独裁官と転移者の憤り 作:匿名
「加速宣言?」
老いも若きも、その紙を見た。
郵便の祈祷によってポストはあらゆる場所に繋がり、情報の密度も極めて高くなっている。
ポストへの投函は紐付けがされた別の物が必須となる、という欠点こそあれど、情報の交換速度という点において圧倒的な優位性を示し、今日までの郵便制度の肝となっている。
「へえ、いいじゃん。穀物法の廃止かあ」
都市の若者は、その文言を見て笑う。
農村の老人などは、その文言を見て涙する。
開拓地における富の偏重を解消する、その一点を追求すると加速宣言の中には書かれていた。
その内容は穀物税を主とし、文面はすべて新しく施行される法律に終始している。
「ああ、天地がひっくり返った。もうダメだ……」
農夫は終わりを悟った。
牛を平均して五頭ほど飼い、そして牛たちに引かせる耕作鍬など、開拓地は農業を極大化していた。
対して、あまり大規模な農業をしているとは言えないが、牛を一頭飼い、田植えの時期には水を張ったりと、様々なことをしてきた。
新しい法律の施行はその落差……失われる資金など、さまざまな経済的ショックが極大化することを示した。
首都の郊外は過密が著しく、田畑は住宅地にするといって潰したり、自国産の米というものが消えていくことを農夫は悲しんだ。
開拓地の安価な麦や米は瞬く間に、自分の作物の価値を下げる。そうなれば、先祖代々受け継いで、他の小作農たちに借していた土地の価値も最早ない。
小規模地主。小作農を何人も飼い慣らし、農地と共に牛を貸し、不動の資産として資本を生み出す中産階級。
それらが一斉に、加速宣言を見てから顔を青ざめさせた───!
■
民会は大騒ぎ。元老院議員たちも大騒ぎ。暴挙と騒ぐ声が、あなたに聞こえた。
しかしあなたは、聞かなかった事にした。
開拓地の先にはハンニバルは居ない。
先代の執政官が各地の軍団長に命令して岸まで出征させ、田畑を築き、労働者を手に入れた。
(まったくもって開拓戦争は素晴らしい。)
(富も権力も自由自在。)
(だけど軍閥化しとるし、もっと牙を抜いときたいなあ)
行政的には最上位に立ち、誰も反対することはできない。六ヶ月間の玉座はタイムリミットが迫る。
しかし伸ばせる。加速宣言の実現が出来たら独裁官を辞めるとする事で、まだまだ延長が可能だ。
あなたは共和制を特段嫌いでもなければ好きでも無かった。
しかし、国をよくするためにはもっと良い方法がある、と思った。
だからこそ、その良い方向へと賢帝による指導が必要だ、とあなたは信じて疑わない。
地球の歴史で見れば個人による独裁は多々の動乱を巻き起こしたりと問題に繋がる。しかし、この世界……テラの歴史を見れば見るほど、個人による独裁はそれほど悪くないものへと変わる。
かつてこの世界に置ける主流な政治体制は大多数の国は王政であったが、それでも上手くいっていた原因は武力の頂点に立つ者が王になるスタイルだったからだ。
(かつては気に食わない命令は武力で逆らう時代だったらしいが、今の時代では法律がある。)
(法律をいじくりつつ、国の大多数の武力を保有し、動かす抑止力さえあれば、独裁体制への移行は簡単だ。)
「軍団長の役職は解任したはずなのになあ。やっぱり総督の地位に置いたのが間違いか……」
「ん……待てよ、役人を派遣して、役人に総督の地位を握らせたらよいのでは?」
「現に、私に忠実な開拓地の総督とかは納税をするし、新しい法律にも従ってくれる。」
「よおし、そうと決まったら、私に忠実ではない開拓地の潜在的な敵対者を取り締まるか!」
あなたは合点して、防音室の椅子から立ち上がる。
扉の先には近衛がいる。しかし、近衛が声を聞くことは無い。
石綿の繊維が声を吸着し、音を阻害する。
健康被害やら何やらがある建材だが、石綿はメジャーな建材でもある。規制をかけようにも何年も吸い続けないと影響が顕性化しないから進まない。
あなたは思案した。潜在的な敵対者の数を減らすにはどうしたら良いのか、と。
(まずは富である。彼らの富、穀物をより売れるようにしたのなら、敵対者の数は減り、忠実になるはずだ。ならなかったら制圧した後に公地にする。)
(最終的には、利益をまるごと吸い取りたいから併合する形にするけれど……まあお金儲けは皆が好きなことだろう。)
(私のことを支持してくれる元老院たちは怒るかな?でもまあいいや。この国を変えるにはこの方法しかない。)
(民会が悪法を望む以上、私が正さねばならぬ)
(民会が悪法を望み、元老院が縮小させようとしても、市民の意志を阻害するとして怒るのなら、私が正さねばならぬ)
あなたは悟った。
市民とは基本的に無知である、と。
■
エ・パウの人生には栄光があった。
軍団を率いる将として、農民らを守る責務を見出していた。
しかし、今は、その栄光が翳っていた。
六角形に自らの統治領域が敷き詰められ、紙面と四苦八苦しながら農民たちを招集した日は遠く、新しく着任した独裁官は自らを圧迫する。
何もかも、外周の開拓地を警護する将には武力を持たせ、それ以外の将には限定的な武力しか持たせなかった旧い執政官のせいである。
エ・パウは、旧い執政官の事をそれなりに好いていた。
開拓の夢を見せてくれた。土地の夢を見せてくれた。
しかし、新しく着任した独裁官のことは、極めて嫌っていた。
独裁官は執政官を陽謀し誅殺した。
訃報を聞き、そんなふうに思ったからだ。
こんなの、あからさまな謀が行われているとしか思えない、と。
汚職が次々と見つかり、執政官という極めて高い位の人物を一気に処刑。
また、独裁官は財産にも激しく干渉をする。
ある時、独裁官は黄金の雄牛を殺させた。
黄金の体を持ち青銅を食らう牛である黄金牛は、雌であれば溶けた金の乳を出し、雄であれば金の角を落とす。
エ・パウは、そのような横暴を許せなかった。黄金牛は人に寄り添う優しい心と、山岳と高原に住まう横暴な異民族を退ける力を持ち、ようやく我らが手にした最優の家畜だと思っていた。
溶けた鉛の溜まった浴槽に黄金牛を漬け、見るも無惨に溶かした!
エ・パウは憤った。開拓地では黄金の貨幣を用い、潤沢な経済を回していたからだ。
金は、さほど珍しくないありふれた金属だ。
しかし、いくらでも手に入るはずだった富が消えるとなれば、強い抵抗感を覚えた。
金で表面を覆えば、建物は腐らない。
金で表面を覆えば、橋に風情が生まれる。
金は何にでも使える金属だ。ミスリルに並ぶほど用途が沢山あり、船の重しにも使う。
その源泉たる黄金牛を殺すとなれば、エ・パウは怒った。
青銅を元老院は独占し、暴利で貸し付けている。
今までの貨幣で返せなくなれば、独裁官は青銅と同じ重さの分だけ、穀物を徴税すると言い出した。
穀物を、稲をタダで売れと言うのは傲慢だ。
エ・パウはそう思った。しかし、独裁官に忠実な者が多く、反乱をしてやろうと思っても、武力がなかった。
職業軍人が沢山いる中央に地方の農民兵が戦って勝つのは不可能である。
これは必然だ。
品質でも、数量でも劣っている農民兵は、職業軍人と戦った場合、圧倒的な不利となる。
戦闘では勝てるはずがない。だからこそエ・パウは隷属を選んだ。土地を国家に差し出せば、破滅的な徴税を免れる。
公有という選択肢を自分からさせる。私有財産の否定に他ならず、多大な屈辱を味わった。
辛酸を舐めるような気持ちで部屋の郵便受けから通知書を出し、サインをした。
独裁官が憎い。しかし、反抗する気も起きない。
エ・パウは一瞬にして総督の地位を失い、市民として戻ることを命じられた。なんとひどい事の顛末だろうか。
たった一度、徴税の過激さについて苦言を呈しただけである。それだけで総督の地位を失い、私兵を解散したと通知書が届けられた。
中央の判断は冷徹である。郵便の祈祷によって情報は双方向に早く伝わり、遠く離れた開拓地でさえも、郵便の祈祷が届く場所であるならば管理される場所になる。
【私有地の公有化】……最も恐ろしいことが起きた。
戦々恐々と他の総督たちは併合を選び、外周の将たちに至っては独裁官を排する方針を見せず、むしろ尊重する方針を見せた。
こんな悪法、エ・パウは飲めるわけがなかった。しかしサインをしてしまった以上、今日からただの市民である。
行政区画として六角形の版図が残るだけになり、自分の土地という証は消える。
寂しさを感じつつ、エ・パウは取り返しのつかないことをしたと後悔した。