「……負け、ましたね」
夏の『H.I.F』の結果発表を終えて。
私は、控え室で。プロデューサーと二人、少々呆然としていた。
「ええ、我々の完敗です」
……結果に納得していないわけではない。
むしろ、これ以上なく納得している。
十王星南のライブはすごかった。
自分のライブがどんなものだったかは主観的な視点でしかわからないから、比較したらどうか、というのはあまりよくはわからないけれど……。
少なくとも、彼女のライブが高レベルのこの大会の中でなお頭一つ抜けていたことは間違いない。
……ただ、それはそれとして。
勝負を挑んで敗北したという事実に対して、なんとも言い難い感情が胸中を渦巻いているのも、事実であり。
どうにか絞り出した言葉が、先ほどのものであった。
……我ながら、これではまるで小学生のような語彙である。
どうにか言葉が出せる程度には心の整理がついてきたところで、私はすっと椅子から立ち上がり、プロデューサーに対して、おもむろに背を向けた。
特に、深い理由はない。
……強いて言うなら、何となく。
これ以上に言葉を発したら、どこかのタイミングで、内側で渦巻く感情が溢れ出し、ひどい顔を見せることになってしまいそうだと感じたから……という程度のものだ。
「……プロデューサー。私に、失望しましたか?──もっと能力の高い、ポテンシャルのあるアイドルに声をかけていたら……って、思いませんでしたか?」
半ば衝動的に、言葉が溢れるようにして。
……しかし、自分で言うのもなんだけれど、酷い言葉だ。
質問のような体をしてはいるものの、それは単純な質問ではなく、否定してほしいと願って吐いた、ある種の誘導尋問のようなものだ。
「いいえ。あの時、あなたに声をかけたことを後悔したことはありませんし、今日のライブも、失望するような点はありませんでした」
欲した言葉が返ってきた安堵。
本心からそう言っているのか、単に私の内心を察して合わせただけなのではないかという、猜疑。
それから、久々に壁にぶつかって露見した、自分自身の醜い心への嫌悪。
溢れんばかりの仄暗い泥と、そこに混ざり込んだ小さな高揚を胸に、薄暗い衝動のまま、私はさらに言葉を続けていく。
「私は……きっとここが限界点です。これ以上を求めたところで、その先に今以上に明るい未来はありません。落ちこぼれアイドルを『N.I.A』優勝まで導いた実績を掲げて……その肩書が鮮度を失わないうちに、他のアイドルに声をかけるべきだと思います」
何を言っているのか、自分でもよくわからない。
こんなことを言って、どう返してほしいのかも、いまいちわからない。
「──プロデューサー。あなたが、トップアイドルをプロデュースするために……ここで私たちの契約を解除、しませんか?」
……なのに、言葉は止めどなく溢れ出てくるばかりで。
結果として。
私の口は、私に考えられる限り最悪の言葉を、彼に放った。
「お断りします。……確かに、あなたに声をかけた時は、トップアイドルをプロデュースすることこそが、俺の夢ではありましたが……」
──気が付けば、結局私は。
プロデューサーの顔に、正面から向かい合っていた。
彼の口から飛び出た、まるで己の夢を否定するかのような言葉に。少なからぬ衝撃のようなものを受けながら、固唾を飲んでその続きを待った。
「今の俺の目標は、観月桃花を、トップアイドルにすることです。──だから、あなたがそれを俺の夢のためだと言うのなら、契約を解除するつもりはありません」
真っ直ぐな瞳を向けられ。そして、真正面からそんな宣言をされて。
私は……どうするべきか、まるでわからなくなってしまった。
「観月さん。──今回の結果を経て……あなた自身の意思としては、どうしたいですか?」
どうするべきか、ではなくて。
──私が、どうしたいか。
思い悩む私に、プロデューサーが聞いてきたのは……そんな、シンプルな事だった。
「……私は」
……どうしたいか、なんて。そんなもの。
答えは、決まりきっている。
「こんなところで、立ち止まりたくはありません。……私はまだ、トップアイドルを目指す道を、走りたいです!」
自分都合だけで、自分の気持ちだけで言うのなら。
私は、再挑戦を強く望む。
「……だけど。私は、一人でその険しい道のりを走れるような強い心も、知識も、ありません」
……ふと思い出したのは、中等部時代。
ユニットを解散することを決めた日のこと。
今とはだいぶ形は違うけれど、あの時もまた、上を目指して一緒に走っていた相手がいた。
「だからもしプロデューサーが諦めていたなら……私も、ここから先に進むことは諦めることになるって、思ってました」
中等部時代のアイドル活動は、最終的に、まさにそのような形で終わりを迎えたと言える。
割り切ったつもりになっていたけれど。
どうやら、こういう時にフラッシュバックしてくるくらいには……私は、未だにあの時のことを振り払い切れていなかったらしい。
しかし。過去は、あくまで過去である。
……今、この瞬間。
プロデューサーという、今の私の相棒が、未だ、折れていないのなら。
「──改めて、聞き方を変えさせてください。……プロデューサー。プロデューサーは、まだ、私と一緒に走る道を、選んでくださいますか?」
中途半端な期待を胸に、恐る恐る、尋ねた私に。
「もちろんです」
プロデューサーは、力強く頷いた。
「……そう、ですか。まだ……諦めなくて、いいんですね」
心からの、安心感を覚えたと同時。
……頬を、汗とも違う熱い雫が、伝った。
手の甲で拭うけれど……それは、なぜだか止めどなく溢れ出してくる。
……手放し難いものを手放さずに済んだという、強い安心。
それから、後回しにしていた、敗北という結果への悔しさ。
あとは、ほんの少し冷静になって自分を俯瞰してふと気がついた、学園トップを相手に正面から挑むという無謀を無謀と思わずにいた自分の烏滸がましさに対する、ちょっとした羞恥心。
温かく明るい感情と、激流のような感情と、それから一滴の毒液のような感情が全てぶつかって混ざり合い。
……結果、情けない話だけれど、まるで、気持ちの整理が追いつかず。
人生2周目の転生者だというのにも関わらず、まるで、見た目相応の年頃の少年少女のように。
私はただひたすらに、パレットの上でたくさんの絵の具をぶちまけてかき混ぜたかのような混沌とした情動に、掻き乱され翻弄されるばかりだった。
「──これを、お使いください」
そんな私の姿を見かねたのか、プロデューサーは、そっと何かを差し出してきた。
──それは、一枚の小さな布……いや、ハンカチだった。
彼の突然の行動に驚き、戸惑いながら、私はそれを受け取った。
……手に取って、改めてそこにちゃんと視線を向けてみると。
そのハンカチには、あまり目立たないような形ではありつつも、控えめに主張をする、私自身をイメージした装飾が施されているということに、気がついた。
……つまり、そう。
それは、ただのハンカチではなくて。
それは、私というアイドルの……グッズであった。
これが売り出されたのは、少し前。
より具体的に言えば、『N.I.A』が開催されていた時期のこと。
プロデューサーと十王星南が、これのデザイン決めの際に真剣に考えていた様子は、記憶に新しい。
結局あれは、私が、シンプル目な方が普段使いしやすいと言って。そしたらプロデューサーも同じ意見だった、という経緯から、このデザインになったんだっけ。
……あの時は本当に、登校したら教室の中二人きりで顔を近くに寄せ合っていたように見えたことから、一体何事かと思ったものだ。
「……もしかして、ですけど。これの在庫、だいぶ余ってたりしますか?」
おそらく、余った売れ残りを余らせたままにしておくのはもったいないからということで、だったらいっそ自分で買って使ってしまえという精神だろう。
まだ売り出されたばかりだから余るもなにもないくらいの頃だと思うけれど……まあ、こういうものの売り上げは売りはじめの勢いで大体わかるものだから、よほど売れそうな見込みがなかったのか。
「いえ、かなりの勢いで売れています。そしてそれは、発売初日の開店直後に店頭で確保した、私物です」
「……えっ」
どうせ余り物だろうと、無造作に顔を拭ってしまったけれど……どうやら、それはあまりにも早計だったと、言わざるを得ないようだ。
「……あ、洗って明日、お返ししますね」
……少しばかり、気まずい思いを隠しながら。
ハンカチを丁寧に畳んでカバンの中に入れている間に。
少しずつ、気持ちの波が、穏やかになってきたのを、実感していた。
──これは、ようやく気持ちの整理が追いついてきた……と、いったところだろうか。
……しかし、改めて考えると、なんというか。
私というのは、つくづく割り切って考えるということが、苦手なようだ。
──夏の『H.I.F』の十王星南がすごい、なんて。
そんなの、最初からわかっていたはずなのに。
……いや、それだけじゃない。
思い返せば、中等部の時も。
私は、当時中等部でナンバーワンのユニットだった、『SyngUp!』を、勝手に見上げて。そして無意味に比較しては、無力感に苛まれていた。
『SyngUp!』というユニットが、常識の枠を大きく超えたものだということは、それこそ、生まれた時から知っていたのに。
それでもなお、そんな考え方をしていたのだから。
今にして思えば、私は、その点において、まるで変わっていないらしい。
……だけれど、それでいいんじゃないかとも、思わなくはない。
前世の知識を根拠に、この時期のこの人を相手に挑むのは無謀だから仕方がない、なんて。
そんな風に前世の知識を使うような自分を、私は好きになれる気がしない。
──私は、何者かになりたいと願うと同時に。
嫌いな自分には、なりたくないと思っている。
……いや、同時に、というのも語弊があるかも知れない。
きっと、その2つの願望の根本は同じようなものなのだろう。
「──さて、プロデューサー。……気持ちも落ち着いてきましたし、そろそろ、建設的な反省会でもしましょうか」
ここ最近がうまくいき過ぎていただけで、別に、私自身失敗を経験したことがないわけではない。
悔しい気持ちはまだ熱を持って燻っているけれど、その扱い方も、ある程度はわかっているつもりだ。
次を、より良くするために。
……そして最後には、望む未来を手に入れるために。
まだ、足掻くことができるのだから。
私は、その機会が残されているうちに。改めて、前に進むことを決意した。