「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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第3試合(太平プロ通常興行):シングルマッチ「シロオニ・ベスVSライジング雫」

 会場の熱気は最高潮に達していた。照明が激しく明滅し、耳をつんざくような入場曲がアリーナを揺らす。

『さぁ、過日の試合以来、太平プロレスの興行試合には久々の登場、シロオニ・ベスがリングインです! 可愛い顔して宮川三郎太相手にそのすさまじい猛威を振るった白鬼! 今日はそんなシロオニ・ベスにライジング雫が挑戦します!』

 実況アナウンサーの声が試合会場に響き渡る。リング上には、黒と赤を基調とし、金色の縁取りが施されたビスチェトップと、豪華なアラベスク模様のレギンスに身を包んだシロオニ・ベスが悠然と佇んでいた。アッシュブロンドのショートボブが照明を浴びて輝き、グレイッシュブルーの瞳は、まるで獲物を品定めするかのように細められている。対角線のコーナーには、挑戦者であるライジング雫。白と青を基調としたフリル付きのコスチュームに身を包み、紫色の瞳でベスを睨み据えていた。その視線には恐怖ではなく、燃えるような嫉妬と対抗心が揺らめいている。リングサイド、雫の陣営にはセコンドとしてラスカル石井が付いていた。彼は胸元に『心・技・体』をモチーフにした歪な三つの図形と、妙に縦長のフォントで『TAIHEI』とプリントされた、お世辞にも格好良いとは言えない団体の公式トレーナーを着ている。しかし、その表情は真剣そのものだった。ゴングを待つ僅かな時間、ラスカル石井はロープ越しに雫へ低い声をかけた。

「……勝てる相手じゃないのは」

 雫は視線をベスから外さず、小さく頷く。

「わかってます。でも、引けないんです。私が私であるために!」

 声は震えていたが、そこには確固たる意志があった。先日、三郎太に挑んで敗北したあの試合で心が通じ合ったと感じはしたものの、彼女の心に巣食う焦燥感は消えていない。日常的に目の前で繰り広げられるベスと三郎太のやり取り、自分を一顧だにしないベスの余裕。それらが雫の自尊心に火をつけていたのだ。

「……なら、君が試合で魅せる為に覚えておくことは二つ」

 ラスカル石井が指を二本立てて見せる。

「二つ……」

「相手のパワーを利用、少なくとも無駄遣いさせる事。そして、君の全力はここぞと言う所で使う事……」

 ラスカル石井の言葉は、ジョバーとして数多の敗北と勝利の狭間を見てきた彼だからこその、実戦的な助言だった。パワーで勝る「シロオニ」に真正面から挑めば、雫に勝ち目はない。

「有難うございます。難しいけど……出来る限りやってみます」

 雫は深く呼吸し、自身の頬を両手で叩いて気合を入れた。

 

 リング上の緊迫感とは裏腹に、放送席は別の意味での「地獄」と化していた。

『しかし、解説の三郎太さん。ライジング雫が活躍中の若手レスラーとは言え、シロオニ・ベスの相手は厳しいのでは?』

 実況アナが隣に座る三郎太へ、無遠慮な問いを投げかける。三郎太は放送席に座りながらも、居心地の悪さに何度も尻の位置を直した。

『……そうですね。厳しい事を敢えて言いますが、実力差があるのは事実です。しかし、この試合の中で何を掴むのか、大事なのはそこだと思います』

 三郎太は努めて冷静な「解説者」の仮面を被ろうとしていた。プロとしての客観性を保つべく、視線をリング上の雫へ向ける。

『雫ちゃんのグラウンドの技術は太平プロレスでも飛び抜けています。いかに自分の得意分野に持ち込むか、というところでしょうか』

 論理的な分析。だが、彼の背中はすでに冷や汗でぐっしょりと濡れ、トレーナーの生地が不快に張り付いていた。自分を巡る女性同士の戦いを、衆人環視の中で解説させられる。それは三郎太にとって、どんな関節技よりも過酷な拷問だった。そこへ、実況アナは追い打ちをかけるように、意地の悪い微笑を向ける。

『成程、彼女の奮闘を見守りたいと思います。ところで三郎太さん。この試合、実は貴方を巡っての女の争いだという噂もあるようですが、そのあたりいかがですか?』

『…………』

 三郎太の思考が白濁する。実況の言葉は、アリーナのスピーカーを通じて観客席まで筒抜けだ。リングサイドで無言を貫くセコンドのラスカル石井からも、重圧のような視線を感じる。数秒の沈黙ののち、三郎太はマイクを握りしめ、魂の抜けたような声で返した。

『……いや、その……ノーコメントです』

 その消え入りそうな声とは裏腹に、放送席に映る彼の「TAIHEI」ロゴだけが、異様な存在感を放ち続けていた。

 

 ゴングが打ち鳴らされた。試合開始直後、雫はリング中央での組み合いを避けて動く。ベスの身長は174センチ、対する雫は166センチ。体格差とパワーの差は歴然としている。雫は軽快なフットワークでベスの周囲を回り、ロープ際へと移動して隙を窺う。

『見てください三郎太さん! ライジング雫、あなたの期待に応えようと必死です! 愛の力は岩(ベス)をも動かすかーっ!?』

 実況がここぞとばかりに煽る。その声はマイクを通して会場中に響き渡り、当然、リング上のベスの耳にも届いた。

『だから愛とかじゃないですって! 雫ちゃん、無理しないで……』

 三郎太が悲鳴に近い声を上げるが、観客席からは野太い野次が飛ぶ。

「三郎太ー! どっちの女の味方なんだよ!」「この幸せ者め、後で道場の裏に来い」「羨ましいけど代わりたくはない!」「それな」

そんな観客の声は聞こえないふりをしながら三郎太がリング上を指さし、必死に話題の転換を図る。

『ほら、適当な事言うからベスさんが今こっち見て、誰が岩ですってって怒ってますよ』

 三郎太の指摘通り、リング上のベスは眉をひそめ、不機嫌そうに実況席を睨みつけていた。

『も、もののたとえですよ!? 誰も岩みたいな腹筋だなんて言ってませ……ヒェッ!?』

 ベスの鋭い視線に、実況が縮み上がる。よりによってその言葉のチョイスはどうなのか、三郎太は実況アナの度胸に感嘆し、同時にドン引きした。

『うわぁ……』

 観客たちも一斉に引いた。

「うわぁ……!」「あーあ、実況死んだわ」「羨ましい代わって欲しい!」「えっ」

 

 一方、リング上。ベスは苛立ちを隠そうともせず、ちょこまかと動く雫を捕まえようと、低い姿勢から猛烈なタックルを仕掛けた。しかし、雫は動揺せず、冷静にベスの動きを見切って身体を素早くスライドさせてタックルを回避する。狙いを外したベスの体が空を泳ぎ、すかさず雫は、無防備になったベスの左膝裏めがけて、鋭いローキックを叩き込んだ。 鋭い蹴りが肉を叩く乾いた音が響くと共にベスの膝がガクリと折れる。そして、動きが止まったその刹那、雫はその場跳びの低空ドロップキックを追撃に放ち、同じ膝関節を正確に撃ち抜いた。

「くっ……!」

 巨木が傾くように、ベスがバランスを崩す。会場がどよめいた。

「いいぞ雫! 足だ、足を潰せ!」

 観客の歓声が上がる。雫の「ストイックで真面目な優等生」としての戦い方が、的確に相手の弱点を突いていた。しかし、白鬼の名は伊達ではない。膝へのダメージに顔をしかめつつも、ベスは素早く体勢を立て直すと、追撃を試みた雫の腕を強引に掴み取った。そのまま有無を言わさぬ怪力で引き寄せ、身体を反転させる。

「えっ……」

 雫が声を上げる間もなく、視界が天地逆転した。投げっぱなしバックドロップだ。マットが悲鳴を上げ、雫の身体が弾む。受け身をとる余裕すら与えられない、暴力的なまでの投げだった。たった一発のバックドロップとは思えぬそのあまりの威力に雫は声も出せない。ベスは倒れた雫を見ようともせず、長い髪をかき上げながら実況席へと視線を向けた。そのグレイッシュブルーの瞳は、三郎太を射抜くように見据えている。「見ていましたか?」と、口には出さずともその瞳は雄弁に語っていた。優雅な一瞥。彼女にとって、雫はまだ「対戦相手」ではなく、三郎太に自分をアピールするための道具に過ぎないのだ。

「飛び技と投げ技の基点を狙う、賢い判断です。」

 ベスは冷徹に言い放つと、苦痛に顔を歪める雫の髪を掴み、強引に引きずり起こした。背骨が軋むほどの先の衝撃に、いまだ雫の呼吸は整わない。だが、ベスの攻撃は止まらない。両腕をクラッチし、そのまま軽々と雫の身体を宙に引っこ抜く。

「しかし、その程度の小細工では、私には届かない!」

 ダブルアーム・スープレックスだ。美しい放物線を描き、脚で受け身をとってなお、先ほどのバックドロップ以上の威力を伴って、雫の背と後頭部がマットに叩きつけられた。ベスが見下ろす中、雫は朦朧とする意識の中で歯を食いしばった。簡単に負けるわけにはいかない。先輩の見ている前で何も見せられず終わるなど、絶対に嫌だ。ベスが体固めでフォールに入ろうと覆いかぶさってくる。その瞬間、雫の本能が反応した。柔軟な肢体を鞭のようにしならせ、ベスの身体に絡みつきグラウンド・コブラツイストに極める。

「……ッ! この程度でギブアップ……させられるとでも?」

 絡めとられたベスが呻く。雫は全身の筋肉を総動員し、ベスの腹部を絞め上げ、背骨をねじり上げる。

「承知の上よ……」

 雫の瞳には鬼気迫る色が宿っていた。だが、セコンドのラスカル石井の表情は険しかった。

(……いかん)

 石井は心の中で舌打ちした。試合前、「パワーの温存」を説いたはずだ。しかし、雫は焦りからか、早くもこのコブラツイストに全力を注ぎ込んでしまっている。相手は桁外れのパワーを持つベスだ。ここで仕留めきれなければ、後に温存した必殺技を十分な力で放つことは難しくなる。

『おーっと! ライジング雫、シロオニ・ベスにガッチリと絡みついた! 三郎太さん、目の前で貴方の為に女戦士たちが絡み合っているわけですが、どのような心境でしょうか?』

 実況がまたしても茶化す。三郎太は頭を抱えた。

『……おかしな言い回しをしないでくださいっ! 僕のためとかじゃなく彼女たちは今、自分のプロレスラーとしてのプライドをかけて戦っているんです。茶化すべきじゃないですよ。……って、なんでニヤニヤしながら見るんですか!?』

『いーえ、別に』

 会場からは容赦ない野次が降り注ぐ。

「色男ー!」「かっこつけやがって!」「ええカッコしいが!」「でも好き……!」

 観客席から浴びせられる容赦ない罵声が、物理的な圧力となって実況席を揺らす。中には興奮した観客が投げた紙コップが、三郎太の足元を転がった。

『観客のみなさん、物を投げないで!? ちょっとラスカルさん、なんとか言ってやってください!』

 三郎太が助けを求めるようにセコンド席を見る。ラスカル石井は、リングサイドから無言で三郎太の方を向き、親指を立てた。

「……!」

『グッドじゃないですよ! 助けてって言ってるんです!』

 三郎太の悲痛な叫びは、歓声にかき消された。

 

 リング上では、2分近い攻防が続いていた。雫の額からは玉のような汗が滴り落ち、呼吸が荒くなっている。

(離さない……絶対に……!)

 雫は必死だった。だが、ベスの呼吸は乱れていない。彼女は冷静に状況を分析していた。ロープは遠い。このまま絞め続けられればダメージは蓄積するが、雫のスタミナの消耗の方が激しい、しかし。

(膝に腰…、この娘の技巧につきあっていては不味い!)

 ベスは決断した。多少のダメージは覚悟の上で、圧倒的な「力」で粉砕することを。

「ふんっ!!」

 ベスが全身に力を込める。筋肉が膨張し、雫の細い腕が悲鳴を上げる。

「あぐっ……!」

 あまりにも乱暴な力づくの振りほどき。技術もへったくれもない、純粋なパワーの奔流が雫のロックを破壊した。雫が弾き飛ばされる。ベスは腰と背筋に痛みが走るのを無視して間髪入れずに踏み込むと、アイアンクロー気味に雫の顔面を鷲掴みにした。

「ぐ、うぅ……!」

 視界を奪われ、頭部が締め付けられる恐怖。雫が怯んだ隙を、ベスは逃さない。そのまま雫の身体を抱え上げると、強烈な捻りを加えてエクスプロイダーで後方へと投げ捨てた。 為す術もなく、雫はマットに叩きつけられる。鈍い音が響き、彼女の意識が一瞬飛びかける。ベスは乱れた髪を直すこともせず、冷ややかな瞳で倒れ伏す雫を見下ろした。その表情には、もはや余裕のある笑みはなく、獲物を狩る捕食者の冷酷さが漂い始めていた。

 雫の意識が明滅する。エクスプロイダーによる強烈な一撃は、彼女の三半規管を狂わせ、視界を白濁させた。だが、その痛みが逆に雫の闘争本能を叩き起こす。

(まだ……終われない!)

 ベスは勝利を確信したのか、優雅に髪をかき上げている。その一瞬の油断。雫は朦朧とする意識の中で、残された力を両脚に込めた。雫がマットを蹴る。予想外の速さで跳ね起きた雫の姿に、ベスのグレイッシュブルーの瞳が驚愕に見開かれた。

「なっ……!?」

 狙うは首筋。雫の延髄斬りが空を裂く。ベスは咄嗟に身を引いたが、完全に避けきることはできなかった。雫のつま先が、ベスの側頭部を深くえぐるように捉える。

「くぅっ……!」

 ベスはよろめき、回転するようにふらついて、背中をコーナーポストに激しく打ち付ける。好機。雫は痛む身体を叱咤し、追撃のために走り出した。しかし、ベスはぐらつく視界の中で、迫りくる雫の足音を頼りにタイミングを合わせ、ロープの反動を利用してカウンターのビッグブーツを放つ。

(読めてる……!)

 雫は止まらなかった。ベスの足が顔面を捉える寸前、スライディングのように身体を低く沈め、その蹴りを紙一重で回避する。 蹴りを空振りしたベスの身体が、勢い余って前方へと泳ぐ。その無防備な背中が、雫の目の前にさらけ出された。

「これで決める……決めるしかないッ!!」

 雫は獣のように飛びついた。ベスの背後から腰に腕を回し、マットへと押し倒す。そのまま流れるような動きでうつ伏せになったベスの片脚を自らの両脚で絡めとり、顎をロックして反り上げる。雫が必殺技と頼む、ティアドロップ・ボディロックががっちりと極まっていた。

「ぐ……っ、がっ……!」

 ベスの喉から苦悶の声が漏れる。変形のSTFが、ベスの首と腰、そして膝を同時に破壊していく。会場が爆発したような歓声に包まれた。

「いけえぇぇッ!」「落とせ! 落とせ!」

『出たぁ~! ティアドロップボディロックだぁ! 決まったか!? 三郎太さん、これは決まったんじゃないですか!?』

 実況が絶叫する。しかし、セコンドのラスカル石井の表情は暗い。その拳はやるせなさを示すように強く握りしめられていた。雫は歯を食いしばり、全身全霊で絞め上げた。血管が切れそうなほど力を込める。だが、腕の中に感じるベスの肉体は、岩のように硬く、そして強靭だった。ベスは驚異的な腕力でマットを這い始めた。ズルリ、ズルリと、雫ごと身体を引きずっていく。コブラツイストでの消耗。石井が危惧したスタミナ切れが、ここ一番で雫の牙を鈍らせていたのだ。

「嘘……そんな力、が……」

 雫の顔色が青ざめる。技を解くわけにはいかない。だが、止まらない。ベスの指先が、ロープに届いた。

「ブレイク! ロープブレイク!」

 レフェリーの声が非情に響く。ベスは荒い息を吐きながら、屈辱に震える手でロープを掴んでいた。力でねじ伏せるはずが、這って逃げる羽目になった。その事実は、シロオニのプライドを傷つけていた。雫は呆然と技を解く。ラスカル石井の「全力はここぞと言う所で」という言葉が、今更ながら脳裏に蘇る。自身の配分ミス。その悔恨に唇を噛みしめる間もなく、殺気が膨れ上がった。ベスの背中が殺意と見まがうばかりの闘志を語っていた。雫は慌ててグラウンドに引き戻しての追撃を試みるが、ベスは素早くコーナーへ駆け上がると、トップロープを蹴って後方へ宙返りした。フライング・ボディアタックで降ってきた肉の塊が、雫を押し潰す。

「がはっ……!」

そのままベスが覆いかぶさる。体固め。

「ワン! ツー……!」

 雫は反射的に肩を上げた。カウント2。だが、ベスは攻撃の手を緩めない。立ち上がると、猛然と雫の胸板にエルボーを叩き込んでいく。

「ハッ! フンッ! ……ふんッ!!」

 一発、二発、そして三発目。重いエルボー・スマッシュが、雫の顎を跳ね上げる 。

 

 実況席の空気は凍りついたかのようだった。

『……三郎太さん、空気が変わりましたよ。シロオニ・ベスはもう旦那様候補のことなんて見ていません。ただ目の前の獲物を屠ることだけに集中している……! まさに鬼のぎょうそ……いえ、失礼。まさに鬼の猛攻だぁ!』

 三郎太はマイクを握りしめ、悲痛な声を上げた。

『……雫ちゃん、もういい! ……無理するな、ギブアップするんだ!』

 リング上、ベスは倒れ伏した雫の髪を掴み、無理やり引き起こそうとしていた。もはや雫の目は虚ろだ。誰もが終わりを予感した。だが、その瞬間。 雫の身体が液状化したかのように脱力し、ベスの腕をすり抜けた。クルリと反転。雫は残された最後の力を振り絞り、ベスの身体を丸め込んだのだ。

「なっ!?」

 まさかのローリングクラッチホールドにベスがバランスを崩す。完全に虚を突かれた。レフェリーがマットを叩く。

「ワン! ツー!」

 会場が総立ちになる。

「スリ――いや、ツー・ポイント・ナイン!! 」

 ベスが凄まじい脚力でキックアウトした。雫の身体が弾き飛ばされる。あとコンマ数秒。奇跡は起きなかった。そして、それが雫の限界だった。ベスが立ち上がる。その美しい顔は、怒りと興奮で紅潮していた。腰も膝も痛む。だが、今の彼女は痛みすら燃料に変える「鬼」だった。

「よくも……よくぞ、やってくれたわね! いいでしょう、私の敵として認めて、全力を味わせてあげるわ!」

 ベスは抵抗できない雫を軽々とアルゼンチンバックブリーカーに担ぎ上げた。雫の身体が弓なりに反る。背骨が悲鳴を上げるが、もはや声を出す力も残っていない。

「終わり……よ」

 ベスは冷酷に宣告すると、担ぎ上げた体勢を変えた。雫の身体を抱え直し、自らの身体を沈める。

「雫。あなたの頑張りは認めますが、あなたに私は超えられない……!」

 白鬼金棒落とし、シットダウン式のバーニングハンマーが、雫の脳天をマットに垂直に突き刺した。リングが波打ち、鈍い音が会場の隅々まで響き渡る。もはや雫はピクリとも動かない。泥のように四肢を投げ出している。ベスはそのまま、踏みつけるようにフォールした。

「ワン! ツー! ……スリー!」

 カウントが三つ……入った。打ち鳴らされるゴングの音が、激闘の終わりを告げる。

『勝者、シロオニ・ベス! 強烈すぎるフィニッシュ! ライジング雫、健闘しましたが、最後は力の差を見せつけられました!』

 ベスはゆっくりと立ち上がった。乱れた呼吸を整え、足元の雫を見下ろす。当初の目的は、格付けを済ませ、三郎太への求愛の邪魔を排除することだった。だが、胸の奥には予想外の充足感が広がっていた。

(生意気な小娘だとは思っていましたが……)

 多少、プライドは傷つけられた。膝も痛い。だが、熱くなれたのは事実だ。ベスは実況席の三郎太へ、そして会場全体へと視線を巡らせる。

(ここには、私が楽しめる『モノ』が、まだありそうね)

 ベスの唇に、獰猛で、しかしどこか晴れやかな笑みが浮かんだ。その横では実況席から離れられない三郎太の代わりにセコンドのラスカル石井が駆け寄って、動かない雫を抱き起こしている。

 

 勝者と敗者。残酷なまでのコントラストの中で、シロオニ・ベスは高らかに右手を突き上げた。

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