86二次銀髪の悪魔 完結   作:鯖缶詰

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86二次創作_第4部

 

第十幕:血塗られた女王と、泥濘の遺産

 

 空は、不吉な鉛色の雲と、地表を舐め尽くす業火の赤によって二分されていた。

 鼓膜を永遠に打ち据えるような重砲の咆哮。コンクリートが砕け散る乾いた音。そして、知覚同期(パラレイド)の向こう側で次々と途絶えていく、名もなき兵士たちの断末魔。

 

 かつてヴラディレーナ・ミリーゼが指揮を執っていた、塵一つない無菌室のような王都の司令部は、とうの昔に瓦礫の山と化している。

 今、彼女が立っているのは、吹き晒しの野戦指揮所だった。磨き上げられていた銀色の髪には、前線で散っていった者たちへの弔い――あるいは自らへの呪いである赤いメッシュが血痕のように染まり、端正な顔立ちも軍服も、泥と硝煙、そして消えない死臭に塗れている。

 

「――第八戦隊、後退が遅れているわ。右翼の残存兵力を盾にしてでも、指定座標まで下がりなさい」

 

 無線機越しに放たれる彼女の声には、かつてのような「彼らを可哀想に思う」温かな響きは微塵も残っていなかった。

 ただ氷のように冷たく、極限まで張り詰めた鋼線の如き響き。一人でも多くの戦友(エイティシックス)を明日に繋ぐためならば、時に一部の部隊を冷徹に損切りすることすら躊躇わない。

 

「ひぃっ、いやだ、来ないでくれぇっ!」

 

 背後で無様な悲鳴が上がった。

 第一区の安全圏から放り出され、泥まみれになって逃げ惑う白系種(アルバ)の元・高級将校たちだ。彼らは自分たちが人間として扱ってこなかった「八十六の豚」たちに命を依存し、醜く泣き喚きながら逃げ惑っている。

 レーナは彼らへ一瞥をくれただけで、すぐに視線を戦術端末へと戻した。軽蔑すら湧かない。生きる意思なき者に、割く時間など一秒たりとも持ち合わせてはいなかった。

 

 弾薬が尽きかけている。防衛線も、もはや紙細工のように薄い。

 このまま無策で遅滞防御を続ければ、数日以内に全滅する。レーナは血の滲む唇を強く噛み締め、ある『座標』の封印を解いた。

 

「全戦隊に通達。これより当防衛線を放棄し、第十四セクターの未登録地下施設へ後退する」

 

 それはかつて、彼女が執務室で温め直した苦いコーヒーを啜りながら、兵站データの矛盾から見つけ出した「謎の物資消失ポイント」だった。

 正規軍の記録には存在しない空白地帯。しかし、誰かが意図的に膨大な物資を注ぎ込み、何かを構築していたはずの場所。

 

 数時間後。

 レギオンの追撃を振り切り、重傷者を引きずりながらたどり着いたその地下空間で、レーナと生き残りの86たちは言葉を失った。

 

「……なんだよ、ここ。共和国の軍事施設か?」

「いや、違う。見たこともねぇ規格の隔壁だぞ。おまけにあの工作機械の山……」

 

 噎せ返るような重油の匂いと、冷たいコンクリートの感触。

 そこに広がっていたのは、共和国の規定などとうに無視した、異様なまでに強固な防衛拠点(ファクトリー)の抜け殻だった。

 すでに主要な物資や弾薬はもぬけの殻となっている。しかし、持ち出すには重すぎる固定砲台や、ぶ厚い傾斜装甲を備えた防衛壁、そして規格外のジャガーノート用改修パーツの「残飯」が、無造作に打ち捨てられていたのだ。

 

「……」

 

 レーナは、主を失った薄暗い司令室のデスクにそっと触れた。

 埃を被ったその机には、焦げ付いたオイルの跡と、古いコーヒーの染みが残っていた。

 

 理解した。この泥濘の城を築き上げた『何者か』は、共和国を守る気など最初から毛頭なかったのだ。

 彼は純粋に、自分が生き残る確率を上げるためだけに軍の物資を吸い上げ、この強固な要塞を築き――そして、不要になった瞬間、一欠片の未練もなくあっさりとこれを捨てて、どこかへ脱出したのだ。

 

 なんというエゴイズム。なんという冷徹な合理性だろうか。

 

「ふ、ふふ……」

 

 レーナの口から、乾いた笑みが零れた。

 あの時、資料室で感じた悪寒の正体。自分と同じようにこの国を見限っていながら、理想(ヒューマニズム)ではなく打算(エゴイズム)の極致で抗った「悪魔」の痕跡。

 かつての彼女なら、その血も涙もない非人道的なやり方に激昂し、唾を吐きかけていたかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

「――使えるものは、何でも使うわ」

 

 レーナは顔を上げ、泥に塗れた顔に獰猛な笑みを浮かべた。

 可哀想な彼らを救いたいという青い理想は、とうの昔に死に絶えた。今はただ、この命が尽きるその瞬間まで、泥水を啜ってでも抗い抜くだけだ。

 

 顔も知らぬ悪魔が遺した置き土産(城)にすがりつき、死肉を漁るハイエナのようにパーツを掻き集め、生き汚く戦い抜く。

 それが、亡霊たちの先頭に立つ『鮮血の女王』の、冷徹で揺るぎない覚悟だった。

 

 

 

 

 

第十一幕:鉄の獣道と、亡霊たちの行軍

 

 世界は、赤と黒の斑模様に塗り潰されていた。

 レギオンの絶対支配域。果てしなく続く旧時代の廃墟を埋め尽くすように、赤い彼岸花を思わせる無数の光学センサーが蠢いている。

 

 その鉄の海を切り裂くように、重武装を施した長大な車列と、黒い増加装甲を纏った異形のジャガーノート部隊が進んでいた。

 ヴィクトル・ローランが率いる、泥と鉄の地下要塞から脱出した『亡霊の軍隊』である。

 

「――右翼の第二小隊、被弾! 装甲が持ちません、このままでは突破されます!」

 

 装甲指揮車の薄暗い車内に、悲痛な報告が響き渡る。

 換気フィルターを通してもなお、外から入り込む焼けたオイルの悪臭と、撃破されたレギオンの流体ナノマシンが蒸発する際に放つ銀色の飛沫の匂いが、肺の奥底にへばりついていた。

 

「第二小隊はそのまま防衛線を維持しろ。第一、第三小隊は陣形を再編し、左翼の薄い箇所から血路を開く」

 

 ヴィクトルの下した命令は、氷のように冷たく、そして絶対的だった。

 

『少佐! それでは第二小隊が完全に孤立します! 見捨てる気ですか!』

「そうだ。彼らがヘイトを集めている間に、本隊を前進させる。足を止めるな」

 

 通信越しに響くエイティシックスの怒声と、直後に続く爆発音。そして、永遠に途絶える知覚同期のノイズ。

 三割の部隊を最適なデコイ(捨石)として死地に送り、彼らが肉と鉄を削り取られている間に、残りの七割を安全なルートへ逃がす。ヴィクトルがかつて共和国の前線で繰り返してきた、極限まで合理的な『損切り』の戦術だ。

 部下たちが次々とレギオンの波に呑まれ、断末魔を上げていく様をモニター越しに見つめながらも、ヴィクトルの銀の瞳は微塵も揺らがない。彼にとって、脱出の過程で生じる自軍の損耗は、あらかじめ計算式に組み込まれた必要経費に過ぎないのだ。

 

 振り返る理由など、どこにもない。

 彼の視線は常に、ナビゲーションの端で微弱に明滅する一点――あの死神たちが残した『ビーコン』の座標だけを捉えていた。

 

 車列が、巨大なクレーターの広がる市街地跡へと差し掛かる。

 そこは、局地的に異常な光景が広がっていた。

 

「……少佐、前方に障害物。レギオンの残骸です。戦車型(レーヴェ)や重戦車型(ディノサウリア)の残骸が、文字通り山を成しています。進路を塞がれるほどの……これは、一体……」

 

 操縦手の震える声に、ヴィクトルは手元のコンソールを操作し、外部カメラの映像を拡大した。

 モニターに映し出されたのは、凄惨という言葉すら生ぬるい、狂気の死闘の痕跡だった。圧倒的な数のレギオンが、何者かによって急所を正確に撃ち抜かれ、あるいは近接用の高周波ブレードで両断され、無数の鉄の墓標となって折り重なっている。

 共和国の正規軍では、万の軍勢を投入してもなし得ないであろう局地的な大殲滅戦。

 

「……ほう」

 

 ヴィクトルの喉の奥から、無意識のうちに微かな感嘆の息が漏れた。

 

 その残骸の山の向こう側へと、微弱なビーコンの信号が点々と続いているのが見える。

 間違いない。ここを通り、この鉄の波をたった五機で切り裂いていったのは、彼が極限の改修を施して放流した、あの『カナリア』たちだ。

 生き汚く、執念深く、何よりも恐ろしいまでの殺意をもって、死神はこの獣道を切り拓いたのだ。

 

 自軍の損耗には一切の関心を払わなかったヴィクトルの胸中に、純粋な戦術家としての微かな高揚感が芽生えていた。

 

(私の見立ては間違っていなかった。見事な猟犬だ。私が生き残るための道標としては、十分すぎる戦果と言える)

 

 彼らがこの死闘の果てに生き延びているのか、あるいはすでにレギオンに取り込まれたのか、ヴィクトルには興味がない。

 だが、彼らが文字通り血を流して切り拓いたこの「道」の価値だけは、誰よりも正しく評価していた。

 

「障害物を吹き飛ばせ。彼らが拓いた獣道を、一気に駆け抜けるぞ」

 

 亡霊たちの行軍は止まらない。

 彼方の生存国家――ギアーデ連邦との境界線を目指し、ヴィクトルの鋼鉄の箱舟は、死神の足跡を冷徹になぞりながら闇の奥へと進んでいった。

 

 

 

 

第十二幕:境界線の邂逅と、悪魔の帰還

 

 ギアーデ連邦、西方国境防衛線。

 夜明け前の白々と白んだ荒野には、濃密な朝霧が立ち込めていた。肌を刺すような冷たい空気の中、連邦軍が誇る重装甲フェルドレス『ヴァナルガンド』の部隊が、分厚い装甲を濡らしながら息を潜めて前方を睨んでいる。

 

 西方――すでにレギオンの絶対支配域となった旧共和国領から、何者かが接近していた。

 

「……目標、視認距離に入ります。これは……」

 

 前線指揮所のモニタールーム。監視カメラの映像が霧の向こう側の輪郭を捉えた瞬間、オペレーターが息を呑んだ。

 現れたのは、保護を求める哀れな難民の群れなどではない。泥と血と、焦げ付いた重油に塗れた長大な装甲車列。そして、その周囲を護衛するように展開する、黒い増加装甲を纏った異形の多脚戦車部隊だった。

 

「なんだ、あの機体群は。レギオンの新型か!?」

「いえ、シルエットは共和国のジャガーノートに酷似していますが……装甲の形状も兵装も、完全に規格外です!」

 

 モニタールームに極度の緊張が走る。高度に武装され、統制の取れた『亡霊の軍隊』が、無言の威圧感を放ちながら連邦の国境線へと迫りつつあった。

 

 だが、その映像を食い入るように見つめていたグレーテ・ヴェンツェル技術中佐の背筋には、戦術的な脅威とは全く別の、氷のような戦慄が走っていた。

 

「……間違いないわ」

 

 グレーテは震える唇を微かに開き、呻くように呟いた。

 

「あの極限まで削り出されたコックピットの傾斜装甲、無理やり接合されたレギオンのセンサー……。以前、保護したエイティシックスの子供たちの機体に施されていたものと、全く同じ技術設計(アーキテクチャ)よ。あの『悪魔的な改修』を施した人間が、部隊を引き連れて地獄を抜けてきたっていうの……?」

 

 その時、防衛線の全周波数帯に、ノイズ混じりの通信が割り込んできた。

 

『――こちら、サンマグノリア共和国軍、ヴィクトル・ローラン少佐。当部隊は貴国との交戦の意思を持たない』

 

 映像の中で、先頭の装甲指揮車から一本の白旗が掲げられた。

 だが、スピーカーから響くその声には、敗軍の将の悲哀も、保護を求める者の懇願も、一切含まれてはいなかった。極寒の海のように凪いだ、傲岸不遜なまでの平熱。

 

『勘違いするな、ギアーデ連邦。我々は哀れな難民ではない。貴国に有益な情報をもたらす「取引相手」だ』

 

 ヴィクトルの声は、数万の連邦軍を前にしても微塵も揺らがなかった。

 

『私は、崩壊に至るまでの共和国の全軍事データ、およびレギオンの最新の部隊編成・戦術データを保有している。この情報の価値は、貴国の参謀本部が一番よく理解しているはずだ。……私と部下たちの生存、ならびにそれに相応しい「厚遇」を保証しろ。そうすれば、この情報を貴国にくれてやる』

 

 圧倒的な数のレギオンがひしめく死の海を渡りきりながら、第一声がそれである。

 自分たちは価値ある駒であり、そちらには私を買うメリットがある。ただ己の生存確率を最大化するためだけに、国家間の国境線すらも「冷酷な取引の盤面」へと変えてしまう。

 その純度百パーセントのエゴイズムに、モニタールームの連邦将校たちは唖然とし、言葉を失った。

 

 ただ一人――部屋の奥の暗がりから歩み出た、見慣れぬ連邦軍の制服を纏った少年兵を除いて。

 

「……本当に、地獄を抜け出して来やがったか。あの悪魔が」

 

 シン・ノウゼンは、スクリーンに映る黒い亡霊の軍隊を見上げ、凶悪な笑みを浮かべた。

 連邦の保護下に入り、特別士官として軍に復帰しつつあった彼の赤い瞳に、ヒリつくような高揚感が灯る。

 

 善意の涙で見送ってくれた少女の祖国は滅びた。

 だが、自分たちを使い捨てのカナリアとして扱い、冷徹な打算で極限の武器を与えたあの白系種(アルバ)の男は、泥水を啜り、同胞を犠牲にしてでも生き残り、こうして自分たちの切り拓いた道を辿って安全圏(ここ)までたどり着いたのだ。

 

 ――ええ、あんたらしいですよ、ローラン少佐。

 

 憎悪ではない。だが、決して友愛でもない。

 それは、同じ地獄の泥濘を知る者同士にしか理解し得ない、奇妙な敬意と連帯の形だった。

 

「中佐」

 

 シンはグレーテを振り返り、静かに、しかし確固たる声で告げた。

 

「あの男の言うことに嘘はありません。彼の打算と投資は、常に『本物』だ。……丁重に迎えてやってください。俺たちの、命の恩人ですから」

 

 朝霧が晴れゆく国境線。

 鋼鉄の箱舟を降りた悪魔と、死神の帰還を果たした猟犬が、ギアーデ連邦という新たな盤面で、再びその運命を交差させようとしていた。

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