「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

93 / 93
番外話 嵐を呼ぶ感謝祭!? の巻(前編)【太平プロ特別興行、エキシビジョンタッグマッチ「シロオニ・ベス&オーガキッド茨木VS宮川三郎太&ジェームス美樹」】

 夏の陽気が外を焦がす中、その日の太平プロレスの応接室は別の意味で異様な熱気に包まれていた。

「どうか、無理を承知で伏してお願いします!」

 コンクリートの床に額を擦りつけるようにして、見事な土下座を披露しているのは、太平プロレスでメインレフェリーを務めるマーサ茨木であった。普段の彼は、割と軽いノリで試合の裁定を行う、良くも悪くも太平プロレスらしいレフェリングを行う男だ。危機を察知しての逃げ足が速いことで知られているものの、強面レスラーに凄まれただけで竦み上がり、打たれ弱く、時には巻き添えを食らってあっさり気絶することも珍しくない。そんな男が、今は悲壮な覚悟で平伏していた。

 その常ならぬ光景を前に、明るい色の茶髪をふわふわのフェザード・ヘアにまとめた松平美樹は、困ったように頭を掻いていた。彼女は太平プロレスの団体社長令嬢であり、時に自身も女子プロレスラーとしてリングに立つ身ではあるが、今日はフロントとしての立場でこの場に立っている。

 そして、土下座の矛先を向けられているのは、米国からやってきた女子プロレスラー、本名エリザベス・オニデスキーことシロオニ・ベスであった。

 

 事の発端は、近く開催される太平プロレスのファン感謝祭に関するある抽選であった。感謝祭を盛り上げるためのネタとして用意された「1日プロレスデビュー権」の抽選が行われたのだが、見事その権利を引き当てたラッキーなファンは、なんと目の前で土下座しているレフェリー、マーサ茨木氏の愛娘だったのである。

「子どもの相手なんてしたことないのに……」

 ベスは心底困惑した様子で呟く。強敵たちとの死闘や流血戦を繰り広げてきた「白鬼」ではあるが、その立場はオニガシマブラザーズの末妹。もっぱら面倒を見られる側として育ってきた彼女は他の子どもの面倒などついぞ見た事がない。正直に言えばどう扱っていいかわからなかった。

 しかし、マーサ茨木は引かない。

「そこをなんとか! これを。娘の手紙です」

 震える手で差し出された可愛らしい封筒を、ベスは躊躇いながらも受け取った。中から引き出した便箋には、こどもらしい大きな文字が並んでいた。

『ベスさまがいちばん強くて、いちばんかっこいいから、いっしょにリングに上がりたいです! 茨木ひいこ』

 その純粋な手紙を見た瞬間、ベスは何とも言えない感慨を抱いた。絶対的な強さに焦がれて突き進んできたベスだが、この小さな少女はそのベスという存在に憧れを抱き、リングという舞台を夢見ているのか。その想いを否定するのはベスにとって矜持に反する行いと言っていい。

「グムゥ……」

 ベスは低く唸り声を漏らした。普段は丁寧な口調の裏に苛烈さを秘める彼女だが、この純真無垢な願いを前にしては、白鬼の牙など何の役にも立たない。傍らで見ていた美樹が、小さく微笑んだ。美樹にとっても、ファン感謝祭というイベントでファンの夢を叶えることは、団体にとって大きな意味を持つと理解していたのだ。

 「シロオニ・ベスとタッグを組みたい」というのが、自身の大ファンであると言う彼女のたっての希望というのなら、その願いを無下にすることはできない。そうこうして手続きや準備など紆余曲折の末、ベスはこのエキシビジョンタッグマッチに出場することとなったのである。

 

────────────────────

 

 ファン感謝祭の当日、太平プロレスの選手控室は、いつもとは全く質の異なる騒がしさに包まれていた。普段であれば、試合直前のレスラーたちが支度しながら鋭い殺気と緊張感を漂わせている場所である。しかし今日この時ばかりは、まるで写真館か小学校の演劇の舞台裏のような、何とも言えない緊張感に欠ける空気が漂っていた。

 シロオニ・ベスは、自身の目前の狂騒に、戸惑いを隠せない。

「ベスさまーっ! 見て見てーっ!」

 パタパタという頼りない足音とともに、全身で「歓喜」を表現しながら駆け寄ってきたのは、本日「1日プロレスデビュー権」を行使してリングに上がる8歳の少女だ。

「……っ!?」

 あまりの無防備な突進に、転ぶのではないかと恐れたベスは、思わず半歩後ずさりして身構えてしまった。自分より遥かに小さく、無条件の憧れを瞳に宿して飛び込んでくる「子供」という存在は、ベスにとって未知の怪獣も同然だ。

 しかし、少女はベスの下へ飛び込むのではなく、その目の前でピタリと止まると、両腕を広げてその場でくるりと一回転してみせた。

「どうかな、ベスさま? かっこいい鬼さんだよ!」

 胸を張って満面の笑みを浮かべる彼女のコスチュームは、まさに本日この日のために誂えた特別仕様であった。フリル飾りが施された可愛らしい虎柄のワンピース。その胸元には、あえてスクール水着を思わせる四角く白い布が縫い付けられており、そこには油性マジックで大きく「いばらき」とひらがなで書かれている。頭には柔らかいスポンジ素材で作られた、短い二本のツノがついたヘアバンド。そして足元には、茨の蔦(つた)模様が可憐にあしらわれた、小さなショートリングシューズが輝いていた。

「……あ、あの……とても、可愛らしいですね、ひいこちゃん……」

 普段の苛烈で冷徹な口調はどこへやら、ベスは両手を胸の前で手持ち無沙汰に泳がせながら、ぎこちない笑みを浮かべるのが精一杯だった。内心ではこの愛くるしい生物を、本当に過酷なリングの上に連れて行ってよいのかと、激しい葛藤と狼狽が嵐のように吹き荒れている。

 だが、ベスの困惑など一切お構いなしに、控室の空気を激しく切り裂く異音が響き渡った。

 

 ──カシャシャシャシャシャシャシャッ!

 

 プロのカメラマンもかくやという凄まじい連続の電子シャッター音である。

「素晴らしい! 最高だひいこ! ああ、神様仏様ベス様! ちょっとそのまま! そのままの体勢でいてください! ひいこ、もう少しベスさんにくっついて! そう、ベスさんの脚に抱きつく感じで! はい、目線こっち! 笑顔! 天使! まさに舞い降りたエンジェル!!」

 鬼なのか天使なのかはっきりしろ。そこにいたのは、デジカメを構え、地べたを転がるのも厭わず、様々な角度からファインダーを覗き込む男──太平プロレスのメインレフェリー、マーサ茨木であった。その瞳に浮かぶ親バカの情熱に、本日別の試合に出る御子柴がドン引きした様子で皮肉すら口にできず、たじたじと距離をとって練習生やサチとヒソヒソ話をしている。

「ちょっと! お父さんいい加減にして!」

 その空気を敏感に感じ取ったのか、窘めるのはつば広の帽子を両手に持った大人しい洋服姿の女性、彼の妻でありひいこの母親であった。彼女は怒りで肩を震わせながらマーサ茨木の首根っこを掴み上げると、ベスや周囲のレスラーたちに向かって深々と頭を下げた。

「ベスさん! 皆さん! 本当に、本当に申し訳ありません! うちの人が舞い上がってしまって……!」

「あ、いいえ……あの、お気になさらないでください……」

 あまりの平身低頭ぶりに、ベスはかえって恐縮してしまい、思わず丁寧語で手を振った。

「何言ってるんだ母さん!」

 マーサは頭を押さえながらも、デジカメをしっかりと死守して叫んだ。

「一生に一度の愛娘の大舞台だぞ!? この一枚一枚が我が茨木家の歴史的財産なんだよ! ほらベスさん、すみませんがもう一枚! できれば少し微笑んでいただけると、ひいこの宝物になりますので!」

「あなたという人は本当に……っ! いい加減になさい!」

 妻が再びマーサの耳を引っ張るその夫婦漫才のような光景の横で、ひいこは「えへへ」と無邪気に笑いながら、ベスの衣装の裾をチョンチョンと引っ張った。

「ベスさま、べすさま」

 ベスが慌てて屈み込み、目線を合わせる。

「は、はい! なんでしょうか、ひいこちゃん?」

 ひいこは小さな手を伸ばすと、ベスの手をギュッと両手で包み込んだ。

「ひいこね、ベスさまみたいに、つよくて、カッコいい鬼さんになりたいの。きょうは、ベスさまのあし引っ張らないようにがんばるね!」

 そのまっすぐで純粋な瞳。手紙に書かれていた拙くも温かい言葉。それが目の前の少女の口から直接放たれた瞬間、ベスの胸の奥で何かが温かく、そして激しく震えた。

「……っ」

 ベスは深呼吸をし、自分の中に渦巻いていた迷いや困惑をすべて吐き出した。そして、普段の苛烈さを完全に封印し、極上の柔らかい微笑みをその美貌に浮かべた。

「大丈夫ですよ、ひいこちゃん。あなたは脚を引っぱるどころか、私の立派なパートナーです」

「うんっ!」

 ひいこがパッと花が咲いたような笑顔を見せる。その瞬間。

 

 ──カシャッ!

 

「撮れたぁぁぁぁ! 神ショットォ! これ額縁に入れてリビングに飾ろう!」

「あなた!」

 ついに堪忍袋の緒が切れた妻が怒号とともに蹴り倒し、マーサが地べたに転がる。親御さんの暴走に圧倒されつつも時計を指さしながら合図を送る練習生を目にして、ベスはひいこの頭を、優しく指先で撫でた。

「さあ、行きましょうか、オーガキッド茨木ちゃん。私たちの『大江山嵐』、初陣です!」

「おーっ!!」

 元気いっぱいの鬨の声が控室に響き渡り、親バカのマーサも慌てて妻にデジカメを渡して身だしなみを整えてレフェリングの為に通路へ飛び出していく。試合直前まで何をやっているのだこの男は。

 熱気と笑い、そしてほんの少しの緊張感を孕んだまま、二人の鬼は控室を出ると、リングへと向かって歩み出した。

 

 場内に煌びやかな入場テーマが鳴り響き、色とりどりのスポットライトが交錯する。リングサイドの放送席では、実況アナウンサーが興奮気味にマイクを握っていた。

『さぁ、太平プロのファン感謝祭特別試合、エキシビジョンタッグマッチが幕を開けようとしております。特別参加は抽選でラッキーにも「1日プロレスデビュー権」を獲得した彼女、そのリングネームは「オーガキッド茨木」!』

 その隣には、解説役として太平プロ所属の女子レスラー、ライジング雫が団体の指定トレーナーとジャージズボンというラフな出で立ちで座っていた。三郎太の後輩であり、ヒール転向や失恋を経て、三郎太に自分を焼きつける事を最優先にする新境地に目覚め、ある意味で手が付けられない「やべー女」と化している彼女は、今も鋭い視線でリングを見つめている。

 リングアナのコールに合わせて花道から姿を現したのは、威風堂々たるシロオニ・ベスと、その足元にまとわりつくように歩く小さな影だった。「オーガキッド茨木」こと、茨木碓氷子である。肩までの長さの癖っ毛の黒髪を揺らす八歳の彼女は、特別にあつらえた可愛らしい衣装を身に纏い、完璧なちびっ子鬼レスラーの出で立ちであった。

『可愛らしい水着姿ですね。ベスさんに抱き着いてご満悦の様子で。……なんでもレフェリーのマーサ茨木さんの娘さんだとか』

 のんびりと虎柄ワンピース姿の現代の茨木童子を眺めやりつつ、雫が冷静なトーンで語り、実況が相槌を打つ。

『はい。シロオニ・ベスの大ファンだそうで、今回は格別の計らいでタッグコンビ「大江山嵐」を組んで、宮川三郎太とジェームス美樹のタッグチーム「アップル・サンダー」に挑みます!』

 対角線のコーナーには、太平プロの若きエースである三郎太と、美樹のコンビが控えていた。赤プロレスパンツにリングシューズ姿の三郎太は、黒髪の短髪を揺らし、細身ながら筋肉に包まれた引き締まった肉体をリング上で軽く跳ねる準備運動で躍動させている。その隣では、赤地に黒のサイドラインが入ったワンピースレオタードに身を包んだ美樹が、黒のリストバンドとニーパッド、赤いリングシューズというコスチュームで気合いを入れていた。

 リングでは、ベスが茨木ちゃんの手を取り、優しくエプロンサイドへ引き上げ、自陣のコーナーへと誘導していた。

『あ、なるほど。これ、ベスさんを酒呑童子に、茨木ちゃんを茨木童子に見立てたタッグ名なんですね』

 雫が手元の資料に目を落としながら、タッグ名の由来に気づいて声を上げた。

『我々、長年のプロレスファンとしては、酒呑童子と言うとどうも仮面被った厳ついロシア人の酔っ払い大男を思い出しますが……まぁ、そこは言っては野暮というものでしょう。現代の大江山四天王たる新世代の鬼たちの大暴れを期待したいところです!』

 実況の言葉に、かつての激闘を知る古参のファンたちがざわめいた。ロシア出身の赤髪鬼、イワン・シュテンドルフ。常に酒をかっくらい、EQT(アース・クェイク・トーナメント)においてその3メートル近い巨体から繰り出される超パワーで、強豪レスラーたちをなぎ倒していた彼の姿は、多くの者の記憶に深く刻み込まれている。

 かつてのモモタロウとのシュテンドルフの激戦を思い出したのか、はたまた、茨木ちゃんの可愛らしい姿に庇護欲を刺激されたか、歓声が最高潮に達する中、雫がふと、マイク越しにぼそりと呟いた。

『しかし、ベスさんの大ファンとか……将来が不安なお子さんですね』

 あまりと言えばあまりな発言に、実況が慌てて窘めるように突っ込みを入れる。

『雫さん!?』

 ベスといえば、男顔負けの鬼の怪力を振るう戦闘狂、世界大会EQTではベスト4まで勝ち進み、惜しくも準決勝で三郎太に敗れたという女傑である。そんな彼女の背中を追う八歳児の将来を危ぶむ雫の言葉には、確かな実感と僅かな毒が含まれていた。

『あら、失言でした? うふふ、失礼失礼』

 雫は悪びれる様子もなく、どこか楽しげに笑い声を上げる。実況アナのジト目など気にもしていないようだ。かつての真面目な優等生だった頃の雫を知る実況アナは「どうしてこんなになっちゃったんだろうなぁ、この娘」と、マイクが拾わないよう注意しつつ、大きなため息をついた。

 

リング上では、先発する三郎太が、苦笑いを浮かべながらもファイティングポーズをとっていた。三郎太はどうやって怪我をさせずに八歳児の居るリング上でプロレスの試合を成立させるか、頭の中をいっぱいにしていた。レフェリーを務めるマーサ茨木は、娘の晴れ姿を前にしてすでに目元を潤ませており、裁定の公平性など完全にどこかへ飛んでいってしまったかのような親バカ丸出しの表情でリングの中央に立っている。ベスはコーナーで小さく跳ねるオーガキッド茨木に優しく頷きかけると、先発すべく、ゆっくりとリングの中央へと歩み出た。

 かつて極限の攻防の末に絆を深め合った二人が、今日はタッグマッチの対戦相手として、そして小さな少女の夢を叶える立役者として向き合っている。

 

 マーサ茨木が感極まった手つきで腕を高く振り上げ、場内に高らかにゴングの音が鳴り響いた。

 

 ゴングの甲高い余韻が場内に吸い込まれるより早く、リング上の空気は極限まで張り詰めた。コーナーから歩み出たベスは、アッシュブロンドを揺らしながら定石通りに組む姿勢を見せ、両手を差し出した。しかし、三郎太は、その手を真っ向から振り払う。

「今日は力比べしないッ!」

 誠実で一本気な三郎太にしては珍しく、受けて立たずに奇襲をかける。叫びと共に、振り抜かれた右肘が青く輝く闘気で覆われる。彼が得意とする打撃技、ファイナルエルボーが、容赦なくベスの胸元に突き刺さった。

「ぐぅ……ッ!?」

 瞳を見開き、たまらずくぐもった声を漏らしてベスはマットへと崩れ落ちる。だが、「白鬼」のプライドが、このまま圧倒されることを許さない。ベスは、追撃に出ようとした三郎太に対し、ダウンしていたはずの体勢から瞬時にその腕を絡め取り、立ち上がりながら逆に組み付く。

「フフ、思い通りにさせるとでもッ!?」

 情感に満ちたベスの声が響く。逆に三郎太を捕らえた彼女は、その勢いのまま得意技であるエクスプロイダーで美しい弧を描いて彼を後方へと反り投げた。

「ぐあ……ッ!?」

 背中からマットに叩きつけられ、三郎太が苦悶の声を上げる。さらに、あおむけに倒れ伏す三郎太へ向けて、流れるような動作でその場跳躍から肘を落とすベス。

「おまけですッ!」

 空中から全体重を乗せたベスのエルボードロップが三郎太の腹部に突き刺さる。

「あぐっ!?」

 肺腑から空気を吐き出し、三郎太が身体をくの字に折り曲げた。ベスは追撃の手を緩めず、ダウンする三郎太の黒髪の短髪を無造作に掴み、強引に引き起こそうとする。だが、三郎太もただでやられるばかりではない。

「なんのまだまだっ!」

 髪を掴まれた状態から瞬時にベスの手首を極め返し、見事なアームホイップで彼女の身体を投げ飛ばして主導権を奪い返す。

「きゃっ!?」

 ベスが短い悲鳴を上げてマットに転がる。彼女が上体を起こし、尻もちをついた状態になった瞬間、三郎太は背後からベスの細い首に自らの腕を深く絡みつかせた。

「捕まえたぞ……ッ!」

 がっちりとスリーパーホールドが極まり、頸動脈をじわじわと締め上げ、ベスを確実に追い詰めていく。

「ぐぅ……! こんな技……」

 自身の辞書に降参という二文字を持たぬと言って憚らないベスだ。この程度でギブアップなどありえない。ベスは三郎太の腕を掴み、その規格外のパワーで強引に引き剥がそうと力を込めて隙間を広げていく。

『先発のシロオニ・ベスと宮川三郎太、試合開始早々に激しい攻防です! 切り返した三郎太がスリーパーに捕える!』

 実況の興奮した声が場内に響き渡る中、解説席に座るジャージズボン姿のライジング雫がマイク越しに冷ややかな声を出した。

『エキシビジョンマッチなの忘れてませんか? 二人で盛り上がって羨ましいというか、なんというか』

 雫の、嫉妬が混じったような鋭い指摘。それに答えるように、実況が慌てて声を張り上げた。

『たしかに相方忘れて熱くなってるようにも見えますね……。ああっ!? 待ちきれなくなったか、オーガキッド茨木がリングイン!?』

 ベスの視界の端に、コーナーで待機していたはずの小さな影が、とてとてとリング内に駆け込んでくるのが映った。八歳の愛らしいパートナー、オーガキッド茨木が、大好きな「ベスさま」のピンチを救うべく、リングインを果たしたのだ。

「力づくで……。ん?」

 その姿を見た瞬間、ベスの思考が完全にフリーズした。自分がこのまま力づくでスリーパーホールドを脱出してしまっては、せっかく救出に来た彼女の見せ場が完全に潰れてしまう。

「わわっ、戻して戻して。……ああぁ~ッ!」

 ベスは慌てふためき、自らの怪力で引き剥がしかけていた三郎太の腕を、わざわざ自分自身の首に巻きつけた状態へと戻した。そして、普段のクールで苛烈な彼女からは想像もつかない、か弱さを装ったわざとらしい悲鳴を上げたのである。

 絞め技をかけている当の三郎太は、腕の中のベスの奇行に目を白黒させていた。

「ベスのたおやかな悲鳴とか初めて聞いた……」

 困惑の呟きを漏らすのも無理はない。

『あ、力づくでスリーパー外そうとしてたベスさんが慌てて、先輩の腕を首にまきつけた状態に戻してピンチを演出してますね、露骨ぅー』

 雫の身も蓋もない声がスピーカーを通して会場に流れる。

『雫さん、もうすこし演出考えてください! オーガキッド茨木、ここで救出カットだぁ!』

 実況が必死にフォローを入れる中、トラ柄のワンピース水着に角飾りをつけたオーガキッド茨木が勇ましく声を上げた。

「今助けにいきますっ」

 彼女はスリーパーホールドにベスを捕えている三郎太の背後へと懸命に回り込むと、小さな両手をいっぱいに広げ、ビンタ……もとい、ハンドスラップの構えをとる。

「えいっ! えいっ! はなせっ!」

 バチーン、バチーンという可愛らしい音が、三郎太の広い背中に響き渡った。

「いたっ!? 地味に痛い……ッ!?」

 必要以上に大仰に身をよじり、三郎太は自らスリーパーホールドの拘束を解いてマットに転がる。こうして茨木ちゃんはベスを脱出させる事に成功したのである。ベスは、荒い息を吐く演技をしながら自陣のコーナーへと後退した。

 そこへ、救出を成功させて誇らしげな茨木ちゃんが駆け寄ってくる。

「タッチだよ、ベスさま!」

 小さな手が差し出され、ベスは安堵の表情を浮かべてその手に自らの手を重ねた。

「た、たすかりました、気を付けて」

 白鬼としての苛烈な顔を完全に潜め、すっかり過保護な親のような声色に僅かな心配を滲ませるベスに見守られながら、茨木ちゃんが意気揚々とリングの中央へと進み出て、三郎太の真正面に立った。三郎太は膝をつき、目線を少女の高さに合わせてやる。

 茨木は小さな両手で三郎太の太い右腕をしっかりと掴み、力いっぱい後方へと引っ張っていく。

「うんしょ、うんしょ!」

 一生懸命な掛け声がマイクを通して会場に響く。物理的に考えれば、ここまで体重差がある大人のプロレスラーを、八歳の少女が投げ飛ばせるはずがない。しかし、ここ太平プロレスのリング上において、プロレスとは単なる物理法則のぶつかり合いではない。互いの意図を汲み取り、相手の魅力を最大限に引き出し、観客を熱狂の渦へと巻き込む極上のエンターテインメントたる「闘い」なのだ。

 彼女が自分をロープに振りたいのだという意図を即座に察知した三郎太は、いかにも彼女の力で投げ飛ばされたかのような素振りで駆け出した。

「! ……うわぁ~!」

 大仰な悲鳴を上げながら、三郎太はロープ際へ一直線に疾走し、背中でロープの反動を思い切り受け止めた。そのまま弾かれたように勢いよく戻ってくる屈強な青年に向けて、待ち構えていた茨木ちゃんが短い脚を元気いっぱいに振り上げる。

「どっせぇ~い!」

 可愛らしい掛け声と共に放たれたのは、ベスの得意技の一つであるビッグブーツだ。茨の蔦が飾られた小さなリングシューズのソールが、三郎太の厚い胸板を叩く。その瞬間、三郎太の身体はまるでベスに蹴飛ばされたかのように、見事に後方へ宙を舞った。

「ぐわああ~ッ!」

 鍛え抜かれた受身の技術によって背中からマットに派手に叩きつけられ、三郎太が苦悶の声を上げてダウンする。観客席からは割れんばかりの歓声と拍手、微笑ましい笑い声が巻き起こった。だが、茨木ちゃんの猛攻はこれだけでは終わらない。あおむけに倒れて「ダメージ」に苦しむ三郎太の傍らへ駆け寄ると、彼女は力を込めてその場で跳び上がる。

「ジャンプッ! ふんす!」

 可愛らしい気合いの声と共に、ヒップドロップのつもりなのだろう、三郎太の胸板の上に座り込むようにして自らのお尻を落とす。

「がはあ」

 肺から空気を絞り出すような大仰な声を上げて、三郎太は完全にフォールの体勢に入られた。カウントをとるこの日のメインレフェリーは、リング上で大活躍する娘の姿に完全に理性を失った親バカ、マーサ茨木であった。

「ワンツースッ」

 タタタッ! と、およそプロの興行とは思えない速さでマットが三回叩かれようとする。そのあまりにも速すぎるカウントスピードに、空気を読んでダウンしていた三郎太の顔色が一瞬で青ざめた。

「うわ早ッ!? あぶなっ!?」

 慌ててギリギリのタイミングで肩を浮かせた三郎太。カウント二・九で辛くもキックアウトである。

『ここでオーガキッド茨木、ヒップドロップからのっかりフォール! カウントが……早ッ!?』

 これには実況アナも悲鳴に近い声を場内に響かせる他ない。相槌を打つ雫のコメントは戦慄に満ちていた。

『うわー、公私混同ですねー。娘のために超高速でカウントとか、ある意味恐ろしいギミックです……』

 本気で焦っている様子の三郎太の顔を目にして、レフェリーのエコヒイキほど恐ろしいものはないのだと雫は心ではなく魂で理解していた。

『カウント2.9! かろうじて三郎太、肩をあげました! 危うく光の速さのカウントに試合が終了するところでした!』

『言い過ぎでしょう、観客の皆さんは大ウケですけど』

 聖闘士でもあるまいに、さすがに光速は言い過ぎである。実況の必死のフォローと雫の的確な指摘の通り、会場は異常な盛り上がりを見せていた。

 

「3章本編の範囲内(番外話は除く)に登場しないキャラクター」で、あらためての活躍を見たい推しキャラクターは?

  • 国内男子選手キャラクター
  • 国内女子選手キャラクター
  • 海外男子選手キャラクター
  • 海外女子選手キャラクター
  • その他、選手でないキャラクター
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定