「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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第25試合(オトギプロレスリングお祭り興行):エキシビジョンタッグマッチ「エディ・ダンテス&ジェームス美樹VSガータ御子柴&赤ずきん」 前編

 薄暗く、どこか無機質な空気が漂うプロレス団体「オトギプロレスリング」道場兼事務所建屋の一角にある応接室。分厚い防音扉の向こうからは、道場で練習生たちがマットに打ち付けられる鈍い音が、微かな振動とともに響いてくる。革張りの重厚なソファに深く腰を掛けているのは、オトギプロが誇る絶対王者にして団体トップ、エディ・ダンテスであった。

「……話は分かった。意図もまぁ、理解はできる」

 エディは静かに、しかし確かな威圧感を孕んだ声で告げた。今日の彼女はリングコスチュームではなく、仕立ての良いスーツに身を包んでいる。身長わずか149センチ。華奢で起伏に乏しいその体躯からはおよそ想像もつかないほどのカリスマ性が、静かな呼吸とともに全身から放たれ、部屋の空気を支配している。

「おお!」

 ローテーブルを挟んだ対面で縮こまっていた太平プロレス社長・松平林吾が、パッと顔を輝かせて身を乗り出した。寄る年波と、長年のレスラー生活で抱えた腰痛のせいで、その動きはいささかぎこちない。

「だがな、林吾、そして御子柴。……随分と都合よくウチを利用しようという話だな?」

 エディの鋭い眼光が、林吾の隣で腕を組む女ヒール――ガータ御子柴を射抜く。メキシコ帰りの狂乱ヒールとして名を馳せ、あの宮川三郎太とも互角の死闘を演じた実力者だ。漆黒のショートボブにあしらわれたトレードマークの猫耳飾りを僅かに揺らし、御子柴はバツが悪そうに視線を逸らした。

「うっ……」

「おお……」

 林吾の歓喜の表情も、瞬時にしぼむ。無理もない。今回彼らが持ち込んだ頼みは、他団体のトップに頭を下げての申し出であることを考慮しても、あまりにも身勝手なものだった。事の発端は、太平プロレスが誇る若きスター、ライジング雫の挫折である。三郎太不在の穴を埋めるため、連日のオーバーワークとダブルヘッダーを強行した雫は、疲労の極致の中で迎えた大舞台において、あろうことか初歩的なスクールボーイで丸め込まれ、無惨な敗北を喫した。完璧を求めていた彼女の心は、そのたった一度の黒星でへし折られてしまったのだ。

 自信を喪失し、抜け殻のようになってしまった後輩をどうにか立ち直らせるため、御子柴は太平プロの友好団体である「オトギプロレスリング」のマットに目を付けた、というわけである。

「こないだは三郎太を立ち直らせて返せ、今度は雫を育て直して返せ? 林吾、お前同じこと私から言われたら笑顔でタダで受けてくれるんだろうな?」

 ジリジリと間合いを詰めるようなエディの追及に、林吾はたまらず額に浮いた冷や汗を拭う。

「……い、いや……それはだな……」

「なら、その分オレがカラダで返すニャ」

 口ごもる社長を庇うように、御子柴がスッと顔を上げた。その強い瞳には、ヒールとしての矜持と、不器用な後輩への情念が入り混じっている。

「御子柴……お前な……。林吾、お前も承知の上か?」

「紅子ちゃんの言い回しのニュアンスはともかく、ある程度覚悟はしているつもりだ……」

「紅子ちゃん言うな」

 不意に本名を暴露され、シャアッと猫のように威嚇する御子柴。その場違いにコミカルなやり取りに、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。エディは小さくため息をつき、普段のツインテールではなく、今はストレートに流している美しい長い銀髪をかき上げる。根が真面目でヒーロー気質な彼女にとって、こうした泥臭い情念で動く不器用な者たちを、無碍に切り捨てることはできなかった。

「まったく……。……とりあえず御子柴にはいくつかウチの試合に出てもらう」

「ああ、わかったニャ」

 即答する御子柴。その覚悟の強さを確認すると、エディは再び林吾に向き直った。

「それと林吾」

「お、お手柔らかに頼む」

 腰をさすりながら怯える往年のエース、中年からそろそろ初老と呼ばれるのも見えてきた太平プロ社長の松平林吾に、エディは容赦なく要求を突きつける。

「はぁ……。お前んとこで毎年やってる夏合宿があるだろ、あれにウチの連中もつれてけ。それで手を打ってやる」

「うむ……まぁ、なんとかしよう」

 太平プロレスが誇る、過酷にして実り多き伝統の夏合宿。オトギプロ側にとって、若手育成の場として考えれば、これ以上ない対価である。交渉はここに妥結した。

「で、御子柴。お前の出る試合についてだが……」

 エディの唇が、凶悪な弧を描いた。それは、絶対王者としての揺るぎない自信と、圧倒的な格の違いを見せつける、残酷な宣告の始まりであった。

 

────────────────────

 

 数日後。地方都市にある、決して新しいとは言えない公営体育館。しかし今日、この場所は普段の静けさが嘘のような熱狂のるつぼと化していた。2階席の最上段までびっしりと観客で埋め尽くされ、通路には立ち見客が溢れかえっている。人々の熱気と汗、そしてポップコーンの匂いが入り混じり、むせ返るような独特の空気を醸し出していた。リングを照らす強烈なカクテル光線が、宙を舞う埃をキラキラと輝かせている。

 その熱狂の中心、リングサイドに設けられた実況席には、一際異彩を放つ男が座っていた。オトギプロレスリング所属のベテラン悪役レスラー、キャプテン・フックである。かつて凄惨な事故により片手を失い、一度は引退の淵に立たされた男。しかし彼は、その隻腕をトンチキ技術の結晶である『高性能義手』で補うことで見事にマットへ舞い戻った。ロープワイヤー式のフック射出やロケットパンチといった、プロレスの枠を逸脱しかねないド派手なビジュアルとファイトスタイルは、ちびっ子ファンたちから絶大な支持を得るに至っている。今日は試合に出場せず、実況という大役を任された彼は、メタリックに輝く義手でマイクを乱暴に掴み、会場中にその野太い声を響かせた。

『ご来場の諸君! 次なる試合は異色のマッチだ。「太平プロレス」と「オトギプロレスリング」、ご存知二つの団体の合同興行でまさかの経営側と現場組が大激突! 労働争議かはたまた下剋上か!? それともお宝の奪い合いなのか!?』

 その煽り文句に、会場のボルテージが一気に跳ね上がる。と同時に、常連となって訓練されているオトギプロのファンたちからは、愛のあるツッコミが次々と飛んだ。

「今日も例によって雑……じゃない……だと……!?」「この声、フック船長か? なかなか手馴れてんな」「社長じゃなくてもう実況いつもフックがやったらいいよ」「宝の奪い合いだけはないだろ常識で考えて」

 観客たちのガヤをBGMに、フック船長はさらに声を張り上げる。元トップレスラーとしての圧倒的な場数と声量は、広い体育館の隅々にまで轟き渡った。

『ええい野郎ども黙って聞きやがれ! イカれた対戦カードを紹介するぜ! まずは経営側タッグ「エディ・ダンテス&ジェームス美樹」チーム! 言わずと知れたオトギプロの社長と太平プロの社長令嬢のタッグチームだ! 対するは現場組タッグ「ガータ御子柴&赤ずきん」チーム! あの宮川三郎太と互角にやりあったメキシコ帰りの狂気のヒールと我がオトギプロの若手エースのタッグが挑む1戦だ! とくとご覧になりやがれ!』

 息継ぎなしで一気にまくしたてる実況に、再び客席からどよめきとツッコミが沸き起こる。

「やっぱりダメだったよ……」「雑ゥ!? 褒めて損した!?」「社長はもうそっとしておくとして、美樹さんって強いの?」「強くはないと思うが弱くもないと思う」「わからんと素直に言えんのか」

 リングの隅では、レフェリーを務める人間(ひとま)が、厳格な表情で両陣営の入場を待っていた。太平プロレスの温厚なレフェリーとは違い、反則に厳しい彼の存在は、オトギプロの興行では有名だ。しかし普段の試合では、「義手なので凶器ではない、全国の義肢に頼る皆さまを敵に回すのか?」というフックの無茶苦茶な主張に眉をハの字にして困る姿もまた、観客の苦笑を誘っていた。そして現在、フック船長はそんなレフェリーを尻目に、ニヤリと悪役らしい笑みを浮かべ、義手を高々と掲げた。

『ついでに売店のご利用ありがとうな! おかげで「デラックス・フック船長の義手」は今日も完売だぜ!』

 試合直前の緊迫感を自らぶち壊す、まさかの物販宣伝。これにはたまらず、会場のあちこちから爆笑と野次が入り乱れる。

「宣伝してて草」「完売してから宣伝してどーする!?」「あれやたら多機能なんだけど採算とれてんのか? 特に発射後自分で手元に戻ってくるAI」「知らんが興行の度に売れまくってるし赤字ってことはないだろ」「入荷数増やしてクレメンス、あまりに少なすぎる!」「軽トラの空いた隙間にしか積んで来ねえからな……」

 和やかな、しかしいつ爆発してもおかしくない熱を孕んだ空気。場外の暗がりには、深く帽子を被ったライジング雫の姿があった。御子柴が自分に何を見せようとしているのか、まだ彼女は分かっていない。ただ、暗い瞳でぼんやりとこれから始まる戦いを見つめている。会場のざわめきが最高潮に達したその時、フック船長の実況が、開戦の狼煙を上げた。

『というわけで、野郎ども! 準備は良いか、出航、もといゴングの時間だ!』

 

 カーン!

 

 乾いたゴングの音が体育館に鳴り響くと同時に、観客の歓声は地響きのような唸りへと変わった。リング中央、先陣を切ったのは太平プロレスの社長令嬢、ジェームス美樹と、オトギプロの若手エース、赤ずきんである。

 赤ずきんは、その名の通り入場時には真紅の頭巾を被り、フリル付きの可愛らしいコスチュームを纏い、普段は「おばあさんの家へお見舞いに行く途中の可憐な少女」であり「狼さんの腹を徹底して責め立ておとぎ話にならって石を詰めるがごとく戦う」という奇妙な役を演じている彼女は、フード付きローブを脱いだセクシーな装いで、その瞳の奥に計算高いプロレスラーとしての光を宿していた。対する美樹は、父である林吾の代理として、そしてエディのパートナーとして、このリングに立っている。気合は十分だが、キャリアではるかに上回るレスラーたちに囲まれ、その表情には隠しきれない緊張が滲んでいた。

 赤ずきんがプロレスの基本であるロックアップを仕掛けようと、両手を広げて距離を詰める。観客もまた、まずは力比べから始まる王道の展開を予想していた。だが、美樹はそのセオリーをあえて外れる。

「いくわよっ!」

 鋭い叫びと共に、美樹の右腕がしなった。ロックアップの手を出すと見せかけ、踏み込みざまに放たれたエルボー。その一撃は、油断していた赤ずきんの胸元へ正確に、そして重く突き刺さった。

「くっ……! あらあら……今日の狼さんは、随分と元気。そんなに私を食べたいのかしら?」

 赤ずきんは衝撃に上体をのけぞらせながらも、すぐにキャラを崩さず不敵な笑みを浮かべる。しかし、一方でその一撃に乗った確かな基礎を読み取り、美樹の「本気」を肌で感じ取ったようだった。だが、やられっぱなしで終わる赤ずきんではない。彼女はすぐさま、身を翻して鋭くその場を旋回した。

「でも気を付けて。悪い狼さんは、最後にはお腹を割られちゃう運命なんですよっ♪」

 回転の遠心力を乗せた返礼のソバット。赤ずきんの足先が、美樹の無防備な腹部に深々とめり込む。「カハッ」と美樹の口から空気が漏れ、その体がくの字に折れ曲がった。しかし、今日の美樹は一味違った。痛みに悶えるよりも早く、彼女の闘争心に火がつく。彼女は後退するどころか、そのまま自ら真横のロープへと走った。ロープの反動を背中で受け、弾丸のような速度でリング中央へと戻る。そして、全力の跳躍。

「あたしだって、おとーさんの代わりにエディさんに相棒として選ばれてるのよ! 期待外れなんて言われたくない!」

 必死の叫びと共に放たれたのは、高く舞い上がったドロップキック。美樹の両足が、赤ずきんの細い喉元を真正面から捉えた。赤ずきんの体が宙を舞い、マットに叩きつけられる。美樹は休ませない。ダウンしかけた赤ずきんの髪を強引に掴んで引き起こすと、首に腕を回して一気にマットへ投げ捨てる首投げを敢行した。ズシン、とマットが波打つ。一気呵成の攻めを見せた美樹だったが、さすがにスタミナの消費は激しい。肩を大きく上下させながら、彼女はここは交代すべき時と、自軍のコーナーへと手を伸ばした。

「はぁ! はぁ! ……エディさん、お願いしますっ!」

 差し出された美樹の手を、銀髪の王者が力強くパチンと叩く。

「……うん、次は私の番だな、最高のエンターテインメントを始めようか!」

 エディ・ダンテスがリング内に躍り出る。その瞬間、会場の空気は一変した。小柄な彼女が放つオーラが、広いリングを覆っていく。彼女が身に纏うのは、黒を基調としながらも紫と金の豪奢なアクセントが施された、露出度の高いボディスーツである。胸元や腹部が大胆にカットアウトされ、引き締まった柔肌が覗く。首を絞めるようなチョーカー、両腕を彩る腕輪とブレスレット、そして絶対領域を強調する太もものガーターベルトや膝当てといった装飾の数々は、彼女が単なる実力者ではなく、観客を魅了する『華』であることを雄弁に物語っていた。対峙する赤ずきんは、先ほどの美樹との攻防で負ったダメージも相まって、思わず後退りした。

「し、社長……!? お、お手柔らかに……」

 思わず素に戻りかけた赤ずきんの弱音。それをエディは冷徹な、しかし熱い眼差しで一喝する。

「……何だその情けない声は。リングの上に『社長』などいない。お前からしたら今の私は恐ろしい狼だろ。素を出すな、役を全うしろ! そして全力でぶつかってこい!」

 叱咤。それは、いまだベルトホルダーとしてオトギプロの頂点に佇む者としての、後輩への厳しい愛だった。エディはその叱責を口にするや否や、目にも止まらぬ速さで地を蹴った。驚愕に目を見開く赤ずきんの視界に、エディの小さな体が飛び込んでくる。

「とうっ!」

 放たれたのは、エディの得意技の一つ、D式スカイドロップキック。美樹のものとは比較にならない威力と精度を誇る跳躍蹴りが、赤ずきんの顔面を真っ向から撃ち抜いた。

「ひぎゃああああっ!?」

 赤ずきんの悲鳴が体育館に響き渡る。エディの攻撃は止まらない。着地の衝撃を最小限に抑え、そのままの勢いで倒れ込んだ赤ずきんの頭部を、万力のようなヘッドロックで捕らえた。限界まで研ぎ澄まされた細い四肢。その節々に宿る爆発的な筋量が、赤ずきんの自由を無慈悲に奪っていく。

 それを最前列から少し離れた場外で見守る一人の少女がいた。太平プロレスの若手、ライジング雫である。普段の彼女なら、先輩たちの戦いを食い入るように見つめ、技術を盗もうと目を輝かせていただろう。だが、今の彼女の瞳には光がない。先の敗北で負った心の傷は、想像以上に深かった。エディが赤ずきんを圧倒する光景も、彼女にとっては「自分もああして無様に負けるのだ」という絶望を再確認する作業でしかなかった。無感動に虚空を見つめるその姿は、まるで魂を抜き取られた人形のようであった。

 そんな雫の視線を、リング上の「悪役」は見逃さなかった。

「させねーニャっ!」

 エディがヘッドロックで赤ずきんのスタミナをじわじわどころかガリガリ削ろうとしたその瞬間、エディの視界の外から影が飛び込んだ。ガータ御子柴だ。彼女は正規の交代を待たず、不規則にリングへ乱入。エディの軸足の膝裏を狙った鋭い水面蹴りを放つ。不意を突かれたエディは堪らず膝を突き、捕らえていた赤ずきんを放してマットを転がった。すぐさま、赤ずきんが這うようにして自陣コーナーへ逃げ戻り、御子柴とタッチを交わす。エディは素早く立ち上がり、乱入によってリズムを崩されたことへの不快感を隠さず、鼻を鳴らした。

「……む、もう少し指導したかったのに、いいところで邪魔をするじゃないか」

 対する御子柴は、天井照明の光を受けて燃えるような輝きを放つ黒髪をかき上げ、野良猫のような鋭い笑みを浮かべる。彼女はエディを見据えながら、指をクイッと曲げて挑発した。

「へっ、弱い者いじめはオレの専売特許だニャ。正義の味方ヅラの社長サマの仕事じゃねーだろ?」

 不敵な笑みを浮かべるガータ御子柴。その挑発を正面から受け止めたエディ・ダンテスの瞳に、冷徹な王者の光が宿る。

「成程、良い啖呵だ」

 エディが短く応じた直後だった。空気が爆ぜるような音が響いた。エディの小柄な体がバネのように弾け、一瞬で御子柴との間合いを潰す。反応する間もなく、エディの右手が唸りを上げて振り抜かれた。重低音の響く、強烈な逆水平チョップ。乾いた音ではなく、肉と肉が激突する鈍く重い衝撃音が会場にこだまする。御子柴の白い肌は瞬時に赤く変色し、その衝撃だけで彼女の体はくの字に折れ曲がった。

「ぐぅおっ!?」

 御子柴は呻き、手を口にあてて、喉の奥からせり上がる苦悶を必死に飲み込んだ。

(バケモンかよ、コイツは……! こんな細っこい腕のちびっ子ボディのどこにこんなパワーが隠れてやがるニャ!?)

 三郎太との死闘を潜り抜けてきた御子柴をして、エディの一撃は異次元の重さだった。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。エディがさらに追撃の手を緩めず、御子柴の喉元を掴もうとしたその刹那。御子柴の頬が不自然に膨らんだ。

「――ぶふぉぉっ!!」

 御子柴の口から、鮮やかな緑色の液体が勢いよく噴霧された。毒霧である。王者の風格を纏い、正々堂々と攻め寄せていたエディの顔面に、その粘着質な霧が直撃した。

「ぐぁっ……!? 目が……! あぁぁぁ!? なんだこれ、ヒリヒリする!? もしかしてワサビか!?」

 悶絶しながら顔を抑え、エディがよろめく。あまりの刺激に、さしもの絶対王者も取り乱した声を上げた。すぐさまレフェリーが御子柴に詰め寄り、指を突きつけて厳告する。

「御子柴! 反則は許さんぞ! 次はカウントをとるからな!?」

 だが、ヒールの本領を発揮し始めた御子柴は、レフェリーの警告などどこ吹く風と鼻で笑った。

「うっせぇ、悪党にゃルール無用だニャ! オラァッ!」

 視界を奪われ、鼻を突くワサビの刺激に翻弄されるエディ。御子柴はその細い腕を強引に掴み取ると、己の全筋力を振り絞って投げ飛ばした。勢いよく放たれたエディの体は、自軍のコーナーの鉄柱付近へと激しく叩きつけられる。ハンマースローだ。

「あぐっ!?」

 コーナーパッドに背中を強打し、エディが呻く。この王者の窮地に、ロープの外、エプロンサイドで待機していた太平プロレスの社長令嬢、ジェームス美樹が動いた。彼女はエディが追い込まれたのだと勘違いし、焦燥に駆られて身を乗り出した。

「エディさん、大丈夫ですか!? 目を拭ってください、しばらくあたしが代わります!」

 美樹はエディの手を強引に叩き、タッチを成立させてしまう。

「ま、待て美樹! くっ…まだ目が見え……ぁぁぁなんか鼻がツンとする!?」

 エディの制止も虚しく、権利は美樹へと移った。エディは涙を流して顔を真っ赤にしながら、スタッフから投げ渡されたタオルで必死に顔を拭い始める。一方、この隙に自陣コーナーへ戻っていた御子柴は息を整えながらロープごしに、赤ずきんと顔を突き合わせる。

「オイ、お宅の社長強すぎんだろ!?」

 御子柴が戦慄を隠さず吐き捨てる。

「だからエディさんじゃなくて美樹さんを仕留めるしか勝ち筋がないです」

 赤ずきんもまた、先ほどエディから受けたヘッドロックの恐怖が消えておらず、声が震えていた。

「むぅ、林吾のおっさんに睨まれそうでやだけど、しゃーないか。ひっぱりだして二人がかりでうまくボコるニャ」

 頭を掻きながら御子柴が口にする作戦。それは美樹を徹底的に叩き、エディを引きずり出させないことだった。しかし、オトギプロの内情を知る赤ずきんの表情は晴れない。

「でも、エディさんは無視されると怒るし、挑まないと嬉々としてボコってきますよ!?」

 ロープを両手でぎゅっと握り、ひきつる顔で言う赤ずきんに御子柴が目を剥く。

「じゃあどうしろって言うんだよ!?」

「つ、ツープラトンで挑むしかないです。美樹さんはダメージ与えて引っ込ませといて」

 言葉にどうやらウソや冗談はなさそうだと察した御子柴は天を仰ぎ、それでも絞り出すように念押しのように尋ねる。

「……マジなの?」

「マジです」

 御子柴は赤ずきんの差し出した手を見つめ、覚悟を決めてパチンと叩いた。タッチ成立でロープの外へ出ながら御子柴はふと思い出したように言う。

「……そういや今日は対戦相手を狼さんって呼ばないのニャ?」

「ロールプレイしてる余裕がありません」

 思った以上のどうでもいい確認に、赤ずきんは代わってリングインしながら震え声で応えた。

 

 設定を放り投げた赤ずきんは、真剣な表情でリング内で美樹と向かい合う。対する美樹は、エディを守らなければという一念で拳を握りしめている。

「あたしが、エディさんが戻るまで繋いでみせる!」

 決意の表情を浮かべた赤ずきんが美樹めがけて突進する。美樹はとっさに迎撃しようとビッグブーツを放つが、その動きは経験豊富な赤ずきんから見れば安易に過ぎた。最小限の動きで見切っていなし、空を切った美樹の蹴り足を逃さず両手で掴み取る。

「わっ……!?」

 赤ずきんはそのまま、掴んだ足を軸にして美樹の体を独楽のように振り回す。美樹の悲鳴が上がる中、彼女をニュートラルコーナーへと力任せに投げ捨てた。背中をコーナーにぶつけ、ずるずると崩れ落ちる美樹。赤ずきんは容赦しなかった。複雑な勝利条件のためのお膳立てのため、彼女はこれからひどい目にあう美樹への謝罪を口にしながらも容赦なく地を蹴った。

「美樹さん、ごめんなさい……! これしかないんですっ!」

 赤ずきんの体が宙に舞う。全力で突き出された両足が、串刺しドロップキックとなって起き上がろうとしていた美樹の腹部を正確に捉えた。彼女の腹筋による抵抗を打ち破った衝撃は容赦なく肺から空気を力ずくで押し出す。

「ごふっ……!!」

 激しい衝撃音と共に、美樹の体がコーナーのマットに沈み込んだ。会場からは、一転して劣勢に立たされた「経営側」チームへのどよめきと、必死の攻防を繰り広げる「現場組」への期待が混じり合った歓声が上がった。

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