親友のスパダリに勝ってハッピーエンドを迎えたい 作:スイートズッキー
──何もする気が起きない。
布団の上で膝を抱えて座り込みながら、彩葉は虚な瞳のまま動くことが出来ずにいた。
最低限パジャマに着替えて歯は磨いたが、そこから先はずっと今と同じ状態だ。もう何時間こうしているのかすら、彩葉には分からなかった。
首も、肩も、腕も、脚も。動かない。
同じ姿勢を維持し続けて痛みもあるというのに、身体を動かす気にはなれなかった。
立ち上がる気力がないので、当然食事も摂っていない。
それでも、不思議と空腹を感じなかった。それを異常だと身体が認識してくれないほどに、彩葉の
家のどこを探しても、かぐやはいなかった。
家のどこを見ても、かぐやとの思い出が蘇った。
自分の部屋で大人しくしていれば、それだけで少し楽だった。
彩葉が今と同じような状態になったことが、過去に一度だけある。
父親が亡くなった時だ。
思えば、あの時からだろう。家族としてのあり方が変わってしまったのは。
特に母親との確執が生まれたのは間違いなくあの出来事からだ。強さをそのまま形にしたようなあの母親は、葬式ですら涙の一つも見せはしなかった。
おかあさんは、悲しくないの?
そう訊ねた彩葉に、母親である
──あんたには、まだわからん。
落ち込んでいる時ほど、嫌な記憶が呼び起こされる。
何度も、何度も、鮮明に脳内に浮かび上がり続けた。
「…………かぐや」
声とも呼べないほどに細い音が、彩葉の口から溢れた。
天守閣まで走っても、間に合わなかった。顔を見ることすら出来なかった。呼び止めることすら……叶わなかった。
「…………私のせいだ」
自分を責める言葉だけは、すんなり出てきた。
周りにいる人間は全員が優しい。きっと、自分を責めたりはしない。だからその分、自分で自分を責めていく。彩葉にはそれが止められなかった。
かぐやを守り切れなかったのは──
自分がもっと強ければ、兄である帝が残機を使うことはなかった。弱い自分に、庇われる価値などなかったのだ。残機さえ残っていれば、真司が復活する未来があった。そうなれば、勝っていた。
天守閣目前で足止めを喰らい、たった1体の月人を倒すことすら出来なかった。真司は自分の役割を果たし、敵の大将を単独で倒したというのに。
結果的に、1人だけ生き残ってしまった。
何も出来なかったくせに、誰も守れなかったくせに、ただ恥を晒して生き残ってしまった。
あの戦いは──
敗戦の要因は自分であると、彩葉は心から確信してしまっていた。
誰にも合わせる顔がない。
プロゲーマーを辞めてまで力を貸してくれた親友にも、自分の立場が危うくなるにも関わらず
そして何より──彩葉は自分自身が情けなかった。
人に頼っておいて、自分が全てを台無しにしてしまった。
忘れようとしていた母親からの言葉が、彩葉の心に傷を付ける。
〝無理は怠けもんの言い訳や。私は私が出来たことしか言うてへんよ〟。
何も出来なかった
そう考えずにはいられなかった。
〝泣くな。泣くんわ楽してるだけや〟。
涙なんて出てこない。
今の自分には、泣く資格すらないのだ。
〝──
その通りだ。誰かに頼らず、1人で抱え込むべきだった。
自分の甘さが、大切な人達を不幸にした。
彩葉にはそれが、どうしても許せなかった。
「──……」
右手首に付いている銀色のブレスレットが、月光に反射していた。
かぐやから貰った、大切なプレゼント。形ある物が残っていることで、彩葉は余計にかぐやのことを思い出してしまった。
日が昇り、また沈む。
かぐやを失ってから1日が経過しても、彩葉は身動き一つ取れなかった。
役立たずのくせに腹の虫が鳴り始める。それに多少苛つきながら、彩葉は唇を噛んだ。
どうしようもなく、自分のことが疎ましい。
何も出来ないならせめて、何もするな。
誰にも頼るな、迷惑をかけるな。
何もしようとせず、誰の目も届かない場所で静かに朽ちるのを待っていろ。
それが今の自分に与えられるべき罰であると、彩葉は自分に言い聞かせた。
もう何度、脳内で謝罪したか分からない。
何も見えない暗闇の中で、彩葉は己の無力を責め続ける。誰も責めてくれないから、自分で自分を傷付ける。
そうしなければ、そうでもしなければ──彩葉は本当に壊れてしまいそうだったから。
「…………」
床に捨てたスマホが着信で揺れたのは、何度目だろうか。メッセージを受信して画面を光らせたのは、何度目だろうか。
誰かに心配をかけてしまっている事実と、それを無視してしまっている罪悪感で、彩葉の身体はまた少し重くなった。
生きている限り、誰かに迷惑をかけてしまう。
それならばいっその事──そんな危ない思考に陥りかけた彩葉の意識を引き上げたのは、久しぶりに耳にした
「…………寄ッ」
「……?」
「…………酒寄ッ! 」
「えっ……?」
明らかに、風の音ではない。
孤独感が生み出した幻聴かとも思ったが、自分の名前を呼んでいた。
思わず凝り固まった首を動かして顔を上げると、彩葉は声のする窓の方へと這いずり出した。
中途半端に閉じていたカーテンを開き、広がった外へ目を向ける。
月明かりが照らすベランダを見回してみるが、特に変わったことはない。身体の怠さを乗り越えてロックを外し、窓を開ける。何十時間ぶりに当たる外の風に少しだけ心地良さを感じながら、彩葉は声が聞こえてくる方へと顔を出した。
そこには──。
「さ、酒寄ッ!! 落ち込んでるとこ悪いんだけど……すまんっ! 助けてくれっ!!」
「…………は?」
ベランダの柵にしがみ付きながら今にも落下しそうになっている──
「あっ、天野ッ!!」
全く動かさなかった脚を急に動かしたせいで、彩葉の体勢が崩れる。痺れる脚を叩きながら、彩葉は裸足でベランダに飛び出した。
ここはタワーマンションの高層。落ちたら骨折、なんて生優しい怪我では済まないのだ。柵にしがみつく真司の手を迷うことなく掴み、彩葉は弱った身体に鞭を打って全力で引き上げにかかった。
「や、やばいやばいっ……! 自分の運動神経を過信したっ! 頼む酒寄! 頑張ってくれっ!」
「なんでこんなことに……なってるのっ!!」
「あ、足がかかった! もうちょいだっ! 酒寄っ!」
「本当に! 何なのっ!!」
酒寄彩葉、17歳。
人生最悪の精神状態でした人助けは──タワマンから落ちそうになっている親友の救助だった。
衝撃の救出劇から5分。
彩葉は無事に引き上げることに成功した真司を部屋へと入れ、あり得ない登場を果たして度肝を抜いてくれた親友に冷たい目を向けていた。
「……それで? なんであんな所であんなことになってたの? 私、本気で生きた心地がしなかったよ?」
「……いや、いけると思ったんだよ。2mも離れてないぐらいだったし、死に物狂いで飛びつけば余裕かなって……思って」
「ギリギリだったんだ」
「……まあ、はい。ギリギリでした」
気不味そうな顔で言い訳を並べる真司。
彩葉としては、本気で行けそうだと思っていた様子なのが余計に腹立たしかった。
「……はぁ。でも、助かって良かった。……天野にまでいなくなられたら、私は……」
「……酒寄。心配かけてごめんっ。ははっ、助けに来たつもりだったんだけど、漫画みたいにカッコ良くはいかないもんだな」
「……助けに? ……なんで?」
「何でって……連絡しても返事がないし、メッセージにも既読がつかないし、心配になったからだけど」
「……ご、ごめん」
謝られていた彩葉だったが、立場が逆転した。
迷惑をかけていたのは自分の方だったと、冷えた頭で思い出した。
「杞憂なら良かったけど……やっぱりそうでもなかったみたいだな。無茶した甲斐があった」
「うぅ……それは、そうかもだけど」
改めて考えると、今の格好は恥ずかしすぎる。
ボサボサの髪に、パジャマ姿。風呂にも入っていないので体臭も気になるところだ。相手が真司とはいえ、彩葉も乙女の端くれ。意味のないことだと分かった上で、少しでも見える面積を減らそうと腕で身体を隠した。
「あーっ、と、取り敢えず飯食うか? コンビニのだけど、オムライスとかスープとか色々買ってあるからさ。腹減ったろ?」
「……うんっ」
ここで断るという選択肢を取れるほど、彩葉の神経は図太くない。
手早くシャワーを浴びて服を着替えてから、真司が用意してくれたオムライスとスープを瞬く間に完食した。
身体を綺麗にして食事を摂ったことで、落ち込んでいた彩葉のメンタルも多少は持ち直した。空になった容器を片付ける真司を目で追いながら、彩葉は気恥ずかしさを覚える。部屋の照明が、暗闇に慣れきっていた目に僅かばかり染みた。
片付けから戻って来た真司と一緒に、かぐやと使っていたソファーに腰を掛け、彩葉は肩を並べて座った。
「美味かったか? 酒寄」
「……うん、美味しかった。ありがとう、天野」
「おうっ、そりゃ良かった。まともに食べてないとは思ってたけど、まさか水すら飲んでないとは思わなかったよ。はははっ」
「……」
気を遣われていると、彩葉はすぐに分かった。
それも当然のことだ。あんな顔を晒して逃げた挙句、勝手に死にかけていたところを助けてもらったのだから。
彩葉が真司の立場なら、会話を続けることすら苦に思うだろうと容易に想像がついた。
だからこそ、切り出すなら自分から。
謝罪をするなら、自分からだ。
「あ、天野……あのさ、その……私……」
喉が締まり、口が震える。彩葉はなるべくいつものような声を出そうするが、身体が言うことを聞かなかった。
何を言えばいいのか分からない。勝手に巻き込んで、迷惑をかけて、助けにまで来てもらった立場で、どう謝ればいいのか。
母親が今の自分見ればきっと──彩葉が再び自責の念に駆られる前に、真司が口を開いた。
「ごめんな。酒寄」
「……えっ?」
「もっと早く謝らなきゃいけなかったんだ。せっかく頼ってくれたのに……勝てなくてごめん」
座ったまま、深々と頭を下げられる。何故真司が謝っているのか、彩葉には本気で分からなかった。
「な、なんで……天野が謝るの?」
「俺が油断しなければ、あの戦いは勝てた。間違いなく、かぐやちゃんを守れたんだ」
「違うよ……天野はちゃんと、倒してくれたじゃん。あんな強い敵、天野以外じゃ倒せなかったよ」
絞り出したかのような彩葉の言葉を、真司は首を横に振った。
「あれはソロの勝負じゃない、チーム戦だ。俺はそれを忘れてた。その時点で負けてたんだ。……酒寄に頼られたのが嬉しくて、調子に乗ったんだよ。だから……ごめん」
「……なにそれ。おかしいよ。天野が悪いことなんて、何もないじゃん。分かってるでしょ? ……私なの、私のせいで負けたんだよっ!?」
「酒寄……?」
真司へと詰め寄り、大声で謝罪を否定した。
責められるべきは自分、敗因は全て自分にあるのだと。
「私がお兄ちゃんの足を引っ張ったのっ! 私が天守閣を占拠出来なかったのっ! 全部私が弱いからっ! かぐやを守れなかったの! ……私が、もっと、強かったら……かぐやを守れたんだよっ!」
両手で真司の胸部分の服を掴み上げ、彩葉が感情を爆発させる。1人で溜め込んでいたものを、真司に対して思いっきりぶちまけたのだ。
しかし、真司もそれを黙って聞いているだけではない。心底理解出来ないといった顔をして、異議を唱えた。
「そ、そんなわけないだろっ! 何で酒寄が悪くなるんだよっ! お前はたった1人生き残ったじゃないかっ! 落とされた俺達に責任があるんだよっ!」
「違うっ! 実力で生き残ったわけじゃないっ! たまたま死ななかっただけっ!」
「帝と2人で相手の残機を削ったじゃないかっ!」
「お兄ちゃんがいたからだよっ! 私1人じゃ……天野みたいに相手を倒すなんて出来なかったっ!!」
「この……わからずやっ! 俺が悪いって言ってんだろっ!」
「天野の馬鹿ッ!! 何で分からないのっ! もういいっ!」
責任の引き受け合いはヒートアップしていき、ついに彩葉がソファーから立ち上がった。
自分の部屋に向かうため扉に駆け出したが、間一髪のところで真司が間に合う。彩葉の左手首を掴み、逃げを阻止した。
「待てって酒寄っ!」
「離してっ! …………離してよ」
「わ、悪い! 力強かったか? ……酒寄?」
急に大人しくなった彩葉を心配し、真司が慌てて手を離して顔を覗き込んだ。
視界に映った彩葉の目からは──大粒の涙が流れていた。
「……見ないで」
「……すまん。俺、熱くなっちゃって。泣かせたかったわけじゃないんだ。本当に……ごめん」
「だから……天野が謝ることなんて、ないんだって。……ばかっ」
指で涙を拭いながら、彩葉が真司の方へと身体の向きを変える。
「……ねぇ、天野はどうしてそんなに優しいの?」
「えっ? そんなの……」
パチリと、部屋の電気が彩葉によって消された。
再び訪れた暗闇に、真司が戸惑いを隠せない様子で狼狽えた。
「さ、酒寄……? ──うおっ!」
雰囲気の変わった彩葉によって、
「さ、酒寄。大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
「……うん」
押し倒されたにも関わらず、真司の口から出た言葉は彩葉を心配するものだった。彩葉が転んだ結果とでも勘違いしたらしい。
どこまでもお人好しな親友に対して、彩葉は身体の上に倒れ込みながら真司の心臓の音を聞いた。
「あ、あの……酒寄、さん?」
「ねぇ……天野。なんかさ、私……疲れちゃった」
異性と身体を密着させているからか、彩葉の体温が上がっていく。
耳に届く真司の鼓動も早まってきており、彩葉はそれを知って不思議と悪くない気分になった。
「天野はさ、芦花が好きなんでしょ……? だったら、他の女子に優しくしちゃ、だめなんじゃない?」
「さ、酒寄は親友だから。……それに、綾紬とも約束したんだ。酒寄のことを助けるってな」
「……そっか。……じゃあさ、
真司の身体に跨りながら上体を起こした彩葉。
その目はどこか遠くを見ているようで、確かな意思を感じ取れない虚なものになっていた。
当然その違和感に真司が気付かないはずもないが、綺麗にマウントポジションを取られてしまっているため身動きが取れない。しかも流れるように両手まで床に押さえ付けられてしまった。
「お、おい。どうした酒寄。なんか、おかしいぞ……?」
「そうかな? ……そうかも。……やっぱり、あったかいね。肌と肌で触れ合うとさ。かぐやが布団に潜り込んでくると、温かくてよく眠れたんだ」
彩葉がゆっくりと、真司に顔を近付けて行く。
ようやく自分の状況を理解した真司は慌てて拘束を振り解こうとしたが、力が及ばない。悲しいことに、インドア派として生きて来た真司の筋力は平均を下回る。体重をかけられた状態では、女子1人に力負けするほどだった。
「寂しいよ、疲れたよ……もう、何も考えたくない。だからさ、天野。……私と一緒にいてよ。ずっとずっと、隣にいてよ。いなくならないでよ」
鼻先が当たりそうになる距離で、彩葉が囁くように告げた。
女子と密着状態、顔面偏差値の高さ、風呂上がりのシャンプーの香りと、年頃の男子高校生にはまさに劇薬。
男を誘った経験などない彩葉だからこそ出せる無意識の魅力が全力で炸裂していた。
それでも、真司は真っ直ぐに彩葉と目を合わせている。
唇が重なりそうになった瞬間、真司はようやく言葉を発した。
「──
彩葉の身体が、停止した。
潤んだ瞳からは熱が消え、代わりに動揺を映す。真司の身体を押さえ付けていた手にも力が入らなくなり、それに気付いた真司によって呆気なく拘束が外される。
呆然と座り込んだ彩葉の肩に手を置き、真司は優しく言葉を放った。
「俺はお前の『逃げ道』になるために来たわけじゃない。お前と一緒に『ハッピーエンド』を迎えに行くために来たんだ」
「……天野」
「ここで俺が酒寄の逃げ道になったら、お前は一生自分を責め続ける。心に一生消えない傷が付く。だからそれだけは──死んでもさせない」
「……あっ、わ、私……私……!」
「思い出せ、酒寄。お前が本当に隣にいて欲しいのは……誰なのか」
その言葉を聞いて、彩葉の頭にはすぐに1人の顔が浮かび上がってきた。
自分の弱さと未熟さに肩を震わせながら、彩葉はその少女の名を口にする。
「──……かぐや」
その答えを聞いて、真司が優しく微笑んだ。
ポンポンと肩を軽く叩きながら、胡座をかいてその場に腰を落とす。
「ははっ、だよな」
「……うん」
かぐやに会いたい。
かぐやの隣にいたい。
かぐやと一緒に生きていきたい。
己の本心を知ったことで、彩葉の瞳に生気が戻った。
そして同時に、一瞬で顔が赤く染まる。親友に対して何をしようとしていたのかを理解した結果だ。絶望しかけていたとはいえ、流石にやりすぎた。
「あ、天野。その……さっきは、なんか、私おかしくなってて。そんなつもりはなかったんだけど……あの、ごめん……!」
「転んで俺が下敷きになっただけだろ? そんなに謝る必要はないよ」
「……あ、ありがとう」
ここは素直に真司の優しさに甘えた彩葉。
蒸し返す必要がないのであれば、すぐにでも忘れてしまいたいほどのやらかしだからだ。
「なあ、覚えてるか? 酒寄。前に俺が酒寄とかぐやちゃんの2人と距離取ろうとした時、2人が俺の家にまで突撃して来たことがあったよな」
「あ、あったね。そんなことも」
「今回は俺の番だったってだけの話だから、変に気に病んだりするなよ? 俺はただ恩返しをしただけなんだからな」
「……分かった。……ずるいなぁ、天野は」
深呼吸をして、意識を切り替える。
ずっと感じていた重みが、完全に消えていた。
「……天野。……私、目が覚めた。やるべきことがあるなら、それに向かって突き進むだけ。1人で自分を責めていたって、何も変わらないもんね」
「ああ、それでこそ俺の憧れた酒寄だ。……俺達はまだ諦めてない。
「……うんっ。──天野、
「任せろ。──
真司から差し出された拳に、彩葉も拳を合わせた。
今の自分には、自分のことを助けてくれる存在がいる。もう頼ることを甘えだとは思わない。この世に頼れる存在は、自分以外にも確かにいるのだから。
「よしっ、じゃあ明日ヤチヨに会いに行くぞ。それが俺達の踏み出す第一歩だ」
「ええっと、ヤチヨに会う事が大事ってことだよね?」
「きっとな。実は俺も詳しい話は聞いてないんだ。ヤチヨから、酒寄と一緒に来てくれって言われてる」
「私と……一緒に」
「明日になれば全部分かるさ。だから、ちゃんと眠ることだ。分かったな? 酒寄」
「わ、分かってるよ」
時刻は午後10時。今から布団に入れば、間違いなく熟睡だ。
寝ていないというだけで、身体が感じる疲労はとてつもない。久しぶりの睡眠はさぞ身体に染みるだろうと、彩葉は苦笑いした。
「……あのさ、天野」
「ん? どうした?」
帰り支度をしている真司に、彩葉が声をかけた。
少しばかり気恥ずかしそうな表情を浮かべて。
「今はもう遅いし……良かったら今日はうちに泊まってかない? 部屋と布団ならかぐやのがあるし、どうかな? ──いや、分かるよ? さっき襲いかかった私がこんなこと言うと変な意味が含まれてるように聞こえるけどさ? 純粋な心配からの提案ってことだけはご理解くださると有り難いです……」
「あははっ、そんな心配してないって。やっぱり酒寄は優しいなぁって感心してただけだよ」
「それなら……良いんだけどさ。それでどうする? 泊まってく? 無理にとは言わないけど」
「ありがとう。でも、流石に帰るよ」
「……そっか。……うん、分かった」
正直に1人が寂しいと言えたなら、どれだけ良かったか。
彩葉は緩みかかっている我慢を締め直し、玄関で靴を履いている真司を大人しく見送ることにした。
「……そうだ、酒寄。家に帰るまで暇だからさ、電話してもらっても良いか?」
「えっ、でも天野、電車で帰るんじゃ……」
「30分ぐらいだし、歩いて帰るよ。なんか今は歩きたい気分なんだ。それに、酒寄とも久しぶりに雑談したいしな」
「……なにそれ。私、もう寝るんだけど?」
「寝落ち通話ってやつ? 酒寄が寝たって判断したら勝手に切るからさ」
「あのさ、それ恋人同士とかでやるやつじゃない? 芦花に言おうかな、天野に口説かれたって」
「すみませんマジで勘弁してください。本当にただ酒寄と話したいだけなんです」
必死すぎる弁明に思わず彩葉が吹き出した。
ゲームに関してはまるで隙が無いのに、こういったことでは隙だらけ。揶揄い甲斐のある親友に、笑いを堪えられなかった。
「分かった、電話しよ? すぐ寝ちゃうと思うけどね」
「それで良いさ。じゃあマンション出たらかけるよ。また明日な、酒寄」
「うん。おやすみ、天野。……あっ、そうだ。聞きたい事があるんだけどさ」
「ん? なんだよ?」
ドアノブへ手をかけた真司を、彩葉が呼び止めた。
先程から気になっていた疑問を解消するため、一つの質問を飛ばした。
「どうやってベランダまで来たの? まさか……よじ登って来たなんて言わないよね?」
「俺の筋力で登れると思うか? 酒寄にだって負けてるんだぞ?」
「笑って敗北宣言しないでよ……じゃあ、どうやって?」
「えーっと、あのさ、隣の部屋って空き部屋だったろ?」
「え、うん。そうだったと思うけど。それがどうしたの?」
呆れた様子の彩葉に、真司は少しだけ言いにくそうな表情で──ぶっ飛んだ答えを返した。
「……
「は? ……いやっ、はぁっ!?」
「おい酒寄、大声出すなって。近所迷惑だぞ」
「天野のせいじゃんっ! ──ていうか、天野が近所じゃんっ!!」
「おおっ、確かに。上手いこと返されたわ。やるな酒寄」
そんなことはどうでも良いと、彩葉が言葉を続ける。
「えっ? いくらっ!? いくらしたのっ!?」
「それはまあ……安い買い物じゃなかったけど。腐っても元プロゲーマーだからな。全財産が8割ぐらい吹き飛んだ程度だよ。かすり傷だ」
「どう考えても致命傷!? ……うぅ、天野〜〜〜ッ!!!」
「やべっ、怒られる。じゃあ帰るわっ! じゃなっ!」
焦った様子で部屋を飛び出した天野に、彩葉は恨めしそうな声を送る。
そして同時に、親友のバカさ加減に笑みが溢れた。
「……絶対、ハッピーエンドにしようね」
親友の覚悟に応えるため、彩葉は気合を入れ直す。
その後、真司と通話で楽しく雑談してから、彩葉は幸せな睡魔によって夢の世界へと旅立ったのだった。