「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」 作:八意あまつ
場内の狂乱を煽り立てるように、弾丸のような実況アナウンスがスピーカーを通じてアリーナに轟く。
『ガータ御子柴の猛攻の前に、なんとあの女王、ローラ・ザ・チャージが朦朧として力なくダウ~~ン!! ここまで常に余裕の態度を崩す事のなかった彼女がついにキャンバスに沈んで泥を舐めさせられております! これが準決勝か! これがガータ御子柴というカオスの権化が導く奈落の入り口なのか!?』
観客席からは女王の失態を信じられないといった悲鳴と、野良猫の執念を称える怒号のような歓声が交錯している。ハーレクインはモニターに映し出される御子柴を凝視し、信じがたいといった様子だ。
『……彼女の耳石はどうなっているんだい? たとえ本物の猫でもあれだけ回転すればふらつきそうなものなのに。それに空中殺法に凶器……どうやら彼女はローラの看板を片っ端からたたき割りたいらしいね』
凶器などという英国紳士としては咎め立てるべきものへの苦言すら忘れ、ハーレクインはローラの築き上げてきた「完璧なスタイル」が蹂躙されていく様に見入ってしまっている。
『確かにそうです! フライング・キラーが空中殺法でダウンをとられてしまいましたからね! 彼女にとってはこれ以上ない屈辱ですよ! キンタロウさんはどう思われますか!?』
実況アナは我が意を得たりとマイクに唾を飛ばした。
『……間違いなく効いている。得意技から抜けられた動揺から始まって次々にローラ嬢の意表を突き、同時にさらなる動揺へとつなげている。これは物理的な攻勢であると同時に心理的な面でも強烈なラッシュと言えるだろう』
水を向けられたキンタロウは、深く腕を組んだまま、リング上の両者の攻防における表情を思い起こしながら、重々しく語る。技術や戦術の前に、精神の足場をガタガタに崩されていく若き女王の危機は現実として今、そこに在るのだ。ハーレクインはいつもの優雅な微笑を完全に消し去り、どこか遠い目でマットを見つめ、同意に添えて零した。
『ええ、ボクも彼女がこれほど追い込まれるのを見るのは数年ぶりだよ……』
放送席の言葉にさらに動揺を深める観客たちのどよめきが重くうねる中、セカンドロープから解かれていく細いチェーンのたてる金属音が、まるで女王に迫る終焉へのカウントダウンを刻む時計の針音のようにリング上に響いていた。
疲労によって全身を流れる汗の雫がマットに落ちる。御子柴は息を整えながら、ローラの腕からチェーンを解くと、それを今度は自らのニーパッドの膝下すぐあたりから脛にかけてに乱暴に巻き付けた。
「はぁ……はぁ……オネンネするにゃまだ早いニャ。ケケ」
御子柴はローラの両脚を取って、鎖を巻いた脚を基点に絡めとり、インディアンデスロックの形にロックした。金属の硬質な感触が肌に食い込み、痛みにローラが呻きを上げる。そして、脇の下から腕を差し込むと、御子柴は彼女の上体をコブラツイストの如く捩じり上げ、背筋を限界まで捻り反らせていく。先ほどの「アブドミナル・ストレッチ」への意趣返しのような複合間接技「アグラツイスト」が肉体の牢獄となって苦しむ若き女王を収監した。
「ぐっ……あぁ……ッ!?」
御子柴の現在の得意技であるが、この技は本来、かつての世界大会ECT(アース・クラッシュ・トーナメント)の覇者であるレジェンド、ザ・モモタロウの得意技「モモ・スペシャル・その2」である。モモタロウの弟分である三郎太が使い始めたのを見て、嬉々として御子柴が模倣し始めたこの技を、彼女はさらに凶悪にして邪悪なる改造を(勝手に)施していた。本来と異なり、御子柴の脚に巻きつけられたチェーンがロックした脚に食い込んで痛みを増している。そして、もう一つ。
「女王様からタダの女に引きずり下ろしてやるニャ……そらそら!」
御子柴はそこに指技による神経への刺激を執拗に加えていく。かつてボーティス神宮寺がローラをドラゴンスリーパーに捕らえた際、その肢体表面を指に這いまわらせ、ローラに「下手」と一蹴された心理攻撃。だが、本物の悪役として酸いも甘いも噛み分けてきた、そして、性別を同じくするが故にどこが有効か知る御子柴の指使いは、あくまで計測目的が主で心理効果は二の次だった神宮寺のソレとは威力の次元が違った。
「ハァッ……ハァッ……! チッ、どいつもこいつも下らないマネを……貴女もヘタクソな愛撫なんかやめ……あンっ!? ひゃうっ♡ あっ……アハァッ!?」
朦朧から復帰しつつも全身を絞め上げられ、脚から染みこむ激痛に耐え、なおも女王としての冷静さを取り戻そうとしていたローラだったが、その想像を超える屈辱的な刺激の前に、耐えきれず嬌声を漏らしてしまった。観衆があげる声はもはや困惑を通り越して、理解を越えたという混乱と、現実を認めたくないと言う悲鳴に彩られ始めている。御子柴を見るローラファンの目はもはや現代に現れた旧世界の怪異を見るそれの域に達しつつあった。
誇り高き英国マットの若き女王が、大衆の前で凌辱、翻弄されている。その事実は、ローラのプライドを甚大なまでに著しく傷つけた。
「おっ……可愛い声で啼くじゃんか♡ ……どーする? ギブアップしちゃうか、女王様?」
御子柴は自らもローラの熱を感じながら、執拗に締め上げる。だが、限界までプライドを傷つけられ、目の端に涙すら浮かべるに至ったローラから、黒い情念のような殺気が立ち昇った。
「……ンッ! く……やってくれるじゃない、野良猫。 そのふざけた口、二度と開けなくしてあげるわ」
屈辱に顔を歪めたローラが、猛獣のような咆哮を上げた。彼女は全身に汗を浮かべながら「アグラツイスト」を筋力頼りに力任せでこじ開けて行く。敏感な所を弄っている場合ではなくなった御子柴が慌てて阻止しようとするが、パワーの差は歴然だった。いや、これまでの試合中、対戦相手として感じとっていた彼女の力を、今のパワーは明らかに上回っていた。
「こ、こいつ……ッ!?」
御子柴が剥がそうとするローラの腕を掴んで捻るが、びくとも動かない。むしろその全力を込められてパンプアップした筋肉の密度と硬度を手のひらに感じた彼女は自身のそれとのあまりの違いに恐怖を感じると共に技を破られるのを覚悟せざるを得なかった。
(こっちから解いて一旦離れた方がマシか……!?)
しかし、目論見はうまく行かなかった。技から脱したローラは引き抜いた際に鎖に擦れて傷ついた脛の痛みに眉をしかめながら、逃れようとする御子柴の身体の動きを既に分かっていたかのように、まっすぐ追いすがって彼女の胴を抱え、高く掲げ上げる。
「ふざけた真似を……! 跪きなさい、この野良猫がぁ!」
そのまま空中に押し上げて、宙に浮いた御子柴の胴を逆さに抱え直すと、そのまま情け容赦なく急転直下、怒りのパワーボムでキャンバスへ叩きつけた。響き渡るリングの激震音。
「が……はっ……!?」
背骨が折れたかと思う程の衝撃に、御子柴が血の混じった唾の飛沫を飛ばしながら、マットに沈み、悶絶する。だが、ただの一撃では女王の怒りは収まらない。ローラは倒れ伏す御子柴の髪を掴んで引き起こすと、そのバックをとって、腰に両手を回してしっかりとクラッチした。御子柴の本能が全力で警鐘を鳴らす。
──ローラの追い詰められてからの底力のデータが無い。誰も彼女を追い詰められないからだ。だから、決められるときに一気に決めるのが理想。だから、こんな情報使わないに越したことは無いんだが……。彼女の必殺技(フェイバリット)である「トリコロール・スープレックス」は崩せないと思って対処しろ。自ら跳ぶのも無駄だ。未試行だが……大人しく抵抗せずに投げられて後頭部だけを守れ。ここまでアレを受けて赤ずきんだけが意識を残して耐えきったのはおそらくそれが理由だ。
脳内に思い起されるデータ中のクソ軍師は実に頼りない助言を残していた。
(っとに、使えないナンパ野郎だニャ……ッ! あーもう、頼むぜオレのタフネス!?)
ローラはひとつ息をつくと、御子柴の腰を抱え上げ──
「これで、終わりよ」
──そう言って、自らの必殺技であるトリコロール・スープレックスを始動させた。
一発目。「su-plex!(投げろーッ!)」という観客たちの絶叫を受けながら「ジャーマン・スープレックス」で後方へ投げ捨てる。全力で受身を取った御子柴はそれでも凄まじい衝撃に苦痛の呻きを抑えきれない。ローラは構わず、クラッチしたまま引き起こして、すぐさまフルネルソンに御子柴の両腕をロックする。
二発目。ローラファンが腕を突き上げ、「One more su-plex!(もう一度だ!)」と声をそろえて叫びたてる中、「ドラゴン・スープレックス」によって御子柴の身体が美しい弧を描いてマットに突き刺さる。受け身不能ながらも必死に脳震盪を避けるべく全力で首を曲げて肩からマットに沈みこんだが、凄まじいダメージに肺が震え、視界が瞬くようだ。
(あー……ダメだなこれ。耐えれても動けなくなるわ多分、そのままピンだ)
御子柴の脳内で邪悪な黒猫が冷静に分析の声を上げた。自分のタフネスも思ったより大した事ないなという自嘲と、やっぱ赤ずきん頑丈すぎんだろという苦笑が笑みとなって御子柴の顔に浮かぶ。しかし、背後から捕まえているローラに彼女の表情など見えはしない。
動きの止まった御子柴をローラは無理やり起こして、今度はダブルチキンウイングに彼女の両腕を極める。
(……まだ、だ……! こんなところで、くたばれるかよ……っ!)
そして、三発目。絶唱の域に達した観客席からの「Last one!(トドメを刺せ!)」の声に包まれて「タイガー・スープレックス」が放たれる瞬間、神宮寺の助言に敢えて逆らい、御子柴は何かを蹴り上げた。キャンバスの上に猛虎原爆固めが完璧な虹を描こうとしたその時。
──鎖がローラの片脚のグリップを払った。
「……ッ!?」
驚愕に目を見開きながら、ブリッジを維持できず御子柴ごと同体に雪崩落ちるようにマットに沈むローラ。ローラの必殺技「トリコロール・スープレックス」が破られたのだ。もろともにダウンしながら御子柴はその歯で、自ら蹴り上げた「鎖の端に齧りついていた」。御子柴の脚と口の間にぴんと張られた鎖が、投げられる勢いでローラの片脚を払い崩したのだ。欠けた歯の破片が御子柴の口からはじけ飛び、役目を果たした鎖がマットに落ちる。あまりに壮絶な光景に今この瞬間までローラの勝利を信じて唱和していた観客たちが絶句した。そして同時に御子柴のファン達が気が狂ったような狂喜の絶叫を上げる。
実況アナの、文字通り喉が裂けんばかりの絶叫がドーム内の空気を切り裂いた。
『き、決まらない! 決まっていない! まだガータ御子柴は生きている!』
その声は震えており、実況アナの興奮がありありと映し出されている。
『不可避! 脱出も耐久も不可能と言われた若き女王の絶対の必殺技(フェイバリット)、「トリコロール・スープレックス」が三発目で崩壊!! もろともにマットへ雪崩れ落ちたァァ!!』
ハーレクインが総毛立ったように実況席の机に身を乗り出す。
『……バカな、あり得ない……! 脚を払った!? いや、彼女は今、口に何を──』
モニターに映し出されたのは、口内から白い欠片と赤い飛沫を飛ばし倒れる御子柴と、彼女の信頼に見事応えきってマットに落ちた一本のスチール製の細いチェーンだ。
『鎖か……! 己の脚に巻いて、解けてきていた鎖の端を蹴り上げ、それを噛み絞めてラインを張り、ローラの軸足を引っかけたんだ!』
さしものキンタロウをして、戦慄を隠せない。世界に知られるテクニシャンと技術と機転が売りの英国ナンバースリーが揃って驚愕し、声を震わせていた。
『なんという執念、なんという狂気! 投げられる刹那、自らの歯が砕けるのも厭わずにトラップを完成させた! 技術でもデータでもない、まさに「黒猫の呪いの鉄鎖」とも言うべき存在であります! 呪いが文字通り女王の脚を引っ張ったぁ!!』
放送席のモニターはリング上で自らの必殺技(フェイバリット)に全力つぎ込んだせいで荒い息をつきながら、マットに大の字で驚きに身震いしているローラを映し出していた。
ダブルダウンから先に動き出したのは御子柴の方だった。彼女は脂汗を浮かべ、荒い息をついて口の端から血を流しながらも、執念で身を起こして、回り込みローラの背後を取り返す。
「……ッ!? しぶとい!?」
ハッとして再起動するローラが動き出すが一瞬遅い。御子柴の手には、脚から引き解いたチェーンが握られていた。
「へへ……どっかの社長兼レスラーの……無茶苦茶に比べれば、まだしもテメェは常識的な部類なんでニャ……!」
今まさに絶体絶命の危機を救った御子柴の命綱にして、悪役になって後、信頼を寄せ続ける相棒。御子柴はそれを背後からローラの首に巻きつけ、渾身の力で絞り上げる。なりふり構わぬ外道戦術、「チェーン・チョーク」である。
「ごっ……ッ!? あがぁ……ぁ……ッ!?」
喉を潰され、酸素を求めて喘ぐローラの目から涙があふれ、その顔色が赤紫に染められていく。御子柴は獣のような形相で、悶絶する女王を引きずりながら、震える足取りでコーナーの頂点を目指した。一歩、また一歩。観客の悲鳴にも似た怒号がアリーナを揺らすが、先ほどから耳鳴りがうるさい御子柴の耳には届かない。レフェリーが歯痒そうに顔を顰めて見守るが、息のつまったローラに抗議ができようはずもない。
コーナー最上段に座らせたローラを、自身もセカンドロープに立って見下ろし、鎖を引き絞る御子柴。咄嗟に鎖と首の間に指を突っ込んで抵抗するも、ローラの目から涙が零れ、掴みかかる指先が御子柴の脇腹に食い込む。痛みに顔をしかめながらも御子柴は自らの必殺技(フェイバリット)の始動体勢に入った。
「これで……トドメだニャ! 堕ちろ……! チェーン・アビスキャット・ドライバーぁ!」
ガータ御子柴はローラの首にチェーンを巻き付けたまま、コーナー最上段から雪崩式の変形スパインバスターを敢行した。通常の「アビスキャット・ドライバー」に加えてチェーンでの首絞めが加わった特別版だ。地獄猫は女王を奈落へ鎖で引きずり込む。重力と加速、そして御子柴の全執念が乗った一撃。地響きと共に、ローラは二人分の体重を受けながら呼吸困難状態のままその背中からマットに深々と沈んだ。
ドォォォォォンッ!!
キャンバスが波打つような轟音を最後に、会場が静まり返る。御子柴はローラの身体に覆いかぶさり、審判のカウントを待った。レフェリーが滑り込み、マットに手を打ち付ける。
「ワン! ツー!」
──レフェリーが三つ目を叩く直前に振り下ろす手をギリギリ止めた。
「ツー・ポイントナイン!」
カウント2.9だ。ピンフォールには届かなかった。
「……うそ、だろ……」
ローラの指先が、かろうじてロープの最下段に触れていた。ロープブレイク。あと数センチ、あとコンマ数秒、御子柴の力が及ばなかった。
「今の……入っただろ……」
「チェーン・アビスキャット・ドライバー」が正真正銘最後の全力だったのだ。御子柴は全ての体力、全気力を使い果たし、もう指一本動かすことができない。
「……三郎太……オレ、もう……」
彼女の肉体はすでに限界を突破し、ただの魂の抜け殻のようにマットに突っ伏した。対するローラは、涙で頬を濡らしながらも、忌々しそうに首のチェーンをむしり取ると、それを場外へと投げ捨てた。真っ赤に腫れ上がった首を抑え、ふらつきながらも立ち上がる。その瞳には、もはや高飛車な傲慢さはなかった。あるのは、自分をここまで追い詰めた相手への、底冷えするような敵意と……奇妙な敬意。
「……終わりよ」
ローラは、なおも這い上がろうとする御子柴の側頭部へ、無慈悲なキックを叩き込んだ。鈍い音が響き、御子柴の意識が完全に白い霧の迷路へ落ちる。しかし、ローラはフォールに行かなかった。彼女は自分のプライドを傷つけた相手に対し、最も屈辱的で、最も確実な絶望を与えることを選んだ。
「今度は逃さない。貴女のその執念ごと、絞り殺してあげるわ」
ローラは倒れた御子柴の身体に蛇のように絡みついた。マットを壁として利用し、逃げ場を完全に封じるうつぶせ向きの「グラウンド・アブドミナルストレッチ」だ。マットに押し付けられながら四肢を極められ、御子柴の身体が捩じれ、捻られ、反り返る。
脱出不可能な地獄の締め。意識を失いながらも、御子柴の肉体は激痛に反応してガクガクと震える。口の端からは血泡混じりの涎が垂れ、女王を深淵に落とそうとした悪役として体現していた恐怖は今やどこにもない。
だが、その無様な姿こそが、彼女が最後まで勝利を諦めなかった証だった。
「……意外に楽しめたわ、褒めてあげる……野良猫」
ローラの呟きは、熱狂する観客の声にかき消された。 レフェリーが御子柴の腕を取り、僅かに持ち上げて離す。それを三度。
ただ、力が抜けたその手がマットに力なく落ちるだけ……。
レフェリーは静かに目を伏せ、頭を振って頭上で腕を交差させ、本部にゴングを要請する。
「試合終了! 勝者、ローラ・ザ・チャージ!」
ゴングが鳴り響く中、ローラはゆっくりと技を解いた。
ゴングの乾いた音がドームの天井に吸い込まれていくのと同時に、堰を切ったような大歓声と、それ以上に重い「歴史の目撃者」となった観客たちの溜息がアリーナを包み込んだ。
実況アナが、自身の興奮でかすれた声を精一杯絞り出すようにマイクに向かって叫ぶ。
『決着──!! 勝ったのは女王、ローラ・ザ・チャージ!! あまりにも過酷、あまりにも凄惨な奈落の底から、最後の最後にその指先で勝利の糸を掴み取ったのは若き女王でありました!! しかし、なんという試合、なんという結末か……!』
放送席のハーレクインは、いつもの優雅な姿勢を忘れ、机に両手をついたままリング上から目を離せずにいた。その美しい顔には、驚愕と、そして敗者への畏怖が混ざり合った複雑な表情が浮かんでいる。
『……信じられないよ。ローラが、あの完璧な彼女が、試合終了のゴングを聞きながらあんなに肩を荒くして、涙に頬を濡らし、腫れ上がった首を抑えて立っているなんて』
ハーレクインの言葉に、キンタロウは深く、重く頷いた。
『技術、戦術、凶器、そして己の肉体を砕く狂気。ガータ御子柴というレスラーのすべてが、ローラを「完璧な若き女王」から一人の「戦士」に引きずり下ろした。最後の「チェーン・アビスキャット・ドライバー」の着弾場所がほんの少しズレていたら、勝利できていたかもしれない。だが、勝負にもしもはない。勝利を引き寄せ掴んだのはローラ・ザ・チャージだった。厳しいようだが、それも含めての実力だ』
実況アナが興奮を繋ぐように、画面に映し出される両者のディテールを言葉にしていく。
『まさにキンタロウさんのおっしゃる通りギリギリの戦いでありました! 勝者であるローラ・ザ・チャージの首元には今も生々しくチェーンの痕が刻まれております! そして敗れたガータ御子柴は意識を失いながらも、最後までギブアップの意思を示しませんでした! ドームを包むこの拍手は、勝者への賛辞か、それとも奈落の牙を示した野良猫への畏怖か!?』
『両方さ』
ハーレクインが小さく、しかし確かな声で言葉を添えた。
マットに転がったまま動かない御子柴を見下ろし、ローラは涙を拭って一つ、深い息を吐いた。
女王は決勝へと進む。そして、控室のモニター越しにその背中を見つめるのは、戦友の無念を想い、拳を握りしめる三郎太の瞳だった。御子柴の壮絶な戦いぶりが、彼の魂に、決勝戦という名の戦場に──最後の、そして最大の火種を投げ込んだのである。