【二次小説】機動戦士ガンダムGQuuuuuuX Another side 作:高坂 源五郎
—ペガサス級強襲揚陸艦〈ペイルホース〉—
スピーカーから流れるエルラン中将の演説が終わると、艦橋を沈黙が支配した。それからブライトが咳払いを一つして、艦の現状について懸念を述べる。今も〈ペイルホース〉は空中に浮遊したままなのだ。
「艦長、ここに留まるのは無茶です。歩兵用バーニアだってあるんですよ。空中にいても乗り込まれるかも……。」
マチルダはその先を言わせまいと、ブライトの発言に言葉を被さる。
「そうね、副長。それでは機銃に人を配置して、接近攻撃への対空攻撃を厳にして!」
「艦長!」
事態をより加速させかねないその対処に、ブライトが抗議しようとする。が、マチルダは手で制した。
「これは大規模な反乱よ。見ていてそれが分からないの!?」
“マドラスの中立化”といえば聞こえはいいが、マチルダの見るところは敗北主義に取り憑かれたエルラン中将の暴走した反乱行為でしかない。
「分かりました。……総員、戦闘配置!手の空いた者は機銃につけ。空から乗り込まれるぞ。」
マチルダは、ブライトの様子を見て思う。
(戦闘指揮は優秀だけれど、士官として欠けたものもあるわ。速成の士官教育の弊害。戦う方法以外は全て疎かになっているのね。)
ブライトは今の若い士官の良い例だ。士官の大半は戦う方法だけ教わった若者で、本当に従うべき命令を見抜く術を教わってはいない。だからエルラン中将に扇動されると、『そんなものか』とそれを気分的に受け入れかねない素地があるのだ。ブライトは大丈夫だろうが、彼は明確に上澄みである。普通の士官は命が惜しみ、エルラン中将に従うだろう。
「このような時こそ、信念が必要です。皆、覚悟なさい。」
マチルダは周囲を見渡す。自分はもう腹を括った。だから、周囲にも覚悟を決めさせる。マチルダの視線を受けたものは、皆意識を改めていく。マドラス基地司令部からの通信が入ったのはその時である。
『〈ペイルホース〉よ、聞こえるか?』
基地からの通信要請に、マチルダは冷たい声で応答した。
「こちら〈ペイルホース〉、聞こえているわ。」
『どうも不幸な行き違いがあったようだ。』
(何を図々しい物言いを)
マチルダは瞬時に頭に血を上らせた。しかし激怒とは、通り過ぎれば氷の如く冷えていくものらしい。一時の熱狂は持続しないが、冷えた心は長く持続する。そして頭も冷静に回転している。
「本艦のパイロットが基地のコマンド部隊に拘束された件、一体どうなるのかしら?」
マチルダは真っ向から切り込んだ。ここはマドラス基地が先に動いた事実を相手に突きつけていく他ない。
『予防的措置として、必要な事だ。』
相手は悪びれもさずに答えた。一触即発で睨み合っているにしては悠長な話である。
「どうしてくれるんですか?」
『通信では誤解も多い。特使を派遣する。彼女と、よく話し合ってくれたまえ。私の代理だ。』
それで通信が切れた。そしてマチルダは気がついた。今の会話相手は演説をした声と同じだ。つまりマチルダの話した相手は、エルラン中将その人であったのだと。
コマンド部隊を乗せた軍用トラックが捕虜にされたパイロット達とともに姿を消した後、一人エレカを運転して現れたのは見慣れた後輩の姿である。
「やあ、センパイ。」
マチルダは彼女を乗せるように部下達へと指示した。厳密にはカーゴベイのハッチを開いた状態で接地させた。アンキーはエレカごとハッチから乗り込む。
「武装はしていないようです。」
警戒にあたるブライトとリュウが、アンキーを艦橋に送り届けてそう報告する。
(そうでしょうね。)
念のため艦橋に留まっていたマチルダは、アンキーへと近寄り尋ねた。
「アンキー、あなたもこの馬鹿げた反乱騒ぎに加担したの?」
「まあまあ。二人きりで話をしようじゃないか。」
アンキーは常に変わらぬ態度でそう答えた。人目を気にする素振りである。
「……いいわ。副長、後を任せます。怪しい動きがあれば、撃っていいわ。」
ブライトの見せた慎重さを埋めるべく、そう指示を出す。敵の使者の前だからこそでもある。先程のやりとりを知らないアンキーの目には、マチルダが手強く見えるだろう。
「こっちよ。」
アンキーと連れ立って艦長室を目指す。これまで案内した事は何度もあった歩き慣れた道である。中に入り、ロックした。これで交渉が漏れる恐れはない。
「…手短に済ませて。」
個室内で、マチルダはアンキーに迫った。アンキーは最も言いにくい話を最初に切り出した。
「エルラン中将とジオンの間は、アタシが仲立ちした。」
「アンキー、その言葉の意味する所が分かっていて?」
マチルダの目が鋭くなる。彼女の告白は事実上のスパイ宣言に他ならない。いや、より適切には利敵行為であり売国奴と糾弾したいほどだ。それをマチルダに明かして見せたのは、もうまともな方の連邦軍に戻る意思がないとそう宣言したに等しい。
「汚れ仕事だけ押し付けられて、栄光はパイロットが独占した。センパイだってさ、そういうのは分かっている筈さ。」
「だからといって。」
アンキーはマチルダの勢いを制するように、両手を挙げた。
「センパイの言いたいことも分かってるって。でも、アタシはもう後戻りできない。それに、こちらにも言い分がある。」
戦争は綺麗事ではないとマチルダは理解している。アンキーの立場になれば、今回の件についての印象もまた変わるかもしれない。勝ちさえすれば、過程で感じた不満は全て消え去る。指揮した戦闘で勝利した回数の多いマチルダは、それだけでも恵まれた立場にいる。
「オデッサでの勝利では足りなかったの?階級だってレビル将軍に頼めば…。」
マチルダが言いかけた言葉をアンキーは再び手で制した。
「それで済むから、センパイは恵まれてるのさ。」
その物言いはアンキーとマチルダの断絶を浮き彫りにした。マチルダはレビル将軍にもゴップ提督にも陳情出来る。それだけ目をかけてもらっているからだ。
(……そんな言い方しなくたって、いいじゃない)
つまりは、アンキーとしてはエルラン中将に取り入る他なかったのだろう。或いはジオンにそう仕向けられたり、エルラン中将にうまく利用されたのだろうか。
(嫌ね。私の知らないところで後輩がそんな羽目に。)
いずれにせよアンキーにはそれだけの不満があったのだ。そして今となっては、過去を問うても虚しいだけであるとマチルダは悟った。二人の会話はどこまでも平行線しかない。だから頭を事態の把握へと切り替える。
「それで、ここマドラスはどうなるというの?」
「中立だよ。この厄介な戦争が終わるまで、ジオンと連邦の双方の立ち入りを認める。」
それは事実上、ジオンの軍門に降るという事である。独立は名目上のもの、連邦軍から攻めにくくする効果でしかないのだろう。
「つまり敵になると、そういう事でいいのよね?」
同じ陣営でなくなるとのニュアンスを込めてマチルダは問う。アンキーは意外にも否定して見せた。
「いいや。連邦軍とも良い関係で居られるはずだ。戦いを望まない兵士達の楽園になるよ。」
マチルダはアンキーの物言いに嘆息した。厭戦気分が進めばこうなるのか。戦争で死ぬ立場の兵士としては、死なない為の平和は理解できる。だが、自分達だけ安全な後方に引き下がろうという意図にしか見えない。ただアンキーにとっては、敵の中にも話が通じるものがいるという気づきでしかない。
「マドラスの件は私の手には余るようね。でも、パイロット達は解放して。連れて帰るわ。」
アンキーの説得を諦めたマチルダは、交渉の条件を口にした。彼女としてはそれしかない、という条件である。
「分かった。」
アンキーはあっさりと頷いた。彼女としてもそれしかないと思っている。二人は肝心の交渉そのものはスムーズに済ませた。費やした時間の大半は互いの感情の処理であり、それが終われば状況は鮮明だった。
「今から連絡を取るからさ。撃たないでよ。」
冗談めかしながらもそう言い置いたアンキーは通信機を取り出すと、話し始めた。基地内なら、問題なく通話できるのだ。相手はエルラン中将その人なのだろうか。澱みなく現状を報告して、相手からの指示を受け取っている。そしてアンキーは通信機を置いた。
「その条件で進める許可が出た。パイロット達は連れて帰れる。ザクは諦めてもらうよ。あれは元はジオンの兵器だし、だからジオンに引き渡す。」
「レビル将軍の幕僚達がいたわ。彼らはどうなるの?」
〈ペイルホース〉と共に引き返したバスク・オム大尉以外は、第二軍に残ったままの筈なのだ。エルラン中将を逮捕可能な権限を与えられていた筈だ。
「戦略情報を知る士官達には利用価値がある。渡せない。ただ、捕虜としてはマシな待遇を約束する。」
(捕虜、つまり彼らはエルラン中将の逮捕に失敗したのよね。)
「仕方ないわね。」
条件としては痛み分けである。しかし実態からして、やむを得ない。レビル将軍の予防的措置は無力化されたのだ。オデッサ戦に勝利した事で、派遣された参謀達も油断したのだろう。つまりアンキーにせよ幕僚にせよ、マチルダの把握できない所で事態は定まっていたのだ。
「で、一つ提案があるんだ。」
アンキーは口調を改めた。マチルダは少し呆れた。
「この期に及んで、何?」
「レビル将軍宛の信書を預けたい。その為に、エルラン中将はセンパイに会いたいそうだ。」
「反対です。罠かもしれません。」
マチルダから話を聞かされたブライト・ノア中尉は真っ向から反対した。彼にしてみれば、戦闘配置中に指揮官が自分で捕虜になりに行くように見える。
(そりゃあ、罠よね)
マチルダも内心では同意する。しかし、こうも思うのだ。
(私に、そこまで手間をかけて捕らえる価値があるかしら?)
マチルダは立場こそそれなりに遇されつつあるが、士官としての能力実態はまだまだと自分でも感じる。それに自分の価値は高く判定しづらいものだ。だからマチルダは自分の判断に賭ける事にした。
「でもね、パイロット六名と私一人。軍にとってどちらがより有用か分かるでしょう?私が艦を降りれば、その場でパイロットを解放すると言っているの。」
「約束を守る保証など、何一つありません。艦長が仰られたように、相手は反乱軍ですよ?」
マチルダは嘆息した。敵の為に味方と言い合うこの状況を誰かに変わってほしい、今すぐ。しかしこの厄介な状況を託せそうな相手はいない。仮に今すぐブライトに託しても、この調子ではさらに事態を悪化させそうである。
「アンキーが身代わりとして艦に残るそうよ。私が戻れなければ、彼女を捕虜として帰還しなさい。レビル将軍に報告し、指示を仰いで。」
ブライトの事はそれなりに目をかけたつもりだ。戦闘指揮官としてはマチルダ以上の逸材だと思える節もある。まだ若いが世慣れれば、通用するだろう。
(多分、こんな私よりも適性は高い。)
マチルダは士官としては平凡なエリートだと自らを認識しているのである。それに自惚れは軍人を殺す。ただ顔に恵まれて、世渡りだけは人より少し上手かもしれない。特徴としてはそれくらいだ。連邦士官たるもの、これ位は誰でも出来なければ困るのだ。
「本艦をまとめ上げたのは、艦長あってこそです。ご再考を。」
「ダメよ。私の代わりは貴方がいる。でも、歴戦のパイロットは代えが効かないの。」
マチルダは自らの意思をその瞳に込めた。何かしらの成果を持ち帰りたい想いもある。この状況でそれは相手につけ込まれる邪念かもしれなかったが、マチルダもこの状況の中で何かを成し遂げたかったのだ。
『君が降りれば、パイロットは解放する。彼らと入れ違いで、装甲エレカに乗り込みたまえ。』
アンキーから受け取った通信機で指示を聞きながら、マチルダは武装もせずに格納ハッチから基地の舗装された路面へと降り立った。
「艦長、いざとなればみんなで殴り込みますから!」
カイの声が背後から飛ぶ。リュウがカイを叱責しないのは、彼も同じ気持ちでいてくれるからだろう。マチルダは部下達に、いや弟分であるパイロット達に笑顔を見せた。
「大丈夫よ。このお姉さんを信じなさい。」
虚勢である。この不毛な争いは一刻も早く蹴りをつけたい。ただそれだけである。ここで争っても、今となってはジオンを利するのみなのだから。
(やはり心細いものね。せめて震えを押し隠さなくては。)
降り立った先で、一台の装甲エレカが止められていた。だいぶ先である。マチルダの接近を察知して、ドアが開きパイロット達が降ろされる。遠目にも、手錠姿と分かった。顔や制服に殴られたり小突かれたりした形跡がある。それなりに抵抗をしたらしい。手荒に扱われたのだ。
「今から向かうわ。彼らがすぐに動き出さなければ、この話はなしよ。」
マチルダは通信機に向かい一方的にそう言い捨てると、答えも聞かずに歩き出した。相手が動かなくてもどうするかなど考えがない。相手が上手く動くことを期待して、流れに乗るだけだ。敵がマチルダに手を出せば、後はブライトが艦を率いて引き上げるしか選択肢はない。
幸い、パイロット達も動き始めた。ただし、手錠をかけられたままである。
「ねえ。手錠の鍵は?」
『アンキーが持っている。大丈夫だ。』
通信相手は短くそう答えた。マチルダとしては些か複雑だが、こちらが急かした手前もある。一旦は沈黙した。レビル将軍の元でなら、手錠は外せる筈である。それに手錠如きの話だ。艦内の工作室で必要な工具を見つけられるだろう。
「信じるわよ。」
そう言い置いて、進み始める。パイロット達の姿が見えた。彼らも、何か痛ましいものを見る顔でマチルダを見る。恥ずかしそうに目を伏せる者もいた。
「艦長、すまない。」
そう声をかけたギャリー・ロジャースの言葉に、マチルダは務めて気軽な調子で答える。
「私はレビル将軍宛の信書を預かりにいくだけです。先に艦に戻っていてください。」
パイロット達は何も悪くない。彼らは反乱に与した訳ではない。ただ閲兵を受ける準備をして、そこをコマンドに拘束されただけの被害者だ。相手は味方だったのだ。油断と言ってはかわいそうだろう。
「後、これを。以後の交渉に必要かもしれないので。」
アンキーから渡された通信機をギャリー・ロジャース大尉に手渡す。マチルダは後はあの装甲車に乗り込むだけだ。もう必要ないだろう。
「帰りはどうする?」
「私がここを歩いていたら、迎えに来てください。」
「了解した。」
彼らとの会話はそれで終わった。六名のパイロットが立ち止まって見送ろうとするのをマチルダは急かした。
「私はゆっくり進みます。なるべく急いで艦に乗り込んで。再び捕虜にされたら、打つ手がなくなりますよ?」
「それもそうだな。ゆくぞ。」
ギャリー・ロジャース大尉は部下に声をかけて早足で歩き出した。マチルダは暫し立ち止まってそれを見送ると、ゆっくりと装甲車に向けた歩みを再開する。そしてパイロット達が〈ペイルホース〉に収容されたのを確認すると、コマンドが待ち構える敵の装甲車へと乗り込んだ。
「君が幸運の女神、か。」
マチルダが対面を果たしたエルラン中将は顔色が悪かった。無理もない、とマチルダは思う。祖国を敵に回す決断をしたのだ。彼の幕僚が周囲を取り囲んでいる。その中で一番顔色の悪い男、それがエルラン中将その人だった。
「マチルダ・アジャン大尉です。レビル将軍宛の信書をお預かりに上がりました。」
敬礼と共にそう答える。敵の司令部にいるのは針の筵に座るようなものだ。震えを押し殺すだけで精一杯である。早く帰りたい。マチルダとて、艦長という責任者としての義務感からここに立っているだけである。
(やはり、このまま拘束されてしまうのかしら?)
その事態を半ば覚悟している。それでも単身乗り込んだのは、一人より六人の方が価値が高いという一点のみだ。
「ふむ、レビル将軍は君のような短気な態度の士官が好みなのかな。かけたまえ、話をしようじゃないか。」
意外にもエルラン中将は紳士的に席を薦めてくる。マチルダは戸惑いながらも、指示に従った。本質的に彼女は従うしかない場面である。
「君は不思議に思っているのだろうね。なぜ私がこんな真似をするのだろうと。」
「はい。」
率直な問いかけである。マチルダも正直に答えた。
「私はレビル将軍のような夢想家とは違う。ゴップ提督のように冷徹にもなれない。人には感情があると、そう信じている。」
少し意外な言葉であった。しかしエルランの視点としては、彼ら二人はそう見えるのだろう。マチルダの視点では、レビル将軍が冷徹でゴップ提督の方が夢想家気質には思えたのだが。
「敢えて言えば、私は少し悲観的なのだ。人の営みはギャンブルで損なって良いものではない。リスクヘッジは常に必要だ。ギャンブルは必ずいつか負けるものだからな。だからこそ対処不可能な問題は先送りし、時間を稼ぐべきなのだ。」
エルラン中将の本音とはそれなのだ。それは酷く官僚的でもある。或いは被害を最小化する判断基準なのか。問題は織り込み、腹の中で消化する。抜本的な対応よりも、日々の営みを優先するスタンス。
(これが平時なら、通用する考え方かもしれないけれど。)
どこかで戦争が続いていても、平和な生活はどこかにあるのである。それを区分する事で、人々の生活が戦争に脅かされるのを最小化しようというのだ。
(もしそれが本当に可能なら、夢のようだと考える兵士達の気持ちも理解はできるのだけれど。)
エルラン中将はマドラスでの和平を成し遂げつつある。勝利を謳いつつ部下を戦争に駆り立てるより、敵と取引してでも平和を掴む。或いはそれは弱者を取りこぼさない勇気であるかもしれない。ただ、軍人としては褒められたものではない。
「閣下のお考えは人道的であります。しかし私は軍人です。勝敗が決するまでは、本分を尽くして敵と戦うのみです。」
エルラン中将は政治家になるのがお似合いだ。マチルダは軍人としては彼を軽蔑する。ただ政治家としては認めてもいい。彼が南極条約の担当者なら、ジオンと連邦は平和を掴んだ可能性さえある。
「マドラスは戦争を忌避する民の桃源郷とする事を私が約束する。そう、レビル将軍に伝えてくれ。和平の仲介もしてみせるともな。」
「承りました。」
「さ、これを持っていきたまえ。」
話はこれで終わった。信書を渡されたマチルダは安堵して立ち上がる。その時である。立ち上がり戸口を目指したマチルダを、エルランが背後から抱きすくめた。異常事態に反射的に動こうとして、反応を懸命に押し留めるマチルダ。そんなマチルダの髪に顔を埋めるようにして、エルラン中将が囁いた。
「実は君を拘束し、ジオンの将軍に献上する案もあった。聞いた事はないかな。許された特権階級のみが使う高級娼館のカバスの館の存在を。」
突如、暗闇がそこに口を開いた感覚。マチルダは飲み込まれまいと、細心の注意を払う。背後の男を刺激してはだめだと、そう自分に言い聞かせる。だからなんとか心を鎮め、平静な声で静かに返した。
「……いえ、何も。」
「レビル将軍から幸運の女神を奪えば、それは私にとって勝利と呼べる価値がある。だが止めたよ。力尽くでは祟られそうだからな。君が本物と、そう確信すればこそだ。」
エルラン中将はそういうと、力強い両腕の中で抱きすくめていたマチルダを解放した。マチルダは一瞬よろめいてから、背後から抱きつかれた際に落とされた制帽を床から拾い上げる。
「幸運の女神を掴んだ時は、離してはならないらしいからな。」
そう言ってワハハと笑うエルラン中将に、マチルダの背に再び怖気が走る。マチルダは怯えを押し隠しながら、ただ茫然とエルランの様子を見つめるしかなかった。
(将軍達はみんな狂ってるわ。レビル将軍もゴップ提督もエルラン中将も。)
戦争など正気でいられる行いではないのだろう。
「だが今はこうして君を見逃すのだ。精々、祟らないでくれたまえ。」
「ハッ!」
分かったか分からないような話であったが、制帽を被り直したマチルダは敬礼をして取り繕った。このセクハラ男から逃げ出せるのなら、もう何でも良い。正に破滅の縁に立たされていたのだと今の彼女は理解していた。
「もうこれで下がりたまえ」
「では、失礼します。」
マチルダは全力で駆け出したい衝動を懸命に堪える。後は預かった信書をまるで通行証であるかのようにかざしながら司令部の出口を目指した。マチルダがアンキーと入れ替わりで〈ペイルホース〉に乗り込むと同時に、艦は離床してふわりと飛び上がった。
(逃げおおせたのね、あの男の手から。)
緊張から解き放たれたマチルダはドッと座り込んだ。
「艦長、大丈夫かい?」
慌てて駆け寄る彼女の
—ベルファスト・連邦軍基地—
マチルダがようやく対面を果たしたレビル将軍は後方にいた。オデッサでもワルシャワではなく、レビル将軍は出発地であるベルファストまで退避していたのだ。軍勢は前線に張り付いたままなので、エルラン離脱の影響を見定める一時的な措置であるらしい。
「おのれ、エルランめ。」
マチルダのかつての派閥の領袖が、他の連邦の将官に怒りを見せるのはそう珍しいことではない。レビル将軍は癇癪持ちなのだ。今となっては懐かしい光景に、マチルダは安堵さえ覚える。
「それで君は抗弁せずに、おめおめと引き下がったのかね。エルランの態度を軟化させるのが、君に求められる役割だったのだぞ。身体を張って、食い止めるべきなのだ。それが交渉だろう。」
思いの外、糾弾された。無茶振りもいいところなのだが、レビル将軍にも体面がある筈だ。しかし、明らかにマチルダの責任ではない。こんなもの、背負える範囲の話ではない。マチルダは沈黙してレビル将軍の幕僚に視線を走らせた。
(誰か、私を擁護してくれる人はいないの!?)
真新しい少佐の階級章をつけたバスク・オム少佐がただ一人マチルダの視線に応えて一歩前に出る。
(よりにもよって、あの変わり者だけ?)
マチルダは当惑した。自分もレビル将軍麾下では長い方だ。レビル将軍から「両属でいい」とまで言われたのにいざ吊し上げられるとこんなものである。少佐に昇進したバスクがマチルダを擁護するのも、まだ派閥の内情に疎いからであろう。
「これは好機です。」
「好機だと?」
バスクの意見に、レビル将軍の声が跳ね上がる。
「マドラス陥落がなくなったのです。マドラス方面は交渉で時間を費やしつつ、我が軍の戦力を北米に集中出来ます。」
「ふむ。」
考え込むレビル将軍の横で、マチルダに対しては沈黙をしていたレビル将軍の幕僚が疑問を発した。
「マドラスが陥落した、の間違いではないのかね?」
「実際には違いますな。ジオン側も裏切り者相手に無条件の信頼は見せますまい。それなりの戦力を割く筈です。」
「それは、まあ道理だが。なかなか、こちらの想定や思惑通りにはいくまい。」
バスクの堂々たる反論に怯んだ様子を見せる。この事態への対処は、バスクの方が早く終わらせているのだろう。
「オデッサで我が軍が敵を駆逐した事実は変わりません。ジオンはマドラスを中立化したこの機に再編をはかるはずです。」
バスクは更に一歩前に進み出た。
「しかし南が大きくジオンの勢力が築かれた反面、北米は包囲を継続しています。我らはこのまま北米へと流れ込みましょう。」
「ニューヤーク侵攻か。」
レビル将軍の理解は早い。ベルファストからもジャブローからも侵攻可能な北米東海岸のジオンの戦略拠点の中枢こそ、ニューヤークに他ならない。
「地球の北部を連邦で固める。可能なのかそれが?」
「それを成し遂げねば、連邦は座して滅びますぞ。」
恫喝するようなバスクの言葉である。しかし、レビル将軍が黙って頷いた。レビル将軍が認めた事で、連邦軍の北米攻略は予定を前倒しされて決行が決定された。
—マドラス・連邦軍基地—
「大歓迎じゃないかい。」
海兵隊を率いてマドラス入りをしたシーマ・ガラハウ大尉は、市民の熱烈な歓迎に気を良くしていた。
「当然だ、大尉。我々はこの地に平和をもたらしたからな。」
ダブデの艦橋、シーマの背後ではユーリ・ケラーネ将軍がふんぞり返っていた。しかし今ばかりは、カンに触る訳でもない。余りにも容易な勝利は、シーマの心の垣根さえ溶かしている。
「閣下は、よほど上手に連邦の将軍と話をまとめられたようですね。」
探るような言い方になったのは、手品を見せられている気分だからである。こうも簡単に行くなら、なぜもっと早くしなかったかと。その気持ちはケラーネ少将にも伝わる。
「相手次第だよ。こんな話は。相手を選び、伝手を作る。それで上手く行くかどうかは時の運だ。今回は、ツキに恵まれたな。」
「少将閣下まで、幸運の女神を信じておられるのですか?」
「ああ、ラル少佐も彼女の信奉者とそう報告を受けているな。君も、そうなのだろう?」
シーマの物言いは派閥政治的には迂闊である。しかしラルと同じ派閥と見られている事が幸いした。
「私はラル少佐を通じて、でありますが。」
正直な所を口にする。その幸運の女神が誰であれ、シーマに面識はないのだ。ケラーネ少将もその返答を良しとした。
「ふむ。女神として運気を開いてくれるなら担ぐに値する、か。」
地球で閉塞していたジオンの戦況において、オデッサ後のマドラスは存在感が大きい。
「大尉。宇宙の事は頼むぞ。この後は戦争は空 宇宙での上となる。」
「ええ。お任せください。我ら海兵隊は、宇宙こそが働きの場ですから。」
マドラスにあるエルラン中将の司令室、そこにランバ・ラル少佐は通されていた。ユーリ・ケラーネ少将に先行しての下交渉の為である。
「貴軍からの要請に応じて、あのペガサス級はレビルの元へと戻しました。しかし本当にそれでよろしかったのですかな?」
エルラン中将は探るように、ランバ・ラル少佐に尋ねた。一介の少佐とはいえ、ジオンの参謀本部付きの軍人である。名家の出で、ガルマ・ザビ大佐の連れ戻しに貢献した事も知られていた。今回、オデッサ方面とマドラスを遮断して実力の一端を示した。エルランは親しくして損のない相手と見ている。
(しかし、レビルのお気に入りの女を手中に収められる筈だったのだ。解放に理があると判断したが、感情では未練もあるな。匂いだけで何もせずに解放したのは惜しかった。)
エルランはレビル将軍の部下ではあったが、それだけに心の中で澱のように積もっていた不満がある。意趣返しができるなら、喜んで手を染める気持ちがあった。だが目の前のこの男に止められたのだ。マチルダ・アジャンは無事に返せ、と。
「エルラン中将にはマドラス自由政府の代表として、今後の連邦とジオンの間を取り持って頂く必要があります。それに先んじて、相手に不必要な不快感を抱かせるのは得策ではないでしょう。」
ラルの語る内容は、正論ではある。しかしラル個人の思惑もある。
(アルテイシア様やハモンが目立たぬのは、マチルダという女性艦長の下に隠れているからだ。話を通してある以上、当面はそのままでいてもらう方が都合が良い。)
無論そのような思惑を、エルランに伝えればどう利用されるかも分からない。だから、別の理屈て説得をする。
「それにMSを運用する為に開発されたあのペガサス級は、ジオンでも“赤い彗星”が拿捕したものを改装中です。連邦軍があの艦に期待を寄せるほど、我々が運用してみせた時の衝撃が深まるのですよ。」
「なるほど。“赤い彗星”が拿捕していましたな。それをジオンは実戦投入されるか。」
そこまで説明されたエルランの顔に、ようやく納得が浮かぶ。
「はい。連邦軍の戦力の程度を測る指標としても使っています。宇宙に上がったところを叩き潰す為にも、少し泳がせたいのです。」
ラルの言葉にエルランの目が光る。ジオンの戦略の真意を探り当てたと考えたからだろう。参謀本部の将校なら、それも本国付きなら知悉している。ジオン側の意図を探るのは、今のエルランには欠かせない貴重な知識である。
「するとやはり、ジオンは宇宙での決戦と?」
今度はラルが『おや?』という顔をして見せた。これも無論、演技である。
「マ・クベ大佐は熱心な宇宙決戦論者です。オデッサのザクを宇宙に上げたのも、ザクの使い所は宇宙と心得ておられるからだ。その点、私も同意見ですな。」
直に情報を漏らしはしない。しかしそれとなく肯定して見せた。エルランは納得顔を見せた。そして思い出したように、話を切り出す。
「そういえば、連邦のザク部隊のザクをお渡しする準備が整っていますが。本当に持っていかれるのですかな?」
稼働するザクはエルランにとっても貴重である。出来れば手元に残したい。しかしパイロットがいない今、簡単には動かさない。無論部下には事欠かないが、訓練させるにしても指導役もいない。ジオン側が感じてくれれば都合はいいが、この気にジオンに返して得点を稼ぐのが既定路線である。それはマチルダと交渉したアンキーでさえ把握していた。
「ええ。同じザクかと思っていましたが、改良が施されていたようですな。なかなか興味深い。本国で研究させます。」
連邦軍もエンジニアリングの能力は高い。ジオンのザクにも改修が施されている。その効果は微細なものだが、違いはある。性能が向上するなら、本国も回収に前向きだろう。何よりザクは、現役の主力MSなのだ。未だに生産ラインの大半はザクである。
「では、お持ち帰り頂いた際はギレン総帥閣下にくれぐれも宜しくとお伝えください。」
「ええ。心得ております。」
勝者たるジオン軍人に媚びるエルランを、ランバ・ラル少佐は武人らしく堂々と受け止めていた。
—ベルファスト・連邦軍基地—
ベルファストには連邦軍の大規模な海軍基地が存在している。北米侵攻の主軸となるゴップ提督の艦隊を護衛する〈ペイルホース〉は、ベルファスト基地で待機を命じられていた。
「この地でニューヤーク侵攻の準備を固める。」
念願の北米侵攻を前に、ゴップ提督は意気軒昂である。欧州に居残ることになったレビル将軍は、既にワルシャワへと蜻蛉返りしていた。
「戦力は不足しないのかしら?」
マチルダの感覚としては、北米侵攻部隊はオデッサ攻めの三分の一にまで減った感覚がある。しかしこれはどうも違うらしい。
「元々、北米を包囲する戦力がある。北米の平野は、機甲師団の展開も艦隊からの大規模な航空支援も容易だ。」
当然のように〈ペイルホース〉に乗り込んできたのはバスク・オム少佐である。作戦指導の名目だ。ザクをエルランに取られた結果、パイロットが降りた〈ペイルホース〉ではただ一人の部外者だ。だが、今は誰よりも大きな顔をして艦橋のマチルダの横に居座っている。
「少佐は、レビル将軍の元には居られずに良いのですか?」
マチルダは意識して物腰やわらかく尋ねた。もしかしたらレビル将軍の側近集団から爪弾きにされているのかもしれないが、聞いておくべき話ではある。
「今少し武功を立てる必要もあるが、主に手配の為だ。北米で温存すべき設備を優先して保護する。連邦の勝利の為に、生産設備を押さえる必要がある。」
思いの外まともなバスクの返答であった。
「ゴップ提督ならば、兵器生産にもお詳しいのでは?」
「あの方は掛け声ばかりで、実務家ではないからな。枠を整える立場であって、どこの工場が重要かまでは承知されておらん。」
マチルダとしても納得である。大枠を決めるのが将官の話であり、個々の工場の重要度の査定など佐官ないし尉官の仕事なのだ。つまり先日まで大尉で少佐になりたてのバスク・オムに似合いの仕事であるのだろう。
「それにな、マチルダ・アジャン艦長。」
今日のバスクはどこか機嫌がいい。昇進して運気の向上を実感しているからだろうか。秘密を明かそうとばかりに顔を寄せる。マチルダもまたバスクに対する警戒が甘くなっていた。話をまともに聞く態勢に入る。
「なんでしょうか?」
気を許した後輩がその上官共々ジオンに寝返る経験をしたばかりである。ジオンに対する戦意が高いだけで、バスク・オムを信頼に値すると評価出来る気がしていた。
(きっと、この見た目で損をしてきたのでしょうね。)
義眼、もといそれを隠すゴーグル型のサングラスをかけていてる容貌魁偉な大男でもそれだけで忌避する気にならない。むしろ今の彼は、レビル将軍の前で唯一マチルダを庇ってくれた実績がある。自然、距離も縮まろうというものだ。婚約者もいるし生理的には無理なので、仕事での関係に留まるが。
「連邦軍の宇宙での反攻計画のために用意した新兵器を開発させるのだ。これさえあれば、連邦の勝利は確実だ。ま、使い所が難しいがな。レビル将軍の裁可は得た。しかし既存の生産設備は艦隊再建でフル稼働だ。それが終わればMSの増産もある。ならば北米の工業地帯を奪い返す他ない。」
バスクのこの小演説は、マチルダにとっては意味不明な内容でしかない。しかしこの男にはこの男なりの戦略があるらしいと理解した。
(その秘密兵器、MSではないのよね?)
バスクの進める秘密兵器は南極条約に抵触しない。それがソーラーシステムと呼ばれるミラー兵器である事を、神ならぬ身のマチルダは知る由もなかった。
指揮官達が次の作戦の準備に追われる中、パイロット達には休暇が与えられていた。本来はマドラスで消化される予定のもので、実態としてはワルシャワ以来久方ぶりの休暇である。
「おい、飲みに行こうぜ。」
カイは相棒のハヤトをパブ巡りに誘った。外泊可能なのだから、たまには羽を伸ばしたいところだ。しかしハヤトには断られた。
「前回は出撃しなかったから、ガンタンクで荷積みを割り当てられてるんです。」
「そうか。そりゃ悪かったな。俺も手伝おうか?」
「カイさんは働いたんです。休んでください。」
「へへっ、悪いな。」
ハヤトが無理ならば、とカイは一人で街に繰り出す事にした。軍曹待遇だった彼は、オデッサの勝利を経た今では曹長待遇である。これまで使わなかった給料もまとまって受け取り、懐具合も暖かい。
(夜の店とか覗いてみてもいいな。)
カイは盛場に入り浸るタイプである。この所はマチルダ艦長の手前、品行方正にやっていた。が流石の連戦で疲れも溜まっていた。
(羽目を外せって事よね)
そこまで無茶をする気はない。今の彼には居場所がある。恋人ではなく弟分という所だが、マチルダの下は居心地がいい。それはそれとして、一夜の温もりは得られるのではないか。
「兵隊さん、買っておくれよ。」
基地のゲートを潜り抜けたカイに、声がかけられる。同年代の少女の声に、カイは振り返った。
「物売りかい。見せてくれよ。……ち、ロクなもんないじゃんか。」
「みんな土地のもんだよ。」
「君はかわいいね。苦労してるようだけどさ。」
「じゃ、買ってよ。」
「またな。」
カイは軽く揶揄って離れようとした。しかし、腕を掴まれる。
「ね。泊まるところないんだろ。うちはどうだい?」
「うちってお前。」
カイの想像は乱れた。しかしこの少女の身なりはまともである。
「兵隊が泊まるような所は、未成年はお断りさ。やめときなよ、火遊びは。」
「そう言ったってさ。」
そう応えながらも自分はまともな客として見込まれたわけだ、とカイは悟った。少年兵というべき自分では、飲酒もままならない。とすると夜の店というのも難しいかもしれない。
「ウチならアタシが手料理を出すし、日に当てたお布団で寝られるよ。たまにはいいだろう、そんなのもさ。あ、弟と妹がいるよ。」
「そうかい。じゃ、ご厄介になるか。」
カイは半分人助けのつもりで、見ず知らずの少女の申し出を受けていた。マチルダの部下の居心地はいいが、何もないぼんやりとした普通の生活も気軽である。それにまともな宿よりは安上がりだろう。
「ま、素人の宿じゃあんま期待できないけどな。」
「お客さん、軍の配給切符があるんだろう?それさえあれば、美味い料理を作ってやるよ。」
食料品店で少女の指示で買い物を済ませる。その後でカイが少女に連れて行かれた家は、基地を見下ろす丘の上にあった。
「お客さん、名前は?」
「俺はカイ・シデンってんだ。」
「アタイはミハル。ミハル・ラトキエ。戦争孤児さ。」
「そうかい。それにしちゃ立派な家だなぁ。」
「実は、戦争で誰も住む人がいない家に入り込んだのさ。」
「たは、逞しいな。」
家に近づくと、子供が奥から飛び出してきた。
「おかえりなさい!」
ミハルに抱きつくような勢いである。そしてカイの存在に気がついて固まった。
「これが弟のジルと、妹のミリー。ジル、ミリー。お客さんだよ、挨拶しな。」
「いらっしゃい。」
二人は姉の上に隠れて、顔を出す。カイは怖がらせないように、笑顔を作った。
「やあ、こんちは。」
二人の反応はぎこちないが、それでもカイの存在を許容するような雰囲気はあった。
「寝室の支度するから、ちょっとそこで待ってておくれよ。」
「あいよ。」
配給切符で買い込んだ荷物を下ろし、ポーチに置かれたロッキングチェアに腰掛ける。宿泊費は食料品で相殺する事で話がついていた。ベルファストを去ると使えなくなる配給切符なのだ。それで宿代を捻出できるなら悪い話でもなかった。
「さ。二人とも手伝いな。」
ジルとミリーに手伝わせて、テキパキとミハルが支度を開始する。相手の自宅なのだ。カイも軒先で待つにやぶさかではない。待っていたのは十数分といったところか。ミハルが声をかけてくれた。
「いいよ。入っとくれ。」
「へえ、綺麗に使ってるじゃんか。」
家具は少ない。だがよく清掃し磨き込まれていて、それが清潔感を醸し出している。食卓に花が飾られていて、なんとなく華やかな雰囲気はあった。僅かでも心を和ませるものを感じる。
「部屋は二階の一番手前の部屋だよ。扉を開けてあるからね。そこが一番、眺めがいいんだ。」
キッチンからミハルが顔を覗かせてカイに移動を促す。ミハルはすぐにキッチンに消えた。夕食の支度を開始しているのだ。
「分かった。」
そう言いながらカイは、食卓に置かれているミハルが抱えていた商品の入ったカゴを覗き込んだ。隠れるようにして拳銃が置かれている事に気がつく。戦争中とはいえ、一般人が持つ代物ではない。
「……いやだねえ。」
カイは独り言をそう呟くと、階段を登って部屋へと向かった。
ミハルの手料理はハンバーグだった。皿に盛られているのは肉だけでない。彩として茹でた野菜やマッシュボテトも添えられていた。目玉焼きまで載せられていた豪華ぶりである。
「わあ、ご馳走だ。」
食卓を囲んだミリーが歓声を上げる。カイを見た時は仏頂面だったジルも今はニコニコしていた。
「今日はカイさんの奢りだよ。たんとお食べ。」
ミハルがさりげなくカイの功績を伝えてから、カイに話を振った。
「それでベルファストは、いつ出発するんだい?」
「休暇は明日までで、出るのは二、三日後って所だ。」
パンに手を伸ばしながらカイが答えた。どっしりとしているが、パン屋の焼いた本物のパンである。手でちぎって一口頬張ると、小麦が香った。
「ん、美味いな。」
「あの店、ちょっと高いんだよ。得したね。」
ミハルも上機嫌であった。普段より豪勢な食事なのだろう。
「ああ、料理うまいんだな。」
今度はハンバーグを頬張りながらカイが答える。彼だけは肉が増量されているのだ。お客さんなので、お客さん扱いなのである。その普通のご家庭に上がり込んだような感覚は懐かしく、戦争前のそれである。ミハルもジルもミリーも、そんな感覚を久しぶりに感じているようであった。
「美味かったぜ。」
満腹したカイは満足していた。ミハルの料理は配給切符を上手に使ったもので、なかなか食べ応えがあった。カイ一人では店選びから料理までこうも上手く行かなかっただろう。確かに他の三人の分まで負担はしたが、宿泊に調理と考えると妥当な取引に思える。
(それに、チビどもを抱えているミハルの応援もしてやりたいしな。)
相手が悪い人間ではないと、お互いにそう感じる。だからこそカイとしては、ミハルに何か秘密や裏がありそうなのは気がかりでもあった。
「コーヒー、代用のやつだけどカフェインもないから飲みやすいよ。」
「お、あんがとよ。」
片付けを終えたミハルが、食後のコーヒーを出してくれる。代用とはいえ、カイの舌では本物のコーヒーにも負けないように感じられた。
「美味いじゃないか。これで代用だって。」
「クリームに砂糖を入れているからね。」
「なるほど。子供の好きそうな味だもんな。」
「ね、カイさんの船の話とか聞かせてよ。」
「船の話か。〈ペイルホース〉は船っていうよりかは宇宙船だからな。」
連邦軍とてミノフスキークラフトの艦はまだまだ少ない。ペガサス級が初の採用事例である。宇宙船と言われて、ミハルは驚いていた。ベルファストに到着するのは、今だに海軍の船が主体なのだろう。或いはミデアのような貨物機が主流なのだ。
「へえ。凄い船に乗ってるんだね。」
「へへ。艦長も女の人だけど、優秀なんだぜ。おまけにすげえ美人なんだ。」
カイは問われるままにペイルホースの話をした。機密といっても、ジオンに鹵獲された船である。絶対的な機密というのはそう多くない。搭載兵器の話でなければ、むしろ気軽に話が出来るのだ。
「じゃ、いくぜ。元気でな。」
翌朝、朝食を済ませたカイは早々に別れを切り出した。基地に戻れば食事はある。カイが早く切り上げれば、ミハル達はより多く食べられる筈なのだ。
「そうかい。昼はホットドッグかサンドイッチにしようかと思ってたのに。」
「俺の分はチビ達に食べさせてやりなよ。じゃあな。」
「また、おいでね。ね、これ。」
ミハルがロールパンにゆで卵を挟んだものを差し出す。カイは快く受け取った。
「おう。機会があればな。」
何事もなくカイとミハルは別れた。わずか数時間後に再開するとは、この時はミハルでさえ予想だにしていなかった。
—大西洋・マッドアングラー隊—
「大尉、スパイ107号からの報告です。」
通信士官の報告を受け取り、フラナガン・ブーン大尉は瞠目した。
「これはまた、随分と内容がくわしいな。」
「乗組員の一人と接触して内情を聞き出せたとの事です。このまま第二段階に進ませますか?」
ああ、とブーンは頷いた。
「軍服は渡してあるのだな。潜入させて、位置情報を発信させろ。我が隊で基地を強襲し、あの艦を襲う。逃しはしない。急がせろよ。」
「ハッ。」
—ペガサス級強襲揚陸艦〈ペイルホース〉—
「ミハル、なんだってこんな所に。」
数時間前に別れたばかりのミハルを、カイはよりにもよって〈ペイルホース〉艦内で見つけていた。しかもサイズの合わない軍服姿である。
「やあ、見つかっちゃったね。」
鉢合わせしたのは無理もなかった。ミハルが知る艦内の知識は、昨夜話して聞かせたカイの立ち寄る場所ばかりなのだ。人気のなさそうなところを選んでも、それはカイがよく仕事をサボってしけ込む場所なのである。
「ともかく、こっちへ来い。」
カイは慌ててミハルを自室に連れ込んだ。流石にスパイとして捕まれば罪が重い。ミハルの弟や妹を見てしまっただけに、カイとしてもミハルをそんな目に合わせたくはなかった。
「何をしているの、カイ?その人は誰?」
呼び止めたのはミライである。謹厳実直なミライは、融通を利かせてくれそうにない直属の上官のようなものだ。しかも女を連れ込んだと見られるのは致命的にまずい。
「…見つかっちまった。」
カイは天を仰いだ。しかしこうなれば仕方ないとも思う。元々狭い艦内なのだ。見つかるのは時間の問題だったのだ。カイが連れ込んだのではない以上、ここは艦長に報告して指示を仰ぐべき局面だった。
艦橋に呼び出されたカイは、マチルダに頭を下げた。
「ミハルを士官見習生として採用してください。お願いします。」
それは床に膝をついて頭を下げた見事な土下座であった。カイは床に頭を擦り付けるようにして、マチルダにミハルの事を懸命に頼み込んでいた。
「カイ、貴方が彼女を連れ込んだわけではないのよね?」
マチルダが気にかかるのはそこである。カイの事は一定程度は信頼している。ミハルを採用する事自体はまあいい。似たような事はカイを含めて過去に何度もしてきた。しかし他に身寄りのないという弟や妹はどうするのか。それにミハルの素性に裏はないのか。
「オレが連れて来たんじゃありません。気がついたら艦にいたんです。慌てて事情を聞こうとしたら、ミライさんに見つかって。」
直前までのカイの行動は他のパイロットと一緒である。ミハルが潜入したであろう時間帯はアリバイがあった。その時、ミハルを身体検査していたハモンが、ミハルと共に姿を見せた。ミライとイセリナの姿もある。セイラがこの場にいないのは、研修で呼び出されているからだ。
「彼女の体から通信機が出ました。ジオンの協力者で間違いないでしょう。」
手慣れているとの自己申告で、ハモンにはミハルの身体検査を依頼していた。そのハモンからは最悪の報告が届いた。その場で聞いていたカイも同じ報告を聞いて青ざめている。
「ジオンは諜報活動に色を使う事もあります。こんな小娘でも女の力、侮れませんから。」
マチルダは嘆息した。流石にここまでハッキリと証拠が示されると、擁護は難しい。
「カイ、可哀想だけれどこれは私も擁護できないわ。」
「ミハル、お前からもお願いしろよ。」
漁ったカイが、ハモンの背後のミハルに言葉をかける。ミハルもカイに並んで床に手をついた。
「お願いします。弟と妹の為だったんです。“選ばれた子供”だって、ジオンのグラナダにある特別な学校に入れるからって。未来が約束されているだなんて言われたら、アタシつい魔が。」
そのミハルの言葉を遮るように、それまで沈黙していたバスク・オム少佐が口を開いた。
「使えるな。」
「……失礼、今なんと?」
ミハルの請願に気を取られていたマチルダは、思わずバスクに聞き返した。
「スパイなのだろう。つまり彼女の報告は敵を誘導するのに使える。彼女が敵を罠に引き込む協力すれば、それでジオンとの関係も断てるはずだ。弟や妹の預かり先も心当たりがある。俺がなんとかしよう。」
「え、いいのですか?」
「勝つ為だ。全て肯定されよう。早速、計画を立てるぞ。協力してくれるのだろう?」
バスクは厳しい目でミハルを見た。ミハルが昂然と見返す。
「ああ。弟や妹の面倒を見てくれる約束が確かなら、なんだって協力するよ。でも、アンタの事を信じられるのかい?」
「その点は大丈夫だ。バスク・オム少佐は信頼できる士官だ。ね、艦長。」
カイの取りなすような言葉に、マチルダは躊躇いながらも頷いた。
「ええ。権限があり信頼できる士官です。」
「なら、話は決まりさ。」
ミハルが決意したように頷く。またもマチルダの思惑を超えて事態が動いた。バスクが機嫌の良さそうな声で指示を下し始めた。
「よし。早速ジオンを誘き寄せる位置を決める。忙しくなるぞ。艦長は、ゴップ提督への報告と許可を得てきてくれ。」
—ベルファスト沖・海中—
『慎重に進めよ』
背後から聞こえるブーンの声を、ゴッグに乗って海中を進むいるラサ曹長は聞き流した。
『返事をしなくていいんですか、曹長? ブーン大尉殿から通信が入ってますよ。』
ご丁寧に接触回線を用いて、背後のゴッグからマーシー軍曹が声をかけてくる。
「今いいところだ。集中させてくれ、軍曹。」
それだけで相手は押し黙った。ベルファストに海から入り込むには機雷原を潜り抜ける必要がある。ご丁寧にも有線で管理されたそれは一種のチェーンマインだ。警報装置である共に、連鎖爆破される。しかも味方の艦の通行では起爆しない。ジオン側には安全な航路など存在しない仕様だった。
「だがな。このゴッグならば潜り抜けられる。」
このような連邦の機雷原を潜り抜けられるように、ゴッグは装甲が厚い。一発か二発の機雷が至近距離で爆発しても支障が無いだろう。だがそれでは秘密が漏れる。だから安全策はもう一つ用意されていた。
「フリージヤード展開。軍曹、お前も続けよ。」
『了解!』
くぐもったマーシー軍曹の応答を背に受けて、ラサ曹長はゴッグを基地に向けて推進させた。フリージヤードはゲル状の物質が機体前面に展開される保護膜の一種である。
「これで機雷の信管は役立たずだ。」
展開されたゲルは海水を巻き取り厚みのある膜を構成する。それが機雷を柔らかく排斥し、ゴッグの進路を切り開くのだ。
「角度次第では起爆もするが。ま、気が付かれるだけでゴッグならばダメージにはならんな。」
ラサ曹長はゴッグの頑丈さに深く信頼を寄せていた。このMSに乗っている時は、まさに無敵だとそう感じられるほどに。
「機雷に穴が空いたぞ。ブーン大尉やカラハ少尉のズゴックはついてきているか?」
『大丈夫そうです。背後にピッタリと。』
ズゴックにはフリージヤードの用意がない。ズゴックは陸上では高機動で格闘戦も難なくこなす。だがやはり敵拠点への海からの侵攻はゴッグの独壇場である。
「よし。浮上して目標座標を目指すぞ。間も無くだ。」
マーシー軍曹のゴッグを引き連れたラサ曹長は、ゴッグを浮上させた。
「レーダーに感あり! 敵が出現しました。」
「了解。コアブースターを発進させて。」
『ミライ中尉、ハモン曹長、イセリナ曹長。順次出撃せよ。』
艦橋のオペレーターの声が、艦内スピーカーを通じて艦全体に響き渡る。個室に閉じ込められたミハルは、仮の軍服姿でその音を聞いていた。
(これで良かったのかな。)
ベッドの上で膝を組んで座るミハルの悩みは尽きない。今の彼女は、ジオンのパイロットを連邦に売り渡した裏切り者だ。
(危険な任務と分かっていて引き受けて、やはり危ないことになった)
ジオン軍の連絡担当の顔を思い浮かべる。コノリーと名乗った男の持って来た話に乗った結果がこれだ。まあ、カイとの縁が即座の処刑を回避させてくれた。バスク・オムという偉そうな士官が約束してくれた所によると、弟と妹は学校にも通わせてくれるらしい。
(ジルがグラナダの学校のテストに受かったと知ったら、あの男の態度も変わったな。)
コノリーはミハルを採用するにあたって、とあるテストを受けさせていた。それはミハルだけでなくジルとミリーに及んだのだが、二人はミハルより成績が良かったらしい。それで学校の話が出た。ミハルが誘いに応じたのもこれが決め手である。
(食べていくだけならなんとかなるけど、ちゃんとした大人になれるっていうんなら協力するしかないじゃないか。)
ジオンには貸しはあれど借りはない。そう自分に言い聞かせるようにしながら、ミハルは事が決するまでひたすら待ち続けていた。
スパイによって予告された位置に、ペガサス級は正しく存在した。ただ完全に戦闘態勢を整えて、ミノフスキークラフトで空に浮かんでいる。
『曹長、話が違います。引き返しましょう。』
通信で部下のマーシー軍曹が撤退を進言する。しかしラサ曹長は強気だった。
「あの艦は真下に潜り込めば何も出来ないと判明しているんだ。あの高さならメガ粒子砲の有効射程内だ。いくぞ。」
『りょ、了解。』
二機のゴッグは突進した。アイアンクローで船体を切り裂けないのは残念だが、ゴッグのメガ粒子砲は強力だ。勝機はある。そもそもゴッグの装甲は厚い。あの艦の機銃程度では痛痒に感じる事などあり得ない。
カイは照準を覗き込んでいた。待ち望んでいた位置に、敵のMSが飛び込んできた。ゆっくりとトリガーを引き絞る。
「待っていたぜ、必ずこの射線上に来るって言われていたからな。」
その言葉が終わる前に、放たれたレールキャノンの弾丸がラサ曹長のゴッグを貫いた。装甲の厚いゴッグであっても、この近距離で左右両方のレールキャノンの直撃を受ければ忽ち破壊される。ラサ曹長は被弾を知覚する前に絶命した。
『曹長、うわああ』
悲鳴をあげて振り返り逃げようとしたマーシー軍曹のゴッグを背後からハヤトのレールキャノンの弾丸が撃ち抜く。
「僕だって、やる時はやるんだ。」
カイとハヤトのガンタンクは予めゴッグの予想進路を狙う位置に十字砲火を構成する形で配置されていた。〈ペイルホース〉のカーゴハッチ内にはリュウとジョブのガンタンクも展開している。
『気を緩めないで。敵は、今の二機だけではなくてよ!』
状況を見ていたマチルダが警戒の声を発する。
ゴッグの背後からは二機のズゴックが展開していた。それぞれブーンとカラハンの機体である。
『おい、引き上げるぞ。』
ブーンは部下に通信を入れると即座に踵を返した。敵の火力も問題だが、それ以上に罠を張られていた事を問題視していた。間違いなく、この襲撃は予期されていたのだ。
(艦の内情に詳しすぎたからな。スパイが捕まったか、寝返ったのだろうな。)
『了解です。』
カラハン少尉も同意した。出来る部下を持ったことに安堵しながら、ブーンとカラハンのズゴックは連れ立って海中に身を投じた。水の中に入れば、そう簡単に手出しされない。
「逃がさないわ。」
追い縋るのはミライの駆るコアブースターである。メガ粒子砲を連射した。カラハンのズゴックに命中させるも、相手は既に海中にいる。
「驚かせやがって。」
カラハンは逃げながら、更に深度を深める。水圧は恐ろしい存在だが、今は水の壁が何よりもありがたい。
(ブーン大尉の判断に助けられたな。)
撤退の決断がもう少し遅ければ、敵のメガ粒子砲に貫かれているのはカラハンのズゴックだったに違いない。
「この借りは必ず返す。」
ブーンとカラハンのズゴックは連れ立って海中へとその姿を消した。
—ペガサス級強襲揚陸艦〈ペイルホース〉—
艦内は静かになっていた。恐らくもう飛翔もしていない。窓のない部屋では外の様子が分からない。
(きっと、もう戦闘が終わったんだ。)
ミハルのいる個室は外から鍵が掛けられている。この扉が開く時、彼女の運命が決まる筈だった。
「……入るぜ。」
軽いノックの音ともに、カイが部屋に入ってきた。背後には女性兵士の姿も見える。カイと二人きりにさせない用心なのだろう。
(この船、まともな軍艦なんだ)
連邦は敗戦続きで荒み切っていた。それは兵士たちの様子を見ても分かる。ミハルがジオンに接近したのはジルへの教育機会が主な要因だが、ジオンに勝者の余裕を感じたからだ。
(でもそれも、もう変わるんだろうな。)
きっと戦争の潮目が変わったのだ。ここからは連邦が押し返す展開が来る。それがミハルの得た予感である。
「戦闘は終わったぜ。」
「勝ったの?」
「ああ、四機の内の二機を倒した。ちゃんと勝ったって言って問題ないぜ。」
「二機も逃しちまったのかい。アンタは一機くらいは仕留められたんだろう?」
ミハルとしては軽いからかいのつもりだったが、カイは真面目な顔した。
「ああ。俺と相棒で一機ずつ倒した。お陰様で、敵が来るのが分かってたからな。罠を張って、ズドンさ。」
そう言ってカイは指で獲物を仕留めた真似をして見せた。その様子は揺るぎない自信に満ちていた。カイにとっては朝食を食べるようなごく当たり前の感覚なのだ。
「戦士なんだね、一丁前にさ。ね、弟や妹に会わせてくれる?」
受け入れられるだろうと考えたミハルの願望は、即座にカイに否定された。
「駄目だ。軍に志願したら勝手に家には帰れない。」
「なんでだい。」
早ければ夕方には家に帰れるつもりで家を出たのだ。船が出れば二、三日。それくらいならとも計算していた。でも、即断したとはいえここまで離れる事になるとは考えもしなかった。
(そうか。アタシは罰を受けるんだな。)
軍人の真似をして軍艦に忍び込む。紛れもないスパイ活動である。それはきっと、露見すれば家族と切り離されるに値する行為なのだ。
「知ってるだろ。スパイは重罪なんだぜ。艦長が軍のお偉いさんと話をして、戦争が終わるまで軍人をするなら罪には問わないってさ。これ、すごく運がいいんだぜ。普通に捕まれば銃殺されても文句は言えない。」
カイにしては珍しく、淡々と諭すような口調だった。
「……そうかい。」
半ば予期していた内容ながら、改めて説明されたミハルは項垂れた。下を向けば、涙が溢れそうになる。さっきまでは平気だったのに、カイの顔を見ていたら突然泣けてきた。
「でもよ、特別に映像を撮っていいってさ。アイツら小さいからそういうのないとわからないだろうからって。バスク・オム少佐がそれを見せて二人を預かってくれる所に連れて行くらしい。」
カイのその言葉に、ミハルは慌てて袖口で涙を拭いた。カイがそっとハンカチを差し出す。ミハルはその布切れを受け取って、涙を拭いて盛大に鼻を噛んだ。
「で、映像を撮った後のアタシはどうなるんだい?」
泣き止んだミハルはカイを見つめた。カイもまっすぐ、ミハルを見つめ返す。
「この艦で、一緒にジオンと戦うのさ。」
「アタシ、戦うのは怖いよ。」
ミハルは戸惑った。銃殺よりマシなのは分かる。でも強制されて戦うのもそれは違うのではないか。カイを見つめるミハルの目に迷いがある。カイは迷いのない目で、ミハルを見つめ返した。
「大丈夫だ。オレやみんながいる。この艦でならミハルも上手くやっていけるさ。」
「……カイ。」
ミハルが淡くともカイに好感以上のものを抱いたのは、この時が初だった。
「この戦争ってさ。いつ終わるの?」
「わからないよ。早くても、クリスマスって所かな。」
クリスマス。その情景がミハルの脳裏に浮かぶ。クリスマスまでなら、なんとか耐えられる。
「そっか。アタシやるよ。ジオンに勝って早くジルとミリーの元へ帰りたいからね。」
ミハルが笑うと、カイもまた嬉しそうに笑った。
【あとがき】
お読み頂きありがとうございます。
今回はカイとミハルの登場回です。カイの変化に伴い、二人の関係性も原作とは違う形で描きました。現時点では、この距離感が自然だと考えています。
同時に、マチルダの決断も今回の軸です。現場指揮官としての判断と、その限界。彼女の選択が今後にどう影響するかも見ていただければと思います。
余談ですが、ミハルの弟ジルは、いわゆるムラサメ研の被験者となる設定を踏まえています。雑誌付録小説ですので公式設定とは言い切れませんが、本作では一つの流れとして扱いました。バスクが関与している点も含め、後の展開に関わってきます。
なお、バスクは現時点では比較的まともに見えますが、あくまでバスクです。
ラルも裏で動き始め、ジオン・連邦ともに宇宙決戦へと流れつつあります。ただし地上戦もまだ終わりではありません。北米やジャブローを含め、もう少しお付き合いください。
今回のお話はいかがでしたか? 貴方の気持ちに近いものを選んでください。
-
マチルダが良かった
-
エルランの狂気が良かった
-
カイとミハルが良かった
-
ランバ・ラルが地味に活躍してた
-
バスク・オムがいい人すぎる
-
連邦のニュータイプ研究に期待
-
ジオンのニュータイプ研究に期待
-
【要望】戦闘をもう少し延長して
-
【要望】カイやミハルのその後が見たい