親友のスパダリに勝ってハッピーエンドを迎えたい 作:スイートズッキー
2033年、6月。
東大生として忙しくも充実した日々を送る今日この頃。俺は酒寄からの頼みで、京都へと車を走らせていた。
東京から京都まで車で行こうと思えば、大体6時間程度かかる。
中々に辛い道のりだが、かぐやちゃんとヤチヨの歌姫コンビがスマホの中から歌声を届けてくれたので、変わり映えのない高速道路でも楽しい時間を過ごすことが出来た。
メンバーは俺、酒寄、芦花、かぐやちゃん、ヤチヨの計5人だ。
助手席には芦花に座ってもらい、酒寄達は後部座席で騒いでいる。片道6時間かかるのでサービスエリアにて休憩は挟んだが、運転を交代してもらう必要はなかった。それもこれも、車内が楽しい会話と歌で溢れていたからだろう。
朝の4時に出発した甲斐もあって、京都に到着したのは11時になる手前だった。
高速を降りて下道に入れば、そこはもう京都。歴史と伝統が色濃く残っている場所。日本が誇る『和』の世界だ。
『うはーっ! 着いた〜っ! ここが彩葉の故郷か〜っ!』
『車の中から見るのは初めてだね〜っ! ヤッチョも楽しくなってきたよ〜!』
「はいはい。2人とも、あんまり騒いでるとスマホの充電なくなっちゃうから。少しは落ち着くこと」
『『は〜いっ!』』
親子みたいな会話が耳に届き、俺と芦花が同時に笑う。
本来ならここに諫山もいるはずだったのだが、彼氏との予定が被ってしまったとのことで欠席だ。
──まあ、全部が全部楽しい旅行ってわけでもないので、来ない方が良かったかもしれないが。
「酒寄。改めて確認するけど、旅館での待ち合わせでいいんだよな?」
「大丈夫。まだ結構時間あるから、旅館に行くまでは十分観光出来ると思うよ。かぐやとヤチヨにも、色々見せてあげたいし」
「了解。芦花、ちょっとナビ頼む。京都は道が分からん」
「うん、分かった。スマホ借りるね〜」
『真司〜、かぐやが案内してあげよっか?』
酒寄のスマホから俺のスマホへと飛んできたかぐやちゃんが、ニコニコと笑いながらそんな提案をしてきた。
かぐやちゃんとヤチヨがスマホに滞在するためのアプリは俺のスマホにもインストールされているので、こういった移動が可能だ。
「ありがとう。でもかぐやちゃんに道案内を任せるのは怖いな〜。前に頼んだ時、『そこ』とか『あれ』とか具体性のない指示ばっか飛んできたし」
『うぇ〜っ!? なんでそんなこと言うのぉっ! かぐやは真司の役に立ちたいだけなのに……!』
「かぐや〜、帰っといで〜。天野の邪魔しちゃダメだよ」
『彩葉までぇっ!? か、かぐやに対する信頼がほぼ無い……!』
「車は急に曲がれないからな。許してくれ、かぐやちゃん。その代わり、かぐやちゃんが行きたがってたところは全部回るからさ」
『わーいっ! 真司大好きっ! 彩葉の次に!』
「光栄です」
今はまだスマホの中からしか現実世界を見せてあげられないが、近い将来必ずかぐやちゃんとヤチヨに身体を与えてみせる。
俺と酒寄はその夢を叶えるためだけに、死に物狂いで東大に入ったのだから。
かぐやちゃんが挙げた観光スポットは意外にも王道であり、全員が平等に楽しめる場所ばかりが揃っていた。
清水寺からスタートして、金閣寺と銀閣寺。天気にも恵まれ、青空の下で和の魅力に触れる時間はとても心地良いものだった。
映画村ではかぐやちゃんとヤチヨが大興奮。
外国人観光客に負けない熱量で楽しんでいた。そんな彼女達を見ているのが、俺としては1番面白かったかもしれない。
最後に立ち寄ったのはこれまた有名な嵐山。
壮大な竹林と渡月橋で知られる観光スポットだ。
酒寄以外の全員が初めて来たらしく、俺と芦花もかぐやちゃんとヤチヨに影響されてか、妙にテンションが上がってしまった。これも観光地の魅力によるものだろう。
近くに着物のレンタルをやっている店があったので、満場一致で着替えた。芦花が選んだのは黒色の着物。やはり彼女には黒がよく似合う。
今日泊まる予定の旅館が嵐山付近にあるため、余裕を持って観光することが出来た。
着物を返却して車に乗り込み、30分もかからずに予約していた旅館へ到着。駐車場に車を停め、心と身体が緊張し始めたのを感じながら一つ息を吐いた。
「……いよいよか。酒寄、連絡来てるか?」
「……うん。……もう着いてるって」
「……そうか」
この旅館を待ち合わせ場所として、俺達はとある人物と合流する予定だ。
何故旅館で待ち合わせることになったかと言えば、その人物に指名されたからに他ならない。酒寄曰く、昔家族で訪れたことのある思い出の場所らしい。
その人物に会うことが京都に来た最大の目的であり、酒寄から一緒に来て欲しいと頼まれることになった理由の全てである。
「……かぐや、ヤチヨ。……覚悟は良いね?」
『いや〜……ダメかも。ヤチヨ、どうしよう』
『何を弱気になっておるのかねっ。……ヤッチョもちょっと無理かも。ライブの時より緊張する』
始まる前からこの調子なのはどうかと思うが、相手が相手なので無理もない。
酒寄とはまた別の意味で、かぐやちゃんとヤチヨは色々と胃が痛くなる立場だ。そのことも弱気になってしまっている原因なんだろう。
「……行くか」
チェックインの時間が迫ってきているので、車を降りて旅館へと入る。
手続きを済ませて部屋まで行き、荷物を下ろした。俺と芦花で一部屋、酒寄とかぐやちゃんとヤチヨで一部屋だ。
身軽になったところで再び集まり、全員で酒寄から聞いた番号の部屋へと向かう。ドアの前には1人の女性が立っており、こちらに気付くと鋭い視線を向けながら腕を組んだ。
「──よう来たなぁ。会えて嬉しいわぁ」
酒寄家の頂点にして、酒寄の母親。
ジャケットとパンツスーツを見事に着こなしており、凛々しいという言葉が服を着て立っているような迫力を感じる。
京都へ来た最大の目的。それは酒寄がかぐやちゃんとヤチヨを自分の母親に紹介すること。
つまり──『親への挨拶』を済ませておくためだった。
「……あんたが彩葉の……
「違います」
いきなり凄いこと言い出したぞ。
思わず真顔で否定してしまった。先制のジャブにしてはキツいな。
「あ、あの! 彼は……私の恋人です!」
俺の腕を掴みながら、芦花が援護に入ってくれた。
助かる、俺の彼女は優秀だ。
「あら、それは失礼しました。てっきり彼氏でも紹介されるんかと思てたから。彩葉から話は聞いてます。天野真司君と、綾紬芦花さんやね?」
「「は、はい……」」
「娘が迷惑をかけて申し訳ないわぁ。甘ちゃんやから1人で親に顔を見せることも出来ませんで。──
すげぇ、止まらねぇ。
俺と芦花が完封されている中、酒寄がこほんと咳払いをしてやりたい放題されている空気を切り裂いた。
「お母さん、私の友達を困らせないで。特に天野は運転で疲れてるんだから、その辺にしたって」
「それもそうやな。ほんまに遠いところ御足労いただきまして。──さあ、部屋に入り。心配せんでも、お茶の用意はしてある。じっくり話を聞かせてもらおうやないの」
会敵してから数十秒しか経っていないにも関わらず、俺はハッキリと理解させられた。
──この人は正真正銘、酒寄の母親であると。
「……あ゛あ〜〜っ、疲れた……!」
「ふふっ、お疲れ様。……私もちょっと、疲れたかも」
自分達の部屋の畳に寝転がりながら、芦花と一緒にため息を溢す。
紅葉さんの部屋にいた時間は1時間程度だったというのに、何だこの疲労具合は。野生の肉食動物を目の前にしている気分だった。隙を見せれば喰い殺されると、本能が告げていたように思う。
「あれが酒寄の母親か。聞いてた通り……いや、聞いてた以上に凄い人だったな」
じっくり話を聞かせてもらうという言葉通り、酒寄は紅葉さんから次々と質問を投げかけられていた。
本題であるかぐやちゃんとヤチヨについてのことから始まり、2人と結婚したい、人生を添い遂げたいという酒寄の意見に対しての質問。どれぐらい酒寄が真剣なのかについて見極めるかのような質問などなど、多分人生で最も呼吸のし辛い1時間だったと思う。
俺と芦花はほぼ空気だった。置物だ。
たまに紅葉さんから「そうは思わん?」とか「こんなこと言ってはるけど?」みたいな絡みはあったが、無難に返すことしか出来なかった。
腰を据えて話をしようと思ってしまえば、俺は多分止まらなくなってしまうと自覚していたから。
「取り敢えずは認めてもらえた……のかな?」
「どうだろうな。最後に『あんたの好きにしたらええ』とは言ってたけど、諦めによる突き放しなのか、本心からそう思っているのか、俺達には分からないしな」
「多分、彩葉にも分からないんじゃないかな……」
「……んーっ、それもそうか。でも酒寄はスッキリした顔してたよな。言うべきことは言い終わった、みたいな顔してさ」
かぐやちゃんとヤチヨも最初は会話に加わろうとしていたのだが、紅葉さんと酒寄の会話速度に入り込むことが出来ず、10分が経過した頃には俺達と同じくほぼ置物になってしまっていた。
あのかぐやちゃんとヤチヨを借りてきた猫状態にするとは、恐るべし酒寄の母。
「でも、親への挨拶ってあんな感じなのかな? 私も真司くんのお母さんに挨拶する時……ごめん、今の忘れて」
「あの、可愛すぎませんかね。芦花さんや」
「お、お風呂に……行ってきます」
芦花は真っ赤になった顔で着替えを持つと、小走りで部屋から出て行った。
可愛い。思わず自分の足を2回叩いた。痛かった。
「……俺も、風呂に行こうかな」
夕食の時間までまだ2時間近くある。
俺は長風呂するタイプでもないし、先に風呂を済ませておこうと決めた。着替えを入れたトートバッグを肩にかけ、部屋を出る。
「──ええタイミングやね。天野君。ほんまに丁度ええわ」
ドアを開けると、少し驚いたような表情をした紅葉さんが立っていた。
言葉から察するに、この部屋を訪ねようとしていたところだったのだろう。
一瞬ビビったが、ドアを閉めて息を整えた。
「な、何か用ですか? 今から大浴場の方に行こうかと思ってたんですが……」
「驚かせてしもてごめんなさいねぇ。ここの大浴場はええよぉ、広くて綺麗で良い湯でなぁ。……けど、温泉は少しだけ後回しにしてもらってもええかな? ──少しだけ、君と2人で話したいんよ」
「…………」
断れる雰囲気じゃないことだけは確かだな。
この圧の強さ、誰かに似てると思ったら俺の母親だ。そのことに今気付いた。この人ほど言葉はキツくないけども。
「……分かりました。……実は俺も、貴女と話したいと思ってたんです」
「そら嬉しいわぁ。ほんなら人のいないとこ行こか? 天野君」
捕食対象を見るかのような視線の鋭さだった。これから風呂でサッパリしようと思っていた矢先にこれかよ。
……でも、俺の言葉も嘘ではない。2人だけで話せる状況を用意してくれると言うなら願ってもないことだ。着いて行かない理由はない。
「お任せします」
「決まりやな。この旅館の裏に広場があってなぁ、そこなら都合ええわ」
旅館を出て裏へと回ると、紅葉さんの言った通り広場に出た。
草が生い茂っているということもなく、綺麗に整備された場所だ。人の気配もないので、ここなら存分に言葉を交わすことが出来る。
「──さて、ほな話を聞こか。好きに喋ったらええよ。
「……えっ?」
「何を驚いた顔しとんの? 君、私に言いたいことがあって仕方なかったんやろ? さっきの場では彩葉に気を遣ってたか知らんけど、随分と大人しかったしなぁ」
そんなに分かりやすいつもりはなかったのだが、どうやらお見通しだったようだ。変に誤魔化す必要がなさそうなのは逆に有り難い。
……とは言え、ひとまずは謝罪からだな。
「失礼な視線を向けてしまい、すみませんでした」
「謝る必要なんてあらへんよ。私が聞きたいのは謝罪やなくて、君の私に対する言い分やからね。話す気がないならお開きにするけど……どないするの?」
腕を組みながらの高圧的な態度に一瞬怯みかけるが、拳を握り締めて自分を奮い立たせる。
全部聞いてくれるというならお言葉に甘えようじゃないか。俺はこの人に叩き付けたい文句が──いくらでもあるんだから。
「もちろん。頂いた機会を無駄にはしません。貴女と2人でお話しすることなんて、もう無いと思いますから」
「その意気や良し。あの甘ちゃんが頼るだけのことはあるわ」
よしよし、良い感じに気持ちの整理がついてきた。
今なら普段言えないようなことも言えそうだ。本人が目の前にいることだし、直接面と向かって全ての不満をぶちまけてやる。
「俺は──
「…………ほう」
失礼だとは分かっている。
伝えるにしたって、もう少し回り道をしてからの方が良いことも分かっている。
それでも、この人に対する第一声は最初から決まっていた。酒寄に初めてこの人の話を聞いた日から、絶対にこの言葉を叩き付けてやろうと決めていたのだ。
「貴女のことは酒寄からたまに話を聞きました。その度に俺は、貴女が嫌いになりました」
「ハッキリ物を言えるんやねぇ。ええことや」
「失礼だということは重々承知してます。それでも、貴女に伝えておきたかった。陰口にならないなら、こっちとしても気分が良いですから」
「全部聞いたるって言ったやろ? ありのまま、思っとること全部言ってみい。他の誰でもない……私がそれを望んでるんやから」
堂々とした振る舞いに、少しだけ罪悪感が減ったような気がした。
ゲームの煽り以外で相手を悪く言うのには抵抗があるけど、この人の態度に触発されてか、自分でも驚くぐらいに言葉がスッと出て来た。
「酒寄は……貴女に認めてもらいたい一心で頑張ってました。それこそ、自分の命を削りながら。目の下の隈は凄いし、いつも顔色が悪かった」
「要領が悪い子やからねぇ。体調管理が下手なんは生きるのが下手ってことや」
「それを教えなかったのは貴女じゃないですか。酒の席で聞きましたよ、病院に行きたいと言ったら4時間近く説教をされたことがあるって。どういうつもりなんですか? 酒寄を……いえ、彩葉を死なせたかったんですか?」
「そないなことあるわけないやろ? 日頃から体調管理が出来てれば、病院に行く必要がないってことを教えたまでや」
「それはそうかもしれません。でも、体調が悪くなった状態での話は別だ。すぐに病院に連れて行くのは親の義務。俺はそう思います」
「私は義務を果たしてないと?」
「そう聞こえたのなら、そう受け取ってもらって構いません」
しかもこの話は酒寄が6歳の時の話のことだ。
信じられなかった。超放任主義の俺の母親ですら、高熱が出たら急いで病院に連れて行ってくれたのだから。
「あいつが高校時代、どんな食生活を送っていたか知っていますか? 水と粉のパンケーキとか食べてたんですよ? 後は素パスタにエナジードリンク、育ち盛りの女子高校生とは思えない酷い内容だ」
「食事の重要性に気付かんのは愚か者の証明や。私は何度も教えたはずやけどね」
「伝わっていないのなら、『教えた』ことにはなりませんよ。貴女がやったことはただ高圧的な態度と言葉で、一方的に彩葉を殴っていただけだ」
「そうやね。返す言葉もないわ」
「どうしてそんなやり方しか出来なかったんです? 貴女の伝えたいことが正しいと、俺も思います。でも、
「私は私に出来たことしか言うてへんよ」
「彩葉は彩葉であって、貴女じゃない」
「……っ!」
思わず、口調が強くなった。
「自分の娘だから、自分と同じことが出来る。自分の娘だから、自分と同じように生きられる。本気でそんなことを思ってたんですか? 血の繋がりがあれば、それだけで生き方を真似られるんですか? ──そんなわけがない」
熱くなり始めたことを理解したので、一度深呼吸を挟んだ。
冷静になれ。俺はこの人を非難したいんじゃない。謝って欲しいわけでもない。
ただ酒寄の親友として、あいつのために怒りたいだけだ。
「……彩葉から聞きました。父親が亡くなってから、貴女の顔を見られなくなったって」
「……そう。そんなこと言っとったんか」
「その頃から、貴女は彩葉に強さを求め始めた。自分がしてきたように、自分と同じように、強く生きて欲しいと思ったから。……貴女にも事情があったことは理解してます。若くして旦那さんを亡くされたわけですから」
「あら、同情してくれてるん?」
「いえ、違います。事情があったことを理解しているだけで、同情なんて欠片もありません。俺が貴女を嫌いな理由に、それは関係ありませんから」
「ふふっ、そらそうやね。良かった。同情してるなんて返されたら手が出てたかもしれんよ?」
初めて見せた笑顔にも関わらず、目が全く笑っていない。
「彩葉は……父親と作る音楽が好きだと言っていました。貴女にもよく褒めてもらえたと、嬉しそうな顔で話してくれたんですよ」
「…………」
俺の言葉を、紅葉さんは黙って聞いていた。
鋭い瞳のまま、ただ真っ直ぐに俺を見ていた。
「他人の家庭に口を出すつもりなんてありません。俺はそこまで出来た人間じゃないですし、そんな権利もないですから。──それでも、貴女のやり方は絶対に正しくなんかない」
「言い切るんやねぇ。立派やわぁ」
「自分でも驚いてますよ。普段の俺はもっと臆病で、初対面の人に対して絶対にこんなことは言えません」
「じゃあ、何がそうさせるん? 彩葉のためか? あの子のためなら自分は怒れると……そう言いたいんか?」
今までで一番の目力と共に、紅葉さんが腕組みを解いた。
下手なことを言えば視線で殺されそうだ。
それでも、何故か恐怖は感じなかった。
「俺はただ……酒寄に幸せに生きて欲しいだけです。あいつがいてくれたから、俺は救われた。貴女の言う『甘ちゃん』が、俺の人生を救ってくれたんです。酒寄に声を掛けてもらえなかったら、間違いなく今の俺はいません」
「……」
「あいつに出会って、俺はどれだけ自分が恵まれた環境にいるのかを自覚しました。自力で学費と生活費を稼いで、尚且つ学年トップの成績を維持しながら東大を目指してるなんて同級生。日本中探したっていませんよ。それも全部、貴女に認めて欲しいからやっていたことだ」
「恨むんも憎むんも好きにしたらええ。あの子が強く生きてくれるなら……私はそれだけでええから」
言葉とは裏腹に、紅葉さんの顔には僅かに寂しそうな感情が浮かんだ。
どんだけ不器用なんだこの人は。
少しだけ、苛ついた。
「
「……なんやて?」
「母親のことをどう思っているか。そんな質問をされた酒寄はこう答えたそうです。──『嫌いになれたらって何度も思った』」
「…………」
「酒寄は、貴女を嫌いになれなかった。恨むことも、憎むことも出来なかったんですよ。貴女に憧れて、貴女に認めて欲しかった。それだけだったんだ」
「……あの子が、ねぇ」
「ただ、勘違いしないでください。それは酒寄が優しいからそう思えただけです。普通の奴なら、貴女の言うように貴女を恨んで憎むのが正常だ。──それだけは忘れないでください」
「……そうやね。……肝に銘じておくわ」
俺が言いたいことは全て言い終えた。
ここからは、少しのお節介を焼くとしよう。
「酒寄は、もうとっくに強いです。貴女が求めた以上の強さを、彼女は持っています。その強さを手に入れられたのは、酒寄自身が頑張ったからだ。……そして、かぐやちゃんとヤチヨの2人に出会えたからです」
「……あの子らか」
どこか複雑そうな表情で、紅葉さんが視線を逸らした。
実の娘から紹介された恋人が電子生命体だったのだから、思うところがあって当然だ。それは十分に理解出来る。
「あの2人が、今の酒寄にとって『譲れないもの』なんですよ。誰に何を言われても手放すことがない……生きる理由なんです。貴女のことも、あの2人だけには取り繕わずに相談出来てますから。さっきの嫌いになれたらって話も、俺はかぐやちゃんから聞いたんです」
考え込むような表情を見せてから、紅葉さんは口を開いた。
「……画面の向こう側にしかおられへん子達やろ? 正気とは思えんなぁ」
「そう遠くない内に身体を作ります。酒寄と俺で、必ず作って見せます」
「そのために東大の工学部か。あんたも付き合わされたんやろ? 迷惑かけられたと思ってるんやないの?」
「微塵も思ってません。むしろ、酒寄は俺に夢を与えてくれました。何もなかった俺に、やりたい事を持たせてくれたんです」
紅葉さんの目が、もう一度俺を捉える。
鋭い視線なことに変わりはないが、それでもどこか柔らかさを感じさせる目だった。
「──あいつが、酒寄が頼ってくれるなら……俺はそれに全力で応えたい! 甘ちゃんなんて言わせない! 頼れるのが自分だけだなんて思わせない……! 俺はこれからも……酒寄に笑って生きていて欲しいから……ッ!」
思いが溢れて、涙が出そうになった。
それでも、いくら涙腺が緩くとも、今だけは泣くわけにはいかない。この人の前で情けない姿を見せるわけにはいかなかった。
「……それが、あんたの気持ちか。あの子も幸せもんやねぇ。自分のためにこないなこと言うてくれる人、そうそう見つからんもんや」
「……貴女に感謝するとしたら、酒寄に出会わせてくれたことだけです。それだけは……本当にありがとうございました」
腰から曲げて深く頭を下げる。
この人がいなければ、俺は酒寄に出会えていない。
だからそのことについてだけは、ちゃんとお礼を言っておきたかった。
「……質問があるんやけど、ええかな?」
「どうぞ」
「あんたは……彩葉をどう見とるん? 友達か? 恩人か? 腐れ縁か?」
「そのどれでもありません。俺はあいつの──」
「──酒寄彩葉の
震えた声で、俺はそう言い切った。
紅葉さんはそんな俺を見て、無表情に口を閉ざす。
無言の時間が数秒続いた後──紅葉さんは嬉しそうに口角を上げたのだった。
「そうか。あの子は……もう大丈夫そうやな」
紅葉さんは小さくそう呟くと、スマホを取り出して画面を確認した。
「時間もええ頃合いやな。満足もしたし、そろそろお開きにしよか。……ちょうど、来たみたいやしね」
「……?」
「ほれ、後ろ見てみ」
促されるままに首を動かすと、こちらに向かって走って来る人影が見えた。
風呂上がりと思われる浴衣姿の──酒寄だった。
「あ、天野ッ! 大丈夫っ!? お母さんに変なこと言われてない!?」
「お、おう、大丈夫だよ。てかむしろ、俺の方が失礼なこと言いまくってたし……」
酒寄は乱れる呼吸を整えながら、俺と紅葉さんの間に立った。
「ほんまに? お母さん」
「何も言ってへんよ。ちょっとお話しとっただけや」
「急に呼び出してきたかと思ったら天野とおるなんて……どういうつもりなん?」
「見極めたかったんよ。あんたが頼りにしとる男が、
えっ、そういうことだったの?
何を見られていたかは分からないが、多分アウトだろ。
だってほぼ失礼なことしか言ってないぞ、俺。
「ククッ、親友か。揃いも揃って、恥ずかしいこと平然と言うやないの。良かったなぁ、彩葉。天野くんもちゃんと、あんたのこと親友やって言っとったよ」
「そ、そんなん、当たり前や……!」
やっぱり家族相手だと方言出るんだな。
さっきも思ったけど、なんか新鮮だ。
「天野くん。彩葉がなぁ、電話で言うとったんよ。親友も連れて行くからって。大切な人と同じくらい、私に紹介したい人なんやってな」
「そ、それは……有り難いですね」
「ちょっ! 余計なこと言わんといてっ!! 天野も照れるなっ!」
いや、照れないの無理だろ。
揃いも揃ってとか言われてんだぞ。普通に恥ずかしい。
「──まあ、楽しみが出来たわ。叶えたい夢とやらがどうなるか……見届けさせてもらいます。気を抜いたらあかんで、2人とも」
「は、はいっ」
「言われんでも分かってる。かぐやとヤチヨのためにも、絶対に叶えてみせる」
「それでええ。身体が出来たら、次は家に来ることやな。そん時こそ、もっとちゃんとした挨拶を期待しとるわ。──なあ? かぐやちゃんにヤチヨちゃん?」
紅葉さんの言葉へ反応したかのように、酒寄のスマホがブルッと震えた。口を挟まずに成り行きを見守っていたところを襲われたようだ。
スマホの画面には涙目で震えながら手を合わせているかぐやちゃんとヤチヨが映し出されていた。可哀想だけど可愛い。
「……やるしかないな。酒寄」
「頼りにしてるからね。天野」
色々と言いたいことも言えたし、気合いも入れてもらった。
俺と酒寄は軽く拳を合わせ、夢を叶えるための覚悟を改めて固めた。
かぐやちゃん風に言うなら、これが俺と酒寄の『仲良しのやつ』だ。
「……なあ、あんたらってほんまに付き合ってへんの?」
「「付き合ってません」」
次の日、家に紅葉さんを送り届ける瞬間まで──俺達は疑われていた。