「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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第9話 激突! 1対5!? の巻【予選Jブロック・サバイバルデスマッチ「ローラVSデミル&ジャンヌ&羽衣&結城&ブライアン」】

 日本のトップレスラーの一人であり、EQT(アース・クェイク・トーナメント)大会委員会の公式アドバイザーという重責を担うサカタ・ザ・ゴージャス・キンタロウは、東京ドームの奥深くに設えられたVIPルームで、静かに息を吐いた。分厚い胸板を包む特注のスーツ越しでも分かるほどの圧倒的な存在感を放つ彼は、腕を組み、緊急会議の席で繰り広げられているスーツ姿の男たちの醜態を冷やかな目で見つめていた。

 発端は、予選リーグ開始直前にまで遡る。英国代表選手であり、本大会の筆頭優勝候補と目されるローラ・ザ・チャージが、運営スタッフを通じて大会委員たちへ信じがたい要求を突きつけてきたのだ。

「この予選ブロック、見たところ雑魚ばかりじゃない。いちいち相手するのも面倒だし、サバイバルマッチを提案するわ。私以外の全員でかかってきなさい。まとめて片付けてあげる」

 前代未聞かつ傲岸不遜極まるこの提案に対し、即座にNOを突きつけるべき大会委員会は機能不全に陥った。英国人委員が同郷の彼女の肩を持ち、彼女の意見を取り入れてのサバイバルマッチへの変更を支持したのだ。困惑した運営スタッフは手に余ると判断し、大会委員会に判断を丸投げ、急きょ要人を呼び出しての緊急会議が招集されたが、折悪く大会委員長であるマッハ男爵は、EQT開催にあわせて招かれた各国経済界要人との懇談会に出席中で不在だった。

 現場に責任者がいない状態での会議は、英国人委員に賛同する者と、規律を重んじる者とで真っ二つに割れ、無様に紛糾した。最終的には、ようやく連絡のついたマッハ男爵によってモニター越しに委員たちが一喝され、彼がトップとしての強権を振るうことで漸く事態は決着を見たのである。

 結果は、「特別ルールとして受理。Jブロックのみ、予選をリーグ戦ではなく1対5のサバイバルマッチとする」というものだった。つまり、ローラのあまりに傲慢な申請は、そのまま通ってしまったのである。

(バカバカしいにも程がある)

 キンタロウに言わせれば、呆れて口も塞がらない事態だった。即時却下できなかった時点で、こうなることは目に見えていた。巨大な東京ドーム内に複数設置されたリングで予選リーグは、既にJブロック以外は第3戦まで順調に消化されている。今さら進行を止めてしまったJブロックを、元通りのリーグ戦のスケジュールに組み込む余裕など作り様がない。もう、興行を成立させるためにはサバイバルマッチを呑むしかないのだ。

 英国人の大会委員は、確実にそれを計算した上で干渉したのだろう。それがさっさと決定できなかったのは、結局のところ、彼らが決断の責任を押し付け合っていたというだけのこと。マッハ男爵が怒りを隠さないのも無理はない。とは言え、代理責任者の指名すらせずに大会開催中に現場を離れ、要人との懇談会にかまけているマッハ男爵の方にも、興行主として大いに問題があるのだが。

「Mr.キンタロウ。アドバイザーとしての意見を聞きたい」

 大型モニター越しにマッハ男爵から水を向けられたキンタロウは、ゆっくりと起立すると、意図的に一つ大きな息をついて口を開いた。

「……すでに他ブロックが第3戦まで消化されている現状を考えれば、大会委員会の決定を公示してから、各選手に十分な準備時間を与えたと周囲に見せる必要があります。第5戦開始時にあわせて、このサバイバルマッチを開催する……というあたりが落としどころでしょう。ただし、時間無制限というわけにもいかない。40分1本勝負、ラストスタンドでの完全決着方式とするのがベターと思われます。幸い、Jブロックは半数が日本勢で、残りは英国、フランス、トルコだ。ローラ君がよほど無様な戦いをしない限りは、選手間の──そして彼らを後援する各国団体の面倒な軋轢を最小限に留める余地があります」

 実務と政治のバランスを取ったその意見に、マッハ男爵はモニターの向こうで満足げに深く頷いた。

「素晴らしい。極めて合理的で建設的な意見だ。契約している放送局や配信会社からは、視聴率と話題性への強い期待も寄せられている。諸君、ここは窮地ではなく好機と考えるべきだろう!」

 どうも、と気のない言葉を短く返して革張りのシートに腰を下ろしたキンタロウは、すかさずマッハ男爵の決断力を褒めたたえ、見え透いたお追従を打っている一部の大会委員たちには目もくれず、高い天井を見上げた。

(すまないな、三郎太クン。せっかくだし君の試合はリアルタイムで見てあげたかったのだが)

 胸の内でひとりごちるキンタロウ。だが彼はこの時まだ、三郎太のいるAブロックの大会進行の裏で、毒を使った恐ろしい陰謀や、それに対抗するための医務室での静かな戦いが始まっていることなど、知る由も無かった。

 かくして、大幅に遅ればせながら、暗礁に乗り上げていたJブロックのリングが動き出した。3試合分、休憩時間も含めればおよそ1時間半もの間、進行がストップしていたのだ。グラウンド上のJブロックリングを取り巻くSSS席の観客たちの間には、すでに戸惑いを超えた怒りの熱が充満し始めていた。しかし、頭上のオーロラビジョンに映し出された緊急告知の衝撃的な内容と、他のリングでは絶対に見ることのできない「1対5のサバイバルデスマッチ」という異常なカードへの渇望が、彼らの振り上げかけた拳をゆっくりと下ろさせた。試合終了後は他リングのSSS席を増量し、希望に応じてそちらへ移ることができるという運営側の迅速な補填処置も、怒りを鎮めるための特効薬として機能したのだろう。不満のざわめきは次第に熱狂の渦へと変わり、Jブロックのリング上に集められた6人の選手を見上げて、観客たちは思い思いの声援を上げ始めていた。

 

────────────────────

 

 一方、熱狂から隔絶された静かな太平プロレスの控室。三郎太は長椅子に身を沈めて次の試合に向けて身体を休めながら、モニターごしに流されている公式配信でその異様な模様を見守っていた。後輩のサチに予選初戦で何かトラブルがあったらしく、ベスとの試合直後に予選を棄権したらしい美樹が現在も医務室にかかりきりだそうで、この控室に二人の姿はない。何が起きているのか気になっているのだが、「三郎太には後で説明する」とだけ練習生を介して伝言され、当のサチも今は元気だと聞かされれば、今の彼に出来ることは何もない。

 ふと視線をやると、その医務室から呼び出されたとかで、三郎太のセコンドを担当している二人の練習生のうちの一人が、紫の長髪を慌ただしく揺らしながら控室から飛び出していくところだった。それを横目で見ながらベスが当然のような顔をして三郎太の隣に腰を下ろした。ちなみに御子柴は現在試合の真っ最中であり、今はPブロックのリング上で戦っているはずだ。

「……は? Jブロックだけサバイバルデスマッチですか?」

 モニターの画面を見て、ベスが怪訝そうに形の良い眉をひそめて首をかしげる。配信映像にデカデカと映るテロップを見て、今まさに事態を把握したのだろう。つい先ほど、自分自身も同じ疑問に首をひねったばかりの三郎太には、彼女のその戸惑いがよくわかった。

「らしいね。『全員まとめてかかってこい』……だってさ。」

 三郎太は、画面に映し出されたリング上の面々の内の一人――太平プロレスの新人レスラーである、ブライアン・ブルナイトの強張った表情に注目した。初めて経験する世界大会という大舞台の重圧。いきなりのプログラム変更という理不尽な事態への戸惑い。さらに、経験したことのないサバイバルマッチという特殊なルール形式を突きつけられ、完全にパニックの一歩手前にいるのだろう。なんとか不敵な笑顔だけは顔面に貼り付けて維持しているものの、目線が落ち着かず彷徨っているのが画面越しでも痛いほど丸わかりだ。彼は不安な状況に助けを求めてか、6人の中で面識──対戦経験だが──のあるノワール・ゲートの羽衣に話しかけようとしてスッと避けられ、同じくノワール・ゲート所属レスラーであり、苦笑いを浮かべている結城の近くに寄って挨拶を交わすことで、なんとか精神の均衡を保とうとしているようだった。

「あー……ウチの興行はサバイバルマッチって滅多にやらないからなぁ」

 三郎太自身も、先日のオトギプロの興行で初めて経験し、だいぶ戸惑いながら戦ったのだ。リング上のブライアンは、さぞや心細い思いをしていることだろう。

「私も経験が無いですね、今度美樹に話して企画してもらってもいいのかも……。それはそうと、このローラとか言う女、言う程強いのですか?」

 心なしか、ベスの口にする「美樹」という名前に、これまでにはなかった気安さと親しみの響きが混じっていることに三郎太は密かに驚きを覚えた。しかし一方で、やはり戦闘狂であるベスの興味は「強者」にしか向かないのかと得心もする。

「大会前のノワールゲートの興行に招待されて、シングルでジェニーさんを一方的な試合で圧倒したらしい」

「……! へぇ、それはまた……面白いですね」

 ベスの動きが、ピタリと止まった。そこにあったのは心底からの驚きと、直後に唇の端を引き上げて作られた、底冷えするような不敵な笑みだ。ジェニー・葛葉といえば、かつて太平プロとノワール・ゲートの二度にわたる団体対抗戦において大将を務め上げ、三郎太と一勝一敗の死闘を演じた間違いのない強者だ。その彼女が一方的に敗北したという事実を聞き、どうやらベスの中でこの試合の配信内容は、単なる「三郎太と暇を潰すための話題」から、明確な「獲物としての興味の対象」へと格上げされたようだった。

『……信じられません! 英国の女王ローラが、Jブロック予選を丸ごと飲み込もうとしています! 前代未聞、1対5のサバイバルマッチがまもなく、強行されようとしています!』

 予選リーグに公式の放送席はない。配信会社が付与したと思しき、興奮で裏返りそうになる実況アナウンサーの叫び声が、熱を帯びたノイズと共にモニターから響き渡った。

 

────────────────────

 

 試合開始を告げる乾いたゴングが、巨大なドーム内に鳴り響いた。張り詰めた空気を切り裂くその音の中、Jブロックのリング中央で悠然と立ち尽くし、周囲を睥睨するのは、赤、黄、白の鮮やかなグラデーションが施されたワンピース姿に身を包んだローラ・ザ・チャージだ。艶やかな金髪のショートヘアを揺らし、獲物を値踏みするような不敵な笑みを浮かべる若き女王。その圧倒的なオーラを取り囲むように、5人のレスラーが警戒を、あるいは怒りを露わにしてロープ際に立っていた。

「生意気な小娘が、ならテメエを真っ先に脱落させてやるよ! このデミル様がなぁ!」

 最初に吠えたのは、トルコ代表の巨漢、デミル・ザ・ビーストスレイヤーだった。むさ苦しい髭面に、猛獣の毛皮を羽織ったかに見えるコスチューム姿は文字通りの野獣。デミルは開始早々、188センチの大柄な体を弾丸のように突進させ、一直線にローラへとタックルを仕掛けた。リング上の空気を切り裂く野太い咆哮。視界を埋め尽くす怒涛の肉弾。並のレスラーであれば、その圧倒的な質量と衝撃を前にダウンは免れないだろう。だが、ローラは一歩も退かなかった。腰を落とし、両手を広げる構えで迎え撃つ。

 激突の瞬間、ローラは吸い込まれるような柔らかな身のこなしでデミルの突進の軌道をわずかにズラし、その巨大な推進力を殺すことなく、巨漢の頭部を自らの脇へと滑り込ませ、抱え込んだ。

「ハァーン♪ いいわ、まずは貴方からね!」

 甘い吐息のような声。次の瞬間、華奢なローラの矮躯から、そしてその細い腕から到底想像もつかないような爆発的な剛力が生み出された。

「な、なんだとぉ!?」

 デミルの巨体が、いとも容易く垂直に吊り上げられる。空中で足をバタつかせ、信じられない事態に目を剥くトルコの豪傑。ローラはそのまま自ら背後へと倒れ込み、彼自身の体重に、自らの体重と凶悪なパワーを乗せて、デスバレーボムで脳天からマットへ真っ逆さまに叩きつけた。ドォォォォンッ! とキャンバスが悲鳴を上げ、衝撃波がリング全体を揺らす。デミルは受け身すら取れず、頭部からマットに深々と突き刺さり、そのままピクリとも動かなくなった。レフェリーが慌てて駆け寄るが、デミルの瞳は完全に裏返っている。意識を刈り取られているのを見て即座に両腕を交差させる。KO判定だ。

「……脆すぎる」

 落胆の極みのようなローラの声。試合開始から、わずか数秒。トルコの豪傑はたった一発の攻撃でマットに沈み、顔面蒼白になったデミルのセコンドのトルコ人練習生たちによって、引きずるようにリング外へと運び出されていく。英国の若き女王と称される優勝候補の、あまりにも圧倒的な威。残された4人のレスラーたちの背筋を、氷のような戦慄が走った。

 

 ノワール・ゲートのアイドルレスラー、羽衣玲は、恐怖と驚愕に美しい瞳を限界まで見開いて息を呑んだ。太平プロレスの新人ブライアンの脚が無意識に一歩後退し、逆に、フランス代表選手の一人であるジャンヌ・ル・ブランは、憤怒にギリッと歯を食いしばり、前へ一歩踏み出した。

「みんな、今のを見たでしょう!? 一人ずつじゃダメだ、協力して……!」

 最も冷静に対応したのはノワール・ゲートの新人レスラー、結城蓮だった。かつてノワール・ゲートの興行でジェニー相手に雨宮月と結城蓮とで1対2のハンディキャップマッチに挑み、2人まとめて千切られたことのある彼は、経験不足ながらもこの圧倒的な戦力比を4人の中でもっとも正確に理解していたのである。共闘を求めるため、結城は必死に声を張り上げた。しかし、流されて即座に頷いた素直なブライアンと違い、残る二人にはその提案は冷酷に切り捨てられてしまう。

「他人なんか信じられるもんですか……!」

 同じノワール・ゲート所属であるにも関わらず、ショッキングピンクの派手な衣装に身を包んだ羽衣玲が、拒絶の言葉を吐き捨てる。これまで彼女が経験してきた苦い経験の数々が、他者を拒絶する厚い氷の壁を作っていた。

「仕切るな! 島国の者など信用できるか! 好んで敵対しなければそれで十分だろう!」

 フランス代表のジャンヌもまた、誇り高き「オルレアンの聖盾」としての矜持を頑なに崩そうとしない。かつて三郎太につっかかって返り討ちに遭い、指導のために帰国したマスクド・ダングラールから徹底的に絞られてなお、彼女はいまだ頑迷固陋であった。

「お、オレはいいけど、どうすんだ……?」

 そのデカい図体とは裏腹に心細そうに結城に尋ねるブライアンに彼は小声で作戦を伝え始めた。迷っている暇はない。羽衣が拒絶するのは日々の彼女を見てなんとなく結城も察してはいた。だからこそ、彼は瞬時に決断した。羽衣とジャンヌを「味方」としてではなく、「盤上の駒」として切り捨て、作戦に組み込むことを。

 

 極限の緊張の中、結城の脳裏に、かつてジェニー戦の後で、月と交わしたファミレスでの感想戦じみた雑談の光景が蘇る。

「4人くらいで同時にかかれば、ワンチャンいけましたかね?」

「そんな簡単な話じゃないよ」

 軽いノリで言ってみた結城に対し、月はメロンクリームソーダのグラスを両手で包み込み、ストローに口付けながら淡々と返した。絆創膏の貼られた白い頬が、やけにチャーミングで悩ましい。結城は必死に脳内で「だが男だ」と魔法の言葉を繰り返し唱え、己の平常心を保つのに必死だった。

「よほど訓練されてても一度にかかって有効なのは3人まで、それ以上は互いが邪魔になって戦力を活かせない。タッグのルールの縛りがないとしても、数の利を生かすなら2~3人がいいとこだろうね。数の多い方がやりたいことを通すんじゃない。数が少ない方のやりたいことを徹底的に許さないのが大事なんだ。徒手空拳の少数が入り乱れる戦いの基礎だよ」

 目を閉じて頷きながら、したり顔で断言する月の妙な自信と説得力に、結城は思わず首を傾げた。

「ずいぶん詳しいんですね。そういうの、どこで学ぶもんなんですか?」

「あっ」

 その瞬間、月の顔からスッと血の気が引き、真っ青になった。なにか不味い事を聞いてしまっただろうか?

「ゴメン、今の話、内容はいいけど……ボクが話したって事だけ秘密にしといてくれない?」

 うっすらと涙目になり、ふるふると震えながら上目づかいで手を合わせる月の顔が――悔しいがあまりにも可愛すぎて、結城は再び脳内で魔法の言葉を連呼する羽目になったのだ。

 

 意識を目の前のリングへと引き戻す。結城は、ローラや他の二人に聞こえぬよう、小声でブライアンに自らの考えを伝える。

「……あの二人の内、後にやられる方にあわせて仕掛けましょう」

 その台詞から続いた、非情な戦術説明に、人が良く純朴なブライアンの目は、驚愕に丸く見開かれた。

 

 足並みが揃わぬまま、まず動いたのはジャンヌだった。

「神はこの私に勝利を約束している、受けよ鉄槌!」

 プラチナブロンドをなびかせ、軽やかな身のこなしでジャンヌがトップロープへ飛び乗る。スワンダイブ式に宙を舞い、美しい放物線を描きながら、彼女は待ち受けるローラへ鋭いハイアングルソバットを放った。

「……『フライング・キラー』の異名、伊達じゃないわよ」

 呟いたローラは、まるで最初から軌道が見えていたかのような完璧なタイミングで動いた。空中で襲い来るジャンヌの蹴り脚にスッと片手を添えて威力を殺すと、そのまま彼女の体をがっしりと空中で捕獲したのだ。重力が消失し、空中で静止したかのような錯覚。次の瞬間、ローラはジャンヌの体を強引に反転させ、自身の得意技である「対空砲火パワースラム」でマットへ叩きつけた。

「かはっ……!」

 一度空中で受け止められたはずなのに、まるで高所からの落下そのままであるかのような勢い。そこにさらにローラのパワーと体重が上乗せされた威力で背中に強打を受けたジャンヌの呼吸が妨げられ、動きが止まる。

「シッ……!」

 だが、そのわずかな隙を見逃さず、鋭くステップインした羽衣がローラの死角、背後からトラースキックを繰り出していた。それに対してローラは振り返ることすらしなかった。まるで背中に目でもついているかのような滑らかな動きで、側頭部を狙ったその蹴り脚を腕一本で無造作にガードする。

「タイミングは悪くないけど……無駄よ。その程度の威力じゃ」

 蹴りを防御した状態から、ローラが電光石火の反転を見せる。振り向きざまに叩き込まれたラリアットが、羽衣の鎖骨のあたりを無慈悲に打ち据えた。

「あぁっ!?」

 叩きつけられた彼女の腕を支点に羽衣の体は文字通り空中で一回転した。枯れ葉のように舞い、キャンバスに無様に崩れ落ちる。強烈な脳震盪で方向感覚も上下も分からなくなり、羽衣は激しくせき込みながらマットに伏して、もがき苦しむ。

「ぐ……ぬぅぅ……英国マットの若き女王などと言う異名、前から気に入らなかったのです!」

 ダメージにふらつき、たったの一撃でなかば朦朧としながらも、ジャンヌが怒りに任せてなんとか立ち上がり、強引にローラに組み付いた。ローラは敢えて迎撃しない。巧く意識の隙間を掻い潜ったのだと信じたジャンヌは、必殺のエメラルドフロウジョンを敢行する。ローラの体を自身の肩に担ぎ上げ、脳天からマットへ垂直に叩き落とす。マスクド・ダングラールによって徹底的にしごかれ、叩き直された彼女のフォームは美しく、ジャンヌにとっては間違いなく会心と言っていい一撃だった。激突の衝撃にマットが波打ち、鈍い着弾音がリング周辺に響き渡る。ジャンヌはその確かな手ごたえに勝利を確信し、荒い息を吐きながら満足げに微笑んだ。しかし、その笑みはすぐに凍りつくことになる。叩きつけられた衝撃を首と肩の柔軟性で極限まで逃がしていたローラが、起き上がりざま、瞬時にジャンヌの顔面をその掌で鷲掴みにしたのだ。

「なっ……効いて……いない!? そんなはずは……!」

「試しに受けてみたってのに……ヌルいわね、オルレアンの小娘」

 アイアンクローによって顔面を締め上げられ、逃げ場を失った状態のまま、立ち上がるローラの腕力によって、ジャンヌはいともたやすくその体を高く差し上げられてしまう。宙に抱え上げられたジャンヌの瞳が、抗いがたい絶望に染まる。

「ふんッ!」

 全身のバネを使い、ローラがジャンヌをパワーボムで叩き伏せた。必死に受け身をとってなお、凄まじい衝撃に耐えきれず、ジャンヌの意識は瞬時に暗転した。──レフェリーのカウントを待つまでもない。フランスの才媛は、完全にマットに沈んだ。

 その直後、今度はコーナーの頂点から羽衣が舞った。

「この瞬間なら……!」

 ジャンヌが蹂躙される様を囮にし、必殺のフェニックス・スプラッシュを放つ。大技のパワーボムを放った直後で腰が落ち、完全に無防備に見えたローラの背後を突く、起死回生の奇襲。だが、ローラはここでも「フライング・キラー」としての底知れぬ本領を発揮する。背を向けた姿勢から、人間離れした反射神経で瞬時に振り返ると、頭上から降ってくる羽衣を、再び正面からがっちりと受け止めたのだ。

「なんで……!?」

 抱き留められたローラの腕があまりに力強く安定していることに最早恐怖すら感じ、あまりの理不尽に思わず羽衣の口をついて疑問の体を為した悲鳴が上がる。

「……強いからに決まってるでしょ?」

 本日二度目となる、無慈悲な対空砲火パワースラムが羽衣を襲った。ドォン! という轟音とともにマットに沈んだ羽衣へ、ローラが間髪入れずに全体重を乗せたエルボードロップを落とす。背を打たれて胸の空気を吐き出させられた直後に鳩尾に突き刺さる鋭い肘。もともとスピード自慢であり、耐久力の面で脆さのある羽衣の肉体には、到底耐えられる一撃ではなかった。

「……ッ」

 声にもならない叫びを最後に羽衣が意識を飛ばして動かなくなる。レフェリーが腕をとって確認し、ジャンヌ、羽衣と次々にKO判定がなされることとなった。

 

 だが、彼女を見下ろし、滑り込むレフェリーを横目にローラが悠然と起き上がろうとした――まさにその時。残る二つの影が、牙を剥いて襲い掛かっていた。

「これでも喰らいやがれ! このバケモンがぁ!」

 先陣を切ったのはブライアンが放った渾身のビッグブーツ。空気を切り裂くような重い一撃だが、起き上がりかけの膝立ちという不安定な体勢にも関わらず、ローラはあっさりとそれを掌で受け止めてしまう。だが、この瞬間こそが結城の狙いだった。

「今です!」

「……!?」

 キュッ、と軸足の靴底がマットを鋭く擦る音。結城の渾身の回し蹴りが、意識の外であるローラの背後から首筋を正確に打ち据えた。一かけらの容赦もなく全力で蹴り抜いた結城の蹴りによって、さしものローラもたまらず顔面からマットに突っ伏す。さらに、結城とブライアンはダウンしたローラの左右に陣取った。同時に乱暴に引き起こし、女王の首を左右から力任せに抱え込む。そのまま獣のような咆哮とともに、二人がかりでその体を高く、高く天へと掲げ上げた。

「うおおおおおっ!」

「ダブル・ブレーンバスターだぁ!」

 若き男二人分の筋力を合わせたツープラトン技の前に、ローラの体が宙で美しい放物線を描き、リング中央のマットへと全力で叩きつけられた。二人がかりの重量、そして脳天から叩きつけられる衝撃が地響きのような音を立て、リング全体を激しく揺らす。新人同士の即席コンビとはとても思えない、息の合った豪快な合体技での逆襲に、間近で見守るSSS席の観客たちが熱狂の渦に沸き上がった。

 しかし、即席同盟の作戦行動はこれで終わりではなかった。すかさず膝をついたブライアンが、ダメージで動きの止まったローラの両肩を掴んで引き起こし、自身は膝立ちのまま強固なベアハッグに捕らえていく。

「ぬおりゃああああ!!」

 かつてキンタロウから直接指導され、修正された理想的なフォーム。ブライアンは自身の肩口に彼女の鳩尾を食い込ませるように引っ掛けながら、丸太のような太い腕でグイグイと強烈に締め上げていく。思わず「かはっ」と苦し気な声がローラから上がり、絶対王者の口から発せられた長らく聞くこともなかった希少な苦悶の声に、耳を疑うローラファンたちの間からざわめきとどよめきが沸き起こる。

「……くぅ……な、何よ、新人たちの方が面白いじゃない? けど、こんな技で私をギブアップさせられると思ったら大間違いよ、ジャップ、ボーイズ?」

 だが、ローラはいまだ余裕の感じられる不敵な笑みを浮かべると、ブライアンの両腕を内側から掴み、力任せにこじ開けにかかった。渾身の力で絞め上げているにもかかわらず、華奢な女の細腕によって自分の分厚い腕がじわじわと開かれていく。その信じがたい現実に、ブライアンの表情がじわじわと純粋な恐怖に侵食されていく。だが、彼は独りではなかった。

「では、『こんな技』二つならどうですか!?」

 ブライアンの腕をこじ開けようとしていたローラの両手が、背後から無造作に引っこ抜かれた。結城だ。彼はローラの背後にピタリと張り付くと、その両腕を掴み、彼女の背骨に押し当てた自身の脚を強固な支点にして、サーフボード・ストレッチの体勢でギリギリと後方へ反らしていく。同時に、腕の拘束から自由になったブライアンの両腕が、再び力強くローラの胴を強烈に締め上げていく。

「こ、これは……!?」

 それは「ベアハッグ&サーフボードストレッチ」というツープラトンでしかあり得ない……いや、締め技と関節技の複合という、本来のタッグマッチのルールにおいてすら反則カウントを取られかねない、この「サバイバルマッチ」という無法のルールならではの、えげつない合体技であった。

「あ、悪役にだって友情はあるんだぜって偉大な漫画のヒールも言ってたしな、オラァ!」

 ひきつった笑みを浮かべながら、悪役志望の新人ブライアンが、フィクションながら尊敬する愛読書の悪魔超人の名言を引用して吠える。両腕に込める力をさらに増し、肩口をゴリゴリと鳩尾にこすりつけるようにしてローラを責め立てた。

「がぁぁぁぁ……ッ!?」

 サーフボードストレッチによって両腕を完全に封じられ、肩関節を破壊されんばかりに反らされながら、同時に胴と肺をベアハッグで圧迫され絞め上げられる。さしものローラも、ついにごまかしのきかない苦悶の絶叫を上げた。

 

 新人二人が、文字通り死に物狂いで捻り出した合体技によって傲岸不遜の英国の若き女王は脱出不能の檻に囚われていた。

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