「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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第30試合(一夜の夢の中の出来事):シングルマッチ「宮川三郎太VS黒木麗羅」後編

 一方リング上では、麗羅はロープブレイクの余勢を駆って、立ち上る間もなくマットを蹴って三郎太へ飛びついていた。

「調子に……乗るんじゃないよッ!」

 立ち上がろうと言う不安定な体勢の三郎太に、抱き着くようにその身体をぶつけてきた麗羅を支えきれずマットに転がってしまう。そして麗羅はそのまま三郎太をグラウンドコブラツイストに極めていく。三郎太の頸椎と背骨に、強烈な逆方向の負荷が掛かる。

「しまっ――ぐぁぁっ!?」

 三郎太は視界を反転させられながら、絶叫した。

「ハァ、ハァ……いいザマだねえ。さっきまでの威勢はどうしたんだい?」

 麗羅は冷たく言い放つ。

「アタシを抱いて転がるなんて大胆なマネをして……タダで済むと思ったのかい? そらそら、ギブアップ?」

 三郎太は身体を軋ませ、背筋を曲げられながら、苦痛の吐息を漏らす。だが、「やはりこのヒトは強い、だからこそ楽しい」という思い、そして「勝ちたい」という強い欲求が、三郎太の芯を支えていた。

「がぁぁぁ……ま、まだ……!」

 締め上げられたまま、三郎太は右肘にすべての闘気を集中させていく。それは微かな光となって彼の腕を淡く包んでいった。

「これくらいで、終わってたまるかぁっ! ファイナルエルボー!」

 不十分な姿勢から強引に捻り出した肘が、麗羅の脇腹を正確に捉える。威力こそ最大限には発揮されていないが、無防備な脇腹に突き刺さったのは堪らない。

「がはっ!?」

 麗羅の腕が強制的に解け、三郎太は苦痛に顔を歪めながらもマットへ転がって脱出に成功する。

 

 二人はほぼ同時に、よろめきながら立ち上がった。互いに満身創痍。怒りに燃える麗羅が先制し、執念のミドルキックを返しとばかりに三郎太の脇腹へと叩き込む。

「ぐぅっ!」

 だが、三郎太は意地で踏み止まる。先ほどのエルボーで受けた脇腹の痛みのせいでキックに体重を乗せ切れていなかったのだ。

「これでも倒れないのかいッ!?」

 その姿に業を煮やした麗羅が、一歩踏み込んだ。

「こいつで終わりにしてやる……黒武術流・啄木鳥(きつつき)蹴り!」

 軽い跳躍から目にも止まらぬ連続突き蹴りだ。三郎太の視界に、無数の足の軌跡が踊り、蹴りが三郎太の胸を、腹を、太腿を叩き、強い衝撃と痛みが走る。だが、さらなる蹴り脚が放たれた瞬間──

「……跳んだ!?」

 三郎太は跳躍していた。麗羅の蹴り足を上から叩き、まるで跳び箱を飛ぶかのように麗羅の頭上へと飛び込んだのだ。蹴り足の軌道を乱され、重心が完全に崩れた麗羅に、三郎太が上から被さるようにして組み付いた。

「痛いのは覚悟の上だっ!」

 三郎太は即座に麗羅の首を強引に左脇の下へ抱え込み、フロントネックロックの体勢へと組み付いた。

「ここだ、首の角度、クラッチの位置……! あの時咄嗟に出した技の完成形は……こうだぁ!」

 右手で、抵抗しようとする麗羅の左腕を捕らえ、ショルダーロックの形で逃げ場を完全に封じる。

「がっ!?」

 首を絞めつけられて麗羅の顔色が変わり、ロックを支点に三郎太の背筋によってその身体が空中に浮き上がる。三郎太が極めたのは、彼自身の進化そのものだった。

「名付けて……サザンライト・スープレックス!」

 変形フロントネックロックから、後方へ電光石火の速さで放たれるスープレックス。首と肩を保持されて宙を舞い、背中と腰からマットへと叩きつけられた麗羅の身体が弾み、浮き上がった脚が重力に逆らう事なくマットへ落ちる。

「ぐ……はッ!?」

 三郎太はすかさずエビ固めに入り、彼女の肩をマットへ押し付けた。

 

 どこからともなく現れたレフェリーの手がマットを叩く。

「ワン、ツー、……スリー!」

 

 夢の中の死闘に、決着の時が訪れた。放送席の残骸の中から、むくりと起き上がった二人がボソボソと喋り出す。

『見るモン、オヤジ!? 三郎太のヤツ、フロントネックロックとショルダーロックの合わせ技のまま強引にブン投げたモン!』

 牛バカ丸が身を乗り出し、短い指を差して興奮気味に叫ぶ。

『飛ばずにふんばったら左肩脱臼不可避だスな! 首も締まって吹っ飛ぶ瞬間は思考が混濁しててもおかしくないだス。しかも相手がノーザンライト・スープレックスを出そうとしたら仕掛けを逆利用されて繰り出されるかもしれないと言うノーザン殺し技だス! これが三郎太クンの新必殺技だスか……!』

 隣では鋼鉄郎が、粉々になった眼鏡を捨て、新たに取り出した眼鏡を装着し指で整えながら、玄人好みの解説を鼻にかけた。

『てっきり、「MOMOTAROH VS 真島零 不死の女神」で披露されてる公式ネタの三郎太の技の方を出す流れかと思ったモン。作者のヤツ裏をかいてきやがったモン』

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、鋼鉄郎はふと何かに怯えたように天を仰いだ。先ほど自分たちを串刺しにした「矢の雨」がいつ再来してもおかしくない空気を察知し、急激にまとめに入ろうと声を潜める。

『また矢が降ってきそうだからそのへんにしとくだス。ともあれ、三郎太クン、輝かしい勝利おめでとうだス、夢だけど』

 頭をふって牛バカは肩をすくめて見せる。

『観客も居なけりゃ記録にもならんのが勿体ないくらいだモン、夢だから』

 ゴングの音が、霧の中に響き渡る。三郎太はゆっくりと麗羅の上から退き、仰向けに大の字になった。天井の照明が眩しい。 身体中が悲鳴を上げている。だが、胸の奥から湧き上がる達成感は、何物にも代えがたいものだった。

 

 静寂が戻ったリングの上で、麗羅は肩で荒い息を吐きながら、ふっと口角を上げた。その表情には、完膚なきまでに叩き伏せられた屈辱の色はなく、どこか清々しささえ漂っている。

「はぁ……はぁ……ふん、強くなったじゃないか……」

 その言葉は、かつて三郎太を子供扱いし、翻弄し尽くした「姐さん」からの、最大の賛辞だった。三郎太は自分の両手を見つめる。指先はまだ微かに震えているが、そこには確かな勝利の感触があった。未来へ進むための、揺るぎない自信。あの時、手も足も出ずに絶望を味わわされた黒木麗羅を、ついに自力で、完璧なスリーカウントを奪ってマットに沈めたのだ。三郎太は肺を焼くような熱い息をつきながら、仰向けに倒れる麗羅を、誇らしげに見やった。

「……勝った。僕は、勝ったんだ……!」

 歓喜に浸る三郎太だったが、次の瞬間、背筋にゾクりとした悪寒が走った。麗羅が、幽霊のような動きとしなやかさで上体を起こしたのだ。乱れた金髪の間から覗く瞳。それは敗北を認めた者の目ではなかった。むしろ、獲物を追い詰めた肉食獣のような、あるいは三郎太を丸ごと呑み込もうとする情欲の渦が妖しく揺れている。

「……やるじゃないか。こりゃもうボウヤなんて呼べないね……?」

 彼女は膝立ちのまま、這いずるように三郎太へ寄り添う。そして、指先を彼の太ももに滑らせた。鍛え上げられた筋肉のラインをなぞる、その指先の冷たさと、伝わってくる熱い鼓動。

「え、ええっ!? れ、麗羅さん……!?」

 三郎太は狼狽し、後ずさろうとする。しかし、リングサイドの放送席の残骸から、能天気な声が飛んできた。

『さて、三郎太クン。そろそろワシらはお暇する時間だス』

 鋼鉄郎が、手を振りながら爽やかに告げる。

『てっしゅーだモン。三郎太おつかれー』

 牛バカ丸もまた、どこからか取り出した風呂敷包みを背負い、帰宅の準備を整えていた。

「い、いやちょっと待って二人とも!? こんな雰囲気で二人きりで残されたら……!?」

 三郎太の必死の呼びかけに、鋼鉄郎は力強く拳を握ってみせる。

『そう言うなだス! 野暮な邪魔はしないからゆっくりしっぽり楽しんどくれだス』

 またしてもぶわわっと溢れ出す涙。それは祝福なのか、それとも憐れみなのか。

『さすがに居づらいモン。後の災難を思えば……せめて今だけはそっとしておいてやるのもやぶさかではないモン……。武士の情けってヤツだモン!』

「そ、そんなーっ!? ……って災難!?」

 三郎太の叫びも虚しく、二人の姿は霧の中に溶けるように消えていった。残されたのは、濃密な沈黙と、眼前に迫る妖艶な女傑だけ。麗羅が触れる場所から、じりじりと焼けるような熱が広がり、三郎太の思考を真っ白に塗りつぶしていく。彼女の指先は、迷うことなく三郎太の防衛線を突破していた。

「邪魔も消えたようだし……これはご褒美……あげないといけないかなーっ?」

 麗羅は三郎太の首に両腕を回し、その身体を力強く引き寄せた。汗ばんで密着したレスリングウェア越しに、彼女の豊かな双丘が三郎太の胸板へこれでもかと押し付けられる。逃げ場のない、甘く重い圧迫感。彼女が身をよじるたびに、しなやかな肢体が三郎太の筋肉に絡みつき、柔らかな肌の感触が脳髄を直接揺さぶる。女性の香りと、戦いの後の汗の匂いが混じり合い、三郎太の理性は風前の灯火だった。

「だ、ダメですよ!? こんな!?」

「いいじゃないか、ここは夢の中……。私だってニセモノさ。あんたのその、一生懸命に鍛え上げた体……今だけしかないこのお姉さんに、隅々まで『味見』させておくれよ……」

 麗羅の吐息が耳元で熱く弾け、湿った唇が三郎太の耳たぶをかすめる。三郎太の心臓は、先ほどの試合中よりも激しく、今にも破裂しそうなほど脈打っていた。麗羅の手が三郎太の腹筋をゆっくりとなぞり、確実に、そして残酷なほど迷いなく下の方へと伸びていく。

(そうか……夢だもんな……)

 三郎太の瞳が潤み、抗えない快楽に背中が跳ねた。彼女の唇が、三郎太の唇へと重なろうと、あと数ミリの距離まで迫り――その芳醇な香りに意識が溶け落ちようとした、その時だった。

 

 ――ガシャンッ!!

 

 夢の世界の空に、凄まじい衝撃音が鳴り響いた。

「――三郎太さん! 宮川三郎太! いい加減になさい、この寝坊助がッ!!」

 先ほどまで三郎太を包み込んでいた、甘く、熱く、そして濃密な桃色の視界が、まるで脆いガラス細工のように一瞬にして粉砕される。柔らかな肌の感触も、鼻腔をくすぐっていた妖艶な香りも、すべてが幻のように吹き飛んだ。

「――ぶべらっ!?」

 三郎太の口から、およそプロレスラーらしからぬ、カエルの潰れたような情けない悲鳴が漏れた。顔面に直撃した冷たく硬い一撃。アルミ盆が鼻っ柱を強打した衝撃で、三郎太の意識は夢の底から現実世界へと一気に引きずり出された。彼は無意識のうちに布団を蹴り飛ばし、バネ仕掛けのおもちゃのようにベッドから跳ね起きる。

「な、なんだぁっ!? ……ベ、ベス!? 何で僕の部屋に!?」

 三郎太は完全にパニック状態で叫んだ。まだ半分寝ぼけた眼で周囲を見渡す。そこにあるのは、霧に包まれた夢のリングでもなければ、彼を誘惑しようと迫っていた妖艶な黒木麗羅の姿でもない。見慣れた自身の殺風景な部屋の壁紙と、窓から差し込む容赦のない朝の光。そして何より、彼のベッドの脇に仁王立ちしていたのは、アッシュブロンドの髪を逆立て、氷点下の眼差しで自分を見下ろす少女――『シロオニ』の異名を持つ女子プロレスラー、ベスだった。

「『何で』もなにもありません! 朝食の時間はとっくに過ぎています!」

 ベスは、凶器として使用したアルミ盆を両手でしっかりと構え直しながら、震える声で怒涛の如くまくし立てた。三郎太の頭に、昨日の記憶が徐々に蘇ってくる。激戦に次ぐ激戦で疲労困憊だった彼は、泥のように眠りに落ちてしまったのだ。

「今日はオフだから合同練習の日にしようと言ったじゃありませんか! あなたがいつまで経っても起きてこないから、様子を見に来たんです!」

 その言葉に、三郎太は心の中で頭を抱えた。もちろん了承した覚えはない。

(オフの日くらい休ませてくれよ……!)

 女子レスラーたちの規格外のスタミナと、有無を言わさぬ強引なペース配分。ただでさえ彼女たちのストイックな練習に付き合わされ、リングの上でも下でも振り回され続けているというのに、せっかくの休日すらこの有様だ。安息の地など、この世のどこにもないのだろうか。だが、ベスが怒り心頭に発している理由は、単なる寝坊や遅刻だけではなかった。彼女の透き通るような白い頬が、怒りとは明らかに別の理由で、ほんのりと朱に染まっているのだ。

「だいたい、何なのですか、その寝顔は……!」

 ベスは、アルミ盆を持った手をワナワナと震わせながら、三郎太をキツく睨みつけた。

「『麗羅さん……待って……』などと、どこの誰とも知らぬ女の名前を呼んで、鼻の下を伸ばして……! 誰を夢に見ていたのですか……!」

(み、見られていた……!? いや、聞かれていた!?)

 三郎太は全身から一気に冷や汗が噴き出すのを感じた。夢の中での出来事とはいえ、かつてのトラウマ相手を倒し、あわや一線を超えるかというあんな生々しいシチュエーションを、よりにもよって自分に好意を寄せてくれているらしい(そして、非常に嫉妬深い)ベスに寝言で聞かれていたとは。弁解のしようがない大失態である。

「あ、いや、それは……!」

 三郎太は慌ててベッドから立ち上がり、両手を振って必死に誤解を解こうとした。

「違うんだベス! これはその、プロレスの試合の夢で! 決してそういうやましい事じゃなくてですね……!」

 しかし、言葉を紡ごうとした三郎太の動きが、ピタリと止まった。異変に気づいたベスの視線が、三郎太の顔からスゥッと下へ移動し、彼の腰元あたりに吸い寄せられるように完全に固定されたのだ。

「……お?」

 ベスの口から、間の抜けた声が漏れる。

「え?」

 三郎太もまた、自身の言葉を止め、彼女の視線の先をゆっくりと追った。夢の中での麗羅による苛烈な誘惑。そして、あと一歩で「味見」されるところだった、あの熱く生々しい感触。三郎太の脳がどれほど「あれは夢だ」と否定しようとも、若く、そして健康でウブである三郎太の肉体は、最悪の形で正直すぎる反応を返していた。立ち上がった三郎太の薄いパジャマのズボン。その股間の布地を突き破らんばかりの勢いで、猛々しい「生理現象」が、まるで天を突く柱のように堂々と反り立っていたのである。先ほどまでの麗羅の感触が、幻肢痛のように下半身に残っている。隠そうにも、隠しきれるサイズと角度ではなかった。朝の陽光の中、それはあまりにも無防備に、そして暴力的なまでの存在感を放って、二人の間の空間を支配していた。

「…………」

 

静寂。

 

 ただ時計の針の音だけが、やけに大きく部屋に響く。ベスのグレイッシュブルーの瞳が、限界まで見開かれた。彼女は言葉を失い、口元をわなわなと震わせる。次の瞬間、彼女の顔面は、自身のリングネームの象徴である「白」など微塵も残らぬほど、耳の先まで深紅に染まった。

 

 沈黙が重くのしかかる部屋の中で、ベスはわなわなと震える唇をようやく開いた。

「……三郎太。あなた、夢の中で、その……女と、どんな破廉恥なことをしていたのですか……?」

 その声は、普段リング上で見せる氷点下の威圧感とは全く異なっていた。年相応の少女が抱く動揺と、しかし底知れぬ嫉妬という名の殺気を孕んだ、ひどく低い響き。彼女のグレイッシュブルーの視線は、三郎太の股間にそびえ立つ存在から一切動いていない。

「わ、わああああ! 違う! 違うんだ! これは、その、新技の反動というか、筋肉の異常な膨張で……!」

 三郎太は両手を激しく振り回し、顔面を真っ青にしながらパニック状態でまとまらぬ思考のまま、わけのわからない言い訳を口走る。

「騙されるかァ!?」

 ベスの怒声が、狭い自室の空気をビリビリと震わせた。

「筋肉がそんな、ピンポイントで上向きにそり立つわけがないでしょう! この……この、大馬鹿! 絶倫ムッツリスケベ!!」

 シロオニの異名を持つ女子プロレスラーの強靭な肺活量から放たれた容赦のない罵倒が、三郎太の鼓膜とプライドを物理的に打ち据える。普段は真面目でストイックな好青年として振る舞っている彼にとって、これ以上ないほどの致命傷だった。

「絶倫って……! い……いや、これは生理的なもので、僕の意思じゃ……!」

 純情でウブな三郎太にとって、「絶倫」という言葉はあまりにも重すぎた。彼は震える声で必死に抗弁しようとするが、現実に自身の薄いパジャマのズボンを突き破らんばかりに隆起しているそれは、彼の意思とは無関係に猛々しく自己主張を続けている。

「黙りなさい! 私というパートナー候補が、朝からあなたの世話を焼きに来てあげたというのに……その目の前で、他所の女への不潔な妄想を隠しもしないなんて……!」

 ベスの言葉には、単なる怒りだけでなく、ひりつくような明確な嫉妬が混じっていた。モモタロウを追って来日し、今では三郎太を最大の標的とし、いつか万全の状態で打ち倒して自らのモノにしようと機を窺っている彼女にとって、自分以外の女の影を感じさせる三郎太のこのだらしない姿は、許しがたい裏切りに他ならなかった。

「……しかも、何なのですかその……その、凶悪なまでの盛り上がりは……! 私の辞書に降参という文字はありませんが、今のこれに関しては、流石に……ッ!」

怒涛の如くまくし立てていたベスだったが、ふいに言葉を詰まらせた。彼女はプロレスラーとして数々の強敵と渡り合ってきたが、眼前に突きつけられた「男の生理現象の極致」に対しては、どう対処していいか分からない年頃の乙女でしかない。ベスは羞恥のあまり、凶器として使ったアルミ盆を盾のように顔の前に掲げた。しかし、完全に視界を遮ることはできず、アルミ盆の陰から、三郎太の股間にそびえる「情熱のテント」を凝視するのをどうしてもやめられないでいる。怖いもの見たさと、どうしようもない興味が彼女の視線を釘付けにしているのだ。

「あ、あの、ベス、お願いだから一旦出て行ってくれないかな? 着替えられないし、その……落ち着かない!」

 三郎太は顔から火が出るほどの恥ずかしさに耐えかね、懇願するように叫んだ。視線を向けられれば向けられるほど、神経が集中してしまい、テントは一向に収まる気配を見せない。

「……ふ、ふん! 言われずとも出て行きます! あなたのそんな、野蛮で破廉恥なものなど、これ以上見ていられないわ!」

 ベスはアルミ盆で顔を隠したまま踵を返し、ドアノブを乱暴に掴んだ。 そして、肩越しに鋭い殺気を放ちながら言い捨てる。

「さっさとその……えーと、その不潔なテントを片付けて、食堂に来なさい! 遅れたら、次はエクスプロイダーでベッドごと叩き潰しますから!」

 顔から火が出るほどの羞恥と怒りで声を震わせたベスは、嵐のように激しい足音を立てて部屋を飛び出していった。

 

 バタン!という鼓膜をつんざくようなドアの開閉音が鳴り響き、ようやく部屋に静寂が戻る。静まり返った自室。三郎太はベッドの上にへたり込み、いまだに収まる気配のない「情熱」を抱えたまま、ゆっくりと崩れ落ちて枕に顔を深く埋めた。夢の中では黒木麗羅という恐るべき女傑の幻影に精神と肉体を弄ばれ、現実に戻ればシロオニ・ベスの前で男としての尊厳を完全に喪失する。女性レスラーたちの圧倒的なペースに巻き込まれ、夢も現も理不尽な苦労と羞恥を強いられる現実に、彼の心は完全に折れていた。

「うわあああああああ!! 最悪だ!」

 酸素の薄い枕の中で、三郎太は心の底からの悲鳴を上げずにおれない。

「僕は、プロレスラーとして男として、どんな顔をしてリングで相対すればいいんだぁぁぁぁ!!」

 三郎太の絶叫は、太平プロレスの宿舎の天井に吸い込まれ、誰に届くこともなく虚しく響き渡るのだった。

 

 ただ一つ確かな事がある。それは、彼がこの「情熱のテント」を畳み、平常心を装って食堂へ向かい、さらに恐ろしい合同練習を生き抜くためには、並大抵ではない精神力が必要になることだけは間違いないと言う事だった。

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