私の視線の先にいる十王星南は、どうやらまだこちらに気付いていないようだ。
単純に距離があるから、というのもそうだし、そもそもの話をすれば、通行人の1人でしかない私に意識を向けるほど、彼女は暇ではない。
……さて、どうしたものか。
というか、それ以前の話。
どうして、私は十王星南にこんな個人的なことで話しかけようとしているのか。
学校のビジュアルトレーナーさんとかに定期的に時間を作ってもらったりするのでも良かったのではないだろうか。
まあ、学校のトレーナーさんは、プロデューサーの付いていない生徒に教えたりとかで、あの人たちはあの人たちで忙しそうにしているけれど。
それでも、事前にお話をすれば、少しくらいなら、時間を作ってもらうことくらいは出来るだろう。
……いや、うーん、どうだろうか。
定期的に時間を作ってもらうのは、流石に厳しいかも知れない、か。
けれど、仮にそうだとしても。
流石に、いきなり十王星南に声をかけるのは……。
……。
……なんて。
そうやって、諦めていいのだろうか。
一度決めたことを覆すのは、自分自身に対する嘘ではないだろうか。
嘘をつくのは良くない、というのは単なる普遍的な一般論で、それがあらゆる場面において全面的に正しい、とまでは思ってはいないのだけれど。
しかし、自分自身が『肯定的な意味のない嘘をつくことに慣れる』ということには……拒否感がある。
──私は、自分で好きになれるような自分になりたいと、そう思っている。
しかし同時に、私という人間の本性は、到底私自身が好きになれるようなものでない、とも、未だに思っていることである。
であれば、言ってしまえば。私は常に嘘をつこうとしているということであり……それならば、どうして嘘というものそのものを否定できるはずがあろうか、というところではあるのだけれど。
しかし、だからこそ。
ここで退くようなことを、何度も繰り返したその先が。それこそが、私の嫌いな私になる、ということもあるのではないだろうか。
……考え方を、変えよう。
十王星南を味方につけることができたなら、それは極めて大きなアドバンテージに……なるかも知れない。
……これは、前世の記憶でしか知らない話にはなるけれど。
彼女は、アイドルの力を『アイドルパワー』という数値として視る力がある。
私の、『存在感を薄める力』を、細かく調整して使うのなら。もしかしたら……彼女の『アイドルパワー』を視る力は、案外都合がいいかも知れない。
それに、もし仮にそういうことが、できなかったとしても。
──これもまた、前世の知識によって知っていることだけれど。
……彼女は、卒業後の進路をプロデューサーと決めている。
だから、その一環として。
事情を話したら、先輩としてなにかアドバイスくらいはもらえるかも知れない。
……どこをどう切り取っても、図々しい話だけれど。
しかし、メリットは大いにある。
とりあえず、どうやって興味を引くか、考えよう。
ダメで元々、というのは当然として。
それはそれとして、少しでも可能性を上げるのは、大切なことだと思うから。
彼女が歩いている方向的に、そろそろ、「近く」と呼べる範囲に入る。
……ちなみにだけれど、廊下には、他の関係のない通行人もいる。
そんな中で、遠くにいたはずの十王星南が1番最初に視界に映ったのは……まあ、彼女が強いオーラみたいなものを持っているから、ということだろう。
──よし、ひとまず、作戦はおおよそまとまった。
……あとは、声をかけるだけである。
緊張するけれど……声をかけなければ、始まらない。
「──あの、すみません!」
私は、思い切って。
歩いてきた彼女に、声をかけた。
「……なにかしら」
そんな、私の突然の行動に。
周囲の人は、ギョッとしたように、こちらに視線を向けた。
……いくら、同じ学園の生徒とは言え。
接点も無いのに声をかけるなど、烏滸がましい。
不可侵であり、まるで雲の上にいるかのような存在。
それが、『一番星』たる彼女に対する、学園の生徒のイメージである。
「十王会長、私のレッスンを見てください!」
……非常識なことは理解している。
その上で、まずは直球、ストレートに。
と、そんな様子に、周囲の人が。
ヒソヒソと「あの子誰?」……みたいなことを言っているのが、聞こえてくる。
「……誰だか知らないけれど、お断りよ。そんな事をして、私に何の得があるのかしら?」
……そして、当然の返答である。
生徒会長でもある彼女は、暇ではない。
むしろ、極めて多忙である。
本来、こうして、わざわざ足を止めて話を聞いてくれているだけでも。
極めて、ありがたい事なのだ。
……まあ、だからと言って。
声をかけて断られるのが、私の目標ではない。
ここまできたら……私としても。
どうにかして、彼女の興味をひくつもりだ。
「得、ですか。……でしたら、手品をお見せしますよ!」
「……手品?どうして手品が出てくるのかしら?」
私の突拍子もない発言に。
十王星南は、困惑したような表情を見せる。
……怪訝そうに見てくる視線に、耐えながら。
私はおもむろに、ポケットから取り出した財布から一枚の硬貨を摘み上げ、それを見せる。
気が付けば、周囲の、廊下を歩いていた人たちも。
……遠巻きながらも、立ち止まって。こちらをじっと見ているのがわかる。
「ここに、500円の硬貨がありますね?」
「……ええ、あるわね」
……困惑しながらも、わざわざこうして付き合ってくれる彼女は。
極めて、優しい人だと言えるだろう。
「これを……投げます」
そう言いながら、私はコインを上へと投げ。
──そのコインの行方を追って、十王星南の視線が、上下に動いた。
……そして。
落ちてきたコインを、右手で受け止め。
握りしめたその右手を、私は、彼女の前に突き出した。
「500円玉はどこに行ったと思いますか?」
「……その手の中にあると思うわ」
……。
普通に考えれば、他の中にあると思うだろう。
間を置いたのは、事前に私が、手品をすると言ったから。
その上で、彼女は。
自分の見たものを、信じることにして答えたわけだ。
……まあ、そんな真剣に考えているわけではなくて、単純にまだ困惑しているだけ、ということなのかも知れないけれど。
「わかりました!では、3、2、1で開けますよ。……3、2、1、ハイ!」
「……?──!?……信じられないわ。一体、どうやったのかしら」
カウントを終え、手を開くと。
開かれた手のひらに、一度視線が向き。
それから、怪訝な目で、私を見て。
……そして、驚きによってその目を見開く。
──コインは、実際、開かれた手のひらの中にあった。
予想通りで、見た通り。
当然ながら、こんなものは手品と呼べるものではない。
遠巻きに見ている人が、首を傾げているのがよくわかる。
……それなのに、十王星南が驚いたのは。
それは、コインの行方とは、全く関係のないことである。
「──手品は、上手くいったってことで、いいですか?」
私は、彼女の目を見つめながら、そう尋ねる。
……それに対し、十王星南は少しばかり考え込む様子を見せて……。
「……ええ、そうね。あなたの手品、確かに見させてもらったわ」
……それから、ゆっくりと肯首した。
──私の、手品。
そのタネは、突き出した手のひらを開くと同時に、微妙に薄めていた存在感を、元に戻したというだけである。
つまりコインは、最初からただの、カモフラージュでしかなかったということだ。
「しかし驚いたわ。目の前であなたの『アイドルパワー』が、突然一気に跳ね上がったのだから」
十王星南にしか正確に伝わらないであろう手品を終え。
少しばかり、テンションが上がった様子の十王星南が、手品の感想を伝えてくれた。
「──っと、ごめんなさい。『アイドルパワー』っていうのはね……」
そして、それから。
その言葉では伝わらないだろうと思い直した様子で、補足するように、本人の口から、『アイドルパワー』の説明をされた。
それは、『ボーカル』、『ダンス』、『ビジュアル』の三つを軸にした、その人のアイドルとしての現在の力と、それから、同じく三つの軸から評価した、成長の余地を数値的に表すというもの。
……つまりは、内容としては、前世の知識で既に知っていたものではあったけれど。
今の私が知るはずのない情報ではあったから、以降知らないふりをしなくてもいいという意味で、とても助かった。
「……それで、さっきのはどうやったのかしら?本来、『アイドルパワー』はあんな風に変動するようなものではないはずなのだけど」
……そして。
話は、私の披露した手品へと戻ってきた。
鏡で自分の顔を見るたびに、数値として自分の限界を突き付けられてきた彼女にとって……私の手品は、それだけ興味深いものに映ったらしい。
「……えっと、そうですね。まず最初に、人には他人に対してどれだけ相手を認識しているか、という『認識率』……みたいなものがあると考えてください」
私に、それが数値として見えるわけではない。
だから、そういう数値が、実際に存在しているかも分からない。
これはただ、説明の際に前提として。
そういう考え方をする必要がある、という前置きである。
「その『認識率』は、シチュエーションによって変化します。……例えば、こうして隣を歩きながら話す相手の『認識率』は、40%くらい。それから面と向かって会話をしている相手が50%くらいで、同じ空間にいるだけの相手が10%くらい、とします」
……だからこそ、これは仮定の話である。
パーセントの数字は、私が、あくまでも感覚的に、適当に設定したものである。
「あ、えっと……どれだけ相手に興味がなくても、0%……つまり、その人のことを認識していない状態が最小値であるものとしてください」
もし、『認識率』がマイナスだったら、それはどんな状態であるのか。
いまいちパッと想像できないから、一旦それは『ないもの』として定義する。
何度も繰り返すようだけれど、あくまで、架空の数値だから。
実際にマイナスがあり得ないのかは、不明である。
「私は、生まれつきの特殊能力……みたいなもので、他人の自分に対する『認識率』を、シチュエーションに関わらず、いつでも最大で80%くらいマイナスできるんです」
私の力を詳しく言語化するのなら、こういうことになるだろう。
言い終えると同時に、私はそれを実演した。
「なるほどね。つまり……?……あれ、どこに行ったのかしら?」
私の話を聞きながら、何かを考えていた彼女は。
途中で、周りを見渡した。
……おそらく、私がいなくなったと、思ったのだろう。
「──私は、ここにいます」
能力を解除し。
私は、彼女の目の前で声をかけた。
「……まったく、驚かさないでちょうだい」
一瞬、驚きを見せた後。
十王星南は、呆れたようにそう言った。
「……だけど、納得したわ。あなたの『アイドルパワー』が急激に変化した理由は、おそらく『ビジュアル』の値を中心に、大きな変化が起こっていたから……ということね」
存在感と『ビジュアル』の関係性。それから、『アイドルパワー』。
今さっき十王星南が口にしたのは、私が彼女に声をかける前に、もしかしたら、と思っていた推測と同じものである。
そして、それを基に、声をかけて、こうして手品を見せたわけで……どうやら、その判断は正しかったらしい。
「それで、私にレッスンを見て欲しいっていうのは、どういうことなのかしら?」
……それは、至極当然の疑問である。
だから、私は、それに対して。
プロデューサーと話したことを、そのまま、全てを包み隠すことなく伝えた。
「なるほどね。わかったわ。……ただし、流石に条件は付けさせてもらうわ」
十王星南は多忙である。
わざわざ時間を作ってもらうのだから、条件が付くのもまた、当たり前のことだろう。
……そうして、それから。
拠点である教室に着いた私たちは。
本当に人を連れてきた私に驚いていたプロデューサーも交えて、話をして。
……最終的に、プロデューサーからプロデュースについて教わることを条件に。
十王星南の空いた時間に、私のレッスンの様子を見て評価をしてもらう、という形になった。
……そうして、それから。
実際に少し様子を見てもらいながら、レッスンをして。
その場は、解散という形になった。
……1日目にして、早くも『アイドルパワー』を視る力を応用して、私がどのタイミングでどれだけ『認識率』をマイナスしているかを数値化してきたのには……流石に驚いたけれど。
時間がある時には、これからそれを基に色々と一緒に考えてくれるというのだから、それは、とっても心強い話であると、そう考えることにした。