緋色の女王の幼馴染   作:雅媛

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3 在野のジュニアクラブ

 前世で遊んだウマ娘のゲームは、中高一貫校である『中央トレセン学園』に入学したところから物語が始まる。ゲームのシステム上、入学前のエピソードが語られることはごく一部のイベントなどに限られていた。

 しかし、現実の世界は当然ながら地続きだ。選ばれしエリートが集うトレセン学園の門を叩くウマ娘たちの多くは、突然走り出すわけではない。大半の才能あるウマ娘は、物心ついた頃から幼少期向けのジュニアスポーツクラブやチームに所属し、基礎的な体力や走る技術を身につけていくのだ。

 

 やがてスカーレットちゃんも成長し、同年代の子供たちと同じように、地元のウマ娘向けジュニアクラブに通うことになった。

 母であるブーケさんの教育方針もあっただろうが、天性のバネと類まれなる負けん気を持つ彼女には、早くから専門の指導が必要だったのだ。

 しかし、ここで一つ大きな問題が発生した。

 クラブの初日、彼女が「おにーちゃんといっしょじゃないとヤダ!」と、私の服の裾を強く握りしめて大泣きし、その場から一歩も動こうとしなかったのである。

 

 困り果てる大人たちをよそに、私の脳内では瞬時に大人の打算的な計算機が弾かれていた。

 このクラブを主催しているコーチは、かつて中央トレセン学園で腕を振るっていた元プロのトレーナーだ。彼が教える技術やノウハウは、将来トレーナーを目指して独学で勉強している私にとって、喉から手が出るほど欲しいものだった。

 私はスカーレットちゃんのワガママを全面的に肯定し、彼女を宥めるという名目で、付き添いとしてクラブに出入りする権利をちゃっかりと勝ち取ったのである。

 

 とはいえ、本格的なウマ娘の育成現場に、ただのヒトの男児がお呼びであるはずがない。

 現場を仕切る元トレーナーのコーチも、最初は完全に私を邪魔者扱いしていた。「適当に裏方で地味で面白くもない雑用を押し付けておけば、すぐに音を上げて自分から来なくなるだろう」と考えたのだろう。私にはグラウンドの整備や備品の管理、ドリンクの準備といった裏方の仕事ばかりが命じられた。

 

 だが、その程度の雑用で心が折れるようなら、前世であんなブラック企業を生き抜いて(最後は過労死だったが)はいない。

 コピー機のトナー補充から会議の根回し、理不尽な上司のスケジュール管理までこなしていた社畜のタスク処理能力を舐めてもらっては困る。

 私は与えられた雑用を完璧にこなすだけでなく、練習メニューの進行状況から次の展開を予測し、必要なマーカーコーンの配置やタイム計測の準備を常に先回りして行った。ウマ娘ごとの給水タイミングの違いや、疲労度に応じたドリンクの濃度調整なども、観察を重ねるうちに完全に把握した。

 

 そんな働きぶりをしばらく続けていると、周囲の目も変わってきた。

 最初は私を疎ましそうに見ていたコーチも、なんだかんだで真っ当な教育者であり、根っからのスポーツマンだった。私の行動が単なるお遊びではなく、真剣にウマ娘のサポートをしようとする熱意と実用性に裏打ちされていることに気づいてくれたのだ。

 ある日の練習後、「お前、将来はこっち側の人間になるつもりか」と問われた私が力強く頷くと、コーチは呆れたように笑い、それ以降は私を「邪魔な子供」から「正式な助手見習い」として扱ってくれるようになった。

 

 私が「師匠」と仰ぐようになったそのコーチから教えてもらう知識は、書籍には載っていない実践的なものばかりだった。ウマ娘の関節の可動域を活かしたストレッチ、精神的なムラっ気をコントロールするための声かけのタイミング、そしてレース展開を読むための視点。

 そして何より、少し離れたグラウンドから「おにーちゃん、見ててね!」とぶんぶんと手を振るスカーレットちゃんのひたむきな姿は、私が学ぶための最大のモチベーションになっていた。

 

 ただ、一つだけどうしても気になることがあった。

 これほど優秀で熱意があり、年齢的にも三十代ぐらいのまだ若々しい師匠が、なぜ中央のトレーナーという花形の職業を辞め、町クラブのコーチに収まっているのだろうか。

 ある日、休憩時間に思い切ってその理由を尋ねてみたことがある。

 すると師匠は、どこか遠い目をして、私に向かって一直線に駆け寄ってくるスカーレットちゃんの姿を見つめた後、ポツリとこうこぼしたのだ。

 

「……お前もいつかトレセン学園に入って、自分の『担当』を持てば、そのうち嫌でも分かるさ」

 

 はぐらかすようなその言葉に、私は少しだけ背筋が寒くなるのを感じた。

 やはり中央のトレーナーというのは、前世の私のように心身を壊すほどの理不尽なブラック労働が待ち受けているのだろうか。

 他のことについてはあんなに饒舌に教えてくれる師匠が、それだけはどうしても語ろうとしなかった。その謎は、私の心に小さな不安の種として残り続けるのだった。

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