最終オーディションである『FINALE』を終え。
それから、しばしの休憩を挟み、疲労はおおよそ回復した。
……そして、冷静な頭で、改めて考えると。
私は、あの時。
ステージの上だけではなくて、そこに至るまでの時間も、全て含めて。
自分でもちょっと信じられないくらいに、勝ち負けに対して真剣だった。
どうしてかと言えば、それはトップアイドルというものを目標として掲げるのなら、この『N.I.A』は勝たなければならない戦いだと思っていたからで。
そしてこうして冷静に俯瞰している今でも、勝ち負けという結果の重要性はともかくとして、こういう勝負に全力で挑めないのなら、トップアイドルなど夢に見る資格すらないと、そう思う。
──では、もしもどこかで妥協する道および、掲げていたトップアイドルという目標を、ひっそりと取り下げる選択をしたのだとしたら。
……。
……別に、何かが起こるわけでもない。
極論、私が急に明日学園から去ったところで、世界はきっと変わらず同じように在り続けるだろうし、舞台の上に立たなくなったとしても、私の人権が剥奪されるというわけでもない。
……と。ここまでが、前提だ。
では、改めて。
私はどうして、これだけ必死になれたのか。
私がアイドルという道を選んだ最初のきっかけは、まだこの世界が『学園アイドルマスター』の世界なのだと気が付いていなかったころのこと。
前世の自分のように、働いて生きるのが嫌で、そして結婚する自分を想像することができなかった。
──だから、ちょっと特殊な道を選ぼうと、そう思った。
……だから、つまるところ。
それは、一種の逃避というものであって。
決して、高尚なものでは、なかったのだ。
……と。
これまで私は、私がこの道を歩き始めた理由について、それだけが全てとばかり思っていたものだったけれど。
しかし、考え直してみると……それはそれで、奇妙な話ではないだろうか。
アイドルとして、常に人の視線に晒されながら、誰かの期待を背負って生きるのは、並大抵の苦労ではない。
それに、逃げてここにきただけなのであれば、真剣になって、無理に上を目指す必要なんて、何処にもない。
──それでは、私は一体。
何を、自分自身に対して求めていたのだろうか。
……その問いに対して、実のところ、私には思い当たるものがあった。
──承認欲求……いや、自己実現欲求の方が近いだろうか。
いわゆる、マズローの欲求五段階説というものに、基づくのなら。私は、生理的欲求も、安全への欲求も、社会的欲求も……あまり、自覚するほど強く感じたことはない。
それはきっと……前世でも今世でも、私が運良く、とても恵まれている側の人間であったことを意味していることなのだろう。
……そしてだからこそ、満たされないものがあったのだ。
それをたしかその哲学では、高次元の欲求とか、そういう言葉で表していたような、そんな気がするけれど。
しかし、高い次元の欲求……なんていうと、なんだか自分を高尚な人間であるとでも勘違いしてしまいそうだから。
少しばかり言い方を変えて、贅沢な欲望、とでも表現しようか。
そして、そんな私の抱いた、欲望の内容はと言えば。
……それは。
──きっと私は。
ずっと、何者かになりたかった。
だから、代わりの利くパーツとして埋没していくことに苦痛を感じ、小さな世界の中で生きて終わることを、勿体無いと、無意識的に断じていたのだ。
……それを自覚した上で、思い返すと。
一度、つい、勢いで「トップアイドルになる」だなんて口にしてしまったことがあったけれど。
今にして思えば、浅はかだった。
──あの時のあの言葉には、理由という一番大切なものが、欠如していた。
……私は、この世界が、たくさんのアイドルたちが輝く世界だと知っている。
そして、知識だけではなく、経験としても。
見上げれば果てしないような世界だということを、よく、理解したところである。
……だからこそ。
こんな世界で、トップアイドルと呼ばれるようなアイドルになれたなら。
その時私は、きっと、これ以上なく。「何者かになれた」と、そう胸を張ることができるだろう。
……そんな思いを、無意識のうちに持っていたから。
だから私は、その道が閉ざされる可能性に、抗わずにはいられなかった。
だから、今回。私はこれだけ真剣になって、大会の最後まで、走り切ることができたのだろう。
……腑に落ちた、とでもいうのだろうか。
まるでパズルのピースがハマった時のように。
漠然と、しかし明瞭に、しっくり来たような、感覚がある。
──私は、きっと。
ようやく、私の夢を、ちゃんと自覚することができたのだ。
「……そろそろ、ライブの時間ですね」
そして私が今から挑むのは、『FINALE』の……いや、『N.I.A』の優勝者による、大会の最後を飾るステージ。
……それは、勝負でも、競争でもないものだ。
ただ純粋に、アイドルとして。
ファンに応援してもらった感謝を伝え、そして楽しませるための場としてあるもの。
……つまり、ある意味では。『FINALE』よりも、ハードルの高いステージと言っても、いいのかも知れない。
「プロデューサー、私……さっきの『FINALE』で、ひとつ夢ができたんです。……というより、夢に、気付きました」
大一番の前だというのに、急に、そんな話をし始めた私に。プロデューサーは一瞬、驚いたような、困惑したような、そんな表情を浮かべたように見えたものの。
しかし、その直後には、とても真剣な顔になって。
そのまま、私が言葉を続けるのを、静かに待った。
「──私は、トップアイドルになりたいです。……いえ、なります!」
そんなプロデューサーに対して、私は、力の限り宣言する。
「……前にも、同じようなことは言ったことが、ありますけど……。今日、トップアイドルと呼ばれる人と、ぶつかって。ようやく、その言葉の意味が、ちゃんとわかったような気がするんです」
そもそもの話、トップアイドル、という言葉について。
私は……前世の記憶で、表面的に使っていただけだった。
言うなれば、その人物の凄さを表す、一つの指標としての称号。
そのようにしか思っていなくて。だから、これまでは、あまり、自分の中でピンと来ていなかった。
ここまで来ることによって、ようやく。
私はその、トップアイドルというものの一端に触れることができたから。
……あくまでも一端に過ぎないものではあるだろうけれど、その価値と重みを、理解することができたから。
だからこそ。
私はここで、改めて私の目標を定義するため、宣言し直す。
「……世間一般的には、既に観月さんのことを、トップアイドルの1人として見ている人も、いるかと思います」
そして、プロデューサーは。
私の宣言を受けて、敢えて、そのようなことを口にした。
……まあ、それはそうかも知れない。
それが一般的な評価、という事はなくとも。そのように思ってしまっている人もいる、というのは、充分考えられる話である。
なぜなら、結果だけで、言うのなら。
一応、私には、トップアイドルの1人として数えられている白草月花に勝利したという、事実が生まれた。
それは仮に、そこに至るまでにどれだけの好条件が重なっていたことによるものだと言っても……そう見られるだけの、重みのある称号である。
……もちろん、それは、理解している。
「──たしかに、そう捉えてる人もいるかもですけど……」
しかし、その上で。
私は今の自分が……トップアイドルになれた、とは、思っていない。
「私としては、今日が第一歩、のつもりです。ようやく、スタートラインに立てたって、そんな気がしているんです」
「そうですか。……では、ステージでそれを見せてください」
「はい!──夢へと走り出すスタートダッシュを……しっかりと、決めてきたいと思います!」
……。
……そして、それから。
──私は、ステージの上に、立っていて。
そして気を抜けば震え出しそうな手は、電源の入ったマイクを握っていた。
見てみれば、観客席は、全ての席が埋まっている。
……みんなが、私を見つめている。
数多くの期待が、私に向けられているのを、強く感じる。
──だけど、大丈夫。
私は、今の私にできるだけのパフォーマンスを、ただ愚直に、全身全霊で見せればいい。
ここが、私のスタートライン。
……初めの一歩目という割には、かなり進みすぎた場所にいる気はするけれど。
誰かとせーのでスタートするというわけでもなく、ただ、自分で勝手に考えるだけであると、言うのなら。
きっと、どこにその線を引いても、いいはずだ。
──マイクを握る手に、自然と力が籠る。
おもむろに、マイクを握る手を、自分の顔へと近づけていきながら。
……少しばかり、思い出す。
それは、プロデューサーの考えた、イン……なんとかについて。
これは、確かに、私の、アイドルとしての武器と言えるだろう。
──歌やダンスといった要素と直接的に結びつかない、不可視の緩急。
その本質は、それを主軸とした誰にも真似できないライブをすること……ではなくて。
通常のパフォーマンスに、他の人が真似できないようなプラスの要素を、付与できること。
メインに据えるのではなく、隠し味のスパイスとして、添えるもの。
……それが、プロデューサーや十王星南と話し合って出た、結論だった。
そして、それから。
人は、見られることで、自然と相手に意識が向くということを、かなり前にプロデューサーが話してくれた。
私は、没頭しやすい性質があるから。
観客に対して深く意識を向けることによって、観客もまた、それに釣られる……みたいなこと。
……それは、どうしてそうなるのか。
別に、具体的な原理の話をしたいわけではない。
これはもっと、単純な話だ。
──人は鏡、という言葉がある。
私が強い熱をみんなに伝えれば、みんなも、私に少しだけ、その熱を返してくれる。
それは別に、観客のみんなが意識的にしていることではないだろう。
相手に向けた自分の行いが、鏡のように返ってくるのは、それは単なる結果論だ。
例えるなら、私が熱を振り撒けば、みんなの心に火が灯って。
そしてそこから溢れた少しばかりの熱が、まるで私に返ってきているように感じる……と、そういった具合に。
実のところはきっと、ただ、火が燃え広がっているだけなのだ。
……そう考えると、私は。
これまでは、ただ漠然と、熱を起こしていただけだった。
ただただ、みんなに自分を見てほしいと、そう願っていただけに過ぎなかった。
──だけれど、しかし。
今の私は、ほんの少しだけ、違っていた。
私は、もっと輝きたい。
他の誰かじゃあ代わりになれないような、特別な何かになりたい。
そんな熱源が、今の私の心には明確に存在しているから。
……そして。
その火の熱の手綱を握り、コントロールしてちょっとした爆弾へと変じさせるような、ちょっと特殊な、武器もあって。
……最終的に、今の自分の全てを出し尽くしたような、このステージは。
空気が震えるほどの喝采と共に、幕を閉じた。
……。
……そして。
満足感と、同時にさらなる渇望を、胸に宿しながらも。
しかし高揚感ではなく、単純な疲労で震え出しそうな両足で、どうにか控え室に、戻ってみると。
「お疲れさまでした。──とても、素晴らしいステージでした」
プロデューサーが、感激したように、そんなことを言ってきた。
「ありがとうございます。……今の私の中では、今回が1番だったと思います!」
……しかし、なんというか。
今日が私の、トップアイドルへの道のスタートライン、ということにしたものではあるけれど……。
しかしやはり、なんとも遠くまで来たものだ。
……プロデューサーと出会ったばかりの頃は、私は色々とダメダメだった。
そして、それはきっと、今も完全には変わっていない。
プロデューサーが道を示してくれるから、私は、ただまっすぐに進むだけで、こうして、目的地への道を走ることができているのだけれど。
彼がいなければ、私はきっと、またすぐに迷子になってしまうことだろう。
「──これから先、何度だって、自己ベストを更新できるように。もっと、夢に向かって、頑張りたいと思ってます!」
……じっと、プロデューサーの目を見つめてみる。
そうしたら、プロデューサーもまた。真剣な眼差しで、私を見つめた。
「ですけど、今日こうしてこんな結果を出せたのは、間違いなくプロデューサーのおかげで。私が夢を叶えるには……つまり、私がトップアイドルになるためには……そこには、道を示してくれるプロデューサーが、必要です」
言葉の区切りで、あえて一度目を瞑り。
……そして、また目を開いてから。もう一度、私は彼の目を見つめた。
「新しく抱いた、夢のために。改めて、お願いします。……プロデューサー、これからも──私を、プロデュースしてください」
言い終えた私は、頭を下げて。
……それから、顔を上げると。
「はい。こちらこそ。……改めてよろしくお願いします、観月さん」
──まるで、出会った時の、あの日のように。
プロデューサーは、真摯な声でそう言った。