「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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外伝、前日譚です


第0試合(米国オニガシマジム内プライベートマッチ):シングルマッチ「シロオニ・ベスVSアオオニ・マイク」

 米国、オニガシマジム。使い込まれたトレーニング機器が並び、染み付いた汗とマットの匂いが漂うこの場所は、かつて日本プロレス界を席巻したバカオニ……失礼、オニガシマ・ブラザーズの拠点である。昼前の日の光を上腕に浴びながら、窓際に腰かけた長男のアカオニ・トムは、不機嫌そうに鼻を鳴らして妹を横目で睨みつけた。

「モモタロウを倒しに日本へ行く、だぁ~?」

 トムの野太い声が、静かなジム内に響く。胡乱げなその声は、気安さとがさつさが入り混じった響きを帯びている。その視線の先に立つのは、アッシュブロンドのショートボブを揺らした少女、シロオニ・ベスであった。黒と赤を基調としたビスチェトップに、豪華なアラベスク模様が施されたレギンス。そして膝下まで伸びる金色の編み上げブーツ。

 鍛え上げられた肩と腹筋のラインが衣装の隙間からわずかに覗き、彼女の存在感をさらに際立たせている。 女学生とは思えぬ堂々たる体躯と、グレイッシュブルーの瞳に宿る冷徹な自信は、彼女がただの「レスラーの妹」ではないことを雄弁に物語っていた。

 

「はい、兄様がたがついぞ勝てなかったと聞きますので、この際、私が仕留めようかと」

 淡々とした、しかし兄たちの過去を切り捨てるような言葉に、トムは顔を背けて大きく息を吐いた。実力的にはまだトムたちの方が上だが、可愛い妹を力ずくでボコるわけにもいかない、兄たちのその甘さが、ベスの「自分こそが最強である」という傲慢なまでの自信を育ててしまったのだろう。正直言ってトムには思い当たるフシがいくつもあった。彼は顔の前でひらひらと手を振って、子供のわがままをあしらうかのような態度を取る。

「……やめとけ。わざわざ行っても無駄だ」

「上兄様が言える筋合いではないでしょう? 負け犬の遠吠えにしか聞こえませんが」

 カチン、とトムの額に青筋が浮かぶ。温厚な兄でも、今の言葉は聞き捨てならなかった。さすがに黙ってはおれぬと勢いよく顔を向け、吠えようとしたその瞬間、次男のアオオニ・マイクが滑り込むように二人の間に入った。

「まぁまぁ、兄さん。ここはボクに任せて。ねぇ、ベス。熱くならないで聞いておくれ」

 マイクは両手を広げて、策士らしい柔和な笑みを浮かべる。しかし、そのパンチパーマの奥にある目は笑っていない。

「モモタロウは現在、負傷して失踪中なんだ。行っても会えない可能性が高い。だから兄さんは無駄だって言ってるんだよ。わかるだろう?」

 腰を浮かせかけたトムとベスの間に立ったマイクは、芝居がかった仕草でベスに視線を合わせ、噛んで含めるように語って見せる。だが、ベスは一歩も引かない。

「平然と言い訳をなさるのですね」

 ベスは冷ややかな微笑を浮かべ、マイクの言を一刀両断にした。その瞳には揶揄うような侮りの色がある。少なくともそう取られても構わないという傲慢が見えた。

「出てこないなら、太平プロレスとやらのレスラーを片っ端から血祭りにあげて誘き出すまでです。見捨てるような人物ではないのでしょう?」

 マイクの眉がぴくりと動いた。妹の身を案じているというのは本心だが、あまりの傲岸不遜さに教育の必要性を感じたのも事実だ。実際にそれをベスが実行したらどうなるか分からないマイクではない。モモタロウが不在だとしても、今の日本にそのモモタロウとやりあった当時の猛者たちが都合よく一人も残っていないとは思えない。

「そんな危ない事を妹にさせられるものか。仕方ないね……どうしても行くって言うなら、ボクの屍を越えて行ってもらおうか!?」

 マイクがファイティングポーズを取る。インテリジェンスファイターを自認する彼は、適当に関節技に捕えて技術差で組み伏せて諦めさせるつもりだった。だが、ベスにとってマイクは「一度も自分に勝ったことのない相手」であり、格下という認識でしかない。

「では、遠慮なく」

 言葉が終わるか終わらないかのうちに、ベスの長い右脚がしなった。鋭い踏み込みと共に放たれたビッグブーツ。マイクが組み付くのに先んじて、反射で防御する暇もなく、金色のブーツが彼の鳩尾を正確に、そして深く捉えた。

「おごっ!?」

 空気が肺から強制的に押し出され、マイクの顔が苦悶に歪む。だが、ベスの追撃は止まらない。腹を押さえて前屈みになり、頭の下がったマイクの顎先を狙い、強烈なエルボーバットを放って右肘を垂直に跳ね上げた。

「ふべっ!?」

 脳を揺らす衝撃に、マイクの視界が火花を散らす。意識が朦朧とし、のけぞって膝から崩れ落ちようとするマイクの体を、ベスはその強靭な腕で強引に抱え上げた。彼女の誇る必殺技――「白鬼金棒落とし」の体勢だ。

ベスはふらつくマイクをアルゼンチンバックブリーカーの形で肩に担ぎ上げると、腰を落として重心を固定し、一拍の溜めを作る。そのまま自身の膝を折り曲げ、シットダウン式に抱えた兄を逆さ落としにしながらマットへ着地する。重力と彼女の体重とそのパワーが、一体となってマイクの脳天を無慈悲に地に突き刺した。

「ぐわああああああッ!?」

 ジムの床が震えるほどの衝撃。細身だが長身のマイクの体が砂袋のように崩れ、動かなくなった。レフェリーなどいないプライベートマッチだが、トムがジト目で見守る中、カウントスリーを数えるまでもない決着だった。マイクの誇るアマレスの技術など見せる暇もない。

 

 ベスは乱れた髪を指で整え、呼吸一つ乱さずに言い放った。

「では、そういうことで」

「……マイクよぉ」

 呆れたようにトムが呟く。足元ではマイクが手足を痙攣させながら、か細い声を絞り出していた。

「に、兄さん……めんぼくない……あいつ、本気で殺しにきてるよ……」

 溜息をつきながらトムはどうしたものかと逡巡するが、事態は彼に頓着せずに動いてしまう。

「ヘイ、ベス! 景気のいい音が聞こえたぜ!」

 道場のドアが勢いよく開き、三男のクロオニ・ジョニーが姿を現したのだ。彼はサングラスをずらし、転がっているマイクを一瞥すると、刹那で事態を把握し、楽しげに笑った。

「太平プロレスの美樹って娘がモモタロウのマスクを預かってる。そいつを使って釣ってみな。いい餌になるはずだぜ」

 その情報に、ベスが今日初めて、満足げな笑みを浮かべた。

「下兄様! ありがとうございます!」

 それは、つい今さっき兄を半殺しの惨状に追い込んだ人物とは思えないほど可憐で上品な笑顔だった。少なくとも、片っ端から太平プロレスの所属レスラーを血祭りにあげるより時間の短縮になるのは間違いなさそうだ。即断即決、彼女はそのまま、ジョニーの横を掠めるようにして風のように道場を後にする。

 

「ジョニー、テメェ……余計な入れ知恵を……!」

 頭をガリガリと掻いて苛立ちを示しながら窓の外へと顔を背けるトムにジョニーは心外だとでも言うように肩をすくめてオーバーリアクションをして見せる。

「まぁ、いいじゃねえかトーム! 何事も経験ってヤツだぜ。それに、昔、先祖の霊が夢に出るからってかつて真っ先にモモタロウに挑みに日本に行ったアンタが止めても説得力ねえよ、違うかい?」

 皮肉を飛ばすジョニーに、トムは怪訝な顔で窓の外を指で差した。

「……それよりよ。ベスの奴、お前のバイクに跨ってすっ飛んで行きやがったが、いいのか?」

 窓の外のジョニーのバイクのあった場所にはもう土煙の残滓しか残されていない。

「……ハッ? 嘘だろ、あいつ……!? うお、いつの間にかオレの愛する単車のカギがッ!? ノォォォ! ベス! カムバーーック!?」

 血相を変えてジャケットの脇のポケットをひっくり返し、慌てて駆け寄った出入口ドアの外へ向かって叫ぶジョニー。その様子を見て、ようやく意識がはっきりしてきたマイクが、床に這いつくばったまま顔を上げて呟いた。

「……しょうがない、ボクが車を出して空港にバイクを回収しに行くよ……」

「頼むぜ! オレのバイク『デトロイド・ホラー』が妹のせいで駐禁でレッカーされて、ジョニー99(ナインティナイン)がジョニー100(ハンドレット)になっちまうなんてサマにならねえ!」

 早速掴んで引きずるジョニーと「いやもう少しダメージ抜けるまで待って!?」と叫ぶマイクの声が外へ遠ざかっていく。

 

 静まり返ったジムの中で、トムだけが不吉な予感を拭えずにいた。かつての主、イワン・シュテンドルフがなぜモモタロウを庇って死んだのか。兄たちが語ろうとしないその真相に、ベスは微塵も興味がない。彼女にあるのは、兄たちを超え、その先の伝説を討ち取って名を挙げるという、若く純粋なエゴイズムだけだった。

「……ったく、面倒事にならなけりゃいいがな。でもなー、面倒事になる気がするんだよなー……」

 トムは、かつて夜な夜な自分の安眠を妨げた「先祖の霊」の時のような嫌な胸騒ぎを感じていた。案の定、この後ベスが日本で「モモタロウの弟分」に敗れ、あろうことか彼に惚れ込んで居着いてしまうことを、この時のトムはまだ知らない。

 

 トムの視線の先。アメリカのプロレス道場という、空間の片隅にあまりにもミスマッチな存在があった。ぽつんと異彩を放つ仏壇、供えられているのは、日本のコンビニで売られているようなワンカップの日本酒。そしてその中央には、傷だらけの位牌が一つ、鎮座していた。イワン・シュテンドルフの魂は、これから海を渡る若き「白鬼」の行く末を、静かに見守っているようだった。

 

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