私のいちばん古い記憶のなかにすら、いつもお兄ちゃんがいる。
お母さんが忙しいとき、いつも隣の家からやってきて、私を抱っこしてくれた優しい手。ちょうどいい温かさのミルク。泣き止まないときに背中をトントンしてくれるリズム。
だから私にとって、お兄ちゃんは物心ついたときからずっと、絶対に私の味方でいてくれる「とくべつ」な人だった。
走ることは、昔から大好きだった。風を切る感覚も、誰よりも前を走る気持ちよさも。
でも、ジュニアクラブに入るって決まったとき、私はどうしてもイヤで大泣きしてしまった。だって、そこにはお兄ちゃんがいないから。
私が走って一番になったとき、グラウンドの隅から「すごいぞ、スカーレット!」って、あの優しい顔で笑って手を振ってくれるお兄ちゃんがいないなら、走る意味なんてない。そう思って、お兄ちゃんの服の裾をぎゅっと握って離さなかった。
そしたら結局、お兄ちゃんも一緒にクラブに来てくれることになった。あのときは本当に嬉しくて、私はお兄ちゃんにカッコいいところを見せたくて、誰よりも一生懸命グラウンドを走ったんだ。
私が小学校3年生になったころ、お兄ちゃんが「中央トレセン学園のトレーナーになる」ための、すっごく難しい試験を受けることを知った。
お母さんも「受かるのは何年も先になるのが普通なのよ」って言っていたくらいの、大人の人でも何回も落ちちゃうような試験。
でも、お兄ちゃんは「私が中等部に入る時に、一緒に入学できるように一発で合格する」って約束してくれた。
私がトレセン学園に入ったら、担当はお兄ちゃん。
これはもう、絶対にぜーったいに、揺るがない決定事項だ。だって、私は大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるんだから、私が一番のウマ娘になって、お兄ちゃんを一番のトレーナーにしてあげるのは当然のことだよね。
でも、最近のお兄ちゃんはちょっと心配だ。
すごく怖い顔(でも本当は優しいらしい)のトレーナーさんのところで働きながら、夜はずっと勉強しているらしくて、たまにクラブに顔を出すときは、目の下にクマを作ってフラフラしている。
そんなボロボロのお兄ちゃんを見かねて、コーチが「罰としてスカーレットに膝枕してもらいなさい」って命令した。
「もうっ、おにーちゃんったら! 休む時はちゃんと休まないとダメでしょ!」
プンプン怒りながら太ももをポンポンと叩くと、お兄ちゃんは「ご褒美すぎる……」とかよく分からないことを呟きながら、私の膝に頭を乗せてきた。
ウマ娘にとって、太くてしっかりした脚は強いっていうことだ。だからお兄ちゃんが私の太ももを「同期で一番立派だ、素晴らしい」ってふにふに触って褒めてくれるのは、すごく誇らしい。
でも、膝に伝わってくるお兄ちゃんの頭の重さと、安心しきったようにすぐに聞こえてきた寝息を聞いていると、なんだか胸の奥がぎゅーっとした。
私と、一緒にトレセン学園に行くために。
こんなにボロボロになるまで、お兄ちゃんは頑張ってくれている。
「……絶対、一番になるからね」
すやすやと眠るお兄ちゃんの頭を、昔お兄ちゃんが私にしてくれたみたいに、優しく撫でる。
私の目標は、ただレースで勝つことだけじゃない。誰にも負けない一番のウマ娘になって、ずっとずっと、この大好きな人を一番近くで笑顔にすることだ。
だから待っててね、お兄ちゃん。
もうすぐ私がお兄ちゃんのところに行くから、それまでは、私がこうしていっぱい休ませてあげるから。