ある日、青いリボンと、赤いリボンの少女二人は一緒に手を繋いで、夕方の道を歩いていた。
まだ幼いハルは気が弱く、臆病で、いつもユイの後ろをちょこちょことついていくような子だった。
その日も、二人はいつものように手を繋いで帰り道を歩いていた。
すると、前方に大きな犬が現れた。
ハルは一瞬で足を止めた。
「う……っ」
足が震え、ユイの手を強く握りしめる。
犬は威嚇するわけでもなく、ただハルの進む道を塞ぐように座っていた。
しかしハルは怯え、涙目になってしまう。
ユイはハルの震える手をしっかり握り返し、勇敢に前に出て、犬に向かって声を張り上げた。
「あっちいけ!」
小さな体で精一杯胸を張り、犬を睨みつける。
犬は少し驚いた様子で耳を倒し、そそくさとその場から退散していった。
ハルはまだ震えながら、ユイを見上げた。
「……ありがとう、ユイ」
ユイはにっこり笑って、ハルの手を握る。
「大丈夫だよ、ハル」
ハルは目を潤ませながら、ユイに寄りかかるように言った。
「ユイがいないと……私、何もできないよ……」
ユイはハルの頭を優しく撫で、少し大人びた笑顔で答えた。
「大丈夫。私がずっとハルを守ってあげる!!!」
ハルはユイの言葉に、安心したように微笑んだ。
二人は再び手を繋ぎ、夕陽に照らされた道を、ゆっくりと歩き出した。
小さな手と小さな手が、しっかりと結ばれており、ユイとハルの表情はとても明るくて、幸せだった。
○◆
ネコが目を覚ましたとき、体はすでに歩いていた。
周りの景色は見慣れた通学路ではなかった。狭い路地で、近くに近所の子供たちが数人集まっている。
ネコは慌てて声を上げようとした。
「え……!?」
しかし、声が出ない。
体を動かそうとしても、指一本動かせない。
ネコの体は勝手に動き、地面に落ちていた木の棒(コマ)を拾い上げ、
子供たちと一緒にコマ回しを始めていた。
子供たちが笑いながら拍手する。
「すごい! 上手!」
ネコは頭の中で激しく混乱した。
(なにこれ……!? 私の体が勝手に……!)
すると、ネコの口が勝手に動き、得意げに話し始めた。
「どう?上手いでしょ?」
(・・・・え?)
「コツはね、もう元気いっぱい腕を振り回すことだよ」
「なにそれ〜!」
「おもしろーい!」
(なんで勝手に喋ってるの!?)
ネコはネコ自身の声で子供達を楽しく談笑をしていた。
しかしその場所にネコの心はない。
ネコから見れば、ネコの身体だけが子供達と会話しており、その様子はこれ以上ないほど不気味に思えた。
恐怖感で声を失っていると、身体がネコ自身の声で話しかけてきた。
「ふふっ、びっくりした?」
ネコは内心で叫んだ。
(誰!? 私の体から出てって!)
少女の声が、ネコの頭の中で明るく響いた。
「ごめんね。私は今、あなたの身体を借りてるの。あそこは不法投棄が多いから、上に気をつけなきゃダメだよ。タライが落ちてきちゃったんだ」
ネコは必死に訴えた。
(身体を返して! 早く!)
少女は少し悪戯っぽく笑うような気配を漂わせて言った。
「えー、少しぐらいいいじゃん。ね?」
そのやりとりで、自分の体を乗っ取ったのがあの追いかけた女の子だとすぐにわかった。
ネコがさらに抗議しようとすると、少女は楽しそうに聞いた。
「そういえば、あなたの名前は?」
ネコは咄嗟に答えてしまった。
「ネコ……です」
少女はくすくすと笑った。
「ネコちゃんか……可愛いね」
ネコは褒められたことに一瞬動揺し、
すぐに恥ずかしさと怒りが混じって声を荒げた。
(褒めないで! 早く体を返してよ!)
少女は少し間を置いてから、穏やかな声で言った。
「じゃあ、自己紹介しなきゃね。私はユイ。よろしくね、ネコちゃん」
ネコは頭の中でその名前を繰り返し、胸がざわつくのを感じていた。
ユイはネコの体を軽やかに動かし、子供たちと一緒にコマ回しを続けながら、
楽しそうに笑っていた。
だがネコはそれどころじゃない。
身体を返してもらうように必死に心の中で叫び続けた。
「あー…」
(なに!早く返して!)
ユイは一旦コマ回しをやめて、心臓に手を当てる
「まだわからないかな?私がその気になれば、この身体をぶっ壊すことなんて簡単なんだけど…」
(・・・・・!!!!)
その言葉を聞いてもう黙ることしかなくなった。
相手は得体の知れない相手で出来ることは何もない。
静かになったネコを確認して、ユイは子供達に笑顔で返して、コマ回しを再開する。
(な、なんでこんなことに…)
ユイはネコの体を借りたまま、遊び続け、子供たちと別れると、近くの公園や街の中を軽やかに駆け回り始めた。
風を感じ、看板の影を飛び越え、楽しそうに笑う。
体を一回転させたり、公園で遊んでいる子供達に混ざってシーソーで遊んだり、鉄棒で何回転もしたり、やりたい放題だった。
朝一から幼い子供達と遊ぶ女子高生なんて見てられない光景なわけで、もちろんそんな人は子供達からも変な目で見られても仕方ないはずだけど…
「ねーちゃんスゲー!!」
「いまのどうやってやったの!!!」
一瞬にして公園の子供達の心をユイは掴んだ。
初めて会った子達なのにユイは子供達に囲まれ、鉄棒の連続逆上がりや、ブランコからの飛び降り着地などでなんども拍手喝采を受ける。
「ユイお姉ちゃんの仲間になりたい子はこの指止まれ!」
ユイが人差し指を空高く指差すと、子供達は「ハイ!!」と群がっていく。
人気者のユイにネコは勇気を出して声を出す。
(もうやめて!その子達に何する気なの!!)
ユイは耳を塞いで、子供達に「ちょっとタンマ」と呟き、ネコの質問に返す。
「別に何もしないよ…ただ遊んでるだけじゃん」
(危害とか絶対加えないでよ!あと…私の身体を返して!)
「身体はまだ返せないけど…子供には手を出さないから安心して。あと1時間でいいから黙っててくれない?今本当に楽しいんだから」
(私…学校があるんだけど!!早く行かないと遅刻するし…そんなに遊んでられないよ!)
ネコの言葉にユイは悲しそうな顔をするが、すぐに取り繕い、自分の首を両手で掴み始めた。
「静かにしてくれる…?」
(・・・・・・)
静かにするしかないネコを確認し、ユイは子供に振り返って遊び始める。
時間を忘れ、遊び尽くし、子供達が保護者達に連れ帰られ、やがてネコ1人になる。
1時間と言いながら、時間はすでにもう昼過ぎだ。
ユイは地面に座り、休憩すると、ネコの沈黙を感じ取り、気を使うように声をかけた。
「…大丈夫?」
ネコは静かに答えた。
(もう遅刻確定だから……気にしなくていいよ)
ユイは公園の時計を見て、慌てたように言った。
「ごめんね……時間、結構経っちゃってる……」
ネコはため息のような気配を返した。
ユイは少し申し訳なさそうにしながら、ネコの体をゆっくりと起き上がらせる。
ネコはようやく本題を切り出した。
(……ユイって、誰なの?)
ユイは説明に困った様子で、少し間を置いた。
「…とりあえず、私は幽霊だよ」
ネコは頭の中で大きく驚いた。
(幽霊……!?)
ユイはネコの驚きを感じ取り、静かに続けた。
「昔、この街よりも遠くの場所に住んでて……理由は上手く説明できないやだけどこの街に用があってさ…」
ユイは説明に困ったようにリボンをいじり始める。
冷徹なイメージがあったが、話し始めてみると、意外と普通なユイにネコは質問を続ける。
(私の妹に化けてた理由なに?)
「あれは化けてないよ。あれが私の生前の姿だから……ただ、見た目が似てたから、勘違いされちゃったんだと思う」
ネコは言葉を失った。自分の体を乗っ取っているのが、ユイという幽霊だという事実に、頭が混乱していた。
ユイはネコの体の中で小さく息を吐き、
静かに言った。
「ごめんね……少しだけ、自由に動きたかったの」
ネコはまだ何も言えずに、ユイに操られた自分の体が、公園のベンチに座っているのを感じていた。
「あと…脅すようなこともしてごめん…貴方の身体を傷つけるつもりはないから安心して。絶対に無傷で返す。…ずっと何もできなかったからこうやって遊べることが楽しくて…でもネコには関係ないよね…ごめんなさい」
(いや…いいよ…もう…)
誠実な謝罪にネコは困惑する。
一気に無害化した相手に今度はどう接すればいいかわからなくなる。
もしかしてユイって優しい?
○◆
ユイはネコの体を借りたまま、街を軽やかに歩いていた。
ふと、通り沿いのレストランの窓を覗き込み、
中に入っている人々が食べているものを見て目を輝かせた。
「ねえ、これ何を食べてるの?」
ネコは頭の中で少し呆れながら答えた。
(ピザとかパスタだよ)
「ふーん…」
ユイはすぐにレストランの中に入り、席に座ってメニューを広げた。
迷うことなくパスタを注文する。
「すみませーん!これください!」
ネコは慌てて抗議した。
(ちょっと! 誰がお金払うと思ってるの!?)
ユイはネコの体の中で可愛く首を傾げ、甘えた声で言った。
「少しだけ……いいでしょ?」
(いや、言い訳ない…)
「お願いネコお姉ちゃん…」
猫甘え声でやってくる相手にネコは毅然として対応する
(絶対ダメ!甘えても無駄だよ!)
「じゃあ全裸でその辺疾走しようかな」
(あぁもう!パスタとピザだけね!!」
「ありがとうネコ!」
ネコはため息をつきながらも、結局許してしまった。
料理が運ばれてくると、ユイは目をキラキラさせてフォークを握り、
パスタを一口食べた瞬間、大喜びで体を震わせた。
「わあ……! 初めて食べた……すごく美味しい!」
ネコは頭の中で驚きながら聞いた。
(初めて?)
ユイは幸せそうにパスタを頰張りながら答えた。
「うん。生きてる時は全然こんなもの食べられなかったから……
すごく嬉しい」
その言葉を聞いて、ネコは胸が少し痛くなった。
「こんなご馳走…めったに食べられないよ〜」
ユイは本当に美味しそうにパスタを口に運んでいく。
ご馳走って言葉に少し引っかかってネコは食事中のユイに口を挟んでしまう
(ご馳走って…ただのパスタだよ?)
「生きてる時はその日のお小遣いのほとんどを犬の餌に当ててさ…私おにぎり一個生活してたんだよね」
(え!?全然足りないでしょ!!)
「足りないけど仕方ないよ。お金ないし」
ネコは言葉を失う。
悲しそうには言ってない。
むしろユイはパスタを食べ、嬉しそうだった。
だが妹がいるネコは、ユイと妹を重ねてしまう。
妹がおにぎり一個で耐え忍ぶ生活を妄想してしまうとあまりにも可哀想で胸が痛くて痛くて仕方がない。
そしてネコは静かに言った。
(……いっぱい食べていいよ)
ユイは一瞬驚いたような気配を漂わせ、
すぐに嬉しそうな声で返した。
「本当に? ありがとう……!」
その後、送られてきたピザを前に、ユイはさらに目を輝かせた。
ピザを一口かじると、幸せそうに頰を緩め、ネコの体で小さく喜びの声を上げた。
「これも……美味しい……」
ネコは自分の体が勝手に動くことにまだ戸惑いながらも、ユイの純粋な喜びを感じて、静かに見守るしかなかった。
レストランの柔らかい照明の下で、ユイは久しぶりの食事を、心の底から楽しんでいた。
○◆
ユイはネコの体を借りたまま、次々と送られてくる料理を見事に平らげた。
その代償に財布を開けてみると、中はすっかり空になっていた。
(……お金全部なくなった)
ネコの身体の中でめっちゃ落ち込み、膝と両手をつく。
だなユイは満足そうに息を吐き、幸せな声で言った。
「こんな贅沢、初めてだよ。本当にありがとう」
その言葉を聞いて、ネコは胸がまた痛くなった。
(……そんなに食べられなかったんだ……)
ネコはため息をつきながらも、結局許す。
(……もういいよ。今日は特別だと思って)
ユイは嬉しそうにネコの体で微笑んだ。
その直後——
レストランのすぐ外で事件が起きた。
ベンチに座っていたご老人のバッグを、若い男が素早く奪い取り、バイクに跨がって猛スピードで逃げ出した。
ネコは内心で激しく怒った。
(なんて酷い……!)
しかしユイは即座に反応した。すでにネコの体が動き出していた。
ユイは迷わず男を追いかけ始めた。
ネコの体は、普段のネコとは比べものにならないほど素早く動いた。
路地を駆け抜け、建物の壁を蹴って屋根に飛び乗り、アクロバティックに家と家の間を飛ぶように走り抜ける。
ネコは頭の中で悲鳴を上げた。
(ちょっと! 私の体で何してるの!?そんな動き、普通できないよ!!)
ユイは楽しげに、しかし真剣な声で答えた。
「大丈夫! 私、昔からこういうの得意だったから!」
男のバイクが路地を疾走する中、ユイは屋根の上から一気に飛び降り、
男の後ろに着地した。
そのまま男の肩を掴み、地面に引きずり倒す。
男は悲鳴を上げて転がり、バッグを落とした。
ユイはすぐにバッグを拾い上げ、
男を軽く睨みつけてから、その場から離れようとする。
男は地面から起き上がり、逆上してユイ(ネコの体)に襲いかかってきた。
「このガキ……!」
男の拳が振り上げられ、ネコは頭の中で激しく焦った。
(危ない! ユイ、逃げて!)
しかしユイは冷静だった。
ネコの体を軽やかにかわし、男の腕を掴んでそのまま体を翻す。
簡単な投げ技のような動きで男を地面に叩きつけ、素早く取り押さえた。
男は動けなくなり、うめき声を上げた。
すると周りに集まっていた人々がすぐに駆け寄り、男をロープやベルトで縛り上げてくれた。
「すごい! あの子、強かったね!」
「助かったよ、ありがとう!」
街の人々がユイ(ネコの体)を称賛し、拍手が起こった。
ネコは頭の中で素直に褒めた。
(……すごいね、ユイ)
ユイはネコの体で少し照れくさそうに笑いながら、静かに答えた。
「弱い人から理由もなく奪う人は、嫌いなんだ」
その言葉はシンプルだったが、
正義感が強くて勇敢な響きがあった。
ネコは自分の体を操るユイの姿を見て、ふと胸が熱くなった。
(……幽霊なのに、なんだか惚れてしまいそう……)
ユイはネコのそんな気持ちを感じ取ったのか、
くすくすと笑った。
「ふふっ。ありがとう、ネコちゃん」
ネコの体はまだユイに操られたまま、
周囲の人々に軽く頭を下げてその場を離れた。
風が吹き、ネコの心は少しだけ、ユイに惹かれ始めていた。
男を取り押さえた後、すぐにご老人の元へ走って戻った。
ネコの体は軽やかに動き、落とされたバッグを拾い上げて老人に差し出した。
「大丈夫ですか? これ、落としましたよ」
ご老人は驚きながらも、深く頭を下げてお礼を言った。
「ありがとう……本当に助かったよ。孫が待ってるんだ。こんな大事なバッグをなくしたら大変だった」
老人は財布から五万円の札束を取り出し、ユイ(ネコの体)に差し出した。
「これはお礼だよ。お小遣いと思って受け取ってくれ」
ユイは目を輝かせて喜び、受け取ろうとした。
しかしネコは頭の中で即座に叱った。
(お金なんて貰えないよ! ユイ!)
ユイは一瞬びっくりした後、素直に納得した。
「確かに……」
ユイはネコの体で優しく微笑み、老人に向かって丁寧に断った。
「ありがとうございます。でも、これは受け取れません。おじいちゃんが無事でよかったです」
ご老人は少し困った顔をしたが、すぐに柔らかい笑顔になった。
「これはちょっと早いお年玉だと思って、受け取ってくれないか?こんな活気のいい若者に会った嬉しさもある…さぁ受け取りなさい」
老人はユイの手を優しく握り、五万円をそっと握らせた。
ユイは少し迷ったが、ネコの体でお辞儀をした。
「ありがとうございます……」
ご老人は満足そうに頷き、手を振って別れた。
(いいことしたね)
「…うん」
しばらく、ユイは握ってもらえた手の方を見つめながら歩き続けていた。
2人は沈黙が続いていたが、ネコの方から話を切り出す。
(そろそろ身体を返してくれない?)
ユイは少し寂しげに、でも優しく答えた。
「少しだけ待って……お願い」
ネコは困惑しながら聞いた。
(なんで?)
ユイは静かに、しかしはっきりと言った。
「会いたい人がいるから。その人に会えたら、もう未練なんてなくなると思うの」
ユイはネコの体を軽く動かし、高校の方へ向かい始めた。
学校の敷地に近づくと、ユイは忍者みたいにコソコソと物陰を移動し始めた。
壁に張り付いたり、植え込みの後ろに隠れたり、不自然な動きで進んでいく。
ネコは呆れながら言った。
(私はこの学校の生徒なんだから、そんなコソコソする必要ないよ)
ユイはピタリと動きを止め、ネコの体の中で恥ずかしそうに縮こまった。
「…あ、ごめん。つい、昔の癖で……」
ユイの声が少し小さくなり、ネコの頰が熱くなった。
学校内に入ると、ユイは人を探すように周囲を見回し始めた。
ネコは気になって聞いた。
(誰を探してるの?)
ユイは即答した。
「親友」
その言葉に、ネコは少し驚いた。
ユイは続けて、静かな声で言った。
「全部、自分のせいなんだけど……
最後にどうしても会いたいの」
ネコはそれ以上何も言えなくなり、
ユイに操られた自分の体が、校舎の影をコソコソと移動するのを感じていた。
ユイの動きは慎重で、でもどこか切なげだった。
○◆
ユイはネコの体を借りたまま、校舎の廊下を慎重に進んでいた。
やがて、廊下の先にハルの姿を見つけ、ハルは後輩の女子たちに囲まれ、優しく微笑みながら話を聞いている。
後輩たちは目を輝かせ、ハルに夢中になっていた。
「ハル先輩、今日もすごかったです!」
「体育祭、絶対優勝してくださいね!」
ハルは穏やかに頷きながら、みんなの言葉に耳を傾けていた。
ユイはその姿を見た瞬間、胸が締めつけられた。
成長したハルを見て、ユイは様々な記憶が呼び起こされる。
懐かしい気持ちどころじゃない、色々な気持ちがユイを襲う。
ハルが幸せそうな姿を見て、感極まってしまい、ネコの体が勝手にトイレへ駆け込んだ。
さらに個室に入るなり、ユイはネコの体で泣き出してしまった。
「うっ……うう……」
そして崩れ落ちるように膝をついた。
「うわああああああっ……!!」
ユイは大声で泣き出した。
ネコの喉から、抑えきれない嗚咽が爆発する。
「ハル……ハル……!」
(え…?ハル…?)
ユイの口から出た言葉にネコは驚く。
だがユイの方はそれどころではなく、立っていられなくなり、ユイはネコの体を壁に寄りかからせ、床にへたり込むように座り込んだ。
両手で顔を覆い、肩を激しく震わせながら泣きじゃくる。
「うううっ……うわあああっ……!」
涙が指の間から溢れ、ネコの制服の袖をびしょびしょに濡らしていく。
「変わってない……優しいまま…………ちゃんと笑ってる……」
ユイは声を殺そうとするが、抑えきれず大きな嗚咽が漏れる。
「ごめんね……本当に、ごめんね……私が……全部私のせいなのに……!」
昔の記憶が、次々と蘇る。
ハルと一緒に笑っていた日々、遊んだこと、初めて出会ったあの日、握った手、一緒に子犬の世話をした思い出、最後に見たハルの泣き顔——
すべてが胸を締めつけ、ユイはネコの体の中で小さく縮こまり、
床に額を押しつけて泣き続けた。
「会いたかった……ずっと、会いたかった……」
涙が止まらない。
ネコは頭の中で驚きながらも、
ユイの深い悲しみを静かに感じ取っていた。
ユイはなんとか息を整えようと必死に体を震わせ、
袖で涙を拭ったが、すぐにまた新しい涙が溢れてきた。
ネコは驚いて頭の中で聞いた。
(ユイ……どうしたの?)
ユイは涙を拭いながら、なんとか声を抑えて答えた。
「……ごめん。ちょっと……」
ユイは深呼吸を繰り返し、なんとか泣き止んだ。
そして、再び廊下へ出ると、ハルの元へ向かおうとした。
しかし、その瞬間——
ハルの背後に、白い影が音もなく現れた。
コトワリ様。
顔のない影が、巨大な赤いハサミを手に持ち、ユイ(ネコの体)に向かって斬りかかってきた。
ユイは即座に反応し、ネコの体でバック転をしてかわした。
「っ……!」
コトワリ様は容赦なく追いかけてくる。
ユイは全力で逃げ始めた。
ネコの体は廊下を駆け、階段を飛び降り、校舎の中を必死に逃げ回る。
ハサミが何度も空を切り、壁や床に深い傷を残していく。
ユイは息を荒げながら、ネコの体で全力疾走を続けた。
(ユイ! 何これ!? どうして追いかけられてるの!?)
ユイは必死に走りながら、短く答えた。
「ごめん……でも、絶対に捕まりたくない……!」
コトワリ様の影は容赦なく追い続け、校舎内を全力で逃げ回っていた。
だがコトワリ様は無言で赤いハサミを構えながら後を追ってくる。
ネコは頭の中で必死に叫んだ。
(ユイ! コトワリ様がなんで追いかけてくるの!?)
ユイは息を荒げながら、ネコの体で角を曲がり、階段を飛び降りた。
「コトワリ様……知ってんの?」
ユイは驚いた声で聞き返したが、その直後——コトワリ様がハサミを勢いよく投げつけてきた。
シュンッ!
赤いハサミが回転しながら飛んでくる。
ユイはネコの体で素早くバックステップし、ギリギリで避けた。
ハサミは壁に深く突き刺さり、コンクリートにヒビを入れた。
ユイは息を整えながら、走り続けながら答えた。
「実は……私が悪いんだ。約束ごとを破ってるのは自分で……あのお化けは、やることやってるだけなんだよ」
ネコは困惑しながらも、ユイの言葉を聞いていた。
ユイは全力で逃げ続けたが、コトワリ様の追跡は執拗だった。
やがて、ユイは校舎の奥の行き止まりの廊下に追い詰められた。
壁が背後に迫り、逃げ場がない。
ユイはネコの体で息を荒げ、思考を巡らす。
だがすぐにこのままだと、ネコの身体が危ないと悟り、ユイは行動に移す。
「……またね!!!」
ユイはネコの体からするりと抜け出した。
白い影のようなユイの姿が現れ、そのまま壁をすり抜けて逃げていく。
コトワリ様は即座にユイを追いかけ、ハサミを構えて壁を突き破るように後を追った。
ユイがネコの体から抜け出した瞬間、ネコは自分の体に戻った。
しかし——
体が全く動かない。
指先一つ、足の先一つ、動かせない。
ネコは必死に体を起こそうとしたが、まるで体が自分のものではないように重く、床に倒れたまま微動だにできなかった。
「……うっ……」
声も小さくしか出ない。
身体中が痛い。
全身がずきずきと痛む。
焦りが一気に広がった。
(動けない……どうして……?体が……私の体なのに……動かない……)
ネコの心臓が激しく鳴り、息が浅くなる。
(助けて……誰か……)
そのとき、廊下の向こうから足音が聞こえた。
ハルだった。
ハルはネコの姿を見つけ、一瞬で表情を変えて駆けつけた。
「ネコちゃん!?」
ハルは慌ててネコのそばに膝をつき、ネコを抱き起こした。
「どうしたの? 大丈夫?」
ハルの手が温かく、ネコの背中を支えてくれる。
ネコはまだ体が震えたまま、ハルの胸に寄りかかりながら、か細い声で答えた。
「……先輩……体が……動かなくて……」
ハルはネコの顔を優しく覗き込み、心配そうに額に手を当てた。
「すぐに保健室に行こう。私が運ぶから、動かなくていいよ」
ネコはハルの温かさに包まれ、
ようやく少しだけ安心したような表情を浮かべた。
ハルはネコを抱きかかえるようにして立ち上がり、急いで保健室へ向かった。
○◆
ネコが目を覚ますと、そこは学校の保健室だった。
白い天井と、消毒液の匂い。
柔らかいベッドの上に横たわっている自分に気づき、ネコはゆっくりと体を起こそうとした。
すると、すぐに温かい腕がネコを抱きしめた。
「ネコちゃん……!」
ハルだった。
ハルはネコの体を優しく抱き寄せ、安堵の息を長く吐いた。
「よかった……目を覚ましたね」
「ハル…さん…」
ネコはハルの胸に顔を埋めたまま、ぼんやりと周りを見回した。
ベッドの横にコトモが立っていて、にこにこしながら手を振った。
「よっ、ノラちゃん。無事でよかったね」
「コトモ先輩…」
コトモは状況を簡単に説明してくれた。
「大遅刻した割に学校に忍び込んで、走りまくってたら筋肉痛で倒れたって聞いたよ。ハルが慌てて連れてきてくれて、私もあとから来たんだ」
なんだそりゃって言いたくなったが、他の人から見たら自分がそんな奇行を起こしていたらそんな評価になることに納得した。
ともかくとしてハル先輩に変な人と思われてなくて助かった…あと胸が当たってます…
すっごく大きくて柔らかいのが…
保健室の先生がネコの様子を確認しながら、穏やかな声で言った。
「筋肉痛と疲労が重なってるみたいね。今日は無茶はしないように。
安静にしていれば大丈夫よ」
コトモはハルの横で楽しそうに付け加えた。
「ハルが付きっきりで看病してたよ。本当に心配してたみたい」
先生は軽く笑って言った。
「病気じゃないけどね。でも症状が症状だから、一応病院に診てもらったほうがいいわよ」
その瞬間——
「病院」という言葉を聞いたネコの体が、ぴくりと凍りついた。
心臓が急に早くなり、息が浅くなる。
ネコは無意識にシーツを強く握りしめ、視線を落としたまま動けなくなった。
ハルはネコの異変に気づき、優しく背中をさすった。
「ネコちゃん……?」
ネコは小さく震えながら、
何も言えずにただハルの温もりに寄りかかっていた。
○◆
保健室での休憩を終え、ネコはハルと一緒に学校を後にした。
帰り道、夕陽が道を橙色に染めている中、ハルは静かに口を開いた。
「ネコちゃん、先生が言ってたよね。一応病院に診てもらったほうがいいって」
ネコは足を止め、視線を落とした。
「……後で行きます」
ハルは優しい声のまま、しかしはっきりと言った。
「今すぐ行くこと」
ネコは一瞬体を強張らせ、突然ハルの横をすり抜けて逃げようとした。
「待って……!」
しかし、ハルは素早く右手を伸ばし、ネコの腕を軽く掴んだ。
ネコは必死に抵抗する。
「離して……!」
体を捩り、腕を振りほどこうとするが、
ハルの片手だけで全く逃げられない。
力は優しいのに、決して離さない。
ハルはネコを無理やり引き寄せ、そのまま病院の方へ連れて行こうとした。
ネコは声を上げた。
「病院に行きたくない……!」
ハルはあえて厳しい表情を作り、静かだが強い声で言った。
「ダメだよ、ネコちゃん。ちゃんと診てもらわないと」
ネコはまだ抵抗を続け、ハルの袖を掴んで引き止めようとしたが、ハルは揺るがず、ネコを連れて歩き続けた。
そのとき、後ろからコトモの声が聞こえた。
コトモはたまたま居合わせて、二人の様子を見て近づいてきた。
「ハル、ノラちゃん。どうしたの?」
ハルはコトモを見て、少し助けを求めるような目をした。
コトモは状況を察し、ネコに向かって優しく言った。
「病院には行ったほうがいいよ。無理に我慢して悪化したら、もっと大変になるから」
ネコは二人の間に挟まれ、唇を噛みながら小さく震えていた。
ハルはネコの肩を抱き、静かに、しかし確かな声で言った。
「行こう、ネコちゃん」
夕陽が沈みかけた道で、
ネコはハルとコトモに連れられ、病院へと向かうことになった。
○◆
病院の白い廊下を歩いているだけで、ネコの足は次第に重くなった。
診察室のドアが近づくにつれ、胸の奥から冷たい恐怖が込み上げてくる。
(病院……嫌だ……行きたくない……)
ネコの呼吸が浅くなり、突然体が硬直した。
診察室の前で、ネコは急に後ずさり、逃げようとした。
「いや……!」
しかし、ハルとコトモが素早くネコの両腕を掴んで取り押さえた。
「ネコちゃん、落ち着いて」
ハルは優しい声で言いながらも、しっかりとネコを抱き止めた。
コトモもネコのもう片方の腕を抑え、困ったように笑った。
「ほらほら、逃げないでよ」
ネコは二人の手に必死に抵抗しながら叫んだ。
「病気かも知れないんだから、大人しくして」
ハルが静かに、しかし厳しく言った。
ネコは恐怖と混乱で声を張り上げた。
「お化けに取り憑かれてたせいだよ!あの子が……私の体に入って……!」
しかし、ハルもコトモも、スタッフも、誰も信じてくれなかった。
「ネコちゃん、落ち着いて。お化けの話は後で聞くから」
ハルはネコの背中をさすりながら、優しく諭すように言った。
ネコは大暴れを始めた。
腕を振り回し、足をばたつかせ、必死に逃げようとする。
ハルは率先してネコを抱きしめ、暴れる体を抑え込んだ。
「ネコちゃん……!」
その瞬間、ネコの激しい抵抗でハルのスカートがめくれ、
白い下着が一瞬見えてしまった。
コトモはそれを見て、思わず目を丸くし、油断した。
「わっ……!」
その隙に、ネコはハルの腕から抜け出し、
近くの窓に飛びついて外へ逃げ出してしまった。
ハルはスカートを直しながら、慌てて窓に駆け寄ったが、
すでにネコの姿は見えなくなっていた。
ハルはコトモを振り返り、珍しく強い口調で怒った。
「コトモ……! 油断しないでよ!」
コトモは頭を掻きながら、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんごめん……でも、ちょっと可愛かったから……」
ハルはため息をつき、窓の外を心配そうに見つめた。
「ネコちゃん……」
病院の白い廊下に、
ハルの心配そうな声だけが静かに響いていた。
○◆
ネコは病院から逃げ出した路地を、息を切らしながら歩いていた。
服の隙間から自分のあざをチラッと確認し、小さく呟いた。
「はぁ…はぁ…危ない…体のアザバレるところだった…」
ネコはまだ体が痛む中、ぼとぼと歩きながら続けた。
「……でもハルさんとコトモ先輩には悪いことしたなぁ…突き飛ばして逃げたとか、明日合わせる顔ないよ…」
そのとき、路地の先に突然あの少女が立っていた。
ユイだった。
ネコは驚いて声を上げた。
「ユイ!?」
ユイはネコの様子を見て、のんびりと言った。
「あれ、何か元気ないね」
ネコはすぐに怒りを爆発させ、ユイに詰め寄った。
「ユイが私から出たあと、全身が筋肉痛で倒れて動けなかったんだけど!
なんで事前に説明してくれなかったの!!」
ユイは少しびっくりした顔をして、慌てて手を振った。
「えぇ!?あー…ごめんごめん、憑依なんて初めてだったから何が起こるかなんてわかってなかったんだ…」
ネコはさらに声を荒げた。
「そんなわからないのに私の身体使ってたわけ!?ありえないでしょ!」
ユイも少しムキになって言い返した。
「だから!謝ってるじゃん!途中から身体使っていいって言ったのネコの方でしょ!」
ネコは即座に反論した。
「身体痛くなるぐらいなら貸さないよ!ていうか元はと言えば勝手に身体入ってきたのアンタでしょ!」
ユイは頰を膨らませて言い返した。
「はぁ!?じゃあ言わせてもらいますけど先に妹と勘違いしてタライに頭当たった間抜けはどこの誰!」
ネコは声を張り上げた。
「タライはアンタがあの場所に誘ったんでしょ!!」
ユイも負けじと叫んだ。
「逃げた先がたまたまあそこだったの!!」
ネコはさらに詰め寄った。
「嘘つかないで!私を気絶させるためにあんな行き止まりのエリアに誘導したんでしょうが!!」
ユイは両手を広げて反論した。
「私幽霊なのに見えた上で追いかけてくる人なんて今のいままでいないんだから土地勘ない場所で行き止まりに行くなんてあってもおかしくないでしょ!!言いがかりはやめてよね!!」
ネコは息を荒げながら言い返した。
「言いがかりでもなんでもないでしょ!!勝手に身体奪ったのは事実なんだから!!」
ユイも息を切らしながら言い返した。
「それはそうだけど私が憑依しなかったら今頃ゴミの山に埋もれてたけどね!!上から冷蔵庫落ちてきてもほっとけばよかったかな!」
ネコは顔を真っ赤にして叫んだ。
「無理やり身体動かされて病院連れてかれるなら冷蔵庫でも車でも下敷きになったほうがマシだよ!!」
二人はお互いに言いまくり、
やがて息が上がって肩で息をするようになった。
「ぜぇ…ぜぇ…」
「はぁ…はぁ…」
汗を拭いて、ユイの方から口を開く
「はぁ…はぁ…あははっ」
「…何笑ってんの?」
ユイは息を整えながら、照れたように笑った。
「誰かと話したり、喧嘩したことなんて久しぶりだから嬉しくて…私のこと見えても逃げ出す人がほとんどだったし、こうやって正面向いて話してくれるのが本当に嬉しい」
「・・・」
ユイの健気さに、ネコの怒りが嘘のように消え去った。
悪い子じゃないのがわかるほどの正直さに、肩の力が抜ける。
ネコは少し照れくさそうに言った。
「……お礼はいいよ…ていうかあの場所から運んでくれたのなら私もお礼言わなきゃ。ありがとねユイ」
ユイは少し驚いた顔をして、すぐに柔らかく微笑んだ。
「…ううん、ああは言ったけど半分は生きてた頃を思い出したかったのもあるからさ。勝手に身体取ったのは事実だし、痛めたのも私のせい。ごめんなさい」
ネコは小さく首を振った。
「もういいよ。なんなら普段できない動きをして面白かったし」
ネコの笑顔にユイも笑顔になる。
ネコは少し照れながら続けた。
「ユイも親友と会えてよかったね。私は学校があるから身体はそんなに貸せないけど、いつか成仏できるといいね」
「…?ちょっと待って!!」
「なに?」
ユイは慌てた様子で言った。
「会えたけど…会えてないっていうか…ごめん!もう一回身体貸して!!」
「えぇ!?ぜっっったい嫌なんですけど!」
ユイは必死に訴えた。
「ネコも見てたでしょ!ハサミのお化けに邪魔されて会話もできなかった!」
ネコは少し困った顔で答えた。
「見てたけど…しょうがないじゃん…あの怪物は…ハル先輩の守り神みたいな感じなんだから」
「・・・・え?」
ユイは突然動きを止め、驚いた顔でネコを見つめた。
「……ハルを知ってるの?」
ネコは少し驚きながらも、素直に答えた。
「私の……大好きな先輩だよ」
ユイは目を細めて、からかうような優しい声で続けた。
「へえ……じゃあ、ハルの好きなところって何?」
ネコは一瞬、黙りこんだ。
頭の中でハルの顔が浮かび、優しい笑顔、温かい手、守ってくれる強さ、
すべてが溢れてきて、言葉にできなくなった。
「……好きなところがありすぎて、答えられない」
ユイはそれを聞いて、突然大笑いした。
「あははっ! 私も同じだよ!ハルの好きなところなんて、いっぱいありすぎて答えられないよね!」
ユイの笑い声が、ネコの体の中で明るく響く。
ユイは笑いが収まると、静かに言った。
「ハルのことを知ってるのなら、話が早いね。もう一度、ハルに会いたい……どうしても会いたいんだ」
ネコは少し考え込んだ。
身体を貸したくない気持ちは本当にある。
でも、ユイの切ない声と、純粋にハルに会いたいという気持ちが、ネコの胸に響いた。
(……身体は正直貸したくないけど……ユイの気持ちにも、応えたい……)
ネコは悩みに悩んだ。
あの筋肉痛はもうなりたく無いが、何よりも大事になって病院に連れて行かれるのが嫌だった。
トラブルの元になるから貸したく無い…が、ユイに協力したい気持ちもある。
ユイはネコの沈黙を感じ取り、明るく言った。
「なんでも言うこと聞くから!協力するよ、ネコちゃん」
その言葉がきっかけで、ネコの頭に一つの考えが浮かんだ。
(……体育祭……)
ネコは自分のクラスの戦力を思い浮かべ、内心でため息をついた。
ハル先輩だけでなく、コトモ先輩もいる二年クラスは、基礎体力の時点で圧倒的に勝っていた。
どんな作戦を立てても、土台の時点で勝負にならない。
しかし、ユイが憑依した時のネコの身体能力を思い出すと、ネコの目が少し輝いた。
(ユイなら……勝てるかも)
でも、すぐに葛藤が襲ってきた。
(……でも、私はハル先輩に「手を抜かないで」って言ったのに……
こんなズルい方法で勝とうとしてる……いいのかな……)
ネコは唇を噛み、胸の中で葛藤した。
しかし、ハナコのあの真っ直ぐな目で「勝ちたい」と言った表情が、頭に鮮明に浮かんだ。
ーーー私とノラなら最強のコンビになれるって!一緒に優勝目指そ!
ハナコはあんなに勝とうとしている。
負けることなんて微塵も怖いと思ってない。
だからこそ私はハナコを勝たせてあげたいと思う…
そして、怖いことも思ってしまう。
ボロボロに負けて、みっともない姿を全校生徒だけでなく、ハル先輩にも見られる恐怖。
さらに自分のせいでクラスのみんなに恥をかかせてしまうことを想像すると、ネコは徐々に心が勝利に偏っていく。
ネコは決意を固め、ユイに向かって言った。
「……わかった。体育祭に協力してくれたら、ハル先輩に会うために協力するよ。約束する」
ユイはネコの体の中で、嬉しそうに笑った。
「本当!? ありがとう、ネコちゃん!」
ネコはまだ少し不安を抱えながらも、
ユイの明るい声に、静かに頷いた。