名探偵コナンLegendary Justicez Twilight 作:アサシン・零
安佐北区、二ヶ城山。
かつての平穏な登山道は、今や敗走する「高陽自治政府」の血に染まっていた。
数に勝る警察権力の包囲網を前に、鉄の結束を誇った組織もバラバラに引き裂かれ、一人、また一人と深い森の闇へと消えていく。
総督、梶谷朝陽は、折れた刀を杖代わりに、荒い息を吐きながら斜面を這い上がっていた。全身の傷口から体温が奪われていく。
「グッ……! こんなところで、最後を迎えるとはな……」
視界が赤く染まる。脳裏に去来するのは、栄光ある歴史の断片ではなく、この「現実世界」で彼を苛み続けた、泥濘のような記憶だった。
「せめて……名探偵コナンの世界に生まれれば、違ったのかもしれん。私が不甲斐ないばかりに……」
独白は、血の混じった嗚咽へと変わる。
「幼馴染もいなければ、好きな女性もいなかった……。いや、いたな。だが、広島北特別支援学校の高等部時代、私はクズ呼ばわりされて、職業コースからも排斥されたんだ。何もできねえから……!」
震える手で地面を掴む。爪の間に泥が食い込むが、心の痛みの方が勝っていた。
「私が死んで、あの教師たちも本望だろうよ。クズ野郎だったから……死ぬんだ。……そして、彼女には、もっと早く謝っておくべきだった。私がクズ野郎で悪かった、とな……!」
人生の最期に溢れ出したのは、総督としての威厳ではなく、一人の「救われなかった少年」の叫びだった。
「ゼェ、ゼェ……ここまで来れば、楽に死ねる。……俺も、存分に戦ったよ」
意識が遠のいていく。冷たい地面が、まるで母の胎内のように彼を誘う。最後に、彼は届かぬ願いを空に放った。
「せめて……せめて『江戸川コナン』になれたら。また、人生、違ったのかも……」
視界が暗転する。
静まり返った二ヶ城山の森を、冷たい風が吹き抜けた。
数時間後。
夜明けと共に広島県警察が大規模な捜索を開始した。そこで彼らが目にしたのは、無惨な光景だった。
山中のあちこちで、バラバラの場所から発見された遺体。
梶谷朝陽、山村渉、前田篤志……。
高陽の独立を夢見た者たちは、誰一人例外なく、この現実世界の地でその命を散らした。
新聞の一面には『テロ組織、山中で壊滅。主謀者ら死亡確認』の文字が躍った。
だが、彼らの魂がこの場所から消えた瞬間。
「名探偵コナン」という名の、別の世界の歯車が、異質なノイズを立てて回り始めていた。
帝丹小学校1年B組の教室。午後の柔らかな光が差し込む中、一人の少年が深い眠りから引きずり出されるように目を開けた。
「珍しいね……コナン君……? 学校で居眠りするなんて……?」
視界に飛び込んできたのは、心配そうにこちらを覗き込む吉田歩美の顔だった。
「へっ……?」
声が出た。だが、それは梶谷朝陽の記憶にある低く枯れた声ではなく、高く澄んだ少年の声だった。
「君みたいな人が珍しいです。何かあったんですか?」
円谷光彦が不思議そうに眼鏡の奥の目を瞬かせ、小嶋元太がニカッと笑う。
「うな重食いすぎたのか?」
そして、少し離れた席から冷ややかな、しかしどこか鋭い視線を送る少女――灰原哀が口を開いた。
「珍しいわ……貴方という人は……」
(マジで……江戸川コナンになってしまったのか……)
朝陽――いや、コナンは内心で戦慄した。二ヶ城山で死んだはずの自分が、物語の主人公の身体に宿っている。
(何とかボロを出さないように……しかし、これからは私なりのやり方で名探偵コナンライフを送ることにしよう)
「いや、オレ……たぶん、疲れているんだよ……」
コナンはぎこちなく笑い、席を立った。
「保健室でちょっと休んでくるよ。小林先生、ちょっと休んでくる……」
教卓の小林澄子先生は、驚きつつも慈愛に満ちた顔で頷いた。
「ええ、お大事にね。元気になったらまたここに来てね」
コナンが教室を去る後ろ姿を、少年探偵団の面々が不安げに見送る。
「珍しいね、コナン君が疲労で寝るなんて……」と歩美が呟き、元太が「ああ、ちょっと休ませようぜ」と同意する。光彦は「僕たちが頼りっぱなしにしていたのも、過労の原因の一つでしょう」と自省した。
ただ一人、灰原哀だけは、窓の外を見つめるコナンの背中に違和感を抱いていた。
(おかしいわね……江戸川君の癖が若干変わったような気がしたけど……気のせいかしら?)
廊下に出たコナンは、壁にかかったカレンダーに目を留めた。
(1994年……。この世界に独占禁止法の有無は分からないが、財閥が乱立している。……まずは、志保嬢を救おう)
彼は自分の小さな手を見つめ、握りしめた。
(工藤新一としてのアイデンティティは、前の主と共に死んだ。今の私は、高陽を率いた梶谷朝陽だ。この身体、IQ130以上の知能があるようだが、まずはこの異質な頭脳に慣れることから始めよう……)
数学は苦手だった。だが、この「工藤新一」の脳細胞は、かつての朝陽が見落としていた数字の羅列さえも、鮮やかなロジックへと変換していく感覚がある。
(「真実はいつもひとつ」か……。だが、高陽を統治した私には分かる。真実よりも重要なのは、生存だ。待っていろ、黒ずくめの組織。私の『現実主義』で、この世界の理(ルール)を書き換えてやる)
保健室への一歩一歩が、新たな「高陽自治政府」……いや、彼独自の戦いの始まりだった。
保健室のカーテンの隙間から差し込む夕日が、コナンの顔を照らす。かつての梶谷朝陽としての意識が、工藤新一の研ぎ澄まされた神経とようやく馴染み始めていた。
「帰ろう?コナン君……?」
歩美の優しい声に、コナンはゆっくりと身体を起こした。
「ああ……心配かけたな」
(とりあえず……金を作らなければならない。だが、警察や黒の組織にバレないよう、こっそりと……。高陽の組織を再建するためにも、軍資金は必須だ)
内心でそう呟くコナンの瞳には、小学1年生とは思えない冷徹な光が宿っていた。
「とりあえずコナン君が元気になったことだし……帰りましょうか」
「賛成だ!」
光彦と元太が元気よく声を上げる中、灰原哀だけは、言葉を発せずにコナンを凝視していた。
「灰原……おい、灰原!帰るぞ!」
「……ええ」
灰原は内心で戦慄していた。
(気のせいかしら? 江戸川君から、まるで戦場を潜り抜けてきた指揮官のような……歴戦の覇気を感じるのだけど?)
一同はバス停まで歩くが、コナンは探偵事務所とは逆方向のバスに乗ろうとする。
「おうち……そっちじゃないよ!コナン君!」
歩美が驚いて声を上げる。
「いやあ……オレにも知人がいてな。今から会うんだよ」
「誰に会うの?」
灰原の鋭い問いに、コナンは迷わず答えた。
「谷 晶子さんのところだ。お前らは知らねえだろうな……。お前らに出会う前に会った人物だから※¹」
「じゃあな!」と手を振り、コナンはバスに飛び乗った。
バスが走り去り、コナンの姿が見えなくなったところで、灰原が低い声で切り出した。
「今日の江戸川君……何かがおかしいわ。後をつけてみましょう」
「何が変なの?」
歩美が不思議そうに首を傾げる。
「利き手よ。彼は両利きではなく、随時右利きだったはず。なのに……」
「そういえばそうですね!」
光彦がハッとしたように眼鏡を直す。
「腕時計は左腕にしていましたが、時間を確認する動作が、いつもと微妙に違いました!」
「それにアイツ、眼鏡をかけ直すとき、左手を使ってたぞ」
元太も違和感を口にする。高陽での癖――左手に日本刀を携えていた梶谷朝陽の身体感覚が、無意識にコナンの動作に混じっていたのだ。
「谷晶子という人物についても、私たちが全く知らない名前を出してきた。あんな江戸川君、見たことがないわ」
灰原は鋭い目でバスが消えた方向を見つめ、小声で小さく付け加えた。
「……それに、浮気は許さないわ……!」
一方、コナンは車内で一人、かつての記憶を反芻していた。
(谷晶子……。工藤新一が江戸川コナンとして最初に解決した事件の依頼主、資産家・谷氏の娘だ。あの時の恩を、今の私なら『投資』に変えられる。まずは彼女を足掛かりに、この世界の経済構造に食い込む)
数学は苦手だが、歴史から学んだ「富の集め方」と、新一の持つ「論理的な分析力」が組み合わさり、朝陽の脳内に冷徹なマネープランが描かれていく。
(工藤新一は死んだ。今ここにいるのは、世界を相手に独立を企てた高陽の総督だ)
背後で、少年探偵団が密かに自分を尾行していることにも気づかぬまま、コナンは新たな「建国」への第一歩を踏み出していた。
夕闇に包まれ始めた谷邸の門前。コナンはかつて誘拐事件から救い出した少女、谷晶子の前に立っていた。
「晶子さん……!」
「あーっ!あの時の!小さな名探偵さん!」
晶子はパッと表情を明るくした。コナンは静かに頭を下げる。その所作には、1年生の幼さは微塵もなく、どこか洗練された貴族のような落ち着きがあった。
「そうです。あの時は名乗り遅れて申し訳ございません。……あれ? 執事の麻生さんは……?」
「あの人はもう歳なので、執事を引退しました」
「そうですか。……改めて、私は江戸川コナンと申します。晶子さん、外では立ち話もなんですし、お屋敷の方でお話ししませんか?」
「うん!」
二人が屋敷の中へと消えていく。その背後、庭の植え込みの影では、追ってきた少年探偵団が戦慄していた。
「口調を変えていますね……今日のコナン君は、やはりおかしい気がします」
光彦が冷や汗を拭う。
「そうだよな! 一人称が『私』なんて初めて聞いたぞ!」
元太も目を丸くしている。歩美は、コナンと親しげに話す少女に複雑な視線を送った。
「誰……? あの可愛い小学生みたいな子……」
「あれが多分、谷晶子さんね。二人の様子からして面識はあるみたいだけど……」
灰原は鋭い目で屋敷を睨みつけ、再び小声で毒を吐いた。
「……浮気は許さないわ」
「ところどころ敬語を使っているのを見ると、彼女の家は相当な資産家みたいですね」
光彦の分析通り、その門構えは圧倒的だった。
屋敷の奥、豪華な応接室でコナンは晶子と向き合っていた。
「で……お父様とはどうなったのですか?」
「全然構ってくれないわ。麻生も引退したし、遊び相手がほとんどいないの」
晶子が寂しげに肩を落とす。コナンはその瞳を真っ直ぐに見据えた。
「そうですか。ですが、今日は谷家にとって耳寄りの情報がありまして参りました。……『自動車を作りませんか?』」
「き、急に……!?」
晶子が驚きで身を乗り出す。コナンの声に、一切の迷いはなかった。
「お金がないんです。助けてはいただけないでしょうか……」
かつて三菱自動車の再建案(なお正式な社員ではなかったため採用されなかった)や「高陽の足」を設計してきた梶谷朝陽としての知識が、コナンの脳内で火を噴く。この時代の技術水準、そして谷家の資本力。これらを組み合わせれば、この世界に「高陽の技術」を再現する拠点が作れる。
「パパに電話を……!」
晶子が家政婦に指示を飛ばす。
(よし。まずは第一段階だ。谷会長を動かし、ここを私の『経済的司令部』にする)
窓の外で灰原がジェラシーと疑念に震えていることなど露知らず、コナンは冷徹に、この世界のビジネスという名の戦場へ最初の一石を投じた。
谷邸の書斎。重厚な葉巻の香りが漂う中、谷会長は目の前の小さな少年を、まるで未知の生物を見るかのような眼差しで見つめていた。
「……車事業だと?」
「はい。お金がないんです。何とか……お金が欲しいので、働く場所を頂けないでしょうか」
コナンの言葉は率直だった。だが、その瞳には物乞いをする子供の卑屈さは微塵もなく、対等のビジネスパートナーを品定めするような鋭さがあった。
「いや、しかし……君はまだ子供だ。現場で何ができるというんだ?」
「ええ、現場では戦いません」
「え……?」
谷会長が虚を突かれたような声を出す。コナンは淡々と続けた。
「私の仕事は**『指揮官』**です。企画の承認、ハンコを押すか押さないかの決断……。あとは社員に横領や不正がないか、組織の澱みを確認する仕事です」
「……そんな仕事だけでいいのか?」
「はい。パートタイムの時給制で構いません。私の不在時に実務を回すフルタイムの代替役も必要でしょう。私が直接動くのは、ひとまず二ヶ月という短期間です」
谷会長は腕を組み、深く考え込んだ。
「それはいいが……自動車産業か。考えたこともなかったな。……で、それは本当に売れるのか?」
「社運を賭ける価値はあります。**『SUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)』**を主軸に据えましょう。最初はクーペやセダン、ミニバンから着手しても構いませんが、次世代の覇権はそこにある」
かつて三菱自動車のラインナップ※²を再構築しようとした梶谷朝陽の先見性が、20世紀末のこの世界において、圧倒的な説得力を持って響く。
谷会長はその「社策」の背後にある底知れない知性に気圧され、ついに頷いた。
「いいだろう。君には何か、確固たる方針があるようだしな。……採用だ」
「ありがとうございます!」
注釈
※¹谷 晶子
原作の第1巻「社長令嬢誘拐事件」を参照。
※²梶谷氏が建てた計画は実はもう作中では語られないため、ここで記載しておくと全車両をPHEVで統一させ、エアトレックをセダン型PHEV、アウトランダーをファミリークーペ型PHEV、エクリプスクロスをスポーツクーペ型PHEV、トライトンをバギー型PHEV、デリカをミニバン型PHEVとジャンル分けをして再定義し、それぞれにスローガンを掲げ、それぞれの需要を回収を目的とする計画だった。梶谷氏は三菱自動車のこの選択では黒字化はギリ行けるか行けないかと予想されていたそうで...上手く実現すると豊田自動車や松田自動車など競合他社にさえ下手したら影響を及ぼすぐらいの革新的なしかし保守的なバランスが取れた社策だったとされているが...真偽不明...