とある転生者の受難日記   作:匿名

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第9話

 

 

 

 

 

 空を覆い尽くす魑魅魍魎たち。

 

 その光景はまさに世界の終末の前触れであり、全種族に対する警告。

 

 夥しいほどに広がるその数は、数百、数千では収まりきらないだろう。

 

 

 

 

 

 そんな怪物たちに紛れて、周囲をくまなく確認して回るチキン野郎は誰だと思う?はい、俺です。

 

 「あまり挙動不審にならないでちょうだい」

 「は、はい……」

 

 などと、口ではそう返したものの、やはり浮き足立つ心は抑えきれなかった。

 

 空気が違うのだ。

 いつもなら和気藹々と、何でもない世間話が聞こえてくるはずが、今ばかりは誰も一言も喋らない。息遣いすらも聞こえないほどだ。

 この重苦しい空気感がどうしても肌に合わないのかもしれない。

 

 「ふふっ、柄にもなく緊張しているのかしら?」

 「そ、そりゃあ、初めての戦場だし……」

 「なんじゃ、カリバーン。お主、まさかここに来て『腰が抜けた』などと、そんな興醒めなことを申すわけではあるまいな?」

 「ケツから言って、ダセェ」

 「……それは、彼のためにも訳さないでおこうか」

 「訳さなくても伝わったので大丈夫です」

 

 なんか知らんが、ゾロゾロと〈十戒〉メンバーが集まってきた。

 

 

 というわけで、イカれたメンバーを紹介するぜ!

 

 

 一人目は〈十戒〉『信仰』のメラスキュラ!

 俺の直属の上司にして、いつか『ぎゃふん』と言わせる宿敵!彼女の前で不信を抱くと両眼を焼かれるぞ!なんで!?

 

 二人目は〈十戒〉『真実』のガラン!

 長寿の魔神族の中でもかなりのご老齢だがまだまだ現役!このじいさんの前で嘘を吐くと石にされるぞ!尋問にはうってつけ!

 

 三人目は〈十戒〉『純潔』のデリエリ!

 何かと省略しがちな超脳筋戦闘特化型タイプのパワフルウーマン!彼女の前で不純な行いをした者は病に侵されるぞ!頭撫でんな!

 

 四人目は〈十戒〉『沈黙』のモンスピート!

 魔界でも『頼れる大人ランキング』上位に君臨するちょび髭なナイスガイ!彼の前で秘めたる想いを口にすると声を奪われるぞ!ラブコメの天敵みたいな能力!

 

 

 以上だ!碌でもねぇ能力ばっかだな、戒禁!

 

 

 「〈十戒〉の皆が四人もいるなら、もう今日の戦場は勝利が確約されたも同然ですね!………でも、なんで四人も?多くありません?」

 「初陣の結果は今後の戦争の行方を左右するからねぇ。これでも少ないぐらいだよ……と言いたいところだが、これが現状出力できる最大の戦力だということは、認めざるを得ないね」

 

 モンスピートさんはゆとりある渋い声で余裕ある態度を見せるていたが、すぐに眉間の皺を深く刻み、苦労が滲むため息が零れ落ちた。

 

 いやまぁ、魔界の防衛とか、ブリタニア各地への配備とか諸々を考えれば、〈十戒〉四人が限界だったのだろう。

 何なら〈十戒〉って言っておきながら、実質〈六戒〉だしね、今。

 〈十戒〉統率者が抜けて一人、そん時についで感覚で二人持ってかれ(殺され)、最後の一人は牢獄。ゴウセルくん(人形)では本来の力は発揮できまい。

 

 …………あれ。

 

 「もしかしなくても、うちって結構ピンチ……?」

 「ん、よく分かったな。えらいぞ」

 「えへへ、やったー………って、だーっから……!頭撫でんなって言ってんでしょうが、デリエリ!」

 「ちげぇ。デリエリ()()()()()だ。復唱」

 「また変なこと言って……!あんたは俺の姉じゃ───」

 「復唱」

 「だ、だから────」

 「復唱」

 「……………………………デ、デリエリ……お、お姉……ちゃんっ……」

 「ん」

 

 頼むから誰か俺を殺してくれ……ッ!!

 周囲の奴らも何微笑ましそうに見てんだ!こっちは恥ずかしくて恥ずかしくて……

 

 「すまない、カリバーン。お前には苦労をかける」

 「モンスピートさん……いえ、別にいいんですけど、あの人って昔からあんな感じなんですか?」

 「いや………ただ、君も知っての通り、あの子は末っ子だ。デリエリはこれまで、自身より年下の子と親交を持ったことがなかった。だから、少々言葉足らずなあの子にも気負いなく接してくれるお前と出会って、目覚めてしまったらしい」

 「な、何に……?」

 「姉としての姉性に」

 「???」

 

 飛躍しすぎだろ。めっちゃ難しい折れ線グラフを見せられた後にお出しされたのが、途中式諸々吹っ飛ばして解答だったみたいなもんですよ、これ。過程もなにもあったもんじゃないですよ。

 

 「か、解決方法はないんですか……!?」

 「難しいと思うけどねぇ。お前の代わりができればいいんだが……」

 「オイ、なにコソコソ話してやがる。そういうのは逐一お姉ちゃんに教えろって言ったろ」

 「……………この感じだと、ムリだよねぇ」

 「そんな……!!」

 

 終わった……俺の今世は生涯、この姉を名乗る意味不明な不審者に付き纏われる人生なんだ……

 

 

 「────お主ら、与太話もそこらへんにせぇ」

 

 

 ガランじいさんの深く低い声が背中に落ちる。

 その言葉は、普段の陽気で矍鑠とした老人としてではなく、戦場に立つ一人の武人として発せられたものだと瞬時に理解した。

 

 ガランじいさんの視線の先───そこには、白銀を纏った天使たちが、翼を靡かせながら行進していた。

 

 それはまさに、下界の奇跡とも言える光景。

 

 こちらが地獄から這い出た終焉の闇であるならば、あちらは天から降り注ぐ救世の光。魔神族の天敵にして、根絶を願う宿敵。

 ───女神族。前世含めて初めて見るけど、やはり想像していた通り……いや、想像以上の美しさをその身に体現している。

 

 「これはご機嫌麗しゅう、下賤な魔神族の皆様。お行儀よく雁首揃えてやって来てくれたこと感謝申し上げます」

 

 え、口悪っ……

 

 「あらあらまぁまぁ。こちらとしては、その無駄に大きな羽の音がうるさくて辛抱ならなかったわぁ。他種族も迷惑被っているんじゃないかしら。ねぇ?羽虫の女神族さん?」

 

 どっこいどっこいだった……

 

 俺の知ってる宣戦布告は、螺貝を噴いたり、事前に『攻撃しますよ〜』と通達するものだった。

 でも、こっちの世界では、宣戦布告は罵詈雑言から始めるのだろうか。それってなんか、なんかなー……

 

 というか、さっきから()()()()………─────

 

 「さて、お主らの総大将はっと………カカッ!なるほど!こりゃ腕が鳴るわい!」

 「まぁ、概ね予想通りね」

 

 ……予想通り?冗談じゃない。こんなのが予想通りであってたまるか。

 

 先ほどから、ずっと上空から感じられる異質な魔力。

 あまりに膨大で、荘厳で、果てしない魔力。

 これまで感じたことのない、圧倒的な威圧感。絶対的強者にして、理を思うがままに統べることの出来る全にして一。

 

 

 

 

────地上に『太陽』が顕現した。

 

 

 

 「やはり君だったか。〈四大天使〉最強の男、『太陽』のマエル……!」

 

 〈四大天使〉……簡単に言えば、魔神族における〈十戒〉のような存在だ。

 最高神から恩寵を賜った四人の戦士であり、その力量は一人あたり〈十戒〉二人分とされている。

 そんなパワーインフレの権化ともいえる連中の中でも、最強。その無二の称号は決して軽くはない。

 

 「初めまして、ですね。ご存知のようなので必要ないかもしれませんが、念のため。私の名はマエル。最高神様から『太陽』の恩寵を授かりし者であり、あなた方を不浄の檻から解放する者です」

 

 ……あれ、なんか思想が強い人なのかな。

 

 「うふふっ、相変わらず女神族の冗談はつまらない上に不快ね。生憎、この体を不浄の檻だと思ったことは一度もないわ」

 「それはあなた方が魔神族であるからだ。不浄の存在として、この世に生まれ落ちた瞬間からその役割を与えられているからだ。きっと、その体から解放されれば、あなた方の魂も救われる筈です」

 「………『死の天使』だなんて大層な呼び名を付けられているから、一体どんな奴なのかと見てみれば、自分の正義に酔っているだけの、典型的な盲目の女神族のようね」

 「挑発は無駄ですよ。私に不浄なる者の声は届かない」

 

 こりゃダメだ、双方まともに話そうとしないせいで、会話がドストレートの一方通行と化してる。

 

 「では、開戦といたしましょうか。永きに渡る因縁を終わらせる唯一にして絶対の戦争───聖戦、その始まりを」

 

 挨拶代わりと言わんばかりに、彼の周囲に途方もない魔力が凝縮された太陽が顕現した。

 途轍もない熱気だ。この距離でこれなのだ、当たったら一溜りもない。

 

 脳裏で渦巻くのは、自分への失望と、若干の後悔。

 

 魔法を使えるようになって。

 師匠から剣術を教わって。

 メラスキュラから、最低限の合格をもらって。

 

 “強くなった”と傲ったわけではない。

 英雄になれると自惚れたわけではない。

 ただ、こんな自分でも少しは役に立つんじゃないかって、そう思ってしまった。

 

 目の前にいるのは、まさに死の権化。

 こんな奴がいる、この戦場で、自分が生き残れる未来が想像できなくて───

 

 「しっかりなさい」

 「ッメラスキュラ……」

 「大丈夫よ。あなたはただ降りかかる火の粉を払っていればいいだけ」

 

 メラスキュラが俺の瞳を覗き込むかのように、彼女の漆黒の瞳がじっと俺を見据えた。

 その瞳を見つめると、昨晩の出来事がまざまざと蘇り、心臓がキュッと締め付けられる。しかし、彼女の言葉に、わずかに冷静さを取り戻すことが出来た。

 

 「さぁ、開戦といこうかね」

 「カカッ、久々に腕が鳴るわいッ!」

 「お姉ちゃんとしてイイトコ見せないとな」

 「さっさと終わらせましょう」

 

 〈十戒(四人)〉は悠々と前線へ躍り出る。

 その姿はあまりに傲慢で、そしてあまりに───強者の背中だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場に蔓延るのは、いつだって血と肉の臭いだ。

 

 産毛が立つような雄叫び、彼方此方で吹き荒れる爆発───そして、血の気の引くような断末魔。

 

 

 「ぐっ、この───!!」

 

 剣と剣が火花を散らす。

 憎悪と共に振り下ろされた刃を受け止め、軽くいなしてから、相手の刃元を叩き折った。

 驚愕か呆然か、その場で立ち尽くす女神族の顎に蹴りを入れ、失神させた。

 

 生きている───その事実が奇跡と思えるほどに、この場は混沌の戦場と化していた。

 

 幾ら倒したとてキリがない。むしろ、相手の士気は増すばかり。

 おそらく、戦場の中央付近で武神の如き活躍を見せる最強の男(マエル)の存在が大きい。

 あの男が、〈十戒(四人)〉を抑え込んでいるから、女神族が躍起立つ。

 

 「ハァ、ハァ……!」

 「死ねッ!この穢れた種族がッ!!」

 「しまッ───」

 

 体力の限界───しかし、相手は休息の時間を与えてくれるわけもなく、死を誘う天使は嬉々として俺の首元に向かって鎌を振り下ろす──が、その鎌は届くことなく、その持ち主と共に魔界の業火に焼かれ地に堕ちた。

 

 「ダイジョウブ、カ?」

 「あ、ありがとうございます!助かりま───」

 

 感謝を告げた直後、目の前に巨大な光の柱がそり立つ。

 そのあまりの威力と爆風に煽られ、直撃していないにもかかわらず、頭から地面へと叩きつけられた。

 視界がぼやける。切れてしまったのか、こめかみあたりからドロりと赤い血液が流れた。

 

 俺を助けてくれた赤い色の魔神は俺の知人だ。初日からいつも気にかけてくれて、とても面倒見の良い先輩だった。

 そんな人も、次の瞬間には木っ端微塵となって、見るも無惨な肉塊に変わり果てていた。

 さっきまで普通に話していた知人が、頼りになる先輩が、今や見る影もなくなった。

 

 これが、戦場。

 その意味を、その真髄を、その恐怖を。今、この瞬間、ようやく理解に至った。

 

 逃げ出したい、そう思うのは普通だった。

 だけど、それ以上に───()()。相手への憎悪が、自身の中でも渦巻いているのが分かる。

 

 みんな、死んだ。先輩も、同期も、友人も。今、この瞬間にも、死んでいる。

 

 ある人は、家族が帰りを待っているから絶対に死ねないと言っていた。

 

 ある人は、近々子供が産まれると、嬉しそうに話していた。今度見せてくれるとも約束した。

 

 親、兄弟、姉妹、子供、友人、恋人……それを理由に戦っていた人たちは、みんな死んだ。

 

 何故、俺たちがこんな目に遭うのか───ひとえに、目の前にいる女神族が自分たちの根絶を願っているからに他ならない。

 この憎悪が、自身を戦場に引き留めているのが分かる。

 

 みんな、命を燃やして戦っている。

 このままじゃ俺は、たとえ蘇るとしても───死んでも死にきれない。

 

 

 その時───ふと、声が聞こえた。

 その声は戦場にはとても相応しくない、情け無く懇願しながら、誰かの名を叫ぶ声だった。

 

 「─────あっ」

 

 その声がした場所に目を向けると、そこには傷だらけの少女と、その少女を抱き込むもう一人の少女だった。

 余程大切な人なのだろう。涙を流しながら、庇うように抱き抱えながら、ここにはいない最高神に妹を助けてくれるよう懇願している。

 

 しかし、そんなことどうでも良くて───

 

 「女神族……」

 

 手負いの女神族。それも、二人。

 

 俺の中に棲まう悪魔は囁いた──これはチャンスだ、と。復讐を果たす、仇討ちを果たす絶好のチャンスである、と。

 

 「女神、族……」

 「ヒッ……!?く、来るなっ!?」

 

 心底怯えた表情。

 その顔が、何故か妙に頭に残る。

 

 彼女の制止の声を無視して、片手剣をぶら下げながら、ゆっくりと歩み寄る。

 

 「わ、私の命ならいくらでもくれてやるッ!じゃが、その代わり、妹は、妹だけは見逃してくれ……!!」

 

 『後生の頼みじゃ』と、必死に頭を下げる女神族の姿を見ながら、今の言葉を反芻する。

 

 きっとこの人は、そこにいる妹が世界でもっとも大切な存在なのだろう。彼女は彼女の妹のために、これまで戦ってきたのだろう。

 だけど、それはこちらも同じだ。みんな(魔神族)だって自分の大切な存在や守るべき者のために、戦っている。

 『自分たちだけは……』なんて甘い幻想は、この戦場では通用しない。

 

 剣を頭上に高く掲げる。

 女神族も諦めがついたのか、妹を庇うように、さらに深く抱き込む。

 

 さぁ、殺せ。

 後悔なく剣を振り翳せ。

 勇ましく散っていた同胞たちのために、コイツらの血を捧げろ。

 

 

 殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ────

 

 

 

 

 

 

 

 ─────ガシャン

 

 

 

 

 

 

 

 天高く掲げられた剣は───先端から、地面奥深くへと突き刺さる。

 目の前の少女も、俺が何故剣を手放したのか理解出来ないのか、唖然とした表情で見つめてくる。

 

 「……ほら、魔力回復薬。これを飲めば、全快とは言えないけど、魔力は回復する。それで、女神族の秘術を使って回復させてあげて」

 

 ガタガタと震える少女の手のひらに、しっかりと薬を握らせる。

 軍の支給品だけど、魔力を使わない俺からしたら邪魔もいいところだったから、むしろ不要物を押し付けられて良かったまである。

 いまだに唖然とした表情を浮かべる彼女に、ほんの少し苦笑した後、手から零れ落ちた剣を再び拾い上げて、ゆったりと後退した。

 

 「───待ってくれッ!!」

 

 翼を広げ、上空へと旅立つ直前、再び彼女から制止の声が上げられる。

 

 「……何?早く行かないと、上司に怒られるんだけど───」

 「何故……何故殺さぬっ………何故情けをかける!?私たち(女神族)お前たち(魔神族)の敵じゃぞ!?」

 

 『助けてくれ』と懇願してきたのはあなたなのに……なんて、思わないわけでもないが、やはり疑問なものは疑問なのだろう。

 

 これまで積み重ねてきた憎悪を、また新たな憎悪で語り紡ぐ───この二種間の歴史を鑑みれば、この疑問は当然のものだと言えるかもしれない。

 理解出来ないものほど、怖いものはないのだから。

 

 「………みんな、同じなんだって思ったから」

 

 魔神族も、女神族も、みんな何かのために戦っている。そうじゃない人もいるけど、それだってきっと女神族にもいるだろう。

 ……同じなんだ、そこに種族どうこうは関係ない。

 ならば、いつの日か、分かり合える時が来るのかもしれない。血で血を洗う日々が訪れなくなるかもしれない。

 

 

 「………誰かが、止めないと」

 

 

 だからこそ、思う。

 

 

 「………誰か一人でも、振り下ろす剣を止めないと」

 

 

 だからこそ、願う。

 

 

 その憎しみを、その歴史を、その軌跡を、誰か一人でも断ち切れるように、と。

 

 

 でなければ、平和なんて訪れない。

 

 

 でなければ───きっと、分かり合える日なんて来やしないのだから。

 

 

 「……やっぱ、小心者なんだなぁ、俺は。殺し合いよりも、ぐーたら魔術の本を読み漁ってる方が、俺の性分には合ってるっぽい」

 「ッ」

 「さぁ、その子を回復させたら、さっさと戦線離脱しなよ。せっかく助けたんだから、生き延びてもらわないと俺が困───」

 

 ……嗚呼、やはり、この世界は俺に優しくないな。

 

 女神族の少女が焦燥を塗りたくったような表情で、俺に何か告げようとしているが───おそらく、もう遅い。

 

 

 

 

迫り来る魔力は、魔を滅する光そのもの。

 

 

 

 

もう間も無く、『太陽』の権化が裁きを下しにくる。

 

 

 

 

 

 「───不浄なる魔神族よ。卑劣な手段を用い、我が同胞に手をかけることは、この私が赦さない」

 

 

 

 

 

 あまりに容赦なく、そして慈悲深い声と共に、全身に衝撃が奔る。

 

 

 急速に朦朧としていく意識の中、かろうじて目にしたのは────自身の胸から腕が生えているというショッキングな光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───おかしい。

 マエルはこれまでの経験から、たった今、()()()()()()()()()()()()男児の胸を容赦なく貫いた後、その異常性について察知した。

 

 本来、魔神族には心臓が複数個ある。

 心臓は上位になるにつれ数が増えていき、それと比例するように、より力も増す。

 魔神族の根絶を願い、それに全てを懸けている女神族が、数少ない彼らの弱点を知らないわけがない。特に、前線に身を置くマエルといった精鋭たちは、如何に効率よく弱点を突くことが出来るか、研鑽に研鑽を重ねてきた。

 マエルの場合、その圧倒的なパワーを活かし、相手の胸を打ち抜くことで全ての心臓を外気に晒すのをもっとも得意とし、もっとも手っ取り早い手段として多用していた。

 

 しかし、それ故に、困惑する。

 

 「……私の拳で全ての心臓を掴んだつもりでしたが、まさか()()()()のみだったとは……」

 

 目の前の魔神族は、心臓の数が僅か一つ。この小さな体では、通常の魔神より心臓が密集した形になっているはずだから、撃ち漏らしたなどということはあり得ない。

 変異種、それとも元々そういった体質でこの世に生まれ堕ちたのか。

 

 そこまで臆測を飛躍させたマエルは───その場で涙を流した。

 

 「嗚呼、かわいそうに。不浄の檻に囚われただけでなく、不完全な状態として生まれてしまったのですね。しかも、君のような子供が……」

 

 右手に握りしめた心臓は、弱々しくも確かに鼓動を刻んでいた。それはまるで、元いた場所に戻ろうともがいているかのようで、マエルはその生き意地に感嘆と、どこか儚さを覚えた。

 

 「………申し訳ありません、無駄な苦痛を強いることになってしまい。今すぐ、その呪われた体から解放して差し上げますから────」

 

 その時、カリバーンのナイフのように鋭い目を見て、思わず口を噤んだ。

 なんて勇ましい眼差しだろうか。今なお胸を貫かれ、唯一の心臓を奪われながらも、その戦意は微塵も衰えず、自身()を捉えて離さない。

 

 次いで、側頭部に途轍もない衝撃が奔る。

 死角から放たれた一撃は、如何にマエル(最強の男)といえど完全に防ぎきれず、その勢いのまま後方へ吹き飛ばされた。

 

 下手人は──〈十戒〉が一人、『純潔』のデリエリ。その顔は、あまりに昏く、あまりに憤怒に染まっていた。

 次いで、続々と〈十戒〉の面々が彼の状態を確認し、心に影を落とす。

 中身、外見ともに無茶苦茶だった。心臓を抜き取られたことで胸にぽっかりと穴が空いただけでなく、『太陽』の力によって、心臓周辺部の器官も高熱でぐずぐずに溶かされていた。

 

 遅かった──この場にいる誰もが、ただただ自身の不甲斐なさに打ちのめされた。

 

 

 

 「カリバーン、治しなさい。これは命令よ」

 

 

 

 ただ一人を除いては。

 

 「カリバーン、起きなさい。私がそばにいるわ、救かる、大丈夫よ。だから……お願い、目を開けて。ねぇ、カリバーン……」

 

 メラスキュラは彼の頭を膝に乗せ、頬を優しく撫でながら『さぁ、やれ』と言い聞かせる。

 誰がどう見ても手遅れの状態。〈十戒〉である彼女がそのことを理解していない筈がない。しかし、ただひたすらに、壊れたようにカリバーンの名を呼ぶ様子は、側から見たら異常そのもの。

 狂気に取り憑かれた死霊の女神は、ただ『生きろ』と命じるだけだった。

 

 「……メラ……ュラ………あの、二人………は………」

 

 目はほとんど見えず、かろうじて聴力のみが作動している彼は、そこにいるであろう存在に彼女たちの安否を確認させた。

 

 「…………多分、戦場から離脱出来たんじゃないかしら」

 

 二人───身に覚えのない複数形の単位に、メラスキュラは、ここから徐々に離れていく二つの魔力を探知し、きっとこの二人のことを指しているのだろうと臆測を立て、彼に伝えた。

 

 すると、カリバーンは───嬉しそうに笑うのだった。

 

 

 

 「あ、ぁ……………よか………た………」

 

 

 

 その言葉を最後に、まるでそれを言い終えるのを待っていたかのように、もはや不要となった呼吸器官は停止し、血が脈打つこともなくなった。

 彼の体には、すでに魂は消え失せていた。

 

 死亡───その事実が、メラスキュラの脳内で何度も反芻する。しかし、その思考は至って冷静だった。

 この子の魔力がある限り、きっとまた転生する。だから、何も焦ることはない。生きていれば、いずれまた探し出せる──と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ただただ頭脳を働かせて────

 

 

 

 「───彼は素晴らしい魂をお持ちのようですね」

 

 

 

 マエルは何事もなかったように、自身が相対した少年を讃辞しながら、拍手と共に灰燼から現れる。

 魔神族の子供に女神族が、あまつさえその最高峰に位置する〈四大天使〉が惜しみない拍手を向ける───この異常事態に目を剥いた女神族も多い。

 

 「私はあなたのように魂に精通しているわけではありませんが、直に対峙して理解しました。彼は決して折れぬ高潔な魂をお持ちである、と。それに………いやはや、油断したわけではありませんが、吹き飛ばされる直前、振り向き様に素晴らしい一撃をもらいましたね」

 

 トントン、と指し示す彼の頬には、刃物でなぞったような細い赤い裂傷が一本刻まれていた。

 

 「彼となら、共に酒場で酌み交わすことも出来たかもしれません……────嗚呼、だからこそ、悔やまれる。()()()()()()()()()()、と」

 

 しかし、彼は笑顔だった。懺悔を口にしながらも、むしろ()()()()()やり遂げたと、そう誇らしげに言っているかのように。

 何故か。それは──心の底から、『自身は()()()()()()()()()のだ』と、本気でそう思っているからに他ならない。

 

 

 

 幼少期のマエルは虫を殺すことすら躊躇うほどの小心者で、周囲からは優秀な兄と比べられ、肩身狭い日々を過ごしてきた。

 しかし、そんな憧れの兄から賜った言葉(呪い)が、彼を善意に満ちた化け物へと昇華させた───

 

 

 

 『魔神族を殺すことは罪ではない。不浄の檻に囚われた魂を救う正義に他ならない』

 

 

 

 虫一匹殺せなかった少年は、いつしか『死の天使』と畏れられるようになった。

 

 自身は、不幸にも、穢れに満ちる檻に閉じ込められた魂を救っているのだと、一欠片の疑いも抱かずに。

 

 全ては憧れの兄の()()であるために。

 

 そして、いつか愛しの女神に自分を見てもらえるように───

 

 

 

 

 

 「黙れ」

 

 

 

 

 

 感情を宿さない、無機物から発せられたかのような、ひどく冷たい一言が戦場に木霊した。

 メラスキュラには、怒りも、悲しみも、憎悪も、何もない。ただただ、虚しいまでの『無』が、ないはずの心に棲みついていた。

 

 

 「その薄汚い口を閉じてちょうだい。この子の魂を語っていいのは私だけ……少なくとも、あなたが語っていい物じゃない」

 

 

 その虚無の瞳に映る色は何色か────

 

 

 「決めたわ。たとえ、どれだけ時間がかかったとしても、あなたには必ず地獄を見せてあげる。生まれてきたことを後悔させるような、そんな地獄を」

 

 「…………やってみせろ、魔神族風情が」

 

 

 

 そこから始まった戦闘は、まさに数千年先にも語られる戦の初陣を飾るのに相応しい激戦だった。

 

 天は荒れ、大地は揺れ、ブリタニア全土に轟いた激闘の決着は、両軍の痛み分けで終着した────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ゼルドリス様、お弟子様が亡くなられたというのに、顔色変えず、今日も稽古をなされている……」

 「噂通り、血も涙もない非情なお人ってことだろう。流石は次期魔神王候補、流石は冷酷な処刑人って感じだ」

 「バカっ、聞こえたらどうすんだよ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……………何故いつも、俺が大切だと思った存在は、俺のそばから離れていくのだろうな。なぁ、ゲルダ、兄者……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「聞いた?メラスキュラ様の配下の子が……」

 「えぇ、見るも無惨な有様だったんでしょ?明るくていい子だったのに……」

 「〈十戒〉の方々とも親交が深かったって聞いているわ。あの『無欲』ゴウセル様とも……」

 「メラスキュラ様も取り憑かれたように何かを探し回っているっていうし……ほんと、ままならないわよねぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「マエル……お前はいったい、どれだけ私から大切な者を奪えば気が済むのだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かの少年が今際の際で願った、『憎悪の連鎖』からの脱却は、皮肉にも彼の死によってますます膨れ上がるばかりであった。

 




────魔神族編、完。
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