「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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番外話 その手に掴んだものは?(その2) の巻【エキシビジョンマッチ「フェルナンド&アーデルハイトVSビアンカ&エリオット」】

 観衆が放つうねるような熱狂をさらに煽り立てるように、放送席から興奮に満ちたアナウンサーの絶叫が響く。

『試合序盤から激しい攻防です! フェルナンド・デ・レオンが見せた「カポーテ・ピルエット」の高度な返し技の技巧を、ビアンカ・ディ・スペッキオが完全に模倣! だが、アーデルハイト・フォン・シュタール怯まない! 不落城塞の異名は伊達ではないと、逆に「リッター・シルト」に捕えて締め上げる! しかし、させじとエル・ザ・スターセイバーが「リバース・スタナー」で救出! めまぐるしい闘いが繰り広げられております!』

 マイクを握り締め、息継ぎすら忘れたかのような凄まじい早口で状況をまくしたてる実況に対し、その隣の解説席に座るキンタロウは、腕を組みながら冷静かつ重厚な声でリング上の事象を的確に分析していく。

『少し見ただけで恐るべき精度だな、あれは模倣というレベルを越えている。「鏡のビアンカ」という呼び名以上に脅威と言える。ただ、アーデルハイト嬢の防御力に対しては思ったほどの効果を上げられていないようだね。ウェイト差もあるが……明らかに防御力が異常だ』

 相手の技を一瞥しただけで自身の肉体を通して完璧に再現してみせたビアンカの底知れぬポテンシャルを称賛しつつも、キンタロウの目はハイジの常軌を逸した防御力に向いていた。喉元への鋭い地獄突きをまともに受けても微塵も動じないその肉体には、驚愕する他ない。しかし、キンタロウのその真面目な解説を受けた実況アナウンサーは、興奮のあまり言葉のブレーキを踏み外してしまった。

『まったくです! 恐るべしアーデルハイト・フォン・シュタール! 一回戦でボーティス神宮寺相手に「いやぁ~ん♡」とか言ってギブアップした乙女と同一人物とは思えません!』

 その無遠慮極まりない一言がドームのスピーカーから放たれた瞬間、放送席の空気が一瞬にして凍りついた。誇り高きドイツの貴族が、過去の試合で全身の弱点を執拗にまさぐられ、あられもない嬌声を上げて屈服させられたという、彼女にとって最大級のトラウマとも言える黒歴史。それを観衆の前で、しかも公共の電波に乗せてこれ以上ないほど無邪気に掘り返すというアナウンサーの暴挙に、温厚なキンタロウでさえ顔を引きつらせ、冷や汗を拭いながら窘めるしかなかった。

『その、なんだ。やめてさしあげよう……』

『アッハイ。さて、リング上ではエル・ザ・スターセイバーとアーデルハイト・フォン・シュタールの豪快なパワー勝負が繰り広げられております!』

 実況が慌てて咳払いをして強引に話題を切り替えた通り、リング中央では規格外の筋肉と筋肉がぶつかり合う、純粋で暴力的な力の応酬が展開されていた。

 

 エルは、女子でありながら男子の自身とほぼ同等の質量を持つハイジに対し、真っ向から組み付いた。レスキュー隊員時代に幾多の命を救ってきたその丸太のように太い腕を彼女の胴に深く回し、強靭な下半身のバネと背筋力を一気に爆発させる。「白亜の城塞」を、持ち前の絶対的なパワーで強引にマットから引き抜き、そのまま空中で反転させて、自身の体重を重しのように浴びせかけながら、豪快なパワースラムでマットへ叩きつける。腹の底に響くような重低音が鳴り、リングのキャンバスが激しく波打った。

 しかし、ハイジは背中から叩きつけられた衝撃を吸収するかのように、すぐさま起き上がろうと身をよじった。その驚異的な防御力に対し、エルは感嘆しつつも休む間を与えない。起き上がりかけたハイジの太い腕を掴んで引き寄せ、自身の肩に担ぎ上げる。そして、そのまま後方に倒れ込むようにして、再び背中からマットへと容赦なく叩き落とすファイヤーマンズキャリー・ドロップを炸裂させた。

 巨体が連続してマットに沈む光景に、観客席からはどよめきに似た歓声が湧き起こる。だが、ハイジは痛みを堪えて顔をしかめながらも、プライドを傷つけられたことへの燃え盛る怒りを原動力にして、なおも立ち上がる。その双眸には、明確な殺意に近い闘気が宿っていた。エルの猛攻を耐え抜いたハイジは、無防備に立ち塞がるエルの顔面に向かって、その長く太い脚を容赦なく振り抜いた。巨大な丸太そのものが破城追代わりに叩きつけられたかのような、強烈極まりないビッグブーツ。エルの頬を的確に打ち抜いたその一撃は、重戦車のようなアメリカの英雄の巨体を大きくのけぞらせ、脳を激しく揺らす。

 たまらず数歩後ずさったエルの背後へと回り込むと、ハイジはその太い胴回りに自身の腕をガッチリと回し、強固なクラッチを組む。そしてそのまま、裂帛の気合いと共に、美しいブリッジを描いて後方へと反り投げた。為す術もなく宙を舞い、首の付け根から脳天にかけてマットに深々と突き刺さるエル。美麗なフォームと凄まじい筋力から放たれた、ハイジのジャーマン・スープレックスだ。

 互いの意地と体力が真っ向から削り合う、一歩も退かない意地の激突に、東京ドームのボルテージは熱狂の渦となって渦巻いていた。

 

────────────────────

 

 そんなリング上の狂騒から離れ、外の喧騒が遠い波音のようにしか聞こえない、消毒液の無機質な匂いが漂う静寂に包まれた医務室のベッドで、一人の少女が静かに身を起こしていた。

 シロオニ・ベス。本戦準決勝で愛する男との死闘を繰り広げ、その末に敗れ去った彼女は、至る所に包帯を巻かれた痛々しい姿でありながらも、その凛とした美しい顔立ちと気高い眼差しには、敗北者特有の翳りなど一切見られなかった。

 そこへ、コンコン、という無遠慮で乱暴なノックの音と共に、医務室の重い扉が勢いよく開かれる。

「しっつれいしやーす」

 ぞろぞろと足音を立てて入ってきたのは、ドアの枠を完全に埋め尽くさんばかりの筋骨隆々とした三人の巨漢、「オニガシマ・ブラザーズ」ことバカオニ三兄弟であった。全米で五指に入る強豪レスラーであり、長兄であるアカオニ・トムが、ドカドカと遠慮のない足取りで先陣を切って部屋に入る。医務室の責任者である永久寸医師とココアシガレットを咥えた女医が胡乱げに視線を向けるが、トムの会釈を見て、ベスの面会者と察したのだろう。それ以上の詮索はしない。

「よーす」

 それに続くのは、次兄でありインテリジェンスファイターを自称する策謀家、アオオニ・マイク。どこか人を食ったような薄笑いを浮かべ、飄々とした態度で軽く手を挙げた。

「ヘーイ、ベス! ゴキゲンな試合、見せて貰ったぜ。……随分なハンサムガールになったじゃねえか!」

 最後に、黒いライダースーツに身を包んだアウトローの三兄、クロオニ・ジョニーが、英語交じりの口調で医務室には場違いなほど陽気な声を張り上げた。ベッドの上で一人静かに己の戦いを反芻していたベスは、突如として雪崩れ込んできた肉親たちの騒々しさに微かに眉をひそめ、冷ややかな視線を三人に向けた。

「兄様がた……。なんですか? 妹の敗戦を笑いにでも来ましたか?」

 その声には、卑屈さなど微塵もない。むしろ、孤高のプライドを逆撫でされたことへの不快感と警戒心がはっきりと滲んでいた。

「お、堪えてるのかい?」

 マイクが面白がるようにニヤリと笑う。妹の張り詰めた態度をからかうような次兄の言葉に、ジョニーがさらに豪快な笑い声を重ねた。

「HAHAHA! 表現が悪かったなソーリー! 愛する男との死闘の傷なら勲章も同然かと思っただけさ!」

 ジョニーのあっけけらかんとした、しかし核心を突いた物言いに、ベスは小さく息を吐き、その手を己の包帯が巻かれた頭部へそっとあてた。

「……それはそうです。彼こそが私の最大の敵。今回は力が及ばなかったとは言え、恥じる所はありません」

 それは嘘偽りのない、彼女の真っ直ぐな本心だった。持てる力のすべてを出し切り、それでも愛する敵に一歩及ばなかった。その事実を彼女はすでに静かに受け入れ、己の魂をより高みへと導くための糧として昇華させているようだった。

 しかし、そんな妹の美しい自己完結を、長兄のトムが身も蓋もない冷酷な正論で真っ向から叩き割る。

「周りをしっかり見て戦ってりゃ勝てたのにか?」

「うぐっ……!?」

 ベスの肩がビクンと跳ね上がり、痛々しいほど白い顔がサッと朱に染まった。実力が劣っていたわけではなく、ただ己の視野の狭さとリング上の状況に対する不注意という、プロレスラーとしてあまりにも初歩的なミスが敗因であったという、目を背けたくなる事実。そう、あの「W.O.X.B.(ホワイト・オーガ・クロストゥーム・ボム)」をもう一歩前の位置で出していれば、三郎太はロープへ届かなかったのだ。それを容赦なく指摘されたことで、ベスは反論の言葉を完全に失い、喉の奥から情けない呻き声だけを漏らした。

 図星を突かれて完全に沈黙し、ベッドの上で小さくなってしまった妹の様子を見て、マイクが苦笑交じりにトムとベスの間に割って入った。

「ま、まぁまぁ、兄さん。彼女自身もよーくわかってるみたいだし、その辺で」

 策謀家である次兄は、妹のプライドが長兄の言葉によってこれ以上粉々に粉砕される前に、わざとらしく両手を振ってその場の空気を取り成した。長兄であるアカオニ・トムは、次兄の言葉に不満げに鼻を鳴らすと、腕を組んだまま鋭い視線を下へと向けた。

「フン……。ま、いーがな。……で、ベスよ」

 巨漢の兄から静かに名を呼ばれ、ベスはベッドの上で居住まいを正した。

「はい。何ですか上兄様?」

「これで終わんのか?」

 短く、しかし鉛のように重い問いだった。それは単にEQT(アース・クェイク・トーナメント)という大会での出番が終わったことを確認しているのではない。準決勝という大舞台での最高のリベンジマッチの機会をもってしても勝利を得られず、三郎太相手に再びの敗北を喫した。その事実をもって気持ちにケリをつけ、愛する敵への執着をここで捨てるのか、そう問いかけているのだ。

 ベスは包帯の巻かれた顔を上げ、かつてなく力強い、闘志に満ちた眼差しで真っ直ぐに見返した。

「冗談! この程度で諦める程、私はヤワに育てられた覚えはありませんよ」

 鬼の末裔としての強烈な誇り、そして何より、三郎太という最大の敵にして愛する男と全力でぶつかり合ったことで得た確かな魂の熱。それが彼女の言葉に揺るぎない重みを与えていた。

 その淀みない答えを聞いたトムの厳つい顔に、微かに満足げな色が浮かぶ。

「だろーな。だから、ホレ」

 トムは無造作に自身の懐へ丸太のように太い腕を突っ込むと、何かを取り出し、ベッドに腰掛けているベスに向けて無言で放り投げた。

「!」

 ふわりと弧を描いて飛んできたそれは、ベスの腹部にポスッと軽い音を立ててぶつかり、シーツの上に転がった。ベスは目を丸くして、その小さな物体を手に取る。

「……なんですか、このどことなく手作り感漂う拙い作りのお守りは?」

 それは布切れを粗末な糸で縫い合わせたような、いかにも簡素なお守りであった。威圧的なヒールレスラーである兄には、到底似つかわしくない代物である。怪訝な顔をする妹に対し、トムはわざとぶっきらぼうな声を出した。

「そいつは貸してやる」

「は?」

 意味がわからず首を傾げるベスに、トムは一歩近づき、眼光を鋭くして言い放った。

「いいか、貸してやるだけだ。お前が定めた『最大の敵』を……三郎太のヤツを仕留めてモノにできたなら、返しに来い。挨拶も兼ねてな」

 その言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要した。それはつまり、彼女が敗北から立ち上がり、再び強くなって三郎太を手に入れることを、兄として正式に認めるという不器用なエールであり、祝福であった。さらに言えば、三郎太を認めてやらんでもないという、最上級の容認の証である。

「あ……! はい!」

 ベスの白い頬がカッと熱くなり、歓喜と決意が入り交じった声が弾んだ。その初々しい妹の反応を見て、部屋の隅で壁に寄りかかっていた三兄のクロオニ・ジョニーが、ニヤニヤと笑いながらヒュウと陽気な口笛を鳴らした。

 照れ隠しのように顔を背けたトムは、ドスドスと床を揺らすような重い足音を立てて、そそくさと医務室の扉へ向かった。ジョニーも肩をすくめ、軽快な足取りでそれに続く。

 

 冷たい蛍光灯に照らされた無機質なドームの地下廊下に出た途端、ジョニーは前を歩く巨大な長兄の背中に向かって声をかけた。

「ヘイ、トーム! 渡したのはいつかモモタロウから貰ったってお守りだよな、たしか?」

「ああ」

 トムは歩みを止めず、前を向いたまま短く肯定した。ジョニーはライダースーツのポケットに両手を突っ込み、不思議そうに眉を寄せる。

「……らしくもないじゃねえか? 三郎太のヤツを認めたくねえってついこないだまでブツクサ言ってたのはアンタだろ? そいつが一体どうした風の吹き回しだい?」

 愛する妹の心を奪った日本人レスラーに対し、トムはつい先日まで苛立たし気に愚痴を撒き散らしていたはずだった。その心境の急激な変化の理由を問われ、トムは忌々しそうに頭を掻きむしった。準決勝でのベスとの試合を見たから。もちろんそれが一番の理由ではある。だが……。

「うっせえなぁ。ベスのヤツが目をつけたのがもしモモタロウだったらって考えたら、まだしもマシだなって思っただけだ」

 その言葉を聞いた瞬間、ジョニーの脳裏に、かつてオニガシマブラザーズが付け狙い、幾度となく試合でぶつかりあった男が思い起された。規格外の強さと底抜けに傍若無人な明るさで周囲を振り回していた、あの恐るべき太平プロの……いや「日本の英雄」とも言える覆面プロレスラー。もしも、モモタロウがベスの肩を馴れ馴れしく抱き寄せ、「ヨロシク! 義兄さんたち!」と満面の笑みで挨拶に来る光景。それはどんな地獄のデスマッチよりも恐ろしい、身の毛もよだつ悪夢であった。

「オウ……」

 想像しただけで背筋に冷たい汗が伝い、屈強なジョニーの巨体がブルリと大きく身震いする。

「そ、そりゃジョーダンきついぜ、トーム……」

 心底同意するように顔を引きつらせたジョニーは、三郎太という存在がいかに常識的で平穏な相手であるかを痛感し、長兄の妥協的判断に深く頷くしかなかった。

 

 一方、二人の兄が騒がしく去った後の医務室には、次兄のアオオニ・マイクが一人だけ残っていた。彼は閉まった扉を呆れたようにねめつけ、大きなため息をつく。

「……ウチの兄妹はどいつもこいつも脳筋すぎるっ!」

 インテリジェンスファイターを自称する彼からすれば、感情と筋肉だけで行動する家族たちの暑苦しさは、頭痛の種だ。ベッドの上で大切そうにお守りを握りしめていたベスとて例外ではない。自覚のある彼女は次兄のぼやきに苦笑しながら同意する。

「……まぁ、否定はしにくいわね」

 マイクは肩をすくめ、普段の飄々とした態度とは少し違う、兄としての穏やかな視線を妹へ向けた。

「聞いたところで無駄な事なんかボクは聞かないからな。ベス……日本へ来て、ここまでの日々、楽しかったかい?」

 それは、戦績やプロレスラーとしての成長ではなく、ただ一人の少女としての幸福を問う、温かな響きを持っていた。ベスは迷うことなく、満ち足りた表情で微笑む。

「えぇ……もちろん。楽しき闘いの日々です」

 全身に刻まれた傷の痛みも、敗北の悔しさも、すべてが彼女の人生を彩る眩い光であった。そしてそれはいまだ続いている。そう宣言する妹の充実した顔を見て、マイクは顔を背けながらも一つ頷く。

「……ならいい。スマホすら持ってないんだから手紙でもなんでもいいけど、連絡くらいはたまに寄越しなよ。以上だ」

 言い残し、マイクもまた背を向けて扉へと歩き出す。機械に疎く、いまだに前時代的な生活を送っている妹への気遣いであったが、ベスはその言葉にムキになって声を張り上げた。

「ス、スマホくらい買います! 美樹と大会終了後、買いに行く約束だってしました! バカにしないでください!」

 妹の元気な反論に、マイクは扉を開けながら、背中越しにヒラヒラと手を振って医務室を後にした。

 

 嵐のように騒がしく入ってきて、言いたいことだけを言って去っていった三人の兄たち。しんとした静寂が戻った医務室で、ベスはその余韻を噛み締めるように、両手で顔を覆って静かに微笑んだ。

「……認め、られたのですね、私」

 子供扱いではなく、一人の鬼として、戦士として。そして、自らの道を切り拓く一人の女性として。家族からの不器用な愛情と承認は、敗北でほんの僅かに沈んでいた彼女の心を、温かい泉のように優しく満たしていった。美しい感動の涙が込み上げてきそうになった、まさにその時である。

「どーでもいいけどさ、全部目の前でやられると……なんつーかコメントに困るニャ」

 静寂を切り裂くような、ひどく間の抜けた、しかしどこか刺のあるぼやき声が、すぐ隣から聞こえてきた。

「うげっ!?」

 ベスは弾かれたように半ばほどまで中途半端にカーテンで仕切らていれた隣のベッドへと顔を向ける。そこには、準決勝第二試合でローラとの壮絶な闘いの果てに敗北した「ガータ御子柴」の姿があった。ベスにとって不倶戴天の仲と言っていい間柄である彼女は今、首に深刻なダメージを負い、太い医療用カラーを巻かれたまま、リクライニングで上体を起こしたベッドにまるでミイラのようにあちこち包帯で覆われた姿で固定されている。

 彼女の存在を完全に忘却していたベスは、顔を真っ赤にして狼狽する。

「忘れてた!?」

 首を動かせない御子柴は、視線だけをギョロリと動かしてベスをねめつけた。

「なんだ、いい兄貴たちみたいで結構なことで」

 家族の感動的なやり取りから、三郎太への想いを容認されるくだりまで、一から十まで特等席で見せつけられていた御子柴の呆れ顔に、ベスは羞恥で全身から火が出そうになる。

「う、うるさい。ほっといて下さい!」

 枕元のシーツを握りしめて威嚇するベスに対し、御子柴は首を固定された不自由な状態でありながらも、一歩も引かずに凄みを利かせた。

「バッカモーン! ウチの三郎太はそう簡単ニャ婿にはやれないニャ! 調子に乗るんじゃないニャ!」

 同じ男の背中を追う恋のライバルからの横槍。まるで頑固な親父のような物言いに、ベスは目を丸くして呆れ果てる。

「『お父さん』か何かですか」

 満身創痍の少女二人が繰り広げる、病室でのささやかな口喧嘩。東京ドームの熱狂から切り離された静かな医務室にも、確かな未来へ向かう活気が満ちていた。

 

────────────────────

 

 熱狂の渦が渦巻く東京ドーム。その中心にあるリング上では、両チームの意地と体力が激しくぶつかり合う攻防が続いていた。特設の実況席からは、アナウンサーの興奮しきった声が絶え間なく響き渡る。

『さぁ、リング上では再びアーデルハイト・フォン・シュタールとビアンカ・ディ・スペッキオの戦い! アーデルハイト・フォン・シュタールの攻撃を片っ端から「カポーテ・ピルエット」を思わせる技術でさばきつつ、捕まるのを警戒してか、一定の間合いを保ち続けております!』

 巨躯のハイジが繰り出す重戦車のような攻勢に対し、ビアンカはフェルナンドから完璧に模倣した闘牛士のステップで幾度となくその軌道をかわし、カウンターを合わせ続けていた。しかし、決定的なダメージには至らない。解説のキンタロウが、その異様な光景に感嘆の息を漏らす。

『もう四回も迎撃を受けているわけだが……。自慢のパワーをそのまま返されているも同然、いかに防御自慢でも効かないはずはない。アーデルハイト嬢のスタミナとタフネスは大したものだな』

 通常であれば、自らの突進力を利用されたカウンターを四度も受ければ、いかなるレスラーであってもフラフラになって当然だ。だが、白亜の城塞は揺らぐことなく、不敵な笑みすら浮かべてリングに力強く立っていた。

 対照的に、間合いを取って荒い息を吐くビアンカの白い肌は、汗まみれで濃い疲労の色に染まっていた。

「はぁ……はぁ……! 何度試しても無駄です。なのに、なぜ平然としているの?」

 一切の感情を交えず、ただ合理的に相手の動きを真似て効率的にダメージを与え続けてきたビアンカにとって、目の前の光景は理解の範疇を超えていた。物理法則に基づくダメージの蓄積は確実にあるはずなのに、ハイジの闘気は全く衰えていない。

 その疑問に対し、ハイジは豊かな胸を大きく上下させて呼吸を整えながら、誇り高く言い放った。

「フゥ……ッ! フゥ……ッ! 貴族の矜持と言いたいところだが……フッ、愛よ!」

「何故そこで愛ッ!?」

 常に平坦で機械的だったビアンカの声が、初めて大きく裏返った。物事を深く考えない彼女の思考に、脈絡もなく「愛」という全くの非論理的要素が突如として叩きつけられたからだ。

「我が軍師となるべき男にみっともない姿のデータを渡したくないのでな……!」

 一回戦で自分を屈服させた憎き、そして愛しき軍師、ボーティス神宮寺。彼の知略に心底惚れ込んだハイジは、彼が常に自分の戦いを観察し、データを収集していると確信していた。その愛する軍師の記録に、自分がただの力任せの女として無様に這いつくばる姿を残すことなど、女としてのプライドが絶対に許さなかったのだ。その常軌を逸した執念こそが、彼女の常以上のタフネスの正体であった。

「言ってる意味が全然わからない!?」

 主体性を持たず、ただ師匠の指示に従うだけの「鏡」であるビアンカには、他者への強烈な執着から生み出される無限のエネルギーの理屈が全く理解できなかった。だが、理屈はどうあれ、このまま消耗戦を続ければ、ウェイトとスタミナで劣る自分がいずれ押し潰されることは想像に難くない。ビアンカは青コーナーの控えに立つエルへとチラリと視線を送る。

(次の返し技で、仕掛けます)

 一切の言葉を発することなく、視線の交錯だけでツープラトンの合図を送る。レスキュー隊員として極限の現場で仲間たちと阿吽の呼吸を培ってきたエルは、その微かな目の動きだけでビアンカの意図を完全に読み取り、静かにリングインの準備を整えた。

「よそ見をしている余裕があるの? 受けよ! 貴き一撃!」

 愛の力を証明せんとばかりに、ハイジがキャンバスを蹴立てて突進してくる。その豪腕が、ビアンカの細い首を刈り飛ばすべく、ラリアットで横薙ぎに振り抜かれた。

「……ッ!」

 ビアンカは恐怖に目を細めることもなく、極めて冷静に身を屈めた。頭上スレスレでハイジの腕が空を切る。ここまでは先ほどと同じ、かわしてからのカウンターの歩法だ。だが、ビアンカは背後へ回り込むのではなく、ハイジの懐の真下から、バネのように一気に上体を伸び上がらせた。

「シッ!」

 呼気と共に突き上げられたのは、フェルナンドの地獄突きの応用であった。相手の喉元へ突き下ろすベクトルを反転させ、下から上への強烈な掌底打ちへと変換する。狙い澄ました一撃が、突進の勢いで前のめりになっていたハイジの顎先を正確に打ち抜いた。

「ぬぐ……き、貴様ノドではなく顎を……ッ!?」

 どれほど鍛え抜かれた筋肉と柔らかな脂肪の複合装甲で覆われた肉体であろうと、顎への直撃による衝撃の伝達による脳の揺れは防げない。ハイジの巨体がグラリと大きく泳ぎ、その両足がおぼつかなくなるほどの隙が生まれた。その一瞬の空白を、ビアンカは捕まえる。

「くぅっ……ッ!」

 上体が泳いだハイジの懐に深く潜り込んだビアンカは、自身の華奢な肩をハイジの太い胴回りにねじり込み、両足を踏ん張った。圧倒的なウェイト差。通常であれば、ビアンカの細い腕力と脚力で持ち上がるはずのない質量である。しかし、彼女は相手の重心が浮き上がった一瞬のタイミングと、自らの全身のバネを極限まで連動させることで、執念でその巨大な城塞をファイヤーマンズキャリーの体勢で自身の肩の上へと担ぎ上げてみせた。

 赤コーナーでそれを見ていたフェルナンドが、信じられないものを見るように目を見開く。

「何だと!? あのウェイト差でアーデルハイトを担いだだと!?」

 しかし、担ぎ上げたとはいえ、ビアンカの細い脚は悲鳴を上げ、今にもその重圧に押し潰されそうに震えていた。そのまま投げ落とす力は残されていない。だが、彼女には頼もしい相棒がいた。

「いまだっ、ビアンカ! うおおおおおッ!!」

 不正規リングインによってエルが、猛烈なスピードで二人の元へ駆け込んでくる。エルはビアンカの肩の上でバランスを崩しているハイジの胴体を、自らの太い両腕で強固にクラッチした。エルの分厚い筋肉から生み出される絶対的なパワーと、ビアンカが後方へと倒れ込む重力加速度の融合。

 

 ──ビアンカのファイヤーマンズキャリー・ドロップと、エルのパワーボムが完全に一体化した、戦慄のツープラトン攻撃「ファイヤーマンズ・パワーボム」がさく裂した。

 

「バカな……ぐはぁッ!?」

 二人の力が乗った強烈極まりない落下の衝撃が、ハイジの背中から脳天にかけて深々と突き刺さる。落雷のような轟音がドーム内に響き渡り、巨大なリングのキャンバスがトランポリンのように大きく跳ねた。

『出たぁ、ツープラトン! 鏡姫ビアンカがドイツの不落城塞を担ぎ上げ、エル・ザ・スターセイバーがそれをパワーボムで叩き落とす! 見事なツープラトン攻撃だぁ!』

『素晴らしい連携だね。ビアンカ嬢のパワー不足をエル君が完全に補った。あのアーデルハイト嬢の鉄壁の防御を一撃の威力で上回った。これは効いているな』

 放送席の二人が感嘆する中、ビアンカはそのまま仰向けになったハイジの巨体に覆いかぶさり、ガッチリと抑え込んだ。

 レフェリーがマットに滑り込み、右手を大きく振り下ろす。

「ワン!」

 観衆が、そのカウントに合わせて声を張り上げる。

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