名探偵コナンLegendary Justicez Twilight   作:アサシン・零

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第5話「Justice Blue」

警察庁警備局警備企画課、通称「ゼロ」の執務室。

 

そこはもはや、エリート官僚の集う場というよりは、紙の濁流に飲み込まれた沈没船のような惨状を呈していた。

 

「た……確かに……お、終わらないぞ……! この書類……!」

 

降谷 零は、充血した目で山積みの報告書を睨みつけながら、絞り出すように声を漏らした。

 

トリプルフェイスを使い分ける彼であっても、この物理的な物量攻撃には限界が近づいている。

 

「そうだろう……? 特にその書類、警視庁公安部の風見裕也警部補の報告書を見て分かったんだが……」

 

山谷宗兵警部が、眼鏡をずらし、魂の抜けたような顔で言葉を継ぐ。

 

「……あいつら、張り切りすぎだ。現場がこれだけ芋蔓式に挙げてくると、もう我々のやるべき仕事が物理的になくなりそうだぞ……」

 

その時、整った足音と共に、一際冷ややかな空気を纏った男が部屋に入ってきた。

 

「警備局公安課極左対策室から参りました、清宮翔警部補です!」

 

清宮は、乱れた室内を気にする風もなく、規律正しく敬礼して見せた。

 

「書類を受け取りに来ました。……反対に、こちら側の書類をお渡しします」

 

「あ……ありがとう……」

 

山谷が幽霊のような手つきでファイルを受け取ると、清宮は眉一つ動かさずに室内を見渡した。

 

「皆さん、寝ていないんじゃないですか?」

 

「……まあな。今、亀井室長が留守だし、この異常事態だ……」

 

山谷の力ない返答を聞き、清宮は視線を降谷へと向けた。その瞳には、現場の熱狂とは無縁の、鋭い洞察が宿っている。

 

「……最近、何か変ですよね。治安が安定しすぎて、逆に怖いです。これは極左対策室の観点から分析すると、極右ではあるが、それほど極右でもない……かといって極左でもない『何か』が、裏で動いている気がしてなりません」

 

「やはり君もそう思うか……。だが、治安が安定するのは、国家としては良いことじゃないのか……?」

 

降谷の問いに、清宮はわずかに口角を上げ、自嘲気味な笑み

を浮かべた。

 

「その理論だと、我々の仕事、完全になくなっちゃいますよ……降谷警部」

 

清宮の言葉は、静かな警告のように部屋の空気を凍らせた。

 

「……法を司る我々が、法の外にある『完璧な正義』に職を奪われる。皮肉な話ですね」

 

清宮はそれだけ言い残すと、一礼して部屋を後にした。

後に残されたのは、積み上がった4,000枚の書類と、自分たちが何者かに「管理」され始めているのではないかという、拭い去れない違和感だけだった。

 

執務室を支配しているのは、静寂ではなく、紙をめくる音と、エリートたちが噛み締める「無力感」の軋みだった。

 

「……外事課の連中も、おそらく何も掴めていないんだろう」

 

降谷は、赤黒く腫れた目を擦りながら呟いた。

 

「本来、国外からのスパイや不穏分子の動向は、外事一課から三課が真っ先に察知し、我々警備企画課(チヨダ)がその情報を元に全国の公安警察を動かす。それが、この国の治安維持の『設計図』だ。だが……」

 

降谷は、手元の分厚いファイルの一番上の名前を指先で弾いた。

 

「この4,000件。そのほとんどが、外事課のリストにさえ載っていなかった『未知の脅威』だ。リスト外の人間が、ある日突然、地方警察の独自の判断で一斉に検挙された。……これは、設計図そのものが書き換えられたことを意味している」

 

山谷警部は、その言葉に耐えかねたようにデスクを拳で叩いた。

 

「……畜生……! 警察庁だぞ、俺たちは……! 全ての都道府県警察の警備部と公安部の企画を考え、実行に移す……日本警察の『脳』のはずだ……!! なのに……俺たちは何もスパイに対して対応していないじゃないか……!! ただ、現場から送られてきた死体の検分をしているようなもんだ……!!」

 

エリートとしてのプライドが、物理的な書類の重みに負けて、無惨に砕け散っていく。山谷の叫びは、部屋にいる全員の、そして「守るべき国家のコントロールを失った」全ての公安官の悲鳴でもあった。

 

「山谷……気持ちは分かるけど……今は書類に集中した方が……。これら全てに裏付けを取らなければ、検挙した現場を正当化できない。今の僕たちの仕事は、現場が上げた『実績』を後追いで合法化することだ」

降谷の声は、どこか自分自身に言い聞かせているようだった。

 

「それもそうだな……。なあ、清宮……お前は、何か知っていたのか……?」

 

山谷が、まだドアのそばに立っていた清宮に縋るような視線を向ける。清宮は、その怜悧な瞳を僅かに細め、首を横に振った。

 

「いえ……私もです。我々極左対策室の網にも、今回の件は一切かかりませんでした。……皆様方、外事課からは何も聞いていないのですか?」

 

その問いに、山谷も降谷も、そして他の職員たちも、重い沈黙の中で首を横に振った。

 

「外事も『蚊帳の外』だ。彼らも今、自分たちの無能さを突きつけられてパニックになっている。……清宮、君が言った通りだ。これは極左でも極右でもない。国家というシステムを理解し、その上で『国家よりも早く、正確に動く』、個人の意志だ」

 

清宮は、降谷の言葉を反芻するようにしばらく黙考し、それから低く、確信に満ちた声で告げた。

 

「……だとすれば、その『個人』は、今の日本において、我々警察庁よりも強大な『暴力装置』と『情報網』を保有していることになりますね。それも、血を流さずに組織を動かす、もっとも洗練された形で」

 

清宮が退室した後、部屋には再び、終わりなき「事後処理」の音が戻ってきた。

降谷は、不意に書類の隙間から見えた、ある住所に目を止めた。

 

『広島県広島市安佐北区高陽町……』

 

今回の検挙者の数名が、過去に視察や物流の調査で立ち寄っていた場所。

 

そして、あの少年の「高陽の総督」という、子供の戯言とは思えない不敵な自称。

 

(君は……何を企んでいるんだ、コナン君……。いや、梶谷朝陽。君が求めているのは、僕たちが守っている『法』の先にあるものなのか……?)

 

降谷が万年筆を握り直したその時、新たな書類の束を抱えた風見が、今度は完全に青ざめた顔で駆け込んできた。

 

「降谷さん……! 大変です……! 谷グループの持株会社が、警察庁の福利厚生を支援するための『巨額の寄付』を申し出てきました……! しかも、各都道府県警察の装備更新費用まで、全額負担するという条件で……!!」

 

山谷の書類が、手から滑り落ちた。

 

「……『兵』の士気だけでなく、今度は『武器』と『糧食』まで……直接支配するつもりか……!?」

 

降谷は、震える手でコーヒーカップを掴んだ。中身はもう、とっくに冷めきっていた。

 

「……降谷警部。僕たちの仕事、本当に『書類整理』だけになりそうですよ」

 

清宮の予言が、呪いのように執務室の空気に溶け込んでいった。

 

降谷は「いや...それは流石にないと思うが...」と、自身の抱く最悪の予測を打ち消すように首を振った。

 

だが、その言葉とは裏腹に、彼の視線は机上に散らばった「谷グループ」のロゴが入った資料に釘付けになっていた。

 

「それと、こっちの書類は公安課のやつか...?」

 

山谷警部が、少し離れた位置にあった未整理の束を指差す。

 

そこには、国内の過激派組織や、かつて「黒ずくめ」と接点があったとされるフロント企業のリストが、見たこともない精度で更新されて並んでいた。

 

清宮は、山谷から差し出されたその束を、まるで精密機械のような手つきで受け取った。

 

「ああ...それだ。ありがとう...山谷警部。これでようやく、私の班でも『事後確認』の体裁が整います」

 

清宮の言葉には、相変わらず感情の起伏がなかった。だが、その「事後確認」という言葉こそが、今の警察庁の惨状を最も残酷に言い表している。

 

「……本来なら、我々が数ヶ月、数年かけて掘り起こすべき情報が、最初から整理された状態で降ってくる。我々に残されたのは、その情報の正しさを証明するだけの『ハンコ押し』だ。」

 

清宮は、受け取った書類を小脇に抱えると、再び降谷へと向き直った。

 

「降谷警部。皮肉なものですね。我々が喉から手が出るほど欲しかった『平和』と『情報の透明化』が、法の手続きを無視した誰かによってもたらされている。……山谷警部が仰った通り、これはもう、企画も戦略も必要ない世界です。」

 

「清宮、君はそれを……『完成された秩序』だと認めるのか?」

 

降谷の鋭い問いに、清宮は一瞬だけ足を止め、廊下の暗がりを見つめた。

 

「……さあ。ただ一つ言えるのは、その『誰か』は、我々が守るべき『国家』という枠組みを、あまりに非効率で古臭いものだと笑っている……。そんな気がしてならないのです。」

 

清宮はそれだけ言い残すと、今度こそ静かに執務室を去っていった。

 

山谷警部は、椅子に深く沈み込み、力なく笑った。

 

「……外事も、公安も、警備企画も。全部まとめちまって、『高陽総督府』の下請けにでもなった気分だな、こりゃ。」

 

降谷は何も答えなかった。ただ、冷え切ったコーヒーを一口啜り、窓の外に広がる霞がかった東京の街並みを見つめた。

 

(梶谷……。君は、この国を救おうとしているのか。それとも、君の理想とする『道徳』という名の鎖で、我々を管理しようとしているのか……)

 

書類の山に囲まれた沈黙の中で、降谷は、かつてないほど巨大な「正義」という名の嵐が、すぐそこまで来ていることを確信していた。

 

その頃、米花町の喫茶ポアロ。

 

コナンは、灰原が美味しそうに頬張るケーキを眺めながら、手元のタブレットで「警察庁の予算執行状況」をリアルタイムで閲覧していた。

 

「……ふむ。山谷という男も、なかなか勘が良い。だが、遅すぎるな。」

 

コナンの口調は、もはや少年のそれではない。

 

「国家という巨大な船を動かすには、燃料(資本)と羅針盤(情報)、そして何より、現場を走らせるための『大義名分』が必要だ。……さて、次はどの駒を動かすかな、志保嬢?」

 

「……貴方のその顔、本当に性格が悪そうね。……ジャム、おかわり。」

 

灰原の呑気な声に、コナンは満足げな笑みを浮かべた。

 

なお、高木刑事からコナンにお礼を言っていた。ところがコナンは「嫌な胸騒ぎがする...」と呟くと高木刑事は驚き、

 

「コナン君...?」と言うとコナンは「高木刑事...もしかして『暴力団の内部抗争』でも起きた...?」

 

「え...!コナン君それはまだニュースにもなっていない...」

 

「そうだが...実は警察の首を絞める事になる内部抗争らしい...下手に動くと大変だ...」

 

佐藤刑事は「どういうこと...?コナン君...?」

 

「まだ分からないのかい...?今回は暴力団の『佐和山会』の『青山組』と『錦織組』の戦いなんだよ...?」

 

コナンは「下手に動くと自分自身の首を絞める事になる...」と言った。

 

私が二度、忠告したのはわけがある。私の世界にも暴力団はいた。ところが全部が暴力団というわけでもない。

 

暴力を使った政治組織や傭兵団だったらまず勝てない。だから下手に動けないのだ。

 

「コナン君……君は一体、どこでそんな情報を……」

 

高木刑事が震える声で聞き返した。まだ本部からの無線さえ入っていない、極秘に近い抗争の兆候。

 

それをこの少年は、まるで上空からチェス盤を眺めるように把握している。

 

「高木刑事、佐藤刑事。驚いている暇はない。今回の抗争は、これまでの『極道同士のメンツの掛け合い』とは次元が違う」

 

コナンの瞳は、阿笠博士の地下室で書類を燃やした時よりもさらに深く、冷徹な光を湛えていた。

 

「『佐和山会』……その中の『青山組』と『錦織組』の戦い。君たちはこれを単なる内部抗争だと思っているだろう? だが、彼らの本質は暴力団という枠をとうに超えている。一方は政治工作に長けた実力組織、もう一方は海外の戦場を渡り歩いた『傭兵団』に近い実力を持っているんだ」

 

「傭兵……団……?」

 

佐藤刑事が思わず息を呑む。

 

日本の警察が相手にするのは、あくまで「犯罪者」だ。だが、もし相手が「軍事訓練を受けた戦闘集団」であり、かつ

 

「法を逆手に取る政治能力」を持っていたとしたら……。

 

「そう。彼らは自分たちの利権を守るためなら、警察の『弱点』を突くことを厭わない。……いいかい、下手に動けば、君たちの正義そのものが、彼らの用意した『法的・政治的な罠』にかかって、警察組織そのものが動けなくなる。自らの首を絞めることになると言ったのは、そういう意味だ」

 

コナンは一歩、二人の前に出た。その背中には、かつて高陽で数多の勢力と渡り合い、時には冷酷な判断を下してきた「総督」の重圧が宿っている。

 

「私のいた世界にも、暴力団はいた。だが、全てが看板通りの連中じゃない。理念を持ち、軍事力を備え、政治を動かす『機構』としての暴力。……今の警視庁の装備と法解釈では、彼らに手出しをした瞬間に、組織としての機能を奪われる」

 

「じゃあ……見逃せっていうの!? 目の前で争いが起きようとしているのに!」

 

佐藤刑事が激昂しかけたその時、コナンの冷ややかな声がそれを遮った。

 

「見逃すとは言っていない。……ただ、『警察』として動くのではなく、『高陽の流儀』で処理する。……佐藤刑事、高木刑事。ここから先は、君たちの知っている『名探偵』の仕事じゃない」

 

コナンは二人に背を向け、静かに歩き出した。

 

(……ようやく、私の出番というわけか。法で裁けぬ『軍事組織』を、道徳で処罰する。……青山、錦織。君たちが私の『国』で暴れるというのなら、それ相応の落とし前をつけてもらおう)

 

その頃、警察庁で書類の山と戦っていた降谷零の元に、一本の暗号通信が入った。

 

『佐和山会、内部抗争開始。ただし、実行部隊は国内未登録の軍事会社と判明。』

 

「……っ! まさか……」

 

降谷はペンを投げ捨て、立ち上がった。彼が恐れていた「法の通じない力」が、ついに動き出したのだ。

 

「清宮……山谷! 書類は後回しだ! 日本の『正義』が、物理的に踏み潰されようとしているぞ!」

 

降谷の叫びが響く中、米花町の闇では、すでにコナン(朝陽)が手配した「別の力」が静かに牙を剥き始めていた。

 

コナンはさらに声を低め、刑事たちの楽観を打ち砕くように続けた。

 

「まぁ……それもあるんだが……『只の暴力団』だったら、まだいいんだよ。警察の装備と数で押し潰せるからな」

 

コナンは冷めた目で、遠くの街並みを見つめた。

 

「だけども……元自衛官が暴力団に入って、暴力団の人達が『自衛隊式の訓練』を受けていると考えたらどうなる……?」

 

その仮定に、高木刑事の顔から血の気が引いた。警察が日頃相手にする「荒事」と、国を守るための「軍事訓練」は、その質において天と地ほどの差がある。

 

「確かに……。もし相手が専門的なタクティカル・トレーニングを積んでいたら、僕たちじゃ勝てない……」

 

「そうだ。警察が修める柔道や空手を含めた『逮捕術』は、あくまで相手を制圧し、拘束するためのものだ。だが自衛隊のCQC(近接格闘術)は性質が全く異なる。それは、最短時間で効率的に相手を無力化……あるいは殺害するための技術だ」

 

コナンの言葉には、かつて実戦の場で「力」の差を目の当たりにしてきた者特有の、乾いた説得力があった。

 

「しかも……その最悪のシナリオだった場合、強引に介入すれば、こちら側の犠牲が多くなるだけだからな。殉職者の山を築いてから後悔しても遅いんだ」

 

背後で黙って聞いていた目暮警部が、重々しく頷き、一歩前に出た。

 

「コナン君の言うとおりだ……。本来、我々捜査一課と暴力団組織を担当する組織犯罪対策課(組対)は、管轄が違う。だが、今回の件はコナン君の忠告に乗っておくことにしよう。組対の連中にも、慎重に動くよう私から釘を刺しておく」

 

警部が「小学1年生」の進言をこれほどまでに重く受け止めるのは、今のコナンから漂うオーラが、もはや一介の協力者の域を完全に超えているからだ。

 

コナンはふっと表情を緩めたが、その言葉の鋭さは変わらなかった。

 

「……あと、詐欺グループも同じだ。あっちも暴力団と根っこは一緒と思えばいい。あっちは金融犯罪が主役だがな。暴力団もプライドがあるから、あんな『出し子』や『受け子』と一緒にされることは嫌だろうが……まぁ、犯罪をしているという点では同じってことだ」

 

灰原が横で「随分と手厳しいわね」と呟くが、コナンは構わず続けた。

 

「例えば、受け子は暴力団でいうところの『若衆』……掛け子は『舎弟』……と言ったふうに組織構造を当てはめて例えると分かりやすいかもな。末端をいくら叩いても、頭脳である『上』を潰さない限り、この国の病根は治らない」

 

刑事たちが沈黙する中、コナンはポケットに手を入れ、静かに歩き出した。

 

(自衛隊式の暴力、そして効率化された金融犯罪……。法という名の『盾』だけで戦うのはもう限界だ。これからは、私たちが『新しい正義の剣』を振るう番だ……)

 

米花町の夕闇が深まる中、朝陽の瞳には、すでに次なる「処罰」の対象が冷酷に映し出されていた。

 

佐藤刑事は、コナンの語る犯罪組織の「構造分析」を反芻するように呟いた。

 

「コナン君の話だと、受け子が若衆。掛け子が舎弟なの……?」

 

「いや……裏になっている場合もある。状況によっては掛け子が舎弟の役割を担う場合もあるということだ。要は、役割の貴賤ではなく、その『機能』が組織の中でどう位置づけられているかが重要なんだよ」

 

コナンの返答は、犯罪学の教授が講義を行うかのような冷静さだった。

 

そこに、隣で一部始終を聞いていた灰原が、含みのある笑みを浮かべて口を挟んだ。

 

「そういえば……江戸川君、前に言っていたわよね? 『警察』も道を外れれば暴力団と同じ……って。アレ、一体どういう意味かしら?」

 

その問いに、高木刑事と佐藤刑事が息を呑み、目暮警部までもが表情を強張らせた。国家の正義を背負う自負がある彼らにとって、それは聞き捨てならない言葉だ。

 

しかし、コナン……梶谷朝陽は、怯むどころか、さらに鋭い眼光を彼らに向けた。

 

「そのままの意味だ。……いいかい、警察も言ってしまえば一つの巨大な『組織』だ。ヒエラルキーがあり、規律があり、暴力という実力行使の権限を独占している。」

 

コナンは指を一本立て、刑事たちを順番に指し示した。

 

「課長や管理官は、組織で言えば『若頭』。係長は『若頭補佐』。お前らだって、構造だけを見れば立派な『組員』だ。……そして、組織というものは、その目的が『私利私欲』や『独善』にすり替わった瞬間、看板が何であれ本質は変わらなくなる。」

 

「コナン君、それは流石に……」

 

高木刑事が反論しようとしたが、コナンの言葉の圧力がそれを許さなかった。

 

「道を外れれば同じやぞ。……正義という大義名分を盾にして、弱者を踏みにじったり、身内を庇うために真実を捻じ曲げたりすれば、その時点で君たちは『バッジを付けた暴力団』に成り下がる。私が警察教訓をあえて説いたのは、その境界線が、君たちが思っているよりもずっと細くて脆いものだからだ。」

 

現場を支配したのは、重苦しい沈黙だった。

 

目暮警部は、自分の右拳をじっと見つめた。自分たちが振るうこの力が、もし「道徳」というブレーキを失えば、それは朝陽の言う通り、かつて彼が広島の地で戦い、処罰してきた

 

「汚濁」と同じものになってしまう。

 

「……肝に銘じておこう。我々が『組織』である以上、常に自らを律し続けねばならんということだな。」

 

目暮の言葉に、コナンは満足げに、しかしどこか寂しげな微笑を浮かべた。

 

「ああ。……さて、説教はこのくらいにしておこうか。灰原、お腹空いただろ? 帰りにどこか寄っていこう」

 

「ええ。貴方のその恐ろしい『組織論』のせいで、少し胃が重たくなったけれどね」

 

二人は夕闇に溶け込むように歩き出した。残された刑事たちは、去り行く小さな背中を、まるで自分たちの魂の審判者を見送るかのような目で見つめ続けていた。

 

警視庁での事務的な手続きを終え、家路につく二人。街灯が灯り始めた歩道で、灰原がふと足を止め、疑念に満ちた瞳で隣の少年を見上げた。

 

「……さっきから気になっていたのだけれど、貴方、時々私の匂いを嗅ぐわよね。一体何のつもり?」

 

コナン……いや、その中身である男は、自嘲気味な笑みを浮かべて前を見据えたまま答えた。

 

「アレは……人間として、私がそういう進化をしちまったからだ。元々視力が悪かった私は、生き残るために敢えて鼻が利くようになってしまったらしい。……もちろん女性だけじゃない。敵も味方も、男の匂いだって嗅ぎ分けてしまうのさ」

 

「……貴方、本当は何者なの?」

 

灰原の声が、冷たく鋭い響きを帯びる。

 

「江戸川君なら、そんな不遜(ふそん)な対応なんてしないわ。知能は彼と同じかもしれないけれど、魂の『手触り』が違いすぎるのよ」

 

コナンは歩みを止め、夕闇の中で振り返った。その瞳に宿るのは、一介の探偵ではなく、修羅の場を潜り抜けてきた者の昏い光。

 

「私は『梶谷 朝陽』……通称、『神殺しの梶谷』だ。覚えておけ、嬢ちゃん……」

 

「神殺しの……梶谷……」

 

その禍々しくも孤独な異名に、灰原は一瞬、心臓を直接掴まれたような戦慄を覚えた。

 

しかし、梶谷はすぐに表情を和らげ、どこか懐かしむように話を続けた。

 

「で……さっきの話には続きがあってな」

 

「髪の毛の匂いのこと?」

 

「髪の毛だけじゃねえんだ。……『血の匂い』もするときがある。自分自身の鼻から血の匂いを感じる時は、決まって体のどこかに『不調』があるという合図だった」

 

「大丈夫なの……?」

 

思わず溢れた灰原の心配そうな声に、梶谷はわずかに目を細めた。

 

「ここに転生してからは、血の匂いはしなくなったよ。……少なくとも、『自分の血』の匂いはな」

 

梶谷の脳裏には、かつて二ヶ城山で自らの血に塗れ、孤独に果てた最期の瞬間がよぎっていた。

 

しかし、今のこの小さな体は、そんな「死の不調」から彼を解放してくれたのだ。

 

「梶谷さん……だったかしら。……なぜ、私をこれほどまでに気にかけるの?」

 

灰原の問い。それは「独占宣言」をされたあの日から、彼女がずっと抱えていた疑問だった。梶谷は一瞬、何かを言いかけ、そして寂しげに視線を落とした。

 

「前世の高校時代に……君と、似たような匂いの女子がいたもんだからよ」

 

「その子の名前は……?」

 

「言えねえな。……言えば、私自身が深く傷つく。……ただ、これだけは言っておく。」

 

梶谷は灰原の小さな手を、力強く、しかし壊れ物を扱うような優しさで包み込んだ。

 

「今度は、その匂いを失わせはしない。……たとえこの世界の神が相手でも、私は『神殺し』として、お前を守り抜く。」

 

灰原は何も言えず、ただその温もりを確かめるように握り返した。

 

かつて救えなかった「彼女」の面影を、この世界で最も過酷な運命を背負った少女に重ね、梶谷朝陽は再び、見えない敵へと宣戦布告していた。

 

灰原は「……」と、そのあまりにも重すぎる告白の前に、ただ沈黙するしかなかった。

 

目の前の少年が抱える、言葉にできないほど深い傷。そして、かつて彼が愛し、失った「誰か」の残照。

 

その正体を知る術はないが、彼の震えるような覚悟だけは、繋いだ手のひらから痛いほど伝わってきた。

 

「どうしたんよ……? まぁ、いずれ詳しく話せる日がくる。今は無理だがな……」

 

梶谷朝陽としての口調が混じる。コナンは少し照れくさそうに視線を逸らし、話題を変えるように前を見据えた。灰原は

 

そんな彼の横顔を盗み見て、ふと呟いた。

 

「そういえば……貴方って、本当にすごいのね。ただの子供や、高校生探偵の知識量じゃないわ」

 

「私自身は『哲学』が好きでね。カントやニーチェ……古今東西の先人たちから多くを学んだんだよ。特にマキャベリの『君主論』は、私の帝王学の根幹に据えさせてもらったほどだ」

 

「マキャベリ……。だから、あの老練な刑事たちを手玉に取って、警察組織を思うがままに動かせるのね」

 

灰原の言葉に、コナンは自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

「手玉に取っているつもりはないさ。ただ、組織と人間があるべき姿を、効率的に示しているだけだよ。……皮肉なもんだな。前世では、これほど必死に言葉を尽くしても、誰一人として私の話を聞いてはくれなかったというのに」

 

かつて広島北特別支援学校の教室で、あるいは広島交通バスとの因縁の中で、孤立無援の戦いを強いられていた少年。

 

彼の「哲学」は、理解されない孤独の中で研ぎ澄まされた、自分を守るための最後の武器だったのだ。

 

コナンは立ち止まり、夜空に浮かぶ月を見上げた。

 

「人の生は、『植物や樹木』よりも短く……『動物』や『昆虫』、『魚貝』よりは多いか。……だが、どれほど長く生きるかではなく、どう在るかだ」

 

その言葉は、一度死を経験し、別の存在として蘇った彼だからこそ到達できた、生命の「効率」と「正義」への結論だった。

 

「梶谷くん……」

 

灰原がその名を呼ぶと、コナンは満足げに頷いた。

 

「さて、明日からは谷グループの仕事が本格化する。黒ずくめの残党を掃除しながら、この国に真の『道徳』を植え付ける。……忙しくなるぞ、志保嬢」

 

「ええ、覚悟しておくわ。……私の『神様』」

 

米花町の闇を抜けていく二人の影は、もはや運命に翻弄される犠牲者ではなく、世界を再定義する「創造主」と、その唯一の理解者のそれだった。

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