「THE SABUROUTA ~太平プロレス興行日誌~」   作:八意あまつ

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第7話 砂塵の海浜マッチ!? の巻【練習試合・砂上デスマッチ「シロオニ・ベスVSアサル・ザ・ジニー」】

 最新鋭の機材が整然と並ぶ新興団体『ノワール・ゲート』の施設内トレーニングルーム。まだ昼前だと言うのにうだるような外の熱気とは違い、この場の室温は適切に空調で整えられている。その一角で、ボーティス神宮寺は額に薄っすらと汗を浮かべながら一定のリズムでペダルを漕いでいた。細身ながらも研ぎ澄まされた筋肉を持つ彼の首には、いまだに仰々しい頸椎固定用のカラーが巻かれている。マシンのコンソールにはタブレット端末が置かれ、身体を動かし、思索を巡らしながら、神宮寺は時折画面上に視線を落としてデータを拾っていた。

 雑談しながら機材を用いて筋トレに励んでいた二人組の男子練習生たちから威勢のいい挨拶の声が上がった事で、神宮寺はトレーニングルームへの来訪者に気付いた。背後から近づく足音に一旦エアロバイクから降りようとした彼を来訪者は言葉で制する。

「構わん、そのままでいい」

 やはり門脇取締役か。そこにはパリッとしたスーツを着こなした団体代表の門脇が立っていた。かつて経済界で名を馳せ、一度は破産で姿を消しながらも、謎の出資者のバックアップで突如プロレス団体の設立という形で業界に参入した男。その瞳の奥には、常に姿なきオーナーへの執着と、結果に対する渇望が渦巻いている。

 首が回らないため、視線だけを向けて軽く会釈する意図を伝えながら神宮寺は続く言葉を待つ。

「精が出るな、神宮寺。EQT(アース・クェイク・トーナメント)ではご苦労だった。結果的に太平プロへ寄与する形になってしまったのは面白くないが……」

 門脇の表情はその言葉通り、苦々しいものだ。まぁ、自団体の所属レスラーで本戦に残ったジェニーと神宮寺が二回戦敗退となったのに比して、彼が意識する太平プロレスの関係者はベスト4の内の3人を占め、なおかつその一人は優勝の栄冠を手にしたのだ。悔しさに表情を歪めるくらいは大人しい部類だろう。

 だが、門脇はすぐに神宮寺を見据え、その手腕を認めるように言葉を続けた。

「だが、勝てぬ相手に負けたままでなく、決勝戦までノワールゲートの影響を残したのは評価に値する。お前の判断は良かった」

 神宮寺はペダルを漕ぐ速度を一定に保ったまま応じる。

「ご理解いただけて助かります。僕も面白くはありませんが、他に有効な手もありませんでしたので」

 それについてもわかっている、と頷く門脇だったが、ふと眉をひそめ、本題を切り出すように声を低くした。

「ところで、足首の捻挫の治療中のはずのジェニーが連絡のつかない状態なのだが……神宮寺、お前は何か知っているか?」

 その問いに、神宮寺はタブレットへ視線を戻し、さも平然とした風を装って言葉を返した。

「彼女からは何も言われていませんね。とはいえ、元来じっとしてられない気質です。負傷中であることを考えるなら……映画でも見に行ったか、はたまた身体を動かしにプールにでも行ったか、というあたりが想像しやすいところですか」

 淀みのない神宮寺の推測を聞くと、門脇は深々と溜息をつく。

「……まぁいい。いずれにせよお前の首の事もある。来月の興行まで休養期間にした以上、怪我を悪化させてなければ構わん。お前も無理はせんようにな」

 フンと鼻を鳴らし、身を翻した門脇はそれだけ言い残して、用は済んだとばかりにトレーニングルームを去っていった。

「承知しています」

 遠ざかる足音を見送ってから、神宮寺はふぅ、と息を吐いてペダルを止める。

 

 神宮寺は脇においてあったドリンクを口にすると、思考を切り替え、タブレットを操作して届いていたメッセージに目を落とした。画面に表示されているのは、青い炎を吐くディフォルメされた蛇のアイコン。そこには、感情をそのままぶつけたような文面が並んでいる。

『ノワゲからの引き抜きで薔薇の管財人がそっち行きそうなんやけど、アンタの差し金? 引き抜くならウチにしてくんない? というか既読スルーやめんかい! 返事寄越せや、(゚Д゚)ゴルァ!!』

 画面に踊るいささか理不尽な凄み文句を眺めやりつつ、手に持っていたドリンクを置いて、神宮寺は首のカラーに指先で触れた。

 

 ローラから喰らった「トリコロール・スープレックス」のダメージは軽くない。神宮寺ができるだけデータを取ろうと粘って無理をしたのも響いていた。自己診断ではそれこそ今もベッドの上にいておかしくない。だが、今自分はこうしている。何故か。

 考えても分からない。可能性があるとすれば大会医師の一人であるあの女医から渡された怪しげな手製の健康ドリンクとやらを飲んだ事くらいのものだが……。しかし、一度飲んだ程度のものでそこまで治癒能力に差がでるはずもない。

(薬物でも混入していたのか?)

 連絡先もわからず、当のドリンクも無い。薬物とすれば副作用も成分も不明瞭で気味が悪いが、治ってしまった今どうこう言っても最早意味もない。しかし、確かあの時、同じドリンクをジェニーも飲んでいたはず。同様の効果が出ているとすればジェニーは――。

「……既に治っているのに、念のためカラーをつけたままにしておいてよかったな。とはいえ、ジェニーの行先を思うと、これはあまり時間がないかもしれないか」

 嘘は言っていない。彼女は何も告げなかったし、一般論としての推測としては妥当な見解を述べた。だが、実の所、神宮寺は彼女の行先をほぼ正確に推理できていた。おそらく彼女は──

 意図せず、ぽつりと漏らした神宮寺のため息に、遮るような声が重なる。

「何の時間がないんです?」

「――っ!?」

 神宮寺は思わず肩を跳ね上がらせた。いつの間に部屋に入ってきたのか。すぐ傍らに、前髪に三日月の飾りをつけた青髪ボブカットの少女──いや少女ではない、男子レスラーの雨宮月が練習着姿で立っていた。可憐な少女にしか見えない「男の娘」とかいういっそ理外ですらある容姿の裏に、どこか底知れない実力を隠す、神出鬼没なノワール・ゲートのナンバー2。神宮寺のあからさまで鋭い警戒の視線を受け、月はくすりと悪戯っぽく口元を緩めた。

「カラーの事は秘密にしますよ?」

 完全に弱みを握られた形になり、神宮寺は小さく息を吐いて姿勢を戻した。

「……門脇がジェニーの行先を知ったらまたお冠になると言う話さ」

 そう、言えば確実に門脇を刺激すると分かっていたから口にしなかった。それだけだ。少なくとも彼に知られていい範囲では。

「ふぅん? ってことはジェニーさんの行先って」

 月は大きな瞳を輝かせ、楽しそうに小首を傾げる。

「ま、そういうことだ」

 神宮寺が肩をすくめて応じると、月はそれ以上追及することなく、笑顔で「一応、お大事に」と付け加え、練習生たちに手を振って挨拶しながらトレーニングルームから去っていった。

(……お互い腹の内が見えないから牽制しているだけか。それともなにか底意があって動いているのか)

 いずれにせよ、あの雨宮月という男はどうも計り知れないところがある。神宮寺はある意味門脇以上に彼を警戒していた。

 

 どうやら練習生たちも一旦練習を切り上げたようだ。完全に一人の気配になったことを慎重に確認した後、神宮寺は静かに呟いた。

「……僕も覚悟を決めた方がいいかもしれんな」

 彼は迷いを振り払うようにタブレットを操作し、画面に「白いお城のアイコン」を呼び出した。保存してあった未送信の下書きメッセージを選択。神宮寺は躊躇うことなく、送信ボタンをタップした。そして、エアロバイクからタブレットをとりあげて神宮寺がトレーニングルームを 後にしようとしたその時。

 

 ──まだ歩き出してから、わずかに2秒。

 

 画面のメッセージには即座に「既読」の文字がつき、さらには相手が返信を打ち込んでいることを示す「書き込み中」の表示がチカチカと点滅を始める。足を止め、時差を計算した神宮寺は、タブレットの画面に視線を落としたままぽつりとぼやいた。

「……午前3時半頃のはずだが」

 ボーティス神宮寺は呆れたように苦笑を浮かべた。

 

────────────────────

 

 そして、話は電光石火。いきなりですが、太平プロレス軍団はかねての約束通り、友好団体「オトギプロレスリング」の面々を引き連れ、若干のイレギュラーと共に合同合宿を行うべく、南国の地、鹿児島の海にやってきたのであった。

 真夏の鹿児島の太陽は、まるで空そのものが燃えているかのようだった。雲ひとつない青空から降り注ぐ日差しは容赦なく、砂浜は白く輝きながら熱を蓄えている。足を踏み出すたびに細かな砂が舞い、潮風に乗って肌へまとわりついた。目の前には、南国特有の濃い青をたたえた海がどこまでも広がっている。沖へ向かうにつれて青は深く、水平線のあたりでは空との境界すら曖昧だった。

 波が寄せては返す。砕けた白波が砂浜を濡らし、引き波が無数の貝殻を転がしながら海へ帰っていく。眼下の海水浴場は夏休みを満喫する人々で埋め尽くされていた。色とりどりのパラソルが並び、浮き輪を抱えた子供たちが歓声を上げて駆け回る。波打ち際では家族連れが水を掛け合い、ビーチボールが青空へ高く打ち上げられていた。焼きそばやかき氷を売る屋台からは香ばしい匂いが漂い、スピーカーから流れる軽快な音楽と、人々の笑い声が絶え間なく重なり合う。

 まさに「夏の海」そのものを切り取ったような光景だった。そして、道路から海水浴場の砂浜へ、Tシャツにウインドブレーカーを羽織った、短パン姿のジェニーが、目の前に広がる大海原へ向かって両手を突き上げて大きくジャンプした。

「海だーっ!」

 束の間、道路上に重い荷物を下ろして一息ついた他の面々も、眼下に広がる海水浴場と、その向こうに続く鹿児島の海を見て口々に感想を述べる。

「海か……。なにもかもなつかしい」

 かつて兄貴分のモモタロウが言ったセリフを、代わって三郎太が口にして思いを馳せる。その台詞に元ネタがあることなど三郎太はどうやら気付いていないようだ。

「ほー、鹿児島の海……いい所じゃないか」

 日差しを遮るように手を額へかざしながら、エディは海の向こうへ目を細めた。その視線の先では、海水浴場の端から大きな岩場の岬が張り出している。

「だろう? のんびり釣りにでも来たなら一発大物を狙うんだがなー」

 腕組みして頷きながら太平プロの代表社長である松平林吾は苦笑する。

「荷物置いたら着替えて泳ぎに行ってもいいんですか!?」

「人が多くてまともに泳ぐには沖までいかないと駄目なんじゃないの、これ?」

 目をキラキラさせながらオトギプロのデビューしたての新人、七海が声を上げ、その横で太平プロに出向してきたばかりの英国人、ローラが呆れたように海水浴客に溢れる浜辺を見てぼやく。というか海水浴場で泳ぐのに沖へ出るという発想そのものが危ない。普段海で泳ぐことのないローラは若干海をナメているようだ。おそらく彼女の海の知識はテレビで見たドーバー海峡横断あたりに囚われてズレているのだろう。

「いや、ちょっとまってください!? 当たり前にスルーしてますけど、なんでここに太平プロでもオトギプロでもないジェニーが居るんですか!?」

 さらっと流しかけた面々に対し、ベスがツッコミを入れつつ開幕浜辺ジャンプを決めたジェニーを指さす。

「なんでって話を聞いて面白そうと思ったからだけど? 地獄の夏合宿とか、サイコーじゃん! ボクもまぜてよ!」

 ケロっとした顔で満面の笑みを浮かべるジェニーに、さしものベスも言葉を失い、三郎太を窺う。

「さ、三郎太!?」

「いや、僕に言われても。というかジェニーさんは足首を捻挫してたはずじゃなかったっけ。もう平気なのかい?」

 頭を掻きつつ、三郎太が尋ねる。彼女──新興団体「ノワール・ゲート」のエース、ジェニー・葛葉は過日のEQT本戦のベスとの試合で「シューティングスタープレス」の着地の際の事故でひどく足首を捻り、その故障が敗北の一因となったはず。幸い骨に異常はなかったが酷い捻挫と聞いたが、まだEQTから20日ほどしか経っていない。

「へーきへーき! さっきのジャンプ見てたでしょ? もうなんともないよ! ホラホラ!」

「わかった、わかりましたから跳ねるなッ! ちょっと美樹!?」

 砂の上で宙返りでも始めそうなジェニーを見て、また自分のせいで怪我をしたなどという事態になるのを厭うたベスが制止すると共に、助けを求めて美樹を呼んだ。

「十分参加費は払うって言うし、合宿中は私の指示に従う約束でさらっとつくった契約書にサインしたから問題ないわ。もちろん、怪我しても自己責任ってきっちり明記しといたし。練習相手としては申し分ないでしょう?」

「美樹……」

 いつの間にやら、しれっと書面まで取り交わしていた友の周到さにドン引きしたようにベスがその名を呟く。背後ではベテラン中堅悪役レスラーのイカサマが、腰に手を当ててうんうんと頷いていた。このクソ暑い中、道化の白塗りフェイスペイントにカイゼル髭、さらに白いタキシードまで着込んだ相変わらず胡散臭い格好である。目の端にはなぜか涙まで浮かんでいた。

「馬七っちゃん、お孫さんは逞しく育っておりますぞ。ちょっと行き過ぎなのは貴方そっくりですがな」

 並んで腕組みして立っているオトギプロのベテランレスラー、キャプテンフックが微妙に首を傾げる。

「そっくりか? ……そうかな……そうかも……?」

 美樹の祖父の事を良く知るベテラン二人の感慨を前に、林吾の苦笑がさらに深まった。

「うーん、否定できん」

 

 ジェニーの勝手な合同合宿への参戦に一同が驚きと呆れを隠せないでいる中、美樹はパンパンと小気味よく手を叩いて全員の視線を集めた。

「はいはい、見物はひとまずこのへんで。後でオフで遊べるタイミングはちゃんと用意するから。それより、そろそろ今回の合宿先になるお寺からお迎えが来るはずなんだけど……」

 美樹がスマートフォンの画面に目を落としながら、道路の先へと視線を巡らせる。だが、彼女の予想に反して、迎えは道路ではなく砂浜から現れた。砂煙を舞い上げる軌跡とロードノイズ。海水浴場の端、およそ車輪が走るべきではない目の粗い砂浜の上を爆走してくる影があった。

「出たよ……」

 正体を察したのだろう。サチがげんなりした顔で零し、隣の雫が同感を示す。

「相変わらずみたいですね……」

 目を丸くするベスやローラ、ゾーザなどの新参組、そしてオトギプロの面々とジェニーの驚きをよそに、マウンテンバイクと思しき二輪は一直線に一行の足元へと疾走し、乗り手の声が響く。

「ほっほっほ! 若者は元気でよいのお!」

 美樹が笑顔で手を振った。

「あ! 砂塵をあげて激走するその姿は……お久しぶりです!」

 二輪は鮮やかに一行の足元の砂地へ突っ込み、直前で車体を真横にスライドさせた。盛大に砂を蹴立てて後輪をロックさせる、鮮やかな横滑りブレーキ。ざばっと砂の波を浴びせられたジェニーが顔をしかめて手で遮りながら「ギャー!?」と悲鳴を上げるのも気にせず、そのチャリンコの主はピタリと制動を保ったまま、ふぅと息を吐いた。

「キャプテンB.O参上ッ!!」

 現れたのは、一言で表現するなら「怪僧」だった。頭には流線型の自転車競技用ヘルメット。四肢には厳ついカーボン製のプロテクターを装着しているが、その下に着込んでいるのは紛れもない墨色の僧衣と袈裟である。日に焼けた顔で、どこか自転車ハンドルを思わせる左右に力強く突き出た白い髭を鼻下に蓄えたその老人は、手慣れた動作で自転車から降り、スタンドを蹴り立てた。

 唖然とする一同を代表して、美樹が何事もなかったかのように一歩前へ出る。

「皆さん、ご紹介します。今回お世話になる、輪輪寺の住職……通称『キャプテンB.O』よ。合同合宿はこのご住職の協力のおかげです」

 紹介をうけて挨拶のため手をシュタッと跳ね上げるキャプテンB.O。

「バイシクル・オショー、気軽にキャプテンB.Oと呼んどくれ♪」

 そのあまりにもカオスなビジュアルに、ローラやエディといった外国人勢は完全にフリーズしている。イカサマは、白塗りの顔をさらに白くして「……この私をインパクトで上回るとは!?」とショックを受けており、フックは「キャプテンな……キャプテン……」と同類扱いを受けそうな事に遠い目をしていた。

「昔モモタロウさんから聞いた話だけど……。なんでも今は亡き馬七コーチは尋常小学1年の頃、補助輪付の自転車しか乗れなかったのをあの人のコーチで補助輪卒業したとか……」

 三郎太のまた聞きの解説をうけてベスが顔をひきつらせる。

「付き合いが長いのは伝わりますが……関係深そうでいて微妙に関係なさそうなコメントに困る距離感ね……」

 そんな周囲の困惑などどこ吹く風で、B.Oは砂浜の先にある、大きな岩場の岬をグッと指差した。

「挨拶はここまでじゃ! 寺に荷物を置き、試合装束に着替え次第、初日は砂浜を使って訓練を行う!」

 太平プロの面々は諦めた風に――もとい慣れた様子で荷物を担ぎ直し、寺のある岬の上を目指して歩き始める。

「えっ、試合装束って……リングコスチュームで、ですか!?」

 遅れて動き出しつつ、声を上げたのはオトギプロの若手エース格、赤ずきんだ。その疑問に答えるように、キャプテンB.Oはプロテクターに包まれた腕を組み、朗々と喉を鳴らした。

「そなたらはプロレスラーなのじゃろう? 砂の上で踊れぬ者に、マットの上で舞う資格なし!」

 その言葉の勢いと妙な説得力に、ジェニーは目を輝かせ、ローラの目がわずかに鋭くなる。

「言葉の意味はよくわからんがとにかくすごい自信だね、ひひ……」

 ゾーザが笑う。ただの奇天烈な老人というだけではない。砂浜という足場の悪い環境を利用した、理にかなった足腰の鍛錬。彼女らのプロレスラーとしての本能が、この合宿の「地獄」の片鱗を察知していた。なお、赤ずきんはさすがにマントとフードは砂でかさばると主張し、外装パージを許可してもらうことになった。

 

 一同はB.Oの先導のもと、重い荷物を抱えたまま砂に足を捕られつつ移動を開始した。一般の海水浴客で賑わうエリアを離れ、張り出した岬の岩場を回り込む。そこは、一般客の立ち入りが制限されている、輪輪寺の私有地にあたる砂浜エリアだった。先ほどの喧騒が嘘のように静まり返り、ただ波の音だけが響くその場所に、奇妙な「設置物」が点々と並んで佇んでいた。

「……あ、あれでリングのつもりなの?」

 ベスが呆然と呟く。白い砂浜の上に用意されていたのは、お世辞にも立派とは言えない、だが紛れもない「四角い空間」だった。砂の中に太い木の棒が4本、荒々しく突き立てられている。そして、その棒の間に等間隔で張られているのは、太い麻の紐が3本だけ。一方その設営の意図を察したエディは感心したように唸る。

「なるほど、足場は踏ん張りの効かない砂。ロープの反発も使えない。限定条件で足腰のねばりと重心制御を鍛え上げるために敢えてのこのリングか」

 感想という形での解説にようやく初参加の面々の表情が変わる。反面、太平プロのメンツは経験があるのだろう、気持ちを切り替えて事前の柔軟などを始めていた。しかし、そこで、設営の労働者と思しき頭にタオルを巻いた水着にTシャツ姿の二人組の影が振り返る。

「ウム、その通りだス。指定した組み合わせで、今からここで練習試合を行ってもらうだス。もちろん、ロープワークなどしたら転倒不可避だス」

 仁王立ちで告げたのは日本でも有数の財閥であるサカタグループ会長にして週刊『フリー・ファイト』の編集デスク、分厚い黒縁四角眼鏡の初老の男性、坂田鋼鉄郎だった。ドドッとずっこける一同。

「なんでコーテツローさんが居るんですか!?」

 いち早く立ち直った三郎太が詰め寄るが、鋼鉄郎はまったく悪びれない。

「無論、出番が欲しかったからだス……ッ! お盆休みで雑誌も休刊、会長職もつかの間の休息。ここで目立たずしてどこで目立てと言うんだスか……ッ!?」

 眼鏡の脇からぶわわっと大量の涙を吹き出し、力強く拳を握りしめて鋼鉄郎は叫ぶ。そこには出番の為なら悪魔にでも魂を売ると豪語するジャンプ漫画『ザ・モモタロウ』きってのギャグキャラとしての魂の叫びが籠っていた。

「というわけで、練習試合で適宜、実況と解説をこなして目立つ所存なので、よろしく頼むだス、三郎太クン!」

「何がどうよろしくなんですかっ!? どうせギャグで茶化しまくる気満々なんでしょう!?」

 三郎太の追及に鋼鉄郎はそっと目を反らす。

「何の事だかワシにはさっぱりだスが……?」

「嘘だッ!」

 いつぞや夢の中に侵入されてやりたい放題遊ばれた記憶がよぎり、声を荒げる三郎太の肩をぽんと叩き、宥めるのは鋼鉄郎の息子であり、先日のEQT大会では公式アドバイザーを務めた三郎太の先達レスラーにしてモモタロウの好敵手の一人、サカタ・ザ・ゴージャス・キンタロウである。

「まぁまぁ、パパがやりすぎないよう私も注意するから、今回は見逃してやってくれ」

 その姿に黙ってられないのが御子柴とベスだ。かつて太平プロの道場でタッグマッチを挑み、新人のブライアンをパートナーに指名したキンタロウに惨敗した彼女たちはその悔しさからキンタロウにくってかかる。

「ああっ、テメェ……ッ!? よくもノコノコと!?」

 怒りに語彙を失って中途半端な声を上げる御子柴。その一方で若干心に余裕のあるベスは冷静にツッコミを入れた。

「そんなこと言って自分も出番が欲しいだけなのでは……?」

 悪戯っぽく笑うキンタロウの背後で、潮風に揺れる紐のリングもどきたち。

「そうとも言う」

 事前に知っていたのだろう。美樹はただ終始ニコニコと笑って見守っていたのであった。

 

 南国の焼け付くような陽射しが、容赦なく鹿児島の海岸へと降り注いでいた。果てしなく広がる青い海と、どこまでも続く真っ白な砂浜。

絶え間なく打ち寄せる波の音が、夏の空気を震わせている。

 そんな中、キャプテンB・Oは、力強く砂浜を踏みしめて、手作り感に溢れるリングもどきを指差し、声を張り上げた。

「まずは砂浜での試合がどういうものか知ってもらおう。そこのそなたと、そなたで対戦ぢゃ。他の者は見届け次第、組み合わせを指名していく故、しかと刮目せよ」

 和尚のしわがれた、しかしよく通る声と共に指名されたのは、二人の女子プロレスラーであった。一人は太平プロレスに居候しているフリーランスの米国人レスラー、シロオニ・ベス。そしてもう一人は、地方ローカル団体であるオトギプロレスリングに所属するキャリア二年目の若手、アサル・ザ・ジニーである。

 その顔合わせを見た瞬間、三郎太の顔に深い憂慮の色が浮かんだ。

「えっ、アサルさんにベスの相手はきついんじゃ……?」

 三郎太の懸念はもっともだ。ベスはアサルと身長にして15センチもの差があり、試合実績から言っても三郎太やジェニーなど団体エース格と互角に渡り合う猛者である。傍らの雫も遠慮がちに頷く。かつて彼女はベスに挑んで敗北し、その実力は身に染みて理解している。その雫にシングルで力及ばず敗北したアサルがベスと戦うと言うのだ。

「アサルさんは私と同じ二年目でしたね、たしかに」

 雫の同意の声に、周囲の練習生たちもざわつき、空気が少し重くなる。しかし、その不安を切り裂くように、エディが静かに口を開いた。彼女の鋭い眼光は、単なる体格差やキャリアの差ではなく、足元に広がる特殊な環境、すなわち砂浜という特異な戦場に向けられていた。

「いや待て、三郎太、雫。キャプテンB・Oの見立ての意図、分かって来たぞ。少し様子をみるとしよう」

 エディの言葉に込められた含みを感じ取りながらも、三郎太は完全に納得しきれない様子で口ごもる。

「しかし……」

 そんな三郎太の優しすぎる性格を断ち切るように、松平美樹が快活な声で割って入った。

「これからいくらでも実力差のある相手と練習試合するんだからいちいち気にしても仕方ないわよ、三郎太クン。そんなこと言ったらデビュー半年のブライアン君やデビュー当月の七海クンの相手いなくなっちゃうでしょ」

 美樹の正論に、三郎太は反論の言葉を見つけられず、後頭部を掻きながら小さく呟くしかなかった。

「そうかな……そうかも……」

 外野の喧噪をよそに、仮設リングの中では指名された当の二人が既に対峙していた。黒と赤を基調としたビスチェトップに、黒のロングレギンス、そして膝下までの金色の編み上げロングブーツという出で立ちのベスは、アッシュブロンドのショートボブを潮風に揺らしていた。彼女のグレイッシュブルーの瞳は、クールな自信に満ち溢れている。

「少し物足りない相手に思えますが……まぁ、練習試合ですし、いいでしょう」

 ベスは丁寧な口調の中に「白鬼」としての苛烈なプライドを滲ませながら、眼前の対戦相手を見下ろす。対するアサルは、褐色肌に黒髪のショートボブが映えるスレンダーな体型を、エジプト風のリングコスチュームに包んでいた。白いビキニトップに、青と金の装飾が施された白い腰布。首の金のカラーと腕の金のカフスが太陽の光を反射して輝き、青いライン入りの白いサイハイソックスと金のリングシューズが白い砂浜に強いコントラストを描き出している。彼女は先のEQT本戦一回戦で、エル・アオルカドの荒縄を使ったヒールムーブに圧倒され、無念の失神TKO負けという屈辱を味わっている。だからこそ、彼女の心の中には、強者に対して己の実力を証明したいという燃え盛るような闘志が秘められていた。

「胸をお借りします。よろしく」

 アサルは物腰柔らかく、清楚な敬語で深く一礼した。その瞳の奥に宿る闘志を見てベスも頷いて構える。

 

 手持ち式のゴングの音を合図に練習試合が開始された直後、動いたのはアサルであった。彼女は足元へと視線を落とすことなく、さも当然と言わんばかりに無造作にリングシューズを砂地に蹴り込んだ。豪快に蹴立てられた砂塵が、意思を持った生き物のように空高く舞い上がる。細かな砂の粒子が太陽の光を乱反射させ、ベスの眼前を完全に覆い尽くした。

「では失礼します」

 砂煙の向こう側から、アサルの丁寧な声が響く。

「なっ!?」

 リングの上では決して起こり得ない、局地戦ならではの目くらましを前にベスは驚愕の声を上げ、咄嗟に腕を上げて目を庇った。次の瞬間、舞い上がった砂塵を突き破って、アサルが超低空のタックルでベスに迫る。

「捕まえました」

 無防備となったベスの足元へと滑り込み、アサルはベスの両脚をガッチリと捕獲する。

「砂を目くらましにするとは……!?」

 ベスが事態を把握した時には既に手遅れであった。アサルはレスリングで鍛えた脚力と体幹の強さを爆発させる。抱えられた両脚を基点にベスの身体がフワリと宙に浮き、アサルの肩の上に腹を乗せるような無防備な体勢で強引に担ぎ上げられる。

「フッ!」

 気合の呼気と共にアサルは、担ぎ上げたベスを反転させると、自らの立てた膝を目掛けて、その背中をシュミット式バックブリーカーに容赦なく叩き落とした。

「がっ!?」

 ベスの肺から空気が強制的に押し出され、苦悶の呻き声が砂浜に響き渡った。この見事な先制攻撃に、木の棒と麻の紐だけで出来たリングの外の練習生たちから歓声が上がり、現役レスラーたちからも感嘆の声が漏れる。そして、何より待ってましたとばかりに暑苦しい実況の声が上がった。

『さー、さっそく始まった太平プロ夏合宿初日、砂浜特設リング練習試合だスが、まずはオトギプロのアサル・ザ・ジニーが巧みに砂を巻き上げて、シロオニ・ベスの隙をついてシュミット式バックブリーカーにとらえただス!』

 どこから取り出したのか、拡声器片手に折り畳み式の長机を設置して叫んでいるのは、坂田鋼鉄郎である。出番欲しさに水着の上にTシャツ姿で頭にタオルを巻き、興奮気味に実況を続けていた。

「特設というか、仮設だろうあれは。……一緒に作った者として言うのもなんだが」

 同じく水着の上にTシャツ姿で首からタオルを下げてキンタロウがぼやく。物は言い様である。しかもみすぼらしいその作りにも意味があると言うのだから仕方がない。

「それはそうとパパ。やたらと多忙そうなのに、ベス嬢やオトギの所属選手のことまで知っていたのかい?」

 気を取り直したキンタロウが問いかけると、鋼鉄郎は眼鏡の奥の目をギラつかせ、誇らしげに胸を張った。

『EQT配信は暇を見てチェックしていただス。あとは徹夜ッ! 寝る間も惜しんで資料をチェックして今日の朝を迎えただス! ワシが出番のためなら努力を惜しまん男だという事はお前もしってるはずだス!』

 鋼鉄郎は眼鏡の脇からぶわわっと涙をちょちょぎらせながら、己の執念を語った。キンタロウは頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、呆れ声で返す。

「自信満々に言う事かッ! ……熱射病で倒れても知らないからな」

 寝不足は健康の大敵だ。鋼鉄郎のように若くもないならなおさらである。素直でない心配を滲ませつつ、キンタロウは真面目な解説へ移行した。

「さて、バックブリーカーは綺麗なフォームだったな。しかし正統派と思われたアサル嬢がいきなり砂をつかった目つぶしとは、少々意外だね」

 キンタロウのレスラーとしての的確な分析に対し、鋼鉄郎は得意げに解説を加えた。

『彼女はエジプト出身で砂の上は言わばホームグラウンドだス! この程度のことは卑怯にも入らない挨拶代わりということだスな!』

 鋼鉄郎の言葉を聞き、キンタロウはリングの中で苦悶の表情を浮かべるベスと、冷静に次の展開を狙うアサルの姿を交互に見つめた。砂に足を取られ、本来のパワーを発揮しにくい環境。そして、砂漠という環境をルーツに持ち、この不安定な足場を逆に利用する術を知っているアサル。

 キンタロウは腕を組み、感心したように呟いた。

「成程、となると案外、実力差は埋まるかもしれないな……」

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