【街の解体屋】魔物解体配信、はじめます【初見歓迎】 作:解体新書が泣いている
ダンジョン中層、第四区画。
Aランク冒険者の桐島は、頭部だけを切り落としたブラッドモスキートを見下ろしながら、わずかに思案した。
体長二十三センチ。腹部が大きく膨らんでいる。吸血量の多い個体、羽の状態も良く、体色の発光も鮮やかだ。討伐直後に密封容器へ入れれば、血液器官の状態を保てる。
問題は、誰に解体を頼むか。
ブラッドモスキートの血液器官は薄い膜で覆われており、少しでも傷つけると血液が変質して価値が失われる。桐島がこれまで持ち込んできた解体師の中で、血液器官を無傷で回収できた者は一人もいなかった。膜を傷つけた状態で血液のみを採取するか、器官ごと廃棄するかのどちらかだった。それが当たり前だと思っていた。
先月、アーマーリザードの解体をある支部の解体師に頼むまでは。
あのとき桐島は素材を受け取った瞬間に言葉を失った。鱗が二百九十二枚、全枚数無傷。膜も完全に保たれている。長年冒険者をやってきた桐島でも、あれほどの仕上がりは見たことがなかった。
あの男なら、ブラッドモスキートの血液器官も無傷で持ち出すかもしれない。根拠はない。ただそう思った。
桐島は密封容器を鞄にしまいながら、行き先を決めた。
チャンネル登録者数が五万人を超えていた。
画面を確認しながら、作業台を拭く。先週から一気に伸びた。コメント欄には祝いの書き込みが並んでいる。
悪くない数字だが、それより目を引いた書き込みがあった。
「この配信を見て解体師になることにしました。来月から専門学校に通います」
そのコメントを目にして思わず手が止まった。
しばらく、その一行を眺める。配信を始めた理由はここにある。登録者数が増えることより、解体屋を目指す人間が一人増えることの方が本来の目的に沿っている。
布巾を置いて受付カウンターに向かった。
ちょうどその頃、支部の入口に見覚えのある顔が現れた。先月アーマーリザードの解体を頼んできた冒険者だ。Aランクの桐島さん。手に密封容器を持っている。
中村さんが窓口に立っていた。手元に何か冊子を置いていたが、俺が近づくと素早く引き出しにしまった。
「おはようございます、田中さん」
「おはようございます。何を読んでいたんですか」
「べ、別に何でもないです」
引き出しにしまった冊子の表紙の色に見覚えがあった。俺が通っていた専門学校と同じ系列の学校のパンフレットだ。
聞かない方がいいと判断して伝票を受け取った。中村さんが自分で動き始めているなら、それでいい。
今日入っている五件の依頼のうち一件にブラッドモスキートと書いてある。持ち込んだ冒険者のランクはA。松田さんが奥から出てきた。
「田中くん、ブラッドモスキートの件だが。持ち込んだ冒険者がどうしても田中くん指名でとのことで。血液器官を無傷で回収してほしいと」
「血液の成分分析結果はありますか」
「あるよ。これね」
渡された紙に目を通す。吸血源にBランク以上の魔物が複数含まれ、推定保存期間は三ヶ月以上。かなり状態の良い個体だ。
「分かりました。全部位回収で」
「いつも通りよろしく」
松田さんはあっさりと戻っていった。
ブラッドモスキートは解体屋が扱いを避ける魔物の一つだ。血液器官を覆う膜が非常に薄く少しでも傷つけると血液が外気に触れて変質する。
通常は専用の注射器で血液を採取するが、死亡後の個体は血液器官が非常に脆くなっており注射器を刺す力加減を誤ると膜が損傷する。大半の解体師は膜を傷つけた状態で血液のみを採取するか器官ごと廃棄するかで対応している。
今回の個体は血液の状態が良い。吸血源の質と保存期間の両方が揃っている。無傷で回収できれば相当な価値になる。
注射器は使わない。素手で器官の周囲を丁寧に剔離し、膜ごと取り出す。体が小さい分、作業スペースは狭いが、手順自体は変わらない。
今日の配信はこれをやろうと思いついた。虫系の魔物を扱うのはグロテスクワーム以来だ。
作業台にブラッドモスキートを置いた。体長二十三センチ。紫がかった体色が照明を受けて微かに発光している。腹部が大きく膨らんでいて透かして見ると血液器官の輪郭が見える。羽は半透明で光を受けると虹色に輝いた。
【第七回】ブラッドモスキートの解体手順【血液器官の処理あり】
「こんにちは。街の解体屋です。第七回です。今日もよろしくお願いします」
>きたー
>今週も来た
>五万人おめでとう
>五万人超えてたの気づいてた?
>祝五万人
登録者数が五万人を超えたことのコメント欄が祝いの書き込みで埋まっている。
「登録者数が五万人を超えていました。見てくださっている方、ありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
>五万人超えたのに反応が薄い
>個人配信者としては上澄みなんだが…
「今日はブラッドモスキートを扱います。Bランクの虫系の魔物です。指名依頼で持ち込まれた個体です」
>虫系久しぶり
>Bランクか
>指名依頼?
>ブラッドモスキートって蚊みたいなやつ?
>冒険者だけどブラッドモスキートは血を吸われると感染リスクがある厄介な魔物だ
>討伐より近づかないようにするのが基本
作業台にブラッドモスキートを置く。体長二十三センチ。紫がかった体色が照明を受けて微かに発光している。腹部は大きく膨らみ、透かすと血液器官の輪郭が見える。羽は半透明で、光を受けて虹色に輝いた。
>でかい
>二十三センチって結構大きいな
>腹パンパン
>羽が綺麗
>光を透かすと血液器官が見えるのか
「ブラッドモスキートについて説明します。この魔物の価値は腹部にある血液器官です。吸血した魔物の種類と保存期間によって血液の品質が変わります。今回の個体はBランク以上の魔物を複数吸血しており推定保存期間が三ヶ月以上。かなり状態の良い個体です」
>そんなに差があるのか
>Bランク以上の魔物の血か
>三ヶ月以上ってすごくない
>魔法薬師だけど高品質の血液素材は慢性的に不足している
>指名依頼で持ち込まれた理由が分かった
「問題はここからです。血液器官は薄い膜で覆われており、外気に血液が触れると変質して価値が失われます。通常は専用の注射器で血液を採取しますが、死亡後の個体は血液器官が脆くなっており注射器を刺す力加減を誤ると膜が損傷します。膜が損傷した時点で血液の価値は大幅に下がります」
>デリケートな素材なんだ
>注射器でも損傷するのか
>解体師やってるけどブラッドモスキートを受け取った瞬間に断る同僚がいる
>じゃあどうするんだ
「注射器は使いません。素手で血液器官の周囲を剔離して、膜ごと取り出します」
>素手!?
>膜ごと取り出すってどういうこと
>注射器より素手の方が安全なの?
>この人が普通の手順を取るわけがなかった
「注射器を使わない理由を補足します。死亡後の個体は血液器官の膜が柔らかくなっています。注射器の先端は金属なので刺す際の圧力が点に集中します。膜が柔らかい状態では点への集中圧力で損傷しやすい。素手の指先は面で触れるので圧力が分散します。また指先の感触で膜の状態をリアルタイムで確認しながら進められます。膜が抵抗を感じたら止めることができる。注射器には膜の状態を感じる機能がありません」
>なるほど
>面で触れるから圧力が分散するのか
>指先で膜の状態を感じながら進めるのか
>逆転の発想じゃなくて合理的な判断だった
指先でブラッドモスキートの腹部を確認した。膜の位置と周囲の組織との境界を把握する。体が小さい分作業スペースは狭いが、やることは変わらない。境界を丁寧に辿って剔離していけばいい。
>また指先で確認してる
>腹部の中を指で把握してるの?
>どこまで分かるんだ
作業を開始した。腹部の外側から指先で膜の輪郭を確認しながら、周囲の組織との境界を少しずつ剔離していく。膜に直接触れないよう周囲から丁寧に進める。体が小さいので動きは小さくなるが、焦る必要はない。
「周囲の組織と膜の境界を剔離するときに意識することを説明します。膜と組織は質感が違います。膜は滑らかで弾力がありますが、組織は繊維状でざらつきがある。指先でその違いを感じながら境界を辿ります。境界から外れると膜に直接触れることになるので、質感が変わった瞬間に止まって戻ります」
>質感の違いで判断してるのか
>止まって戻るという選択肢がある
>焦ったら境界から外れるということか
>解体師です。素手で境界を辿るという手法は繊細な素材の摘出で使われることがあります。ただブラッドモスキートほど膜が薄い器官で実践できる解体師がほぼいません
>膜が薄いほど難しいのか
>今やってることがどれだけ難しいか分かってきた
>細かい作業だ
>あの大きさの腹部の中でどう動かしてるの
>指が入るの?
>息を呑んで見てる
剔離が進んだ。膜の周囲の組織がほぼ切り離せた。あとは膜全体を包むように支えながら取り出すだけだ。
>もうすぐ取れそう
>ここが一番緊張する
>膜が破れないでくれ
血液器官を取り出した。
手の中の膜が、光を受けて透けている。内部の血液が深い赤色に輝いていた。膜は無傷だ。
>取れた
>膜が無傷だ
>中が透けて見える
>綺麗すぎる
>魔法薬師だけどこの品質で届いたら最高級の薬が作れる
>素材商だけど膜ごと密封して流通できるなら産地以外にも届けられる
「血液器官の摘出完了です。膜は無傷です。このあと残りの部位も回収します」
>膜無傷←
>当然みたいに言ってる
>解体師やってるけど素手で膜ごと取り出すという発想がなかった
>注射器を使わない方が安全という逆転の発想
その後は羽と外骨格の回収に移った。
「羽の取り外しを説明します。羽は付け根の関節で胴体と繋がっています。関節の可動方向があるので、その方向に沿って外します。逆方向に力をかけると付け根から折れます。力は使いません。方向だけ合わせれば自然に外れます」
羽を一対外した。半透明の膜が折れずに取れた。
>羽も回収するのか
>外骨格も使えるんだ
>全部位回収していく
「以上です。全部位回収完了です。今回は状態の良い個体だったので血液器官の品質が高かったです。膜を傷つけずに回収できれば広域での流通も可能になると思います。次回もよろしくお願いします」
>また業界が動く発言した
>さらっと言ってるけど
>五万人超えたのに本人は全然変わらない
>次回も来る
配信を終了した。
膜ごとの摘出は体が小さい分だけ動きが制限されるが、手順自体は単純だ。周囲の組織との境界を丁寧に辿れば膜に触れることなく取り出せる。注射器を刺す必要がないので損傷リスクがそもそも発生しない。なぜこの手順が広まっていないのかが少し不思議だった。
チャンネル登録者数、七万二千六百八十一人。
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