好きな女の子を守るために強くなった結果、何故か彼女を曇らせてしまった 作:えしゅろん
最近妙な仲間が増えた。
簡単に言えば生体兵器になってしまった人間だ。
《――訓練用ドローンの撃破時間を計るぞ》
アルゴス・マキナのコックピットの中で、俺は端末を展開した。今日の訓練内容はシンプルだ。1000体の小型訓練用ドローンをイリンが前衛で殲滅する。俺とフィーナはその後方で情報分析と戦術支援を担当する。
訓練期間が始まって2週間――俺たちはドレッドのメンバーを1人ないし、2人を加えて変則的な訓練をしていた。
それをやる意図としてはどの人物と組み合わせたパターンが有効か、データを取る目的があった。
《準備できてるよ、ゼイン》
フィーナの声が通信に入った。
ネクサス・ラピダの各部アンテナが展開されているのがモニターに映っている。既に戦場全体の電子情報を拾い始めていた。
《イリン、準備は》
《いつでも》
短い返答だった。
俺はイリンをモニターで確認した。
広大な訓練フィールドの中央に、イリンは立っていた。
武装もなければセンチネルもない。黒い戦闘服だけがある。
そんな彼女の周囲に1000体のドローンが四方八方を取り囲んでいる。赤い光点がフィールド全体に広がっていた。俺の分析端末には既に敵の配置パターンが表示されている。密度、速度、射線——全部把握している。
数字で見れば圧倒的かつ絶望的な状況だが、彼女を前では1000体程度は何の脅威にもならない。
《開始》
俺がカウントを告げた瞬間、イリンが動いた。
(速すぎるな……ったく、自信無くす)
モニターの追尾が一瞬遅れるほどの速度で、イリンが最初の一群に飛び込んだ。右手の甲から高周波ブレードが生成される。刃渡り60センチほどの、薄い赤色に発光する刃だ。
振るう、というより——流れるように動いた。
一閃。
三体が両断された。
踏み込みながら返す刃で二体。体を捻って背後の一体。着地と同時に膝を落として低空の二体を薙ぐ。
8体、2秒。
《ゼイン、右の第三群が詰めてくる》
《見えてる、イリンに送る》
俺は戦術データをイリンの神経系に直接流し込んだ。ドレッドとの連携で発見した事だが、イリンはデータを言語より直感的に処理できる。座標と脅威度を数値で送ると、言葉より速く体が動く。
イリンが右に跳んだ。
ちょうど第三群が詰めてくる軌道を先読みした動きだ。
着地点で既にブレードを構えていた。
群れの先頭に刃を通しながら、体重を乗せて薙ぎ払う。
7体が一度に沈んだ。
《反応速度が速すぎてドローン側の射撃タイミングがずれてる》
フィーナが淡々と言った。
《ドローンの射撃AIが追いつけてない。データ取るなら難易度上げた方がいいかも》
《今は1000体での基礎パターンを記録する。難易度変更は次のフェーズだ》
《了解》
俺は端末を操作しながら、イリンの動きを分析し続けた。
近接格闘の基礎はかなりしっかりしている。人間だった頃に叩き込まれた動きが骨格に染み付いているのだろう。しかもそこにドレッドの肉体が乗っている。通常の人間なら筋肉が悲鳴を上げるような角度と速度で、イリンは動き続けていた。
100体突破。経過時間、38秒。
《……異常だな》
俺は独り言のように言った。
《ライルと並ぶって話だったけど……本当だった》
《むしろ単体の近接戦闘だとイリンの方が上かもしれない》
フィーナが補足した。
《ライルは砲撃と制圧が主軸だけど、イリンは純粋な剣術特化だから。狭い空間だとイリンの方が有利だと思う》
なるほど、と俺は思った。
データを見ればフィーナの言う通りだった。イリンの動きに無駄がない。最小限の力で最大限の効率を出している。感情がないから迷いがない、恐怖がないから躊躇がない——ユリア教官が言っていた言葉の意味が、数字として目の前に現れていた。
200体突破。経過時間、1分12秒。
ドローンの群れがイリンを完全に取り囲んでいた。
四方から射撃が集中する。
イリンは避けなかった。
当然被弾した。
肩、脇腹、腿と複数箇所だ。
それでも動きが止まらなかった。傷口が塞がりながら、ブレードを振り続けていた。
《……やっぱり気分悪いな、これ》
フィーナが静かに言った。
珍しかった。あいつが感情的な言葉を口にするのは。
《慣れろとは言えないが、データを取る事に集中しろ》
《わかってる。ただ思ったことを言っただけ》
口ではこう言ってるが俺も同じだった。
撃たれながら斬る。斬りながら再生してまた戦場に舞い戻る。
(……どう向き合えってんだ)
やがて彼女が全てのドローンを倒すに至るまで、5分とかからなかった。結果としては非常に素晴らしいものだし、戦力的にありがたいのはわかる。
それでも俺とフィーナは未だにドレッドたちと距離を保っていた。
◆
「はぁ……なんか大して動いてないのに疲れた」
「ゼイン、大丈夫?」
「……だいじょばない」
訓練を一旦区切りのいいとこで中断し、休憩時間。
俺はセリアと共に身体を休めて水分補給をしていた。視線の先にはブルーコメットの部隊だけじゃなく、ドレッドたちも映っていた、
「セリア、お前は平気なのか」
「平気って言うのは……ライルのことよね?」
「ああ……あいつらは幾ら傷ついても……ほら……」
「ああ……」
言いたいことを何となく理解したセリアは顔を歪めた。
「複雑なんてものじゃ片付けられない感情が、ぐちゃぐちゃしてるわ」
「……俺もまだ慣れない、フィーナもそうだ」
フィーナは表情こそ出さないが、時折ため息を吐いては額に手をやって目を瞑ったりしてる。他の人らも口には出さないが、やりきれない気持ちは残っている筈だ。
「本当はな、こんな事を思っていけないと思ってる」
「言ってみて」
「……ドレッドは怪物だ、相互理解なんて出来ないって思ってしまってる」
素直な感想を吐露する。
俺とフィーナは部隊の中でも、比較的冷徹な判断を下せるという事で、幾つもの任務にて厳しい意見を敢えて言ってきた。救えない人間は見捨てて、まずは確実に助かる人間を救うよう提言したりと、セリアたちの良心に引っかかってしまうような問題が起きた時に汚れ役を買って出たりしていた。
だけど今回の件は別だった。
セリアにとってライルというのは絶対割り切れない存在だ。
「第一……ヘラルドの力を使えるって、安全なのかという疑問が出てくる」
ヘラルドの機能というのは未だにわかってない事が多い。
人が作り出したものなのに――と思うが、彼らはもう人間を超えた知能を持つ機械生命体である。謂わばエイリアンみたいなものであり、現時点でヘラルド壊滅の有効打はわかっていない。
そんな存在によって変異させられたライルは、果たして人間と言えるのだろうか。
「いつか俺たちに牙を向けて来る可能性も……って、悪いなセリア」
「ううん、わかるよゼインの言いたい事は」
セリアも頭に過った事はあるのだろう。
俺の言いたいことなんて、とっくの昔に思いついている。
その上で彼女は言った。
「ゼイン、フィーナと一緒に……得意な分析で、彼らを見てあげてほしい」
俺は少し黙った。
「分析、で……ね」
「うん。私も最初の頃は同じ事を思ってたよ。いつか牙を向けてくるんじゃないかって、信じていいのかわからなかった」
セリアは遠くを見た。
ライルがいる方向だった。
「でも向き合って、ちゃんと見ようとしたら……やっと見えてきたものがあったから」
にこやかに言った。
作った笑顔じゃなかった。
それが余計に俺には眩しかった。
「メイリンもそれでディオと仲良くなったんだから、きっと大丈夫だよ」
そう言われて俺は反射的にメイリンを探す。
すると少し離れたベンチに、メイリンとディオが並んで座っていた。メイリンが何か話していて、ディオが静かに聞いている。内容は聞こえない。でもメイリンの顔は笑っていた。
3年間、あいつの顔がああなったのを俺はほとんど見た記憶がない。
戦果の報告をする時も、作戦会議の時も、任務中も。メイリンはいつも毅然としていて、感情を表に出さなかった。副隊長として当然の振る舞いだと思っていた。
それが今ドレッドの男と並んで笑っているのは、きっと何か思うところがあったからだろう。
(……参ったな、反論する材料が消えた)
「……わかった」
俺は短く言った。
「分析なら得意だ。向き合ってみる」
「よかった」
セリアはそれだけ言って、また水を飲んだ。
それ以上は何も言わなかった。押し付けがましくない。それがセリアというやつだ。
俺は立ち上がって、フィーナを探した。
少し離れたところで端末を触っていた。
「フィーナ」
「ん?」
「イリンに話しかけに行くぞ」
「……急にどうしたの」
「仕事だ。分析の続き」
フィーナは一瞬俺を見て、それからメイリンとディオの方を見た。
「……セリアに何か言われた?」
「そう思っていい」
(怪物かどうかは……自分の目で確かめるしかない)
分析が得意なら、使えばいい。
それだけだ。
◆
「私と行動したいだと」
「ああ、フィーナと一緒だが……迷惑か?」
「すまないね、イリン」
「別に問題ない」
訓練が終わり、私――イリンはすぐに自室に戻ろうとしたが、いきなりゼインとフィーナに話しかけられた。2人はサポートとして優秀であり、私が前に出ても問題ないように戦場を
しかし2人は私たちに対して苦手意識があるのか、あまり絡もうとしない。だから私も話しかけることはしなかったのだが、何か心境の変化があったのだろうか。
「普段は何する事が多い?」
フィーナが問う。
「私は鍛錬が多い、どうやら
「訓練終わったばかりなのに? 休まなくて平気?」
「私はこんな身体だぞ? さほど休息は必要ない」
疲労らしい疲労というのは恐らく、私たちにはない。
ただ流石に肉体を何度も破壊され、自分の機能を上回るダメージを負えばその限りじゃない。
我々は不死身じゃない。
壊れにくいだけだ。
「俺たちは今後チームで活動する、相互理解が必要だと言われただろう」
「それもそうだが、見ていてもつまらない内容だ。それでもいいなら構わない」
「……見ていくさ」
考え込むゼインを他所に私はいつもの場所に向かう。
2人がついてくる気配を背中に感じつつ、廊下をいくつか曲がって自室の扉を開け、まっすぐキッチンに向かった。
「……キッチンがある」
ゼインが呟いた。
キッチンぐらいはわかるだろう。
「標準装備だろう、変なことか」
「いや、そうじゃなくて……鍛錬と言っていたから、てっきり訓練スペースにでも行くのかと」
私はエプロンを手に取る。
なるほど……言い方が悪かったのか。
「鍛錬だぞ」
「……料理が?」
「そうだ」
2人が固まった。
ゼインは一瞬足を止め、フィーナに視線を向けた。フィーナはゼインを見て、それから私を見た。
「ふふっ」
フィーナが小さく笑った。
珍しいなと思った。あまり表情を出さないと判断していたが、どうやら違ったらしい。
「鍛錬って……料理の事なんだね」
「そうだ、何かおかしいか」
「おかしくはないけど……予想外すぎて」
ゼインは眼鏡を押し上げた。
立て直したらしかった。
「……理由を聞いていいか」
「昔から私は食事を振る舞っていたんだ、ライルたちにも作ってる」
私は冷蔵庫を開けながら言った。
「私たちにとって食事は必須じゃない。エネルギーは別の方法で補える。だが……作りたくて作っている」
本当にそれだけだ。
なぜ作りたいのかは、うまく説明できない。
ただライルたちが食べている姿を見ると、何か落ち着くような気がした。感情がないから確信は持てないが。
「中々上達しなくてな。空き時間があれば軽めでも作るようにしている。上手くなれば……きっと私にとって良い事だなら」
ゼインとフィーナは顔を見合わせた。
「……今は何を作る気だ」
「最近は焼き菓子だな、レシピをユリア教官からインストールしてる」
私はボウルと小麦粉を取り出した。
バターと砂糖と卵も並べる。
「焼き菓子か」
「クッキーだ。単純な工程だが、微妙な加減が難しい。だから練習になる」
ゼインはしばらく黙っていた。
フィーナはカウンターに肘をついて、興味深そうに材料を眺めていた。
「……座っていいか」
「好きにしろ」
2人は椅子を引いて腰を下ろした。
私は材料を計り始めた。
しばらく無言だった。
でも不思議と、静かで悪くなかった。
◆
(意外だなー)
何か気を張った自分がバカみたいだ。
私は隣に座るゼインがため息を吐くのを見て、笑いながら熱心に作るイリンの背中を見つめる。あんな人外じみた戦い方をする彼女は、かわいいエプロンを着ているんだ。
このギャップがおかしくないわけがない。
「ねえイリン」
「何だ」
「昔からよく作ってたの? 料理」
手を動かしながらイリンは少し間を置いた。
答えるか迷っているのか、それとも記憶を探っているのか。
「……かすかにだが、そうだったと思う」
「どんな?」
「シティの外で育ったんだ、私は」
バターを溶かしながら、ぽつりと言った。
「食べるものが満足にない場所だった。あるものでどうにかするしかなかった」
私とゼインは黙って聞いた。
「その場所はスラムだった、悪い人が支配していて……ヘラルドに殺されるより、人に殺される可能性が高かったんだ」
その情報は私たちも知っている。
シティだけじゃなく……この地球上にはシティに属さない人が、細々と生きている。勿論彼らを全員保護出来ればいいのだが、中には悪い人もいる。シティの中にさえいるのだから、当たり前ではあるが……外の人は悪人の割合が高い。
当然外から来たというだけで差別されたりもする。
きっとイリンはそんな苦労を重ねたのだろう。
「食べるものが満足にない場所だった。あるものでどうにかするしかなかった」
私とゼインは黙って聞いた。
「自分より年下の子が多くてな。腹を空かせているのを見ると……放っておけなかった」
イリンの手が止まらなかった。
ボウルの中を混ぜながら、淡々と続けた。
「食材を集めて、何か作った。たいしたものじゃない。煮るか焼くかするだけのものだ。だが……喜んでくれた」
感情のない声だったが内容を覚えている辺り、彼女にとってはかけがえのない記憶なのだろう。
(なんか切ないな……覚えてるのに……何も思えないなんて)
ユリア教官はこう言った。
彼らは力を代償に全てを削ぎ落としたと。
この世界では確かに力は大事だ。
でも彼らはそんな力より大切なものを無くしたのだ。
「名前とかは覚えてないなら……顔は?」
「顔も朧気だ。だが……小さかった事は覚えている。私の腰ぐらいまでしかなかった」
「そう……なんだな」
ふと横を見ればゼインも難しい顔をしていた。
「そうだ、2人のことも教えてくれ」
するとイリンが振り返って言った。
「相互理解なら私も知らなければならない」
「いいけど……私の入った理由って、しょうもないからね」
私は少し考えてから、口を開いた。
なんかこの話をする度に、昔の自分が情けなくなる。
「私はハッキングの能力を買われて軍に入ったんだよね」
「ハッキング……なるほど」
「遊びでシティの管理システムに侵入したの。悪意はなかったんだけど……面白そうだったから。今思えばクソバカだけどね」
イリンは生地を天板に並べながら聞いていた。
表情は変わらないがしっかり聞き耳を立てているのはわかった。
「問題になったけど……腕はいいから軍にスカウトされた。それだけ」
「それだけ、か」
「うん、それだけ。正義感とか使命感とか……そういうのは正直よくわからない。ただ面白い情報と謎が一番集まる場所が軍だったから、気づいたらここにいた」
私は成り行きに任せてここにいる。
センチネルに適性があるなんて思わなかったし、むしろ私の力が増していくのではと期待したからセンチネル部隊に入った。
「お前は正直だな」
「嘘つくのが面倒なだけだよ」
私は肘をカウンターについた。
「ただ……ゼインと組んでから変わった部分はある」
「変わった?」
「守りたいって思うようになった。初めてできた、ちゃんとした仲間だからね」
横でゼインが僅かに動いた気配がした。
視線を向けると、眼鏡の奥で目を逸らしていた。
わかりやすいなコイツめ。
「ゼインは?」
イリンが今度はゼインに向いた。
ゼインはしばらく黙っていた。
眼鏡を押し上げて、天板を見た。
「……俺は昔から浮いていた」
静かな声だった。
「知能が高すぎると、周りと話が合わない。子供の頃から同世代に友人ができなかった。大人には重宝されたが……それは俺という人間が必要なんじゃなくて、俺の頭が必要なだけだった」
ゼインはメイリンと違い、シティの中に生まれた突然変異である。一般市民の生まれながらずば抜けた頭脳で下から成り上がったパターンだ。それ故に自分に自信があるプライド高い奴だった。
「軍に入ったのも同じ理由だ。ここなら俺の知能を必要としてくれる場所があると思った。実際そうだった」
「でも……」と私は続けた。
「ゼインが本当に変わったのはセリアたちと組んでからだよ。初めて頭じゃなくて、ゼイン自身を必要としてくれる人たちができた」
「フィーナ、余計な事を言うな」
「事実じゃん」
多分私が1番こいつと衝突した。
プライド高いし、上から目線だし、犯罪者とかしつこかった。でも私たちはお互いの力を認めていた。素直になれなかった私たちを繋ぎ止めたのは――
「セリアがいなかったら私たちはバラバラだった、それだけは確か」
「なるほどな……」
イリンは手を止めた。
私は何気なく思ったことを聞いた。
「ライルも……貴女たちにとって大切なんでしょ?」
「…………そうだな、ライルは……以前の私が1番好いていた異性だしな」
おっと……まさかこんなとこで告白とは思わなかったぞ。
「大胆ねー……」
「ライルも知ってるぞ? ただこれは私に焼きついた記憶の残滓だ。本当の好意とは違う」
するとイリンはしみじみと語る。
「私の中にあるのは……ライルへの想いと強さへの執着だ。スラムにいた時はとにかく搾取される側だった。それが腹立たしく感じていた幼い私は、センチネル部隊に救われた」
どんな人が助けてくれたかは覚えてないがな――と彼女は付け足す。
「私はその時に力があれば……逆境を覆せると理解したのだ」
「なら……イリンは最初センチネルのテストを受けたとか?」
「ああ、受けた。そして落ちた」
だから彼女は一般兵科に来たのかと納得した。
全ては奪われないためにと思って、彼女は戦う道を選んだのだ。
「一般兵科に移っても……強くなって、奪われない強さを持つと決意したのに、私は結局ライルと一緒に死んだ。私にあるのは……もう奪われたくないという、亡霊になった人間のイリンが遺した残滓だ」
「そんなことはない」
私はびっくりした。
ゼインがいつもの冷たさを押し込んで、熱さを宿してイリンに言っていた。
「お前はちゃんと生きている」
「何故そう思った?」
「今菓子作ったりしてる上に、ライルを守ろうとしてる行動をとってるだろ? これを見て死人とは言えん」
ああ……そうか。
セリアが感じたのはこういうことか。
彼らは自分の事なのに、何か他人事のように認識している。
それが酷く痛々しいのだ。
「今いるお前も、ドレッドになるお前も同じだ」
「中身は違うぞ」
「いーや同じだ、じゃなきゃ何故そんな人間臭い。自覚がないだけだ」
イリンは黙っていた。
返す言葉を探しているのか、それとも処理しているのか。
「あ、そろそろかな?」
「そうだな」
私はオーブンを見て、そろそろ焼き上がる頃だと暗に知らせる。ボーっとしたイリンを見て、私も思った事をいう。
「ねえイリン」
「何だ」
「スラムの子たちに作ってたご飯、覚えてないって言ってたけど……喜んでくれたのは覚えてるんでしょ」
「……ああ」
「それって十分だと思う」
イリンが私を見た。
「覚えてなくても、誰かが喜んだ事実は消えない。イリンがいたから、あの子たちはお腹いっぱい食べられた日があった。それはドレッドになっても、記憶が朧気になっても、変わらない本当のことだよ」
ゼインが眼鏡を押し上げた。
「フィーナの言う通りだ。過去は変わらない。お前がやった事、守った事、作った事も全部本物だ」
室内が静かになる。
イリンはしばらく私たちを無表情で見ていた。
でもその目が……少しだけ、違う気がした。
「……そうか」
たった三文字だった。
でもその声は、さっきより少しだけ柔らかかった。
その時オーブンが音を立てた。
「焼けた」
イリンが立ち上がって天板を取り出した。
小さく丸いクッキーが綺麗に並んでいた。
しばらく冷ました後、イリンは皿に移した。
そのまま2人の前に置いた。
「食べろ」
「いいの?」
「当然だ、鍛錬に付き合ってくれるというのは……食う事も含まれてる」
素っ気ない言い方だけどちょっと優しさがあった。
私は一つ取ってかじった。
「……美味しい」
素直にそう思った。
素朴な甘さだけど、とにかく優しい甘さがした。
「本当か」
「本当。ゼインは?」
ゼインが一つ取った。
かじって、少し間を置いた。
「……悪くない」
「それゼインなりの絶賛だから」
「うるさい」
イリンは自分では食べなかった。
ただ2人が食べるのを、静かに見ていた。
「次はもっと上手くなる」
ぽつりと言った。
「楽しみにしてる」と私は言った。
「……俺も」とゼインが言った。
イリンは何も言わなかった。
でも小さく、本当に小さく頷いた。
窓から夕方の光が差し込んでいた。
クッキーの甘い匂いが部屋に残っていた。
(私も反省しなきゃね)
彼らは怪物なんかじゃなかった。
私たちが勝手に怖がっていただけで、彼らはちゃんとした人間だった。
◆
セクションゼロの執務室は常に薄暗い。
ユリアはホログラム投影端末の前に立っていた。壁面に青白い光が広がり、3つの人影が映し出されていた。いずれも顔が判別できないよう処理されている。セクションゼロの幹部たちだ。
《経過報告を聞こう、ユリア》
中央の人影が言った。
「ドレッドの心理的変化について、現時点では悪影響は確認されていません」
ユリアは淡々と答えた。
「ナノボットとノウスコードの干渉による人格崩壊の兆候もなし。感情の残滓は各個体で異なりますが、制御不能な暴走には至っていない。戦闘時の判断も安定しています」
《ブルーコメットとの関係は》
「徐々にですが、親睦を深めています。当初は相互に警戒心が強かった。しかし訓練期間を経て、個別での交流が始まっています。セリア・クリステスとライル、メイリン副隊長とディオ、ゼイン・グランツとフィーナ・クロスとイリン……それぞれが接点を持ち始めた」
《想定より早い》
右の人影が言った。
「ライルの記憶の残滓が予想以上に機能している。それが他のドレッドメンバーにも良い影響を与えていると見ています」
ユリアは続けた。
「総合的に判断して、現段階のフェーズは順調です」
しばらく沈黙が落ちると中央の人影が口を開いた。
《ならば次のフェーズに移行しよう》
「……次のフェーズというのは」
《心理的負荷の検証だ》
ユリアの表情が僅かに変わった。
《悪影響がないのであれば、次は負荷をかけた状態での安定性を確認する必要がある。戦闘能力だけではなく、精神的な限界値を把握しておきたい》
「具体的には」
《人間との交戦だ》
左の人影が引き継いだ。
《シティの外に存在する、人間の武装組織との交戦を想定している。ちなみに彼らはヘラルドとも関係性があると疑われている。出来ればこいつらは早いうちに叩いておきたい》
ユリアは動かなかった。
《治安維持の一環だ。シティ・アルタの外縁から南東、廃棄区画に拠点を構える武装勢力がある。かねてより問題視されていたグループで、密輸や人身売買に関与している。今回はその制圧作戦をドレッドに担わせ……ついでに心理的な変化を確かめる》
「……ヘラルドではなく、人間を殺めろと。しかもある程度絆した上でですか」
《そうだ》
ユリアは一拍置いた。
「理由を聞いていいですか」
《ヘラルドは機械だ。ドレッドがいくら破壊しても、心理的負荷は限定的だ。だが相手が人間となれば話が変わる。躊躇、葛藤、罪悪感——感情の残滓がある以上、それらが発生する可能性がある。その状態での安定性を確かめたい》
中央の人影が続けた。
《もし感情の残滓が戦闘判断を歪めるなら、早急に対処が必要だ。本格的な実戦投入前に把握しておかなければならない》
「……なるほど」
《異論はあるか、ユリア》
ユリアは少し黙った。
「異論ではありません」
静かに言った。
「ただ確認させてください。ブルーコメットも同行させますか」
《必要ない。ドレッドのみで行わせろ。ブルーコメットの役割は……終わった後だ》
「わかりました」
ユリアはホログラムを見たまま言った。
「実施時期は」
《訓練期間の終盤、合同作戦開始の2週間前を予定している。詳細は追って送る》
「了解しました」
ホログラムが切れた。
執務室が暗くなった。
「ふむ……」
ユリアはしばらく動かなかった。
窓の外に目を向けた。
遠くにブルーコメットとドレッドが交流している建物の明かりが見えた。
(人間を相手に戦わせる、か)
ヘラルドは機械だ。
壊しても、罪悪感は生まれにくい。
だが人間は違う。
たとえ犯罪者であっても、人間を殺す事がどういう意味を持つか——感情の残滓がある彼らには、わかってしまうかもしれない。
ユリアはコートを羽織った。
(私が見届けると言った。最後まで、そうする)
何があっても自分だけは側にいると決めた彼女は静かにその場を去った。