七月。トレセン学園が夏休みに入ると同時に、私たちチーム一同は北の大地、夏の函館へと降り立っていた。
涼しい気候と充実したトレーニング施設が揃う函館は、夏に『メイクデビュー』を迎えるウマ娘たちにとって最高の舞台だ。私たちはレース前の最終調整と合宿を兼ねて、少し早めに現地入りすることにしたのである。
期間中の滞在先となる宿は、裏方作業をすっかり掌握しているジャーニーが手配してくれたのだが、案内された部屋の割り振りを聞いて、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「……なんでだよ!」
「なんで、とは?」
首を傾げるジャーニーの手には、二つのルームキーが握られている。
予約されていたのは、広い二人部屋と、こぢんまりとした一人部屋の二部屋だった。常識的に考えれば、中等部二年の年頃の女の子二人が大きな部屋をシェアし、大人の男性である私が一人部屋を使うものだとばかり思っていた。
しかし、ジャーニーが私にポイッと渡してきた鍵は、どう見ても『二人部屋』のものだった。そして私の背後では、スカーレットが自分の荷物を持ってニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。
「いや、おかしいだろ! なんで私とスカーレットが同室なんだ! いくらなんでも年頃の担当ウマ娘とトレーナーが相部屋はまずいだろ!」
私が必死にコンプライアンスと一般常識を主張すると、ジャーニーは心底「この人は何を言っているんだ?」というような、冷ややかで哀れむような目を私に向けた。
「おかしいのはあなたの方です、トレーナーさん。普段からあんなにベッタリで、お泊まりまで常態化しているのに、今さら何を言っているんですか。それに、私はレースに向けた自分の精神集中とデータ分析のために、どうしても一人部屋が必要なんです。スカーレットさんも、見知らぬ土地で専属のお世話係のあなたがいないと眠れないでしょう?」
「そうよ! お兄ちゃんと一緒じゃないと、私、絶対実力出せないもん!」
正論(?)と圧力のサンドイッチである。
結局、ウマ娘二人の巧みな連携に丸め込まれた私は、あっさりとスカーレットとの同室を受け入れざるを得なくなってしまった。
とはいえ、ジャーニーが手配した宿自体は、非常に素晴らしい場所だった。
食事が美味しいのはもちろん、なんと部屋ごとに立派な客室露天風呂がついているという贅沢な仕様だ。予算によく収まったものだ。長旅の疲れと、相部屋による精神的疲労を癒やすため、私は夕食の前に一人で温泉に浸かることにした。
ザバーン、と肩までお湯に浸かり、函館の涼しい風を顔に受ける。
「はぁ……極楽だ……」
やはり温泉はいい。前世の擦り切れたおじさんの魂が、お湯に溶けて浄化されていくようだ。理性をすり減らす毎日のことは一旦忘れて、ここでゆっくりと――。
ガラッ。
「お兄ちゃん、私も入るー!」
「っ!? ぶふっ!! ゲホッ、ゴホッ!?」
突然開かれた脱衣所の引き戸。そこから、タオル一枚で体を隠しただけのスカーレットが、何の躊躇いもなく突入してきたのである。
私は驚きのあまり温泉を盛大に飲み込み、激しくむせ返った。
「ばっ、おまっ、何考えてるんだ! 出なさい、すぐに出なさい!」
「えー? なんでよ。昔はよく一緒にお風呂入ってたじゃない」
「昔は昔だ! 今のお前はもう、立派に成長しすぎてるんだよ!!」
むっちむちのバッキバキに仕上がった、暴力的なまでのプロポーション。タオル一枚で隠しきれるはずもなく、あちこちから溢れ出んばかりの健康美が私の網膜を焼きにきている。
必死に追い出そうと言葉を尽くしたが、彼女は「絶対ヤダ。お兄ちゃんに背中流してもらうの!」と頑として譲らない。圧倒的なフィジカルを持つウマ娘がその場に座り込んでしまえば、人間の男の力で引きずり出すことなど不可能である。
「……分かった、分かったから! タオルは絶対に取るなよ!」
「えへへ、お兄ちゃん大好き!」
結局、折れたのは私の方だった。
湯気と石鹸の甘い香りが立ち込める中、私は視線をあらぬ方向に向けながら、彼女の背中を流し、シャンプーをしてやる羽目になった。
背中越しに伝わってくる、アスリート特有のしなやかな筋肉と、年頃の女の子らしい柔らかな肌の感触。少しでも気を抜けば理性の糸がプツンと弾け飛んでしまいそうな極限状態の中、私は滝のような冷や汗を流しながら必死に手を動かし続けた。
(……あの策士、絶対にこれを狙って部屋を分けたな)
一人部屋で優雅に寛いでいるであろうジャーニーのすまし顔を思い浮かべながら。
私の中のおじさんは、何度目か分からない死を迎えつつ、心の中で血涙を流しながら呪詛を吐いた。
おのれ、ジャーニー……!!