独裁官と転移者の憤り 作:匿名
大博多寛文は、誇り高き日本男子の徒であった。
日露戦争に出征した叔父に憧れ、大東亜戦争で命を散らし、気がつけばこの見知らぬ地へとやって来ていた。
彼は今、自分と同じ境遇にある者へ向けて、伝えたいことを紙に書き連ねていた。
一、この世界で地球の知識を無闇矢鱈に広めてはならない。
知識はあっても複雑なものは作れないのが実情だ。大量生産の目処が立ってから、信頼できる極少数の仲間にのみ話すべきである。
二、地球に関する知識は、相手も同等かそれ以下に持っていると想定せよ。
三、体制を批判する言葉を大っぴらに口にしてはならない。
当然のことだが、これで危機的状況に陥る事例は多い。我らの言葉は異世界人には母国語として伝わるが、異世界人同士の言語の壁は厚く、他民族への警戒心は想像以上に強い。
四、服の色に気を配れ。高貴な色とされる青色は避けるのが無難だ。
豪華さを求めつつも、本心では一歩引いた堅実さをよしとする彼らの気質を理解せよ。
五、態度。これが最も重要かもしれない。
誰彼構わず頭を下げるな。転移者は武力を期待されている。だが、転移者だからとふんぞり返れば、あっさり死ぬことになる。
地球での弓矢は野蛮という常識は捨てろ。彼らの最新鋭は我らの前近代的かもしれないが、客観的に見て異世界人は極めて強力だ。統制の取れた職業軍人が闊歩し、兵士の練度は極大で社会的地位も高い。
六、敵に回した場合は、素直に投降せよ。
軍事力は白兵戦重視だが、戦術面は我らを超越し、通信分野は一九四三年当時の地球と遜色ない独自発展を遂げている。銃はなくとも、機動力に長けた馬からの騎射は極めて有効な脅威となる。
七、祈祷と技術体系を理解せよ。
祈祷は彼らにとっての化学であり科学だ。衛生面も進歩している。だが戦乱が起きれば生存は困難となる。敵に同じ転移者が紛れている可能性があるからだ。
八、どの陣営に加入するかを慎重に見極めよ。
祈祷は信仰に基づくものであり、我らの異能も祈祷と解釈される。それは神を信じていると思われ、求心力に直結する。裏切りは敵味方双方からの不和を招く。戦乱が起きたら迷わず逃げ、五年間は様子を見るのが賢明だ。この世界で一年以上続く戦闘は極めて少ない。
我らは死してこの地へ来るが、ここは煉獄ではなく、現世である。以上の鉄則さえ心得ていれば、並大抵のことは切り抜けられるだろう。
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寛文は、手元の紙にそう書き記した。
ペンを握る彼の手の傍らには、すでに同じような文面が書かれた紙が何十枚と積み重なっている。
文字はすべて日本語であり、右から左へ向かって縦書きに統一されていた。こうして書かれた言葉は、異世界人には自動翻訳の対象にならない。
(自動翻訳には、明確な切り替え方が存在する)
左から右へと横書きにすれば異世界人にも読める言葉に翻訳されるが、右から左へと縦書きにすれば翻訳機能は働かないのだ。その事実に気がついてから、寛文はこの書き方を徹底していた。
彼は書き上げた紙の一枚を手に取ると、部屋に置かれた祈祷の箱へと放り込んだ。
寛文が使用しているインクは、特殊な素材を調合したのものだと、商品棚に書いてあった。
このインクは異世界特有のインクだが、この特殊なインクは熱を加えると色が消え、冷やせば再び文字が浮かび上がる。
おそらくこんなインクを地球で作ろうとするのなら、100年の月日が流れても、たとえ200年の時が流れようとも不可能だ。
さらにこのインクを使っているペンさえも超技術の塊だ。
非常に小さなミスリルのボールを先端に取り付け、インクを紙に染みさせる。
軸先はころころと転がり、勝手にインクが補充される。しかもインクの交換をするには管を引き抜いて新品のものを入れれば良い。
こんな超技術の塊が気軽に売り買いされ、安価に出回る。
(まったく、異世界は技術の進んだ先進国ばかりで恐ろしい。)
その心は本心だ。寛文は、本当に技術の進んだ先進国だと未知の世界の国々を見ている。
紙を入れた祈祷の箱は、分厚いミスリル製の扉が付いた頑丈な金属箱だ。
祈祷の力を纏いやすい性質を持つミスリルは、この世界で盛んに採掘されている。
地球に無い金属だが性質はおおよそ鋼鉄に似た、けれど決定的に違う部分がある。融点は一六〇〇度後半と鉄に近いが、それでいて加工の汎用性が異常に高い。
(ミスリルは本当に奇妙な金属だ……まるでアルミニウムのように多岐に渡る用途があり、鉛のように豊富だ。)
(鉄もミスリルも豊富に地面から掘れるとは。なんと豊かな星だろう、この世界は。)
(ははは、なんと素晴らしい世界だ。)
思案を巡らせつつ、ふと紙の上に文字が書けなくなり、インクが切れたことを悟る。
「ふう、今日のところはここまでにしよう」
寛文は残念そうにしつつも椅子から立ち上がり、キッチンへと向かった。
視線の先にある祈祷の箱――それは、この世界ではごく一般的な調理器具として売られているものだった。
扉を閉め、レバーを倒してスイッチを入れる。途端に庫内の温度が上がり始め、紙に書かれたインクの文字がみるみるうちに透明になっていく。
どのような原理で発熱しているのか、地球の知識を持つ寛文にもさっぱり分からない。
遠赤外線とやらを使うらしい。だがそれはまるで探知機のようなものだ。おそらく、潜水艦のソナーと似た原理だろうとだけ考えつつ、この世界独自の技術かもしれないと思い至って思考を止めた。
(まるで自分だけが未来の世界に来てしまったかのようだが、この無骨な灰色の塊はなんと素晴らしいことか。)
(純粋に道具としての利便性を見れば、これほど素晴らしいものはない!)
何度見ても不思議なものだ。物を入れると勝手に温まる。
寛文が加熱が終わり、扉を開けて取り出した時には、紙はすっかり熱を持ち、ただの白紙に戻っていた。
(キッチンに立ったついでだ。昼食にでもするか)
(それにしても、加熱弁当とは本当に素晴らしい発明だ)
冷蔵庫から取り出した紙パックの容器には、これまたミスリル製の蓋が被せられている。
熱を伝えにくく冷えにくいミスリルは、急激な温度変化にも耐えうるため、こうした食品容器などにも多用されているのだと、案内人から聞いた。
寛文は白紙になった紙の束を退かすと、入れ替わりに弁当箱を祈祷の箱の中央へと置いた。
休日となれば、寛文はもっぱらこうして一人で過ごすことが多かった。
この世界には、転移者と呼ばれる存在が思いのほか多く存在している。およそ四十五人以上の人間が、満月の夜を迎えるたびに地球から呼び出されているらしい。転移者の誰もが何らかの強力な異能を与えられているというのに、それでもなお、この世界の住人たちのほうが遥かに強大だった。
(彼らの持つポテンシャルには、どうしても恐れを抱かずにはいられない)
豊富な金属資源に加え、祈祷という力は、あまりにも容易く人の命を救ってみせる。
火事が起きれば祈祷によって水を効率よく集め、燃え盛る家屋へと的確に浴びせかける。
するとたちまち鎮火し、周りの建物に至ってはそもそも燃えない。
プレートとやらを埋め込んだりして作る家は奇妙なものだ。見た目は木とコンクリートの家なのに、すぐ壁の内側には発泡する断熱材が入っているのだという。
都市は病が流行すれば速やかに患者を隔離し、風の流れを操って街から淀んだ空気を追い出してしまうのだと。
しかし、そんな強大な異世界人たちにも出来ないことが、寛文には出来た。
彼の異能はあらゆる物を透かして見るというものだった。
【透視】と命名された能力は、似たような異能を持っている者が豊富にいることを示していた。
寛文はこの透視の能力を用いて、街で様々な商売を行っていた。人々の体を透視し、関節に溜まった結晶などの病巣の位置を正確に当てるのだ。
医者もどきの行為ではあったが、外科的処置が極端に発達したこの独特な医療体制の中において、寛文の能力は内科医のような役割を果たし、重宝されていた。
この世界の医療は、悪くなった部位を自ら切り落とし、祈祷によって新しく生やし直すという力技が基本だった。麻酔薬のような役割を果たす祈祷を扱う術師も存在し、痛風の治療すら一週間で完治してしまう。
その事実を知った時、寛文はひどく驚愕した。地球においては、痛みのあまり自ら命を絶つ老人もいる凶悪な病だ。贅沢な食事によって体のあちこちに不調をきたすその症状を、異世界の人々は生活習慣病と呼んでいる。
(ただ普通に生活しているだけで痛風になるほどの生活水準を、この異世界はとうの昔に達成しているのか……)
食料が溢れ返って困るような時代が、地球以外の場所にある。その歴史の皮肉さに、寛文は思わず涙したほどだった。
(食品の保存技術も恐ろしく発達している。冷蔵庫という発明には感嘆するしかない)
(地球にも似たようなものはあったが、安価で大量生産するとなれば到底不可能だった。それがこの世界では、少し値は張るものの、庶民でも手が届く道具として当たり前のように存在しているのだから)
文明の根本的な在り方が違うのだと、彼は折に触れて痛感していた。
地球では潜水艦などの特殊な環境にしか無かった冷蔵庫が、ここでは何万個と量産され、一般家庭で毎日のように稼働している。透視の力を持つ寛文には、その内部構造のすべてが見えていた。しかし、精巧な時計のように美しく複雑怪奇な祈祷の機構は、構造を見ただけで理解できるような代物ではなく、彼はただ途方に暮れるしかなかった。
ふと小さな音が鳴り、寛文が祈祷の箱へ視線を向けると、すっかり弁当の米が温まっていた。
(戦地での野営の時に、この装置があればどれほど良かったか)
ほかほかと湯気を立てる弁当を見つめながら、寛文の脳裏に八ヶ月前の記憶が蘇る。
あれは異世界へ転移してきてすぐ、一日目のことだった。現地の者から「銃を知っているか」と尋ねられ、寛文は咄嗟に「知らない」と嘘をついた。
隣にいた学生服の日本人は無邪気に何かを答えていたが、寛文は聞いていないフリを貫き通した。
結果として、正直に答えた学生はどこかへ連行され、寛文は別の部屋で待機させられることになったのだ。
その後、医者を志望していると言ったら、途方もない時間、人体解剖図やら何やらを見せられ、そして職能訓練を受けさせられた末に、彼は透視能力を活かして医者もどきとして活動する道を得た。
(あの時、もし銃を知っていると答えていたら、自分はどうなっていたか分からない)
得体の知れない超自然的な力が働いているのだと、寛文は本能的に察知していた。
思考を切り上げ、寛文は食事に取り掛かった。
この世界でも稲作は主流のようだが、その味は地球のものを遥かに凌駕している。甘く艶やかで、とにかく美味い。これに比べれば、生前食べていた日本の米など、もはや単なる消し炭のようなものだった。
食事の道具に箸はなく、フォークとスプーンを使うあたりはまるで西洋の国のようだった。国家は非常に豊かで、たまに争いが起きるものの、すぐに収束してまた平和な日常が戻ってくる。
しかし食事は米があった。日本のものとは似ても似つかぬ味は最初は慣れなかったが、食べれば食べるほど美味く感じる。
案内人は、日本人を多く相手しているようだ。
本人に聞いてみたところ、地球の国やら文化やらはある程度理解しているとのことだが。
西暦と和暦についても、完璧に答えていた。
案内人には頭が上がらない。異世界での常識とやらを叩き込んでくれた。
その時、まるで地球の固定観念というものがすっかり解きほぐされるような気分だった。
面白いことに諸地域に共通して、食事はだいたいフォークとスプーンで事足りる文化だった。金属で作られたものもあれば、香木を削り出して作られた高級なカトラリーまで存在する。
異世界人は良い香りや雰囲気といった情緒的な要素を何よりも重視し、生活の質の向上にひどく執着する傾向があった。寛文の暮らす街でも、夜の照明は目に優しい暖色ばかりで統一され、街全体には常に爽やかな柑橘類の香りが漂っている。
郊外の盆地に広がる段々畑には立派な石垣が築かれ、地滑り対策も万全だった。街の全周囲を広大な農地で囲み、中心部に都市機能を集中させるという、随分と贅沢な土地の使い方をしている。
余剰生産力は、当時の日本の十倍以上は優にあるだろう。
(正確な人口は分からない。だが、主要な街道にミスリルの膜を張って路面を手入れできるほどの労働力と資本があるのだ。相当な数の人間が暮らしているに違いない)
寛文は紙パックの温かい食事を口に運びながら、窓の外に広がる豊かで奇妙な異世界の街並みに思いを馳せた。
ここがミスリルの産地だということもあるだろうが、それにしても豊かだ。道路の下には温水管というものがあるらしく、冬にはこれが雪を溶かしてくれる。
温泉も湧いていて、山頂の方に近づくにつれて黒ずんだ路面になる。
やはりここは異世界の中でも屈指の先進国だけあるらしく、化学知識もかなりある。
地面から硫酸を作ったりしている上に、黒ずんだミスリルの路面を定期的に剥がしては清掃員が循環型経済やら何やらと、異世界ではよく耳にする。
しかし、寛文には疑念があった。
この世界には大昔から転移者がやって来ている。言葉等もそれが大いに影響を与えていると、考えられるのだ。
(本来、英語とはイギリスの言葉なはずだが……単語として英語もしくはラテン語に属するものが極めて多い。)
(しかし慣用句は日本のものや中国のものが混じっていたりと、地球の知識が異世界には何故か多い。)
(そして政治体制もそうだ。)
(官僚制が極めて普及しており、共和制国家が多くある。)
(建築様式もそうだ。)
(まるで西洋の建築のような古臭い街から、木造建築が主な東洋の街まで。異世界でも地球でも気候帯がちがければ似た形になるとしても……なったとしてもあまりに不自然だ。)
(先人たちが地球の知識を広めたとしか思えない!)
寛文は米を食べつつ、思案を巡らせた。誰に配るわけでもない心得を書いたりしたのは、自分が不安だったからかもしれない。
(軟弱千万、九州男児たるもの、もっと剛健でなければならない!)
しかし飯がうまい。本当にうまい。
毎日が幸せだ。
これを当然のように享受できる世界というのは、まさに"異なる"世界だ。
彼は透視の異能を使い、ふと自分の腹部を見た。贅沢な食事のおかげで、少しばかり贅肉がついているのが見えた。
(……これでは叔父貴に合わせる顔がないな)
そう考えながらも、彼は温かい弁当を平らげた。この高度すぎる平和の中に、いつまで自分がいられるのか。
10年、あるいは50年。それとも100年?
その答えも、人体を透かして見通すこの力で覗けたらどれほど楽だろうかと考えながら。