな、今。『もう一回やったら勝てない』じゃなく。勝てる手段が他にもあるって」
声を潜めてささやいたヒースは、俺の無意識を的確にぶち抜いた。
……意外と細かいところに気が付く男なんだな、と思った。
俺は何も答えず、ただ窓の外の空を見上げる。
どこまでも青く高く、透き通った空に、大きな白い雲がひとつ、揺蕩うように浮かんでいた。