親友のスパダリに勝ってハッピーエンドを迎えたい 作:スイートズッキー
──今日もまた、朝が来た。
私こと酒寄彩葉にとって、最も苦手な時間が。
「…………んん〜……」
頭に残る眠気をどうにか振り払って布団から起き上がる。顔を洗って歯を磨き終えたところで、ようやく頭が冴えてきた。
学校に持って行く教科書をカバンに入れて、お弁当の準備を済ませる。用意を終わらせてから手早く制服に着替え、鏡の前で身だしなみをチェック。前髪が中々決まらない時は地味に焦らされる。目の下の隈を隠すためのメイクも必要なので、朝は本当に時間がない。
節電のためにエアコンを絶っているので、扇風機を切り忘れないことも重要だ。今は7月、朝昼晩と関係なく暑いため、基本的に家にいる時は回し続けている。
一度切り忘れたトラウマから、部屋を出る前には必ず確認する癖がついてしまった。
そして最後に、出かける前のルーティーンだ。
今日も無事に過ごせますようにと、最推しである『
「……えへへっ、頑張ろっ」
今日はいつもよりやる気に満ちている。手に持ったヤチヨのメンダコぬいぐるみ(ミニサイズ)を見て、思わず頬が緩んだ。
死ぬ気で捻り出した予算で昨日購入した抽選販売限定のヤチヨカラー仕様のスペシャルなメンダコだ。
これがあれば何だってやれる。今の私は無敵だ。
「……よしっ、行きますかっ」
部屋を出て、駅に向かって歩き出す。
電車の中では予習、学校に着いてからは復習だ。ホームルームが始まるまでの僅かな時間だって無駄には出来ない。私にとってはどんなに短くても貴重な勉強時間なんだから。
授業だって手は抜けない。
内申点についてもそうだけど、
高校に入学して3ヶ月。
古典から数学、そして音楽。体育に至るまで全ての教科に全力で取り組んでいる。余程のことがない限り最高評価を貰えるはずだ。挙手も、提出物も、テストも、それだけの結果を出してきたつもりだから。
そして成績だけでなく、仲の良い友達が出来たことも有り難い。
京都から東京の高校に進学した私には当然知り合いなんていないので、友達作りには多少の不安を感じていたのだ。良い友人達に巡り会えたのは、我ながら運が良かったと言うしかない。
「今日も彩葉完璧じゃん〜。カッコいいなぁ〜」
「いつも通りのスパダリだ〜。私なんて授業中は睡魔と戦うので精一杯なのに〜」
昼休みの教室。
友達である芦花と真実の2人と机を合わせて、持って来たお弁当を食べる。中身のほとんどはバイト先で貰ったまかないだけど、空腹が満たせればそれで良い。身体を動かすエネルギーにさえなってくれれば栄養は二の次だ。お金もないし。
「あははっ、そんなことないよ。……でもまあ、少しだけ高校にも慣れて来たかな。バイト先の仕事も覚えてきたし、ちょっとだけ余裕が出てきたのかも」
窓の外に広がる夏の青空を横目で見ながら、激動の3ヶ月を振り返った。
学費と生活費を自分で稼ぐという条件でようやく折り合いのついた一人暮らし。最初こそ死にそうな思いだったけど、最近は少しだけ落ち着ける時間が増えたように思う。頑張ってるよね、私。自分で自分を褒めたくなった。
「……ふふんっ」
スカートのポケットに入れていたヤチヨカラーのメンダコをこっそり眺め、小さな子供のように心を躍らせる。値段にして1800円。上京して初めて買った生活に必要のない『余計な物』にしては随分と高い買い物だ。
でも仕方ないじゃん、外れる気で応募した抽選に当たっちゃったんだから。最近はこのメンダコを買うために頑張ってきたと言っても過言じゃない。努力の末に手に入れた推しのグッズを見ていると、無限に力が湧いてくる気がした。
今日はバイトのシフトも入っていないし、帰って予習と復習をたっぷりしよう。
でも久しぶりに6時間は寝たいから、それも考慮した勉強時間にしないとなぁ。眠らなくても生きていける身体が欲しい。小さい頃は寝たくても寝られない日々が続いていたから、贅沢なことを言っている自覚はあるんだけどさ。
「じゃあ、彩葉。また明日ね」
「お先〜っ!」
「うん、じゃあね」
ホームルームが終わり、手を振りながら教室を出て行く芦花と真実。
この後2人で気になっていたカフェに行くらしい。私も誘ってくれたけど、お金を理由に断らさせてもらった。1800円の出費で今月のお小遣いは赤字なんだよね。また今度の機会にご一緒させてもらおう。
「……さて、私も帰ろ」
平和な1日だった。授業も、提出物も、小テストも、全て完璧にこなせたと思う。これもヤチヨカラーのメンダコによるご利益なのかな。カバンにはもう通常カラーのメンダコを付けてるけど、このヤチヨカラーも一緒に付けるか……?
でも万が一なくしたりしたら本気で泣く。しかも抽選販売限定のレア物だから、ヤチヨファンに目を付けられると怖いんだよなぁ。
「……まあ、カバンに入れておくだけで良いよね。それで十分──……あれ?」
学校を出る前にもう一度だけヤチヨカラーのメンダコを握って感触を楽しもうとしたのだが、スカートのポケットに入れた手には──
「……嘘。……嘘でしょ?」
何も入っていないポケットに何度も手を入れる。しかし、結果は同じだった。私の手がヤチヨカラーのメンダコを掴むことは、一度もない。
顔から血の気が引いていくのを感じた。間違いなく、上京以来最大のピンチだ。私は下駄箱から慌てて校舎の方へと戻り、メンダコを落とした可能性のある場所を隅々まで探し回った。
「……ない」
教室にはなかった。
「……ないっ」
廊下にもなかった。
「……ないないないっ!」
どこを探しても、見つからなかった。
探し初めて30分。私は絶望の中にいた。
まだ見ていない場所はないかと、今日1日の記憶を必死になって呼び起こしてみるけど……授業のことばかりが浮かんできてしまう。正しいことなんだけど、今だけは必要ない情報だ。
「は、ははっ……」
何が平和な1日だ。油断したらすぐこれだ。
お母さんが見ていたらと思うと、背筋が凍りそうになる。大切な物をポロポロ落とすような奴には、何も出来ん……とか言われそうだなぁ。
なんて、廊下で立ち尽くしながら考えた。
「……私の……ヤチヨグッズ……」
まずい、泣きそうだ。
学校で泣くわけにはいかない。泣くなら家でだ。せっかくバイトが無いというのに、これ以上無駄な時間を過ごすわけにもいかない。
勉強代だと思って、あのメンダコは諦めよう。1800円という笑えない額の勉強代だ。痛い思いをした分、強い教訓となってくれるだろう。
……そうだよ。別に無くても困る物じゃない。
生きて行く上で必要な物じゃない。あんなの、ただのグッズだ。勉強の方が……100倍大切なんだから。
頭では分かっていても、足が動いてくれなかった。
探すのを諦めろという命令に、身体が従ってくれなかった。
涙が滲み出した目を指で擦りながら、深呼吸で息を整える。
──そんな時だった。
「……あ、あのっ」
「ッ!? ……は、はい。何ですか?」
突然、後ろから声をかけられた。
涙を無理矢理に引っ込めてから、作り笑いを浮かべて振り返る。視線の先に立っていたのは1人の男子生徒だった。黒髪で首にはヘッドフォンをかけており、大人しそうな顔をしている。上履きの色からして同級生。つまり、1年生だ。猫背だから分かりにくいけど、身長は175cmぐらいあると思う。結構高い。
無意識に警戒してしまった私の内心を察したのか、その男子生徒は誰が見ても分かるぐらいの下手な作り笑いを浮かべて口を開いた。
「さ、探し物って、もしかして……
人と話し慣れていないような小さな声だったけど、ちゃんと私の耳には届いた。
「な、何でそれを……?」
「……今、私のヤチヨグッズって言ってたので。……それと、さっきから学校中を移動してますよね? 何かを、探してるみたいに。……俺、今日は職員室に用があったんで、何度か見かけました」
視線を合わせることもなく、彼は私の状況を正確に言葉にしてみせた。
ちょっとだけ探偵っぽいなと思ってしまったけど、すぐにそんなことはどうでも良くなった。独り言を聞かれていた恥ずかしさの方が上だったから。
「あ、あははっ。実はそうなんですよね〜。スカートのポケットに入れてたんですけど、気付いたらなくなってて。……でも、もう諦めて帰るところなんで! 心配してくれたならありがとうございましたっ」
「……えっ、諦めるんですか?」
驚いたような表情を浮かべる彼に、私は少しの苛立ちを覚えた。
せっかく受け入れようとしているのに、どうしてそんなことを言うのかと。
「い、いやぁ〜、全然見つからなくて。……時間も、もったいないですし。……そ、それじゃあっ」
「──……待ってっ!」
立ち去ろうとした私を、彼は呼び止めた。
今まで聞いていた小さな声からは考えられないほどに、大きな声で。
「お、俺も……探すの手伝います。落としたグッズがどういう物か、教えてもらって良いですか?」
「……えっ?」
ヘッドフォンを完全に外してカバンにしまい、彼は私と目線を合わせてきた。
誰かに頼るのは苦手だ。何も返せないし、完璧とは言えないから。自立しなければならない私にとって、1番苦手な事と言っても過言じゃない。
……でも、何故かは分からないけど、この時の私はすぐに断ることが出来なかった。
いつもならすぐに『大丈夫です。ありがとうございます』って言えるのに、この時だけはすぐに言葉を返せなかった。
ただ呆然と、彼の顔を見ていたような気がする。
「……あ、あの、グッズの特徴を……教えてもらえますか?」
「…………あっ、えっと、落としたのは──」
固まってしまった私に、彼は再び訊ねてきた。
私の口は自分でも驚くほど素直に、落としたグッズについて説明を始める。
「〜〜〜っ!? ……ヤ、ヤチヨカラーの……メンダコ。……当たったんですね。倍率、凄かったのに」
「あっ、いや、たまたま当たっただけなんで。……落としてたら世話ないですけど」
改めて落としたという事実を口にすると、胸が痛い。
本当に、何をやっているんだ私は。
「あ、あの、説明しといてなんですけど……お手伝いしてもらうのは気が引けると言うか、申し訳ないので……私のことは気にせず帰ってもらえませんか?」
「ひ、1人で探すより、2人で探した方が良いですよ。安い物でもないですし……何より、ヤチヨのグッズなら絶対に見つけないと」
「それは……そうなんですけど」
「今日の行動を振り返って、歩いた場所を探しましょう。2人なら、きっと見つかりますよ」
「……あっ、ちょっと」
意外な強引さを見せると、彼は歩き始めてしまった。
あの熱意から察するに、私と同じヤチヨ推しなんだろうな。それが分かってしまうと、何だか余計に断りにくくなってしまった。
結局そこから1時間、私は彼に探し物を手伝ってもらうことになる。
合計で1時間半もかけた甲斐あって、ヤチヨカラーのメンダコは無事に見つかった。
発見場所は移動教室で行った音楽室の床の隅。カーテンで出来た影に隠れてたから、さっき探しに来た時には見つけられなかったようだ。
嬉しそうな顔でメンダコを私に差し出してきた彼にお礼を言って、大切な宝物を受け取る。
もう二度となくさないという覚悟を込めながら、メンダコを両手で包み込んだ。
……本当に、良かったぁ。
胸の奥がじんわりと温かくなった。
先程まで重かった身体が嘘のように軽い。本当に子供みたいだ。
「あ、あの、ありがとうございました。その、良かったらお礼をさせてもらえると嬉しいんですが」
「……あっ、じゃあ、俺はこれで」
「えっ? ──あ、あのっ! ちょっと待って!」
私がお礼の提案をすると、彼はハッと目を見開いてから早足で音楽室を出て行ってしまった。呼び止めようと声をかけたけど、慌てて付けられたヘッドフォンによって物理的にも精神的にも拒絶されてしまう。
追いかける気力も残っていなかったので、私には彼の背中を見送る事しか出来なかった。
「……名前も、聞いてないんだけど」
夕日が差し込む音楽室に、私の声が響いた。
次の日の昼休み。
私はいつものように机をくっつけてお弁当を食べる芦花と真実に、昨日の男子生徒を知らないか訊ねてみた。
この高校は校則が比較的緩いので、髪を染めている生徒も大勢いる。
目の前でお昼ご飯を食べている芦花と真実もそうだし、黒髪でヘッドフォンを付けた生徒なら逆に目立っていて心当たりがあるかもと期待したのだ。
「えーっ? 黒い髪でヘッドフォンを付けた男子生徒〜?」
「……珍しいね。彩葉が男子のことを聞いてくるなんてさ」
「あ〜っ、本当じゃんっ。なになに? もしかして恋バナ〜?」
「ち、違うって。そうじゃなくて……その、ちょっとお世話になっちゃったから、お礼を言いたいんだ。でも、同級生ってこと以外は分からなくて……どこのクラスにいるのかとかも、全然で」
「名前は知らないの〜?」
「……うんっ。聞いてない」
そりゃ厳しいな〜と言いながら、真実がお弁当に入っている卵焼きをパクリと頬張った。今日も気持ち良いぐらいの食べっぷりだ。
「お、お世話になったって……何があったの?」
「ちょっ、芦花? なんか目が怖いよ?」
「あっ……ごめんっ。ちょっと心配になっちゃって」
「あははっ、ありがとう。落とし物を探すの手伝ってもらっただけだから。心配しないで?」
「……そっか。それなら……ちゃんとお礼しないとだね」
芦花と真実からの情報によると、あの男子生徒は5組か6組にいるかもしれないとのことだった。
私が1年1組なので、クラスは大分離れている。合同選択の授業でも一緒にはならない組だし、知らなくても無理はないよね。
ひとまず、5組と6組に的を絞って探すことにした。
今週の放課後でバイトがないのは明日の木曜日だけなので、明日の放課後までには見つけたいところだ。あまり時間を空けるのも、良くないと思うし。
見つかりさえすればお礼が出来る。
そんな私の考えがどれだけ甘いものだったかを──私は次の日の昼休みに思い知ることとなった。
「…………」
廊下から6組の教室を覗き始めてもう5分。目当ての男子生徒は見つけられたけど、声が掛けられない。
私はバカか? 見つけることがゴールじゃない、お礼をするのがゴールだろ。どうしてそんな分かりきっていたことに阻まれて立ち往生しているんだ。せっかく慌ててお弁当を食べ終えたというのに、これじゃ早食いした意味が無い。
「……寝てる、のかな?」
廊下を通る生徒達に怪しまれないよう、単語帳を読むフリをしながら彼の様子を伺う。
さっきから机に突っ伏したまま微動だにしていない。ヘッドフォンを付けているから、周りの音も聞こえていない可能性が高かった。
声を掛けたいけど、寝てるなら邪魔をしてしまうし、どうすれば良いんだろう。
私もたまに学校で寝てるから、起こされたくない気持ちは正直分かる。そもそも彼の机が廊下から1番遠い所にあるのも問題だ。他のクラスにずかずかと入り込んでいける図太さなんて、私は待ち合わせていない。
そして結局、何の行動も起こせないまま昼休みが終わる。
私は自分の無力感に打ちのめされながら、自分のクラスへと戻った。次の授業の準備をしないといけないし、何より自分が情けなさすぎて逃げたかった。
出迎えてくれた芦花と真実に結果を報告したら、どこか納得したような声で慰められた。
「確かに、それは声を掛けにくいね」
「んん〜っ。ヘッドフォン男子くん、中々の強敵だ〜」
「良かったら明日、私達が付き添いしようか? 1人より3人の方が、周りからの視線も気にならないだろうしさ」
「私は全然オッケーだよ〜? あっ、でもお弁当食べる時間は残してね?」
「あ、ありがとう。そうしてもらえると助か……」
いや、待て。本当にそれで良いのか?
確かに芦花の提案は魅力的だ。2人がいてくれるなら、私は多分声を掛けられる。
……でも、それは少し、
ふと、彼に昨日言われた言葉を思い出す。
『ひ、1人で探すより、2人で探した方が良いですよ』
彼はきっと、勇気を出して私に声を掛けてくれたんだ。
それなのにお礼をしたいはずの私が勇気を出さなくても良いのかな。
……良いわけない。そんなの、不公平だ。
そもそも、いきなり複数人で声を掛けられたら彼だって驚くはず。そんな思いをさせるのは嫌だった。
「……ごめんっ。やっぱり、私1人で話しかける。彼は1人なんだし、私だけ芦花と真実に手伝ってもらうのは卑怯だもん。お礼を言うなら、ちゃんとしたい」
「……彩葉。……うん、だよね。彩葉なら、そう言うかなって思った」
「そ、そうだよね〜。余計なこと言ってごめん〜っ!」
「全然っ! むしろ、ありがとね。2人のお陰で勇気を出せそう。……あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、帰り道で声を掛けるって怖いかな? 明日はバイトがあるから、どうにか今日中にお礼を言いたいんだけど……」
帰ってきたのはオッケーの意味が込められているであろうサムズアップ。
芦花曰く、私に声を掛けられて嬉しくない男子なんていないとのことだった。それはあり得ないと思うけど、背中を押してくれる言葉にはなった。
友達の助けもあって、私は放課後に彼を待ち伏せ──と言うと聞こえが悪すぎるので、偶然を装って声を掛けることにした。……言葉を変えてもダメだな、やっぱり。
「…………ふぅ」
昇降口の前で、生徒達が帰って行くのを眺める。目当ての彼は、まだ出て来ていない。
逃げ出したくなる気持ちを抑え込むために、ヤチヨカラーのメンダコを両手で握り締めた。ふわふわとした優しい感触に、思わず頬が緩む。
「……あっ」
やはり、黒髪にヘッドフォンは目立つ。
数十人の生徒達に紛れて、彼は下駄箱から出て来た。誰かと話しているなんてこともなく、1人で真っ直ぐ校門へと歩いている。これは好都合だ。学校を出て少ししたところで声を掛けよう。そう思って、彼の背中を追って私も歩き出した。
ストーカーみたいな真似を長時間するつもりはないので、公園の近くを通りかかったところで意を決して声を掛けた。
周りに学校の生徒はいない絶好のチャンスを無駄にせずに済んだようだ。
「……あのっ、すみませんっ!」
「…………」
勇気を出した結果、無視された。
だから私はバカなのか? ヘッドフォンをしてるじゃないか。声を掛けたって気付いてもらえるはずがない。あれ? ひょっとして私って結構ポンコツなのかな。
「……〜〜〜っ!!」
どうしよう。そのまま歩いて行っちゃう。
こんなチャンス、絶対そんな簡単にはこない。学校で話しかけられなかった以上、今しかないんだ。
知らない人に触られるなんて気持ち悪いって分かってる。
でも、それ以外に方法が思い浮かばなかった。それしかないって、思い込んでしまったから。
私は彼の肩に手を置いて──無理矢理その足を止めた。
「──すみませんっ!!」
「……っ!?」
後になって思えば、彼の視界に入るだけで良かったんだ。
この時の私は軽くパニックになってて、そんな簡単なことすら分からなくなってた。どうしても彼にお礼が言いたかったから。
私は自分で思っているよりも、このメンダコを見つけてもらえたことが嬉しかったみたいだ。
「……え、えっと、何か……用ですか?」
彼はヘッドフォンを片耳だけ外して、私の顔を見た。
その瞳は当然のように驚きに包まれていて、申し訳なさが込み上げてくる。
しかし、行動は起こせた。彼に、気付いてもらえたのだ。
私は振り絞った勇気に突き動かされながら、彼の手を引いて公園へと入る。
通学路からは見えない遊具の影に連れ込んでから手を離し、取り敢えず思いっきり頭を下げた。
「きゅ、急にごめんなさいっ! あ、あの……私、貴方にお礼を言いたくて……」
「お、お礼? ……あの、何のことか分からないんですけど……」
──ん? 何か反応がおかしい。
ひょっとして……私に気付いてない? 昨日のこと、覚えられてないのでは?
いや確かに、覚えてもらっているはずというのはこちら側の勝手な思い込みだ。それにしたって、忘れられている可能性なんて少しも考えてなかった。
……どうしよう。こんな状態でお礼とか言っても、意味分からないよね。でも、ようやく声を掛けられたし、お礼はしたい。
「……ッ!」
「……?」
首を傾げている彼を見て、私はこれまでの人生で1番と言っても良いぐらいの無茶を口にした。
「──私と……
その時に見た彼の顔を、私は一生忘れないだろう。
きっと長い付き合いになる。
直感でそう思ったなんて付け加えて言ったら、貴方はどんな反応をしたのかな。
これが、私と彼の出会い。
酒寄彩葉と天野真司の──出会いだった。
2人のファーストコンタクトとなります!
前編という文字通り、まだ続きます。最後まで楽しんで頂ければ幸いです。