「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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第31試合(オトギプロレスリングお祭り興行):シングルマッチ「ガータ御子柴VS赤ずきん」

 コールに合わせてスポットライトが降り注ぐ。照らし出されたのは、黒と赤のデザインがどこか禍々しく、脇腹と胸元の網目の露出が艶めかしい、いつものワンピースのリングコスチュームに身を包んだガータ御子柴だ。頭に付けたネコミミを揺らし、不敵な笑みを浮かべて入場する彼女に対し、会場からは期待と警戒が奇妙に入り混ざったどよめきが上がった。対する赤コーナーから現れたのは、オトギのリングに咲く華、赤ずきんこと安倍川ぼたんだ。赤いフード付きマントを翻し、豊かな胸元を強調するコルセットトップを揺らしながら、彼女はおっとりと、しかし芯の強さを感じさせる足取りでリングへと向かう。

 御子柴は雫のヒールターンのための根回しの対価として引き受けた、オトギプロのリングにおける最後の試合を迎えていた。しかし、だからと言ってサービスで負けてやるような殊勝な考えは彼女には微塵もない。この赤ずきんに三郎太は素性と得意技を隠したマスクマン状態で勝利しているのだ。ここで御子柴が負けてしまえば、赤ずきんを介して「三郎太と自分の間にはそれだけの差がある」と認めることになってしまう。

 リングインして観客の声援に応えつつも、御子柴の目は全く笑っていなかった。

「さてさて……今日の狼さんは、とっても獰猛そう♪」

 対峙した赤ずきんが鈴を転がすような声で囁くと、御子柴は「ケッ」と吐き捨てて中指を立てた。自分相手ならロールプレイの余裕がある、そう言われたようなものだからだ。しかし、赤ずきんは図太いのか鈍いのか笑みを崩さず鷹揚に構えている。

 

 地方イベント会場を沸かせているのはおなじみ「オトギ・プロレスリング」のお祭り興行。興行にいつも「お祭り」と銘打って会場を使用しているため、最近では近くの商店街がイベントに乗っかって出店を行ったりもしており、いまや近隣の名物となり始めてきているプロレスイベントだ。来場者は回を増すごとに増加し、最早ハコ(会場)が溢れて問題になるのも時間の問題と言えるだろう。そんな会場内を実況の声が、喧騒を引き裂いて響き渡る。

『さあ、オトギ・プロレスリング、本日のお祭り興行メインイベント、「ゲスト全力迎撃マッチ」の時間がやってまいりました! 本日のゲストはみなさん先日の「経営VS現場」対抗マッチで大暴れをご覧になったであろうガータ御子柴! 毒霧にチェーンと反則に厳しいレフェリー人間(ひとま)が捌くオトギプロのマットでは滅多に見れない反則凶器を駆使する彼女の姿は実に新鮮な驚きを供してくれました!』

 実況のアナウンスが一息つくと同時に、観客の一部が大声を上げ始める。常連による定例コールだが、レスポンスしてもらえるかはわからないといういつもの流れだ。

「よっしゃまともな実況の人来たコレ!」「たまにしか実況担当しないけどいつもこの人でいいと思うの」「誰なん? オトギのレスラーにこんな声の人居たっけ?」「どうもマネージャーの人らしいぞ」

 喜びと戸惑いの声がこだまする。オトギプロの興行では人手不足なのか予算不足なのか、はたまたわざとカオスを演出しているのか──実況担当がいつも違うため、その詮索も観客の楽しみのひとつなのだ。いつぞやファン感謝デーに行われた観客の希望者から抽選で選ばれた者が実況を務めるという企画の際などは、観客席から上がる羨望と嫉妬の野次のあまり、肝心の試合開始が15分遅れてしまったことで残念な事件として語り草となっている。

『そして、それを接待と書いて全力迎撃と読むべく──対するは、お馴染みオトギプロの若手エース格、赤ずきん! 先日の「経営VS現場」対抗マッチではガータ御子柴のタッグパートナーを務めた彼女にとって、本日の試合は「昨日の友は今日の敵」か、はたまたぶつかる事で深く結びつく友情が希望の明日へレディ・ゴーなのか!? 皆さまご期待ください!』

「ガンダムファイトみたいなこと言い出したぞ」「地球がリングだ! 頭部を破壊された者は敗北とする!」「やめてください、しんでしまいます」「古いぞ、最近はアンテナ―ブレードを折られたら負けなんだゾ」「それ以上──やめな・さい!」「グワーッ!?」

 実況を受けての観客のコールがひと息つくと、お決まりのアナウンスが流れる。

『……なお、毎度のことながら実況が不要な方はデータ放送にて音声OFF、同時字幕表示、ヒノモト昔話のナレーターによる語りモードへの切り替えが可能です。お好みの設定で戦いの行方を見届けてください』

「むかしばなしのナレーター助かる」「これのせいで会場来てるのに帰ってからデータ放送でもっかい見る羽目になるんだよなぁ」「嫌なら見なくてもいいんじゃよ?」「がっぺむかつく言い方やめんか」

 お決まりの定例文が語られた事で試合開始の気配を感じ取り、しつこく物販ブースに張り付いていた一部の客たちが慌てて席へと駆け戻っていく。

 

 カーン!

 

 レフェリーが右手を振り下ろし、試合開始のゴングがけたたましく鳴り響く。緊張感に満ちた立ち上がりの中で、先に動いたのは赤ずきんだった。

 彼女は狼を退治する猟師の如き鋭い踏み込みを見せると、御子柴が迎撃の体勢を整えるよりも早く、音もなくその懐へと滑り込む。入場時の柔らかな雰囲気からは想像もつかない俊敏な動きから放たれたのは、彼女の代名詞とも言える「腹責め」のための膝蹴り──キッチンシンクだ。

「行きますよっ!」

 突き出された硬質な膝の先端が、御子柴の無防備な腹部を正確に、そして深く射抜いた。

「ウッ、ゲホッ……!」

 凄まじい衝撃に御子柴の顔が苦悶に歪む。想定をはるかに超える重い威力に、たまらず彼女はその場にくずおれるように膝をついた。前のめりに倒れ込み、苦しげにマットを叩きながら喘ぐ御子柴の姿に、観客席からはどよめきが上がる。しかし、ここで御子柴は予想外の行動に出た。

「うぅ……痛いニャア……エディにやられた時の傷がまだ……っ、ひどいニャ、あんなに一緒に戦った仲だってのに……」

 潤んだ紅色の瞳で赤ずきんを見上げ、掠れた弱々しい声で泣きついたのだ。先日の過酷なエキシビジョンマッチで負ったダメージの再発を訴えるその姿は、いつもの傍若無人で狡猾な悪役レスラーとは正反対の、同情を誘う悲痛なものだった。

「えっ……あ、ごめんなさい! 大丈夫ですか……?」

 赤ずきんの持ち前のおっとりとした、そしてお人好しな性格が災いした。自分の見えないところで後に響くような深刻な負傷でもしていたのではないかと危惧した彼女は、追撃の手をピタリと止め、心配そうに眉を下げて無防備に御子柴へ手を差し伸べてしまう。そして、その優しい手が届こうとした瞬間、御子柴の口角が三日月のように吊り上がった。

「バーカ! かかったニャン!」

 差し出された赤ずきんの手を、御子柴は邪悪な手つきでガッチリと掴みとり、強引に引き寄せる。それと同時に、空いたもう片方の手の二本指で、前のめりになった赤ずきんの両目を容赦なく叩いた。無慈悲なサミングだ。

「めがっ!?」

 唐突に視界と光を奪われた赤ずきんが、短い悲鳴を上げて両手で顔を覆う。観客が御子柴のあまりに非道な騙し討ちに絶句して静まり返る中、御子柴は即座に立ち上がると、視界を塞がれて立ち尽くす赤ずきんの左膝へと狙いを定めた。獲物を狩るような鋭い低空ドロップキックが放たれ、体重のかかった無防備な関節を一直線に撃ち抜く。

「いったっ……!?」

 たまらず赤ずきんは苦痛と共に膝から崩れ落ちた。

『あーっとこれは卑劣! 共にエディ・ダンテスに粉砕された仲じゃないかと声をかけて油断を誘っての目つぶしからのドロップキック! 赤ずきん翻弄されております!』

 放送席で実況が興奮気味の声を上げる。

「うわぁ」「ドン引きだよ」「なんなのあの猫娘、邪悪の化身か何か?」「フック船長と違ってやり方が陰湿で草」「太平プロ怖……オディールも元太平プロだよね?」

 普段、反則に厳しいレフェリーの裁定に守られた、どこかクリーンなリングばかりを見てきたオトギのファンから、本気の引き気味の声があがる。理不尽なことに、この場に居ないオディール久我の評価にまで飛び火する有様だ。だが、ヒールとして罵声を浴び慣れた御子柴にとって、その程度のブーイングなどまるで心地よいそよ風のようなもの。彼女は立ち上がろうともがく赤ずきんの自慢である、ふわふわとした茶色の髪を背後から乱暴に掴み取った。

「いい声だニャア? うっへっへっ、もっと泣け、もっと啼くニャ!」

 御子柴は赤ずきんをマットの上で引きずり回す。頭皮を伝う強烈な痛みに顔を歪め、抵抗できない赤ずきん。御子柴は執拗に髪を掴んだまま、彼女を徹底的に翻弄し続けた。獲物を甚振る加虐的な快感に酔いしれる一方で、御子柴の脳裏には常に、かつて自分を完膚なきまでに叩き潰した同期、三郎太の姿が焼き付いていた。あの時の屈辱、そして自分でも持て余す彼への歪んだ慕情。そのドロドロとした情動をすべて力に変え、御子柴は力任せに赤ずきんをマットに組み伏せる。

 アイツがマスクを被ってオトギのマットに上がり、この女と対戦した試合の映像については、御子柴なりに穴が開くほど分析していた。その結果、赤ずきんの底力が決して侮れないレベルにあることも十分に承知している。ペースを乱し、主導権を握っておかねば危険だ。

「これで、おしまいだニャ……!」

 御子柴が選択したのは、あのモモタロウの得意技、「モモ・スペシャル、その2」にして、最近になって三郎太が使い始めた技でもある複合関節技「アグラツイスト」だった。以前の試合において、赤ずきんはこの技に囚われ、屈辱のギブアップ宣言に追い込まれている。御子柴はそれらを全部承知の上で、精神的なダメージをも抉るこの技をあえてチョイスしていた。赤ずきんの脚をインディアン・デスロックの形に極め、そのまま上体を強引にねじり、自身の全体重をかけて彼女の腹部を限界まで絞り上げていく。

「あぁぁっ……! こ、この技ぁ……!? いだだだ、脚が、お腹が……!」

 かつての敗北のトラウマを呼び起こす強烈な痛みに、赤ずきんの悲鳴が場内に響き渡る。童話の中では、狼は猟師によって腹を割かれ、石を詰められるという結末を、逆に赤ずきんに対してなぞらえるかのような過酷な責め苦。御子柴のサディスティックな本性が全開になり、彼女は恍惚とした表情を浮かべながら、リングの中央で赤ずきんの肉体と心が悲鳴を上げて軋む音を、心の底から楽しんでいた。

 

 しかし、赤ずきんの瞳の奥に宿る「根性」の光はまだ消えていなかった。

「ぐぎぎ……三郎太さんにやられた時から、私……研究したんです……!」

 震える声で赤ずきんが吐き出す。彼女はただ狼に食べられるだけの存在ではなかった。御子柴が執着する男との過去の闘いを糧に、密かに負けず嫌いな所を隠している彼女はこの技を破るための術を探り、修練によって自らの血肉としていたのだ。執着する男の名が他の女の口から出た事でイラついた御子柴の締め上げがさらに強まる。しかし、赤ずきんは手足を拘束された状態のまま、残された僅かな上半身の可動域と背筋のバネを使い、自らの硬い額を御子柴の顔面へと下から強引に叩きつけた。ゴツッ、という鈍い音が響く。石頭自慢の彼女の得意技のひとつ、「赤ずきんヘッドバット」だ。

「あがっ!?」

 完全に極まったと確信していた不意を突かれ、鼻柱に強烈な衝撃を受けた御子柴の拘束が、たまらず一瞬緩んだ。赤ずきんは、その千載一遇の隙を絶対に見逃さない。悲鳴を上げる痛む膝に容赦なく鞭を打ち、脱出の勢いをそのまま殺すことなく、体勢の崩れた御子柴の腰を深く抱え込んだ。

「いきますよぉぉ……!」

 下半身の踏ん張りと渾身の力を込めた見事なボディスラム。空中で御子柴の体が大きな弧を描き、リングの中央へと背中から叩きつけられた。重厚な衝撃音がマットから響き、御子柴の肺から強制的に空気が押し出される。さらに赤ずきんは、息の詰まった彼女を無理やり引き起こすと、ハンマースローで強引にロープへと振り、自らも反対のロープへと走る。背に受けたロープの反動と、全速力の助走の勢いを乗せた「クリムゾン・ニールキック」が、ロープに跳ね返されて戻って来た御子柴の胴を、袈裟斬りにするかのように鋭く直撃した。

「ぐぇ……ッ!?」

 戦況は一気に逆転した。赤ずきんは休むことなく、ふらつきながらもコーナーへと向かう。彼女の瞳には、優しさの代わりに勝負師としての鋭い光が宿っていた。うずくまる御子柴を無理やり引きずり起こし、トップロープへと登らせる。赤ずきん自身もセカンドロープへ足をかけ、高所で御子柴の首をガッチリと抱え込んだ。

「赤く、染まれぇぇぇっっっ!」

 重力と遠心力を最大限に味方につけ、高い打点から御子柴をリングへ投げ捨てる雪崩式ブレーンバスターが放たれる。熱狂する観客たちの地鳴りのような声援を追い風に、無防備な背中からマットに叩きつけられた御子柴の衝撃は計り知れない。そこへ息をつかせぬ追い打ちをかけるように、赤ずきんは倒れ込んだ御子柴の腹部をめがけ、自らの重みを乗せた強烈なセントーンを投下した。

「かはッ……!」

 ドスンという鈍い音と共に、御子柴の体がくの字に折れ曲がる。これまでの優勢を一気に巻き返され、御子柴は、赤ずきんの猛攻を前に絶体絶命の危機に陥っていた。

(主導権渡したとたんにコレかよ。ったく、頭に来るニャ……!)

 苦痛に顔を歪めながら、マットを這う御子柴の指が何かを求めて蠢いている。観客席からは「赤ずきん!」「仕留めろ!」と熱烈な声援が飛び交うが、このまま大人しくスリーカウントを聞いて沈むほど、ガータ御子柴の執念も安っぽくはない。朦朧とする意識の中、御子柴の脳裏を掠めたのは、ここでの滞在中に雫のついでだとエディ・ダンテスから受けた吐くほどしんどい指導の記憶と、かつて自分を打ち負かした三郎太の大きく遠い背中だ。格上の相手に対し、生真面目な正攻法だけで勝てないことは、御子柴本人が一番よく骨身に染みて理解している。そうだ、認めるのは酷く癪だが──のんびり屋でございと澄ましたツラをしているこの赤ずきんは、自分と同格以上の地力とプロレスセンスを持っている。

 赤ずきんがフォールを奪うために覆いかぶさろうとした、まさにその刹那。御子柴は死に体から一転、蛇のようなしなやかさで体を翻して起き上がり、赤ずきんの背後へと滑り込むように回り込んだ。

「……捕まえたニャン♪」

 御子柴は赤ずきんの背中からしがみつくように密着して抱きつくと、その邪悪な両手を前へと回し、赤ずきんの胸元へと滑り込ませた。赤いファー付きのコルセットトップの中に容赦なく両手の指をねじ込み、じかにその豊満な柔肉を、これでもかと激しく揉みしだく。

「あぅっ……んっ、ぁ……!? そこ、だめぇ……っ!」

 戸惑いと焦りが混じるような甘い悲鳴が赤ずきんの口から漏れる。

『ああっ!? ガータ御子柴、バックを取って赤ずきんの胸部へクロー攻撃だ!? いやちょっとまってそれ不味いでしょ!? ウチの赤ずきんになんてことするの!?』

 プロレスの神聖なリング上とは思えぬ、卑猥で執拗な密着攻撃に、観客席にいる良識ある親御さんたちは慌てて手で我が子の目を覆う。

「実況、キレた!?」「いやまぁ気持ちはわかるが」「赤ずきんオトギにつれてきたのマネージャーさんらしいからな、そりゃキレる」「後方彼氏目線ならぬ、広報親御さん目線やな」「誰がうまい事を言えと言った」

 赤ずきんの顔は瞬時に真っ赤に染まり、羞恥と、どこか法悦の混じったような声を上げながら、脱力してその場にへなへなと崩れ落ちそうになる。

「ひゃはは! いい声だニャ、赤ずきん! 狼さんに食べられちゃう前に、オレがたっぷり可愛がってやるニャ!」

 注意すべきか悩みながら睨みつけているレフェリーを横目に御子柴は愉悦に浸り、さらに指先に力を込めて赤ずきんを弄ぶ。だが、赤ずきんもまた、オトギプロレスの看板を背負うレスラーの一人だ。羞恥心に支配されかけた意識を、彼女は奥歯を噛み締めて繋ぎ止める。

「ふ、不潔ですよぉ……っ!」

 赤ずきんは真っ赤になった顔のまま、怒りに任せて渾身の力で背後の御子柴を振り払った。そして、勢いそのままに後ろに控える御子柴の顎をめがけ、力任せの強烈なエルボーバットを叩き込む。

「ぐおっ……!?」

 完全に意表を突かれた打撃に、御子柴の頭が大きくのけぞる。赤ずきんは立ち止まらない。凌辱された恥ずかしさをそのまま攻撃力へと変換するように、最短距離で鋭く踏み込むと、美しいフォームから繰り出されたドロップキックを、無防備な御子柴の胸板に深く突き刺した。吹き飛ぶ御子柴。その背中がコーナーポストへと激しく叩きつけられ、鈍い音を立てる。

「はぁ、はぁ……今度こそ、おしまいです……!」

 赤ずきんは乱れた髪を荒々しくかき上げ、今度こそ確実にトドメを刺すべく、コーナーでぐったりと崩れ落ちる御子柴へと猛然と突進していった。

 

 しかし、これこそが御子柴の誘い水だった。コーナーへと追い詰められたフリをしながら、彼女の指先はコスチュームの飾りの隙間に滑り込み、隠し持っていた冷たい鉄の感触――スチール製のチェーンを引きずり出し、掌の中に握りしめていた。

「甘いんだよ、お人好しがぁ!」

 突っ込んできた赤ずきんの勢いを利用し、御子柴は瞬時にチェーンを彼女の細い首へと巻き付けた。そのまま自らの全体重をかけて後方へ引き絞り、赤ずきんの呼吸路を完全に、そして非情に遮断する。

「がっ……、カハッ……ゲホッ……!?」

 非情なチェーン攻撃。反則を厭わない御子柴の本領発揮だ。案の定やりやがったな、と既に警戒していたレフェリーが容赦なく即座に反則カウントをとり始めるが、御子柴は涼しい顔だ。いかな反則に厳しいレフェリーの監視下であろうとも、ルール上「五秒以内」の行使であれば反則負けにはならず、実質的にセーフ。何も問題はない。赤ずきんの顔は真っ赤になり、酸素を求めて舌がだらしなく突き出される。白目を剥きかけ、意識が遠のいていく赤ずきんの首を、御子柴は狂気に満ちた笑みを浮かべながら、さらに強く締め上げた。

「ケケケ、レフェリーが怖くて悪役なんざやってられっか!」

 反則カウントが4を数えると同時にチェーンを無造作に解いて放り投げた御子柴は、息も絶え絶えの状態で膝をつく赤ずきんを冷酷に見下ろす。御子柴は無理やり引き起こした赤ずきんを強引に連行し、ぐったりとした彼女を抱え上げると、コーナーの最上段へと無理やり座らせた。ぜえぜえと、もはや生存本能で荒い息をつくのが精いっぱいの赤ずきんの意識は、混濁の極みにあるようだった。

「さっきの雪崩式ブレーンバスターのお礼にオレのとっときをご馳走してやるニャ……♡ トドメだ、アビスキャットドライバーぁ♡」

 御子柴は酷薄で邪悪な微笑を浮かべ、自らの必殺技、雪崩式変形スパインバスターである「アビスキャットドライバー」の体勢に入る。ぐったりした赤ずきんをがっしりと固め、トップロープから虚空へと身を躍らせた。

「奈落と言わず、地獄の底まで、連れてってやるニャ!」

 空中で鮮やかに反転し、重力が引っ張る二人分の体重と、高低差による強烈な負荷を、すべて赤ずきんの無防備な背面へと集中させる。

 

 ドォォォォォン!!

 

 凄まじい衝撃音が会場に轟き、叩きつけられた赤ずきんの体が、マットで一度高く跳ねた。もはやピクリとも動かなくなった赤ずきんの上に、御子柴は勝ち誇ったようにのしかかり、全体重を預けて体固めに入る。レフェリーがマットを叩いた。

「ワン! ツー! ……スリー!!」

 試合終了のゴングが、会場に鳴り響く。――ガータ御子柴の勝利だ。

 

『決着! 大変不本意ですが、ガータ御子柴のアビスキャットドライバーによりピンフォール勝ちです! 赤ずきん、健闘空しく狼さん退治は失敗、マットに沈んでしまった!』

 どこか機嫌の悪そうな実況の声が会場内に響き渡る。

「まだキレてて草」「公平に! 建前だけでも公平な立場で実況しましょう、マネージャーさん!」「まぁ、どっちかと言うと御子柴が悪い」「御子柴が悪くなかったことなんかないぞ」「お前は太平プロ常連ファン=サン!?」「どんだけですか」

 茶化すような、しかしどこか名残惜しげな観客のコールが波のように上がり、これで嵐のような試合も終わりかという、安堵の入り混じった空気が会場を包み始める。

 

 だが、御子柴の暴走は止まらない。彼女は倒れ伏したままの赤ずきんの上に跨ったまま、勝利の誇示として、そして辱めとして、見せつけるように激しく腰を振って見せた。

(三郎太にやる前の予行演習みたいなモンだニャ)

 それは、先日解説席に座った際に目にした、アメプロディーバの試合で見たセクシーアピールを戯れに真似てみたものだった。相手の尊厳を奪い、自らの性的優位と強さを知らしめるヒールのムーブ。

「オレ様の勝ちだニャ! このメス狼、中身はただの寂しがり屋の仔犬だったニャン!」

 しかして、御子柴が軽い遊び心のつもりで放ったそのアピールが、会場に及ぼした波紋は絶大だった。

『あぁ!? 御子柴お前、なんて真似しやがる!?』

「実況!? いやまって実況、素が出てる!?」「ブー! ブー!」「やっべ、ドキドキしてきた」「太平プロ常連ファン=サン、おたくの猫どーなってんの!?」「すいません、ウチのバカ猫が本当にすいません……」「潔く謝るレべルだった!?」

 激闘を繰り広げた対戦相手に対するあまりに下劣で侮辱的なアピールに、会場からは怒号のようなブーイングが浴びせられた。実況からも怒声が浴びせられた。しかし、その罵声を全身で浴び、心地よい勝利の余韻に浸ろうとしていた御子柴は、ふと自らの下で押し倒されている赤ずきんの様子に違和感を覚えた。

「……あ、あの……御子柴さん……」

 赤ずきんは、激しくお腹や胸を責められ、最後には無惨に叩き潰されたにもかかわらず、その表情に苦痛の色はなかった。

(マジか!? アレだけの攻撃にもコイツ耐えるのかよ!?)

 赤ずきんのタフネスに御子柴の背筋が凍る。しかし、それならなぜスリーカウントが入ったのか。焦る思考の果て、御子柴は気付いた。顔を真っ赤に上気させ、もじもじと内股を擦り合わせながら、蕩けたような瞳で御子柴を見上げている赤ずきんの姿。

「…………ニャ?」

 その予想外すぎる反応を、御子柴は思わず二度見した。固まったまま動けない。赤ずきんのその潤んだ眼差しは、まるで、さらなる苛烈な「おしおき」が続くことを、期待しているかのようだった。

 

 ――察した。

 

 そして、今度こそ完全に、御子柴は戦慄した。

「…………テメェがその気になってどーすんニャ!」

 御子柴は思わず頬を染めて絶叫し、己の中に湧き上がる羞恥心と困惑を振り払うように、赤ずきんの額をペチィン! と力いっぱいひっぱたいた。

「いったい!?」

 涙目で両手でおでこを押さえ、情けない悲鳴を上げる赤ずきん。それを見た観客たちは「なんだ、いつものショウの一環だったのか」と勝手に解釈してドッと笑い声を上げ、スピーカーからは未だにヒステリックにわめき散らす実況の罵声が鳴り響く。それらを背に受けながら、御子柴は嫌な汗を背筋に浮かべてその場から飛びのいた。アメプロテキサス娘のムーブを真似て対戦相手を辱めるはずが、羞恥心で顔を真っ赤に染めているのは自分の方だった。内心で「慣れない事はするもんじゃない」と少しだけ──そう、ほんの少しだけ、御子柴は反省した。

 

 「おなかドスドス」するはずが、心の中の新しい扉をドスドスとノックされてしまった赤ずきんと、思わぬ「素質」を見せつけられて戦慄する御子柴。この日のオトギプロレスのお祭り興行は、なんとも言えない奇妙な余韻を会場全体に残したまま、幕を閉じたのであった。

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