ハル先輩は恐れない   作:3DS大将

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棒倒しの助っ人

 

棒倒し。

 

この学校にある競技の一つで、他の学校と少し違うのは棒を倒すだけじゃなく、大将ハチマキと副将ハチマキがある点だ。

 

大将ハチマキを取ると500点。

副将ハチマキを取ると100点。

棒を倒すと300点だ。

 

でも注意して欲しいのは棒を先に倒すと試合は即終了。

最大900ポイントを取るには大将と副将を先に仕留めてからじゃないと進めることができず、最高得点を取るには明確な順番がある。

他の競技よりも獲得ポイントが高いからみんな準備して挑むけど、正直、作戦だけじゃどうしようもない身体能力差は出てしまう。

 

そう、ハル先輩みたいに。

 

ーーーー

 

 

 

 

グラウンドの向こうからは、男子の棒倒しの凄まじい怒号と砂煙が上がっていた。けれど、1年B組の女子テントの中は、まるで通夜のように暗く冷え切っていた。

 

「……ねえ、これもう無理じゃない?」

「ノラちゃんの足、あんなにガチガチじゃ立ち上がることもできないよ……」

クラスメイトたちは、地面にへたり込んだままピキピキと震えているネコを見つめ、完全に意気消沈していた。

 

「ノラちゃんが出られないんじゃ、この棒倒しは棄権するしかないよ。だって私たちの作戦って、全部ノラちゃんが中心になって、その場で指示を出して動かす陣形なんだもん……。司令塔がいないんじゃ、何をしていいか分かんないよ」

みんなが次々と諦めの言葉を口にし、重苦しい空気がテントを支配していく。

 

けれど、ネコは激痛の走る両足を両手でぎゅっと押さえつけながら、みんなを見上げて声を絞り出した。

 

「……私は、大丈夫だから。なんとか、出場はできる、から……。だから、そんな、最初から諦めないで……」

どこか消え入りそうな、それでも必死にみんなを励まそうとするネコの言葉。

 

しかし、どん底まで落ちたクラスメイトたちの士気は、それだけでは上がらなかった。もう一人の女子生徒が、膝を抱えたまま、ぽつりと絶望的な本音を漏らす。

 

「……でもさ、仮にノラちゃんが指示を出せたとして、どんな作戦を立てたところで勝てるわけないよ。だって2年A組にはハル先輩がいるんだよ? 私たちの中に、あのハル先輩を止められる人なんて誰もいないもん……。最初から勝負になってないよ」

「それは……」

ネコはすぐに反論しようと口を開きかけた。

けれど、次の言葉がどうしても出てこなかった。

 

(……ハル先輩を、止める……?)

リレーであれだけの爆走を見せ、倉庫の扉を破壊し、あの規格外すぎる学校のエース。

ユイがネコの身体の限界を超えてなお届かなかった、圧倒的な存在。

 

そんなハルをどうやって止めればいいのか、ネコの頭の中でも具体的なビジョンは一ミリも浮かばなかった。

 

ネコは悔しそうに奥歯を噛み締め、言葉を失ったまま、ただただ自分の動かない足をじっと見つめることしかできなかった。

 

ユイが『ネコ、ダメだよ!』と、ネコの心を揺り動かすように必死に声をかけてきた。

 

(ハルの対策、ちゃんと考えてきたんでしょ? ネコが一生懸命立てた作戦があるんだから、まだ諦めちゃダメだよ!)

(ハル先輩の、対策……)

ネコは悔しさに唇を噛み締めながら、自分がノートに書き殴っていた作戦の一つを思い出していた。

 

実は、ネコが立てていた対2年A組の秘策――それは、彼女たちの最大の強みであり、同時に最大の弱点でもある「ハル先輩への依存度の高さ」を突くものだった。

 

圧倒的な個の力を持つハルに頼りきりになるあちらの陣形に対して、こちらは最初から相応の人数を割く。

常に5人がかりでハル先輩を完全マークし、肉壁となってその動きを泥沼に引きずり込む。

 

その間に残りのメンバーで棒を落とす……。

 

理論上は、それでハルという絶対的な手駒を盤上から一時的にでも機能停止させられるはずだった。

 

けれど、それも全ては「想定するハル先輩」を相手にする場合の計算だ。

 

(……無理だよ)

ネコは心の中で、ぽつりと絶望を溢れさせた。

 

(今回の体育祭で、本気のハル先輩を間近で見ちゃったもん。……あんなの、私たちの身体能力じゃ、たとえクラスの全員がかりで抑え込もうとしたって、結果は見えてるよ……)

5人どころか、10人で囲んだところで止められるはずがない。

ハル先輩を5人で抑える――。

 

作戦のすべての「前提条件」が、ハルの見せた圧倒的な現実の前に、粉々に破壊されてしまった。

 

基礎となる「ハル先輩を止める」という大前提が不可能になった以上、その上に組み立てていた作戦は、ただの机上の空論でしかない。

 

「……勝ちたかったな」

ネコは力なく小さく呟くと、ガチガチに固まった自分の両足を見つめたまま、完全に思考を停止させてしまった。どんなに頭をひねっても、攻略するルートがどうしても見つからない。

 

「ふっふっふ……」

女子たちが絶望的な顔で揉めているなか、テントの特等席で腕を組み、不敵な笑みを浮かべている奴がいた。

 

ブラジル帰りの野生児、ハナコである。

 

「ちょっとハナコ、何笑ってんのよ! ノラの足があんな状態で、作戦が崩壊しかけてるんだよ!?」

クラスの女子たちが一斉に睨みつけると、ハナコは待ってましたとばかりに立ち上がって胸を張った。

 

「みんな、私のことを『陣形の細かいことを何一つ覚えてない脳筋』だと思ってない?」

(……思ってるけど)

ネコとユイの意識が完全にハモった瞬間、ハナコはグラウンドに向かってバッと腕を突き出し、喉が裂けんばかりの声を張り上げた。

 

「私がブラジルに行っていた本当の理由……! それはね、陣形なんて小細工を弄するためじゃない! うちのクラスを勝利に導く、最強の『強力な助っ人』を日本に呼ぶためだったんだよーーーッ!!」

「「「……は?」」」

テント内の女子全員が、ハナコが何を言い出したのか分からず、ポカンと口を開けて困惑した。

 

だがその直後、ハナコの言葉がハッタリではないことを証明するかのように、実況席のスピーカーからバリバリと激しいノイズが響いた。

 

『――ア、ア、アナウンス席から緊急のお知らせです!! 審判、並びに運営委員会よりたった今、緊急の通達が入りましたァァッ!!』

実況の竹林くんの声が、明らかに恐怖と動揺でガタガタと震え出している。

 

『女子、棒倒し競技の直前になって、なんと1年B組の選手名簿に「当日追加」の申請があり、これが正式に受理された模様です!! し、しかし……これは、何かの間違いではないでしょうか!? 追加された選手の名前は……っ!』

竹林くんがゴクリと唾を呑む音が、マイクを通してグラウンド全体に響き渡る。

 

『ラ、ラファエラ・ゴンザレス選手ゥゥゥーーーッッ!!!???』

その名が叫ばれた瞬間、グラウンドの入場門の奥から、ドサリ、ドサリと、女子高生の枠を完全に逸脱した、地鳴りのような足音が響いてきた。

 

『ゴンザレス選手といえば、プロレスの女子ジュニア世界大会・第3位!! 世界中から「生きた怪物」と恐れられ、そのファイトスタイルはあまりに危険すぎて、相手選手の棄権が相次いだ文字通りの世界ランカーです!!』

竹林くんの絶叫実況と完全に同じタイミングで、入場門の影から、ギラギラとした野生の眼光を放つ巨体がヌッと姿を現した。

 

身長、ゆうに2メートル。

 

日本の小柄な女子高生たちが並ぶグラウンドにおいて、その存在感はさながら「ビル」のようだった。

日に焼けた褐色の肉体には、強靭な筋肉がこれでもかと盛り上がっており、歩くたびにグラウンドの砂が物理的に揺れている。

 

「――本当に誰!?」

あまりにも世界観の違う2メートルの大巨体を前にして、ユイはネコの脳内で、今日一番の絶叫を張り上げた

 

「私に聞かないでよ! 私だってプロレスなんか一ミリもわかんないよ!」

ハル先輩のクラスに勝ちたいとは言ったが、まさかハナコがブラジルからこんな物理法則を無視したような生命体を連れてくるなんて夢にも思っていなかった。

 

2人が混乱に陥っていると、ドサリ、ドサリと地響きを立てながら、そのゴンザレスが真っ直ぐ1年B組の女子テントへと近づいてきた。

 

影が、テントを丸ごと覆い尽くす。

 

2メートルの巨体がネコの椅子のすぐ隣にドスンと立ち塞がった瞬間、周囲の女子たちは声も出せずに完全に圧倒され、クモの子を散らすようにして一歩も二歩も後ずさりした。

 

(ひ、ひぇぇぇ……っ!! 目の前に壁がある……!!)

ネコは今すぐ脱兎のごとく逃げ出したかったが、あいにく両足はリレーの反動で一ミリも動かない。

逃げ場のない超至近距離でゴンザレスの圧倒的な威圧感を浴びながら、ネコは顔から滝のような汗を流し、目を限界まで泳がせて必死に目線を明後日の方向へと逸らした。

 

すると、ゴンザレスは盛り上がった大胸筋を震わせ、グラウンドを見つめたまま、地鳴りのような低い声で急にこう呟いた。

 

「……敗北を知りたい」

(な、なんか言ってる……)

ゴンザレスの隣で固まりながら、ネコは恐怖を通り越して、ただただ困惑するしかなかった。

 

○◆

 

 

 

『――さあさあ、グラウンドに突如として現れた2メートルの生きた怪物、ゴンザレス選手! 誰もがその圧倒的な存在感に言葉を失っております!!』

竹林くんがマイクに向かって大興奮で絶叫していると、実況席のドアが勢いよく開き、コトモがスタスタと足を踏み入れてきた。

「ちょっと、竹林くん」

コトモは実況席の机に手を突くと、険しい表情でグラウンドの巨体を見つめながら口を開いた。

 

「流石に、当日のこのタイミングで、しかも世界ランカーの外国人選手を急にメンバーに入れるのは反則なんじゃないの? いくらなんでもやりすぎでしょ」

「あ、コトモ先輩! いやいや、僕だってそう思って、さっきから慌ててルールブックを隅々まで確認してるんですよ!」

竹林くんは机の上に広げられた分厚い体育祭のルールブックをペラペラとめくりながら、困ったように頭を掻いた。

 

「それが、なんと……アリなんですよ、これ!」

「え? アリなの?」

コトモが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「はい! 明確に『外国人の世界ランカーを当日追加してはならない』なんて禁止事項、どこにも記載されてないんです。っていうか、そもそもこんな山奥の田舎の高校の体育祭に、そんな細かい不測の事態を想定したルールなんて最初から存在しないんですよ!」

 

竹林くんが開き直ったようにあっけらかんと言うと、コトモは「……まぁ、それはそうかもしれないけど」と、この学校のガバガバすぎる運営体制に完全に呆れ果ててしまった。

 

「でも、流石にこのままだと競技のバランスが崩壊しちゃいますよね…」

不安になった竹林くんは、実況席のすぐ隣の来賓席に座っている人物へと視線を向けた。

 

「一応、確認してみましょう。――校長先生! これ、流石にマズいですよね? 中止にした方がいいですか?」

竹林くんがマイクのスイッチを一度切り、少し大きめの声で尋ねる。

 

すると、特等席でお茶をすすっていた校長先生は、グラウンドのゴンザレスをチラリと見たものの、特に焦る様子もなく、ニコニコと穏やかな笑顔のまま両手で大きく「〇(マル)」のサインを出した。

 

「……オッケーだそうです」

「校長…」

最高権力者からのまさかの公式お墨付きが出てしまい、コトモはパシッと自分の額を押さえてため息をついた。これでラファエラ・ゴンザレスの参戦は完全に合法となり、女子の棒倒しは波乱へと突き進んでいく。

 

 

○○○○○○○○○○

 

 

 

ゴンザレスはフンと鼻を鳴らし、鋭い眼光でテントの周囲をぐるりと見渡した。

2メートルの巨躯から放たれる凄まじいプレッシャーに、1年B組の女子たちは完全に蛇に睨まれた蛙状態。

一歩でも近づかれまいと、全員がジリジリと距離を取ってテントの隅へと引き下がっていく。

 

そんな彼女たちの怯えきった様子を見て、ゴンザレスは傲慢に口元を歪めて鼻で笑った。

 

「ハッ……日本人の闘争心は過去の話というのは、本当みたいだな。これでは戦う価値すらもない」

こっちはまだウォーミングアップすら始めていないというのに、戦う前から完全に戦意を喪失して逃げ腰になっているネコのクラスメイトたち。

ゴンザレスは心底つまらなそうにフゥ、と深いため息をついた。

 

「ほんとだよねー。みんな、世界3位って聞いただけで臆病になりすぎなんだよ!」

その横から、ハナコがさも自分は違うと言わんばかりの口調で同意の声を上げる。

……が、ネコがハナコの足元を見ると、ハナコの両膝は生まれたての小鹿のようにガタガタと激しく震えており、身体の半分はちゃっかり他の女子生徒の背後に隠れていた。

 

「お前が言うなよ……」とネコが心の中で激しく突っ込んだ、その時。

ゴンザレスのギラついた視線が、椅子に座ったまま微動だにしないネコへとピタリと向けられた。

 

「……だが、お前は少し違うようだな」

ゴンザレスはフッ……と不敵な笑みを浮かべ、ネコの顔を覗き込んできた。

「この私の威圧感を前にして、微塵も恐れることなく、これほどリラックスした状態で堂々と座っていられるとは……なかなか肝が据わっている…そこの牙を抜かれた子犬共とは、少しは違うようだな」

世界ランカーからのまさかの高評価。

 

(いや、ネコは足動かなくて逃げられないだけだと思うけど…)

 

ユイがそう思うのを他所に、ゴンザレスはネコを讃え、彼女の正面に立つ。

 

「お前のその度胸に免じて、私の自己紹介といこう。ラファエラ・ゴンザレスだ」

ゴンザレスはそう言うと、丸太のように太い右手をネコの前へと差し出してきた。握手を求めているらしい。

 

(う、拒否したらその場でバックドロップとかされそうなんだけど……)

ネコは恐怖に怯えながらも、失礼があってはマズいと、恐る恐る自分の小さな右手を差し出した。

 

そして、お互いの手が触れ合い、ゴンザレスが軽く手を握った――その瞬間。

 

「っ……!?!?」

ネコの顔が恐怖でカッと見開かれた。

軽く添えられただけのはずなのに、まるで油圧プレス機に手を挟まれたかのような、とんでもない破壊の圧力がネコのてのひらを襲ったのだ。

 

このままあと一ミリでも力を込められたら、自分の手の骨が文字通り粉々に粉砕される。

ネコは本能的な恐怖に突き動かされ、悲鳴を上げるようにして強引に自分の手を引っ込めた。

 

ゴンザレスはそんなネコの反応を気にする風でもなく、フンと鼻を鳴らして再び周囲のグラウンドを見渡した。

 

「……ところで、ハルとかいう女はどこだ?」

近くにいた1年B組の女子生徒の肩に、ゴンザレスの大きな手がドスンと置かれる。

 

「ひゃいっっ!?」

女の子は完全に腰を抜かしそうになりながら、涙目でグラウンドの向こうを指差した。

「あ、あそこ……! 2年Aクラスの、あの、青いハチマキの……っ!」

その指の先では、リレーを終えたばかりのハルが、芝生の上にしゃがみ込んで静かに自分の靴紐を直していた。

 

「ふむ……」

ゴンザレスは迷いのない足取りで、ドサリ、ドサリとハルのいる2年Aクラスの陣地へと歩き始めた。

 

「ちょっと、何あの人……!?」

「でかすぎるって……!」

突如として現れた2メートルの怪物に、2年生の女子たちは悲鳴を上げてハルの後ろへと逃げ惑う。

だが、そんな異常事態のなかでも、ハルと、実況席から戻ってきたばかりのコトモの2人だけは、全く怖がる様子も見せずにその場に堂々と留まっていた。

 

ゴンザレスはハルの目の前まで来ると、巨大な壁のように立ち塞がり、無言のまま鋭い眼光でハルを見下ろした。凄まじい緊張感がその場を支配する。

張り詰めた沈黙のなか、コトモが一歩前に出て、流暢な発音の英語でゴンザレスに話しかけた。

 

「Excuse me. Is something wrong?(どうかしましたか?)」

すると、ゴンザレスはコトモをチラリと一瞥し、地鳴りのような低い声で応じた。

 

「……日本語でいい」

「え?」とコトモが目を見開く。

 

「世界の人間は、日本の言葉は習得が難しいなどと抜かすが……私にとっては赤子の手をひねるようなものだ。日本如きの言語、この私の頭脳にかかれば一瞬で理解できる」

傲慢不遜にそう言い放つゴンザレス。その圧倒的な自信と妙に流暢な日本語に、周りの生徒たちは別の意味で圧倒される。

 

そんな怪物のような上級生を前にしても、ハルはいつもの穏やかな、優しい笑顔を崩さなかった。

しゃがんでいた身体をすっと起こし、まっすぐにゴンザレスの目を見つめる。

 

「初めまして、ゴンザレスさん。2年のハルです。よろしくお願いします」

ハルのどこまでも自然体な挨拶を聞き、ゴンザレスはしばらく無言のままハルの顔をじっと見つめていた。

やがて、その太い右手を、再び無言でスッとハルの前へと差し出した。ネコの時と同じ、握手を求める手だった。

 

ゴンザレスはハルが差し出した右手を、その大きな手のひらでガシィッ!と力任せに包み込んだ。

 

そして、その強靭な前腕の筋肉をピキピキと怒らせ、ネコの時とは比べ物にならないほどの力を一気に込め始める。

 

ギチ、ギチチ……ッ!!

 

およそ人間の肉体から鳴っていいとは思えない、骨と肉が強烈に圧迫される恐ろしい音が周囲に響き渡った。

「キャッ……!?」

「ハルっ!」

2年生の女子たちが悲鳴を上げて口元を抑え、遠巻きにネコのテントから心配そうに様子を伺っていたネコとユイも、その光景にヒヤリと背筋を凍らせた。

世界3位のプロレスラーが本気で握り潰しにかかっているのだ。ハルの華奢な右手がペシャンコになってしまうのではないか。

 

しかし――。

 

ハルは顔色一つ変えず、それどころか、さらににっこりと深く、優しい笑顔を浮かべた。

 

ハルはゴンザレスの凶悪な握力を、真っ向からその驚異的な「握力」だけで完全に受け止め、さらにそのまま押し返し始めたのだ。

 

「……ほう?」

ゴンザレスの眉が、驚きでピクリと跳ね上がる。どれだけ力を込めても、ハルの笑顔はピキリとも崩れない。

しばらく火花が散るような無言の力比べが続いた後、ゴンザレスは自ら強引に手の力を抜いてハルの手を離した。

 

「なるほど、この程度のパワーがあるなら、少しは私の肩慣らし(ウォーミングアップ)くらいにはなるだろう」

さも「今回はこれくらいで勘弁してやる」と言わんばかりの態度で腕を組むゴンザレス。

そんな彼女に対し、ハルは小さく自分の右手を振って血流を戻しながら、少し首を傾げてのほほんと尋ねた。

 

「あら、もういいの?」

そのハルの底知れない余裕に満ちた言葉に、ゴンザレスは背を向け、ドサリと足音を立てて歩き出しながら吐き捨てた。

 

「リングの上で会えばお前など一瞬で圧殺できる。本番を楽しみにしておくことだな」

そう言い残し、圧倒的な威圧感を撒き散らしながら1年B組の陣地へと戻っていく

 

 

「どうしよう、どうしよう……っ!!」

「あんな化物みたいな人と『棒倒し』なんて絶対に無理だって! 私たち、本当に殺されちゃうよぉ!!」

ゴンザレスが1年B組の強力な「助っ人」として参戦することが確定し、2年Aクラスの女子テントは、文字通り蜂の巣をつついたような大パニックに陥っていた。

 

「っていうか、なんで校長先生もあんなの許可してるのよ!? ガバガバすぎるでしょ、この学校のルール!!」

「世界3位だよ!? プロのレスラーだよ!? 体育祭に連れてきていい人材じゃないじゃん!!」

女子生徒たちが涙目で頭を抱え、グラウンドの隅で腕を組んで佇む2メートルの大巨体を怯えきった目で見つめながら、慌てふためいて右往左往している。

 

「……はぁ」

その大騒ぎの真ん中で、コトモは心底呆れたように深い、深いため息をついた。

「みんな、一回落ち着きなって。パニックになったって、あの巨体が縮むわけじゃないんだから」

コトモは冷徹なまでに冷静な声を響かせ、クラスの女子たちに落ち着くよう呼びかける。

 

そのコトモのすぐ後ろでは、当事者であるはずのハルが、芝生の上で足を広げて「いち、に、さん、し……」とアキレス腱のストレッチを始めていた。

さっき世界ランカーと凄まじい力比べをしたばかりだというのに、その表情は信じられないほど穏やかで、緊張感という言葉がどこにも見当たらない。

 

「コトモちゃん、どうにかしてよ!」

「このままじゃ私たち、あの筋肉の壁にまとめて踏みつぶされちゃう!!」

ついに恐怖が限界に達した女子生徒たちが、コトモの制服の裾や腕にワラワラと縋り付き、泣き叫ぶようにして縋り付いてきた。

 

「はいはい、大丈夫だから。泣かないの」

コトモは困ったように眉を下げながらも、泣きつく女子たちの背中を優しくポンポンと叩いて宥めてあげる。

その時、ストレッチを終えてすっと立ち上がったハルが、静かに口を開いた。

「みんな」

その鈴の音のように澄んだ、だけど不思議と芯のある声に、クラスの女子たちの視線が一斉にハルへと集まる。

ハルは青いハチマキをきゅっと結び直すと、怯えるクラスメイトたち全員の顔を一人一人見つめ、どこまでも暖かく、頼もしい笑顔を浮かべた。

 

「大丈夫だよ。私に任せて」

 

いつも優しくて、だけどどんな過酷な相手でも、決して折れずにみんなを守り抜いてきたハル。

その背中から放たれる圧倒的な包容力と「絶対的な強さ」のオーラは、世界3位のレスラーの威圧感すらも静かに包み込んで消し去ってしまうほどだった。

 

「ハル……」

「ハルちゃん……」

さっきまで狂ったように慌てふためいていた女子たちが、ハルのその一言で、魔法にかけられたかのようにスーッと冷静さを取り戻していく。

 

「そうだよね……ハルがいるもんね」

「うん。私たちも、ハルちゃんを信じて頑張ろう……!」

テント内の空気が一瞬で「戦う集団」のものへと変わる。

ハルによって再び団結した2年Aクラス。いよいよ、規格外の怪物ゴンザレスを擁する1年B組との、文字通り命懸けの「女子・棒倒し」の火蓋が切って落とされようとしていた。

 

○○○○○○○○○

 

 

 

「――ユイ」

グラウンドの喧騒から少し離れた場所で、背を向けて歩き出そうとしていた小さな背中に、ネコは声をかけた。

 

「ユイ、棒倒しには参加しないの?」

その問いかけに、ユイは足を止め、振り返っていつもの明るい調子で首を横に振った。

 

「うん、私は出ないよ。これ以上ネコの身体に憑依しちゃうと、流石にネコの身体が壊れちゃうからね。だから今回は憑依しない!」

ユイはあっけらかんと言ってのけるが、ネコにとってはこれから始まるのは2年生の王者・ハルを相手にする決戦だ。

 

「そうだけど……でも、憑依しなくても一緒に戦うことはできるでしょ?」

「う~ん、私は作戦なんか立てられる頭もないし、きっとこの競技だと足手纏いになっちゃうからさ。あそこの木の上で、みんなのことを応援しながら見てるよ!」

そう言ってグラウンドの隅にある大きな木を指差すユイ。

だが、ハルという圧倒的な壁を前に、ネコの胸にはどうしても不安が過る。

ネコは少しだけ弱音をこぼすように、ユイを見つめた。

 

「……正直、ちょっと心細いよ。近くにいるだけでも、やっぱり駄目かな?」

ネコのその言葉に、ユイは一瞬だけ切なそうな表情を浮かべた。だけど、すぐに真面目な顔になって理由を説明する。

 

「ごめんね、ネコ。……棒倒しでハルに私が必要以上に近づくと、コトワリ様が反応しちゃう可能性があるんだよね…そうなると試合どころじゃなくなっちゃうかもしれないから……私はやっぱり、参加しない方がいいと思うんだ」

 

コトワリ様。

その存在を引き合いに出されては、ネコもそれ以上強く引き止めることはできなかった。

 

「そっか……。分かった、無理言っちゃってごめん」

少し肩を落とすネコ。

そんなネコの様子を見て、ユイはふわりと優しい笑みを浮かべると、一歩近づいてネコの小さな手を両手でそっと包み込んだ。

 

「………ネコ、今から言うことは気休めにしかならないし、なんの根拠もないんだけど…」

ユイはネコの手を優しく、だけど確かな体温を伝えるようにぎゅっと握りしめる。

そして、その真っ直ぐな普通の目を覗き込むようにして、ハキハキとした明るい声で告げた。

「ネコなら、絶対に大丈夫。頑張ってね!」

「・・・・うん!!!」

根拠なんてなくても、その言葉と手の温もりは、これから戦場へ向かうネコの背中を確かに力強く押してくれるのだった。

 

○○○○○○○○

 

 

 

 

『――さあ、両クラスの選手たちがグラウンドへと入場してまいりました!! それぞれの自陣の棒を取り囲み、いよいよ臨戦態勢の陣形を組み始めます!!』

竹林くんの実況が響くなか、2年Aクラスの女子たちが入場門から入ってきた。ハルの力強い言葉で一度は冷静さを取り戻したものの、いざグラウンドに立つと、どうしても視線が対面の陣地に集まってしまう。

 

そこには、圧倒的な威圧感を放ちながら悠然と立つ、2メートルの怪物・ゴンザレスの姿があった。

 

「……はぁ。やっぱり、みんな顔が強張ってる」

コトモはハルの隣に並び、遠目からでもわかるクラスメイトたちの緊張ぶりに、小さくため息をついた。どうしても身体がすくんでしまい、陣形を組む動きもどこかぎこちない。

 

「ふふ、しょうがないよ。相手は世界3位の格闘家さんだもん、怖いと思うのが普通だよ」

ハルは困ったように微笑みながら、青いハチマキの位置をもう一度きゅっと直した。

そして、その瞳に静かで力強い光を宿してコトモを見つめる。

 

「あのゴンザレスさんは私が責任を持って相手する。だからコトモ、今回は私の代わりに、コトモがみんなに全体の指示を出してあげてくれる?」

「……いいよ。ハル、やっちゃいな」

コトモは不敵に笑って引き受けた。

そうしてハルとコトモたちが2年Aクラスの防衛陣形を組み終わり、ふと相手の1年B組の陣地に目を向けた、その瞬間だった。

 

「「…………え?」」

ハルとコトモは、同時にぱちくりと目を見開いてフリーズした。

なんと、1年B組の陣地の中心には、騎馬戦のように女子生徒3人にがっしりと担ぎ上げられたネコの姿があったのだ。

 

しかも、そのネコの小さな身体を支える土台(騎馬)の先頭には、ハナコがドッシリと構えている。

 

「あははははっ!! ちょっと何あのアレ、ウケるんだけど!!」

一瞬の静寂の後、コトモが腹を抱えて大爆発した。

パチパチと楽しそうに手を叩きながら、お腹が痛そうに身をよじる。

 

「あんなの棒倒しじゃなくてただの騎馬戦じゃない! 誰よあの作戦考えたの、最高にバカバカしいわ!」

2年Aクラスの他の女子たちも、ネコの奇妙な姿に呆気にとられていた。

 

「ね、ねえ、ノラちゃん足が動かないからって、わざわざ3人も人数を割いて担ぎ上げてるよ?」

「棒倒しって1人でも動ける人員が多い方が有利なのに、あんなことして大丈夫なのかな……?」

しかし、そんな周囲の疑問混じりの声をよそに、ハルだけは「なるほど……」と感心したように深く頷いていた。

 

「ううん、あれはとってもいい案だと思うよ」

ハルは優しい笑顔でネコの騎馬を見つめながら、コトモたちに言った。

「だって、あんな風に上にいれば囲まれても大将のハチマキを簡単に取られづらくなるでしょ? それに何よりも、あの高い位置にいれば、グラウンド全体がすごくよく見渡せるもの。みんなに陣形の指示を出すには、一番ぴったりの場所だよ。ネコちゃん、やっぱり頭が良いなぁ」

「ハルって本当にネコが何しても褒めるね…」

コトモは苦笑しながらツッコミを入れたが、ハルのその言葉で、クラスの女子たちも「確かに……」とネコが担がれている本当の狙いに気づき、表情を引き締めた。

 

 

ーーーーーピィィィィィィーーーーーーッッッ!!!

 

 

試合開始の爆音ホイッスルがグラウンドに鳴り響いた、まさにその刹那だった。

「ディヤァァァ!!」

開戦と同時に、2メートルの巨躯であるゴンザレスが、女子高生の枠を完全に置き去りにした爆発的なトップスピードで突撃を開始した。

 

狙いはただ一人、2年Aクラスのハル。

 

その突進はさながら暴走する大型トラック。

ハルは避ける仕草すら見せず、真っ正面からそれを受け止めようと身構えたが――。

 

ドゴォォォーーンッッ!!!

 

肉体と肉体が激突したとは思えない、凄まじい衝撃音がグラウンドに炸裂する。

 

ハルの身体は、まるで木の葉のように一瞬で宙に跳ね上げられ、凄まじい勢いのままグラウンドを飛び越え、遥か後方の客席(テント)の奥へと文字通り派手に吹っ飛ばされてしまった。

 

テントのパイプ椅子や机がガシャガシャと派手な音を立てて崩れ落ちる。

 

「「「キャァァァァァァーーーーーッッッ!!!???」」」

2年Aクラスの女子たちが一斉に血の気を引かせ、恐怖のあまり頭を抱えて戦慄した。プロのタックルをモロに喰らったのだ、今ので病院送りが確定したと誰もが確信した。

 

だが、そんなパニックのなかでも、コトモだけはいつも通りの呆れたような調子で、吹っ飛ばされたテントの砂埃に向かってひらひらと手を振った。

 

「おーい、ハル。生きてる?」

 

小さな咳払いと共に、ゆっくりと砂埃が晴れていく。

すると、崩れた机の山の中から、何事もなかったかのようにのそのそと起き上がってくるハルの姿が見えてきた。

 

「ん、ちょっとびっくりしちゃった。でも大丈夫だよー」

ハルは体操服についた砂をポンポンと払いながら、その場でおもむろに呑気に屈伸を始めた。骨折どころか、かすり傷一つ負っていない。

 

ハルはタッタッタッと軽い足取りでグラウンドの中央へと戻り、再びゴンザレスと対峙した。

 

その光景を、3人の女子に担ぎ上げられた高い位置から見ていたネコは、顔を真っ青にしながら叫んだ。

 

「ゴンザレスさん!ハル先輩じゃなくて棒に突撃する予定ですよね!?」

司令塔としての至極真っ当な命令。しかし、ゴンザレスはネコの指示を完全に無視し、ギラギラとした狂犬のような目をハルに向けたままフンと鼻を鳴らした。

 

「黙れ小娘。私はあの女をリングに沈めに来たのだ。棒などという玩具には興味はない」

「だからリングじゃなくてここグラウンド!」ネコの絶叫も虚しく、ゴンザレスは再び地響きを立ててハルへと突撃していく。

 

 

 




体育際は次話で終わる予定です。
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