86二次銀髪の悪魔 完結   作:鯖缶詰

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86二次創作_中盤

 

第四幕:死の行軍と、泥濘の蜘蛛の巣

 

 世界は赤錆と灰に沈んでいた。

 終わりのない廃墟の海。空を覆い尽くす分厚い鉛色の雲の下、シン・ノウゼンは血と汗が乾ききった饐(す)えた匂いのするコックピットで、荒い息を吐いた。

 

 特別偵察任務という名の死出の旅が始まってから、どれだけの時間が過ぎたのか。

 愛機『アンダーテイカー』の駆動系は、もはや限界を超えていた。一歩脚を踏み出すたびに、骨が擦れ合うような金属の軋みが脳髄を劈(つんざ)く。弾薬はとうに底をつき、エネルギー残量を示すメーターは絶望的な赤色を点滅させている。クレナやライデン、セオやアンジュの機体も、満身創痍という言葉すら生ぬるい状態だった。

 

 ——ここまでか。

 

 前方から迫る、黒い津波のようなレギオンの大群。

 レーナに別れを告げ、自分たちの意思で歩み続けた旅の終着点が、この泥濘の中なのだと、シンは静かに悟った。恐怖はない。ただ、最後まで抗って死ぬ。死神としての最後の意地だけが、彼に操縦桿を握らせていた。

 

 突如、世界が反転したような錯覚に陥った。

 シンの網膜を灼き切らんばかりの青白い閃光が、レギオンの群れの中心で炸裂したのだ。

 

「……砲撃……!?」

 

 遅れて響いた鼓膜を破るような轟音と共に、重装甲のレギオンが飴細工のように吹き飛ぶ。信じられないほどの精密で、かつ圧倒的な質量を持った面制圧。

 混乱するシンの視界の端に、赤錆の霧を裂いて現れた「それ」が映った。

 

 黒い、ジャガーノート。

 いや、共和国のペラペラのアルミの棺桶とは根本的に違う。コックピット正面に異様な傾斜の増加装甲が施され、レギオンの残骸から剥ぎ取ったと思われる無骨な武装を懸架した、所属不明の亡霊のような機体群。

 

『――目標(ルアー)の生存を確認。これより回収作業に移行する』

 

 無機質な、合成音声のような通信。

 次の瞬間、黒い機体群は反撃の暇すら与えず、シンたちのジャガーノートに太いワイヤーを打ち込んだ。

 抵抗しようにも、限界を迎えていた機体は動かない。アンダーテイカーを含むスピアヘッド戦隊の機体は、泥水を引きずられながら、廃墟の奥に口を開けた巨大な地下施設へと乱暴に引きずり込まれていった。

 

     *     *     *

 

 重油と、古いコンクリートの冷たい匂い。

 強制的にハッチを開けられ、武装した黒ずくめの兵士たちに銃口を突きつけられながら、シンたちは広大な地下ドックへと引きずり出された。

 

 安息の地ではない。

 薄暗い照明の下、シンは周囲を見渡し、極度の警戒に神経を尖らせていた。ライデンたちも、いつでも相手の喉笛を食い破れるよう、全身の筋肉を張り詰めている。

 助けられたとは思っていない。ここは共和国の新たな悪意——人間を部品として使う実験施設か、あるいはレギオンの新型の巣食う蜘蛛の巣か。いずれにせよ、ここで最後の一戦を交えることになるだろうという、氷のような緊張が場を支配していた。

 

 カツ、カツ、と。

 鉄の階段を下りてくる、規則正しい軍靴の音が響いた。

 

「……ひどい有様だな。第一戦区の死神と聞いていたが、ただの鉄屑の寄せ集めではないか」

 

 姿を現したのは、塵一つついていない軍服を着こなした白系種(アルバ)の青年だった。

 銀の髪と、氷のように冷たい銀の瞳。ヴィクトル・ローラン少佐は、銃口を向けられ膝をつかされているシンたちを一瞥し、そして彼らの背後にあるボロボロの機体へと視線を移した。

 

 その眼差しには、死地から生還した少年たちへの同情や哀れみなど、一欠片も存在しなかった。

 純粋な、品定め。

 自身の生存確率を上げるための計画——東の彼方へ放つ『カナリア』として、彼らの精神と肉体に、まだ酷使に耐えうるだけの耐久値が残っているか。それを推し量るだけの、徹底して冷酷な査定の視線だった。

 

「まぁいい。脚が動くなら、十分に使える」

 

 ヴィクトルは無表情のまま手元の端末を操作し、死神の赤い瞳と、真っ向から視線を交差させた。

 

「地獄の底へようこそ、名もなき部品たち。お前たちの命は、たった今から私のものだ」

 

 

 

 

 

 

第五幕:悪魔の取引と、鉄の棺の修繕

 

 鼻腔を突くのは、重油と焼き切れた鉄の匂い。

 視界の端で弾ける溶接機の青白い閃光が、巨大な地下ドックの輪郭を断続的に闇の中から浮かび上がらせていた。

 

 手首を戒めていた拘束具が解かれ、シン・ノウゼンはゆっくりと首を巡らせた。

 そこに広がるのは、共和国軍の規定などとうの昔にドブに捨てたような、異形の兵器の山だった。放棄された工作機械が唸りを上げ、レギオンの残骸から剥ぎ取られた装甲板が次々と加工されていく。正規の整備工場(ファクトリー)ではない。ここは、一人の狂った白系種(アルバ)が築き上げた、泥と鉄の密造基地だ。

 

「……何の真似だ」

 

 シンの背後で、ライデンが低い唸り声を上げた。セオもクレナも、まだ警戒を解いていない。いや、むしろ得体の知れない状況を前に、その殺気は先ほどよりも研ぎ澄まされていた。

 

「共和国軍の防衛システムは、間もなく破綻する」

 

 コツ、と硬い靴音を響かせ、ヴィクトル・ローラン少佐が歩みみ寄ってきた。

 彼の背後には、ノイズ混じりのホログラム・マップが投影されている。そこには、共和国の防衛線を示す円陣と、その遥か東方――黒く塗りつぶされたレギオンの支配域の向こう側に、微かな電波信号の波形が示されていた。

 

「レギオンの大規模な攻勢が迫っている。あの脆弱な壁など、数年も保たずに崩壊するだろう。だが、私の傍受部隊が東の彼方から微弱な電波を拾った。未知の生存国家が存在する確率が、僅かながら存在する」

 

 淡々と告げられた事実に、シンは赤い瞳を細めた。

 自分たちも、かつて東の果てから呼びかける「声」を拾ったことがある。だが、それがどうしたというのか。

 

「俺たちに、そこへ行けって? 共和国の白ブタが、ずいぶんと夢見がちじゃねえか」

 

 セオが吐き捨てるように嘲笑する。

 だが、ヴィクトルの氷のような銀眼は、嘲りにも怒りにも全く揺らがなかった。

 

「勘違いするな」

 

 ヴィクトルは、極寒の海のように凪いだ声で言い放った。

 

「お前たちを人道的に逃がしてやるわけではない。私は、私が生き残るための亡命ルートを開拓したいのだ。お前たちはそのための『使い捨てのカナリア』――地雷原の毒見役になれと言っている」

 

 ドックの空気が、凍りついた。

 あまりにもあけすけな、純度百パーセントのエゴイズム。

 

「お前たちを救う気はない。途中で野垂れ死のうが、レギオンに首を刈られようが私の知ったことではない。だが、限界まで進み、東の果てに私のための道標(ビーコン)を残して逝け」

「……」

 

 シンは、目の前の男を静かに見つめ返した。

 知覚同期(パラレイド)越しに何度も聞いた、あの白銀の髪の少女――レーナの涙声を思い出す。彼女の「ごめんなさい」という謝罪と善意は本物だった。だが、彼女は彼らに何も与えることができず、ただ死を見送ることしかできなかった。

 

 しかし、目の前の男は違う。

 同情など微塵もない。彼らを人間とすら思っていない。ただ己の生存確率をコンマ数パーセント引き上げるためだけに、彼らの命を『消費』しようとしている。

 

 ――ああ、なるほど。

 シンの内側で、張り詰めていた警戒が、奇妙な納得へと形を変えていくのを感じた。

 

 偽善の涙を流されるよりも、この血も涙もない打算の方が、余程『信用』できる。

 少なくともこの男は、自分たちに仕事をさせる対価として、必ずそれに相応しい武器(死に装束)を寄越すはずだからだ。

 

「……悪くない取引だ」

 

 シンの言葉に、ライデンが弾かれたように隣を見た。「シン、本気か?」という視線。だが、シンがヴィクトルから目を逸らさないのを見て、小さく舌打ちをしつつも引き下がった。隊長が往くというのなら、往くまでだ。

 

「話が早くて助かる。第一戦区の死神は、状況の飲み込みも優秀らしい」

 

 ヴィクトルは初めて、その端正な顔に微かな、しかし酷薄な満足の影を浮かべた。そして背後の私兵たちへ向けて顎をしゃくる。

 

「手始めに、お前たちのあの脆弱な『アルミの棺桶』をマトモな建材に修繕してやる。コックピットの正面装甲を削り出し、傾斜をつけろ。駆動系を殺さない程度に予備の大型バッテリーを積ませ、機体上部にはレギオンから奪い取った高感度センサーを無理やり接合しろ。……不格好でも構わん。一日でも長くこのカナリアが啼き続けられるように、私の拠点の資材を限界まで注ぎ込め」

 

 それは、ヴィクトルにとって純粋な『投資』だった。

 どれだけの物資と技術を彼らに与えれば、最も遠くまで進み、自分のための利益(ルート)をもたらすか。その冷酷な計算式に、一寸の狂いもない。

 

 火花が散る。重油の匂いが濃くなる。

 彼らの往く道は変わらない。だが、その背中を押すのは、優しき少女の涙ではなく、悪魔のような男の計算され尽くした欲望だった。

 

 

 

 

 

第六幕:カナリアの放鳥と、交わらない道

 

 夜明け前の、肺が凍りつくほどに冷たく澄んだ空気が、旧時代の地下道へと流れ込んでいた。

 レギオンの監視網が手薄な東方角へと開かれた、巨大なコンクリートの空洞。その出口に並ぶ五機の多脚戦車は、もはや共和国の設計図に描かれた「アルミの棺桶」とは別次元の威圧感を纏っていた。

 

 鈍く光る傾斜装甲。無骨に外付けされた大型予備バッテリー。そして、機体上部で不気味な明滅を繰り返す、レギオンから移植された高感度センサー。

 重量は増したはずだが、駆動系の異音は消え失せ、代わりに獣の唸りにも似た重低音が地下道に反響している。それは、悪意と打算に満ちた白系種(アルバ)が彼らに施した、最狂にして最良の死に装束だった。

 

「調整は済んだな、カナリア共」

 

 冷え切った空気を切り裂くように、ヴィクトル・ローラン少佐の声が響いた。

 彼は防寒着を着込むこともなく、いつもの塵一つない軍服姿で、出発の準備を終えたシンたちの機体を見上げている。その銀の瞳に、旅立つ者への名残惜しさや祈りの感情など、一欠片も存在しない。

 

「十分な物資と、持てる限りの技術はくれてやった。東の果てへ向かい、レギオンの海を切り裂け」

 

 ヴィクトルは淡々と、しかし刃のように鋭い声で最後の宣告を下す。

 

「お前たちがその鉄の棺桶の中でどうやって死のうが、私の知ったことではない。だが――途中で死に絶える前に、せめて私のための通信ビーコンだけは残して逝け。それが、お前たちに施した投資への唯一の返済だ」

 

 過酷な死出の旅路に送り出す言葉としては、あまりにも血が通っていない。

 だが、操縦桿を握るシン・ノウゼンの口元には、微かな、本当に微かな笑みのようなものが浮かんでいた。

 

 ただ死を待つだけだった旅。誰にも望まれないまま、行き倒れる場所を探すだけの行軍。

 それが今、この男の極限のエゴイズムによって、初めて『自分たちの意思で往く』という確固たる輪郭を持ったのだ。善意の白豚は涙で彼らの歩みを止めようとしたが、悪魔のような白豚は、計算し尽くされた暴力的な兵站(支援)で彼らの背中を強烈に蹴り飛ばした。

 

「……約束はできないが」

 

 シンは外部スピーカーをオンにし、静かに、しかし力強い声で応じた。

 

「往けるところまで往く。あんたの首の皮が一枚繋がるかどうかは、せいぜい王都(あっち)の神にでも祈っていることだな」

「神などという無能な概念に頼るくらいなら、私は自分の手で防衛線を引く。さっさと行け、死神」

 

 それきり、会話は途絶えた。

 シンは操縦桿を引き、愛機『アンダーテイカー』を東の暗闇へと歩み出させた。ライデン、セオ、クレナ、アンジュの機体も、それに続く。彼らの胸の中にあるのは、もはや共和国への憎悪だけではない。自分たちの往く道を、あの打算にまみれた男がどこまで利用できるか、見届けたくなるような奇妙な感情――一種の痛快な連帯感だった。

 

 五機の異形が、夜明け前の闇に完全に溶けて消える。

 

「……少佐。彼らは本当に、生存圏を見つけ出すでしょうか」

 

 背後に控えていた副官の問いかけに、ヴィクトルは踵を返しながら冷たく答えた。

 

「確率は低いが、ゼロではない。あの投資でゼロなら、共和国はとうに滅んでいる」

 

 彼の視線はすでに、東の闇には向けられていない。放鳥したカナリアの行く末など、彼にとってはもう終わった『計算』に過ぎないのだ。

 

「そんなことよりも、第三防衛線の資材が三パーセント不足している。先日『名誉の戦死』を遂げた部隊の残骸を解体し、こちらのラインへ回せ。モルフォ(電磁加速砲型)の砲撃に耐えうる隔壁の構築を急ぐぞ」

 

 泥と鉄の地下要塞に、再び冷酷な駆動音が響き始める。

 交わることのない二つの道。東の果てを目指す死神たちと、這いつくばってでも己の城を守り抜こうとする悪魔。

 来たるべき共和国崩壊の日に向けて、それぞれの戦いが、今はっきりと分かたれたのだった。

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