「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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第12話 黒鳥対嵐星! の巻【予選Eブロック第11試合「オディール久我VSディーディー・ロジャース」】

 熱狂渦巻くEQT(アース・クェイク・トーナメント)の予選リーグも既に第11戦、各ブロック6名の選手たちの過酷な総当たり戦15戦の内、実に2/3が消化され、終盤に入っていた。此度の舞台はその16の内の一つ、Eブロックのリング。そこで開始のゴングを待つ選手たちはその身に対照的な雰囲気を纏っていた。

 一方はカントリーミュージックをかき鳴し、陽気なメロディに乗ってリングインし、その過程でも煽情的なポーズでのアピールで観客を魅了する「テキサスの新星」ディーディー・ロジャース。スパイキーな金髪を揺らし、自慢の美乳を強調する茶色のホルターネックにデニムのショートパンツ。彼女は観客の歓声に応え、リングに上がった際に被っていたカウボーイハットを器用に客席へと投げ飛ばしてサービス。満面の笑みで投げキスを振りまくその姿は、まさに自由とストレートさを好むアメリカンプロレスの「光」そのものである。

 対してもう一方は、不気味な紫とブルーのビームフラッシュライトの演出を受け、暗闇を切り裂くようにリングに上がり、漆黒の羽根を舞い散らせる黒髪の女子。オトギプロレスリングで悪の華を開花させたオディール久我であった。黒地に紫でデザインされたレオタードタイプのコスチュームに身を包み、網タイツから太腿の肌が覗く危うい色香。その余裕と邪悪さをにじませた微笑みに、かつての太平プロの善玉「ライジング雫」の面影はどこにもない。彼女は遠くの誰かを想い求めるようなポーズで虚空を見つめながら紫の瞳を病的なまでの熱を帯びて細め、その「闇」で観客を沸かせていた。

 リング中央で対峙する二人。ディーディーがいつもの調子で「ハーイ! 貴女とは初めましてよね? 今回はヨロシク!」と笑顔で手を差し伸べるが、久我はその手を静かに見下ろしたかと思うと、ふと、嘲笑を浮かべた。

「……あの人に手をだしてがさつな鬼に叩き帰された泥棒猫さん。その髭、わたしもひとつ毟ってさしあげましょう、フフ……」

 パァン! と笑顔でディーディーの掌を平手で打ち払ったオディールに、観客たちが驚き、ディーディーは一瞬面食らったように目を瞬かせ──そして不敵な笑みに変わった。

「……Ok! その挑戦状、確かに受け取ったわ、Black Swan!」

 両者の戦意は十分、レフェリーが引き離してなお、2人は真っ向から視線を交差させていた。そして東京ドームのグラウンドに設置されたリング群に第11戦開始の時間が訪れる。

 

 カーン!

 

 試合開始のゴングが鳴り響き、先制したのはディーディーだった。組み合いなど考えもせず、軽快なステップで距離を詰め、挨拶代わりのエルボーバットを叩き込む。

「どうやらこっちと違って、そちら様はアタシの事をご存知のようね!」

 胸元を打つ肘打ちは見た目の軽快さと裏腹に芯の乗った一撃であり、オディールはこらえきれず、思わずたたらを踏む。だが、三郎太やベスのソレほどの威力ではない。

「フッ……!」

 オディールは静かな笑みを崩さず、吸い込まれるような動作からお返しとばかりに鋭いミドルキックをディーディーの脇腹に突き刺した。乾いた衝撃音が響き、ディーディーの体勢が揺らぐ。

「っ……! Hey, Black Swan! なかなかやるわね!」

 蹴りの威力侮りがたしと見たディーディーから感心の声が上がるが、それに心動かす様子もなく、オディールの瞳には一切の迷いが無い。雫の元来の真面目さと努力家の一面が、オディールとなった今、学び身に着けた「今、お前は誰に何を焼きつけたいのか」という悪役としての考え方をもって彼女の心中を整えていた。最終目的はあの人、だが、今は目の前のこの浅はかな女に、恐怖を焼きつけるべき時だ。黙ったまま、続けて放たれるコンビネーションキックの嵐がディーディーのガードをこじ開けてその身を打ち据えていく。

「チッ……! ノリの悪い鳥女ね」

 だが、ディーディーとて黙って攻勢を受け続けるタマではない。蹴り足を引き戻す一瞬の隙を突いて、僅かに後退し、気合を入れ直すと、筋肉質の肉体を躍動させ、大きく助走をつけた。身構えるオディールを豪快なショルダータックルで迎撃の蹴りごと構わず弾き飛ばす。

「……ッ!?」

 オディールの身体が宙に浮きあがり、堪らずその背がマットに叩きつけられた。

「Yeah! これがテキサスの嵐のパワーよ!」

 ディーディーはすかさず腰に手を当て観客席に向かって胸を張るようにしてポーズを決める。彼女のパワーアピールに観客席から歓声が上がった。オディールはマットの上で身をよじり、うつぶせになって呻いており、小技などものともしないまさにハリケーンのような圧倒的な威力を感じた彼女のファンから惜しみない称賛の声や口笛が飛ぶ。

「ほら、まだ観客は満足していないわ、元気出して立ちなさい!」

 蹴りの数々で全身が痛むのを隠し、あくまで余裕綽々といった体で、ダウンしたままのうつぶせの黒鳥に歩み寄るディーディー。しかし、このダウンはオディールの仕掛けた罠であった。近づいてきたディーディーの腕を、彼女は待ってましたとばかりに蛇のようなしなやかさで捕らえたのだ。

「ふふ……捕まえた。深淵へようこそ……」

 まったくダメージを感じさせないオディールの動きに驚くディーディーの右ひざに両脚を絡みつかせて重心を崩し、捕まえた腕を引いてマットに引き倒す。

「Fox Sleep(狸寝入り)!?」

 うつ伏せになったディーディーの右脚を自身の脚でロックし、さらにその背にのしかかって顔面と腕を抱え込むようにして強引に絞め上げるオディール。それは彼女のライジング雫時代からの得意技、変形STF「ティアドロップボディロック」であった。

「Ouch! ちょ、ちょっと!? 離しなさいよ!」

 焦りの声を上げるディーディーの顔が苦悶に歪む。オディールはロックした彼女の頭部を後ろから自らの頭で押し込んで挟むようにして圧迫し、呼吸を妨げると同時に頭突きでの反撃を封じる。

「あら、今日は艶めかしい喘ぎ声はあげないのかしら? あの日、あの人を揶揄ったように……?」

 耳元で囁くオディールの言葉にようやくディーディーの中でこの見知らぬ女の素性に見当がつく。おそらくは宮川三郎太の関係者。そして、こいつは三郎太を誘惑した自分に怒りか嫉妬を感じているのだ、と。得意の心理攻撃の糸口が見つかった事にディーディーの口元に笑みが浮かぶが、それはそれとして自身の苦手な関節技、しかもグラウンドのそれに囚われて強烈に締め上げられていることへの危機感に彼女のこめかみを汗が伝う。

「ぐ……アァァ……ッ!?」

 ひとしきり身じろぎ、暴れてみるが、ロックは外れない。オディールのグラウンドの技術が自分よりはるかに上である事を悟ったディーディーは呻き、喘ぎ苦しみながらもマットを必死に這い始める。抜けれないのならロープに逃げてブレイクする他ない。

「いい悲鳴……あの人にも聞かせてあげたい。そして、あの人の悲鳴もたくさん、たくさん聞きたいわ……」

 ディーディーを激痛と呼吸困難に追い込み、マットを這う動きにも焦った様子を見せず、ただ陶然と熱っぽく語るオディールの声にディーディーは危機感をさらに強めた。こいつは脱出されるのを恐れていない。ロープまで這われる事を前提に、その過程でできるだけ責め苛むつもりで居るのだ。だからこその余裕、だからこその心理圧迫のための異常言動・仕草に違いない、と。だが、ディーディーの推測はおおむね正しいながらもひとつだけ見誤っていた。

 

 オディール久我は──久我雫は心底から宮川三郎太にその腕の中で苦痛の悲鳴を上げさせたいと思っている。

 

 この黒鳥はもう邪悪な本質を隠す事をやめていた。

「ロープ! ブレイクよ!」

 一分近く苦しみながらもディーディーはなんとかその手でロープを掴んでいた。レフェリーの指示により、オディールは名残惜しそうに、しかし冷淡に技を解いた。立ち上がった彼女の紫の瞳は、笑みの中でもまるで感情が削ぎ落とされたかのように静まり返っている。ディーディーはロープ伝いに身を起こすと荒い息をついて汗を拭う。

「Ok! よくわかったわ、オディール久我。ここからがメインイベント、さぁ、行くわよ!」

「……へぇ?」

 あらためて突進するディーディーは、やはり組み合いを避けた。サブミッションの技術差を考えるとそれは危険だ。機動力とパワーを生かして蹂躙すべき、それが彼女の出した結論。捕まえようと両腕を伸ばすオディールの片手を掴んだディーディーはハンマースローで強制的にコーナーへと送り出す。パワーでは彼女に譲るオディールは大きく振られ、咄嗟に反転しつつもその背をコーナーマットに打ち付けられてしまう。その後を追ってディーディーは駆けていた。

「gotcha! まだまだいくわよ!」

「かふっ!?」

 助走の乗った串刺しエルボーがコーナーのオディールの腹に突き刺さる。さらに、苦しむ彼女を軽々と担ぎ上げると、マットの中央へと駆け出し、勢いを乗せたパワースラムで叩きつけた。キャンバスが揺れ、鈍い音が響き渡る。オディールもこれにはさすがに笑みを維持しきれず苦悶の表情を浮かべてマットを転げ回って悶絶する。それを見下ろして片腕を上げ、反攻の気勢を示すアピールで観客を呷りながらディーディーは、オディールの感情を逆なでて隙をつくるために、挑発的に、そして無邪気に「地雷」を踏み抜いた。

「サブロータはHotな女が好きなのよ! アタシとのディナー、彼はとっても楽しんでた。あなたみたいな暗い子じゃ、彼はきっと満足しないわね!」

 その瞬間、リングを取り巻くSSS席の内、オディールを応援していたファンたちの空気が凍りついた。同時にオディール久我の瞳から、光が完全に消失する。伏せられた前髪の隙間から、ドロリとした負の感情が溢れ出したのを敏感に察知したのか、レフェリーが無意識に一歩後退した。

「?」

 予想通りにオディールの心理に一撃与えた手ごたえはあった。これで動きを読みやすくなるだろうと考えるディーディーは、しかし、同時に強烈な違和感に首を傾げた。観客の反応がおかしい。ディーディーを応援する客たちは変わらず声援を送っているが、オディールの応援団らしき連中はぴたりと動きを止めてしまい、その表情は心なしか動揺しているように見える。

「や、やりやがった、あいつやりやがった!」「虹の黒鳥姫(オディール)、雫ちゃん終了のお知らせ」「ええ、ここからは魔王オディール様の時間よ……」

 反応がおかしい。オディールの観客たちの動揺がざわめきとなり、彼らの信じられないものを見るような視線がディーディーに注いでいる。

「……あの人が……楽しんでいた……?」

 オディール久我がゆっくりと、幽鬼のような所作で立ち上がる。そのあまりの不気味さに、勝ち誇っていたはずのDDが思わず一歩、後退りした。

「ああ、そう……。あの人は優しいものね。泥棒猫の分際で、その優しさを自分の力だと勘違いしたの?」

 彼女の足取りは、先ほどまでとは明らかに違っていた。重く、確実に、獲物を追い詰める捕食者のそれだ。まっすぐディーディーを見つめて歩み寄ってくるのに、その瞳が何も映していない闇そのものであるかのように感じて、出方をまったく読み取れず、ディーディーは戸惑う。

「ただの済んだ火遊びならどうでもいいと思っていた、けど……あの人を今も狙っているなら……魂ごと黒く染め……いや、そういうのもういいわ、ブチ殺す」

 三郎太に中二病を心配されてなお、キャラ付けのために続けていたロールを久我雫は捨てた。その口から漏れたのは、プロレスの枠を超えた生々しい呪詛、そして露骨な殺意だった。恐怖に笑顔をひきつらせ、たじろぐディーディー。その隙を久我は見逃さない。しなやかな肢体がバネのように跳ね、振り上げるようなハイキックの右脚が虚空を高く舞う。咄嗟に半歩引いて蹴りを躱し、カウンターに組み付こうとしたディーディーの頭頂部から脊椎を衝撃が突き抜けた。

「……ッ!?」

 脳天を、漆黒のリングシューズの踵が断頭台のごとく直撃したのだ。ハイキックから変化して降り注いだ容赦のない「かかと落とし」が炸裂し、ディーディーの意識が激しく揺さぶられる。がくりと膝から力が抜け、ディーディーが倒れ込む。

「堕ちろ」

 ダウンした彼女の首筋に、雫は自身の白く細い両脚を無慈悲に絡め、首四の字固めに極めると体重をかけて絞り込んだ。DDの顔面は瞬く間に真っ赤に染まり、喉の奥からヒューヒューという苦しげな呼吸音が漏れる。雫は網タイツ越しに伝わる相手の恐怖と脈動を愉しむように、さらに腰を入れて締め付けを強めていく。

「ガァ……ァ! ネバァ……Never give up……!」

 苦痛と呼吸困難になかば白目を剥きかけながらも、ディーディーはレフェリーの問いかけに継戦の意志を示す。制限された視界の範囲で見て取ってロープが遠いと知った彼女は意を決して意地を爆発させた。苦境の中でその腕力の限りを振り絞り、自身の首を締め付ける久我の両脚に指をかけ、力任せに押し広げていく。ミシミシと筋肉が軋む音を立て、ディーディーは強引にロックの隙間をつくると、首を引き抜いて転がるように距離を取り、逃れた。

 雫は舌打ちしつつも自らの技で追い詰められていくディーディーの姿に邪悪な笑みを浮かべる。

「こ、こいつ……!」

 ふらつく足取りで立ち上がったディーディーは、自身を飲み込もうとする闇の恐怖を打ち消すように咆哮した。大きく右腕を振りかぶり、助走をつけて突進する。渾身の力を込めた「スティアーラリアット」が久我の喉元を強烈に刈り取らんと雫に迫る。だが、雫は命中の瞬間、そこに肘打ちを割り込ませていた。禍々しく黒い闘気のオーラを纏わせたカウンターのエルボーがディーディーの前腕に突き刺さる。

「ガ……アァァァ!!」

 それでも構わず、その肘打ちごと、ディーディーはラリアットを振り切った。彼女の前腕に激痛が生まれるが、代わりに肘打ちごと薙ぎ払われた雫は宙を舞ってマットにその背を叩きつけられる。驚きと予想外の痛みに呻く雫に、ディーディーは右前腕の痺れるような激痛を無視して飛び掛かっていく。雫の脚を左手でとって腰を低く抱え込み、そのまま裏返して反り返らせていく。必死の逆転を狙った「シャープシューター」だ。

「くっ……ぐぅぅぅぅぅ……ッ!?」

 雫の腰が反らされて折れ曲がり、鋭い悲鳴が上がる。ディーディーは体力を激しく消耗しながらも、全体重をかけて彼女の背骨を破壊せんばかりに腰を落とした。だが、雫は苦しみながらも不敵な笑みを浮かべ、敢えてディーディーの右腕側に身をよじって回転負荷をかけ、その身体を揺すって暴れる。両腕をクロスするようにロックしているディーディーの右腕にその負荷が集中し、さながらアームロックをかけられたかのように先ほどカウンターのエルボーを突き刺された右前腕の激痛がスパークした。

「Ouch!?」

 目の奥で火花でも散ったかのようなすさまじい痛みに、堪らずディーディーのシャープシューターが崩れる。脱出した雫は起き上がる暇などないと、そのまま四つん這いからのダブルバックキックを放ち、ディーディーの顔面を蹴り飛ばす。もんどりうってダウンした彼女は顔面を押さえてマットで身悶えた。

「逃がさない……」

 敢えてディーディーの右腕を捻り上げるようにして無理やり引き起こした雫──オディール久我は勝負を決めにいく。背後からディーディーの両腕をダブルチキンウィングに捕らえ、自身の両脚で相手の腿を固くロックした。そのまま背中に覆いかぶさるようにして、前方へ自重を預けて押し込んでいく。彼女の必殺技、「ブラックアウト・フェザードロップ」の体勢だった。

「ウグッ……アァァァッ!?」

 逃げ場を完全に奪われたディーディーは、脱出しようともがくが、逆手に極められている右腕への負荷を強められるとバランスを崩し、立っていられなくなって膝から崩れる。結果、彼女は前方へ押し込まれる重みに負けて、無防備な顔面を冷たいマットに叩きつけられた。その上から、オディール久我の全体重と、肩関節を限界まで引き上げる絞め技が容赦なく襲いかかる。

「おやすみなさい。暗闇の中で、私のことだけを夢見ていて……」

 溜飲が下がったせいか、激情が収まって来たのか、黒鳥オディールのロールを取り戻した雫がディーディーを絞り上げながら笑みを浮かべて囁く。両腕を決められタップはできず、頬をマットに押し付けられている状態でロープを目指して這うなど不可能に近い。もはやディーディーに残されている地獄からの脱出方法は自ら「参りました」と屈辱を口にするしかない。

「Damn! ……ギブなんて……ッ!! アアアアッ!?」

 逃れようのない深淵の中、それでもディーディーはギブアップを拒み、嗚咽のように悲鳴を漏らし続ける。だが、さしもの彼女も残る試合時間いっぱいまで耐え続ける事などできなかった。口の端から泡を零して動きのなくなった彼女を慌ててレフェリーがチェックする。間近で手を振って見せても視線がそれを追っていない事を確認したレフェリーは頭を振ってゴングを要請した。

「そこまでだ、技を解きなさい、オディール久我。テクニカルノックアウト。レフェリーストップで君の勝利だ」

 

 カン! カン! カーン!

 

 静まり返った会場に、勝者、オディール久我の名前がコールされた。しかし彼女は、勝ち名乗りを受けることすらなく、力なく横たわるディーディーの耳元で、甘く、そして歪んだ勝利の言葉を囁いた。

「恐怖と絶望、しっかり焼き付けてくれたかしら? ふふふ、三郎太さん、次はあなたの番……わたしの全てを焼きつけてあげる……あはははは!」

 その狂気の域に達しつつある愛に満ちた高笑いに、彼女の応援団のファン達が熱狂の声をあげるが、全体としては困惑と動揺の色が強い。ただ、その普通ではない美しさが海外からの来訪者も多く含む観客たちに大きな衝撃を与えている事は確かだった。

 

 その黒鳥オディールの哄笑は、別の戦場で戦う想い人に届くことを願う狂愛の歌声だった。

 

────────────────────

 

 EQT予選リーグ、16のブロックの総当たり戦をたった1日で進行するという狂気の日程の中、参加選手たちの負傷や試合後のダメージのケアを担う大会医務室は東西の二か所に設置され、研修医や医大生たちの増援を受けてなお、医療従事者の戦場と化していた。しかし、それも11戦目となればさすがに手馴れて落ち着いてくる。選手たちは試合の力配分を理解し、ダメージを最小限に抑えて次の試合に備えるようになるし、医務室のスタッフも処置の流れを最適化し、システマティックに対応を行いつつ、交代で休憩を取る余裕が出てきていた。

 そんな中、主任医師の一人である女医が椅子に深く腰掛けて机に肘をついて頬を乗せ、リモコン片手に壁面モニターに映し出される公式配信による各予選ブロックの映像を呼び出していた。その下に配属された研修医や医大生が「あの人また配信眺めてる」だとか「腕は確かだし、今は大した患者もいないし、まぁ、多少はな」などと苦笑交じりの会話をしているのもその耳に届いているはずだが、そんなことなど気にもしていないようだ。

 

 その配信映像の中で実況されているのはLブロックのリング。ドイツ代表選手筆頭を自認する若手エース、女子レスラー「アーデルハイト・フォン・シュタール」とカナダ代表選手の一人、ゴルディロックス・ベア―の試合が今まさに決着したところだった。

 Lブロックのリング上でレフェリーがゴングを要請、試合終了を告げる鐘の音が鳴り響く。

『――ここで試合終了ッ! ゴルディロックス・ベア―選手、強力無比な叩きつけ式パワーボム「アドリゲン・ブリッツ」の前に完全沈黙! 「白亜の不落城塞」に組み伏せられ見下ろされたままスリーカウトが刻まれましたッ! アーデルハイト・フォン・シュタール、強い! 今回のEQT参加ドイツ選手筆頭の名は伊達ではありません!』

 実況の声が、淡々と処置が行われている医務室の静けさに反してやけに明瞭に響く。

『いやあ……ベアー選手、最後まで諦めませんでしたが、相手が悪かったですね。ホッケー界からの転向であるベアー選手もかなりガタイのいい男子選手なんですが、ハイジ選手もまた彼と真っ向から組み合えるほどの長身女子。ショルダータックルも、アクスボンバーも、カナディアン・バックブリーカーも……どれもハイジ選手の筋肉と防御技術を崩せなかった』

『ええ、あの体幹の強さ、受けの強度はまさに異名通りですね』

 リング中央では、うつ伏せに倒れたゴルディロックス・ベアーが、荒い息を吐きながらも観客の声援に答えようとロープを掴んで起き上がろうとしていた。人の好い彼の顔には汗に濡れた金髪が額に張り付き、悔しさよりも「やり切った」という表情が浮かんでいる。

 

 その背中が踏みつけられた。

 

 一瞬、観客席の空気が凍りつく。ロープから手が離れ、マットに再び突っ伏すベアーをアーデルハイト・フォン・シュタールが、勝者の余裕をたたえた笑みで見下ろしていた。

「何を笑っている、下賤な熊風情が」

 観客席から動揺の声とブーイングが上がる。だが、ベアーは表情を歪めながらも答えない。

「……言い返す気概もないか、腑抜けめ」

 彼女は、決着後の手出しはマナー違反だと注意するレフェリーの言葉を聞いているのかいないのか、その脚を背中から外し、ベアーから離れると、ブーイングを上げ続けている観客たち──特にカナダから応援にかけつけた彼のファン達によく聞こえるようにその豊かな胸を張って見下ろす。

「けだもの風情が健闘精神だなんてお笑いだな! 『負けたが、それでもよく戦いました』なんて言い訳に意味などない! 弱者は、強者の前で道を空けていればいいのだ」

 あまりに傲慢な言葉に一瞬の沈黙が起こり、直後これまで以上の大ブーイングの嵐が巻き起こった。しかしアーデルハイト──長いので愛称で呼ぼう。ハイジはそれすら称賛と受け取ったかのように、「平民どもがよく囀るものだ!」と笑って優雅に片手を掲げてリングを降りていく。

 だが、憤懣やるかたないファンと観客たちも、その後のマイクを取ったゴルディロックス・ベアーの言葉に一気に鎮火せざるを得ない。

「……いいんだ。実力が伴わなければ何を言われても仕方ない。みんなの期待に応えられない僕こそ、皆に詫びるべきだ」

 観客の声は、彼を励まし、応援する言葉と、その誠意を讃える拍手へと変わっていった。

『なんというか……アーデルハイト選手は相変わらずです。「リング上の建築家」と自称する程に立ち関節技に情熱を燃やすスペインのアントニ選手を「無為、無駄、無価値」と断罪し、鼻血まみれの涙の敗北に叩き込んだ時といい、ある意味で被害者が続出しております』

『あまりにも容赦がないですね。人の心とかないんでしょうか?』

 実況の言葉に試合内容を思い出したのか、解説者の声はわずかに震えていた。

『しかし、結果的には圧倒的な内容で4勝目をマーク! これでLブロック突破の可能性があるのは彼女とメキシコの「眠れる森の美女」ラ・ベジャ・ドゥルミエンテのいずれかのみとなりました!』

『エクソティコ(※メキシコでいう女装キャラクターのレスラー)の彼が美女と言うのは……いえ、失礼。魂とマスクでのみ語るべきですな。いずれにせよ第14戦での激突がLブロック最大の戦いとなることでしょう』

 モニターの中で、ベアーがよろめきながらも観客に手を振り、ゆっくりとリングを降りていく。

 

 その時だった。ぼけっとココアシガレットを咥えて女医が眺めている配信の映像と音声に、なんとはなしに注目していた一部患者選手と手の空いた医大生たちによって、どこかのんびりとした空気に包まれていた医務室に飛び込んでくる人物が居た。

「サチ! 無事か!?」

 酒が入っているのかわずかに赤ら顔の男、腹の突き出た脂肪まみれの、それでいて要所に筋肉のしっかりついたレスラー体型の人物が医務室の扉を蹴り破らん勢いで突入してきたのだ。あっけにとられるスタッフたち。めんどくさそうに配信の音声をOFFにして向き直る女医。

「え、ええと、ここに太平プロの『デンジャー・サチ』が運び込まれたって聞いて……アレだ。面会? ……見舞いに来た!」

 注目が集まった事で不躾さに気が付いたのか、男は慌てたように用件を口にする──いや、口にしながら整理した。どうしたものかと判断を仰ぐ研修医を片手を上げて制し、ココアシガレットを全部口に入れてボリボリ噛み砕きながら女医が男に声をかける。

「んー……とりあえず、君の素姓を確認しようか。面会には手順ってものがあるんでね」

「お、おう。……ああ、すまねえ。俺はバッカス木桜、太平プロのレスラーで……サチの指導担当だ。アイツが試合後重傷で医務室送りになったって聞いてよ」

 話しているうちに落ち着いて来たのか、はたまた他の患者がいる場だとようやく気付いたのか、バッカスの言葉は徐々にトーンダウンしていく。女医は面白そうに彼を見つめつつも簡潔に質問に答えていく。

「まず、デンジャー・サチが運び込まれたのは5時間ほど前のことだ。そして運び込まれたのはこっちじゃなくて東の大医務室。さらに言うと既に彼女は処置を終えて復調済み。既に太平プロの控室に帰ってるはずだよ。ありていに言うと君の見舞いは手遅れだ」

「なん……だと……!?」

 ショックを受けたバッカスのリアクション顔が面白かったのか、女医はニヤニヤ笑いながら席を立って彼に近づく。顔と顔が触れ合うような距離にまで迫る女医に、バッカスが面喰らって硬直するのを流し目で見つつ彼女は笑う。

「……彼女は毒を盛られた。解毒済みだそうだが、私は詳細を見ていない。君が指導担当で遅ればせながらも彼女のために駆けつけたというなら、とっとと太平プロの控室に向かいたまえ」

 バッカス以外に聞こえない小声で女医は耳元に囁いた。その内容に一瞬愕然とし、直後、ハッとしたバッカス木桜は「すまねぇ!」と叫んで医務室を飛び出していく。何事かと視線を向けていたスタッフや患者たちも室内を見回す女医に気付くと、そっと視線を戻した。

「……廊下は走ってはいけません」

 女医はあまりに遅い注意を医務室の扉の方へなげかけると、ポケットから新たなココアシガレットを取り出して咥え、元居た席に戻ってリモコンを手に取る。

 

 医大生たちは内心で「またサボって配信見る気だよあの人」と思いつつも、それを口に出す事は無かった。

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