──あの日。『QUARTETTO』で、大金星を挙げた私は。
なんでも、これまで注目されていなかった反動もあって、大きく注目度が上がっている状態らしく……いわゆる、ちょっとしたトレンドみたいな状態になっているらしい。
そして、プロデューサー曰く、注目度が上がっている今こそが最大のチャンスであり、この機を逃さず徹底的にアピールしていくのが、これからの方針らしい。
実際に……『QUARTETTO』以前と比べて、主にミニライブを中心とした仕事が、大きく増えた。
──そして。
プロデューサーのその考えは、正しいようで。
仕事をすればするほどに、元々強かった勢いはさらに加速していき……今や、正直言って、ちょっと怖いぐらいのものになって来ていた。
まあ、怖い、とは言っても。
過激なファンが出てきてどうこう、とか、今の所、そういう物理的な悪影響が起こっているというわけではない。
……それは、例えば。
仮に私というアイドルが、一隻の船だとして。
今の状況は、極めて強い追い風を帆に受けて、経験したことがないような速さで海の上を進んでいるような状態だ。
そして、この『N.I.A』という大会は、そのまま船に例えるのなら、速度を競うようなものであり……そう考えると、これは確かに好ましい状態であると言えるのかも知れないけれど。
しかし、航海において極端に強い追い風を受けて進むというのは、転覆の危険性が伴うため、危険なことでもある。
……なんて、少しわかりにくい例えになってしまったけれど、実際、私が怖いと思っているのは、そういう曖昧なものである。
私の感覚をどうにか言語化するために持ち出しただけであって、当然、アイドルの活動は船旅とは、全く違うものだとは思っている。
……まあ、結局は。
こういうこともあると割り切って、うまいこと流れに乗るのが、本当は1番良いのだろう。
しかし……それがわかっていても、やはりどうにも落ち着かない。
──そんな、今の急激な私への期待の高まりに対する、ちょっとした恐怖心に加えて。
さらに、この『N.I.A』における最終オーディションである『FINALE』が、そろそろ目前まで迫ってきている。
『FINALE』とは、言うまでもなく、この大会における最も重要なオーディションである。
そして実際、その日のために私は、これまでできる限りの事をしてきたつもりであり、そして、残り短いこれからの『N.I.A』期間もまた、そのために使うつもりである。
『QUARTETTO』であんな結果を出すことができたのも、今日この日を迎えるためにしてきたことが、順調に実った結果であった。
……しかし。
敢えて、逆に言えば。
残り数日と、それから当日。
そのどこかで失敗して、最終的に結果を出すことができなければ。
そうしたら、それが私の最終評価として下され、その途中の『QUARTETTO』での結果はまぐれだった、という評価に落ち着くことになるだろう。
──いや。
それは少し、考えが甘いかも知れない。
こうして、これまで注目されていなかった反動で、一気に注目されるようなことが起こるのだから。
その逆があっても、おかしくない。
……つまりは、みんなから注目されていた分だけ。
凄い勢いで、みんなから見放されるということもまた、おそらく起こり得ることだろう。
我ながら、今更成功が失敗で上書きされることをこんなにも恐れるだなんて、情けないとは思うのだけれど。
……しかしやはり、怖いものは怖いのだ。
なんだかんだ、こうも大きくうまく行ったことなんて、無かったし、そして同時に、これだけ全てが崩れていくビジョンが明確に見えるようなことも、無かったから。
手に入れれば手に入れるだけ、手放す時が恐ろしくなる。
……そして、恐ろしくなった結果、前に進むことができなくなって、いつの間にか、大事に抱えていたはずの物は、全部落としてしまっていた──なんて。
そんなありきたりで情けない失敗談が、まさか現実に、ありえる未来として私の前に迫る時が来ようとは。
……なんて、言ってしまえば、至極贅沢な悩みで、頭を悩ませながら。
ミニライブ翌日の休養日を、いつもの教室でゆっくりと過ごしていた──その時だった。
つい先ほど、次の仕事の話をするべく、教室から行ったばかりのはずのプロデューサーが、戻って来た。
見れば、何やら不服そうな。それでいて、よくよく見るとほんのちょっとだけ嬉しそうな……そんな表情で。
「観月さん、突然ですが……ニュースを持って来ました」
「……ニュース、ですか?」
よくわからないプロデューサーの表情に、訝しみながら。
おうむ返しに、そのまま言葉を返す私に……ひとつ、間を置いて。
「『N.I.A』に、961プロ所属のトップアイドル──白草月花さんが、参戦することが決まりました」
──とんでもない爆弾を、投下した。
「……えっ」
──白草月花。
……白草四音の姉であり、現在主にニューヨークで活躍中の、現役のトップアイドルであり。
そして、白草四音に才能の差を見せつけ続け、彼女のコンプレックスの元となっている人物である。
つまりは……当然、とてもNEXTなんて言えない大物アイドルの1人ということである。
──『学園アイドルマスター』の『N.I.A』編では……たしかに、いくつかのルートの中で、大人気なく育成中のアイドルの前に立ちはだかって来たキャラクターでも、あったっけ。
そう考えれば……この事態は、予想できないわけではなかったことである……かも知れない。
現状として、極月学園は今、かなり追い込まれている。
エースである白草四音が、『QUARTETTO』という、本来ならば通過点でしか無かったはずの場所で、無名のアイドルを相手に土をつけられる結果になった。
……そして彼女に土をつけた、無名だったアイドルは。
その『QUARTETTO』を踏み台に、大きな跳躍を見せている。
あの極月学園の学園長である黒井さんは、その状態でもう一度白草四音を私にぶつけて、勝てると判断するかと言えば……きっとしない。
……そして極月学園における他の主力で言えば、白草四音の妹分である藍井撫子と、それから、初星学園から引き抜いた賀陽燐羽。
しかし、藍井撫子は白草四音よりも成績が下だし、それから、賀陽燐羽は極めて優秀ではあるけれど……彼女は彼女で、優勝を他人に譲る事を条件に『N.I.A』に出場しているから、『FINALE』に出てくることは基本的にありえない。
……と、前世の知識も交えて現状を改めて分析すると、こういうことで。
だからつまり……極月学園側の状態としては、もはや、優勝を目指す事を考える視点では、ほぼほぼ手詰まりの状態であった、ということだ。
──だからこそ、極月学園側は、最後の手段を引っ張ってきた。
……あまりにも、迂闊な話だ。
すっかり、自分のことで、頭がいっぱいになっていた。
情報アドバンテージを活かす、なんて。
大会が始まったばかりの時に、意識しておこうと思っていたことだったのに。
……正直、そんなの無しだよ、もうめちゃくちゃだよ、と、思う反面。
突然、逆境に叩き落とされたことで、逆に冷静になれた部分もある。
私は今この瞬間、改めて、挑む側の立場に立たされることになった。
前に進む事を恐れたままでは、逆立ちしても勝てない……どころか、挑む資格すら与えられないような相手が、立ちはだかっている。
──その自覚、その危機感は。
心のどこかで、これ以上前に進むことに対して恐れを抱いていた私には……ほんの少しだけ、ありがたい転機として働いたような感覚があった。
「……勝ち筋とかって、あると思いますか?」
「本来であれば、ありません。──が、しかし、今回に限っては、案外そうでもないと思っています」
問いに対し、返ってきたのは、意外な言葉だった。
何か、本来とは異なる結果を招くことができるような、そんな手札が、今私たちにはあるとでもいうのだろうか。
内心で驚く私に対し、プロデューサーは、淡々と言葉を続けていく。
「……まず、予定を曲げての急な来日の影響があり、見たところ調整不足のようです」
……『N.I.A』に出てくる白草月花は、本調子ではない。
それは、『学園アイドルマスター』のシナリオの中でも、何度か語られていた事である。
──いや、むしろ。
調整不足どころか、怪我をしている……と、いうことが描かれていたルートもあったような気がする。
まあ、その怪我はかなり軽度なものだったのか、私の知る限り、シナリオ上で、今後に響いたような描写は流石になかったけれど……それでも、その点は純粋に少し心配である。
ただ、今この世界で、その話と同じようにそうなっているのかは……さすがに、全くもって確証がない。
確かめようにも、向こう側に直接的な伝手があるわけでもないので……一応、後でそれとなく、無茶なスケジュールで活動しているから怪我してるんじゃないか、というのをプロデューサーに、言ってみるだけ言ってみよう。
プロデューサーなら、その疑いを伝えれば、見て分かる範囲で調べてくれるだろうし、もしも私の言葉通りだと判断したら、きっと、どうにか私の知らない伝手を使って、向こうに伝えてくれるだろうから。
あまりにも、他力本願極まりない話ではあるのだけれど。
しかし、私の頭で思いつく限りでは、それが1番手っ取り早いのだから仕方がない、ということにさせてほしい。
……で、話を戻そう。
──白草月花は、本調子ではない。
……その上で、他にも何かあるらしく。プロデューサーは、そのまま言葉を続けるようだ。
「それから、今の観月さんのブームの背景には、死角から勝利を攫うダークホースの登場、という物語性によるものあるのですが……今の白草さんは、ここにちょうど重なり──いわゆる、キャラ被りが発生します」
……アイドルにとって、個性を潰しかねないキャラ被りというものは、極めて有り難くない状態である。
被り、ということから、それはお互いに不利益を被るものと聞こえるかも知れないけれど……。
しかし、おおよそこういうものは、後出しの方が一方的に不利を被ることになりがちなので。先に、そのキャラ付けという椅子に座ることのできているこちら側に有利な要素として、数えられることだろう。
「それに元々、『N.I.A』はファン投票が重要な大会です。ファンの視点から、今回の白草月花の参戦がどう見えるか、というのが重要でして。……突然のことだったのもあって、好意的に受け止めていない声も、少なくないようです」
敢えて、聞こえの悪い言い方で言ってしまえば……それは、無粋な闖入者という、レッテル染みた位置付け、ということだろうか。
……つまり、それらをつなぎ合わせ、裏返せば。
私は、優勝候補を打ち破ったダークホースとして、さらに強大な相手を打ち破る物語を期待されている、ということになるだろう。
……なるほど。
確かに、そう考えてみれば、状況としては極めて有利。
トップアイドルに挑むという経験を積むタイミングとしては、まさに千載一遇の好機とも言えるだろう。
最初に、プロデューサーが不可解な表情をしていたのも、理解できるというものだ。
「……抗議することもできるとは思いますが、どうしますか?」
……相手は、確かに格上である。
しかし、これだけの有利を積み上げた状況でなお、尻尾を巻くようでは、私は、一生分の月日があっても、立ち向かうことはできないだろう。
……勝てそうだから挑む、なんて、卑怯な話かも知れないけれど。
「……いいえ、挑みます!みんなの期待に応えるために、月花さんに挑んで、この勢いのまま、私は、『N.I.A』での優勝を目指したいです!」
──これらの、積み上がった有利は。あくまで、こちらにも勝ち筋はある、という程度の話である。
だから、挑戦者としての意識を、忘れることなく。
全力で、その勝ち筋を通しに行こうと、そう、思うことにした。