──定期公演『初』。その、最終試験。
なんとも宙ぶらりんな状態のままで、とうとうこの日を迎えてしまった。
精神的には、未だあやふやな状態ではあるけれど。
しかし、なんだかんだでやるべきことはやってきた……と、思う。
まあ、自分では正直、何が最適解で、どうすれば成長できるかというものがまるで見えていないから、ここまでやってきたことが正解だったんだ!と、胸を張って宣言できる訳ではないけれど。
なんだかんだ、プロデューサーの腕は信じられるものと思っているから。
間違いなんていうようなものはなかったはずだ。
……なんて。
もちろん、わかっている。
こんな考え方は、ただ責任を押し付けているだけだということは、百も承知だ。
ただ、その上で。
そうとでも思わないことには、やっていられないくらいには……今、私は緊張しているということなのだろう。
……ここで上位の結果を残せば、ライブをする権利を得られる。
そして、試験で披露するのは。ライブのパフォーマンスと同じものである。
だからつまり。
ここまで私がやってきたのは、最終試験に向けた練習であると同時に……その先の、ライブのためのものであったとも言えるのだ。
……けれど。
上位に食い込むことができず、ライブができずじまいに終わったとしても。
私と……それから、プロデューサーを除けば。
誰かが、傷つく訳ではない。
いや、まあ、私はいいとして。
プロデューサーには、流石に少し悪いと思うけれど。
──でも、それが私なんかを選んでしまった代償だから。
仕方がない、ということにしてもらおう。
……それで、いい。
仕方がないから。
しょうがないから。
どうしようもない、から。
……それは。
──本当に?
だって、道は、示されている。
つまり、今までとは異なって、自分自身の意思に、委ねられている。
……それなのに、どうして。
なんで、伸ばしかけた手を引っ込める理由を、探している?
──完全に折れていたなら、きっと既に、私はここにいない。
そして、舞台に立つ意思が残っていなかったのなら。
きっと強引に、どこかでプロデューサーとの契約を破棄していたことだろう。
……今ならば、よくわかる。
定期公演『初』、というものそのものも、この控え室も。
そしてそれから、ここで私と同じように待機している、『原作キャラ』も。
全部、前世で画面の向こう側に見ていたものと、同じ、だなんて。
──そんなわけは、ないのだと。
私は、今、この世界に生きている。
……心臓の音はさっきからずっとうるさいし、落ち着かない呼吸の音が、気になって仕方がない。
この控え室も、ゲーム画面の背景みたいに、平面じゃない。
それから、ここにいる、私以外の人たちも『キャラクター』……じゃあなくて。
彼女たちもまた、『人間』なんだ。
もちろん、前世の知識で知っていることが目の前で見られたなら、ゲームが現実になった!と、そんな実感を得ると共に、テンションが上がることだろう。
……だけどやっぱり、それは、間違えても。
『現実がゲームになった』とは違うのだ。
──もしも。
私という人間を、側から見たのであれば。
もしかしたら、それは「ゲームの世界に入り込んだ」と、言えるのかも知れないけれど。
……しかし、私の主観では。
そういうことではないのである。
すなわち。
この世界こそが、今の、私にとっての現実である。
……私はそれを、これまで意識しないようにしていた。
……そうだ。それだけじゃない。
本当は、もう全部わかっている。
手を伸ばしても届かないから諦めた、なんて、そんなのは嘘で。
……そもそもの話、諦めた、なんていうのもすらも嘘。
私はきっと、ただ、怖かったのだ。
全てを最大限に尽くした上で、結局自分は何者にもなれない、なんて。
それを、突きつけられるのが、怖くて。
……けれど、だからといって。
『ここ』は、万全を尽くさずに結果を得られる程、緩い場所ではなくて。
そして、自分を殻で覆ったままで、飛び立てるほど私という人間は優れていたわけではなかった。
……ただ、それだけのこと。
比較対象が特別過ぎた、とか。
私には才能がない、とか。
あとは……置いてきたかつてのユニットメンバーに申し訳ない、とか。
そうやって、せっかくあれこれ、言い訳をつけて。
……どうにか自分を誤魔化せていたのに。
いつの間にか。
それらが欺瞞であると、暴かれてしまっていた。
確かに、比較対象となるのは、特別な存在だ。
まさに、上を見ればキリがない。
……けれど、歩き続けた先が、そこにつながっていないなんて、まだ、断言することなんてできないだろう。
私は凡庸で、特別な才なんて、特になにも持ち合わせていない。
それは……そうかも知れない。けれど、もしかしたら、そうでもないかも知れない。
才能が有る無いなんて、結果が出てから、考えればいいことなのではないか。
そして、それから。かつてのユニットメンバーが、もしも結果を出し始めた私を見たら、どう思うか。
……そんなものは、知らない。
それもまた、結果を出すことができてから考えればいい。
少なくとも、最初から悪い方に決めつけるなんて、それこそ、彼女たちに失礼だ。
……これらは、きっと。
ずっと前から全部、わかっていた。
それでいて……気付いていない、フリをしていた。
……呼吸を、整える。多分、もう少しで、順番が来る。
──と。
そう考えたちょうどその時、扉が開いた。
やって来たのは、やっぱり、私のプロデューサーだった。
……曰く、どうやら本当に、もうそろそろ私の順番が、回ってくるということらしい。
「プロデューサー!……その、ちょっとだけ、緊張してしまいまして。ほら、えっと……ちゃんと頑張るのって、なんだか久しぶり……?ですから」
──葛藤、決意。
そういうのは全部、覆い隠して。
いつも通りに、取り繕って。
私は、私の思う、『内面とはかけ離れた私』を作る。
……これだって、最初は。
嫌いな自分を変えたくて、始めたことだ。
嘘はよくない……かも知れない。
だけれど、ここから先。
私は、嘘を本当にすることを目指すのだから。
だから私は、これでいいと。
……そう思うことに決めたから。
「期待しています」
……隠されたその意図を、察したのか。
それとも、ただそのまま言葉通りに受け取った上で、そう思っているのか。
真意は、完全には理解できない。
……けれど、それでいい。
私は、もしかしたら。
世の中について、もう少し簡単に考えてみてもいいのかも知れないな、なんて。
そんなことさえ、思えてくる。
「──期待、ですか」
かけられた言葉を、咀嚼する。
……けれど、順番まで、もうあまり時間はない。
だから、あまり考え込まず。
今の私なりに、言葉を、返そう。
「……わかりました!まだ、緊張はありますけど──私も、腹を括ったつもりです!大船に乗ったつもりでいてください!」
私が、そう返すと。
プロデューサーは、真っ直ぐな目線で私を見つめ、頷いた。
「ええ、もちろんです。信じていますから、今出せる全てを見せつけて来てください」
期待という重荷を背負い、そうして失敗して、どうしようもなく沈んだ時には……どこまで深く沈むことになるだろうか。
……そう、思わずにはいられない。
そして、そう思うと。全身が凍てつくような、寒気を感じる。
けれど、その上で進むのだから。
今はそれを……覚悟を決めて、飲み下そう。
「船と乗り手は、一連托生……それはどれだけの大船であっても、ですよね」
大きな船でも、沈む時には沈むもの。
例えば、タイタニック号という大きな大きな豪華客船は、暗く冷たい海の上で、たくさんの富豪と共に、海の藻屑となったと聞く。
……けれど、だからと言って。
沈むかも知れないと、恐れたままでは。
人は、海を渡れないのだ。
「……向こう岸に辿り着く時は、船と乗り手は一緒に、ですし。……何言ってるのか、自分でもよくわかんないですけど……その。──とりあえず、私、頑張って、きます」
……前世と違う自分ついでに、かっこいい言い回しをしてみようと試みてみたけれど……こっちは、あまり向いていなかったみたいで。
結局、月並みな言葉に収まってしまった。
まあ、そうか。
……きっと私は、アドリブはあまり向いていない。
ひとつずつ積み上げて進むのが……多分、そっちの方が、今の私には合っている。
──そうして。
控え室を出て。
……ステージの上に、立つ。
審査員……とは言っても、まあ、あくまで学園のイベントだから。
学園のトレーナーさんや先生といった、既に知っている顔がそこに並んでいるだけではあるのだけれど。
彼ら彼女らの前に立ち、マイクを手に持つと……ずっしりとした、重みを感じずには、いられなかった。
「──よろしくお願いします」
……そうして。
私の挨拶が済んで、その後に。
──音楽に合わせて、身体が、動き。声が、発せられる。
それらはほとんど……無意識だった。
……私は、その瞬間。
自分を覆う、透明な殻に、意識を向けていた。
……私という存在を、まるごと透過する不思議な力。
この先もう一生逃げ隠れしない、なんて。
さすがにそこまでは、言い切れはしないことだけれど。
──だけど、今は。
これは、必要のないものなのだ。
……そうして、それは。
私を守っていた、透明な鎧は。
他ならぬ私自身によって、脱ぎ捨てられて。
そうして私は、ようやく前を見た。
……そうしたら。
私を見ていた、審査員の人と、目が合った。
けれど。時折り、何かをメモしているのか、何度か目線が下がったりしている。
──面白くない。
どうせなら、もっと。
目を離せないくらいに、釘付けにしてしまいたい。
……どうして下を見るの?
私はここにいるよ?
──そう。
もっと……そう、そう。そのまま……。
……自然と、熱が入るような、そんな気がして。
どんどん、のめり込むように、集中して……そして。
「……ありがとうございました」
……自分自身の言葉で、ハッと、我に帰った。
どうやら、もうこれで終わりらしい。
……我ながら、本当にこれでよかったのだろうか。
自分がどんなパフォーマンスをしていたのか、まるで覚えていない。
──今更になって、不安が、込み上げてくる。
この感覚は……中等部の時を、思い出す。
そういえば、あの時も、こんな風に。
気が付いたら、観客の方ばかりに意識が吸い込まれるようにしていたんだっけ。
……そわそわと、落ち着かない気分を、持て余しながら。
しばらくは座る気にもなれず、立ったまま。控え室で、待っていると。
プロデューサーが、扉を開けて、やって来た。
「お疲れ様でした。観月さんは……」
結果を持って来たプロデューサーは、わざわざ、引き延ばすかのように。
最初に、言葉のクッションをひとつ挟んだ。
──ここは、前世の知識で知っているやり取り……にはなるけれど。
いざ当事者になってみたら……不安で押し潰されてしまいそうな、瞬間だった。
「合格です。最高の結果でしたね」
……だからこそ、と言うべきか。
「おお……」
結果を、聞かされて。
……色々な思いが込み上げてきたせいで、言葉がうまく、出てこなかった。
──結果は、合格……の中でも、最高の結果。
つまり、順位にして……1位だった、ということらしい。
「よく、頑張りましたね」
「──はい!……プロデューサーの、おかげです。こうするべきっていう道標を立ててくれて。そして、そのための歩き方を教えてくれて……」
「それはあなたが、積み上げてきたものですよ」
「──そうかも知れませんが、そうではありません。とにかく本当に、ここまで連れてきてくれて、ありがとうございます!」
期待されるのを恐れていたのは、期待に応えられないかも知れないという、不安からだった。
「……この後のライブも、今の私にできる、最高のものにしたいと思います!」
だけれど、それを乗り越えて。
……ようやく、目線を前に向けて。
恐れではなく期待を胸に、そんな宣言を、口にすることができたのだった。