「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」 作:八意あまつ
ゾーザ・ラ・ヴィペラは宮川三郎太の上に這いつくばったまま、悦びに満ちた表情で腰をゆっくりと揺すりながら、自身の白いリングシューズの飾りの奥へと手を伸ばした。そこから引きずり出されたのは、光沢のある小さな陶器の瓶だった。
──彼女にとっての勝利の証であり、敗者への残酷なご褒美。
その中に詰まっているのは、試合前に彼女が宣言していた「追加の毒」だ。一発で理性を吹き飛ばし、目の前の異性を襲わずにはいられなくなるという、悪魔の劇薬である。ゾーザは真っ赤な舌で艶やかに唇を舐めずると、その小瓶をLED天井照明の光に翳して見せた。敗北の代償として、自らの理性を完全に破壊され、この狂気に満ちた女の欲望の捌け口として貪られる未来。全身の自由を奪われ、最早どうすることもできない三郎太の瞳孔が、抗いようのない恐怖と絶望によって黒く染まっていく。
「じゃ、約束通りこの毒で素直になろっか? ひひ、最高の夜にしようね、王子様……いや、ボクの旦那様……♡」
こんな深夜に密室の地下道場で、彼を助けに来る者など誰もいないだろう。
「…………」
リングのキャンバスに横たわりながら、三郎太の瞳は、迫りくる破滅の輪郭をただ無力に見つめ返すことしかできなかった。だが、ゾーザが熱を帯びた吐息と共に小瓶を片手に彼の唇へと顔を寄せようとした、まさにその瞬間。
――ズドォォォォォォンッ!!
深夜の道場リング兼トレーニングルーム全体を激しく揺るがす、凄まじい爆音が轟いた。音の源は、ゾーザの手によって内側から特製の錠が追加され、完全な密室監禁状態を作り出していたはずの、入り口の頑丈な扉である。視線をやれば、分厚い扉が叩き込まれた猛烈な衝撃によってひしゃげている。壁のコンクリートに埋め込まれていた蝶番が根元からへし折れて吹き飛んだのだろう。錠によってかろうじて壁の一部に引っかかったまま、グラグラとだらしなくぶら下がっている。
埃が舞い散る開口部の向こう側から、濃密な殺気と闘気を全身から立ち上らせた一つの影が、ずかずかとトレーニングルーム内へと踏み込んできた。それは太平プロレスに居候する、鬼の末裔を名乗るフリーランスの外人レスラーであり、誰よりも三郎太を深く愛すると自負しているシロオニ・ベスであった。
「三郎太ァ! 声をかけてもノックしても無視を決め込んで、密室にした道場リングで一体何をやってるの!?」
彼女を突き動かしたのは、理屈ではない。愛する男に迫る致命的な危機を本能で察知した「鬼の第六感」とでも呼ぶべき、執念の賜物であった。決して美樹に付き添いしてもらってようやく買って来たスマホで昨日の興行の話題をふったのに未読スルーのまま放置されたのが悔しかったとかそういうつまらない理由ではない。多分、きっと、メイビー。
寝巻代わりのジャージ姿のまま、現場に駆けつけたベスは、まるで地獄の底から這い出た鬼神のような凄まじい闘気を放っていた。しかし、破壊したドアを一顧だにせずトレーニングルーム内へ押し入った彼女の視界に飛び込んできたのは、練習用リングの上で仰向けに力なく横たわる三郎太と、その腰の上に大胆に跨り、恍惚とした表情で顔を寄せる銀髪の女の姿だった。
「えっ」
突如として扉が爆散し、般若のような顔をした女が乱入してきたという理解不能な事態に、陶酔しきっていたゾーザの口から、間の抜けた声が漏れる。毒の小瓶を持った手は完全に宙で停止していた。
「えっ」
一方のベスもまた、予想だにしない光景を目の当たりにして呆けたような声を漏らす。てっきり昨日の興行の試合の激闘により念のため検査入院二日の命が下り、ぶちぶち文句垂れながら宿舎を留守にしている雫と御子柴のどちらかが、隙を突いて三郎太を誘惑でもしようとしているのかと思っていたのだ。だがそこに居たのは見知らぬ西洋人の女子レスラーだ。え、ごめん、誰? ベスの中でどうしたらいいのか一瞬思考が停止する。
静寂が降り降りた密室の中で、二人の女の間の抜けた声だけが虚しく響き渡る。そして、その二人の間で、一人安堵の息を吐き出した者がいた。助けが来た。どうやらこの場で食い物にされることはなさそうだ。その事実を脳が理解した瞬間、極限まで張り詰めていた三郎太の精神の糸が、プツリと音を立てて切れた。蓄積したダメージと毒による影響、極度のストレスと過労が限界を超え、三郎太の意識は深い闇の中へと急速に沈み込んでいく。
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それから、半刻ほどの時間が経過した。激闘の闘気と狂気が渦巻いていた道場リング兼トレーニングルームは、今や奇妙なざわめきと、なんとも言えない呆れと疲労感に包まれていた。ルームの一角、普段はサンドバッグなどを吊るすための頑丈な鉄骨から、太いロープが真っ直ぐに垂れ下がっている。そのロープの先には、道場リングの周りに敷かれていた分厚い敷きマットレスが、海苔巻きのように丸められて上から縛られた状態で吊るされていた。
そのマットレス巻きの中心には、先ほど三郎太を蹂躙しようとしていたイタリアの毒蛇、ゾーザ・ラ・ヴィペラが、身動き一つとれないよう収められ、いわゆる「簀巻き」の状態で、無様な宙ぶらりんに晒されていた。上気した顔とリングシューズに包まれた足先だけを簀巻きの端から覗かせ、ゾーザはゆらゆらと振り子のように揺れている。
簀巻きを取り囲んで何とも言えない視線を向けているのは、扉が破壊された轟音を聞きつけ、太平プロレスの団体ビル内にある宿舎から、何事かと飛び起きてきた者たちである。太平プロレスの代表であり、引退を間近に控えているとはいえ現役レスラーでもある松平林吾。その一人娘であり、団体経営にも携わっている女子大生レスラーの松平美樹。さらに、バッカスやイカサマ、ブライアン、そしてサチやその他の者たち、団体に所属する若手からベテランまでの早々たる所属レスラーの面々である。
皆一様に、スウェットやジャージ、あるいは浴衣やファンシーな柄のパジャマといったそれぞれの寝巻姿であり、中には眠そうに目をこすっている者も居る。しかし、まぁ大方の者の反応としては、目の前の異常な光景に顔を引きつらせていた。
「……というわけで、指示されたとおりに毒を使っただけなのにボクは『国の誇りを汚した』とか言われてイタリアマット界から追放されてさ。せめて運命の王子様だけでも手に入れようと、はるばる日本までやってきて……まぁ、なんだ。今こうなってるというわけさ。ひひ……笑えねー」
簀巻きで天井からぶら下がったまま、ゾーザは自嘲気味にひきつった笑い声を漏らした。先の「EQT」予選において、彼女が参加選手たちをタ―ゲットとして毒を使用し、キンタロウらに現場を抑えられて捕縛されたことは、世界中に中継された大スキャンダルとなった。結果としてイタリアのプロレス界は管理体制を厳しく問われると共に、激しいバッシングを浴び、その元凶である彼女は、国の誇りを泥で汚した国賊としてマット界から永久追放されてしまったのだという。
名声も居場所も失った彼女が最後にすがりついたのが、自らの毒を凌駕し、根性で立ち向かってきた姿が心に焼き付いた三郎太への異常な執着であった。身の上話を静かに聞いていた林吾が、最近痛むらしい腰をトントンと手で叩きながら、天井を見上げて深いため息をついた。
「仔細は分かったが、だからと言って不法侵入、監禁、暴行未遂? 毒も盛ってるし未遂じゃないのか? ともあれ罪状は明らかだな」
「叩き出すのも警察に突き出すのも好きにしなよ。どうせ行くとこもない、失うものもない。王子様を手に入れられないならどこでもいっしょさ」
罪状をつまびらかにする林吾の言葉に対しても、ゾーザは全く悪びれる様子を見せない。完全に開き直っている。それは自暴自棄になった犯罪者の態度そのものであった。これには百戦錬磨の林吾も、どう扱っていいものかと頭を抱え込む。
「うーむ」
警察に突き出すのが筋だが、そうすればどこから聞きつけたかマスコミの手に寄って「太平プロレスの若きエースが、深夜の道場で外国人女子レスラーに監禁され、毒を盛られて暴行されかけた」という前代未聞のスキャンダルが世間に大々的に報じられてしまいかねない。チャンピオンとしての三郎太のイメージにも、団体そのものの興行にも致命的な傷がつく可能性があった。
一方、林吾が思案に暮れている横で、冷静に状況を見極めていた娘の美樹は、テキパキと指示を飛ばし始めていた。
「とりあえず、バッカスさん、何人か連れて担架で三郎太クンを医務室へ。毒は時間で抜けるらしいし、こんな時間じゃ先生も居ないけど、とりあえず汗を拭いて休ませてあげないと」
「おう、任せろ」
美樹の言葉に、三郎太の先輩ベテランレスラーであるバッカスが力強く頷く。彼は何人かのレスラーたちに声をかけると、救急用の担架を素早く組み立て、リングの上で気を失っている三郎太の身体を慎重に乗せ、運び出していった。毒の影響で異常な汗をかき、真っ赤なプロレスパンツまでびしょ濡れになっている彼を運び出そうとするその後ろ姿に向かって、宙吊りのゾーザが未練たらしく声を上げる。
「あー……ボクの王子様がー……」
「貴女のじゃありませんが?」
即座に、三郎太の最大のパートナーにしてライバルを自称するベスが、氷のように冷たい声と鋭い眼光で威嚇した。彼女の背後には、いまだに怒りのオーラが立ち上っているように見える。さらに、EQT予選でゾーザの毒の最初の被害者となり、全試合リタイアという屈辱を味わわされたサチも、ファンシーな柄のパジャマ姿のまま、小動物のようにキャンキャンと噛み付いた。
「そーだそーだ、被告には発言権を認めないッ!」
女性陣が険悪な空気を漂わせている横で、ベテランのイカサマが、壁にぶら下がっていた鉄扉の残骸の前に立ってやれやれと肩をすくめた。
「とりあえずもうこのドアはつかいものにならないだろう。彼女の持っていた鍵で錠は開いたし、片付けるとしようか。ブライアン君、そっちを持ちたまえ」
「へーい。ボス、とりあえず一階の廊下に置いときますぜ」
イカサマの指示で、後輩のブライアンが林吾に一言断ってひしゃげた鉄扉の反対側を持ち上げ運び出していく。それを眺めて林吾がぼやいた。
「ウム……修理業者も呼ばないといかんか」
扉の修理代という想定外の出費に、林吾が再び痛む腰を押さえながらボヤいた。その言葉にビクッと肩を震わせたのは、扉を破壊した張本人であるベスだ。
「わ、私は悪くありませんよ!?」
「分かってるって。おとーさん、そんなことより彼女をどうするか、よ!」
三郎太を救うためには仕方なかったなどと供述するベスをなだめつつ、美樹は再び議論の焦点を天井の簀巻きへと引き戻した。
「ウム……いやホントどうしたものかな。変にトラブルでマスコミ沙汰や大使館沙汰などにもなりたくないし……」
林吾の懸念はもっともだった。警察沙汰にできない以上、穏便に追い出すしかない。しかし、彼女をこのまま放り出したところで、行き場のない毒蛇が再び三郎太を狙わない保証などない。根本的な解決にはならないのだ。
腕を組み、しばらくの間じっと考え込んでいた美樹が、不意に顔を上げて大きなため息をついた。
「はぁ……。イタリアのマット界から追放されて、もう行く当てがないんだったわね。……分かったわ。じゃあ、こうしましょう。ゾーザは私が預かります」
静かな地下道場に、美樹の凛とした声が響き渡った。そのあまりにも予想外な提案に、その場にいた全員の思考が完全に停止する。
「えっ」
うんうんと頷いてから言葉の意味に気が付いた林吾がマヌケ面で聞き返した。
「お?」
期待に満ちた表情でゾーザが視線を美樹に向ける。
「美樹!?」
とんでもない事を言い出した友の顔をうかがってベスが思わず声をあげる。
トレーニングルームに数秒の空白が落ちた。しかし、美樹の表情に迷いはなかった。彼女は、ただの同情ではなく、経営者としての冷徹な計算の上で、天井から吊るされたこのたわけた銀髪の魔女を見据えていた。
「ただし、厳密なルール順守が条件よ! 二度と許可なく毒や薬を使わないこと。完全に私の指揮下に入ること。そして客員悪役レスラーとしてうちの興行に参加して普通にプロレスラーとして試合に出ること! おとーさんもそれで良い?」
美樹は腰に手を当て、立て板に水のごとく次々と厳しい条件を突きつけた。この女の類まれなる身体能力と、整った顔立ち。観客のヘイトを一身に集める悪役としてのカリスマ性は、団体興行の観点から言えば使い道がある。毒に関わる部分さえ管理下に置ければ、興行のネタとして十分という判断だった。突然話を振られた林吾は腕を組み、唸り声を上げて思案する。不法侵入と監禁に暴行、その罪は重いが、明るみに出すと団体にダメージがあるのは確かだ。だからといって無罪放免とするわけにもいかない。ならばこの提案はどうか。
「……三郎太クンも大きな怪我はなさそうだし。となると……実質的被害は扉の破損だけか。ウーム、まぁ、美樹がそこまで言うなら」
最近とみに頼もしさを増しつつある愛娘への期待と、社長としての現実的な妥協点が合致し、林吾は渋々ながらも頷いた。それを聞いたゾーザの若草色の瞳に、妖しい光が戻る。行き場のない孤独な暗闇から、再び愛する運命の王子様と同じ空間にいられるという起死回生の好機を手にしたのだ。
「わかったよ、ボス。ボスの指示には従うよ、指示には、ね?」
簀巻きにされて吊るされたまま、ゆらゆら揺れながらゾーザは不敵な笑みを浮かべて美樹に忠誠を誓った。しかし、その「指示には」という含みのある言い回しに、三郎太への異常な執着がまだ微塵も消えていないことは誰の目にも明らかだ。その不遜な態度に、ベスが黙っているはずもない。
「懲りてないわね。このままサンドバックにしてあげましょうか?」
ベスは怒気を孕んだ低い声で凄むと、身動きの取れないゾーザの腹部へ向けて、容赦のない重い拳をめり込ませた。
「ちょっ、ぐえ!?」
ズム、と重い音が響いた。簀巻きのまま、空気を吐き出し、情けない悲鳴を上げて大きく振り仔運動で振り回されるゾーザ。さらに追撃を加えようと拳を振り上げるベスを、美樹が笑顔で制止する。
「ベス、五発までにしといて」
制止ではなかった。止めるどころか回数を指定する友の言葉に、ベスは満足げに頷く。
「いいでしょう」
二人のやり取りを見ていたサチも、積もる恨みを晴らすべく、ステップを踏みながら笑顔を浮かべる、
「サチにも蹴らせて!」
「わかった! 従う! ちゃんとボスの支配下にはいるよ!」
このままでは本当にサンドバッグとしてボコボコにされると悟ったゾーザは悲鳴を上げた。
「ベス、サチ。一旦やめましょうか」
涼しい顔でようやく制止らしい言葉を口にする美樹を見てゾーザは顔を引きつらせる。
「ひひ……、怖いボスだなぁ」
こうして、イタリアを追放された毒殺魔ゾーザ・ラ・ヴィペラは、美樹の厳重な監視の下、太平プロレスの居候兼客員悪役レスラーとして迎え入れられることとなったのである。
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それから数日後。太平プロレスの団体ビル内宿舎エリア。時刻は深夜。選手たちが激しい特訓の疲れを癒やし、皆が完全に寝静まった時間帯である。暗闇に包まれた廊下を、音もなく這い進む一つの影があった。団体から支給された、少しサイズの大きい無地のジャージ姿に身を包んだゾーザである。
彼女は美樹の監視下に置かれ、なんとあのシロオニ・ベスと同室という地獄のような環境に放り込まれていた。しかし、彼女の三郎太への妄執はそんなことで消え去るほど生易しいものではない。ベスの寝息が規則正しくなったのを見計らい、こっそりと部屋を抜け出し、愛しの王子様が眠る個室へと夜這いをかけようと企んでいたのだ。
自室でいまだ起きている者たちに気取られぬよう、慎重に忍び足で廊下を進み、男子選手の宿舎エリアに入り、目的地である三郎太の自室まであと数メートル。いよいよ逢瀬の時だよとゾーザが歪な笑みを浮かべた、その時だった。
背後から音もなく伸びてきた巨大な影が、ゾーザの頭部を背後からがっちりと鷲掴みにした。
「――っ!?」
万力のような恐るべき握力。後頭部へのアイアンクローにより、頭蓋がミシミシと軋みを上げるかのような強烈な激痛が走る。
「ああっ!? ベス!? なぜこっそり抜け出したボクが王子様の個室を目指すと分かった……!?」
暗闇の中で悲鳴を上げ、ゾーザは背後に立つ恐るべき闘気のオーラを纏う笑顔のルームメイトを振り仰いだ。
「分からいでか」
ベスの声は氷点下のように冷たく、その眼光は暗闇の中で獲物を狩る猛獣のように妖しく光っていた。まだあの事件から一週間も経っていないと言うのにこの振る舞い。この魔女の「しばらく大人しくするよ」という言葉になど、欠片も信用をおけないと言う事がよく分かる。ギリギリと指先の力が強まり、ゾーザは涙目になってタップするようにベスの腕を叩く。
「ちょま……痛い! 痛いんだよ!?」
「さぁ、部屋に戻るわよ」
抵抗する間もなく、ゾーザは頭を掴まれたままズルズルと自室へと連行されていく。部屋のドアが閉まり、乱暴に床へと放り投げられたゾーザは、屈辱と苛立ちに顔を歪めた。美樹には服従を誓ったが、この同室の女に対しては一歩も引く気はない。床から立ち上がりざま、ゾーザは背を向けていたベスの背後から忍び寄り、その股間を下から前腕で強烈にかち上げた。急所を的確に狙い澄ました、反則のローブローである。
「ひんっ!?」
不意打ちの激痛に、ベスの口から可愛らしい悲鳴が漏れ、その場にうずくまる。それを見下ろし、ゾーザは意地悪く唇を歪めた。
「ひひ、先輩ヅラして調子にのるなよ?」
だが、その一撃は、絶対に触れてはならない逆鱗に触れる行為であった。うずくまっていたベスが、ゆらりと立ち上がる。その全身からは、先ほどまでの冷たい怒りとは次元の違う、煮えたぎるような殺意と闘気がどす黒いオーラとなって立ち上っていた。
「……やっぱり、この駄蛇はここでしっかり殺しておくべきね」
「上等だよ、何がオニだ、自意識過剰女め。ボクの技で絞め落としてやんよ」
その言葉を合図に、狭い室内でプロレスラー二人による、ルール無用のフォールズ・カウント・エニウェア・デスマッチが勃発した。団体ビル内に破砕音と衝撃、振動が響き渡る。ベッドがひっくり返り、二人の肉体が激しく壁に叩きつけられ、宿舎の建物全体が地震のように揺れる。互いの意地と嫉妬がぶつかり合う凄惨な乱闘。しかし、その狂騒は、突然蹴り開けられたドアの音によって強制終了させられた。
「うるさい! 夜中に何やってんの!? 時間を考えなさい! それから壁を壊すな!」
激しい騒音に耐えかねた美樹が、般若のような恐ろしい形相で立っていた。その圧倒的な怒りのオーラを前に、組み合っていた二人の動きがピタリと止まる。
「ひぇ」
「み、美樹、私はその……」
言い訳をしようとするベスを一瞥し、美樹は容赦なく言い放った。
「問答無用! 正座よ、正座!」
「はい……」
深夜の廊下。何事かと幾人かのレスラーが様子を見に顔を出す中、冷たい床の上で、ベスとゾーザの二人が並んで頭を垂れ、ちょこんと正座させられていた。
「……何をやってんだニャ、何を」
自分の居ない間に新たに居候になったけったいなイタリアの毒蛇を見て、呆れ果てた表情で御子柴が零す。夜這いなんかしてもあの三郎太が「はいそうですか、据え膳美味しいです」なんて応じるわけがない。その試み自体が無益で時間の無駄であると彼女は良く分かっていた。それはそれとして「鬼が出るか蛇が出るか」という言葉があるが、その両方に執着されてる三郎太のヤツは前世で一体何をしでかしたんだろうか。眠気の抜けない脳裏にそんなくだらない事をよぎらせながら、もういいやとあくびを噛み殺して御子柴はその場を後にした。
一方その頃、雫は騒音など気づきもせずに自室でスヤスヤと寝息を立てていた。
この「夜中に夜這いをしようとしてベスに阻止され、美樹に怒られて二人で正座させられる」というお約束の流れは、これ以降、時折見かけられる太平プロレスの騒がしくも平和な日常風景となっていく。
そして、これ以降、道場リング兼トレーニングルームは3名以上の事前申請がない限り、深夜の利用は禁止されることとなったらしい。
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そして、熱気に包まれた太平プロレスの次なる興行の日がやってきた。
超満員の観客の歓声と、まばゆいカクテル光線が交錯するリング。その花道を通って、太平プロレスの居候であり、新たに客員悪役レスラーとして生まれ変わったゾーザ・ラ・ヴィペラがリングインを果たす。黒地に蛍光グリーンの幾何学模様が毒々しく這うハイレグ・モノキニ姿。白いリストバンドとニーパッドを身につけ、顔の蔦のペイントを歪めて不敵に笑う彼女の姿は、観客の激しいブーイングを誘いながらも、圧倒的な存在感を放っていた。
そして、その対角線上のコーナーに立つのは、かつてEQT予選で彼女の毒牙にかかり、無念のリタイアを喫したサチである。トリコロールカラーのハイレグワンピースに身を包み、青いリングシューズでマットを踏みしめる彼女の瞳には、あの日の屈辱を晴らすための燃えるような闘志が宿っていた。サチは両腕のリストバンドをきつく締め直し、憎き相手を指差して叫ぶ。
「毒なんかなければサチの敵じゃないってこと教えてやるから!」
その挑発を受け、ゾーザは若草色の瞳を細め、長い舌で艶やかに唇を舐める。
「サチちゃんは相変わらず可愛いねぇ。いいよ。ボクの本当の怖さ、たっぷり教えてあげる、ひひひ」
二人の間に火花が散り、会場のボルテージが最高潮に達する。
レフェリーが両者の間にスッと入り、その右手を高々と天へ向けて掲げた。過去の因縁を清算し、自らの実力のみでリングに立つ、誇りをかけたリベンジマッチ。激闘の幕開けを告げる試合開始のゴングが、熱狂の渦巻くアリーナに高らかに鳴り響いた。
「3章本編の範囲内(番外話は除く)に登場しないキャラクター」で、あらためての活躍を見たい推しキャラクターは?
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国内男子選手キャラクター
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国内女子選手キャラクター
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海外男子選手キャラクター
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海外女子選手キャラクター
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その他、選手でないキャラクター