独裁官と転移者の憤り   作:匿名

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第五話

 

 

【港湾労働者】

 

船造りなどに従事する内陸の造船労働者と比較し、非常に過酷な労働条件を持って働く人々。

 

往々にしてハードな労働を伴っており、有給申請は受理されるが基本的に出勤しなければならない。

 

そのような環境で何度も労働組合を勝手に作り、ストライキ運動などを用い、様々な抗議活動を行ってきた人々。

 

その人々が、報われた。

 

 

民会の議員たちは全会一致の上、決議案を元老院に提出した。

その結果、執政官らの相互拒否権が発動することなく、合意が行われた。

 

港湾労働者から民会に提出された抗議文を、求める法律に変換し、それを提出する。

 

極めて正当な手順によって結ばれた法律は、当時の抗議文で特に肝要な部分とされたものと、ほとんど同じ条文のままに法施行が行われ、労働者の権利を極めて明確に定めた。

 

有給休暇を取得したのなら、休日は出勤してはならない……労働者の核心のようなものが裁定された。

本来なら、私たちは抑圧されてはならない存在だ。

 

資本家はお金という人を飼う権力を元手に、さらにお金を増やす。まさに経済を踊らせる悪魔のようなものだ。

 

しかし、執政官や元老院は違うかもしれない。

労働者への権利を体制が認めたという点において、港湾労働者の権利が保証されたことは、私たち市民による社会の前触れだとも言える。

 

資本家たる悪辣な貴族階級は、もしかしたら廃れうるかもしれない。

富裕層に有利な法律を変えようとしている者が、元老院議員にいる可能性が極めて高い。素晴らしい名誉的な、理想的な貴族である。

 

 

 

 

 

 

雨が降っていた。ダムは水を湛え、その奥にある渓谷には水が満ちた。

低く垂れ、雷がチラチラと見える雲模様。

 

 

雨が降ればダムから運河に向けて素早く注水が行われ、幾つもの船が山を超えてゆく。

 

露天掘りされた貯水池はもはや大穴で、渓谷のダムに繋がっている。

 

ダムは並々ならぬ水量を持ち、次々と運河へと水を注いでいく。

 

似たような貯水槽は何十個もあり、排水した水を溜めていたりと、下層にゆくにつれて穴が多くなっていき、運河の周りはまるで蜂の巣のようだ。

 

 

 

 

その運河を行く船は、異様な外見をしていた。

 

ねじを二つ、向かいあわせに取り付けたかのようなものが下部に取り付けられ、それがグルグルと回っているのだ。

 

流れが止まり、浮いている中でも、水門の扉が開けば直ちにその船は直進する。

 

ドリル船、あるいはネジ船と呼ばれる船である。

 

 

この船の積荷はミスリル原石その物であり、同じような船が何百と連なって進んでゆく。

 

 

「船長、なんか前の船がおかしくありません?吃水線が高すぎますよ」

 

副操縦士はそう言った。

 

船の下側の塗料は吃水線を示していて、10センチごとに青色の目盛りが刻まれ、赤い船体下部が適切な積載量を自然と示す。

 

「うーん?まあこんなもんだろ。」

 

船長は、その言葉を何でもないように返す。

彼は舵をほとんど切らない。なぜなら航海の引率は先頭の船の仕事で、自分たちはただそれに同期して着いていけば良い。

 

「運河から載せんだよ、最初から満タンにしていったら途中の誰が荷物を積むスペースになるんだって話。」

「お勉強も大事だぜ?」

 

 

船長は副操縦士のことを嫌っていた。

 

普通、資格がなければ航海をすることは無い。しかし、船長をサポートする副操縦士はどうなのか。

 

副操縦士は国家資格を取らなくとも、計器航海以外……座礁の危険性などを申告する役割だ。

 

副操縦士とは名ばかりの操縦すらできない人間が多く就労する。

それを船長は嘆いた。

 

なぜ国家資格を取るために自分は二年間、教習学校に通い、なぜこいつは資格なしでも乗れるのか、と。

 

少なくともこいつよりかは絶対に自分の方が技術も知識もある。

 

そう思い、不和の種を口から滑らせてしまった。

 

 

副操縦士は少し不機嫌になりつつも、船の先頭を見た。

 

水平線までずーっと続いていく船の列。

 

 

運河は高低差が非常に激しい。水門を開け閉めして少しづつ下る。上りも同様だが、下りはとにかく遅い。

 

なにせ水を少しづつ抜いていき、船を通してまた注水し、船を入れたら、また水を抜くという工程を繰り返す。

 

もはや下がるだけで日が暮れそうなものだ。地図上では、たった10キロの高原地帯も、あまりに進むのが遅い。

 

何もかも、2690mというイカれた標高と、上り坂と下り坂の数が原因だ。

 

 

いくら船を上下させようが……まだまだ坂が待ち構え、山肌を弧を描きながら渡る運河である以上、

位置エネルギーやら何やらの影響で上に一度行かなければいけない。

 

高原地帯は傾らかだが、山岳地帯はまさに地獄の極み。

信じられないほどの時間が流れた。船長は既に朝の三時に出港し、時間が経過してようやく高原地帯に突入した。

 

ブロック数があまりに細切れなのだ。本当に、頭が煮えくり返るほど扉をくぐってきた。

 

いくつ水門を開けたかわからない。

 

しかしいくら7%オーバーの傾斜とはいえ、そこまで断続的に昇らせなくともよくないか……

 

 

そう思い、船長はずっと操縦を続けてきた。

 

 

 

副操縦士は船長のそんな言葉を聞いてから不機嫌そうに口を噤み、背後の景色に目を戻した。

はるか麓の彼方まで、銀色の楔が数珠つなぎになって続いている。

 

背後が見れるのはまさに観測手のありがたみ。

【鳥瞰の祈祷】によって、観測手が見た景色を副操縦士は共有している。

 

 

 

 

だが、麓まではほとんど断崖絶壁を登攀しているような角度だ。

 

運河は本当に地獄のような高低差を抱えている。

水門を開閉し、水を少しずつ抜き、船を通し、また注水する。たった十キロの高原地帯を越えるためだけに、一日の大半が浪費される。

その鈍重な歩みが、積荷の質量を際立たせていた。

 

 

積荷の名は、ミスリル。

 

あらゆるインフラの結節点に使われながら、常に欠乏している不変の金属。

 

比重にして、7.91。

鉄よりも重く、水に触れれば即座に沈んで行くその呪われた質量は、浮力という慈悲を拒絶する。

 

かつて、水に浮くほど軽い金属も発見された。だがそれは水に触れた瞬間に爆発し、人を拒む危険物だった。

油の中に閉じ込めなければ眠ることもできないそれらと違い、ミスリルはどこまでも従順で、そして重かった。

 

水に触れても一切錆びず、雨水だって平気だ。

 

だが、その耐久性をゆえ、需要は底なしだ。

 

熱を受けても一分の狂いも見せないミスリルは、庶民の蛇口から、街道の路面に至るまで、この国の高度な生活の骨格となっている。ミスリルがなければ、この国は一瞬で瓦解する。

 

ゆえに、国家は量で物理を殴り飛ばすことを選んだ。

 

何百というドリル船が、一筋の鎖となって山を越えてゆく。

船の後方に付けられた尾が、はるか横の運河の壁を削らんばかりに咆哮を上げている。

 

ドリルで作られた流れはあまりに整いすぎる。それゆえ波が大きくなってしまうのだが、この舵は水中で波を切断し、多少なりとも緩やかにしてくれると信じられている。

 

 

水を切り刻む、チチチという特有の音が、軽い船体を震わせる。

 

 

そして、ゴウンゴウンと船体を常に揺らすその音はドリルの音だ。

 

一隻の船に載せられる限界値は、物理の摂理によって決まっている。それを突破する技術革新がない以上、ただ数を連ね、雨による増水という自然の暴力に乗じて、この重すぎる必需品を押し流すしかない。

 

あえて賢くない表現を使うのなら、パワーが足りないのならパワーを増やせ……ということだ。

 

 

 

船着場に辿り着いた積荷は、直ちに加工センターへと運ばれ、各地へと車で運ばれる。

 

しかし長距離輸送の主役は、あくまでこの止まれない船団だ。

 

「……先頭の船が下がって行きました……遠くの船が、加速しています」

 

真一文字に口を結んだ副操縦士の報告に、船長は無言で頷いた。

 

誰でもできるような報告。だがもう怒る気力は無かった。こういう質の悪いボンクラ人間というのが、この世の中には沢山いる。

 

最初から、そんなもんだと諦めることで船長は折り合いをつけた。

 

緯度を合わせ、あらかじめ定められたルートを直進さえすれば、巨大な質量はノンストップで目的地へと運ばれる。その直線的な運航を支えるため、船着場は海へと長く、槍のように突き出していた。

 

だが、この直進という単純な命令を維持するためには、狂気じみた精度が必要だった。

 

彼らの積荷であるミスリルは、あらゆるインフラに必要不可欠でありながら、常に欠乏している。

 

 

船長は、副操縦士の言葉を右耳から左耳へと聞きつつ、前へと進む船の後ろ姿を眺めた。

 

 

 

一回の注水で複数の船が昇ることはできたが……しかし、かつての大事故から、降りの扉には一隻ずつしか参加出来ない。

 

 

国家は欠乏をも解決する量で決着を付けることを選んだが、しかし副操縦士と船長はこの物量こそがボトルネックなのだと思った。

 

何百というドリル船を数珠つなぎに走らせ、雨による増水を利用して山を越えさせる。

 

 

「あ〜……アイスボックスクッキー食うか?」

「さっきはすまんな。ピリついてたんだ」

「嫌なこと言っちまった」

 

船長は前を見ず、計器のみを見る。

 

計器を信頼せずして何が船長か。周辺の目視は副操縦士の仕事だ。

 

 

 

「いえいえ、気にしてませんよ」

 

 

謙遜なのか、煽っているのか微妙に分からない言葉を言いつつ、副操縦士は謝る。

 

懐からクッキーを取り出した船長は、副操縦士にひょいと差し出した。

 

「いただきます」

 

 

ポリポリと音が鳴る。どうやら冷蔵庫から取り出したばかりの冷たいクッキーだ。

舌先が凍えるような思いをしつつも……

チェック柄のクッキーはココアの味がして、副操縦士は懐かしい気持ちに襲われる。

 

この船長は口はたまに悪いが、クッキーをよく振る舞うから好ましいと副操縦士は思っていた。

 

周囲を見つつ、副操縦士は船の横を擦らないか心配になる。

 

しかしそれは次第に杞憂だったと分かる。

 

船三隻が横にいるのだから、自分の船がぶつかるはずもない。

 

まさか運河の設計が四隻分ギリギリ、なんてことはないだろうと副操縦士は思った。

 

実際、その通り。相当に余裕があり、船の幅的にまだ通せる。

 

一回に四隻なんて非効率なことしなくとも良いじゃないか……とも思った。

 

副操縦士は着任してから日が浅い。

基本的に誰でもできる仕事である副操縦士は、観測手の情報を船長に伝えるだけの役割。

副操縦士には法的責任やら義務やらが、海洋遭難者の救助くらいしか働いていないのだ。

 

ほとんど全責任は舵など運転を担当している船長であるし、もし事故が起こったとして、その責任は船長のものになる。 

 

それを知ってか知らずか、不用意なことを口にしてしまった。

 

船長の責任というものは極めて重い。

 

 

※11時間後、PM:06

 

前の船の排水がやっと終わったようで、大きな大きな注水の音が鳴り始める。

 

副操縦士はもう数え切れない回数、何回もこの音を聞いているからわかる。もうすぐ着く、と。

 

 

 

長い道のりだった。本当に長い、長い道のりだった。

 

 

途中でミスリル原石を別の物に変えたり、加工された直方体やら何やら、ブロック状のミスリルが沢山やってきたり。

 

この船の吃水線は下がりに下がり、各地のミスリル原石の産地を回った。

 

 

ようやく、ようやく終わるのだ。

 

伝声管から観測手の声を聞いたり、何やらあれやらと雑談を交わした時間も終わる。船長以外のクルーは街に降りて総入れ替え、荷役の港湾労働者たちに、あとはバトンタッチ。

 

積荷は基本的に身分の低い港湾労働者たちが干渉することは無い。

バラスト用の黄金を入れて、船の跳ね上がりを抑制したりだとか……そういう誰でもできる仕事をするのだ。

 

ミスリル原石は遍く市民に与えられた不朽の金属、ミスリルの元になる物。決して港湾のたかだか一介の労働者が触ることはないだろう。

 

それに、加工された胸までほどの高さの立方体でも8トン以上ある。

 

原石はクレーンでしか触れない。

なにせ大体のミスリル製品は原石から削り出して加工するもの。もし、不用意に扱って原石が割れたり破損などしたら、終わりだ。

 

技能のないヤツらごときが触っていいものではないのだ。

 

 

硫黄とくっ付けて運びやすいように加工されたものではない。採掘されたままの【生の鉱石】。

 

ミスリルの一欠片は人生の一欠片、ひとつたりとて無駄にできない。

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