いよいよ年末。ジュニアクラスの頂点を決めるG1レース、『阪神ジュベナイルフィリーズ』の日がやってきた。
ティアラ路線(少女たちの戦線)を歩む者にとって、ここは最初の大きな登竜門だ。同室にして最大のライバルであるウオッカや、並外れたスピードを持つアストンマーチャンなど、出走メンバーには錚々たる強敵たちが顔を揃えている。
レース前、出走者たちがファンの前に姿を現すパドック。
完成したばかりの真新しいオリジナル勝負服に身を包んだスカーレットは、まさに気力も体力も充実しきった、やる気十分のオーラを放っていた。
彼女は緊張するどころか、スタンドを埋め尽くす大観衆に向かって最高の笑顔を向け、愛想良く手を振り返している。
ウマ娘のレースにおいて、『人気』や『ファンの声援』というのは決して馬鹿にできない要素だ。
割れんばかりの歓声と期待は、最後の直線の数センチを競い合う極限状態において、彼女たちの背中を押す確かな物理的パワーへと変換される。スカーレット自身も、人気を集めることの重要性をはっきりと分かっているのだ。だからこそ、彼女は誰よりも輝く笑顔でファンを魅了し、一番人気の座を確固たるものにしていた。
「……落ち着いているな。これなら大丈夫だ」
私は観客席から彼女の堂々とした姿を見下ろし、小さく頷いた。
そして、運命のゲートが開く。
スタート直後、スカーレットは持ち前のスピードでスッと好位置につけたが、ハナを奪いにはいかなかった。前方にルミナスハーバーやメジロアダーラといった先行勢をいかせ、彼女たちのすぐ後ろにピタリとつける冷静な立ち回りを見せたのである。
これにはスタンドからも驚きの声が上がった。
これまでの彼女は、スタートから先頭を爆走する『先頭民族』のスタイルを貫いてきたからだ。しかし、この大舞台でひたすら前を走って逃げまくるには、あまりにもライバルが多すぎる。
一番の強敵であるウオッカは、必ず後方から恐ろしい末脚で強襲してくる。そのプレッシャーを跳ね除けて勝ち切るためには、道中でしっかりと息を入れ、終盤に向けて十分な余力を残す必要があったのだ。
(我慢しろ、スカーレット……!)
私の祈りが通じたのか、3番手という絶好のポジションで体力を温存したスカーレットは、そのまま崩れることなく最終コーナーを回り、最後の直線へと飛び出した。
「いけえええええっ、スカーレットォォ!!」
私の絶叫と、大歓声がターフに響き渡る。
前を行く二人に並びかけたスカーレットは、そこで温存していた体力を一気に解放した。先行してなお、そこからさらに後方勢のような末脚を使うという、常識外れの圧巻の走り。
ぐんぐんと加速し、瞬く間に先頭に躍り出る緋色の女王。その後方、集団を切り裂いて黒い影、ウオッカが懸命に追いすがってくるのが見えた。
凄まじい鬼気迫る追い上げだったが、スカーレットが道中で冷静に溜めたリードと、衰えない脚色は、その強襲を許さなかった。
ウオッカの猛追をきっちり2バ身差で振り切り、スカーレットは見事に一番でゴール板を駆け抜けた。
ジュニアクラスの頂点に立った瞬間だった。
「やった……っ、本当にやりやがった……!」
私は震える手でガッツポーズを決め、スタッフに促されるままウイナーズサークルへと向かった。
フラッシュの嵐の中、息を弾ませながら待っていたスカーレットは、私を見るなり満面の笑みで飛びついてきた。
「お兄ちゃん! 見たでしょ、私が一番よ!!」
「ああ、最高のレースだった! お前は本当によく我慢して……んむっ!?」
私が褒め言葉をかけようとした、その瞬間。
メイクデビューの時の既視感そのままに、私の首に両手を回したスカーレットが、大観衆の目の前で私の唇に思いっきり『ぶちゅーっ』とキスをしたのである。
「んっ……えへへ、G1勝利のご褒美、一番にお兄ちゃんにもらっちゃった」
甘いシャンプーの香りと、突然の公開キス。
再び周囲の記者たちから「おおおおおっ!?」とどよめきと怒涛のフラッシュが浴びせられ、私の中のおじさんは大パニックに陥った。
完全に味を占めている。しかも今回は、地方の函館ではなく、全国放送されている大舞台のウイナーズサークルである。
私は顔を真っ赤にしてフリーズしながら、ただただ、この恐ろしい勝利の公開キスが今後も続くのではないかという、嬉しくも胃の痛くなるような未来を悟るのであった。