ハル先輩は恐れない   作:3DS大将

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体育祭へ

授業中、ネコはぼんやりと窓の外を見つめながら考え込んでいた。

(ハル先輩のコトワリ様……本当に神様なんだろうか…あのハサミとか、縁を切る力とか……どういう仕組みで動いてるんだろう……)

頭の中で赤いハサミのイメージが何度も浮かんでは消える。

コトワリ様の不思議な力のことを考えると、授業の内容が全く入ってこなかった。

「ノラ」

先生の声がした。

ネコは気づかず、窓の外を眺め続けている。

「ノラ?」

もう一度呼ばれても反応がない。

先生は少し声を大きくした。

「ノラ!」

「……はい!?」

ネコはようやく我に返り、慌てて立ち上がった。

先生に何度も呼ばれていたことに今さら気づき、顔が一瞬で真っ赤になる。

クラス中が一瞬静まり返り、次の瞬間——

「ぷっ……」

「ふふっ……あははは!」

クラスメイト全員が一斉に笑い出した。

ネコは恥ずかしさで耳まで赤くなり、慌てて座り直した。

ハナコが隣で肩を震わせて笑っている。

先生は苦笑しながら言った。

「体育祭の出場種目、まだ決めていない人が何人かいるぞ。

ノラも含めて、今日中に提出するように」

ネコはポカンとした。

(……体育祭?)

頭の中で、さっきまでコトワリ様のことでいっぱいだった思考が一瞬真っ白になる。

そういえば、確か学校行事が近づいてるって言ってたような…

「……あ」

ネコは小さく声を漏らし、慌ててノートを開いた。

体育祭の存在をすっかり忘れていた自分に、内心で頭を抱えた。

するとハナコが小声でからかうように囁いてきた。

「お間抜けさん、お目覚めですかー?」

ネコはますます赤くなって、机に突っ伏した。

(……もう、ほんとにどうしよう……)

窓の外では、体育祭の準備が進むグラウンドが、

いつもより少し遠くに見えた…が、

 

先生が黒板の前に立って言った。

「さて、体育祭のクラス代表を決めたいと思います。

誰かやりたい人いる?」

教室が一瞬静かになった。

 

種目も決まっていないのに唐突だった。

確かに代表も決めていないが、ネコは心の中で即座に思った。

(絶対にやりたくない……)

クラス代表なんて、練習の段取りから当日の進行、責任が重すぎる。

絶対に疲れるに決まっている。

 

 

しかし——

次の瞬間、教室中の手が一斉に上がった。

特にハナコは勢いよく立ち上がり、元気よく叫んだ。

「私がやります!!」

他の生徒たちも続々と声を上げ始めた。

「私もやりたいです! 絶対クラスを優勝に導きます!」

「僕も! 頑張ります!」

「先生、ぜひ私に任せてください!」

熱意のこもった声が次々と飛び交い、教室は一気に活気づいた。

ネコは呆然としながら、周りを見回した。

(……みんなやる気満々じゃん……)

ハナコが特に張り切っているのを見て、ネコは小声で突っ込んだ。

「ハナコ……班長とか生徒会長とか、トップになるのは気が疲れるから嫌だって言ってた割に、めっちゃやる気じゃん」

ハナコはにやりと笑って親指を立てた。

「今回は特別!!」

先生は困ったように頭を掻いた。

「うーん……みんなやる気があるのはいいんだけど、埒が明かないな。

じゃあクジで決めようか」

するとすぐに生徒から声が上がった。

「先生、大事な体育祭のクラス代表をクジで決めるのはどうでしょうか……?」

「そうですよ! せっかくやる気があるんだから、ちゃんと投票で決めましょう!」

他の生徒たちも一斉に同意の声を上げた。

先生はため息をつきながらも、苦笑した。

「わかったわかった。じゃあ投票で決めよう。準備するから、少し待ってて」

教室は再びざわつき始め、誰がクラス代表になるのかで早くも盛り上がりを見せていた。

ネコは自分の机に突っ伏しながら、小さく呟いた。

「……珍しいて」

普通なら押し付け合いの役職のはずなのになぜみんなが取り合っているのかが分からない。

でもまぁ正直私がなる確率は0%だから嬉しいったら嬉しい。

私がこの異常な空気感にメリットを見出しているとハナコが隣で笑いながら肩を叩いてきた。

「ノラーも立候補すればいいのに〜」

ネコは即座に首を横に振った。

 

 

ーーー

 

 

先生が「立候補者は名乗りでろー」と言った直後、教室の空気が一変した。

ハナコが勢いよく手を挙げ、他の生徒たちも続々と立候補を表明し始めた。

「私がやります!」

「私も! 絶対にクラスをまとめて優勝に導きます!」

「僕も立候補します!」

 

すると結果、ネコ以外、全員が立候補する異常事態になった。

先生は少し驚いた顔をしたが、すぐに状況を整理した。

「えっと……ネコ以外、全員立候補か…ということは投票で決めるとしても、ネコが誰かに一票入れればその人がクラス代表になるってことになるな」

 

「嘘でしょ!?私以外!?」

 

教室がざわついた。

 

ノラの1票で全て決まるとクラスメイトはすぐに察する。

ネコも流石に自分以外が立候補するとは思ってもいなかったため、激しく動揺し、自分の席で固まっていた。

(え……私に委ねられた……?)

 

 

 

ハナコをはじめ、クラスメイト全員の視線が一斉にネコに集中した。

熱い、期待とプレッシャーに満ちた視線。

ネコは慌てて手を挙げた。

「あの……この選挙、歪すぎると思うんですけど……選挙は無しにしませんか?」

先生は即座に首を横に振った。

「長くなるから却下だ。時間がないんだよ、さっさと決めよう」

ネコは絶望的な気分になった。

先生はこの後の仕事が山ほどあるから正直誰でもいいんだろうなと容易に想像できる。

 

するとクラスメイトの視線がますます熱を帯びてくる。

ハナコは目をキラキラさせてネコを見つめ、他の生徒たちも「頼むぞ」「公平に頼む」「俺に投票してくれ」などと無言の圧力を送ってくる。

ネコはものすごいプレッシャーに押しつぶされそうになり、

机の上で小さく縮こまった。

(……なんで私だけ……こんな状況に……)

ハナコが小声で囁いてきた。

「ノラー!私に投票してくれればいいから!」

ネコは頭を抱えた。

体育祭のクラス代表を巡る選挙は、

予想外の形でネコに全ての責任を押しつけることになってしまった。

 

 

教室中の視線が、ネコに集中していた。

ハナコをはじめ、立候補した全員が息を潜めてネコを見つめている。

さらに先生も「さあ、早く決めてくれ」と急かしている。

 

(勘弁してよもう…)

 

頭の中で何度も迷った末、ネコは意を決して投票用紙に名前を書いた。

先生の机に用紙を提出すると、教室が一瞬静まり返った。

先生は投票用紙を見て、軽く目を細めた。

「クラス代表は……」

先生が名前を読み上げる直前、ネコは小さく目を閉じた。

「クラス代表は、ハナコに決定!」

教室がどよめいた。

ハナコは一瞬ポカンとした後、飛び上がって喜んだ。

「やったぁぁぁ!! やったよノラー!!ありがとう!! 絶対優勝するからね!!」

 

 

他の生徒たちは「えー……」と残念がる声もあったが、

ハナコの熱意を知っているだけに、大きな反対は出なかった。

 

 

一方でネコはハナコの勢いに押されながらも、小さく笑ってハナコの背中を軽く押した。

「ちゃんとやりなよ。責任重大なんだから」

ハナコはまだ興奮冷めやらぬ様子で、ネコから少し離れると、

ネコはふと気になっていたことを聞いた。

「……ねえ、ハナコ。なんでそんなに面倒くさい代表をやりたがるの?」

ハナコは「え?」と目を丸くし、

すぐににやりと笑って答えた。

「知らないの?」

ハナコは声を少し潜め、ネコにだけ聞こえるように説明し始めた。

「今回の体育祭は、地元の記者が来るんだよ。優勝したら、写真を撮ってくれて、新聞に載せてくれるって!」

ネコは少し驚いた顔をした。

ハナコはさらに続けた。

「しかも、優勝者は学校の代表でもあるハル先輩の横で写真を撮ってもらえることが確定らしいよ、だからみんな立候補してるんだ。

ハル先輩と一緒に新聞に載れるチャンスなんて、滅多にないじゃん!」

ネコはぽかんとした。

「……それが本当の理由?」

ハナコは少し照れくさそうに笑いながら、親指を立てた。

「もちろん! それが一番の目的!

ハル先輩の隣で写真撮れたら、一生の思い出になるもん!」

ネコは呆れたようにハナコを見つめ、

小さくため息をついた。

「……下心丸出しだね」

「戦略だよ戦略!」

ハナコは悪びれもせずに笑った。

 

苦笑いで返し、大きな揉め事となく終わったことに安堵してネコは席に戻る。

すると先生が

 

「ハナコ、副代表誰にする?」

「じゃあノラで」

 

あまりにもあっさり決まり、ネコは反応がだいぶ遅れた。

先生は退出すると、みんなは本来の体育際の出場種目を決め始める。

 

しかしネコだけは先を立ち上がってハナコに抗議した。

 

「はぁ!?なんで副代表が私なの!?」

「私とノラなら最強のコンビになれるって!一緒に優勝目指そ!」

 

にっこりと笑うハナコに何も言えず、ネコは呆れた様子で席に座る

 

 

(終わった…)

 

ネコの心境を知らず、ハナコは耳元で嬉しそうに囁いた。

「ノラーと一緒に頑張れるの、楽しみだね!」

 

○○○○○

 

 

 

体育祭のクラス代表・副代表が決まった翌日の放課後。

3学年の代表と副代表が集められ、体育祭の運営に関する会議が行われることになった。

ネコは重い足取りで会議室に向かいながら、隣を歩くハナコに恨めしそうな視線を送っていた。

「本当に……なんで私まで……」

ハナコは全く悪びれず、にこにこしながら言った。

「ノラが副代表引き受けてくれて嬉しいなぁ」

「引き受けるっていうか…もう」

 

断ろうにも先生がすぐに出てったから決定事項になってしまった。

あとから調べたら代表は副代表を決める任命権があるらしく、完全に盲点だった。

 

「まぁいいや…とっとと済まそ、ハナコ」

「うん!」

 

会議室のドアを開けると、すでに他の学年の代表たちが集まっていた。

ネコは部屋に入った瞬間、思わず息を飲んだ。

一番奥の席に、ハル先輩が座っていた。

二年のクラス代表として、穏やかな表情で資料に目を通している。

ハルもネコが入ってきたことに気づき、少し驚いたような目をした。

そして、ネコと目が合うと、

小さく微笑みながら軽く目で合図を送ってきた。

(……やるの? 意外だね)

ハルのアイコンタクトがはっきりとそう語っていた。

ネコは慌てて視線をハナコに移し、無言でハナコを指差した。

(こいつのせいです……!)

ハルはそれを理解したのか、くすっと小さく笑った。

先生が手を叩いて会議を始めた。

「では、体育祭の運営について話し合っていきましょう。各学年クラスの代表・副代表が中心となって……」

ネコは席に座りながら、

隣のハナコを軽く睨みつけた。

ハナコは全く気にした様子もなく、ノートを広げてやる気満々だ。

会議室の空気は真面目そのものだったが、

ネコの胸の中は「なんでこんなことに……」という後悔でいっぱいだった。

ハルは時々ネコの方を見ては、優しく目を細めて微笑んでくる。

ネコはそんなハルの視線を感じるたび、顔を赤くしながら小さく縮こまっていた。

 

 

そして会議が始まってしばらく経った頃、ネコは深く息を吐いた。

(……もう、覚悟を決めるしかないよね)

ネコは自分に言い聞かせるように小さく頷き、背筋を伸ばした。

ペンを握り直し、真剣な顔でノートを開いた。

これから始まる体育祭の運営について、先生が説明を進めていく。

ネコは一つも聞き漏らさないように、丁寧にメモを取り始めた。

• 全体のタイムスケジュール

• 各競技の進行責任者

• 準備物のチェックリスト

• 当日の連絡体制

……と、きちんと段取りをまとめていく。

字も丁寧で、重要な部分はアンダーラインを引いたり、付箋を貼ったりと、意外と几帳面に取り組んでいた。

隣に座っていたハナコはというと——

ハナコのノートは真っ白なページに、

ハル先輩の似顔絵と「ハル先輩と写真撮りたい♡」という落書きで埋め尽くされていた。

ネコは横目でそれを見て、こめかみに青筋を浮かべた。

 

無言で自分の筆箱を手に取り、

ハナコの頭を軽く、しかし容赦なく「こんっ!」とぶん殴った。

「いたっ!?」

ハナコが頭を抱えて振り返る。

 

ネコの凄まじい無言の圧力にハナコは涙目になりながらも、慌ててノートを新しいページに開き直した。

「ご、ごめん……やるよ……」

 

ハナコも真面目にやり始める。

 

ハナコは気合いを入れてノートを広げ、真面目に先生の話を聞き始めた。

ペンを走らせ、タイムスケジュールや準備物をきちんとメモしている。

ネコは横目でそれを見て、少し安心した。

(……よかった。ハナコもちゃんとやる気になってくれたみたい)

しかし、その真面目さは長く続かなかった。

数分後、ハナコのペンが止まり、欠伸をすると、ネコの視線が、じわじわとハナコに向けられる。

空気が変わり、ネコの全身から、凄まじいオーラが立ち上り始めた。

無言の圧力が、ハナコの横顔にビシビシと突き刺さる。

ハナコはびくりと肩を震わせ

 

(やります!やりますよ!!!)

 

慌ててノートを取り始め、結局解散までハナコはネコにビビりながら真面目にやることになった。

 

 

○○○○○○○○

 

 

 

会議がようやく解散となった。

ネコはほっと息をつき、鞄を肩にかけながら立ち上がった。

「じゃあね、ハナコ。また明日」

ネコがそう言って教室の出口に向かおうとすると、

ハナコが素早くネコの腕を掴んだ。

「待って待って! 今から体育祭の練習だよ!」

「……え?」

ネコは目を丸くした。

「もう今日やるの?」

「もちろん! 早めにクラスみんなで練習しなきゃ!」

ハナコは目をキラキラさせてネコの手を引いた。

ネコは一瞬、父親が帰ってくる時間帯を思い浮かべ、胸が重くなる。

(……今日はまだ帰りたくない……)

ネコは小さく息を吐き、素直に頷いた。

「……わかった。行ってみる」

二人がグラウンドに向かうと、そこには予想外の光景が広がっていた。

クラスメイトだけでなく、

なんと全校生徒の半分近くが集まっていた。

ざわざわと賑やかで、明らかに通常のクラス練習の人数ではない。

ネコは目を丸くして立ち止まった。

「……多すぎない!?」

ハナコは悪びれもせずに笑いながら答えた。

「みんなハル先輩と写真撮りたいんだよ〜」

ネコは呆れた顔でハナコを見た。

「……やっぱり下心かよ」

「戦略だよ戦略!」

ハナコは全く悪びれず、ネコの背中を押してグラウンドへ進んだ。

ネコはため息をつきながらも、ハナコに連れられて練習に参加することにした。

 

そしてネコはクラス対抗リレーの練習に参加していた。

クラスメイトと一緒にバトンの受け渡しやスタートの練習を繰り返し、

ハナコも同じメンバーとして汗を流している。

「ノラー、もっと腕振って! スピード落とさないで!」

ハナコが息を弾ませながら声をかけてくる。

ネコは頷きながらも、内心では少し気が重かった。

そのとき、隣のグラウンドで二年生の練習をしている方から、大きなざわめきが起こった。

ネコは思わずそちらに目を向けた。

 

 

二年生のクラス対抗リレーの練習中だった。

最後のアンカー走者がスタートラインに立ち、

バトンを受け取った瞬間——

ハル先輩だった。

ハルは地面を蹴り、驚異的な加速で走り出した。

他の走者を次々と抜き去り、まるで別次元のスピードでトラックを駆け抜ける。

ゴールラインを越えたときには、すでにぶっちぎりの一位。

二位との差は圧倒的だった。

女子生徒たちから大きな歓声が上がった。

「きゃあああ! ハル先輩すごい!」

「また一位だよ! 最強すぎる!」

ネコはぼんやりとその光景を見つめ、

内心で思わず呟いた。

(……もう優勝者、決まってるんじゃ……)

ハナコが隣で息を弾ませながら、興奮気味に言った。

「やっぱりハル先輩は別格だよね……」

ネコは小さく頷いた。

グラウンドの向こうで、ハルはゴールした後も息一つ乱れず、

クラスメイトに軽く手を振っていた。

その姿は、いつも通り優しく、穏やかだった。

 

 

ネコは弱気になっていると後ろでハナコがクラスメイトに声をかけていた。

ハナコをクラスメイトが囲んで意気込みを叫んでいた。

 

 

「大丈夫!!私達なら勝てる!!優勝目指すぞぉ!!」

『『うぉぉぉぉぉぉ!!!!いくぞぉぉぉ!!!』』

「気合い足りてるのかなぁ!!??」

『『アーーーーイ!!イェッサーーーーーーー!!』』

 

男子女子問わず、ハナコの発破に応えていた。

すでにクラスをまとめていることにネコはめっちゃ驚く。

 

「いやもう軍隊じゃん…」

ハナコの声掛けにクラスメイトはハナコとネコの前に整列し、敬礼までしている。

訓練もしてないのによくここまでの連携力を身につけたんだなと感心する。

 

しかしネコの気持ちは暗かった。

ハルに勝てる気がしないのだ。

 

そんな不安を払拭するかのようにハナコはネコに言った。

 

「最悪、リレーで負けても大丈夫だよ。ハル先輩が出てない競技で勝てば、ポイント的に十分逆転できる見込みはあるんだから!」

ハナコは自信満々に胸を張り、豪語した。

ネコは少し考え込み、指を軽く鳴らした。

「……それなら、勝てるかも」

少し希望が見えた気がして、ネコの表情がわずかに明るくなった。

しかし、その直後——

隣のグラウンドで、二年生の棒倒しが始まった。

ネコの視線が自然とそちらへ向かう。

中央に立っていたのは、ハル先輩だった。

相手クラスの生徒たちが棒に群がり、必死にハルを引き倒そうとする。

だがハルは軽やかに体をかわし、一瞬の隙を突いて高く跳躍した。

その跳躍力は異常だった。

 

ハルは棒の上部にしっかりと掴まり、

体重を思い切りかけて一気に引き倒した。

ゴンッ、という大きな音とともに、

棒が地面に倒れる。

一瞬で勝負がついた。

周囲から驚きの声と歓声が上がる中、

ネコは完全に唖然としてその光景を見つめていた。

「……え?」

ハナコも隣で口を半開きにしている。

ハルは倒れた棒から降りると、いつもの穏やかな笑顔で軽く手を振っただけだった。

左腕がないとは思えない、軽やかで圧倒的な動き。

ネコは小さく呟いた。

 

「……あれで勝てる見込みって……本当にあるのかな」

ハナコはまだ呆然としながらも、

気を取り直して拳を握った。

「う、うん……! まだ他の競技もあるし……頑張ろう!」

しかしその声には、さっきまでの勢いが少しだけ欠けていた。

グラウンドの向こうで、ハルが次の準備を始めている。

 

体育祭の練習は本格化していた。

次の競技は綱引き。

クラス対抗で始まったが、結果は最初から明白だった。

ハルのいる二年生のクラスが、

一方的に相手クラスを引きずり倒していく。

ハルが後ろで軽く体重をかけただけで、

相手チームはあっという間にラインを越えられた。

「うわ……またハル先輩のクラス勝ってる……」

ネコがぼやくと、ハナコも肩を落とした。

続いて玉入れの練習が始まり、他の生徒がいくら頑張っても、ハルが一度ボールを投げると、ほぼ全てがバスケットの中に入る。

正確で、速くて、まるで吸い込まれるように決まっていく。

ネコは呆然としながら呟いた。

「……もしかして、ハル先輩って全競技に出場するんじゃないの?」

ハナコは即座に首を横に振った。

「ルール的にダメでしょ。一人が全種目出るなんてありえないよ」

しかし——

ちょうどそのとき、通りがかった担任の先生が二人の会話を聞き止めた。

「ああ、ハルか。彼女は特別出場枠として、全種目に出場することになってるよ」

ネコとハナコは同時に固まった。

「……え?」

先生は当たり前のように続けた。

「地元の新聞社とテレビ局が取材に来るんだ。ハルは去年も大会記録を何個も更新したから、今年も期待されてるらしい。特別に許可が出てるんだよ」

ネコは目を丸くして、ハナコと顔を見合わせた。

ハナコが震える声で聞いた。

「先生……それって、本当に全種目ですか?」

「うん。全種目だ。…まぁ頑張れ」

先生はそう言い残すと、何事もなかったようにその場を去っていった。

ネコはしばらく言葉が出なかった。

「全種目……って……」

ハナコも青ざめた顔で呟いた。

「……優勝、確定じゃん……」

二人は同時に、隣のグラウンドで軽くストレッチをしているハルの姿を見た。

ハルはいつもの穏やかな笑顔で、

クラスメイトと何かを話している。

その姿は、まるで体育祭の主役のように堂々としていた。

ネコは小さくため息をついた。

「……ハル先輩、ほんとに怪物だね」

「見てよ、連続で出場してるのに全然息切らしてないよ」

「……やっぱりハル先輩、すごいよね」

ハナコは深く頷き、ため息混じりに答えた。

「あの人はもうアイドルとかのレベルだよ。スポーツも勉強もルックスも完璧すぎて、逆に怖いくらい」

ネコは少し首を傾げて聞いた。

「どのくらいすごいの?」

ハナコは周りを少し気にしてから、声を潜めて話し始めた。

「知ってる先輩に聞いた話なんだけど……体育の時間でハル先輩が着替える時間になったら、男子はもちろん、女子も部屋から出なきゃいけないっていう暗黙のルールがあるんだって」

ネコは目を丸くした。

「え……なんで女子までも追い出されるの?」

ハナコは少し言いづらそうにしながらも、続けた。

「前に、ハル先輩の着替えを目の当たりにした女子生徒が、

顔を真っ赤にしてフラフラになって保健室に連れて行かれたらしいよ。

それ以来、みんな『見ちゃダメ』って自主規制するようになったんだって」

ネコは言葉を失った。

「……マジで?」

「マジだよ。」

ネコは隣のグラウンドで軽くジャンプしているハルの姿を改めて見た。

細いのに引き締まった体躯、左腕がないことをまるでハンデに感じさせない優雅な動き。

確かに、ただ綺麗というだけでなく、どこか圧倒的な魅力があった。

「……なんか、納得しちゃうかも」

ネコが小さく呟くと、ハナコは苦笑いした。

「でしょ?」

 

ネコとハナコがベンチで休憩しながら体育祭の話をしていると、後ろから柔らかい声がかけられた。

「ネコちゃん、ハナコちゃん」

「ひゃあっ!?」

二人は同時にびっくりして飛び上がり、腰を抜かしてベンチから転げ落ちそうになった。

振り返ると、そこに立っていたのはハルだった。

夕陽を背に受け、いつもの穏やかな笑顔を浮かべている。

「ごめんね、驚かせちゃった?」

ハルはネコに向かって特に優しく微笑みかけた。

ネコは胸を押さえながら立ち上がり、顔を赤くした。

「せ、先輩……急に後ろから声かけないでください……」

一方、ハナコは完全に目をハートマークにして、

興奮で体を小刻みに震わせていた。

「ハ、ハル先輩……! か、かっこいい……! 美しすぎる……!」

ハナコは勢いよく立ち上がり、両手を差し出した。

「握手してください! お願いします!」

ハルはくすっと笑って、素直に右手を差し出した。

「うん、いいよ」

二人が握手を交わすと、ハナコは「きゃあああ!」と小さな悲鳴を上げ、

嬉しさのあまりその場で飛び跳ねた。

ネコは慌ててハナコの腕を掴んで引き離した。

「ハナコ! ちょっと待って!私たち、今は一応対戦相手なんだから……!」

するとハルは柔らかく微笑みながら首を振った。

「本番じゃないからいいでしょ?今はまだ練習中だし」

ハルは少し視線を下げて、ネコとハナコの練習着を見た。

「リレーの練習?」

ネコは少し照れくさそうに頷いた。

「……はい。優勝目指して頑張ってます」

ハルは優しい目でネコを見つめ、静かに言った。

「そうなんだ。頑張ってね。応援してるよ」

その言葉に、ネコの胸が少し温かくなった。

ハナコはまだ興奮冷めやらぬ様子で、ハルの横顔を夢見心地で見つめ続けている。

 

ネコはまだドキドキしながら、ハルに聞いた。

「……先輩、全種目出場するって本当ですか?」

ハルは少し困ったような笑みを浮かべ、素直に答えた。

「うん、出場するよ」

しかし、すぐに言葉を付け加えた。

「……正確には、出場させられた、かな」

ネコとハナコが同時に首を傾げると、ハルは少し遠慮がちに説明を始めた。

「本当はリレーだけ出る予定だったんだけど……地元活性化の兼ね合いもあって、わざわざ校長先生が頭を下げてきてね。一度は断ったんだけど……その後、町長さんまで頭を下げてきて……もう、断れなくなっちゃった」

ハルは頬を軽く掻く

「自分が出場すると、他の人の枠を取ってしまうから嫌だったんだけど……」

ネコは真剣な顔でハルを見つめ、静かに言った。

「でも……それだけ期待されてるって、すごいことだと思います。

特別を許されてて、誰も抗議しないのは、

みんながハル先輩の実力を認めている証拠じゃないですか」

ハルは少し照れたように目を細めた。

その横で、ハナコは完全に興奮状態だった。

「ハル先輩……! 一生手を洗わないと誓います……!」

ネコは即座にハナコの肩を掴んで、呆れた顔で言った。

「ちょっと黙ってて、ハナコ」

「は、はい…」

 

ハルはその様子に笑い、ネコの頭を撫でると

 

「じゃあまたね!お互いに頑張ろ!」

 

手を振ってハルはクラスの元へ走って行った。

 

「…勝つよハナコ…ハル先輩相手にも負けない」

そう決意するネコ。しかしハナコは返さない。

 

「ハナコ?」

 

すぐにハナコに視線を向けるネコ。

そこには目がハートになって倒れてるハナコがいた。

 

(…ふ、不安だ…)

 

 

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